「セックスレス」夫婦であっても「浮気・不倫」は楽しいものだしロマンスがある憧れチャンスがあれば間違いなく男女の区別なく逃さない。浮気性の恋人や夫をどうあやせばいいのか

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目次、日本の夫婦。パートナーとやっていく幸せと葛藤

本表紙東京で起こることは全国で起こる結婚の条件 小倉千加子
矢印少子化の国際比較
矢印日本は世界一の晩婚国
(五十歳の未婚者を「生産未婚者」と命名しているのは、もちろん政府である。国は、五十歳を過ぎた者には恋愛に関して「もはや何も起こらない」と定義している。エロスの賞味期限を国は五十五歳と決めているのだ。
矢印東京で起こっていること
二十代後半の未婚率は全国平均では五四%であると先ほども記したが、東京都ではこの数字は六十五%を記録し、三十代前半の未婚率も三八%(全国平均では二八%)まで上昇している。東京は「シングルの都」なのだ
結婚の早さは、所得の低さや教育歴の短さと相関している。女性の場合、実際に初婚年齢は、中卒・高卒・短大卒・大学卒の順で早くなる。一九九七年の「出生動向基本調査」によれば、中卒女性は二十三歳で結婚し、高卒者は二十五~二十六歳、大卒以上で二十七歳である。学歴資本を持たずに早くに社会に放り込まれる女性は、生活のために結婚していくのである。
矢印「純愛」の消滅
矢印一九四〇年体制と恋愛の統制
矢印恋人の条件と結婚相手の条件
矢印中流階級の娘の「お嬢さま化」
結婚相手の購入は、自分の市場価格で決まる。恋愛と違って、結婚は相手を探してするものである。恋愛が不意に陥るものなら、結婚は今や理性と打算で選ぶものである。

ピンクバラ生存・依存・保存東京ラブストーリー
矢印晩婚化と最終学歴
矢印高卒者の結婚意識
矢印短大卒の女性の結婚願望
矢印四大卒「勝ち組」女性の結婚の条件
矢印母と娘の間
矢印娘に期待すること
矢印結婚した女の三つの身分
矢印既婚者女性の四つのコース
矢印労働からの総撤退
結婚が女性を保障してくれる三大特典――保障された年収・達成義務からの解放・豊富な余暇時間――は、けっして手放さず、その上に立って、社会から認められ、仲間に羨ましがられる仕事に就きたい。子どもがいても、生活臭のない、社会と繋がった仕事をしていたい。生活のための労働は、奴隷(男)にさせ、自分は貴族のように異議のある仕事を優雅にしていたい・・・・・。
今や単なる生活費稼ぎの労働は、男と親と老人だけがするものになりつつある。
矢印勝ち組の主婦たち
他人を騙す程度では「女」にはなれない。はじめに自分を騙していなければ「女」にはなれない。自分は打算的な女ではない、打算的な女はほかにいる。そうマジで思っていなければ、専業主婦として成功することはできないのだ。私が、そのことを知ったのは、テレビドラマ「東京ラブストーリー」のおかげだ。
矢印自分は関口さとみではない

ピンクバラ女の子の二つのタイプ
矢印「VERY」な生き方
矢印就職難と結婚難
矢印ロマンティック・ラブの復活
  ロマンティック・ラブの対極にあるのは、スタンダールの言う「情熱恋愛」(アムール・パッシオン)である。情熱恋愛は、強く振った瓶からサイダーがほとばしり出るように、人々を日常性から開放する。どんな時にも相手のことが頭から離れず、おかげで日々の義務を遂行することが困難になり、性的にも相手に熱中する。ロマンティック・ラブにおいても、「一目惚れ」というケースはままあるが、情熱恋愛は、性的・エロス的脅迫衝動と結びついており、ロマンティック・ラブはそこに一定の良識というか抑圧する意志を備えている。
 ロマンティック・ラブは、男女相互に義務を課し、制度によって互いを永続的に縛り付けてくれる。一方で、女性は家庭において夫に隷属し、外部からの感情的交流から隔離されていく。許容されるのは、女性同士の友情だけで、それを「VERY」では「社交」と呼ぶ。
矢印「VERY」から「STORY」へ

ピンクバラお見合いとロマンティック・ラブ
矢印結婚というビジネス、林真理子、
結ばれるときには、生涯かけて相手を愛することを自らに誓う契約結婚であり、一時の衝動による結びつきではない。不貞、特に妻の不貞は、同格の両家の財産を脅かすので強く戒められ、そういう自戒は女性に内面化され、相手への貞節を自分が望んでいるのだという錯覚を作り出す。

それは理性的であるからして、なにがしか低体温であり、継続的であるからして、なんがしか不完全燃焼である。しかし、よく言えば、静謐(せいひつ)な夫婦愛となって、子どもたちには理想的な両親となる。
戦後すぐの恋愛結婚における恋愛は性的・エロス的衝動と結びつく、自分自身ではコントロールできない激しい感情、つまり「情熱恋愛」だったのだろうか。一九七〇年代まで、たとえ恋愛結婚でも、女性は結婚までは処女でなければならないという暗黙の規範があった
矢印四十代の意味
 恋愛結婚といっても、現在七十歳(一九三〇年)以上の女性の多くは「情熱恋愛」を経験して結婚したわけではないと思う。鹿鳴館で明治の日本人が西洋人の真似をして社交ダンスをしたように、「恋愛もどき」をして結婚し、近代家族を作ったに過ぎない。夫以外に男性を知らず、娘の婚前セックスに戦々恐々とした真面目で禁欲的な世代が、今の七十歳以上の大半である。

地方では、これが六十歳(一九四〇年)にまで下がっていると思う、彼女たちが男性に愛を感じる場合、母親としての息子への愛の転移以外にありえない。だから、ニッポンのお母さんたちは、「息子のように可愛い」と同時に「理想の息子のように真面目」な、氷川きよしが好きなのだ。

夫よりも息子の方が強い愛の対象となっていること自体、彼女たちが情熱恋愛をしたことがない証拠である。六十歳以上で、自分は確かに情熱恋愛を体験した人は、才能に恵まれた一部の特権階級である。自分の中の感情を恋愛と自己知覚するかどうかには大きな個人差がある。見合い相手に「好感」を持って結婚した人が、自分は「恋愛」したと思い込んでいることはよくあることだ。

 五十代(一九四六年~)は、団塊の世代だ。この世代が広めたものはあまりにも多いが、ひと言で言うなら、彼らは近代的結婚とセクシャリティとを乖離させた最初の世代だということになるだろう。ある意味、もっとも情熱的な恋愛を実践した世代かもしれない。しかし、一九七〇年代は、先ほども述べたように、まだ強い結婚規範がのこっていた。
矢印「STORY」世代
矢印新しい働き方
矢印十五年後の同窓会
矢印「STORY」なお仕事感覚の読み取り方
矢印秋保仁美さんの謎
結婚が、経済(カネ)と美(カオ)の交換であるなら、四十歳の夫婦のパワー・バランスは、ほとんど夫優位である。妻の資源の中で唯一増大するのは、夫に対するホスピタリティであろうか。料理の上手さ、インテリアの趣味の洗練といった「家にいる快適さ」を夫に保証する技術を妻は磨くことができる。いや、その努力を怠る妻は捨てられるのである。
矢印結婚というビジネス
矢印決して語られないもの
 結婚がロマンティック・ラブの実銭であるなら、妻の側にもまた情熱恋愛への憧憬が内向している。家庭は壊したくないが、女として認められ、賞賛されたいという欲求は、誰でもある。

 結婚は、配偶者以外の者との性関係を法律によって禁止する制度である。現在四十歳前後の「STORY」世代は、多くが短大を卒業して、今よりも遥かに就職が容易な時に就職し、十分な給料を貰い、何度も海外旅行をし、ブランド品を持ち、男を何人も取り替えて、シングル・ライフを謳歌してきた世代である。これが「VERY」世代になると、バブル絶頂期と重なっているので、さらに派手になる。

 しかし、結婚という制度に入ると、夫以外の男性と恋愛することは許されない。「結婚しても、妻でもあり母であるだけではなく、いつまでも女でいたい」欲求が募る。現代の四十代は、まだまだ現役可能である。ここ数十年で、日本人女性の肉体的若さは飛躍的に高まった。

「STORY」の読者モデルになっている人を見ると、十分な若さと美貌とスタイルを備え、現役として通用する人がいくらかでもいることが分かる。恋愛のデッド・ラインは五十歳、いや六十歳でもいけることを十朱幸代が教えてくれる。どこまでいっても諦めさせてくれない時代の到来である。
女性の欲望を人一倍持っている林真理子が、五十歳の女性に若い恋人がいることを、本気でみっともないと思っているのか、あるいは我が身を顧みて客観的つまり悲観的になって言っているのか、それは分からない。しかし、四十代はじめの女性の美しさは、林真理子ですら認めざるを得ないのである。

ピンクバラだめんず・うぉ~か~「倉田真由美著」
矢印くらたまを分析する
ちなみに、くらたまが離婚した元ダンナは、雑学に強くて、話題も豊富。会話の受け応えも、おっ、こいつはセンスがあるって思わず感心するような男であったという。この男と結婚する直前まで、くらたまは誰もが認めるいい男の銀行マンと付き合っていて、結婚まで考えていたが、ギャグ・センスの切れ味が抜群にいい元ダンナの話の面白さにあっけなく惹かれて、いい男を振ってまでこっちと結婚。ギャグのセンスなんて、生活には何の役にも立たないのに、まったく、お前は何を考えてんだ!!

って当時の自分を殴ってやりたいですよ。と、くらたまは語っている(この話は非常に重要だと思う。「生活」の対極に「ギャグ・センスの切れ」が来るとは)。

 くらたまは『だめんず・うぉ~か~』(4号)の中で、女を四種類のタイプに分けている。「(男に)ぶん殴られるタイプ」「なかなか別れられないタイプ」「(男に)貢がされるタイプ」「男で失敗することはないタイプ」である。

 で、くらたまは、男で失敗することはないタイプを、「週に一度主人の診療所にお手伝いに行くのが生活のアクセントになっています」と語る歯科医師夫人に対して「尊い労働も奥様にはスパイスっ」と「ぶほー」と鼻で笑い、「古代中国、秦の始皇帝くん、今、キミを身近に感じました」と書いている。男で失敗しない女とは、計算高い女であって、男に求めるものの順位で分かるとも書いている。その順位は、
1 経済力(医者とか弁護士とかいい会社のサラリーマンとか。金持っててもホストなんかは×)
2 やさしさ(好きな事をさせてくれて好きなように金を使わせてくれる)
3 安定性(いきなり農業をやりたいとか言い出さない。ベンチャーに転職も不可)
4 学歴(ケイオーなら内部進学バカでも可。むしろ金持ちっぽいのでそっちのがいい)
5 まじめさ(浮気をしない。家庭を壊さない)

 となっており、「計算女にとって、SEX関係の要素って重要じゃないってこと」と総括し、「自然じゃないわよ」とツッコミを入れている。

 自然――くらたまにとっての自然――と思われるものは、(SEXに限局された)エロティシズムで男に惹かれることなのである。くらたまの言葉でいえば、自然に女が惹かれる男の条件は、「セックスのテクが上手い」「持続力がある」「ち○こがでかい」というようなすこぶる即物的で露悪趣味なものになる。
 しかし、性器の俗称を羞恥心なく語ることを、女性側からジェンダーを粉砕する戦略と考え、実験的にあらゆるセックスに挑戦することは、若い世代のフェミニストもやっている。くらたまは彼女たちとは違う。いや、違わなければならない。くらたまは、イデオロギーなしに、エロに惹かれる女を擁護したり応援したりする以前に、自分自身がそうならなければならない。しかし、くらたまはそれができない。そうなりきることができないのだ。

『たま先生に訊け!』という本で、くらたまは人生相談に答えるという仕事をしているが、元・女流王将林葉直子とくらたまが、同じ悩みに答える「対局てき相談」では、林葉直子の答の方が突き抜けていて、はるかに面白い。くらたまには、セックスに関する「常識的」な逡巡があり、このひとは「フツーの人」なのだと思わせる。学歴が邪魔しているのに、彼女はそれに気づかない。

息子を東大に入れたいと本気で思っているらしい。東大を出ても、一橋を出ても、いくら勉強ができても、そのことで人は自由にはなることはない。十八歳の時の頭の良さで一生は決まるのではない。三十歳の時に賢いかどうかがよほど大事なのだ。
矢印シロガネーゼへの欲望
 では『だめんず・うぉ~か~』でくらたまは何を主張しているかというと、こうなる。何をエロいと思うのかは、個人のフェチによって異なるので、他人からは趣味が悪いと思われようが、本人さえ良ければそれでよい。計算高い女が男を選ぶ基準が、すべて「結婚生活は見せてなんぼ」であることと、エロさん惹かれてだめんずに金をむしり取られる女は、決定的に違う。
「おしゃれなんて男に見せなきゃ何の意味もない」というくらたまの本心と「フリース・ジャージで通す」というもう半分の本心と交差し、くらたまは引き裂かれるのである。男とのエロスに生きたいという気持と、女同士にしかわからない任侠を行くという気概(それがメシの種となっている)がくらたまの中にはあり、この二つの絶対に相容れないまま、くらたまはどんどん引き裂かれていく。
矢印腰掛け総合職
矢印梅宮アンナという生き方
矢印総合職女性の選択
二人の認識が一致したのは、総合職に就いても、女は結婚相手に経済的に依存して、自分は「生活のためではなく、自己実現のための」仕事を目指す生き物だということであった。

「女は真面目に働きたいなんて思ってませんよ。しんどい仕事は男にさせて、自分は上澄みを吸って生きていこうとするんですよ。結婚と仕事と、要するにいいとこ取りですよ」と、彼女ははっきりとそう言い、私もその点に関しては全く同意見なのであった。

 これは、女性がそういう生き物であるというより、人間というものがそういうものであり、人間の中の女という位置に置かれたら男と違って楽をできる方法が許されている以上、それを使わないはずがないという、諦観にも似た認識である。
女性だけではなく男性もまた、結婚によって経済的義務を相手が担ってくれたらと潜在的に考えている。日本の婚姻率が高いのは、相手に対するこういう「甘え」が二者関係の中でつねに許されてきたからであろう

