閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたいトップ画像

第八章

本表紙 亀山早苗 著

一年に及ぶ離婚闘争劇、屈辱にまみれた私は決断できなくて

 最初に「理不尽」を感じたのは何時だったろう。小さい時、父にご飯をよそったら突き返された(意味が解らなかったが)とか、幼稚園の友達に親切にしたつもりが悪口を言われたとか。いずれにしても、「気持ちというものは自分の負ったように伝わらないとは限らない」

「人のために何かをして報われるとは限らない」という思いを強くしながら、大人になったような気がする。

 「オレを助けると思って」

 現在、離婚調停中の高垣晴江さん(五十四歳)には、この半年のあいだ、メールのやり取りをしながら何度か会って、経緯を聞いてきた。
 始まりは今から約一年前のこと――。

「ある日突然、夫に『頼みがあるんだけど』と言われたんです。お小遣いが足りなくなったのかしらと思いながら、『なあに?』と聞くと『離婚してほしいんだ』と。何を言っているのかさっぱり理解できませんでした」

 一つ年上の夫と結婚したのは三十歳のとき。以来、二十三年の夫婦生活を送ってきていた。結婚してすぐ、夫が交通事故で休職したときに、晴江さんは必死で看病と仕事を両立させた。
夫がリストラにあってくさっていた時期も、彼女は夫を支え家庭を切り盛りしてきた。

「子どもがなかなか授からなかったのが唯一の悩みの種でした。四十歳にしてようやくできた。あのときは夫婦で涙しましたね。夫は産まれきたひとり娘にベッタリで、私が必死に躾(しつ)けました。娘が小さい頃がいちばん楽しかったですねえ」

 その娘も今は中学生。ちょっと生意気でわがままなところもあるが、「明るくておもしろい子」育ったという。家庭は安定している‥‥はずだった。

晴江さんは過去、夫の浮気を疑ったこともなく、お互いを信頼しあっていると思い込んでいた。それなのに、夫はあっさり、あまりにあっさり言い放ったのだ、「離婚してほしい」と。

「なぜ? どうして? と尋ねました、今思えば、その数ヶ月から夫の様子が確かに少しおかしかった。心ここにあらずし言うことが度々あったのです。でも、仕事で気になることがあるのかなと言うくらいしか考えていなかった。

離婚したい理由を尋ねると、『好きな女性ができた。その彼女が、あなたと付き合うと不倫になってしまう、私はそういう関係は嫌と言った。だから別れたい』と。

夫の言い分を信じるなら、体の関係もないとのこと。ただ、離婚すれば彼女と付き合える、結婚できると夫は信じている。私は目が点になりました」

 相手の女性のことを、夫は悪びれもせず話した。二十五歳、名前は祐理。仕事関係でときどき行くバーで働いている。父親はすでに亡く、父の後妻である継母は病弱なため、彼女が面倒をみているそうだ。今どき珍しいくらい純粋で優しい子‥‥。

「呆れてものも言えませんでした。相手から見れば、たいしてお金も持っているわけではない夫だってお客のひとり。お金を落としてもらうためなら何でも言いますよね、

最初、私は彼女のことはカモフラージュで、もっと抜き先ならない関係になっている本命の女がいるんじゃないかと思ったくらい。だけど話を聞けば聞くほど、夫は彼女にベタ惚れ。

週に一度は店に同伴出勤し、どうやら少しだけどお金まで渡しているらしい。以前は娘によくお土産を買って帰ってきたのに、それ以降は娘のこともおざなりになっていました」

 五十代半ばにして、娘のような年齢の女性に肉体関係もないままに本気で惚れこみ、あげく妻に離婚を迫る夫。私も晴江さん同様、もっと大事なことを隠すための嘘か、あるいは肉体関係あるのに違いないと言い張っているのではないと思った。

「その告白を聞いても、私は『離婚なんてしないわよ』と歯牙(しが)にもかけませんでした。それから一ヶ月後くらいかしら、うちはベッドを並べて寝ているんですが、ある日、遅く帰ってきた夫がベッドに潜ってなんだか鼻をぐすぐすさせている。

『どうしたの』とサイドテーブルの明かりをつけてみた。そうしたらなんと夫が泣いて…‥。彼女を誘ったら断られたそうです。『私をいけない女にしないで。あなたが離婚したら、私は何時でもあなたのものになります』と言われたとか。

