おしゃべりには社会性のある女が新タイプ
この人生共創型の結婚形態においては、女性には対外的に柔軟なコミュニケーション能力がより求められるようになります。家族を上手に運営する内治能力から、家の外の世間ともうまくつきあっていく外交能力がより大切になってくるのです。
内助の功が女の中心的役割だったひと昔前の時代の家庭では、家庭内における女性の会話量というのも、その役割に見合うように非常に少ないものでした。亭主がポツポツと話しかけるのに対し、はい、いいえ、そうかしら、そういたしましょう、などと言葉少なに妻が答える。
そういう受け答え型の寡黙なトークが多かったのです。
ところが、いまはこれが逆転してしまいました。
休日の午後あたり、家の中でテープレコーダーを回してみたら一目瞭然、圧倒的に奥さんの声や子供の声が家中で支配しているはずです。
「野球よりサッカーのほうがおもしろいに決まっているよ」
「あ、そうかな」
「あなた、お隣のご長男の入学祝い、スニーカーにしときましたからね。会ったら、おめでとうくらいいっといてね」
「う、うん」
「ねえ、この部屋これから掃除するから、ゴルフの打ちっぱなしでも行って来たら」
「お、そうだな」
亭主の発する声は”あいうえお”の間投詞くらいです。
もっとも、これはべつに悪いばかりのことではありません。それで家庭内の、夫婦間のコミュニケーションがとれていれば、だれがおしやべりであろうが、だれが無口であろうが関係ないからです。
けれども、女性のコミュニケーション能力についてはまだまた内弁慶なところがあります。つまり、家の中や近所、子供の母親同士など自分のテリトリー内における、よく見知った相手とのつきあいや社交術はきわめて流暢(りゅうちょう)で上手なのに、みずからの土俵外、未知の人間とのコミュニケーションは、まだ不得手なところがあるのです。
「女の世間」が家と近所にかぎられていたころなら、内治能力の延長で人間関係のほとんどをこなせましたが、これからはなかなかそうはいかない。
夫と一緒に自分たちの人生を構築していく場合、もっと世間を広くとって、さまざまな人たちとの外交能力を身につけていかなくはならいのです。
家に遊びにきた夫の会社の同僚や部下から、金融自由化の進捗(しんちょく)状況について意見を問われるかもしれない。
カルチャー教室の親睦会で現内閣の功罪が話題にのぼるかもしれない。あるいはこれまで夫にまかせきりだった保険の再契約の交渉で、外交員から有利な情報をみずから聞き出さなくてはいけない機会も増えてくるでしょう。
そういうとき、知識や会話能力が内弁慶のレベルのままではなかなか通用しません。
英語がペラペラである必要はありませんが、対夫だけでなく、社会のさまざまな分野や階層の人とも対等にコミュニケーションがとれる外交能力が必要になっています。
いいかえれば会話に一般性のある女、おしゃべりにも社会性を持っている女。そういう女性が新世紀、人生共創型夫婦におけるあげまんの主流となっていくのです。
南方系の縄文人型女性が環境適応型
開放・外交型の女性が二十一世紀の主流をなすあげまん像であることについては、最近の地球環境の変化からも傍証をあげることができます。
これは前著でもふれましたが、日本人は人類学的には北方系と南方系に大別されており、北方系はいわゆる弥生人タイプに相当し、南方系は縄文人タイプに該当します。
このルーツをもう少しくわしくいうと、いまから三万年前ほど前、南アジア・太平洋地域あたりに住んでいた南方アジア人が北上を開始し、その一部は日本列島に達して海岸線を北上、縄文人となったが、ほかに中国を経由してシベリアに定住したグループもあり、彼らは寒冷地に適応しながら北方アジア人を形成した。
この北方人の一部が再び南下し、二千年~三千年前に朝鮮半島をへて日本に渡来、これが(渡来系)弥生人となった。つまり日本列島において、従来の南方アジア系縄文人に北方アジア系弥生人が重なるようにして両者の混血や象徴がはじまったのが、現在の日本人のルーツであるという説です。
その比率は現在、北方系七に対して南方系三。南方系が少数化した理由については、北方系が持ち込んだ病気に対する免疫がなかったことなどの諸説がありますが、真相ははっきりしていません。
<北方系>――曲線的、平面的、のっぺり型の顔。大きい歯。目は切れ長の一重まぶた。唇は薄く、耳たぶが小さい。耳垢は乾いている。体毛はうすく、腋臭なし。
<南方系>―−直線的、立体的、彫の深い顔。小さい歯。目はぱっちりと二重まぶた。唇は厚く、耳たぶは大きい。耳垢は湿っている。体毛は濃く、腋臭あり。