ピンクバラ娘の結婚は父親と国で決まる
矢印高すぎる理想と長すぎる処女歴
矢印父への憎悪
 私の大学院時代のゼミの友人で、主婦を相手に長年カウンセリングをやってきた三沢直子氏(現・明治大学教授)は、現在四十代半ばの女性のクライアントが訴える多様な問題の背後に、父親に対する激しい憎悪があまりにも頻繁に見られることに気づいた。

そこで、父親の生年を調べてみたところ、昭和八年から十二年に集中していたという。これらの年に生まれた者は、学童疎開の経験者であり、疎開先で地元の子どもたちから虐めを受けた者が多く、さらに終戦が終わって帰ると、空襲で家屋が焼失し、家族も空襲で亡くなっていたり、父が戦病死していたりして、いわゆる戦災孤児となった者の多い年齢である。

戦災孤児として受けた差別、偏見や貧困によって作られた人格の歪みのせいで、「信じられるものは金と土地だけ」という価値観が人一倍強い。その父の娘が結婚して親になったとき、いかに自分が父から愛されていなかったか、父が親として夫としてどれほど酷薄であったかに気づいて、父への憎悪が顕在化し、父と対立することが実に多いと、三沢氏は言う。

 もちろん昭和八年から十二年生まれで戦災孤児だった人だけが、トラウマを持つわけではないだろう。戦地に行き、餓死寸前までいって生還した人、傷痍軍人となった人、軍隊で殴られ続けた人、捕虜として長い抑留生活を送った人、内地に帰って空襲で家や家族を失ったことを知った人、戦後の猛烈インフレのために全財産が紙くずになった人、農地改革によって地主の地位から転落した人、そして戦後の混乱の中で他人を蹴落としてしか生きられなかった人たちを含めれば、明治生まれにも大正生まれにも昭和一桁生まれにも、戦争の深刻な被害者は夥しくいる。
矢印恋愛とフェティッシユ
矢印愛されたい欲望
 人間には他人から純粋に愛されたいという欲望がある。金ではなく自己そのものを愛されたい。世界でたった一人自分だけを見ていてという欲望が、悲しいかな誰でも存在する
セックスの際に膚接感に、この欲望すなわち単にセックスの相手としてではなく自分を愛して、自分を守って、自分を大切にしてくれという欲求が、付着しないはずがない。
 素直に考えれば恋愛の理想とは、「自分のフェチを満たしていて、なおかつ自分を愛してくれる相手と、相思相愛になる」ことである。つまりはその人から見て「美しい!」と思える(他人からは理解されなくてもいい。が、理解されるともっといい)パーツを持った相手と、まず出会わなければならない。

 あの、知能テストを世界ではじめて考案した不遇の天才アルフレッド・ビネーは、知能テストについて研究する以外にも「フェティシズム」という論文を書いている。ビネーの不遇とは、彼がソルボンヌ大学の生理学的心理学研究室長としてフランス心理学の発達に最も貢献した人物にもかかわらず、生涯、大学で講義する機会を与えられなかったこととである。
政治力がなかったのである。悲境の人にふさわしく、家族を愛し娘たちに癒されながら多くの著書を残したが、五十四歳で脳溢血で逝った。

 ビネーによれば、セックスは「フェティシズムの交響曲」である。女性の足とか、男の指とかにフェチのある人はいくらでもいるが、脚だけではなく指だけではなく顔も声もそして性格まで含め、「全体」がフェチにならなければセックスはできない、「部分」をフェチにしているのは、ただの「変態」である。したがってあらゆるフェティシズムという名の楽器が揃った交響曲こそ、完全で正常なセックスだというわけである(しかし「正常性交」を数ヶ月やっただけで、別れられて「家族」が成り立たない。妊娠し、子どもを責任を持って育ててくれなければ、国が滅ぶ)。

だから(ここから先は別にビネーは言ってはいないが)恋愛が終わっても、今度は愛という絆で家族はつながっているのだと錯覚させようとする。誰のために? 国の為に。こうして、「人格とセックスと結婚」は結合するというイデオロギーが発生した。

 先ほどから述べているように、我々は自分が弱ったときにも貧乏になったときにも、変わらずに人に愛してほしい、感情の交流を確保したいという切実な欲求を持っている。多くの人は、恋(情熱恋愛)の刹那に、頭ではムリだと分かっていても、自分が一番好きだと言ってほしいと思う。

恋愛に「永遠」と「絶対」を夢見るのが、悲しいかな人間である。そういう人間の弱さが国家の目的と一致するからこそ、結婚制度はその威力を失わないのである。権力というのは、サンドイッチのパ ンのように、上と下にあるのである。

ピンクバラ女性のフェチ・男性のフェチ女性のフェチ・男性のフェ
矢印女性には、それぞれ固有のフェチがある。
  私の知り合いでは、三十代の女性がこう言っていた。
「頬杖をついた時に、肘の筋肉のラインが美しい男でないとイヤ」
 その彼女が、四十歳目前で結婚した。相手の肘のラインで選んだかと尋ねたが、そのフェチは我慢したそうである。我慢したら結婚できたそうである。

「男の鎖骨フェチ」の女性もいて、鎖骨の上の窪みに石鹸が乗るくらいでないとカッコいいと思わないと言っていたのに、今付き合っているのは鎖骨がそこにあることが分からない程度の肉付きのタイプである。女性は、フェチを諦めるのではない、結婚相手にフェチを求めるのを諦めるのである。

女性は結婚してからも、自分のフェチを外に追求する。芸能人の追っかけをして、夫からは生活費以外なにも求めないし、愛しているという気持すら要らないと言った主婦がいた。メシとカネの交換のみという割り切った夫婦生活で、家庭にエロスはない。結婚相手とフェチの対象への愛は両立するのだ。
男性で妻からは気持ちも要らない、フェチは結婚の外で満たすというのは、なかなか難しいのではないかと思う。男性は芸能人の追っかけをするより愛人を作るという方にいくだろう。

男女の関係性の中では、男性が欲求を満たされる側で、女性がそれを満たす側という非対称性があって、女性はある年齢で、もう夫の欲求に応答するのはやーめた、という時期が来るのではないか。それが結婚生活に入ってから速いか遅いかの違いだけではないかという気がする。
矢印「学者」対「作家」
 さて、また話が難しくなるが(恐縮です・・・・)セックスの欲望と人格を切り離すことは、それ自体で反・制度的なものである。たとえば、男が相手の合意なく人格を無視してやると強姦となって犯罪者となり、男が相手の人格を尊重していても欲望しないとEDとラベリングされてバイアグラを処方される。すなわち法律と医学で対処されるが、女がこれをすると、強姦にはならないので法律で裁かれることがないかわり、「色き〇がい」とか、「壊れてる」とか言われて「非難」される。

法律を破ると国家が定めた「罰」がくだるが、公序良俗という名の規範(文章化されていない規則)を破ると「恥」を感じるように仕向けられる。人は、「罰」より「恥」の方が恐ろしいため、多くの人は「恥」を内面化して「非難」を避けるように生きている。人が最も恐れるもの、「非難」なのだ。

中傷、軽蔑、差別、迫害、孤立。非難はさまざまな形をとる。最終的にこれに対するには、自分が内面化している「恥」を捨てるしかないのだ。自分の中から「恥」を追い出して「恥知らず」になれば、頭を上げてちゃんと生きていける。私は、最近の女性作家たちの表現に見られる、性器の俗称の連発は、「フェティッシュの交響楽」から、楽器を一つ抜き取って単独演奏する欲求、つまり「全体」としてのセックスへ回帰したいという欲望の現われだと思う。

フェティッシュとは本来、物質であり、次第に身体のパーツに向けられるようになった。感受性(理性や意志でコントロールできない)の対象であり、頭が気づく前に身体が既に知っているものなのだ。女が男をフェチで選ぶのはセックスの全体性を崩壊させ、男を物質に還元することなのだ。

 日本では、学者フェミニストは、セクシャリティをタブーにしてきた。なぜなら、大学という制度の中にいる以上、それを言う事とに自動抑止が働くからだ。フリーランスはその点自由だ。セックスの欲望に人格を、それも女だけが必ずセットにしなければいけないのはなぜか、という疑問に女性の作家たちは答えを出そうとしている。

 岩井志麻子は、「人格とセックス」のセットから人格を捨て、中村うさぎは「人格とセックス」のセックスを捨てて。アラカルトで生きる生き方もあっていい。なぜ、他ならぬ彼女たちが、疑問に答えなければならなかった。それは、彼女たちが結婚も「人格とセックス」のセットだと思い込まされ、そこで壁にぶつかり、一回壊れたからだ。

今現在フツーを目指している女の子がいたとしても、やがて気がつく人は気がつくし、つかない人は永久につかない。それでいいと思う。学者フェミニストは、日本では自身が多く結婚しているし、たとえ結婚していなくても、大学と結婚している。ただセクシャリティを扱っているだけでラディカルな学者だと自称できる時代はもう終わった。
矢印「うっかり・しっかり・ちゃっかり」の法則

ピンクバラ女性の偏差値
矢印学生の結婚の条件
矢印拝啓、西村知美様
男性は、女性に男性と違う生き方を求めている。簡単に言えば、男は裸でもいい、ラクだから。でも女は衣装を身にまとって裸体を隠さなければならない。隠さなければ女は恥じらうような女でないと男は発情しないので「平気で裸になるなよ! 恥じらえよ! 」と男はキレそうになって女に言ったわけである。
矢印汚いことは母がする
矢印成功恐怖
 女性がトップの位置に登りつめつつある、まさにそのときに心の中から響く声があります。「本当にいいの、そんな高い所に昇って。そこまで行ってしまったら、男の人はみんな私より下になってしまうのよ。そうしたら、誰も私と結婚なんかしてくれない。引き返すなら今よ。もう十分成功したじゃない。もっと大事なことがあるでしょう? そう、愛よ。結婚よ。暖かい家庭を築くチャンスを失ってしまうかもしれないのよ。降りるのよ。そこから降りなさい。早く!」

 こういう、無意識の中から立ち昇ってくる感情を、心理学では「成功恐怖」と言います。マティナ・ホーナーという女性の学者が「発見」しました。こういう恐怖に駆られると、女性は成功を避けるように行動します。せっかく入社した一流企業で一人選ばれて昇進したりしたその時に辞表を出すとか、女優の場合も大ヒットした直後に不釣り合いな相手と結婚して銀幕を去ったりすることがしばしばあります。

「女性が成功したって、孤独で不幸な人生が待っているだけだ」「可哀想に、仕事に打ち込むしかないなんてモテない女なんだ」といった、男性たちのそういう女性に対する非難を当の女性が知るからこそ、その位置から去りたいと女性は思うのです。

「そんなこと思われても、現に自分は孤独ではない」というような立場のある人は何ともないのですが、そう思われる自体に恐怖を感じる女性はたくさんいるのです。

 さて、この「成功恐怖」ですが、マティナ・ホーナーが、こういう発見をしたのは一九六八年のことです。「アンは、医学部の成績発表の掲示板をみて、自分の成績が一位だと知りました。さて、このときアンはどう思ったでしょう。それから、アンは将来どんな生活を送っていると思いますか」と、大学生に質問したところ、さきほど書いたような、特に男子学生の「孤独で不幸な人生」を意味するような具体的な反応文が見られたのです。
「狭くて寒いアパートで、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけたアンが顕微鏡を覗いている。大学では仕事はパッとせず、恋人はもちろんいない」

 しかし、現在この実験をしますと、日本の学生の反応は全く違います。「アンは、医学部在学中に年下の医学生と婚約し、卒業とともに結婚。二人は医者として仲良く働き、郊外に家を建て、子どもが二人と犬もいて、リッチで幸福な生活を送っています」女子学生も男子学生も多くがこういうふうに書くのです。

もし医学部で成績トップだと分かったときには、どういう気持ちかという質問には「すぐに親にメールし、家でお祝してもらう」「彼氏を携帯電話で呼び出し、一緒に喜ぶ」というのが圧倒的でした。
「成功恐怖」は、なくなったんでしょうか。同じ実験をすれば、今の日本では確かに「成功恐怖」は見られません。

 しかし、私は去年、こういう知らせを受けました。私がかつて名付け親になった女の子が、東大と慶應を受験し、両方に合格しました。親と先生は東大に行けとすすめたのに、本人は入学手続きの前の晩まで泣いて抵抗、結局慶應を選んだと。

彼女にとって「東大」に入学することがすでに「成功」なのです。だから彼女は降りたのです。実際、東大に進学すると、女子学生は在学中に結婚相手を見つけなければなりません。社会に出ると、自分が東大卒だと聞いた途端、男の人はひくからです。医学部でも、女子学生は同じ理由で在学中に結婚相手を見つけようとします。

「東大」「医学部」「芸能界」、私はこの三つの世界が、一番女性の「成功恐怖」の表れる場所だと考えます。「当事者」でないと分からない恐怖というものがあるのです。
「成功」「名声」「富」は求めたいけれど、同時に「愛」「結婚」「子ども」も欲しい。あるいは「社会的自己実現」もしたけれど、「性的自己実現」も果たしたい。日本の女性は、両天秤をかけようとし、順番でいうと、「愛」「結婚」「子供」が「社会的自己実現」より先なのです。

女性が所有しても罪悪感を持たないですむどころか周囲に褒められ祝福される唯一のモノは「子ども」です。夫は、「子ども」と「子どもを育てる環境」を運んでくれるコウノトリです。「成功」するよりも「結婚」して引退し、子育てに専念したい。「成功」する才能のない者までがそう口にするのです。

子育てが一段落してはじめて自分育てに入るのです。しかし、結婚前に、「成功」出来なかった人が中年になって「成功」できましょうか。だから、子どもで「成功」しなければならないのです。「子ども」は母親の自己実現の代理戦争に遣われます(そうやって子どもは親の欲望の生贄にされます。子どもの「境界性人格障害」は激増しています)。結婚に注ぎ込まれたのは、「性的自己」ではなく、実は「社会的自己」なのです。
矢印夢追う男
女の子に「夫に求める条件と恋人に求める条件」を聞くと、はっきり別々の条件を出すが、男性の場合はどうか、やはり一生モンであるからして、軽率な選択はできないと当然思うであろう。

