亀山早苗 著
多忙な主婦が五十歳になって知った、淫欲と愛情の快楽地獄
正直言って、私は結婚している人が羨ましい。夫がいて子供がいて、なんだかいだと言いながら、いつでも明かりがついている家に帰り、「今日は暑かったね」と言えば「そうだね」と応えてくれる人がいるような生活こそが、「人としての幸せ」につながるのではないかとか思う。
だが、なぜ人は、いつでもないものねだりする。自分が今、何を得ているのか、そして近くて親しい人に何を求めているのかが見えなくなってしまう。きっと、もともとは「そばにいてくれさえすればいいと」と思って結婚したはずなのに。
“妻孝行”な夫がいるのだが
知人に紹介された会った川上頼子さん(五十二歳)は、中部地方のとある中都市に住んでいる。切れ長の目がきれいな女性。一見、知的でクールな感じだがざっくばらんにしゃべり始めた。
「毎日がとっても忙しいんですよ。私、それなのに付き合っている男性がふたりもいる。忙しいならそんなことをしなければいいのに‥‥。人に、あるいは自分の人生に何かを求めているのか、自分でもわからなくなって」
いくつになっても夢を抱くのは素敵なことだ、常に向上心を持つべきだと、我々世代は植え付けられてきた。その結果、半世紀も生きてきて、まだ気持ちが落ち着かずに迷い惑っている。それがいいことなのか悪いことかはわからないけど。
頼子さんは結婚して二十三年、二十一歳と十八歳の男の子がいる。上の子は現在、東京の専門学校で好きな音楽を学ぶ。下の子は軽い知的障害があるが、この春から地元の企業に就職することができ、家から通っている。
夫はサラリーマン、彼女は自宅でIT関係の仕事をしている。夫の両親とは結婚当初から完全同居で、頼子さんが家事ほとんどを担う。しかも、もともと兼業農家であるため、野菜作りを手伝わなければならない。
夫と次男には毎日、お弁当も作っている。少し聞いただけでも、日常生活がどれほど忙しいかが想像できるというものだ。
「自分でもよくやってきたなあと思います。同い年の夫とは七年付き合って結婚しました。途中でわかれたりくったりしたけど、最終的にはお互いに『この人でなければならない』と思って結婚した。
その思いがあったから、無我夢中で頑張ってこられたんでしょうね。夫とは今でも仲良し。結婚記念日には、必ずふたりきりで一泊旅行をします。結婚した時から、これだけは夫がずっと”妻孝行”と称して続けてくれている。感謝しています」
現在でも、月に数回は夜の営みもある。たまにラブホテルへ行くことも。忙しくて寝る暇もないほど働きづめの時期もあるが、夫の細やかなフォローがあったから、いつまでも笑顔を絶やさずに生きてこられた、頼子さんは照れながら言う。
「それなのに」
彼女は自らを戒めるような口調になった。
「二年くらい前、ある出会い系サイトにアクセスしてしまった。どうしてそんなことをしてしたのかよく覚えていないけど、私、五十歳になったことでかなり落ち込んでいたんです。
目の周りにちりめんじわがやたらとできたし、染めても染めても白髪が気になって‥‥。
女としての自己評価がものすごく低くなりました。もともと高いわけじゃないのに」
そのサイトで知り合った三歳年下の男性、尚人さんに「あなたは僕と出会う運命にあった」とメールで散々口説かれ、その気になってしまったという。知り合って一ヶ月ほど経ったあとに会い、その日のうちに関係を持った。
「彼はやたらと自信に満ちた人でした。夫は優しいタイプですから、彼の『オレの言うことを聞け』という強引さに惹かれましたね。新鮮な感じだった」
一般的に、女性は男性に対して「話し合える」対等さを求めたがる。と同時に、自分が何も考えないで済むように引っ張ってほしいという気持ちも持っているのかもしれない。
「セックスで強引でした。自分勝手という感じとはちょっと違うけど、こうすれば私が感じると分かっているかのようだった。『きみはまだ、本当の快感を知らない』と言われて、だんだん彼にはまっていったんです」
淫らな女になりたい
彼の言うことがほんとだと分かったのは、数回会ってから。彼はその日、ホテルでいきなり頼子さんに「服を脱げ」と命令した。
「命令されたとたん、私、濡れてしまいました。自分でもびっくりするほど。一枚ずつ服を脱いでいく恥ずかしさ、でも、それに反比例してどんどん濡れていく、下着をとったときはぐっしょり。
彼がそれを見て、私の乳首を口に含み、下半身に手をあてがいながら、『こんなに濡れて恥ずかしくないのか』と囁いた。その瞬間、私はへなへなと座り込むほどの絶頂感を得てしまいました」
彼の言うことなら何でも聞く。もっと命令してほしい、もっと自分好みの女に変えてほしいと願った、と頼子さんは真顔で言う。それは淫らな女になりたいという彼女の心の奥底に潜んでいた欲望だったのかもしれない。
「私は痛いことが好きなわけはありません。縛られたり叩かれたりするのはイヤ。彼はそのあたりを見抜いていて、言葉責めや命令で私をその気にさせていく。
