亀山早苗 著
夫に連れていかれた性のけもの道で体験した不安と恍惚
いくつになっても「意外なこと」はあるものだと思う。ある日突然、それまで嫌悪してきたことを目の前に突き付けられて「受け入れる以外、選択肢はない」と感じたり、自分には無理だと思っていたことができるようになってしまったり…。
嗜好(しこう)から信条に至るまで、さまざまな点で、人間は年齢も善悪も関係なく、時として変化することがあるようになった。
自分が信じていた「人生における価値観」「善悪の判断」などは、案外、脆(もろ)いものではないだろうか。
机の引き出しの中の写真
「私が受け入れないと、夫は浮気をし続ける。夫が浮気をしないようにするには、私は言うことを聞くしかないのです」
山本幸代(五十歳)は、色白の顔を曇らせながら話し始めた。二歳年上の夫と結婚して二十四年。夫は会社人間であるが、ごく普通の結婚生活を送ってきた。長男は高校を卒業すると美容師の道へ。今はひとり暮らしをしている。娘は大学生。弁護士になると決めて勉強に邁進しているらしい。
「夫の両親はすでに亡く、私の母だけですが、姉夫婦と同居してうまくいっています。世間から見たら、何の心配もない家庭に見えるでしょう。私自身もそう信じていました。二年前までは‥‥」
四十代になってから、夫との夜の生活は間遠くなっていた。せいぜい年に数回、それも夫が強引に誘ってきたときだけ。夫以外の男性を知らないためか、セックスの不満もなければ期待もなかった。「めくるめく快感」は、別の世界の出来事と思っていたし、憧れを抱いたこともないという。
「パートで働き、趣味も卓球をしたり、図書館で読み聞かせのボランティアをしたり、私なりに充実した日々でした。夫とも、別に冷えた関係ではなかった。私はそう思っていました」
二年ほど前、夫の小さな書斎を掃除しているとき、幸代さんは机のいちばん上の引き出しが少しだけ開いていることに気づく。そのまま閉めようと思ったのだが、なぜか引き出しを開けてしまった。
「それまで引き出しを開けたこともないし、夫の持ち物を点検したこともなかった。なのになぜか、あのときは魔が差した‥‥。そして妙な写真を見つけてしまったのです」
数葉あった写真は、女性を縛り付けたもの、ふたりの男性が女性と絡み合うものなど。今まで彼女が見たこともない「下品な雰囲気」に満ちていた。
「どこから手に入れ、こんなものを見て何をしているのだろうと不快にで、あわてて引き出しに戻しました。でも、それからしばらく経つと、気になってたまらなくなった。半年後、また見てみたら、似たような写真が増えていました」
夫に尋ねてみたかったが、何かが彼女を押しとどめた。「見てはいけないものを見てしまった」という気持ちだけが大きくなっていく。自分の知らないところで、夫は何をしているんだろうと、不安の塊が心に巣食った。
「忘れもしません、一昨年の十一月三十日です。男女が絡み合っている写真を新たに見つけました。女性の両脚の間に男性が顔を突っ込んでいる写真に目が行き、男の背中を見て夫だと確信しました。右肩甲骨のところに大きなほくろあったから。
女性の性器を愛撫している男の手にある痣(あざ)も、夫と同じ。胸がどきどきして、すぐに引き出しを閉めました。でも、どうしても気になってならない。三日後、もう一度確認しました。
たった三日のあいだに写真はまた増えていて‥‥。男性の性器が女性に入るところのアップもありました」
早口で一気にしゃべっていた幸代さんの声が震え、突然途切れた。彼女は大粒の涙をぼろぼろとこぼしている。その時のショックを思い出してしまったのだろう。泣きながらも、彼女は続けた。
「夫が浮気をしているという驚きや、裏切られた衝撃もありましたけど、何より、夫にそういう変態のような趣味があったことに耐えられなかった。中堅とはいえ、夫はあるメーカーの部長です。社会的地位があり、父親でもあるのに、あんな破廉恥なことを‥‥」
もう黙ってはいられなかった。夫が帰宅するのを待って、写真を突きつけた。「あなたは変態だ」と決めつけ、責め立てる。ところが、夫は意外な反応を示したという。
「開き直ったのです。『おまえが性的に満たしてくれないからだよ。浮気されたくなかったら、もっと色気のある女になれよ』と。腹が立ちましたね。夫は私の怒りを無視し、『写真を見て、どう思った?』などと聞いてきたりする。