 犬に喩えると「恋人はチワワやヨークシャーテリアがいいかもしれないが、妻となると雑種がいい」と島田紳助が断言していた。吹雪の冬でもカンカン照りの夏でも雑種は外を走り回り、予防接種をしなくとも病気はしないからだそうである。

 妻が雑種犬であれば、どういうことが望めるのか。他にも考えてみよう。
 いつも明るく機嫌がいい。常に自分を勘定に入れず、夫が病気になれば徹夜で看病し、一日に玄米とほんの少しの味噌と有機野菜を食べ、肉も服も欲しがりもせず、廊下の電気はマメに消し、他人の家庭に妬みもせず、夫の親を大事にし、朝は夫より先に起き、夜は夫よりあとに寝る、給料日には「ご苦労様」と頭を下げ、夫が帰ると「お風呂にする? それともお食事?」と尋ね、

晩酌は夫に勧められると一杯だけビールを飲んですぐに真っ赤になり、雨が降っても洗濯物が縮むからと乾燥機を買いたいとも言わず、食器洗い機など買うのは後ろめたいと言い、子どもを一人で育て上げ、特技はマッサージで、いつも知らぬ間に夫の財布に小遣いを補填してくれている。

 こういう宮沢賢治と、さだまさしと高島礼子を足して三で割ったような妻を探しても、いるわけはない。だからせめて、男の給料がカットされても自分がパートで働くことを厭わず、夫を呪いもせず、夫を捨てず、自分たちより下を見ては自足を知り、つつましく一緒に暮らせる女なら見目うるわしいくもないと思っても、そんな女すら、現在五十歳より上ぐらいでないと存在しない。要するに、病めるときも貧しきときにも、あなたといれば幸せと言って、夫の自己愛を満足させてくれるような妻を探すのは、もう無理なのだ。

矢印男子学生の結婚の条件
小倉千加子著者、一九五二年生まれ早稲田大学院文学研究科心理学専攻博士課程修了。大阪成蹊女子短大教授・聖心大学講師・・・。
結婚の才能 小倉千加子著

本表紙いのち からだ 性 河野美代子の熱烈メッセージ

赤バラⅠ恋愛

Q、やきもちやきで嫌われる
 お互いの世界観認め合えることが大事
Q、好きなのに手もつないでくれない
 もっと彼と対話して!
Q、今の彼と別れた方がいいでしょうか?
 彼と付き合うことの意味は何?
Q、どんどん女嫌いなっていく自分
 今、興味をもてなくても大丈夫
Q、同性への恋に悩む
 異常じゃない同性同士の恋
Q、宝塚ファンはレズの始まり?
 同性愛も異性愛も、両性愛もある
Q、職場恋愛に心ない噂
 恋愛には強さが必要!

赤バラⅡ セックス

Q、SEXは彼のためにするのではない
Q、私のSEXはBの、Cなの?
 SEXは「全身」と「心」のふれあい
Q、女性の“性”にについて聞きたい
 精神的要素が大きい女性の性
Q高校生のつき合いはどこまで許される?
 大人だってあやしい“性の自立”
Q愛があればSEXしていいのか?
 あなたのSEXは子供をつくる時だけ?
QSEXはなぜ処分される?
 人権無視の学校、とても残念
Q本当に痛いのですか? 将来の性行為が心配
 すてきな「性」に出会う条件
Q性交で女性の身体は変化するか
 SEXで体が変わるなんてあり得ない!

赤バラⅢ 避妊・中絶

Q精子は熱に弱いって本当ですか?
俗説信じないで! 膣の中は一定の温度
Q 彼の避妊法が心配
 コンドームプラスもう一つの避妊法を
Q失敗しない避妊法を教えて!
女の体はいつだって「危険日」
Q 妊娠しない「安全日」はありますか?
 「安全日」なんてありません!
 たった一度の性交でも妊娠、避妊を甘く考えないで!
 避妊とか制感染予防・コンドームの二つの役割
Q将来、子どもが出来なかったら‥‥
 つらい思い、繰り返さぬ決心
Q知らずにシンナー、おなかの赤ちゃんが心
 妊娠前のシンナーなら心配ない
Q「中絶」について教えて
 人工中絶で知っておいてほしいこと
Qピルを生徒にどう教える?
 避妊の原則はあくまでも「二人で!」
Qどう教えたらいいか迷う「ピル
 男には「ピル、バンザイ!」
 避妊の選択肢増えることは歓迎!
 10代の妊娠受信者統計から見えたもの
 10代の妊娠の転帰(541例)
高校生の妊娠の転帰(169例)

赤バラⅣ マスターベーション包茎・性器の大小

Q マスターベーションの回数が多すぎるか?
性欲には個人差、心配無用
Q身長が伸びないのはマスターベーションのせい?
 欲求は健康の証拠、罪悪感持つ必要はない
Q女の子のマスターベーションは?
 「女のダメ」のタブーなんかない
Qホーケイでは? と心配です。
 手術の必要のない仮性包茎
Q性器が小さいのですが…
 まだ高一、あせらないで!

赤バラⅥ 乳首・おりもの・外性器

Q乳首がかゆく、根元から汁が・・・
 乳首が痒くなるのは乳頭炎
Qナプキン離せないのは病気?
 女性には誰にもあるおりもの
Q性器が痒いのですが…
Q性器が痒く、掻き過ぎてハレることも
 恥ずかしがらず気楽に病院へ
Q性器はみんなと違うのでは?
 「性器」について知っておくことの大切さ

赤バラⅦ 無月経・月経痛・タンポン

Q半年も月経がなくて心配
  無月経は半年が限度、放っておかず治療を
Qまだ生理がないのですが…
 検査の結果をきちんと医師に聞いて
Q十六歳で月経がなく心配
 本人が望み、心配なら病院
Q二週間もつづく生理で心配
Q激しい部活が生理に影響?
 無月経、長く続くときは要注意
Q月経後の出血が心配
  心配しないで!「排卵期出血」です
Q 腹痛があり、月経が長引
 発育途上のトラブル、心配ない
 月経のメカニズム
Q月経がちゃんとこないのです
 知っておいてほしい月経の知識
Q生理痛で苦しむ友、なぜなんですか?
 生理不順、間が空くほど酷い生理痛
月経痛の起きるメカニズム
Q基礎体温について教えて!
 基礎体温でわかる女性の身体の不思議
Qタンポンで処女膜は破れたりしないですか?
 初めての人はミニサイズがお勧め
Qタンポンについて教えて!
 タンポンを使うときの条件
 月経痛の起きるメカニズム

赤バラⅧ エイズ。性感染症

Qエイズの症状と自己防衛方法を教えて!
Q 10代にも感染者、エイズの正しい知識を教えて!
 知っておいてほしいエイズの正しい知識
Q性の「解放」がエイズ禍(か)まねくのでは
 誤解されているエイズ患者の現実
Qコンドームでエイズは百パーセント予防できますか?
 コンドームでエイズは防げます!
赤バラⅨ レイプ・性暴力
Q 小一で受けた心の傷、結婚も性行為もイヤ
 生きていくための基本は「自立」
Q男性教師のセクハラ、どうしたらいい?
 人格踏みにじるセクハラ、毅(き)然と抗議すべき!
Q恐ろしかった電車の痴漢、性病うつされないか心配
 声を上げ訴える勇気を! あなたには落ち度はない

赤バラⅩ 先生たちの疑問にこたえる

Q落とし物の財布にコンドーム
財布の中身を見たあなたの課題
Qべたべたカップル、どうしたらいい?
 貧しい注意より性教育を!
Q生徒に妊娠の不安を相談され、応えられなかった自分
 誰にも相談できず中絶の時期を失する生徒の現実
Q生徒の妊娠に動揺、担任としてどうアドバイスすべか
 深い中絶の傷、できれば立ち直りの援助を
Q中絶後も性交繰り返す生徒への指導は?
 つらい中絶、繰り返さぬ決心をさせること
Q性風俗についてどう考えるべき?
 なぜ、高価なものが必要? お金のための性は悲しい
 売春する少女たちから見えるもうひとつの陰
Q子どもは親のSEXをどう見ている?
 子どもの目を気にするより二人で素敵な性を
Q「生む性」で気になる子宮内膜症
  放置すると不妊症。早く治療を!
Q双子が出来るのはなぜ? 卵子と精子の仕組みも知りたい
 正しい知識で生命発生の不思議がわかる
Q性教育は本当に学校がすべきか?
 特設の性教育だけが性教育じゃない
あとがき

プライドの男・シンパシーの女 目次

本表紙 伊藤明 著

ピンクバラ「プライドの男・シンパシーの女」

大学時代から付き合っている会社員のカップル。交際を始めて2年になるが、そのうち1年は学生としてあり余る時間と自由を満喫した。ところが就職して社会人となってからは、研修やら何やらで、とても忙しい日々。学生時代のように気ままなデートを楽しむ時間的余裕がなくなってしまった。
 彼女の携帯電話にかけて

男同士の会話は『勝負』である

プライドをめぐる過剰なまでのそうした敏感さは、男が発する言
葉にも強く反映されている。男性の会話スタイルは“勝負型”で
あり、男性にとって他者と会話するということは、その相手と
“勝負”すること・“対決”することイコールなのである

「男のプライドをくすぐる受け答えをしよう」

 男性はいちいち相手の一言をプライドに結びつけ一喜一憂するというやっかいな生き物なのだが、そのため、男性に何かモノをたのむとき、女性はちょっとした注意が必要になってくる。

「直球勝負を好む男性」

男はいつでもハッキリものを言うべきだと思っている。なんでもストレートに、“直球”で表現することを好む。何かを言いたいときには、自分の意思を明確な言葉で伝えることが大切であり、それこそ会話をすることの意味であり、ひいてはそうすることが相手のためになる、とまで思い込んでいるところがある。

「バカ」と言えるのが本当の関係?

彼が最近、「キレイだよ」とか「かわいいね」と言ってくれ
なくなった。「ああ」とか「うん」しか素っ気ない返事しかし
てくれない。ぜんぜんロマンチックな気分にさせてくれない。
言葉づかいが変わった・・・。そこで、
「愛情がなくなってしまつたんじゃないかしら…・?」
 そんな悩みを持つ女性は少なくないだろう。

 「言葉の裏を読め」

「最近冷たくない?」などと否定的なセリフを言われたときには、言葉をストレートに解釈して相手があなたを非難・批判・攻撃しようとしていると思わないようにしたい。相手の女性は、“冷たいか/冷たくないか”という事実関係を問おうとしているのではないのだ。

過剰な強がりは“心の病”につながる

念のために言っておくが、「歯を食いしばり、ひとり孤独になって我慢し、どんなことにも弱音を吐かずに生きる」、そんな男の強がりを全否定する気は毛頭ない。むしろ、一つの生き方としは素晴らしいものであるとすら思う。しかし、自分が無理な強がりをしていることに気づかず、結局それが原因となって仕事や人間関係がうまくいかなくなったり、病気になるまで自分を追いつめることは避けなくてはならないだろう。

ピンクバラ男と女のセックス・ファンタジー

“好きだよ””愛している“と言って見つめられていると、すごく幸せな気分になって、抱きしめられたくなる
 男性は、女性と服を着たまま抱き合っているだけで勃起してしまう。女性には、それがどうしてなのかわからない。まだキスもしていない段階なのにうっかり勃起してしまったこと

男が後戯をしたくない理由

射精によって快感のピークが訪れると、ペニスの収縮と並行して、論理的で理性的な“いつもの自分”に戻ってく。

「なぜ男性は“イカせる”ことにやたらとこだわるのか?」

 無事に初体験を済ませた立派な大人に成長してからも、男性はセックスと、“有能感”を結びつけて考える。そしてそれは女性にとっては理解しにくい、男性特有の奇妙な行動となって表面化することが多い。

その道の“プロ”に聞く、男性・女性心理学

★イメクラ嬢 S・Sさん
21歳・女性・未婚。某大学の経済学部に通いながら、大学院進学の資金を得るため、夜は歌舞伎町の風俗店でアルバイトをしている。小柄ながらグラマーなタイプで、彼女を指名して通ってくるお客も多い。カウンセラーになって、人の心を癒したいという。

ピンクバラはげまし方のスタイルが、すれ違いを生む

男性から相談を受けた女性にありがちな落とし穴
女性から相談を受けた男性にありがちな落とし穴
 

目次・恋の喜びが美しい女をつくる     水口義明著

本表紙

 ピンクバラ 恋の冒険への出発 

恋のアバンチュール―この言葉が美しい想い出になるのか、思い出にしたくない傷となって残るのかは、女性にとって大問題です。恋のアバンチュールには、誰もがチャンスさえあれば、すぐに出発できます。突如としてアバンチュールのヒロインになってしまい、こんなはずじゃなかったのにと、戸惑いながらも強い力に引きずられて、走り出してしまった経験をおもちの方も多いことでしょう。

恋は三年で冷める?