夫は目を真っ赤にして涙をぼろぼろ流しながら、『オレを助けると思って離婚してくれないか』って」

 私が苦笑すると、晴江さんも仕方なさそうに唇の端だけで笑って見せた。

 殺してやる。そう思った。

「そのころは、まだ『不器用だけど真面目に生きてきた人だから、狂い咲きみたいなこともあるのだろう。この年齢になってふと羽目を外しただけ。

そのうち目が覚めるはず』と、夫を冷静に見ていたんです。情けないとは思いましたけど。そんな私の予想をよそに、それからも夫はますます彼女にのめりこんでいきました」

 その晴江さんの気持ちが大きく裏切られたのは、中学に入った娘が急に勉強に目覚め、「将来医者になりたい。私立高校に行きたい」と言い出した時だった。彼女は夫にそれを伝え、社内預金の額を確かめてほしいと頼んだ。

「夫が急にうろたえたんです。問い詰めると、貯金五百万円は例の女に貸したと言い出した。しかも夫は、『祐理が困っていたんだ。これは人助けだ』と正当化している。

『冗談じゃないわよ。自分の娘の学資金まで使ってしまったわけ?』と、私は泣きながら叫びました。夫は、自分がしたことの重さが分かっていなかったみたい。私の絶叫を聞いて、はっとしたような顔をしていました」

 それだけのお金を渡したということは、彼女と性的関係が出来ていたということだろう。晴江さんはそう感じた。

「それがわかっていながら、夫が求めてくると断りきれない。セックスを拒んだら、夫が本当に彼女のところへ行ってしまいそうで。でもあるとき、セックスしながら『若いから、彼女の肌は気持ちいいでしょ』と言ってしまったのです。

夫は急に身も心も萎えたようで、途中でやめるどっさりと仰向けに倒れました。そして『ああ、ものすごく気持ちがいいよ。吸い付くようだよ。中だってお前と違って、ぐいぐい締め付けてくるんだ』と自棄(やけ)気味に言い出して‥‥。

私、それを聞くなり、頭に血が上って、素っ裸のまま台所へ行き、包丁を持って戻りました。夫を殺してやる。そう思った」

 晴江さんの目がギラリと鋭く光った。リアルタイムで夫の恋愛感情を垂れ流しにされ、妻としてはもう限界に達していたのかもしれない。

「そのときは夫に手首をつかまれて、あっけなく包丁をたたき落とされました。だけどそれ以来、私は自分の殺意に振り回されるようになってしまった。
私はこんなふうにしたのは夫だ、そして祐理という女だ。そう思い詰めました」

 夫は週に数日は遅く帰ってくる。女の気配があるときもないときもある。「いったい、彼女との関係はどうなっているのだろう」と不思議に思っていたところ、ある日を境に夫は帰って来なくなった。

「彼女の家に入り浸っているのかと思ったら、なんと夫は都内の実家に帰っていた。
実家には姑と義姉夫婦がいるのですけど、そこで寝泊まりさせてもらっていたようです。

義姉さんが電話で『うまくいってないんだって?』と言うので。洗いざらいしゃべってしまいました。絶句していましたね。『何とか改心させるから、見捨てないでやって』と泣きつかれました」

 ところが、夫の祐理さんへの執着は本物だった。離婚してくれと言ってから半年後、とうとう夫は離婚調停を申し立てたのだ。

 添い遂げると決めたから

 有責配偶者は夫だし、晴江さんはそこまでいってもなぉ、離婚には踏ん切りがつかなかった。だから、離婚調停もそう簡単に進まない。今に至るまで膠着(こうちゃく)状態が続いている。

「夫はとどき電話をかけてきては、彼女とうまくいっているだのいないだの、ほとんどセックスさせてくれないだのと愚痴を言うんです。

聞いている私も私だと分かっているけど、傷つくと分かっていながら聞き出さすにはいられない。お義姉さんに相談したら、『あいつはあなたに甘えているのよ』って。

そう言われたところで慰めにもなりません。いつも傷口に塩を塗られているようで、つらくてたまらない。ずっとパートで働いてきましたけど、今は休んで心療内科に通う日々です」

 夫が生活費にと、持ってくる七万円と今までの預金を取り崩しながら、晴江さんは娘とふたりで何とか生活している。家のローンは夫が払っているが、女ふたりでも七万円の生活費では厳しい。