『おまえはオレの奴隷だ』といったこともあります。そういう言葉にさらに感じていく。自分でも全く知らなかった性癖でした」
しかし彼は、日常的な会話はいっさいしない。名前と携帯電帆の番号、メールアドレスは知っているが、彼が結婚しているのか、どういう仕事をしているのかは知らない。
一緒に食事をしたこともない。会うのはホテルで。濃密な時間を過ごしたら、どちらかが先に部屋を出る。完全に非日常がそこにはある。
「違う自分になれる快感もあったのかもしれません。彼は心身ともに、ものすごくねちっこく責めてくるタイプで、会うたびに快感が深くなっていく。『もっともっと、淫乱な女にしてやる』と洗脳されたり調教されたりで、
彼のことを考えただけで濡れてくるような状態でした。自分が淫らな女になっていくのは楽しかったけど、一方で、怖くもあった。それに、非日常というのは、ある意味で日常とは別のストレスや疲れがたまるのかもしれません。夫をはじめ、家族への罪悪感もだんだん積み重なっていったのかなあ」
半年ほど経ったとき、自分が「普通の女」ではなくなったような気がして、またも彼女を落ち込みが襲う。眠れず、食欲もなくなっていった。心配した夫に勧められて素直に行った病院で、今度は別の男性と知り合う。
「診察後、病院内のカフェで一休みしていました。一人だから、二人席とか四人席ではなく、大テーブルの片隅に座ったんです。コーヒーを飲みながらぼんやりしていたら、
隣りにひょいと座った人がいる。彼の持ってていた紙袋が私の脚に当たったので、ふと見たら、『あ、すみません』と謝られて。そこから何となく話が始まりました」
その彼、晴彦さんは頼子さんより五歳年下。製薬会社に勤めていて、その病院へは仕事で来ていたのだという。
「私は鬱病とは診断されませんでしたが、長年の疲労と更年期による鬱状態といわれました。そんな話を問わず語りに話すと、かれはにっこり笑って、『誰でもそういう時期はありますよ』って。
彼自身も、転職の経験があって、とても苦労したと話してくれました。笑顔がさわやかなのにセクシーで、こういう人は家庭でもいい夫なんだろうなあと思ったり。そう言ってみたら、
『いやあ、普通ですよ。かみさんがよくできた人だから、うちはもっていると言われます』と言う。日常生活がまったく見えない自信過多の尚人さんとは正反対。心を常に開いている人だと感じました。だから私もつい、多忙な毎日を愚痴ったりしてしまったんです」
「一度でいいから抱いて」
気がつくと二時間近く経っていた。知らない人とふたりきりで、そんなに長くしゃべったのは初めてだった。
「お互いに別れがたかったのでしょうね。電話番号やメールアドレスを交換しました。私は薬を受け取とるために病院内の薬局に寄り。彼は先に病院を出た。でもすぐにメールが来たんです。
『会えてうれしかった。明日、ランチでもしませんか。あなたの心のリハビリに協力させてください』と。そのメールで、ますます心が温まって。昔馴染みに会うようなつもりでOKしました」
翌日、ランチをともにした。そして、彼女が言うには「なぜか、そのままホテルにいってしまった」のだ。
「かれとセックスしたかったわけじゃない。温もりが欲しかっただけ。夫とは仲良しだけど、包み込んでくれるという感覚はなかったし。晴彦さんなら、私を尚人さんによる快楽地獄や、日常生活の煩雑さから救い出してくれるような気がしたのかもしれない。
確か、私から『一度でいいから抱いてほしい』と言ったはずです。彼は一瞬、驚いた顔をしたけれど、何も言わずにホテルへ車を飛ばしてくれました」
優しくて心満たされるセックスだったと頼子さんは言う。強烈な快感はなかったものの、「ごく普通のセックスに満足している自分がいた」と。
「幸いなことに、彼も私を気に入ってくれたんです。すっかり恋愛ムードになってしまった。本当は嬉しかった。だけど、私も一緒に恋愛モードになることはできませんでした。
直人さんの快楽地獄からは、やはり抜けられなかったし、日常生活も忙しい。たまに会って、お互いを癒すことしかできないのです、私には。だけど彼は、『もっと会いたい』代休をとれるから、
朝から夕方まで一緒にいたい』と言うようになっていった。そう言われると、私も晴彦さんが大好きだから、心が折れそうになる」
本当に好きな人に、好きだと言ったら、日常生活まで壊れていくと、頼子さんは思った。だからこそ、彼女は晴彦さんに対して「好き」という言葉を封印した。
「晴彦さんと会うようになって半年ほど経ったころ『ほかに付き合っている人がいる』と白状しました。『彼に調教されて、私はぶっ飛ぶような強烈な快感を知ってしまった。今ではアナルでもすごく感じるようになっているの』と。