すばらしい恋に胸を震わせているあなたにはコクかもしれませんが、こんな現実もあることは知っておいてほしいのです。七年目の浮気というのは結婚生活でのことですが、「恋愛は三年で冷める」という説があるのをご存じですか。
 ヘレン・E・フィッシャーの調査結果をまとめた『愛はなぜ終わるのか』の中に、面白いデータがあります。世界六十二の国、地域、民族グループの1947~89年あいだの、ある年の離婚のピーク188例を調べたところ、結婚四年目で離婚するカップルがいちばん多く、次が三年目、二年目と続いていることが分かりました。
 五年以上もつと、あとは安定期に入るようです。子供ができたりして、結婚生活の中で“生活”の部分が増えるからだとみられています。

男のSEXは一点集中主義

愛とか性についても、即物的な言い方で申し訳ありませんが、いい女イコールしたい、とつながるものが男のSEXです。この場合、下心があるかないかとの議論の余地はありません。はっきり露骨に言えば、デートした瞬間からアソコがふくれたい、SEXをしたいとひたすら願っているのが男なのです。
 欲望をむき出しにすると嫌われのではないか、品が悪いと軽蔑されるのではないかという心配から表面だけは紳士ズラをしていますが、男はスキあらばとチャンスをうかがっています。
“あなたなんか大きらい”――このひと言を、男はひたすら恐れます。こういわれたくないためにご機嫌をとり、やさしく振る舞うのです。それもこれも、シタイ、ヤリタイ、の一心からなのです。ペニスが性感帯の中心を占める男の滑稽な悲劇といえるでしょう。
 一方、体全体で微妙な愛のタッチを感じる女性は、男とは違います。

この恋をいつまで…の女 楽しんでやろう…の男

 彼を好きになり、恋ごころが芽生えます。
あなたはその関係が長くつづき、いつも一緒にいて、もっともっと親密になりたいと願い、夢中になっていきます。
 それに対して男の本心をいってしまいますと、ヒドイ言い方ですが“まずSEXを楽しんでやろう”です。
 一点集中主義、瞬間の湯沸器型の性欲のなせるワザで、どんなに紳士面をしていても、男の野心・下ごころにはそれほど違いはありません。責任・義務・年中一緒は、男にとって不自由だからイヤなのです。

第三章 恋愛は男の本質を見抜くことから ・強い男かやさしい男か

・強い男かやさしい男か
 男に望むこと、というアンケートをOLに求めると、回答の一位はいつも「やさしい人」になります。
〈強くなければやさしくなれない。やさしくなければ愛せない〉
 アメリカのハードボイルド作家R・チャンドラーの名言で、強さとやさしさと愛の関係を表す鉄則になっています。
日本にも昔から、“気はやさしくて力もち”といういい方がありますが、いまの男たちを眺めていると、
「気はやさしくて力なし」

ピンクバラ【エクスタシー】

【エクスタシー】
男女関係の最終目標はエクスタシーを得ることであり、相手の女性をエクスタシーに到達させられないうちは、男はまだふたりの関係が真の意味で完成されていないと思い、そのことにかなりの不満を覚えている、と渡辺さんは分析しています。
 最近は女性が社会に出てバリバリ活躍しています。その一方で男性がひ弱で、オスとしての力強さが感じられず、自信を失っているようです。このような傾向が強まると、女性が圧倒的に男性を信頼し、完全に心をゆだねることが難しくなります。

泣く男、甘えがテクだったりに注意

 男は泣かないもというのが、少し前の世代までの定説で、男の美学みたいなものでした。幼いとき、転んでヒザをすりむいても、母親は、
「男の子は泣かないのよ!」
 などと、薄情な叱り方をして、女の子とは差別したものです。
 ところが変われば変わるものです。このごろでは、女の子にイジメられて、男の子がすぐにミャンーンと泣き出すそうです。

第4章 恋のチャンスはここにある 

未知の彼との遭遇・・・キッカケ20
 恋をしたいが相手がいない、相手がいなけりゃ相手をさがそ、どうやってさがそ。寂しい女性の心のうちはこんなものでしょう。恋をする相手を待っているのに、なかなかチャンスが訪れない。他の人はけっこう楽しそうにやっているのに、私だけは…と暗く沈んでは、恋のチャンスはますます遠くへ逃げて行ってしまいます。
 あるときは明るく元気に、あるときは上品に、あるときはエレガントに…未知の彼と遭遇するためには、臨機応変にあなたも変身しなければいけません。そして、ときにはあなたが遭遇のキッカケをつくるのです。

おしゃれ男をキャッチするテクニック

おしゃれ男といってもいろいろです。これ見よがしなおしゃれをしている男は、単純に目立ちやがり屋さんで、自己顕示欲が強いと相場が決まっています。自分の肉体に自信が持てないか、心の中に何かを引きずっているものがあり、おしゃれに身をやつすことによって、自分を元気づけているのかもしれません。
 ですから、このおしゃれには相当なエネルギーがつぎ込まれています。おしゃれに関しては、努力を惜しまないタイプです。もし、この努力の結晶に誰も注意を払わなかったら、彼は傷つきます。おしゃれのことになると、彼は傷つきやすいのです。

ピンクバラ第五章 めくるめくSEXへ

 操、めくるめく、貞女、純潔…昔はスゴイ!
 若い女性の間では、操、貞女、純潔なんて言葉は、もう死語でしょう。いや、かなり年配の人だって、意味を正確に知っている人は少ないかもしれません。しかし、日本の歌・演歌のなかでいちばん売れたのは、『女の操』という曲なのです。
 みさお(操)ってな~に~、という若い女性の大合唱が聞こえてきそうです。そこで広辞苑に当たってみると――、
みさお[操]①定めた意志を固く守ってかえぬこと。志を立ててかえぬこと。節操。(とくに、女の)貞操。貞節。(以下略)
――を立てる 貞操を守って志をかえない。
――を破る 操を守りとげない。女子が貞操をけがす。

ピンクバラ愛撫 SEXが楽しい時 

五感――見る。聞く。触る。嗅ぐ。味わう。
 恋をすると五感が鋭敏になります。五感のすべてで相手を受け入れたくなると、
「あなたを食べてしまいたい」
 なんて、表現の仕方も怖いものになります。
 男と女が接触し、そこから快感が流れ出し、広がっていくので
「愛とは、ふたつの魂の調和とふたつの表皮の接触」
 そっと愛撫されることの心地よさ、愛撫は心のこもった皮膚の接触から始まります。

SEXの休暇 しない喜びも大きい

“おたく”と呼ばれる男が増えました。
 コンピュターおたく、ゲームおたくなど、仕事や趣味にはまり込んで、生身の女にはあまり興味を示しません。
 仕事もでき、給料もよく、まアはっきりいえば三高男なのだが、いざ交際を始めたうえで結婚まで考えて、どちらかというと女のほうから“いいわよ”と言ったのに…。
 セックスレスに近くて、あまりそういうことに興味をもたない新型の人類に、周囲もその扱い方にとまどっています。
 そういえば『セックスしない喜び』という本も、アメリカでは評判になりました。
 セックスレスはごく最近の傾向ですが、もちろん節制とは根本的に異なるものです。しかし、男と女の共同生活、共棲を考えたとき、セックスレス――しないこと――もきわめて重要なことなので、そういう考え方もあるんだという知識を身につけておいていただきたいものです。

目次、女と男の人生相談=ダン・カイリー著

本表紙

ピンクバラ 夫を変えることは不可能(1)

結婚の相手が、変わることを拒む男であれば、その夫がやっていることはだいたい次のような事だと思います。
・自分の欲求不満を妻にぶつけている。
・妻の気になることに対して無関心である。
・女性は(男らしい)タイプを好むと信じている。
夫を変えることは不可能か? 夫を変えることは可能か? 

自分を変えるプログラム 2

バーバラの場合=33歳OL 2児の母親。
 夫ダッグとの結婚生活がうまくいかないのは自分のせいだと思っています。
 テストの結果自分の欠点や過ちに気づき、ますます自責の念にかられてしまいました。
 自分の不完全さを受け容れことが必要なのですが・・・・・。

二人の間を裂く仕事の問題をどうするか? 3

シンディとチャーリーの場合。パートタイマーのシンディは、夫がいつも仕事を家に持って帰るので、自分がないがしろにされていると思っています。
 仕事と家族のどちらを大事に考えるかという問題で、この夫婦の考えは分かれています。何を優先するかという価値観がちがうのです。

ピンクバラ性生活の悩みをどうするか? 4

「行きづまった性生活」
 たとえば、前戯が足りないことの不満とか、インポテンツや不感症などといった問題があるということです。
 私の臨床では、このパーセンテージはもっと高いと言ってよいでしょう。
 自分の体や自分自身に対してネガティブな思いを抱いていたり、相手に対する警戒心があるときに性行為をしても、あなたの体は性的に反応しないのが普通です。

コミュニケーションの改善方法 5

子供の問題など、お互いに話し合わなければならないことがあるのに、なかなか時間が合わず話しそびれてしまいます。
それで何か問題が起こると、口論になってしまいます。
二人の心理的距離が遠くになるばかりです。

ピンクバラセックスの問題についての話し方

妻三十代の弁護士、夫も弁護士、子供なし。二人とも子供はほしくない、スキーが好きて、読書が好き、と共通点が多いのに、セックスなどプラィベートな話になると、ヒラリーはナーバスになってしまいます。
これを防ぐことができるでしょうか?

ピンクバラ若年期インポテンッの改善法を続編7

「過敏度を和らげる方法」
プライベートな話をすることにナーバスになるのを防ぐにはどうしたらよいでしょうか。
そこで、私はヒラリーに<過敏度を和らげる>ための自分でできる方法を教えてあげることにしました。

「性生活に満足できない」8

ジョアンとジェリーの場合、共に三十五歳で共働き。子供二人。
二人の関係に得に問題はりませんが、性生活に満足できません。
ジョアンは、二人とも宗教的には厳しく育てられたことが、性生活に影響しているといいます。

精神的虐待を止めさせるには。性生活のマンネリ化が呼び水なのか? 9

夫婦間の精神的虐待という状況は、経験豊かな専門家にも判定するのはむずかしいものです。
介入するべきかどうか迷っている間にも、その夫婦の問題はつづきます。
人格の無視、個人のニーズに対する無関心の行為が繰り返されます。
一方的に精神的な虐待を受け続けます。
その無抵抗な態度が相手の虐待を助長します。

ピンクバラ<性の活性化>のために三つの目標 10

「とくにセックスのことでジムと話し合うのが怖いのです。
というのは、私は不満なのですけれど、彼の方はとっても満足に見えるもんですから、これまでだいたい一回セックスするたびに、オルガィズムは二回経験していたんですけど。

離婚を回避するための最後の試み 11

夫と対決の話し合いをしなきゃならない問題をいくつも抱えていましたね。
夫は彼女を愛していると言います。
しかし、それを行動で表してくれないことが不満でした。
二人の関係はもう(終わった)のかと、何カ月もの間、悩み考えつづけてきたのです。

うつ状態の夫に悩む、12

「夫はなんにでも癪(しやく)にさわるみたいなんですよ。
隣りの家の犬がうるさいって怒るんですけど、その犬が大好きだったんですよ。
テレビの前に座りっ放しで、その前で眠ってしまうんですね

あげまんの法則 目次

本表紙

ピンクバラ新・あげまんの法則

 しばらく前に『「あげまん」の法則』という一冊を出したところ、思いがけぬ反響を呼びました。大勢の読者から”自分流あげまん”の考え方をいただいたのです。
世の中にはこんなに多くの人が”あげまん”に興味をもつだけでなく、期待もしていたのかと、むしろ筆者のほうが驚いた、というのが正直な感想です。
また女性読者の多さも、うれしい驚きでした。

 しかし、なかにはよほど女運に恵まれなかったのか「いまどき、あげまん女などいない」と、手厳しい論旨の手紙を寄せられる方もあり、賛否両論、侃々諤々(かんかんがくがく)というありさまでした。そこで再び「では新しいあげまんはどういうことなのか?」を考えてみたのが本書です。
 というのも、男性諸氏のなかには、昔風の貞淑(ていしゅく)な妻を、あげまんと規定している方が少なくありません。夫に黙ってついてくる、それで文句はいわない――たしかに男には都合がいいでしょうが、あまりにも女性の考え方に遠すぎます。

経験豊富な女にあげまん素質あり

離婚経験とはつまり社会経験のことであり、男性経験のことでもあります。社会や男性についての経験や情報を豊富にもっている女性のほうが、それに関して白紙の女性よりもあげまん度が高い。ありとあらゆる情報が流通、蔓延(まんえん)している現在のような情報社会では、その傾向はさらに強まっています。

異床同夢型の夫婦スタイルを認める女

「夫婦は一心同体」が、これまでのよい夫婦のあり方といわれてきましたが、これからは次のスタイルをもつのがニュータイプの夫婦と言えるでしょう。
夫婦は”二心二体”と考える
 いまダブルベッドの人気が底をついています。新婚家庭においても、売れるのはツインかシングルベッドを二つという場合が多い。これは、夫婦が同衾(どうきん)する時代が終わりを告げていることを示しています。つまり、すでに夫婦は一心同体ではなくなっている。夫婦といえども別々のふとんに寝て、別々の人格で別々の人生を生きる。こうした体も二つ、心も二つの”二心二体”の夫婦形態を許す、あるいは、それを当然と受け入れられる女性が新あげまんの素質を有しているといえます。

聡明なあげまん女は簡単料理がうまい

時代をこえて存在する普遍あげまんのやわらかい女に続く条件の二番目は、「簡単な料理がうまい女」です。
 相変わらずの料理グルメブームですが、以前とは、すこし位相がかわっていることにお気づきでしょうか。フランス料理などの上級グルメからB級グルメへ、家庭料理も手の込んだ本格的なものから、手早くつくれる簡単料理へと人気の重心が移っているのです。

運命的な出会いは最低5人いる

 私たちが人生で出会う運命的な人間、自分の人生に決定的な影響を与える赤い糸で結ばれた異性。そういう人はこの世にたった一人しかいないと思いがちですが、私の考えでは、最低でも五人います。
 一人目は自分を性的に大人にしてくれた相手。つまり童貞や処女を与えた相手に、だれでもまず運命の結びつきを感じる。近ごろでは、中学生くらいでこの第一の運命の人に巡り合うことも珍しくないわけです。
 二人目は精神的に自分を成熟させてくれる人。たとえば大学時代に、学問をふくめてさまざまなことを教え、導いてくれた恩師とか、OL時代にものの考え方を教えてくれた上司など、恋愛をふくめて巡りあった尊敬できる人間。
 三人目が結婚相手。人生でももっとも長く自らの伴走者となる相手。
 四人目は妻(夫)以外に心をひかれた人間。浮気のような一時的な相手でなく、いまの伴侶と別れてでも生活をともにすることが真剣に検討の対象となる人です。もちろん実際に、この第四の運命の人といっしょになるため、現在の配偶者と離別する人もいます。
 五人目は年を取って伴侶に死に別れたのちに巡りあった、第二の人生を託したい、託してもいいと思える相手です。

女のこんな言動で男の仕事運をダメにする

前著で、男を一つの商品と見立てて、その品質や価値を高め、市場での競争力を強化してくれる女性は、ビジネス感覚に優れたあげまんだと書きました。

そこで今回はその逆、会社や社会における男の能力や評価を下げてしまう女性、つまり、夫の商品価値を低下させてしまう女性にはどんな特徴や傾向があるか。それについて考えてみましょう。いわば男の仕事運、出世運に暗雲を漂わせるさげまん女の言動です。 
まず、ほとんどの男性にも心当たりがあり、その誰もがうんざりする女の小さな頼みごとの一つ、「仕事中の夫に電話かけてきて、夕食の材料の買い物を頼む」というパターンです