『軽蔑したわよ』と叫んだら、『少しは感じただろう』って。一緒にいる夫のことが分からなくなった瞬間でした」
倒錯の世界へ連れて行かれ
しかし、夫のことがわからないと悩むのは早かった。さらにもっと大きな出来事が待ち構えていたのだ。
「その一週間後、日曜日の昼間、夫が『とにかく黙ってついてきてほしい』と言い出し、車に乗せられました。行く先は、とあるマンションの部屋。薄暗くて最初は何をしているのかわからなかったのですが、あちこちですすり泣くような声が聞こえてくる。
目が慣れてきたとき、周りで、何組かの男女が入り乱れてセックスをしているのが見ました。私は夫にスワッピングパーティーに連れていかれたんです。びっくりして、どうしたらいいかわからず、夫の後ろに隠れて泣いていました」
私自身、こうしたパーティーの現場を取材したことがあるが、確かに一種、異様な雰囲気ではある。最初は呆然としたり泣き出したりする妻たちも多いと聞く。それはそうだろう。配偶者の目の前で、ほかの異性とセックスするという、通常の価値観からいえば倒錯した世界が目の前で繰り広げられているのだから。
「そこへほかの男性がやってきたんです。私はその人の手を払いました。夫は『楽しめばいいんだよ』と言って、その男性の連れの女性にキスし始めた。カッとしたけど体が動かない。
そのうち夫は女性を押し倒し、胸を揉み出したのです。それを見て、連れの男性も私を押し倒そうとする。何が何だかわからないけど、無性に頭にきて、夫を突き飛ばし、その女性に殴りかかりました。すぐに夫に羽交い締めにされ、連れ出されましたけど…」
全身の血が逆流するほどの怒りだった。なのにマンションを出た夫は、何も言わず、妙ににやにやとうれしそうだった。
「『どう言うこと? 何を考えているの?』と道端で夫に怒りをぶつけました。夫は『取り敢えず車に乗ろう』と。車の中でも、私の怒りと絶望は収まらない。
『あなたがどういう人か、わからない』と叫び続けました。すると夫は、人気のない道に車を止め、助手席を倒していきなり私にのしかかってきた。
抵抗してもやめてくれない。外はまだ明るいし、誰が来るかわからない。そんな場所で無理やり犯されました」
聞いていると私としては、失礼ながらなんとエロチックなシチュエーションに思えてしまう。本当は、少し感じてしまったのではないだろうか。正直にそう言ってみると、険しかった幸代さんの顔がふと緩んだ。
「今思えば…‥脳が興奮しきっているところで無理矢理エッチされたせいか、体は感じたかもしれない。ただ、惨めな気持ちのほうが強かった。夫におもちゃにされている、夫はさらに、他の男におもちゃとして差し出そうとしている。私の前でほかの女性を抱いて侮辱したのかとも思ったし‥‥。その晩、夫と同じ寝室で寝るのを拒みました」
とどまらぬ夫のたくらみ
そのことについて話し合いもないまま、時が流れていった。夫は彼女の好きなケーキを買ってきたり、バラの花を抱えて帰ってきたりする。結婚前に一緒に見た映画やDVDを借りてきて、週末に「見ようと」と言うこともあった。
「夫が何かを企んでいるのか、その時点ではわかりませんでした。一ヶ月くらい経った時でしょうか、夫が、『オレたち、結婚して二十年以上経つんだよなあ。この先ふたりきりだ』としみじみ話し始めたんです。
『あとどのくらい生きるかわからないけれど、どうなら楽しい充実した人生にしたくないか』って。夫のしんみりした口調に、つい、『私もそう思う』と同意しました。
すると夫は、例のパーティーにいたときのことを挙げ、『オレはお前があんなに感情をむき出しにして嫉妬するのを初めてみた』と嬉しそうに言う。嫉妬だったかしら、と私が呟くと、夫は自信ありげに『嫉妬だよ。オレが他の女とするのは嫌だろ』って。
それは誰だって嫌でしょう。嫉妬とは少し違うような気もしたけど、夫が『嫉妬だ。おまえはオレが好きなんだよ』言い張るので、なんとなくその力強い言葉に巻き込まれてしまって‥‥。
『何もしなくていい。オレも何もしない、だからちょっとだけつきあってほしい』と懇願された、またああいうパーティーに連れていかれました」
今度は少し余裕をもって、会場を見渡すことができた。夫婦それぞれがセックスをし始め、途中で男性同士が合図し合って相手を交換するところも目にした。
