女に好かれるのは湿気のないウソ
男のウソでもう一つ好感がもて、女性からも好かれるのが、ホラ話に近い邪気や湿気のない明るいウソです。
生前、ジャイアント馬場を空港のロビーで見かけたことがあってね。彼は読書家でも有名だっただろう、そのときもやっぱり熱心に文庫本じゃなく週刊誌だったんだな――こんな話はとりわけ飲み屋やバーで喜ばれるはずです。
以前、テレビで見たのですが、テレクラに電話をかけてきた女性をデートに誘いだすテクニックとして、実に巧妙にウソを利用していた男の例がありました。
女から、仕事は何をしているのかと聞かれて、男はまず運転手だよと答えます。そこからしてもうウソであり、その後もウソを重ねていくのですが、この運転手という基本線だけは変えません。こんな具合です。
「なんの運転手?」
「飛行機」
「パイロットってこと? ふふ、ウソでしょう」
「もちろん。ウソ。実は長距離トラック。ばかでかいヤツで、ヘッドライトは広島にさしかかっても、テールランプまだ名古屋を過ぎたあたり」
「バカみたい、それもウソなんでしょ」
「よくわかるね」
「もお。ホントはなんなの」
「モーターボートかな。水も滴る・・・・・」
「ははは、よくいうね」
このへんで女は楽しく笑って、もう気を許している感じです。そして男は最後にとんでもないウソをつきます。
「実はね、自衛隊。自衛隊で戦車を運転してるんだ。いやホント。あそこの訓練は昼じゃなくて夜にやることが多いのは知っているだろう。きょうもこれから富士山のふもとまで行かなくちゃならないんだ。その前に会おうよ。そのうちキミも戦車に乗っけてやるよ」
これで女性はデートをOKします。”戦車の運転手”であるはずがないのに、ほとんど信じこんでいるようでした。それがいちばん大きくて、バレやすいウソだというのに。
それまでユーモアをまじえ、巧みなホラ話を重ねることで警戒心がすっかりほぐれたところへ、最後にもっと突拍子もないウソを提出したため、あまりの意外性にかえって説得力が生まれ、女性はそれをなんなくつるりと飲み込んでしまったというわけです。
人間心理のエアポケットをついた実に巧妙なウソ。あるいは、ウソを巧妙に利用したすぐれた説得術ともいえます。最初にパイロットを出して、たやすく女に見抜かせるところも、その後に信憑性をもたせるという点で絶妙です(最後にパイロットというのが通常のだましのテクニックですが、それはあまりにウソくさく警戒されやすい)。
こうした罪のないウソ、ホラ話を女性は意外に好みます。ウソがばれたところで笑い話ですむ。また、男のこうしたホラ話に明るくケラケラと応答してくれる女性にはあげまんの素質ありです。
度量広く、ユーモアを解するからです。
有益なウソ、プラス作用のウソもある
有害なウソ、無害なウソ、有益なウソ、無益なウソ。ウソにはこの四種類あるといわれます。このうちいちばんタチの悪いのは、やはり有害なウソです。
無害なウソとはお世辞に近いもので、
お宅の庭はいつもきれいねなんて、べつにそう思っていなくても、そんなことありませんよと軽く受け流し、それっきりその場で消えてしまうようなウソ。時候のあいさつみたいなもので、いってもいわなくても同じウソです。
また無益なウソは商品の宣伝文句なんかがそうで、だれもが事実を誇張したオーバーな表現だとわかっているが、かといってウソだと目くじらを立てるほどのことでもない。益もないが外もないウソです。
そして有益なウソ。
たとえば医者と教師のウソはたいてい有益といわれます。あんまり取り柄のない学生に対して、キミはやればできる。潜在能力では一番だと誉めてやることで彼の学習意欲を刺激する。
あるいは患者を落胆させないため、病気と闘う気力を奮い立たせるために、症状を軽くいう。だいじょうぶ、きっと治して見せますと励ます。これなどは医師が使う有効なウソです。
O・ヘンリーの有名な短編『最後の一葉』はその典型です。
有益なウソとはつまり、このようにプラス作用のあるウソであり、その気になれば、いくらでも日常の中、男女の仲で応用できるものです。
たとえば、上手にひとにものをおごるのは案外難しいことです。おごったほうは気持ちがいいが、おごられたほうには心理的負担が残るのが普通だからです。こういうとき、「日曜日にダービーを当ててあぶく銭が入ったから、うまい飯でも食いに行こう」