人づきあいの下手な女は衰運に加勢する

「人づきあいの知恵がない」ような女性。たとえば狭い近所づきあいに見栄を張るような女性も、夫の運気を低迷させるといえます。 子供のケンカ、子供のつきあいに親が出るのが最近の風潮で、小さな子供の親同士のつきあいに見栄を張り、血道を上げた結果、憎い親の子供を殺してしまった事件もありました。あれなどは、人との距離をつきあいの親疎に応じて適度にとるという、昔なら当たり前にできたことが、今の若い母親には知恵も経験も不足していることの証です。

さげまん悪女はさっさと損切りすべし

 世に運の悪い男はいるもので、私の昔の知人に、夏休みに会社の保養所へ遊びに行き地方の夜の無聊(ぶりょう)を解消しょうと人から誘われるままにストリップを見にいった男がいます。酒も手伝って、踊り子にステージに上げられるなど、日ごろまじめな彼もその夜は大いに羽目をはずした。
 二、三日して、彼の目におおぶりのイチゴみたいに腫れ上がった。あわてて医者にかけこむと、なんと目に淋病の菌が入っていたといいます。謹厳実直な人がたった

男を上手に袖にする巧妙な女のウソ

まだ世の中に携帯電話というものが存在しないころのエピソードです。ある男性がやっとのことで好きになった女性とのデートの約束をとりつけ、週末に渋谷で会おうということになりました。
 男性は渋谷にはあまり明るくなくて、待ち合わせ場所といえばハチ公前くらいしか知らない。女性が指定してきた"東急会館”前もうろ覚えにしか見当がつきません。しかし彼女によれば、広いバス停をはさんで駅の前だというから、それなら苦も無くわかるだろうと、当日、銀行からお金を多めに引き出し、念のため下着も新しいのに取り換えて出かけました。
 待ち合わせ場所もすぐわかり、彼は映画館のたくさん入った東急文化会館ビルの前で待った。しかし約束の時間を三十分過ぎても一時間過ぎても彼女はやってこない。心配になってアパートに電話したが誰も出てきません。二時間待ってとうとうあきらめ、彼はむなしく家路につきました。

数字にウソとホントがあらわれやすい

貧しい真実より華麗な偽り――と渇望した作家がいますが、ウソは人間心理の豊富な貯水池で、そこには作家好みの実に多彩な心理のあや、感情の動きが心の襞(ひだ)に隠されているものです。真理は一本道ですが、ウソは紆余曲折の多いくねくね道なのです。
たとえば、ウソの三八(さんぱち)、ホントの四六(しろく)という言葉があります。その正確な出所を私は知らないのですが、嘘八百とか三百代言といわれるように、人が「数字でウソをつく」場合、四や六は避けて三や八を使うことが多いものです。

ピンクバラ女のウソは生きていくための知恵

 男の実(じつ)をためす。このほかにも、女のウソの出所はたくさんあります。たとえば「男をおだてるとき」。いいわ、上手ね、最高よ、こんなのは初めて・・・・とくに行為の最中や事後の女のセリフにはウソが多い。ものすごく多いといっていいでしょう。
 「自分かをうぶに見せたいとき」。やめて、そんなつもりじゃないの。そんなつもりのときでもとりあえずそう拒否してみる。「男の同情を誘いたいとき」「男からお金を引き出したいとき」。あるいは「生い立ちを隠したいとき」。野村サッチーなんかはこの部類かもしれません。

男のウソは打算的だがバレやすい

そこへいくと男のウソはもっとストレートでわかりやすいが、男女の関係を深めるような微妙なニュアンスにはとぼしいものです。
女をだます、女から逃げる、そんなマイナス局面で使用されていることが少なくなく、それだけにウソの内容も打算的であったりします。
 妻子ある男性と不倫関係にあった三十代の女性。二人は、男性が自宅以外に借りているマンションの一室で過ごすことが多かった。男性は女房とはうまくいっていない、この一年くらい自宅にはほとんど帰っていないんだと、しょっちゅう口ににし、彼女もその言葉を信じていた。

女に好かれるのは「湿気のないウソ」

男のウソでもう一つ好感がもて、女性からも好かれるのが、ホラ話に近い邪気や湿気のない明るいウソです。
 生前、ジャイアント馬場を空港のロビーで見かけたことがあってね。彼は読書家でも有名だっただろう、そのときもやっぱり熱心に文庫本じゃなく週刊誌だったんだな――こんな話はとりわけ飲み屋やバーで喜ばれるはずです。
 以前、テレビで見たのですが、テレクラに電話をかけてきた女性をデートに誘いだすテクニックとして、実に巧妙にウソを利用していた男の例がありました。

おしゃべりには社会性のある女が新タ

この人生共創型の結婚形態においては、女性には対外的に柔軟なコミュニケーション能力がより求められるようになります。家族を上手に運営する内治能力から、家の外の世間ともうまくつきあっていく外交能力がより大切になってくるのです。
 内助の功が女の中心的役割だったひと昔前の時代の家庭では、家庭内における女性の会話量というのも、その役割に見合うように非常に少ないものでした。亭主がポツポツと話しかけるのに対し、はい、いいえ、そうかしら、そういたしましょう、などと言葉少なに妻が答える。そういう受け答え型の寡黙なトークが多かったのです。

家庭内にあげまん空気をかもし出す

環境適応型あげまんについて述べましたが、多くの場合、人は新しい環境や状況に適応できないのでなく、適応しようとしてないだけです。適応条件にしても、汗腺の数のように先天的に決まっているものと、性格や生き方のように後天的に変えられる部分がある。

 したがって本人の努力しだいで、いくらでも不適応を適応型に変えていくか、それが無理なら適応の擬態だけでも見せることです。擬態、とまり「そのふり」(フェイク)をすることです。カメレオンが保護色をまとうように、周囲の条件や状況に合わせる努力やそのふりだけでもしてみるのです。つまりフェイク女こそあげまんなのです。

女の名前の音と字からもわかるあげまん

あげまん「になる」いくつかの方法を紹介しましたが、くり返すように、あげまんには「である」素質の部分もあります。どんな女性も多かれ少なかれ、あげまん素質を持って生まれてきており、それを開花させられるかどうかは女自身の努力に加え、「にする」男のサポートも必要です。つまり先天的資質と後天的開発の両面からあげまんは成り立っているのです。

 外見や人相、体つきからあげまん素質を見る方法は前著で詳しく書きましたが、ここでいくつかその補足をしておきましょう。一つはあげまんの簡単な姓名判断、もう一つは性に関する鑑別法です。
 まずここでいう姓名判断というのは、女性の名前に使われている字や音から、その女性の性格やあげまん傾向を判断する方法です。

ピンクバラ「温かい性器」は男の運にも火をつける

 性器の位置だけでなく、その形状や温度からもあげまん、さげまんの判別が可能です。
 古い文献を読むと、シャレ好きの江戸っ子は女のあそこをことを地名にひっかけて“下谷(したや)”などと呼んでいたといいます。下にある谷間。
「あいつは下谷の広小路だとよ…・」
 なんて品定めした。下についていて広いという悪口でしょう。
 またタコ壺とか火消し壺など、壺にもたとえていて、これは形状からきています。タコ壺は吸いつくような名器だが、それより大きい火消し壺は駄器。もっともいまや火消し壺を知る人は少ないでしょうが、炭やまきの燃えさしを入れて密閉することで火を消す壺です。ここから男の火を消してしまうような粗品というシャレでもあったようです。

あげまん素質を開花させる四つの方法

こうした女性の「である」部分をさらに開花させて、女性をほんとうのあげまん「にする」テクニック、つまり男性によるあげまん素質の開発法を最後に述べておきましょう。
 うちのは料理がヘタでねえ。たまにロールキャベツなんかつくった日にゃ、キムチを煮込んだみたいになっちまうし、ピザは雑巾を食ってるみたいだし…・こういうグチをこぼす男性は少なくありませんが、その半分は男にも責任があるのです。
 料理の才はたしかに先天的な部分によるところが大きいものですが、自分好みのメニューや自分好みの味をそれとなく女に教え、それをつくらせように仕向けることで、女の料理の腕を後天的に養っていく。そうした努力が男の側に全般的に不足しているのです。

ピンクバラ「結婚だけが男と女の幸福関係ではない」

 つまり恋愛状態はもちろんのこと、妻子ある男との不倫関係や愛人、セックスフレンド、さらには籍を入れずに老後をともに暮らすご老人同士など、結婚という決まった形をとらない、さまざまな男と女の幸せ関係も考えられるのです。
 そして、たとえ不倫関係にあろうが、そこにそれなりの期待感や満足感を感じることができるのなら――社会的規範とは別に――それは男と女に幸福感をもたらす「いい関係」であるといえます。したがって当然、不倫関係においてもあげまん、さげまんの別が生まれてくることになります。
 結婚することで男の運気を上げる潮に導く正統派タイプのあげまんに対して、結婚という形をとらないほうがあげまん度が高い「非婚あげまん」もいれば、愛人向きあげまんや未婚の母あげまん、あるいは結婚したとしても、子供のいないほうが運気に恵まれるノーキッズ型のあげまんもいる。

非婚型のあげまんの幸せ・男と女、セックスの相性を測定する

性の話が出たついでに、男と女のセックスの相性について簡単にふれておきましょう。結婚している、していないは別にして、こんな点で二人のセックス相性が合えば、その関係は互いに性的幸福感を味わえるという、性にまつわるあげまん、あげちん相性です。 まず、性器のそのものの相性があります。しかし、それ以上に大事なのが回数の相性です。互いの「したい」という頻度がまったく合致しないのはどちらにとっても不幸です。お互いその差を縮める努力が必要。片方はヘタな鉄砲でいいから数をこなしたい、片方は少数集中でいきたい、こういう食い違いもなくしたほうがいい。

桜井流「不倫あげまん」の行動学

では具体的に、どういう思考法や行動スタイルがとれる女性に不倫あげまんの素質があるのか。女の行動学から見た、桜井流の不倫あげまんの条件を考えてみましょう。
一、男が帰るときに未練の糸を引かない
 男に好都合なことを言うようですが、女のこのあたりの行動から男はその関係が鼻につきはじめ、ほころびを感じはじめるものです。「どうしても帰んなきゃいけないの。やっぱり私の手料理より、奥さんのお茶漬けのほうがおいしってわけね」
 夫婦のように二十四時間いっしょにいられる関係でない。そのことは互いにわかってはじめた関係なのだから、男が帰るのを未練たっぷりに引き止めるのはルール違反といえます。

ピンクバラ奥さんタイプか、愛人タイプか――二十のテスト

次に、女性にとってあなたは不倫あげまん向きか結婚あげまん向きか。すなわち愛人向きか、それとも妻や恋人向きかという適性検査をしてみましょう。
 質問事項は全部で二十あります。それぞれの設問につき三通りの項目が用意されていますが、あなたの選んだ記号が、Aの項目に該当する場合は結婚・奥さん派、Cの項目に該当する場合は不倫・愛人派、Bの項目の場合は、そのどちらでもない(あるいはどちらの要素もある)非婚・恋人派となります。
 どの項目に答えがよりたくさん集中しているかで、自分(または彼女)のタイプを判断してみてください。

親から子への性の話し方佐橋健次 著

本表紙佐橋健次 著
 
ピンクバラ誤解の多い性教育批判 
それは、伸びようとする性教育の足をひっぱる性教育批判が、一方で次第に高まる必要論に対抗するかのように増えていることです。そうした批判の多くは、性教育の実態を知らないための誤解に基づいているのです。
 批判の一つに「性教育は性器のメカニズムだけを教える性器教育だ」というのがあります。学校では決して性器のメカニズムだけを教えているのではありません。もし、そのような教育があるとしたら、性教育のなに価しないものです。
子どもの悩みがわからない大人 
大人たちが戸惑っている一方で、子どもたちも体の成熟についての個人差にともなう悩み、たとえば発毛や月経、乳房やペニスの発育についての悩みを誰にも相談できずに、いろいろと苦しんでいます。
 自分だってかつてはそれで悩んでいたのに、それを忘れてしまった大人たちは、子どものそうした悩みがわからずに、「あんたはいつまでもペチャパイね、○子ちゃんなんかあんなに大きいのにね」など、グサリと痛いところを突き刺すようなことをいいます。

子どもの質問に答える時の四原則 
いても優れている。性生活には欠かせない避妊・避妊方法です。
子どもの悩みがわからない大人
大人たちが戸惑っている一方で、子どもたちも体の成熟についての個人差にともなう悩み、たとえば発毛や月経、乳房やペニスの発育についての悩みを誰にも相談できずに、いろいろと苦しんでいます。
 自分だってかつてはそれで悩んでいたのに、それを忘れてしまった大人たちは、子どものそうした悩みがわからずに、「あんたはいつまでもペチャパイね、○子ちゃんなんかあんなに大きいのにね」など、グサリと痛いところを「
性教育は難しくない
性教育の必要なことはよく分かるが、生理的な話はどうも難しくて」と言う人がとてもたくさんいます。
 しかし性教育、とくに生理的の話は決して難しくありません。
突き刺すようなことをいいます。
夫婦の性生活は子どもに見られぬように 
これは、子どもの年齢の如何にかかわらず、絶対にあってはならないことです。とくに子どもが幼いほど、その意味が分からないのでショックが大きく心の傷として残ります。

幼児期の性器いじり行動指導

幼児期には、質問について正しく答えることも大切ですが、同様に、この時期よく見られる性的な遊びなど行動についての指導もとても大切です。
 ・性器いじり
 前にもふれたように、性器いじりそのものは別に害があるわけではありませんし、子どもが十分に体を動かして遊ぶようになればだいたいしなくなるものですが、幼児期になってもまだそれが見られる場合は、大切なところだから傷をつけたりしてはいけないということを指導する必要があります、
 それは「そこはおしっこの出る大切なところですね。汚い手で触ったりして傷がついたりバイキンがはいったりしたら、おしっこが出なくなるかも知れませんよ。そんなことになったら大変ね」と注意します。この時、強く叱らないことは勿論ですが、「絶対にさわってはいけないの」などと言わないでください。