もちろん、嫌われて、去られても仕方ないと覚悟したうえでの告白です。晴彦さんは、本当に悲しそうな顔をしてた。男の人が、これほど苦しげに顔を歪めるのを初めみましたよ。申し訳ないと思ったけど、言ってしまったことはもう戻らないとあきらめて‥‥」
ところが、予想に反して、彼は去っていなかった。「あなたがどういう状況であっても、やはり僕はあなたが好きです」というメールが、数日後に送られてきた。そして、それからも、会えば「もっと一緒にいたいよ」とせつなげに言ってくる。
引き裂かれる自分
一方で、尚人さんの調教ぶりも堂に入ってきた。三ヶ月前に、「男をナンパし、○○という旅館に連れてきてセックスしろ」という命令が下った。頼子さんは出会い系サイトで男性を探し、その旅館で一度だけの関係を持った。尚人さんは隣の部屋で、その一部始終を見聞きしていたのだ。
「男性を帰した後、尚人さんは私をねちねちと言葉でいじめながら愛撫してくる。そうされると、私は今まで以上に感じていく。自分の快感がどこまでいくのか、怖くなることがあります。私自身も、彼と同様、アブノーマルな人間なのかもしれない‥‥」
セックスにノーマルとアブノーマルの線引きがはっきりとあるわけではない。だが、尚人さんの趣味嗜好は、けっして多数派ではないだろう。だからといって、異常だとは言い切れない。
セックスの趣味は、それほど多様なのだと私は思っている。
「日常生活の感覚だと、やはり尚人さんは普通じゃない。応じてしまう私もどうかしている。ただでさえ忙しいのに、睡眠時間を削っても、尚人さんの求めに従ってしまうのは、どうしてなのか‥‥」
それだけ自分の快感を掘り起こすのが興味深いことなのではないか、と私は彼女を傷つけないよう、用心深く言ってみる。
「自分がごく普通の人間だと思っていたから、こんな快感が眠っていたのか、ということは確かに驚きました。結婚生活を続けながら、ふたりの男と関係を持っているのも、我ながら信じられない。
ほんとはどうしたらいいかわからないんです。尚人さんに引きずられ、晴彦さんに縋ってる、だけど生活は夫と一緒。自分が引き裂かれそうになることがあります。
夫も私の浮気に気付いてくれない。結局、誰にとっても、私は『いちばん』という存在ではないのではないか‥‥。そう思うとものすごく孤独で」
私のように何も持っていなくても、頼子さんのようにたくさん持っていても、人は同じように孤独感に陥る。何を求めているのかわからないままに、迷い惑っているのは、彼女も私も同じなのかもしれない。
恋愛依存体質の女性が歩んだ過酷な半生と絶望感
結婚していても恋愛を辞められない女性がいる。バブル世代と呼ばれる私たちが若かったころ、恋愛はすでに「女を磨くことのひとつ」だった。
恋愛至上主義、恋愛体質でいることがよしとされていたのだ。その結果、恋愛に依存せざるを得ない女性たちも生まれてしまったように思う。
駆け落ち失敗。DV離婚、できちゃった婚
「好き勝手なことをやってきたツケが回ってきたような気がすてならないんです」
石垣茉莉菜さん(五十三歳)は極細のタバコを手に、紫煙をくゆらせながら、自分の半生を振り返ってそう言った。
どこか虚無的な物言いだ、茉莉菜という名前も、ウエーブのかかった長い髪も、年齢にはそぐわないかもしれないが彼女には似合っていた。
「二回も結婚しましたし、結婚中も何度か恋愛もしました。夫にばれたこともあるし、相手の奥さんを巻き込んで大騒ぎになったこともある。だけど私はそれほど悪いことをしていると思っていなかったんです。
今、ひとりぽっちなってみて、初めて人生を振り返っている。私は何もしてこなかったんだなと感じています」
赤く塗られた唇が?みしめられている。
茉莉菜さんは父親の仕事関係で、三歳から十五歳までをヨーロッパで過ごした。名前も、外国で通用する語感を父が選んだのだという。
「そのままフランスやドイツあたりの学校に進学するという選択肢もあったけど、なぜか両親について日本に帰国して高校に入りました。日本の学校生活になじめなくて苦労したけど、私は私っていつも思っていた。それが身についてしまっていたから」
都内の私立美術大学を卒業した夏に、妻子ある男性と駆け落ち事件を起こした。半年後、結局、相手は家庭に戻る。
「離婚して私と一緒になると言っていたのに。でも私は諦め早いんです。父の援助を受けて小さいながらもデザイン会社をお輿し、今度は仕事に没頭しました」
二十五歳のとき仕事関係で知り合った三歳年上の男性と結婚、ひとり娘をもうける。ところが夫は茉莉菜さんの収入によりかかり、あげくは暴力を振るうようになった。
「夫を殴り返して別れました。暴力をふるうような男に我慢なんてできない。夫の両親は私の悪口を業界中にばらまいたけど、痛くもかゆくもなかった。
結婚生活は五年。三十歳で独身に戻ったんです。娘さえいれば頑張れる。そう思って一生懸命働きました」
ときはバブル時代。たまには娘を預けて友だちと朝まで飲んだり、恋人と夜を明かしたり。仕事、恋愛、遊び、そして子どもとの時間を謳歌していた。