「夫が静かに言ったのです。『これは信頼し合っている夫婦しかできない。究極の遊びだと思う』と。『私にはわからない。なぜほかの異性としなくちゃいけないのか。苦しいだけでしょ』と言うと、『苦しむということは愛情があるということだよ』って。ますます夫が遠い人に思えました」
見ているうちに幸代さんは、強烈な胃痛に見舞われる。ストレスによる急性胃痙攣だった。だが、夫は諦めない。以来、月に二、三回はそういうパーティーに連れていかれた。
「断固として、いやだと言い張ったこともあります、すると夫は、『オレが浮気してもいいのか』と脅すんです。素直にパーティーに行けば、まるでごほうびのように夫は優しくしてくれる。
家事にも協力的だし、週末には料理までします。夫の単純さには半ば呆れて、行くだけならいいかと諦めた面もありますね、ただ、夫は何も諦めていなかった。半年前、ある夫婦の奥さんのほうに胸を触られました。夫が仕組んだのだと思います。そのまま、交代でご主人に体中を愛撫されてしいました」
オーガズムと不安の狭間
一度してしまえばハードルは低くなる。だんだんほかの男性に触られることに慣れていく、幸代さんはそんな自分が怖くなった。二か月前、彼女はついに一線を越えた。
「その日は、顔見知りの夫婦と『触るだけ』という約束で触れ合っていたのです。しばらくたってふと気づくと、夫はその奥さんとセックスしていた。私は黙って泣くしかありませんでした。
ご主人はずっと私の背中を撫でてくれて。奥さんが『イク―!』と絶叫したときの声がまだ耳に残っています。夫は私のところに戻ってくると、コンドームをはずし、私を押し倒して挿入してきました。実はその時、強烈なオーガズムをしったのです。
体中の痙攣が止まらない‥‥。夫が合図したんでしょう、触れ合っていたご主人にも挿入されて、さらに深く激しい快感が待っていました。
自分がどうなるのかわからなかった。『怖い、死んじゃう』と叫んでいたと、あとから夫が言っていました。その瞬間は、他人の目も夫の気持ちも、何もかもどうでもよくなってしまった」
こんな話をして大丈夫ですか、と幸代さんは私の顔色を見るようにつぶやく。セックスは非常に個人的なこと。どんなセックスをしていようと、それは善悪で判断するようなものではないと私は思っている。そう言うと、彼女は少し安心したようだった。
人前でイキまくったことを恥じたのは、人心地ついてからだ。夫は、これで堂々とスワッピングの道を突き進めると思っていたようだが、幸代さんはむしろ、自分自身がどうなるかわからない恐怖感にとれわれ、それ以来、体調不良を理由に拒んでいる。
「どう考えても、ほかの夫婦の相手を交換し合って、人前でセックスをするなんておかしいと思う私がいるんです。
でも、あの時の感じてしまったのも事実、結婚して二十年以上経ってから、夫の本性というか趣味嗜好がわかったことにも、改めてショックを受けています。
夫婦のふたりで愛し愛されて生きていたいと思っていたのに、私の結婚生活は何だったのだろう、すべてが虚飾だったのか‥‥。夫は私以外の女とセックスしなければ生きていけないのか。夫は夫でなく、家族でもなかったのか。夫が見知らぬ他人に見えて、ものすごい孤独感に襲われます。
同時に、私自身もほかの男性として、ものすごく感じたことが信じられない。あんな私を見て、夫は本当はどう思っているのか、お互い、このまま夫婦としてやっていけるのかどうかという不安も、日に日に強くなって‥‥」
まるっきり価値観の違う世界に突然入ってしまい、その世界の価値観に流されて動いてしまった自分への戸惑いと不信感。誘い込んだ夫の真意が見えない不安――。さまざまな感情の中で、彼女は揺れている。
どうしても嫌なら止めればいい。だが、私が取材で見てきたところによれば、いずれ慣れて。むしろ楽しみ始める女性の方が多かった。幸代さんの夫が言うように、ある意味で「夫婦の究極の遊び」なのかもしれない。
救いなき家庭生活は”できちゃった結婚”から始まった
二十代のころは、「後悔しないように生きたい」と考えていた。
だが、最近は「どう生きても後悔するものかもしれない」と思うようになっている。
恋愛、結婚、仕事、出産、離婚など、女性には人生を左右する出来事がたくさんあり、その選択も自由だ。先を見ずに、ただ「今さえよければ」と直感で選択するといつか後悔するかもしれない。