夫ひとりで使っている小遣いは、その倍以上あるに違いない。「それが祐理に流れているのか」と思うと、悔しさも増す。

「生活費持ってくるのはたいてい昼間なんです。仕事が外回りなので、そのついでに寄っていく。娘は学校に行っているから不在、夫はそのたびに私の体を求めてきます。

思い通りにならない彼女への苛立ちみたいなものを私にぶつけているような気がする‥‥」

 心療内科の医師にそのことを話したら、「受け入れるべきではない」と言われたそうだ。どうすべきはわかっている。だが、その通りにはいかないから人は悩み苦しむ。

晴江さんにとって、夫と体を重ねることは、まだ夫婦でいることの証であり、これからの家族再生の希望をつなげることである。

「気持ちの中で、そんな夫に抱かれ続けることについて、ひどい屈辱感を覚えます。でも夫が何もしてくれなかったら、私はもっと惨めな気分を味わうと思う。惨めでいるより屈辱感にまみれているほうがマシなのではないか、そんな気がするんです」

 最近の調停では、調停委員でさえ、「ご主人はどうあっても別れたいと言っている。家も預金も渡すと。そろそろ娘さんとふたりの人生を考えてもいいのでは?」と言い出したそうだ。

「本当は調停期間中は夫に会わない方がいいのはわかっている。調停しながら密通しているなんて変ですよね、でもなぜかこんなふうになってしまって‥‥。先日、夫が来たときに『そんなに別れたいの』と言ってみました。

『オレが離婚したという証明が欲しいんだ。そうすれば、きっと彼女もオレの気持ちをわかってくれる』って。彼女のどこが好きなのと聞いたら、ぬけぬけと『すべて』と。さらに屈辱感が増大しました」

 よせばいいのに、自分で自分を傷つけるようなことを訊(たず)ねてしまう。少し夫と距離感をもって接することができればいいのだが、晴江さんはあえてそれをせず、自分を切り刻むようにして生きている。
どうしてそんな辛い生き方をするのか。逃げるが勝ちという言葉があると私は言った。

「自分が選んだ夫だからでしょうかねえ。いや、私、結婚するとき、この人と添い遂げると決めた。だから別れないという気持ちもあるし、人にはわからないでしょうけど、あんな夫でもやっぱり好きなんです」

 好きと言われてしまうと、こちらとしては何も言えない。それでも思い断って、離婚した方が幸せだなどと、他人が言えるはずがないのだから――。

 法律では解決できない

「捨てられる自分、というのに耐えられないのかもしれない」

 晴江さんはぽつりと言った。最後の最後に明かしてくれたのだが、小学校に上がる直前、親が離婚。どちらも彼女を引き取らず、親戚をたらい回しにされた過去を持っていた。だから「捨てられる」ことに対しては尋常ではない恐怖感を抱くのだという。

「それにね、先日、ふと鏡を見たら、もう私、シワだらけなんですよ。生理もなくなりました。夫以外は求めてくれない。この年になって捨てられて、老後をひとりで暮らすなんて考えただけで嫌なんです、怖いんです」

 それでもようやく授かり、成長した娘のことを思うと、心が揺れるようだ。

「娘は最近、帰宅が遅い。悪い子たちとつるんでいるようで、医者になりたいという夢は、親である私たちのごたごたでどうでもよくなってしまったみたい。娘にもっと強くなってほしいと思うのですが」

 そのためには、晴江さん自身が強くならなければいけないのに。彼女はそんな私の思いを察したのだろう、大きく頷いた。

「わかっています。私が強くならなければいけないのは。でも私は、私の弱さのなかに埋没してしまう。娘だけは何とか守らなければいけないのに、それができないのがふがいない。

夫を怨(うら)みたい、だけど好き。そこから脱しない限り、何も変わらないんですよね‥‥」

 彼女にとっては、夫が娘のような年齢の女性に夢中になっているということが、今も信じられない事実なのかもしれない。いっそ、祐理さんに会ってみればいいと思うが、それだけは夫に固く禁じられているという。

「夫に戻って来てほしい。人の気持ちだけはどうにもならないことは百も承知ですが」
 法律では解決できない問題なのだ。人生がやり直しのきくものかどうか私にはわからない。だが、いずれリセットボタンを押すしかない状況であるならば、少しでも早い方がいいのではないだろうか。