「また家庭持ちと恋愛しちゃって。八歳年上の素敵な人だったんですよ。私は相変わらず『どちらをとるの?』と迫ったけど、彼はのらりくらりと『家庭は捨てられない、でもきみとは別れたくない』って。
そんなの都合がいいだけじゃないないですか。なのに私、彼にはなぜか結論を迫られなくて。それだけ好きだったんでしょうね」
だが、会いたいときに会えるわけではない。ようやく彼が時間を作ったときには、たまたま娘が病気になったり、彼女が会おうとしたときは彼の仕事が多忙だったり。
いらいらする彼女に、彼は「長い付き合いになるのだから、焦るのはやめよう」と諭した。
「いつもの私ならテーブルをひっくり返して別れちゃうはずなのに、そうならなかった。ただ、寂びして浮気はしましたよ。彼だって妻を抱いている、それなら私もと思って。六年ほど付き合っていたけど、
とうとう私が忍耐しきれなくなりました。当てつけみたいに六歳年下の男性とできちゃった結婚。三十八歳のときだったかな」
娘はローティーンの多感な頃。母親の結婚に不信感をもち、何度も万引きを繰り返しては警察のお世話になる。彼女は本気で娘を叱り、真摯に愛情を示した。娘もだんだん大きくなる母のお腹を見て、少し現実を受け入れていった。
七歳になったばかりの息子が
ところが娘と茉莉菜さんの再婚相手との関係はうまくいかなかった。なるべく家族三人の時間を取り、間を取り持とうと満里菜さんは奮闘したが、それも徒労に終わる。
「それでも子どもが生まれれば、家庭も落ち着くんじゃないかと思った時期がありした。ところが出産前、夫と娘との間の空気が不穏なので心配でたまらなくなった。ある日、夫が娘の入浴を覗(のぞ)こうとしているのを見つけて、絶望的な気持ちになりました。そのショックから早めに産気づいちゃって」
息子を授かったものの、茉莉菜さんの頭の中には、常に「いつ別れようか」という気持ちが渦巻いていた。
「そのころ仕事でもトラブル続き。創業のときからいてくれた社員が会社の金を持ち逃げしたり、別の社員が家庭不和から自殺を図ったり、結局、事務所を縮小して、社員ふたりと私、三人きりで新たに頑張っていくことになりました」
四十代に入ったころ、茉莉菜さんは家庭と仕事を両立させるために疲れ切っていた。そんなとき、再婚前に付き合っていた八歳年上の男性に四年ぶりに再会する。痩せてやつれた茉莉菜さんに、彼は何も言わず手を差し伸べてくれた。
出産後、夫との間は低温のまま固まっていった。夫は彼女を抱こうともしない。息子のことは可愛がったし、娘には気を遣っているようだったが親密になろうとはしなかった。娘は入学した高校になじめず中退、だんだん家にも寄り付かなくなっていく。
娘のことを心配しつつも、彼女は息子の育児、家事、そして仕事のトラブル対応に追われてきた数年間だった。そんな彼女の話を、八歳年上の彼はしっかり聞き、受け止めてくれた。
「何度あっているうちに、やっぱり私にはこの人しかいないと気持ちが昂(たかぶ)っていって、ついにまた、関係を持ってしまったんです。そんなことをしたら、さらに自分を追い詰められるとわかっていたのに」
一年後、案の定、夫にばれて離婚。ただ、茉莉菜さんも夫の浮気を把握していたので、お互い慰謝料なしで離婚届にサインした。
「結婚って何だろうと強烈に思いました。子どもを授かったのは嬉しかったけど、結婚しなくたって子どもは産める。男と女の間って、結婚で幸せが約束されているわけじゃない。むしろ結婚という形をとったことお互い不自由になり、不機嫌な日常が待っている。そんな気がしてならなかった」
離婚したことで、娘の気持ちは逆に落ち着いたようだった。それだけが怪我の功名かも、と茉莉菜さんは笑う。
「娘は大学に進学すると言い出して。家事を手伝い、弟の面倒をみながら猛勉強して、当時の大学に合格しました。娘が頑張っているのを見て、私も気力がわいてきた。八歳年上の彼との関係は続いていました。ようやく落ち着いて、仕事と家庭に向き合える状況が整ってきたんです」
だが、運命はさらに茉莉菜さんを過酷な道へと導いていく。七歳になったばかりの息子が白血病で他界してしまうのだ。
「あっけなかった。入院して治療を始めた矢先の急死でした。当時、フランスに住んでいた私の父母が来るのさえ間に合わなかったほど。別れた夫も頻?に見舞いに来てくれていましたが、
最期のときは出張で息子に会うことはできなかった。駆け付けた元夫は号泣していました。小さな棺桶に小さな骨壺‥‥。私の人生でいちばん悲しい日だった」
淡々と話す茉莉菜さんだが、その乾いた口調に、どうしようもない悲しみがにじみ出ていて、聞いている私の方が思わず涙落とした。
「私はもう一生分泣いたの。たった七年のあの子の人生、私の許へ生まれてきた幸せだったのかどうか、そればかり考えてきました。