両者はこのような体質的特徴をもっており、おわかりのように、これまでの日本人の主流、美人やあげまんタイプの中心は前者の北方系におおく存在していました。
たとえば浮世絵に描かれた美人はみんな北方系であり、また北方系の女性は性的に淡白で家事にたけていることから受け身で貞淑、つましく家を守る古典的あげまんに適していたのです。
しかし、これからは南方系の逆襲が始まるだろうというのが私の推測です。縄文型の、なにかと「濃い」感じの日本人が少数派ながら主導権を握り、美人やあげまんの中軸をなしていく。その大きな原因の一つが環境変化、たとえば地球の温暖化です。
体毛薄く、耳垢が乾燥して、腋臭がないということは汗腺が少ないことを示しています。寒冷地に適応していたので北方系は発汗による代謝機能が低いのです。今後、ますます温暖化の進む地球、いや、日本に生き残る条件として、これは大きなハンデになります。
これに対して、南方系は熱さに強いサバイバル能力もさることながら、活動的、開放的でおおらか、人生を積極的に楽しむタイプですから、社交性に富み、コミュニケーションや外交能力も十分有しており、前述したような、夫と人生を共創していくニュータイプのあげまん条件にはぴったりなのです。
やや性格的にはアバウト、物事の処理もおおざっぱで苦手という欠点もありますが、生存能力という本質的条件においても、性格やライフスタイルという付帯的条件においても、南方系日本人は環境変化に適応できる要素をより多く満たしています。
つまり縄文型の女性はそれだけで、これからの環境適応型あげまんの素質十分といえるのです。
南方系の女のあげまん度が上昇中
南方系の日本人といえば、すぐに連想されるのが沖縄県民ですが、沖縄の離婚率というのは極めて高い。おそらく日本一です。別れる確率がいちばんなのに、なぜ南方系の女のあげまん度が上昇中なのか。
この疑問はもっともですが、これには実に興味深い理由と背景があります。
沖縄の経済はやはりかなり苦しいものがあります。本土の平均給与収入を100とすると、沖縄のそれは70くらい、県民ひとりあたりの年収は二百万円程度だといいます。物価が非常に安いことを差し引いても、これではなかなか生活は成り立っていきません。
そこで――これは当地のタクシー運転手に聞いた話ですが――沖縄の男は奥さんを働きに出すことが多い。それもバー勤めさせるケースが多い。しかし夜の商売をすれば、亭主以外の男と知り合い、そちらに気持ちを移す機会もグンと増える。それで離婚にいたる場合が多いのだそうです。
これだけなら経済的困窮が生んだ悲劇になってしまいますが、沖縄にはそう考える人は少なくないというのです。まず、亭主を「救う」ことである。奥さんが子供を連れて家を出ていけば食い扶持(ぶち)が減って亭主は経済的に助かるからです。
次に、新しく亭主になる男は毎晩のみにきていたというくらいだから、それなりの経済力はある。したがって本来なら夫婦共倒れのところを、離婚するとによってどちらも蘇生することになる――この話を聞いて、私は、まさにそれは別れることで男を活かす「離婚あげまん」だと思いました。
沖縄の離婚が多い理由の、その半分くらいは分かった気もしました。離婚が本土のように、暗く不幸なイメージばかりではとらえられない。
別れた奥さんのほうにも犠牲者という湿っぽさはほとんどないといいます。むろんうまく経済的解決がついたとしても、またいかに開放的、楽天的な南方系日本人といえども、離婚による心理的ダメージが少ないものであるはずがありません。
しかし沖縄は場内経済が成立している場所で、本土との間に資本の往来はあまりありません。つまり、そこで稼いだお金はそこで使うような経済形態が確立していて、お金が圏内で還流しているのです。
人も同じで、那覇市内であれば別れた夫や妻にしょっちゅう出会ってしまう。だから逆に、いつまでも愛だとか憎しみだとかいっていられない。
苦しかったら別れる。別れても憎まない。その後に町で会えば、互いに笑って立ち話もする。そういう明るく風通しのいい知恵やスタイルが、ウチナンチュには身についているようです。
ヤマトンチュとは(少なくとも北方系のヤマトンチュとは)生きる根っこ、感覚が根本的に異なっている感じがします。しかしこれから日本人の主流、あげまんの中軸をなしていくのは、間違いなくこの沖縄の女性に代表されるような南方系縄文タイプの人間なのです。
つづく
家庭内にあげまん空気をかもし出す
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。