かといって、「先を見据えて」慎重に考えたからといって、それが幸せに直結するとは限らない。
そして半世紀も生きれば、誰もが否が応でも更年期に突入する。この時期に人生を振り返って、後悔と孤独に苛まれる女性もけっして少なくない。
とにかく女だらしない夫
「五十歳になるころからでしょうか。何もかも嫌になってしまったんです。あの人と結婚したことも、自分が築いてきた家庭も‥‥」
西田美紀さん(五十三歳)は、あまり化粧気のない小さな顔を曇らせた。髪には白いものが目立つ。
「今まで自分のことにかまう暇もなく、家庭に縛られてきました。未だにさほど自由になるお金もありません」
美紀さんは中部地方の。とある市に生まれ育った。高校卒業後、地元企業に就職。二十四歳のとき、高校のひとつ先輩だった男性と結婚した。彼は建設関係の自営業者の長男で、すでに家業を手伝っていた。
「何年も付き合ったわけじゃない。好意は抱いていたけど、恋愛感情が育つ前に妊娠してしまって‥‥。結婚するしかなかったですよね」
長男の嫁は、思った以上に大変だった。舅姑、祖母(舅の母)、さらに夫の弟と妹も同居という環境。美紀さんは結婚前に勤めていた会社で経理の仕事をしていたため、結婚と同時に経理も任された。
「一日三度の食事を作り、昼間は会社で電話番と事務。義弟も義妹もわがまま放題で、夜中に『ごめん、これアイロンかけて』と平気で洋服を出してくる。娘を出産後すぐに、祖母が倒れたので、私は赤ちゃんの面倒を見ながら祖母の介護もしていました。
姑はほとんど何もしませんでしたよ。よく私が倒れなかったと思います。娘の夜泣きがまたひどくてね、夫が『うるさくて眠れない』と怒るから、抱いて近所を一回りすることもたびたびでした。どうしてこんな思いをしなくてはいけないのか、といつも思っていた」
それでも、年月が経つにつれて、少しずつ状況は変わっていく。年子で長男が生まれ、祖母が亡くなり、二年後には次女が生まれた。義弟も義妹も結婚して家を出て行った。
「義弟がいなくなって、少しは楽になりましたけど、そのぶん、舅姑がわがままになっていって(笑)。人生、うまくはいかないものだと感じていました。三十代になると、今度は夫の浮気に泣かされましたしね」
結婚して間もないころから、夫は外で遊んでいることには気づいていた。だが、美紀さんはそれを咎めなかった。何より家庭が険悪な雰囲気になるのが嫌だったし、家族が多いため忙しすぎて、
夫を責める気力も体力も時間もなかったせいもある。だが、見て見ぬふりをしてきたことがかえって良くなかったのだろうか。夫は三十三歳のとき、スナック勤めの二十歳の女性と一緒に行方不明になった。
「心中でもするのではないか、もう帰ってこないのではないかと私は悶々としていたのですが、舅姑はたいして心配している様子もありませんでした。三日経って警察に届けようかというとき、姑は『一週間経って帰ってこなかったら捜索願を出しなさい。それまではダメ』と、
やけに自信ありげに言っていた。たぶん、消息を知っていたのだと、あとから気づきました」
そのとおり、夫は失踪からきっちり一週間目に悪びれもせず戻ってきました。
話はその時だけで収まらない。三年後、今度は別の女性との間に子どもができたことを、夫自身の口から聞かされる。
「なんていうのかしら、そういうことはしていけないとあまり感じていないみたい。しれっと『子どもだけは作らないでおこうと思ったんだけど、彼女が大丈夫な日だって言うから』と、私に言うわけです。
認知して、養育費を出して別かれるということで話がつきました。ええ、私が話をつけたんですよ、彼女の家に行って。でもふたりはなかなか別れませんでしたねえ。
夫は、仕事ぶりは真面目なんですが、とにかく女にはだらしない。少しお金があると、すくに飲みにいって、店の女性やお客さんと知り合っては関係をもってしまう。調子がいい人なんですよ」
帰る場所がないゆえに
家業がそれほど儲かってもいないわけでもないのに、なぜ夫の乱行は続いたのか。姑がいい年をした息子に小遣いをやっていたことも一因のようだ。
「私はあくまでも、西田の家にとっては他人。会社の支出と収入はわかっているけど、夫個人の収入はどうもよくわからないところがありました。舅姑も給料を得ているのですが、そこから夫に流れている分も結構あったのではないかなあと思います」