後を追いたかったけど、娘がそうはさせてくれなかった。何にもできない私に『そんなお母さんじゃ弟も悲しむよ』ってしったげきれいしてくれた。遺された者は日常を生き抜くしかないんですよ、歯を食いしばって」
愛されていると実感した日に
つきあっている彼もメールや電話で茉莉菜さんを支えてくれた。
私が家を出る気力もなくしていた時期は、フルーツや美味しそうなお菓子を送ってくれました。電話で何時間も愚痴を聞いてくれたこともあります。出社するようになると、ランチや夕食をともにしてくれたり。
息子を失ったという心の穴は埋めようがないけれど、娘や彼や友だちのおかげで、少しずつ穴の周りが固まっていった。だからその穴が広がらずにすんだ。そんな気がします」
そして三年前、娘は母を気遣いながらも、留学のため旅立っていった。勉強していた彫刻をもっと究めるためだという。
「ドイツにいる私の弟の助けを借りながら、美術の専門学校に通っています。最初は一年と言っていたけど、帰ってきませんね。この先もおそらくあちらで暮らしていくんじゃないでしょうか。
私もそろそろ、仕事や家を片付けて、老いた両親が住むフランスに行こうかなあと思っていたんです。ただ、彼のこともあるし、なかなか決心がつかなかった」
八歳年上の彼と知り合って、そろそろ二十年になろうとしていた。一度も旅行さえ行ったことのない関係だったが、茉莉菜さんは「自分がいちばん好きなのはこの人」と確信していたという。
「一年ほど前のことです。私の事務所近くの居酒屋でふたりで飲んでいました。そこは私たちの行きつけの店で、そこの常連客の間では”夫婦”として通っていたくらい。ま、店の主人は見抜いていましたけどね、
私たちの関係を。いつものように飲んでいると、彼が『今度、温泉にでも行こうか』と言い出したんです。『うれしい。私、死ぬまでに一度、あなたと旅行したかったの』と初めて本音をぶつけました。
彼にプレッシャーになったらといけないと思って、それまでは言えなかったんです。『息苦しい思いをさせてごめんな』と彼はふだん口にしないようなことを言ってくれましたね」
穏やかな時間が流れていた、知り合った頃の話も出た。長い年月、つかず離れず。だが結局は離れられなかったねとお互いの顔を見つめて微笑みあった。
「彼が、『今日はなんだかだるいんだよね』と珍しく体調不良を訴えた。『早めに切り上げて帰った方がいいわよ』と言ったら、突然、ずるずると椅子から崩れ落ちたんです。あわてて救急車を呼んだけど、すでに心肺停止でした。心筋梗塞。目の前で彼の命が消えていく。どうしたらいいかわからず、ひたすら彼の名前を呼んでいました」
茉莉菜さんも救急車に乗って病院に行ったが、ずっと病院にい続けるわけにもいかず、頃合いを見計らって病院を抜け出した。病院には彼の自宅の電話番号を告げ、連絡をとってもらい。彼女は身元を明かさなかった。
「彼の自宅では大騒ぎだったでしょうね。私のこともわかってしまったと思う。何の連絡もありませんでしたけど。奥さんの気持ちを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私の目の前でずるずると崩れ落ちていった彼が、最期に何を思ったのか…‥。なぜ急に旅行だなんて言い出したのか。愛されていると実感した日に、いなくなってしまうなんて耐えられなかった」
時間だけが過ぎていく
息子を失った衝撃に続くショックだった。気づくと慰めてくれる人さえいなかった。
「彼との関係は誰にも言っていませんでしたから。娘は恋人がいるとことは気づいていたと思うけど、異国の地で頑張っている娘には言えなかった。ひとりぽっちでこの一年、どうやって生きてきたかもよく覚えていないくらいです」
心の中では、常に息子に「早く迎えに来て」と話しかける毎日だったという。
「好き勝手に生きてきた私の因果みたいなものが、結局、息子や彼に降りかかってしまったと考えたりもしました。息子のお墓があるお寺の住職にそう言ったこともあるし、
通りがかりの教会に飛び込んで話を聞いてもらったこともある。だけど私は宗教では救われなかった。
自分のせいなのか、これが私に与えられた運命なのか、これからどうしたらいいのか。何もわからない、納得できないまま時間だけが過ぎて行っているところです」
人の何倍も濃い人生を送ってきた茉莉菜さん。だがその一方で、人の何倍もの涙を流してきたのかもしれない。
「彼のお墓がどこにあるのかも知らないんです。いつも一緒にいたわけじゃないし、彼の奥さんから見たら『ただの浮気相手』かもしれないけれど、私にとってはやはり大事な人だったし大事な二十年間だった。それなのにお墓参りひとつできない。心の中に彼は生きていると思いたいけど」
彼女は再び紫煙をふうっと吐き出し、「私も心筋梗塞であっけなく逝きたいです」とぽつりと言った。人は失ったものからも何かを得られるはず。普段そう思っている私だが、茉莉菜さんのある種の絶望感に対しては、軽々しく言葉を吐き出すことはためらわれた。