 DV夫との十年にわたる修羅場から解放されて得た新生活

 人生はいくつになってもやり直しがきくと言われることが多い。確かに見切りをつけるなら、早い方がいいのかもしれないと思う。我慢していれば、いい結果が待っているわけではないのだから。それに、人生でいちばん若いのは「今日」なのだから。

 大人になりきれない夫

「別れた方がいいんじゃないか、別れようか、別れたいと気持ちが変化していって、それでも別れるまで十年近くかかりました」

 すっきりした笑顔でそう話してくれたのは、川島慶子さん(五十三歳)だ。五十歳のとき結婚二十三年目にして離婚、何もかも捨てたという。

「三歳年下の夫とは職場結婚でした。私はそれまで男性に甘えられなくて、恋愛もうまくいかなかったのですが、彼には心をさらけ出すことができた。彼も甘え上手でしたから、今思えば、べたべたのカップル状態。結婚してからもいつも一緒で、よく職場の人たちからからかわれていました」

 幸せだったと恵子さんは振り返る。彼女は三人きょうだいの長女。しかも厳格な父親、病弱な母親のもとで育ち、否が応でも自分がしっかりしなければいけない環境にいたのだという。

だから、男性に甘えるというのがどういうことかもわからなかったし、人に心を開くこともなかったからだ。

 ところが、彼女が二十六歳のときに新卒で入社してきた彼は、無防備なほど慶子さんに心を開いた。社内恋愛はしないと言い張った彼女に、

彼はきょとんしながら「好きな人と付き合ったらいけないという決まりがあるんですか」言い放った。そのとき彼女は、肩の力が抜けていくのを感じたという。

 二十八歳で結婚し、ふたりきりの生活を楽しむ。そして、三十三歳で長女を、三十五歳で長男を出産した。

「仕事をしながらの子育てでしたが、母親になると女はどうしても変わるし、強くならざるを得ない。ところが夫は相変わらず、べたべたすることを求めてくる。

夫は私が育児と仕事でへとへとになっているのに、自分がかまってもらえないと拗(す)ねるんですよ。私は夫の子供っぽさにイライラする。そのあたりから夫婦の関係が変わっていたような気がします」

 長男が三歳になったころ、夫は突然、仕事を辞めた。慶子さんが昇進したことが、彼を同じ会社に居づらくさせたのかもしれないが、真相はわからない。

「部署が違ったので、彼が急に退職届を出したことにびっくりしました。家に帰って、『何があったの、どうしたの』と尋ねたけれど、夫は『新しい可能性を試したい』と夢みたいなことを言うばかり。

それからは転職を繰り返しました。ひどいときは一ヶ月で辞めてしまう。そのうち、弁護士になりたい、専門学校に行くからお金を出してほしい、と。そんな余裕はないから、とにかく早く働いてと??咤激励(しったげきれい)したのですが、

職探しもせず本を買ってきて勉強を始めた。本気なら仕方ないと専門学校に行くためのお金を渡したのに、やはり三ヶ月もしないうちに行かなくなりました」

 何がしたいのか、現状にどんな不満があるかと正面を切って聞いてみたこともある。だが、夫はのらりくらりとかわすだけで話し合いには応じない。そのうち話をはぐらかして、慶子さんを押し倒す。

「相性がいいんでしょうか、夫とのセックスはとてもよかった。子供を産んでからは、以前よりもっと感じるようになっていて。だから押し倒されると、私はいつも応じてしまう。夫は『こうしているときの慶子がいちばんかわいい、いちばん好き』とよく言ってくれました。

母である前に、私には女でいてほしかったのでしょう。でもそれは、夫の弱さでもある。この人は大人になりきれない、私に依存したがっているだけだとようやく気付いたのは、結婚して十年ほど経った頃でした」

 「誰かと寝てきたのか?」

 夫は子供のことは可愛がっていた。子供と一緒にいるところを見ると。まるで子供三人が遊んでいるようだったと慶子さんは言う。

「大人が周りに気を配りながら、子供を遊ばせているのとは違うんです。まったく同じ次元で遊んでいる。子供が私に甘えるように、夫も私に甘えてくる。夫を大人として父親としての自覚を促すのが面倒になって、