といったウソをタネに誘えば、おごり、おごられの関係が円滑にいきやすくなります。こういうプラスのウソのつき方というのもあるのです。
さらには、ある開業医が患者を診察している最中、受付のほうから看護婦が先生、電話ですと呼ぶので、誰からと聞くと、宮内庁からですというと。患者はびっくりしてあらためて医者を見直す。だがそれは、医者と看護婦が仕組んだ芝居だった――。
実話ですが、それを聞いた写真館の主人が同じ手を使った。客のいるときを見計らって、奥さんに「宮内庁の方から電話よ」といわせたのです。それが近隣に口コミで伝わって、この写真館にはそれから七五三だの成人式だのと、記念写真の注文が殺到したといいます。
互いにだまし、だまされるだけでなく、男と女が示し合わせてつく、こうした男女共同のウソというのもあります。これなどもやり方しだいでは、対外的に有効であるばかりでなく、本人たちとっても有効なプラスのウソとして活用できるでしょう。
これからの女性は男の対等パートナー
イチローという野球選手は、世間に新鮮ですがすがすがしいショックを与えることが多い人物で、たしか年俸をはじめて億の単位に届いたときに、そのお金で何を買いたいかと聞かれて、セーターが欲しいですね、と涼しそうに答え、若いのになかなかやるなと思った記憶があります。
先ごろも、最近の女子アナらしからぬ清潔で堅実そうな年上の元アナウンサーを伴侶に選び、身内だけのジミ婚をして、もう少し派手な結婚と相手を予想していた世間をさわやかに裏切りました。しかし彼女も配偶者に選んだについては、そこに彼なりの"計算"が働いたはずと私は読んでいます。
聞くところによれば彼女は英語に堪能らしい。その英語力は大リーグ入りを視野に入れているイチローにとっても必要である。また、アメリカのネット事業にイチローは資本を投資しましたが、これにも彼女は活用できる――つまり色恋だけで相手を選ぶのでなく、きちんとした人生設計のもと、目的にそった結婚をしている。
それが打算的に見えないことまで含めて、イチローは非常に新しいタイプの結婚をしたように思えます。
むろん彼にとって彼女は、最高に近いあげまん妻といえるでしょう。こうしたケースには実は前例もあって、ゴルフの青木功プロがそれ、彼は、それ以前に米国人と結婚していてやはり英語ペラペラだった奥さんと互いに再婚同士で結婚しましたが、彼がアメリカで活躍しはじめたのはそれ以後のことです。
いずれも、ある一つの目的を果たすために、おおいに貢献してくれそうな能力をもったあげまん女性を男のほうから積極的に求めた例です。
家を守ってくれるよき伴侶よりも、ともに人生を構築していける対等パートナーを強く求めている。こういう結婚相手の選び方はこれまで、わが国では例外の部類に属していたものです。
夫が書きなぐった原稿をていねいに清書して編集者に渡す流行作家の妻、そういうあくまでも内助の功を果たす夫の黒衣(くろこ)的存在な、”家内”を日本の男はこれまで結婚相手に求めていました。
しかしこれからは、イチローや青木プロみたいに補助型女性よりも共創型女性を求める傾向が強くなっていくでしょう。
野球選手の結婚といえば、長嶋一茂も――超人気者でビッグネームの父親をもつわりに――内輪の地味な結婚をしました。相手が銀座の元ホステスということからあれこれ取りざたもされたようですが、私はいい結婚だったという印象をもっています。
坊ちゃん育ちで苦労知らずの自分の欠点を自覚して、それを補ってくれる世間通の女性をカズシゲはちゃんと選択している感じがするのです。ちゃらんぽらんに見えて、意外に手堅い。それでいて肩に力が入っていなく自然体である。野球では芽が出ませんでしたが、第二の人生での彼は案外やるじゃないかと、私は思っています。
いずれにしても、家庭内に控えて縁の下の力持ちの役割を妻や女に求める傾向はしだいに薄れ、夫とともに表にも出て、二人の人生を協力して構築していく対等のパートナーシップが求められるようになるのです。
台所型から表札型へと、男女関係における女性の役割は変わっていきます。
つづく
おしゃべりには社会性のある女
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。