半世紀生きてきて、ここからもう一度‥‥
一年半苦しめられた左の五十肩から、ようやく解放された。と思ったら、すぐに右肩がきしむようになってきている。
左肩のときは、トイレに行って下着も上げられなかったり、洋服を買いに行って試着室で身動きもできなくなったりと、情けないこと続きだった。またあの状況が復活するのかと思うと、もはや笑うしかない。
ついでに膝の関節も動きがスムーズではなく、ごきごきと音がする。老いは急速に近づいていると実感する日々だ。
ぼろぼろになった更年期
「私はもうこの一年、まったく生理が来ないのよ」
そう言った知人の高畑寿美子さん(五十一歳)は、スレンダーな体をぴったりしたラベンダー色のスーツ包んでいる。この数か月で三キロ?せたという。数年前に仕事で知り合った人なのだが、この日、偶然再会、お茶でもしようということになって話し込んだ。
前とは明らかに雰囲気が変わっている彼女に、私は俄然(がぜん)、興味を抱いた。彼女が黒やグレーなどのモノトーン以外の服を着ているのを、初めて見たせいもある。
「びっくりしたでしょ。私がこんな服を着ているなんて」
寿美子さんは楽しそうに笑う。私は素直に頷いた。もっと堅くて知的で理性的で、あまり自分の感情を出さない人だと思っていた。
それだけではなかろうと私は推察した。ショートだった髪を伸ばし。ほとんど化粧もしていなかった顔をピンクベースのファンデーションに彩られている。人前でも平気でぐりぐりとリップクリームをつけていた唇が、きれいなベージュのグロスで艶やかにか輝く。
「ぼろぼろだったのよ、私、つい半年前までは、二年くらいひどい更年期で本当に苦しんだの」
彼女は結婚後もずっと、とある団体の職員として仕事を続けてきたのだが、更年期症状がひどかった時期は三ヶ月ほど仕事を休んだこともあったそうだ。
「肩こり、頭痛、めまい。そして蕁麻疹(じんましん)。関節痛もひどかった。もちろん気分も鬱状態で、しょっちゅう意味もなく泣いてばかり。夫に当たり散らかして、彼も理解できないせいで不機嫌になって、家庭内も最悪。離婚寸前までいったのよ」
それまでの人生は比較的、順風だったと我ながら思うと彼女は言った。大学を卒業して就職、二十七歳のとき友だちの紹介で知り合った一つ年上の人と結婚、二十九歳で長男を、翌年、次男を産んだ。
子育ても家事も、夫と協力し合ってやってきた。夫とは三十代半ばからほとんど夫婦生活がないが、自分もセックスなんて面倒で嫌いだったから、かえって好都合だった。
「夫とは今も週に一度くらいはデートするし、一緒に映画や芝居に行ったりするの。いまだに朝まで話し込むこともある。夫は会社の女の子と飲みに行ったりしているけれど、
私は嫉妬もしない。お互い一緒にいると楽しいし、最期まで添い遂げようと思っていることが分かっているから、子供が大きくなってからは、放し飼い状態。それがいちばん居心地がいいのよ、お互いに」
何の不満もなかった、更年期の症状が表れるまでは、ところが症状がひどくなってくると、彼女は次第に自分の感情を制御しきれなくなっていったという。
「病院にも通ったけど、対処療法しかできない。ホルモン療法もしたの。でも私には合わなくて、よけい調子が悪くなるばかり。ひとつひとつはたいしたことはないのよ。だけど体のありとあらゆるところが不調で、何もやる気が起こらない。
それどころか、普通に暮らしている人が煩わしくなるの。夫も子供も目の前から消えてほしいくらい、自分でも、あの頃はちょっとおかしかったと思う」
夫も子供たちも腫れ物を触るように自分に接する、それがまた気に入らない。食事を作る気力がないから、勝手に何か食べてと言っておきながら、出前を取る家族に腹が立つ。
「なんで誰も料理の一つもしないのよ、と怒りが沸き起こってくる。今から思えば、自分の心身にひたひたやってくる”老い”を受け入れられなくて、ひたすらあがいていたんでしょうね」
夫には「オレたち、出て行こうか」と言われた。「オレのことが気に入らなくて離婚したいなら、はっきり言え」とすごまれたことさえある。夫も。どう対処したらいいのかわからなかったのだろう。
休職までした最悪の三ヶ月を乗り越えても、なかなか調子は戻らなかった。
ワンピースを買ってみたら
私は五十肩があまりひどくなったとは、病院に行った。そのとき医師は「簡単に言うと、加齢によって関節の潤滑油みたいなものが減ってくるのです。それを脳が認識し、体が『少なくなった潤滑油でやっていこう』と思えるまでに時間がかかるということです」と説明してくれた。
目安は一年。それは治るのではなく、脳が認識して体が慣れのまでの時間だそうだ。脳って賢そうで、意外と順応性がないんだと、私はおかしくなった。
その話を寿美子さんにすると、彼女は深く頷いた。
「よくわかるわ、その話。でもね、あなたも知っての通り、私は自分の女性性みたいなものを否定しつつ生きてきたところがあるのよ。子供もいるし、もう生理なんていらないずっと思っていたし、スカートも履かないくらい、女でいることが好きじゃなかった。