私も、『それから三人まとめて世話を焼く』という状態になっていきました。これじゃいけないと思っていても、日々忙しくて、なかなか軌道修正ができないままで」

 その後夫は、コンビニやファミレスで週に数回、アルバイトをしていた。自分の小遣いを稼ぐ程度の働きだ。一方で、妻に対しては嫉妬深くなっていく。

前からたまに同僚との仲を気にするような言葉を口にしていたものの、それは夫婦の間におけるスパイス程度のものに溜まっていたのだが‥‥。

「残業があるから子供たちに食事をさせておいてとメールすると、『本当は浮気をしているじゃないの?』なんていう返信が来る。家に帰ると、子供たちが寝静まってから私の携帯をみたり、スケージュール帳をチェックしたり。

夕方から会議と書いてあると、『ここで誰かとデートしているんだろう』などと言い出して。『前から、上司とおまえが関係していると思っていた』と言われたこともあります。

 夫曰く、ずっと我慢してきたんだ、と。そう言われても私に身に覚えがありませんから、否定するしかなかった」

 そのうち、夫は子供が見ていないところで妻に暴力を振るうようになった。きっかけは慶子さんが仕事で遅くなったことだ。

「その日は本当に仕事がハードで、なおかつ部下が大きなミスをしたので、そのフォローに走り回っていたんです。なんとか目処(めど)が立ってようやく帰ったのが午前一時。玄関のドアを開けると夫が仁王立ちになっていて、いきなり殴られました。私だって黙ってはいられない。

『あんたが働かないから、私がこんなに苦労しているのよ』と夫を責めました。夫はキレて私を蹴飛ばしました。歯が折れて、太ももには大きな痣ができて…。

そのとき以来、ときどき暴力を振るうようになりました。もちろん、一度ふるうとしばらくはおとなしい。泣きながら謝って来て、優しいセックスをする。典型的なDVですよね、ただ、そのころ私は、夫にそうさせているのは私ではないかと思っていた」

 思うような仕事に就けない夫の焦燥感、妻がだんだん出世していくことへの妬み、妻の人間関係の羨望(せんぼう)などがあって、夫は切羽詰まっているのだと感じていた。

「現実的に、私が仕事を辞めるわけにはいかない。ただ、心の奥で『このままだとどうなるかわからない。別れた方がいいのかもしれない』という思いがよぎり始めました」

 夫の嫉妬は、徐々にはあるがひどくなっていった。帰宅が遅いと、玄関で下着を脱がされ、下半身の匂いを嗅がれることもあった。

「男の匂いがするのではないか、シャワーを浴びてきたのではないかと気が気でないようでした。『一日中働いてきたわりには、蒸れた匂いがしない。どこかで浮気してシャワーを浴びてきたんだろう』と責められたこともあります。

『いい加減にして。あなた、病院に行った方がいいわ』と言ったら、胸をわしづかみにして捩じられて…。ひどい痣になりました。殴ると音がして子供たちに勘づかれるから、抓ったり噛んだりされることが多かった。

尋常じゃないとその時は思うけで、そういうことが毎日続くわけでもないし、泣いて謝ってセックスして、すべてがなかったことにするパターンになりつつありました。人間って、どういう状況であっても、ある意味で慣れてしまうものなんですよね」

 子供たちは家に残った

心の中では、常に「夫はおかしい。別れたほうがいい」という思いが強まっていった。ところが子供たちは日々成長していくし、日常生活は相変わらず多忙で、なかなかきっかけがつかめない。慶子さん自身、まだ「離婚」への踏ん切りがつかなかったせいもある。