お医者さんごっこ

これもトイレのぞきと同様に、ただ性別のちがう子の性器が見たいというだけのことで、とくに心配したりする必要はありません。私にもおぼえがありますが、一人っ子だとか異性の兄弟のいない子が、比較的したがる傾向はありますが、これも一過性で、いつまでも続くというものではありません。ただ不潔な手でさわったり、注射だの浣腸だのといって、肛門や性器に割りばしなどなどあぶないものを入れたりすることがあるので、気をつける必要があります。

性別意識もつ初潮時期の男女対立

この小学2・3年生時期から、女子では乳房がふくらみはじめる子が多く、また三年生ぐらいから初潮を迎える子もボツボツ現れます。男の子も幼児的な体型から少年らしくなってきますが、そうした発育や性的成熟にともなって、性別意識も低学年自分に比べて、いっそうはっきりし、異性に対しての関心も芽生えます。しかし、いわゆるギャングエージと呼ばれるように、それが素直に出せないで逆に女の子をばかにしたり、いじめたりといった現れ方をすることが多い時期です。

両親の夫婦生活を見られたとき

夫婦間の営みを子どもに見られるということは、あってはならないことですが、「気がつかないうちに子どもが部屋に入って来て見られてしまったがどうしょう」という悩みはまま聞くことがあります。

性への質問の答え方小学校高学年

性への質問を幼い頃からはぐらかしに会ってきた子どもは、この時期になると普通は聞いてこなくなりますが、テレビや新聞など見たり聞いたりした言葉や、できごとについて質問してくることも少なくありません。
ピンクバラ月経 受精の仕組み
質問や目につくような行動がなくても、事前に必ず話しておかなければいけないことは月経のことです。何も知らない子が突然、月経を迎えた時のショックは、大人の想像できないほど強烈なものです。そして、それが前にも述べた女性の性意識をマイナスに追い込む大きな理由にもなっていきます。から、その時期が近づいた、一対一でゆっくり話しておきましょう。
受精のしくみ(性交
六年生に受精のしくみついて授業した時のことです。一人の男の子が私のそばに来て、
「先生、ボクも前からそうじゃないかと思っていたんだけど、自信がなかったんです。それが今日の勉強ではっきりわかって安心しました」と、いった事がありました。

性器の発育についての不安と悩み

中学生時代というのは思春期ということばで代表されるように、文字通り悩みの多い時期です。それは子どもから大人になっていくための生理的、心理的な変化が急激に現れることにともなって起きるもので、古今東西を問わず、およそこの年頃の子どもたちがみんな経験したことです。だから、大人になるためには誰でも一度は通らなければならぬ、いわば関所のようなものです。
 残念なことに大人の中には、そんなことはまるで無かったような顔をしたり、あるいは全く忘れてしまっている人が少なくありません。そして、子どもたちの悩みや不安の解消にも手を差しのべようともしてくれないのです。
ピンクバラマスターベーションは、生理的にも心理的にも何の害のないものである。
もしも害があるとしたら、それは本来少しも悪いことでもないのに悪いと思い込まされ、止めようとするがどうしても止められないために、精神的に悩むことにあるだけだ」ということは、現在欧米の性科学者の間では、ほぼ一致した見解となっています。

男女交際は禁止すべきものではない

まず、男女交際は中学生のすべきものではないとか、出来ることならしないでほしいという偏見は持たないことです。現在小学校から中学、高校と男女共学が行われていることは、男女とも小さい時から相互に理解し合い、敬愛、協力していくことが人間形成の上で極めて重要だからにほかなりません。だから少年少女たちが異性と交際していくことはごく当然のことで、禁止すべきものではないのです。

恋愛中の心理について

一度恋をしてしまうと、人はみなスタンダールが恋愛論の中で言っているように結晶作用が始まり、目にふれ耳にするあらゆることから相手を美化し続けますが、またその裏返しで自分をつまらない者だと矮小化してしまうので、すばらしい相手に愛される喜びも大きいけれど、また本当に自分のようなつまらぬ者を愛してくれるのだろうかという心配も大きくなるものです。

ヤクザのこわさを知らない少女たち

男女交際に関連して女の子を持つ両親が最も恐れていることは、娘の相手がヤクザや暴力団の組員であったりすることでしょう。そうしたこわいオニイさんたちによってシンナーや覚醒剤の味を覚えさせられた挙句、彼らの管理売春の餌食にされたり、廃人同様にされた例は少なくないからです。
 ところが女の子たちの方では、こうしたヤクザの恐ろしさを少しもわかっていないのです

どんな人間に育てられたか

本表紙 
赤バラ ”今の自分”を見直す12の法則 (1-1)
 =どんな人間に育てられたか
 1、”立派なこと”をいう人には隠された真実がある
 精神的死から始まった私の幼少時代
 私は自分の少年時代や20代を振り返るとき、自分を最も苦しめたのは、悪い人たちでなく、絶えず”立派なこと”をいう人達であったという気がする。
 私の身辺には、口を開けば”立派なこと”をいう人がたくさんいた。正義、愛情、正直、教養、それらをさかんに口にした。
 そして、その人達に私はふりまわされ、こづき回され、自分を見失い、疲れ果てた。典型的な自意識過剰で、自己不在の人間になって、生きることに消耗していた。
 私の回りには、小さい頃から、抑圧の強い人がたくさんいたのである。つまり、心の底に不安を感じながら、自分が不安な人間であるということを認めない人達である。彼らは生きることを恐れていた。しかし、自分が恐れていることを認めることを拒んでいた。臆病でありながら、自分が臆病であることを決して認めなかった。
 自分が臆病であることを心の底で知りながら、それを認めることを拒否した大人ほど、子供に大胆で勇敢であることを求める。自分が利己主義者であるという事実を認めることを拒んだ人ほど、他人に対して厳しく利己主義を禁じる。
 かくて私は、自分の幼少時代を精神的死をもって始めることになった。自分を見失い、生きることの無意味感に苦しみ、周囲への気疲れで生きた心地がしなかった。

目次
女と男、違うから、深く、愛し合える
柴門(さいもん)ふみ 著

本表紙

ピンクバラ第一章 女と男、違うからこそ面白い

女と男がいる限り、恋のサインはあちこちに散らばっているもの。
本当にそれに気づいていないなら、それは女として怠け者だということかもしれません。
モテる女は男女の違いを知っている

ピンクバラ「快楽」を愛する女、「刺激」を好む男

男の求める基本は新しいもの、未知のもの=自分を「刺激」するもの。
 一方、女の望むものは、精神的にも肉体的にも気持ち良さや満足=自分を心地よくしてくれる「快楽」といえま

男はもので好意を示し、女は言葉で好意示す

男の観察研究においてすぐ分かって、まず間違いないのが「ものをくれる男はあなたに好意を持っている」。女が誉め言葉で男心をくすぐるなら、男はもので女心に訴えようとしています。おごるという形も含まれますが、その人の財力によって金額の大小はあれ、とにかく形あるもので釣りにきます。
 昔、「実は君のこと好きだったんだ」と事後報告的に告白され、私はぜんぜんそんなことに気づいていなかったから「? ? ?」。いったいどういうことかしらと悩みました。

第二章 柴門ふみ
女と男、どちらが強く愛を求めている?

発想が違うから、言葉がいきる
 男の言葉ってどれもどこかで夢見がちで、現実離れしたものが多いですよね。だから男の詩人って多いのかもしれません。女の詩人はなぜか少ないし、また、その作品もそれこそ身を削るような、血を吐くような言葉でつづられたものが多いような気がします。言いかえれば生理的な、というか肉体的な言葉で語る。体の違いが、思想家回路の違いになるのでしょうか。
 でも、女である私が、男の言葉って何か違う、すごくインパクトがあると思うのと同じように、きっと男の方でも「女の言葉ってすごい」って思っているのではないでしょうか。自分も含め、女には何でもない一言が、男の心に残って、それが恋のネタになる。何気ない一言が、それこそ言った自分が忘れてしまっているような一言が、相手の男の中に妙に引っかかって発酵して、恋の決め手になる。そんなことってあるような気がします。

愛の論理を説くのは、女か男か

男は「天然ボケ」の女に弱い 
 それではいろいろ作戦を練って、ドキッとさせるようなセリフを考えて…といっても、女と男では考え方も感じ方も違いますから、考えたっていつもヒットするとは限りません。それよりも「ああ言おうかしら」とか「こう言っちゃいけなのかしら」と考えすぎてタイミングを逃す方がもったいない。それにうけを狙うあまり、あまりにもわけのわからないことばかり言っているとただの「ヘンな女」というレッテルを貼られて避けられてしまうことにもなりがちです。

恋愛が長続きしない理由

女の方も環境が変われば、自分も相手も変わっていく、不変のものなんてないと心のどこかで思っていないと恋愛を続けていくことは難しい。自分だけが取り残されて、なんで? どうして? って。自分のことだけ見ていては恋は育たないんです。

第三章「愛されたい」を「愛される」にするために

たとえば、あなたが若いなら、若いというだけで寄ってくる男は多いはず。
 言葉は悪いけど、ちょっとレベルを下げてみる。そうすると男ってワーッと寄ってくる。
 本当に彼氏が欲しいなら、あの人は趣味じゃないと言う前に、その中の誰かとつき合ってみては? それは決して自分を安売りしろというのではなくて、まず自分の身近なレベル、自分がうまく相手と自分の感情をコントロールできるレベルで試してみたらいいじゃないかということです。

リラックスして恋を手に入れよう

とにかく恋の機会を増やすのは、まず、誘いやすいすきを作って見せること、そのためにはリラックス。緊張感を持つことは大事だけれど、緊張は恋にマイナスです。それを忘れないことです。えっ? 緊張感と緊張の違いがわからない? 緊張感を持つというのは自分と誰かの関係の中でこれは他人に見せてはいけない部分とか、親しき中にも礼儀ありで、まったく無遠慮にならないように配慮する、自分の中での、それこそ人に分からないよう自分で線引きすることです。

自慢話と悪口は女を下げる

慢話と悪口は女を下げる 9
 デートの時の「べからず集」として、とにかく自慢話と悪口はやめなさいと言っておきたい。若いうちはどうしても、彼、つまり相手の男に対して自分を印象づけるためにはついつい「私ってモテるのよ」的なことを言いたくなるものです。そう言ったほうが彼は私を大事にしてくれるんじゃないかとか、(他の男に)取られたらいけないと思って選んでくれるとか、いろいろ考えた末に言うのでしょうが、そんなのは全部女の勝手な思い込みなんです。

愛される女はプレゼントがうまい

男は女にプレゼントするとき、女の好きなものはもちろん、驚かせてインパクトを与えるようなものやことを選びます。女からしてみると「エッ!? こんなこと?」って想像もつかないようなことをしてくれます。
相手を驚かせることも、プレゼントの一つと考えているからでしょう。
 それに対して、男への女のプレゼントはほとんど自己満足。
「これかわいでしょ」とか「こんな面白いもの見つけちゃった」

愛される嘘

若いころから私は、ずーっと嘘つきが嫌いでした。だから、傷ついて本当のことをいい、そのかわり自分も本当のことを言われ傷つく、でもその時には泣き言を言わないで受け止めるという女のキャラクターばっかり描いていました。

不倫の恋という選択・不倫する男はなぜやさしいか

女の恋愛に関するゴールが結婚じゃなくなった時から、「不倫の恋」というカテゴリーが語られるようになったと思います、結婚がゴールなら、女の立場として「不倫の恋」はどう考えても(結婚している方も、これから結婚される方も)絶対許せないものです。
 男は、結婚指輪をしていなければ、結婚しているか、していないかって外見からは分かりにくい。だから女の方は、普通の恋愛感情で恋に飛び込んで行ける。家庭持ちなのか、子供の父親なのか、外で会っている分には分からない。

モテ男が最後に選ぶ女とは

それに比べてモテる男は、美人を選べは「やはり美男美女」とか言われ、地味な子を選べば「やっぱり本質を見ているんだ」言われ、結局、どんな女を選ぼうが認められる。モテるから美人も性格美人も、変わっているのも選び放題。若いうちはやはり別でしょうけれど、年を取って経験をつみかさねると、外見的なこととかが、だんだんにどんな女も同じだって感じちゃうんでしょうね。
 それこそ美人だって一皮むけば同じ骸骨(がいこつ)。そうなってくると男は自分がリラックスできる女、一緒にいて居心地が良い女を選びます、絶対に。
女の浮気と神様のたくらみ
 それでは浮気は男の専売と特許かというと、それはそうではないんじゃないかと思います。
 基本的に女はひとりの人と深く深く楽しみたいものだから、男のように量を求めるというか、なるたけ多くの異性に接したいということはないと思います。
 けれど、時に女がそれに反する行動をとる時期があるのです。

長続きする恋愛に感覚と価値観、どちらが大事? 