だから閉経大歓迎と思っていたの。なのに、いざとなったらものすごく抵抗しているわけ。いや、私も頭では相変わらず、閉経大歓迎と思っている。なのに、心の奥底のどこかで恐怖や焦燥感があったのね。たぶん」
そんなある日、鏡を見たら、急にシワとシミが増えていた。鏡を見てはため息をつく日々が続く。それまでは化粧もほとんどしなかったから、鏡など見ることもなかったのに。
「シミもシワも前からあったのよ、きっと。だけど自分が気にしていなかっただけ。更年期を迎えて初めて、私は女だったんだと強烈に意識したんでしょうね。ただでさえ、自分をいつくしんでこなかったから、急に女というライセンスを奪われるような気分になって、無駄な抵抗をしたのかもしれない」
寿美子さんは、少し自分に正直になってみようとふと思った。そしてふらふらとデパートを歩いていると、急に色のきれいなカットソーに目がいったのだそうだ。
「初めて社会に出た女の子みたいだった。きれいなものを着て、お化粧してみたいなんて思っちゃって。周りがどういうかちょっと気になるけど、自分がやってみたいならやってみようと。
気力も体力も失っている自分に、いい加減、うんざりしていたせいもあったのよね」
花柄のワンピースを買った。夫に照れながら見せたら、「いいじゃん、今度それ着て、一緒に出かけよう」と言ってくれた。その一言で急に気が楽になったそうだ。
「さっきの脳の話じゃないけど、現実に女性ホルモンが激減すると、脳がそれを感知して似たような物質を出そうとするのかもしれないわよ。私の場合は更年期を経て、初めて女性性に目覚めたのだから」
不思議だが、非常に興味深い話だ。
きれいな色の服を着て、それまでしたことのなかったのに髪を染め、化粧してみた。そこから彼女は少しずつ、気力と体力を復活させていったという。
今どきの五十歳は魅力的
「八ヶ月ほど前、ひさしぶりに中学時代の同窓会があったの。体も心も本調子でなかったけれど、気分転換に出席してみようという気になった。同い年の人たちが、身近になった老いに対してどうやって立ち向かっているのか、話してみたかったし」
男と女も、それなりに年を取っていたものの、会えば当時と変わらない笑顔が飛び出した。たしかに四十代後半から、同窓会はやたらと増え始める。家庭的にも社会的にも落ち着いてくる年齢だということ、そして少しだけ過去を振り返ってみたくなるからだと思う。
「その同窓会でね、当時からお調子ものだった男の子が、『寿美ちゃん、元気ないじゃない?』と声をかけてくれたの。思わず『いやあ、もう女としてダメなんだ、私』って素直に言ったのよ。そうしたら二次会のあと、彼がすり寄ってきて、『ちょっとだけ飲みに行こうよ』と。
ふたりでバーで飲みながら、いろいろな話をした。彼も離婚や再婚があったり、会社が倒産したりと苦労してきたみたいで。気持ちよく酔ったところで、『寿美ちゃん、セックスしてる?』と急に聞かれたの。思わずお酒を噴いちゃったわよ」
そんなもん、ずうっとしていないと答えると、彼は「だめだよ、女はいいセックスをしなきゃ」と真顔で言う。「今さら誰も相手してくれないわよ」とふくれると、「じゃあ、してみる?」と。
冗談だと思っていたら、そのままホテルに直行、となった。
「十五年ぶりくらいのセックスよ。彼は笑わせてくれようとするけど、私、固まっちゃった。でもね、『寿美ちゃんは女として魅力的だよ、きれいだよ』と言われ続けると、嘘でも酔えるのよ、そういう言葉に。
彼は丁寧に全身を愛撫してくれたわ、マッサージをするかのように。それでようやく安心できたの」
同窓会で会った昔馴染みと関係を持つ、あるいは恋に落ちるというのは、それほど珍しい話ではない。お互い子供のころから知っている安心感、そして若い頃への郷愁などが相まって、そういう関係に陥りやすくなるのかもしれない。
私と同い年の男友だちが、やはり同窓会が増えたという話をしているとき、声を潜めて言ったことがある。
「僕、何度か引っ越ししているから、中学を三回替わっているんだ。最近、中学や高校の同窓会がやたらと開かれるようになって、そのたび誰かとエッチしている」
そんなに簡単に網にかかってくるもの? と私が怪訝(けげん)そうに訊ねと、彼はにっこり笑って頷いた。
「この年代の女性は、みんな自己評価が低いんだよ。そんなことないのにね、だから僕は彼女たちの人生を思い切り肯定するわけ。今どきの五十歳って、みんなきれいにしてるから魅力的だしね。誠心誠意口説くと、ほとんど落とせる。
子どものころ、あんなおてんばだった彼女が、今、こんなに大人になって‥‥と思うと、妙にエロチックな気分になるんだよね、それをセックスの最中に言うと、女性もやっぱり興奮するみたいだよ」
誰とも比べられない人生