「夫に愛想は尽きているはずなのに、やっぱり見捨てられない。私の長女体質がそうさせていたのかもしれません。夫が子供たちに暴力をふるえば話は別ですが、

それはなかった。私より一緒にいる時間が長いせいか、子供たちは父親になついていましたし‥‥。ひとりで悩むうち、時間だけが過ぎていきました」

 だが四十八歳のとき、妻が同僚と不倫していると思い込んだら夫が、その同僚に会うため会社へ乗り込んでくるという事件が起こった。

「その同僚は転職組なので、夫がもと同じ会社にいたことは知りませんでした。夫は受付で彼を呼び出し、『妻と浮気しているだろう』といきなり言ったそうです。

そのときの夫は見かけた人が間に入り、すぐに私も呼ばれて駆けつけたので事なきを得ました。怒り狂って帰宅すると、夫は凝った料理を作って待っている。

深夜、寝室で土下座して泣いて謝り、マッサージまでしてくれる。そして私が何度もイクほどのセックス‥‥。だけど翌朝、私は決めたのです。

もう別れよう、と。このまま年を取って夫とふたりきになったとき、一緒にやっていける自信はない。ともに年を取っていこうとも思えない、やり直すなら今だ、と」

 ちょうど娘が高校に入ったばかりで、息子は中学生だった。夫が家を出ていくか、自分が子供たちを連れて出ていくかどちらかだ。慶子さんは意を決して、夫に伝えた。

 夫は彼女に縋って泣いたが、長年、蓄積された彼女の不信感は消えず、逆に嫌悪感だけが増幅されていった。

「毎日、夫に説得されました。夫は私が本気だとわかったのでしょう、急にハローワークに通い始めもしました。だけど私の気持ちは変わりません。夫に体を求められても拒絶していました。あるとき、力ずくで無理やりされたときはまったく感じなかった。

その翌日、私は子供たちに『離婚しよう思う』と話したのです。すると子供たちは、『お父さんと一緒にこの家にいる』と。これはショックでした。子供たちの前で夫婦のどろどろを見せてこなかったことが、逆効果だったのかもしれません」

 だが彼女は怯(ひる)まなかった。たったひとりで身の回りのものだけ持って家を出た。会社には正直に話した。上司や同僚たちも心配してくれ、その結果、同僚の親戚が所有するアパートを借りることができた。

「夫には離婚届を送りましたが、なしのつぶて。子どもたちとも連絡は取りませんでした。たったひとりで狭いアパート暮らしはわびしかったけれど、すっきりした気持ちになったのも確かです。

ただ、子供たちのことだけは常に気になっていました。家を出たころから、もう生理もなくなって。ちょうど更年期なんだろうと思っていましたが」

 女であることを実感して

 何もかも捨てたことに、当時は悩んだし苦しんだという。もう少し我慢すればよかったのではないか、せめて息子が高校を卒業するまでは、と自分を責めたこともある。

慶子さんの携帯電話の番号は知っているのだし、会社もわかっているのだから、娘が電話くらいかけてきてもいいんじゃないか、と思ったことも‥‥。

「それでも家を出たのは私の決めたこと。子供たちに内心、手を合わせながら強く生きてってほしいと願うしかなかった」

 二年前、高校を卒業したばかりの娘が、ふいに会社に訪ねてきた。

「うれしかった。人目もはばからず涙を流し続けました。娘によれば、夫は実家に入り浸っているそうです。『私はお母さんが私たちを捨てたんばかり思っていた。だけど、私に向かって愚痴ばかり言って働きもしないお父さんを見てよくわかった。

あんなお父さんにずっと我慢してきたんだね』と言われて、さらに号泣して。はけ口がなかったせいか、娘に暴力を振るったことあっそうです。

娘は就職したものの、実は大学に行きたかったらしい。それなら予備校に行けばいいと言ったら、『もう就職しちゃったから、会社を辞めたら無責任でしょ』と。しかも就職先は遠方。戻ってきてほしいと言ったけれど、私は見守るしかない。

息子は父親に似たのか、高校も中途半端になっているそう。娘が半年前、父の本当の姿を告げて諭したけど、なかなか学校に行かないようです。連絡を取ろうとしても今は拒絶されていて。息子だけは何とかしてやりたいんですが‥‥」

 娘との再会後、夫の実家に離婚届を送った。夫からは、署名捺印された届だけが送り返されてきた。離婚は成立したが、「おそらくこれから自分の人生の検証をしなければいけない」と慶子さんは話す。

「家を出てから無我夢中で生きてきましたが、実は半年ほど前、家庭持ちの人と関係を持ってしまったんです。一度きりと覚悟していたのに、何となく付き合いが続いていて。その人にはすべて話しました。

こんな私を受け止めてくれています。どっぷりのめりこむのではなく、ちょうどいい付き合いかな。でもね。久々に女であることを実感したら生理が復活したんですよ。女の体は不思議ですね。ちょっと戸惑っています」

 ひとりの生活、新たな恋。この先どうなるかわからない不安を抱えながらも、慶子さんの顔はやはりすっきりと輝いている。
つづく 第九章
 多忙な主婦が五十歳になって知った、淫欲と愛情の快楽地獄