よく長続きする恋愛の条件として価値観の同じ人がいい、と言われます。私は恋愛ってもっと動物的な感覚の一致だと思うので、価値観が同じだから恋愛が長続きすかというとそういうことはないんじゃないかと思っています。恋愛って、声とか、匂いとか、体温とか極めて動物的なものに左右される、というか支配されているんじゃないかなぁと思います。
 だいたい、価値観がまったく同じ人なんて存在しないと思いますし、恋をしてうまくいかなかった原因を(本当は他にあるのに)「価値観」が違う。に押し付けているんじゃないかとまで疑っています。

自分の魅力を知って愛される女になる

だから「恋人ができない」=「自分らしさがあいまい」につながるという考え方はできないでしょうか。
 女と男の違いをあれこれする前に、自分という個の存在についてちゃんと分かっているのでしょうか。
 個性的であることに縛られて、みんなと同じ「個性的な」かっこうになったり、逆に「へん」だと言われたくないために自分を殺してみんなの意見に合わせたり、本当に自分はどうしたいのか、忘れていませんか。
 これは恋愛だけでなく、人生すべてのことにおいて言えることだと思います。

目次 恋愛不安 香山リカ=著=

本表紙 香山 リカ 著

ピンバラ「大人になりきれない心」が欲しがるのも「恋愛不安」

彼女は言います。
「私も今じゃ、女性だということも忘れて仕事に打ち込んでいるけれど、『冬のソナタ』を見ていて、恋愛に胸をときめかしていた少女時代があった、ということを思い出したの。
 ヨン様は、私にもそんな純粋な部分があったことを気づかせてくれた救世主」
 そして離婚歴のある彼女は、「チャンスがあれば私もまた恋をしたい」とふだんは絶対に口にしないような言葉を、真面目な顔でつぶやくのでした。これまではそうではなかったかもしれないけど、恋愛の大切さがやっとわかった、今度は真剣に恋愛をしたい、と思っているのは、若者たちだけではなさそうです。

第一章 だれとも出会えない理由

先ほど私は、80年代に“アメリカ式”の恋愛観が急激に日本社会に広まったと言いましたが、お気づきのように、ここで私たちに植え付けられた新しい恋愛観はなんとも中途半端なものでした。つまり、「恋人はいた方がいい」という“思考編”だけが広まり、「なんとしても見つけるべき」という“実践編”は置き去りにされたのです。
 おそらく、「アメリカでは相手がいない男女は自分の新聞広告を出してまで、パートナーをゲットするらしいけれど、そこまではちょっと…・」というためらいが私たちの中にまだ残っているため、“輸入”はなんとも半端な形になったのでしょう。

第二章 恋は人生の万能薬?

仕事と恋は別、のはずが…・
『アリー・マイ・ラブ』や『ER』などのアメリカ人気テレビドラマを見ていると、弁護士や看護婦といった専門職を持っている女性たちが、あまりにも恋愛に熱心なことに驚かされます。『THE RULES――理想の男性と結婚するための35の法則』(ワニ文庫2000)「ハーバード式、夫探し必勝法」といった恋愛や結婚のためのマニュアル本や記事も繰り返し出版されたり、雑誌の特集になったりし、知的な女性たちによく読まれているとか・・・

「ランクの高い男」か「だれでもいい」か

恋をしていないと自分の価値がなくなったようで不安、という人の中にも、さらにふたつのタイプがあります。
「誰でもいいから自分を求めてくれている恋人がいれば、それでとりあえずは安心」と言う人、
「つきあう恋人のレベルによって自分の価値も変わるから、なるべくランクの高い男性を恋人にしたい」と言う人です。より病理性が高いのは、実は前者のほうです。

彼がいるのに満たされない

「女の問い、それは『女であると何だ』である」と言ったのは、その著作が難解なことで知られるフランスの精神分析家ジャック・ラカンです。ラカンは“男性中心主義”と女性運動家たちから激しく批判された精神分析哲学者フロイトの忠実な後継者、とも言われる分析家で、
「男は自分が男であることに疑問をもたないのに、女は自分が女だということを問い続ける」といったその理論は、やはり「女性を男性に比べて劣ったものと見なしている」と一時期は批判されました。

第三章 それほど好きでもないのに「彼次第」

一日120通のメール
 クリニックの診察室で、私と向き合いながらも携帯電話を握りしめている人が増えました。
 そこまでなくても、診察中にバッグの中でメール着信音が鳴ったりすると、はっとなって顔色が変わり、「ちょっとすいません」と慌ててチェックする・・‥、そういう光景は日常茶飯事です。
 もちろんメールより診察を優先しろ、と言いたいわけではありませんが、リモンコンで操作されているロボットのように携帯に振り回されなくとも、と思ってしまいます。

仕事も友だちもほっぽらかし

2003年に刊行された角田光代さんの『愛がなんだ』(メディアファクトリーは、“待つ女・追う女”と化している人たちに静かな衝撃を与えました。
 主人公は、会社でコンピュータ入力の仕事をする28歳のテルちゃん。それなりに同僚とも仲良くやっていたテルちゃんの生活は、友人宅の飲み会でマモちゃんという男性に出会ってから一変。テルちゃんは言います

ノーと言われるくらいなら

誰かを好きになるとたいていの場合は、相手に対して「私のことも好きになって欲しい」と望むようになります。
「たいていの場合」と言ったのは、中には「秘するが花」などと自分の気持ちを絶対に相手に知られたくない、と思う人もいるからです。
 しかし、それはいろいろな事情でその恋愛が許されない場合や、極端にシャイで自分の気持ちを伝える自信がない場合などに限られているようです。

執着しているのは「自分」

こういう“彼次第”の恋愛をしている女性たちは、大きな間違いをふたつも犯しています。
 一つは、そもそも恋愛のみを通して自信を回復したり、自己信頼感を獲得したりしようとするのが間違いだということ。
それからもうひとつは、恋愛に執着するあまり、“彼次第”の生活になっていけばいくほど、自己信頼感は高まるどころかますます目減りする一方だということです。
 テルちゃんの場合も、いつでも彼からの呼び出しに応じられるように、と正社員の職を捨ててパートの仕事に移りましたが、自分では「これでいいんだ」と思い込んでいるつもりでも、そこで自己信頼感は大きく傷ついたと思われます。

第四章、恋と病は紙一重

理想と現実 。不倫の恋は期待が大きい
 恋することより、世界が一変し、今まで自分とは無関係だった人や景色も、すべてこの恋愛物語を盛り上げるためのキャストや舞台装置に見えてくる。恋愛を経験した人ならだれもが知っている感覚でしょう。恋愛は人を「物語の主役」にしてくれます。

「運命の恋」が「一人芝居」に

それにしても、能力が高くて真面目なハルカさんがどうしてここまで不倫にハマってしまったのでしょう。
 彼女の場合、この「仕事ができて真面目」というところが逆に仇となったと考えられます。同じ世代の男性はハルカさんをライバルと見なし、悔しさのあまり「女のくせに」といったセクハラ発言で男性である自分の優位を示そうとする。ハルカさんの方もそうされると、よけいに「負けたくない」という思いが強くなります。

ピンバラ暴力男に愛される満足感

1996年に出版された業田良家さんのマンガ『自虐の詩』(竹書房)がいまだに売れ続けている、という記事が、最近の週刊誌に載っていました。
 元ヤクザで今は無職のイサオに尽くし続けている幸江さんが主人公のこのマンガ集には、「日本一泣ける四コママンガ」と書かれた帯がついています。
 雑誌連載時にはイサオと幸枝意外の人たちの話も出てくるオムニバス形式のマンガだったのですが、このカップルの人気があまりにも高かったため、単行本ではふたりの話だけを集めたとのこと。

「私を捨てた彼に復讐してやる」

アルコール中毒のなど依存症のカウンセリングを長年、行ってきた臨床心理士ピア・メロディは、恋愛においても依存症が起こると発見し、それを
『恋愛依存症の心理分析』(大和書房、2001)で報告しました。メロディによれば恋愛依存症は、依存症的に性質を持った人と恋愛依存症者の行動特徴

「ホストクラブ通い」という病

一時期ほどの勢いはないようですが、ホストクラブの人気は相変わらずのようです。ホストクラブに行ったことのない人は、「相手は商売でチヤホヤしてくれるだけなのに、どうしてそんなものにハマるの? バカみたいと思うでしょう。第二章でも触れたように、女性の場合、いくら“追っかけ”でも心のどこかではそれが本当の恋愛になる可能性を否定していない。男性の中には「じゃ、ひとときの楽しみを」と割り切ってクラブやキャバレーに出かけ、時間限定、空間限定の“疑似恋愛”をエンジョイする人もいるようですが、女性がホストクラブに出かけるときは、そこまで割り切れてはいないと思います。

第五章 結婚できれば、それで「勝ち」

負け犬はなぜ「負け」なのか
 2003年から04年の春にかけて、女性たちの話題を独占した本と言えば、なんといっても酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』(講談社、2003)でしょう。
 酒井さんは、「未婚、子ナシ、三十代以上の女性」のことを「負け犬」だと、この本の冒頭で明確に定義しています。これは、「結婚しているか、していないかに関係なく、自分らしく生きることこそが大切!」 などと言われ続けてきた今の二十代から四十代の女性にとっては、金づちで頭を殴られたような大きなショックでした。

恋人から与えられる究極のギフト

もしかするとこの幻想は、単なる社会的。文化的な“刷り込み”よりももっと根深いものなのではないでしょうか、と思うことがあります。
 前の章でも紹介した角田光代さんの短編集『太陽と毒グモ』(マガジンハウス、2004)に、「雨と爪」という作品が収載されています。主人公の男性が東京から長野の不便な場所にある本社に転勤を命ぜられたことをおそるおそる告げると、恋人は手放しに喜ぶのです。

母親から送られる矛盾したメッセージ

そういった“深い話”に進む前に、もう少し別の“刷り込み”論をみてみましょう。社会学者の上野千鶴子さんは、『結婚帝国 女の岐(わか)れ道』(講談社、2004)の中でこう言います。

ピンバラ第六章 恋愛不安の心理的メカニズム

恋は楽しいはずなのに
正しい愛か、病んだ愛か
 次の休暇のあいだ、むずかしい勉強をするのとめくるめくような恋愛をするのと、あなたはどちらを選びますか。
 勉強と恋愛を比べることはできないかもしれませんが、こう聞かれたら多くの人が「むずかしい勉強をするよりは恋愛でときめいていたほうがいいかな」と答えるのではないでしょうか。勉強や仕事は辛いけど、恋愛は楽しい。一般的にはこう思われています。

愛とは成長すること?

フロムはいったい「正しい愛」とはなんだ、と考えていのでしょう。フロムの言葉を紹介しておきましょう。
「二人の人間が自分たちの存在の中心と中心で意志を通じうとき、すなわちそれぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき、はじめて愛が生まれる。
(中略)そうした経験に基づき愛は、たえまない挑戦である。
それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業である。

「あなたじゃなければ」

彼らの色々な意見の中で共通しているのは、「激しい恋愛」や「ロマンティックな恋愛」の否定です。それは、ウソであり人間を堕落(だらく)させる危険な感情だ。どの専門家もまずそれを主張しています。

自己愛はゆがむもの

それでは、なぜ人はフロムや森田のような恋愛ができないほど、自分のかけがえのなさを見失い、それを一気に恋愛で埋めようとするようになったのでしょうか。
 この「かけがえのなさを実感できない」という状態を、精神分析学者のカーンバーグは「自己愛が病的になった状態」と考えました。病的自己愛というと、自分が好きで好きでたまらない…といった自惚れ状態を想像いますが、実はそうではなく自分で自分を正当と評価し、支えることができなくなっている場合が多いのです。
 病的な自己愛の特徴としては、次のようなものが考えられています。

第七章 不安に襲われたときの乗り越え方

今の恋愛世代に欠けているもの
 精神医学の先人たちが恋愛をあまり正面から論じてこなかったり、フロイトのように病的な愛と正常な愛には区別がない、つまりいわば恋愛のすべてが病的だと考えたり、かと思うとフロムや森田のように、“恋愛に溺れる”ことを悪と見なし、ひたすら「成長せよ、努力せよ」と勧めたりしているのは、一言でいえばなんとも不自然です。

心の発達が一歳レベル

現代の恋愛が、そこまでの時点で達成されるべきなのに、そうなっていなかった心の成長を取り戻すために行われる。このメラニー・クラインという精神分析学者の理論からも証明することができます。クラインはたくさんの乳幼児をつぶさに観察しながら、子どもの内的世界は生後一年までの間にある程度の発達を遂げるという仮説を打ち出しました

不安から抜け出すための11の処方箋

連想ゲームをやめ、問題を「一日ひとつだけ」に限定する
 最初は恋人が口にした一言にカチンと来ただけだったのに、「そういえばこのあいだもこんなこと、言われたし」「そもそも私ってすぐ他人にバカにされるんだ」と問題を広げすぎることはありませんか。
 恋愛にまつわる感情は、自分の心の奥底と直接つながっているため・・・

目次・五つの傷

本表紙 目次五つの傷
 リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳

ピンクバラ癒しのメッセージ、魂がもっと幸せになる 心の痛みの治し方

はじめに
 魂の五つの傷について最初の本をかいてから、すでに十四年が経ちました。私は、その時以来、数多くの発見てきましたので、それらの発見を、ぜひ、あなたと分かち合いと考えたのです。
 そして、魂の傷で苦しむ多くの人たちを救いたいと強く思いました。

ピンクバラ第一章 五つの傷と五つの仮面

エゴは、魂の苦しみを感じ取ることができません。
 エゴは、みずからのことしか考えないからです。
 エゴがいちばん満足するのは、自分の正しさを証明する時なのです。

 ピンクバラ〈拒絶〉による傷

傷の目覚め:妊娠から一歳まで。子どもは、同性の親から拒絶されたと感じ、自分には存在する権利がないと思い込む。
 仮面:〈逃避する人〉の仮面
 最も恐れること:パニック
 態度や振る舞い:

ピンクバラ〈侮辱〉による傷

傷の目覚め:一歳から三歳までのあいだに、あらゆる肉体的な喜びを抑圧する親との関わりで。
 この傷は、子どもの肉体的発達、性的な発達を否定する一人の親、ふるいは二人の親とのあいだで作られる。子どもは、感覚的な喜びを得ようとしたときに、親から侮辱され、苦しむのである。子どもの自由は、抑圧的な侮辱的な親の態度によって、いちじるしくさまたげられる。そのため、恥の感覚を発達させるのである。

ピンクバラ<不正〉による傷

 傷の目覚め:四歳から六歳にかけて、同性の親との関係で、同性の親の冷たさに苦しむ。この親に対して、自分を表現できず、また、自分自身でいることができない。感覚から自分を切り離した上で、常に完全であろうとする。個性を表現することを自分に禁じている。

第二章 魂の傷をめぐるQ&A

以下に、ETCのセミナーやワークショップ、そして講演会でよく出る質問と、その解答をあげておきます。
Q:養子になった子どもの場合、その子の傷を最初に活性化させたのは、生物学的な親でしょうか? それとも、その子を引き取った親でしょうか?