久々のセックスは楽しかった、と寿美子さんは言った。それで蘇生したような気がした、と。そして、弾みがついたのか、趣味で習っているチエロの先生と半年前から関係を持っているのだとか。
「チエロはその半年前から始めたの。何もしないといけないと思って。同級生とセックスしてから、急に男の人を意識するようになった。チエロのクラスに行ったとき、この先生のことを私は好きだったんだと気づいたのよ。それで自分から食事に誘ってみた」
相手は十歳年下のバッイチ。付き合いが始まったものの、彼は寿美子さん以外にも女性の影が複数ちらついている。恋なんてとんでもない、セックスなんて嫌いだしと言っていた彼女が今、恋に疲れて?せている。
「恋なんかに翻弄されている自分がばかみたいと思う気持ちもあるの。だけど半面、恋に悩んでいる自分を肯定したい気持ちもある。笑わないでね」
彼女はそう言って泣きそうになりながらうつむいた。私にとって、彼女は急に身近な存在になった。いくつになっても恋していいじゃない、私はあなたを素敵だと思う。と言って、別れ際、彼女をハグした。ハグなんて習慣はないのだが、なぜか急に、?せた寿美子さんを抱きしめたくなったのだ。
「持つべきはものは女友だちと思ったわ。今さら私が恋をしてるなんて、誰にも言えなかったのよ」
あとで彼女は、そんなメールをくれた。彼女の切なさを実感しつつも、「かわいい人だなあ」と思う。
女の人生は多様化している。私の周りでも、晩婚で、まだ子どもが小学校三年生という人もいれば、すでに孫がいるという人もいる。誰の人生も、誰とも比べられないのだ。
いくら寿命が延びたといっても、半世紀も生きてくれば体はきちんとそれなりに老いてくる。だが、いや、だからこそ、もう一度、好きなように生きてみようと思ってもいいかもしれない。
老いとどこまで闘い、どこまで受け入れたらいいのか、私も日々戸惑っている。孤独に苛まれ、何かを渇望することもあるし、現状に満足感を覚えることもある。
どうやって還暦を迎えるのかわからないし、それまで生きている保証もない。だが、いつか「年を取るのもいいものよ」と言ってみたいと痛切に思う。
あとがき
四十九歳になったとき、私はひどく落ち込んだ。もう五十歳になる事実に抗(あらが)えない。その証拠を突きつけられたような気がしたからだと今になるとわかる。
今までと生活が変わったわけではないのになぜか孤独感が増し、一歩も外に出ない日があると(原稿を書いているときなどはよくあること)、このまま誰からも忘れられた存在になってしまうという不安で押しつぶされそうになった。
ちょうどそのころ、以前取材させていただいた同年代の女性たちから立て続けにメールが来た。どれも婚外恋愛の終わりを告げる切ないものばかり。
「長年の不倫が終わった。しかも彼からのメール一本で」
「子どもが成長し、夫婦はセックスレス。恋だけが自分を生きる証だったのに、それを失い、どうしたらいいかわからない」
「恋をなくしたとたん、体調不良になった。更年期だと思う。もう誰も私を愛してくれない。余りの孤独に押しぶれそうです」
彼女たちの孤独感に、私の心が反応した。恋を失った寂しさなら若いときだって経験しているはず。それなのに、この年代になるとそれがもっと切実な孤独感へと発展してしまう。
その深いつらさは、もうすでに忍び寄ってきている「老い」と関係があるのかもしれない。
もう誰をも愛せないのではないか。そして誰からも愛されないのではないか。もっといえば、男性に性愛の対象として見られなくなっていく不安と焦燥感があるのではないか。それは私が抱えているものとぴったりと一致した。
気になる人たちを訪ね歩いて話を聞き、それをまとめて『婦人公論』二〇〇九年七月二十二日号から二〇一〇年八月七日号に連載させていただき、単行本化にあたりさらに新たに書き下ろしたものを一遍加えた。
誰もが過去を悔いを残しながら惑い、将来に不安を抱いて悩んでいる。どんな人生であれ、「あのとき、こうしていたら」と思うのが、この年代の特徴なのかもしれない。
たくさんの人の話を聞いていくうち、最初は彼女たちと同化して一緒に落ち込んでいた私の気持ちが、少しずつ前向きになっていった。気づくと、彼女たちの人生を肯定して励ましている。それはおそらく、私自身も自分の過去を、そして現在を肯定したがっているからだろう。
人は選ばなかった道に悔いを残す。後悔しない人生なんてないのかもしれない。
老いはひたひたと近づいてきている。更年期はそのとば口かもしれない。老いにどこまで抗い。どこまで受け入れて行けばいいのか、私にはまだわからない。
老いたから恋はもう自分に降りかかってこないとあきらめる必要もないのだろう。
連載中に私は、大台の五十歳になった。半世紀も生きてきたことになる。自分に人生に自信ももてないけど、どうせ新たな十年を過ごすなら「もう一花咲かせてやろうじゃないか」と言う気持ちがわいてきた。
二〇一〇年十一月 亀山早苗
恋愛サーキュレーション図書室