ピンクバラ第三章 エゴ――傷の癒しを最もさまたげる存在

本章のタイトルを書きながら、私は次のように自問していました。すなわち、エゴが私たちに及ぼす悪影響に関して、これほど多くの本が書かれているのにもかかわらず、どうして私たちは、エゴの支配から脱することができないのだろうか、と。

エゴは、自分が存在していると、絶えず思う必要があるのです。

自分があまりにも重要なので、人類と同じく、永遠に存続し続ける、と思いたがるのです。

エゴは大げさな言葉を使う

あなたが大げさな言葉を使うときには、エゴがもっと認められたいと思っている時です。エゴは誇張された大げさな言葉を使うのが大好きです。「いつも」とか「決して」、「絶対」など、あらゆる形の誇張表現を使うのです。それらを以下にあげてみましょう。

第四章 エゴに感謝して受け入れる

この章ではまず、私の著書から、その一部を引用しておきましょう。
「エゴの力を徐々に減少させるには、いったいどうすればいいのでしょうか? 先ず初めに、エゴをありのままに受け入れ、なおかつ、エゴを作り出したことを悔やまないことです。現在に至るまで、人類は、エゴこそが、苦しみから自分を守るための最良の手段であると信じてきたのです。エゴとは、ご主人様を自分の思い通りに動かす使用人のようなものです。主人が、使用人に力を与え、自分をあやつる許可を与えたからです。

相手に利用されていると感じるとき

さまざまな場面で、相手に利用されていると感じることがあるでしょう。たとえば、私たちの多くにとって、自分のアイディアを横取りされるのは、とても耐えがたいことです。あなたにも、そんなことは色々あったはずです。たとえば、私は次のような話をよく聞きます。「私の義理の姉がリンゴのタルトを作って、持ってきてくれたのです。そして、いいレシピを発見できて、とても嬉しいと言いました。でもそれは、以前に、私が彼女に教えたレシピなのです。しかし彼女は、そのことを受け入れようとはしませんでした」

第五章〈拒絶〉による傷と〈不正〉による傷を癒す

この章を読む前に、できれば前著『五つの傷』を読み返すことをお奨めします。特に、〈拒絶による傷〉と〈不正による傷〉に関する章を読んでみて下さい。そこには、数多くの
例が詳細に論じられています。

食生活と体重に隠されたもの

ここで食生活にふれておきましょう。〈拒絶による傷〉を持っている人は、体重を増やさないようにする傾向があります。一般に、ネガティブな感情を多く体験する人は、食事の量が多くなりがちですが、〈逃避する人〉は例例外なのです。

ピンクバラ第六章 〈見捨て〉による傷と〈裏切り〉による傷を癒す

〈見捨てによる傷〉と〈裏切りによる傷〉もまた、密接に結びついています。両者とも、幼い時に、異性の親またはその役割を演じた人によって活性化されます。〈見捨てによる傷〉は、三歳から五歳のあいだに、〈裏切りによる傷〉は、四歳から六歳のあいだに目覚めさせられるでしょう。もし、まだ読み直していないとしたら、前著『五つの傷』の、これら二つの傷を扱った章を、本章を読む前に、ぜひとも読み直してください。

〈頑固な人〉と〈操作する人〉のコントロール

〈裏切りによる傷〉を持つ人も、〈不正による傷〉を持つ人も、ともに多くのコントロールを行います。そこで、両者の違いは何処にあるのでしょう。と疑問に思う人もいることでしょう。実は、違いは、その〈動機〉し〈恐れ〉にあるのです。

〈見捨てによる傷〉と〈裏切りによる傷〉が活性化されるとどうなるか

以下の例を読めば、エゴに影響された行動――とまり、仮面をつけた時の振る舞い――と、センターに入っている時の行動――つまり、ハートに従っている時の振る舞い――の違いがよく分かると思います。同じ状況に遭遇したとしても、仮面をつけることなしに傷の痛みを感じ取り、そして、その傷に妙薬を塗ることもできる、ということが分かるでしょう。

父親とリュシーという娘のあいだの〈裏切り〉の例を見てみましょう。

父親は、大学生の娘の学費を払うために、かなり頑張って貯金をしました。ところが、その娘がアフリカ人と恋愛をしていることが分かったのです。娘から恋人を紹介された父親は、猛烈に怒りました。娘が、フランスにおいて将来の見込みのない――これは父親の見解です――男性と付き合っていることが許せなかったのです。何とかして娘に思いとどまらせようとしたのですが、娘は隠れてその青年と会っていました。

第七章 〈侮辱〉による傷を癒す

この章を読む前にも、前著『五つの傷』の中の〈侮辱による傷〉について書かれた部分を読み直すことを勧めます。五つの傷のうち、この〈侮辱による傷〉だけが、すべての人に見られるわけではない傷です。あなたも、時々、侮辱されたように感じることがあるでしょう。でも、あまり言葉に拘らないようにしてください。あなたの感情と、傷の名前それ自体を混同しないようにしていただきたいのです。たとえば〈拒絶による傷〉に触れた場合でも、あなたは侮辱されたと感じるかもしれません。どの傷が活性化されたことを本当に知るには、自分の、〈反応〉をよく観察する必要があるのです。

ピンクバラ〈マゾヒスト〉は自由になるのが怖いので他者に奉仕する

 自由になることへの恐れは〈マゾヒスト〉にとって最も大きな恐れです。そのため、マゾヒストは、親しい人たちの世話を焼くことによって忙しくて、自分を自由から遠ざけるのです。そうすれば、罪悪感を感じなくてすむし、自分が自由でないことを自覚せずにいられるからです。

第八章 どの傷が活性化したのかを知る方法は?

この章のタイトルは、魂の傷に興味を持っている人たちから、しばしば受ける質問でもあるのです。たしかに、苦しみを感じている時、どの傷が活性化されているかを正確に知ることが出来れば、その苦しみに、より速く対応することができるでしょう。とはいえ、それを知るのは必ずしも簡単ではありません。というのも、そのためには多くの実践が必要であり、単なる知識だけでは熟練者になれないからです。ある知識、または技術は、それを何度も繰り返し実習してこそ、本当に自分のものとなるのです。

〈裁き〉と〈傷〉を混同しない

あなたがどの仮面をつけているかを特定するためには、裁きと傷をしっかり区別する必要がある、ということをここで確認しておきましょう

第九章エゴは「~しなければならない」という表現を使

エゴは、思考においても、実際の発言においても、「~しなければならない」とか「~のですが」「~のだが」という言い方をよくします。
 なぜでしょうか? それは、エゴが恐れを隠しているから、一方で、自分の恐れに耳を傾けるよう、あなたに迫っているからです。

仮面に支配されることなく傷を観察するには

私たちは、いつか、まったく傷を持たなくなる時がくるのでしょうか? 私は、傷を一つも持っていない人を見たことはありません。人生において、拒絶、見捨て、侮辱、裏切り、そして不正を経験するのは、きわめて当たり前、かつ人間的なことです。ある傷が治ったということは、あなたが感じる痛みが人生を支配しなくなった、と言うことを意味するだけです。

ピンクバラ許しのための七つのステップ

あなたが、いろいろな人間関係において、似たような状況を繰り返し体験し、しかもあなたの怒りがますますおおきくなり、苦しみがますますひどくなるようなら、あなたの傷はとても深いということを知って下さい。心を乱さずに傷を観察することが出来るようになるには、さらに、いくつかの段階を経る必要があるでしょう。〈真の許し〉のための段階です。

〈真の許し〉は、あなたに何をもたらすか

許しがもたらす恩恵の一つとして、問題となっている人の関係が大幅に改善されるということがあります。相手を、まったく別の角度から見られるようになるのです。相手を責めていたために見えなかった相手の長所がたくさん分かるようになり、相手に会って話をすることに、何のぎこちなさも感じなくなるでしょう。

〈マゾヒスト〉がもつ〈自由〉への恐れ

〈マゾヒスト〉は、感覚的、官能的な喜びを自由に与えようとするとき、あるいは与えたいと望むとき、大きな恐れを持つでしょう。人の邪(よこしま)な欲望を恥ずかしいと感じ、みんなが、特に、神さまが、自分を裁いていると感じるのです。そんな時、カンタは直ちにこう言うでしょう。「ほかの人たちのニーズを満たしなさい。あなた自身のニーズなど無視するのです。ほかの人たちの責任をすべて引き受けなさい」などなど。
 こうして、〈マゾヒスト〉は、自分の自由を抑圧するのです。

あなたの〈本来の状態〉に戻る

傷が消えていくと、あなたは、少しずつ、自然な本来の状態に戻り、さまざまな仮面に由来する、人格の特徴を示さなくなるでしょう。そして、それまで、恐れによって抑圧されていたあなた本来の力と才能が、見事に現わしてくれるはずです

のびのび子育て
 ――「テレビ寺子屋」お母さん講座

 母親になって湧いてきた母への想い
静岡県の沼津市に住んでおられるAさんから頂いたお手紙です。
私は旅をしていて、国鉄の駅の中に、珍しい駅名を見つけ、放送の中で話をしたことがあります。北海道に「母恋」(ポコイ)という駅があるのです。「母恋し」という名です。いい名前でしょう。これは室蘭の一って前の駅です。この駅では、五月の第二日曜日の「母の日に」に、記念特別切符(入場券)を売り出しているのです。きれいな絵が印刷された切符です。かなかな好評で、たくさん売れるそうです。私はこういう話をしたのです。そうしたら、Aさんは駅の方に申し込んで、この「母恋」の切符をお買いになったのです。そして、なぜその切符をお求めになったのか、わけを書いてくださったのです。


本表紙

女と男のだましあい
女が望むものは他のどんな動物種より選択をも凌(しの)ぐと言っていいだろう。
 生殖機能に関して、女性は一生通じて約400個という限られた数の卵子しか排卵することができない。一方男性は一度に数百万個の精子を放出するが、その精子は1時間あたり約120万個の割合で補充されていく。
女性はセックスするたびに、大きな労力を強いられる危険を冒さなくてはならない。
子供を妊娠し9カ月にわたる労力、出産し、その後1・2年にわたる授乳という多大な労力を費やしながら育て、保護するといった人間の配偶者の好みはきわめて複雑で、謎に満ちている。雌雄の能力は、子孫を残すための本能であって、軽率に使うことはできないし、もし相手を軽率に選んでしまったら、数年、あるいは数十年にわたって、自分の行為のツケを払い続けなくてはいけないからだ。
 現代の避妊技術の進歩は、こうしたリスクを大きく変えてしまった。現在の先進国では、女性は妊娠を恐れることなく、その場かぎりの情事を楽しむことができる。
 ピルを服用することで妊娠状態に子宮が擬態することで卵子を供給しないことで懐妊させない方法がもっともポピュラーである。最近少し流行りだしている子宮内装着(IUD)避妊方法もあるが、たまに子宮内損傷事故も発生している。いずれも薬剤を用いているために、薬害副作用および、または、懐妊、胎児奇形。あるいは、性感染症など危険との隣り合わせである。

本表紙 亀山早苗著
第一章
「最後の恋」に落ちる男たち


きっかけ
★大事にしたい思い
★誰もが抱く欠落感
★家庭での顔と男としての顔
★彼女しか見えない
★役割から逃れられない
★恋は感情を豊かにする
★楽な生き方はない
★恋にのめり込んでいく過程
第二章
悩める現代のアラフィフ世代
★男たちを取り巻く環境は激変
★妻の不機嫌が怖い男たち
★居場所を求めて
★相手の気持ちを測りかねて
★若い女性に弄ばれて…‥
★男が恋に落ちるとき
★恋の初期に、はしゃぐのは男?
第三章 恋愛感情とセックスに惑う 男たちの証言
★三十歳年下の独身女性にのめり込んで
★社内でひと目惚れ
★セックスに溺れて
★二股をかけられても別れられない
★SNSで中学の同級生と再会して
★再婚して幸せだったのに
★自分の恋心に気づいたとき
★プラトニックを貫き通して
★彼女に心が傾いた瞬間
★意外な場所で彼女に会って
第四 家庭での居場所がなくなって
★あちこちに?をつくように
★別れようと思っても別れられない
★彼女の夫によってすべてが露見
★いくら話し合っても決着がつかない
第五 四章 女たちから見た「最後の恋」と「婚外恋愛」
★アラフィフ男性と恋をする女性たち
★自分から誘い
★関係が変わるとき
★同世代妻の心理
★恋愛相手には「女」を全開
★夫婦は家族、恋愛は外で
★夫の恋愛がわかったとき
★疑惑があっても放っておく
★夫婦とは……
第六 五章「最後の恋」のゆくえと決断
★恋が終わるとき
★苦しくても耐えるしかない別れ
★自分から別れを告げて
★恋に未練を残すのは男
★離婚して再婚
★気遣い合いながらの再婚生活
★再婚したことを後悔
★未練と執着
★執着心にとりつかれて
★思い出だけで生きていける
★死んだ恋はよみがえらない
★あとがき


本表紙酒井あゆみ著
眠らない女 昼は普通の社会人 夜になると風俗嬢 酒井あゆみ

第一章「私って口の中にアレ出されるよりも、オシッコ飲んじゃうほうがいいの」
 第二 「お父さんは夜中に来なくなったの。あの呻くような声が聞けなくて、寂しかった」
第三 「私、二回目のセックスで、もうイクことを覚えちゃったんです」
第四 「悔しいのは、客とやってて、いっちゃうこと。体が反応しちゃうんだ」
第五 「一日のノルマは三本。それが限界」
第六 「初めて男の勃起したモノを見たときは、声を張り上げそうなくらい感動しちゃった」
第七 「夜の仕事はしばらく続けていくつもり。でもね、『一体どこで狂ってしまったんだろう』とたまに考えるよう」
第八 「後悔してないんだけど、お客に体を触れられる度に母親の声が聞きたくなるの」
第九 「AVの仕事をして変わったのは、プライベートのエッチで『電気消して』って言わなくなったことかな」
第十「風俗に来る男の人をみても、ただ出しに来るんじゃないって分かった。みんな誰かと話したいんだよ」
 第十一 「私はみんなの笑っている顔がみたいんだ。人って、笑っている時がいちばん人間らしい」
第十二 「この仕事をやりながら、生きるヒントを探しているのかもしれないね」
第十三 「乱交プレイとている最中に、友達から携帯に電話がかかってくる時は、さすがに困るよ」
第十四 「子供が小学校の作文で『お母さんは、お風呂がいっぱいある所で働いてます』と書いてしまったんや」
第十五 「SMって究極の愛だよ。殴られても蹴られても、喜んでるんだからさ」


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