人間は、どういう状況にもだんだんと慣れていく。美紀さんにとって「夫の浮気」はいつしか習慣となり、家計を圧迫しなければ目をつぶるようになっていった。
「私には、三人の子供が何より大事でした。子どもたちがまっすぐ育ってくれるよう。家の中の雰囲気が悪くならないように気を配ることが、仕事のようになってしまった。
子供たちが育ち盛りのときは、やはりボリュームのあるものを食べさせたいと思っていた。でも、舅姑は『子どもと同じような食事なんてできない』と言い出した。だから一時期は、揉めないよう食事ごとに二つのメニューを作っていたほどです。いまだに、舅姑にお礼の一つも言われたこともありませんが」
夫は外で浮気三昧、舅姑は歩み寄ってくれようともしない。誰もねぎらいの言葉さえかけてくれない。それなのに、どうしてそこまで尽くせるのか、どうしてそこまで頑張れるのだろうか――。聞いていて気分が暗くなってきた私は、美紀さんに素直に問いかけてみた。
「どうしてでしょうね・・・・」
彼女はしばらく何かを思い出すように、口をつぐんで宙をにらんでいた。それからようやく言葉を紡ぎ出す。
「選択肢がなかったんですよ。あのころは、できちゃった結婚というのがとてもみっともないものだと思われていたから、私も戸惑ったし、親は怒って勘当同然みたいな状態でした。帰る場所がない。
子供は増える。私は西田家では他人ですけど、子供達には苦労はさせたくない。だからとどまるしかなかった。とどまる以上は、なるべく諍(いさか)いを起こしたくない。そう思うと、自分が我慢するしかないし、ひたすら尽くすしかなかった‥‥」
美紀さんが四十代に入ると、さらに家族関係に変化が起こっていく。長女は東京の大学に入学し、家を出た。今は東京で働いている、長男は関西の専門学校へ行き、そのまま大阪で就職した。子供たちの話をするとき、美紀さんの顔は穏やかな母の表情になる。
ただ、現在、二十五歳になる次女についてはなかなか触れようとはしなかった。何度か問い直してあとで、彼女はようやく話してくれた。
「実は次女は・・・・、ひきこもりなんです。高校を中退してから働きもせず、フリースクールを勧めても行こうとしない。舅姑と顔を合わせると嫌味を言われるから、部屋から出てこようとしないのです。
私とはたまに話しますが、将来をどう考えているかわかりません。夫が一時期、次女に説教をしていましたが、『お父さん、自分がしたことを振り返ってみなさいよ』と言われてキレた。次女を殴りつけて大騒動になって、それ以来、夫は次女とは話そうとしなくなりました。
『おまえの教育が悪いんだ』とさんざん夫にも舅姑にも言われていますが、次女ももう大人ですから、私のいうことを聞くわけもないし‥‥。頭の痛い問題です」
「がんばりすぎたんですね」
さらに今から四年前、義妹が離婚して実家に戻ってきたことから、家の中はさらに不穏な雰囲気になる。
「戻ってきた当時、義妹は四十三歳。十五歳と十二歳の息子を連れていました。最初は子どもたちを親に預けてスナックで働いていたのですが、子どもたちが荒れたので、舅姑が辞めさせました。
結局、上の子は高校を卒業して東京へ。下の子は、何とか真面目に高校に通っているようです。義妹は私をお手伝いさんと思っているのか、洗濯物を洗濯機のところにある籠にいれておくだけ。私が洗うのは当然だと思っているのでしょう。
義妹の下着まで洗って干し、畳んで部屋の前に置いておく、夫に愚痴ったこともありますが、『そのくらいやってやればいいだろ』と他人事。これ以上、揉めたくないので黙ってやっています」
儀弟は家庭を持って近所に住んでいますが、めったに来ない。昨年、姑が倒れた時も、見舞いにさえ来なかった。
「姑は軽い脳梗塞で、後遺症もなく回復しました。家で退院祝いをしたときは、さすがに義弟一家も来ましたが、さんざん飲み食いして、あげくは余ったものを義弟の奥さんが容器に入れて持って帰りました。手土産一つも持ってこないで、よくああいうことができるなあと思いました」
こんな生活だから、美紀さんの気持ちは休まる暇がない。夫は今も、ときどき浮気をしている。気にならないと言えば嘘になるが、気にしも始まらないというのが本音です、と彼女は言う。
「私は三十歳のときから、夫を拒んでいます。夫はそれをどこかで恨みに思っているのでしょうね。でも、私は子供を三人も産んだし、セックスは必要じゃない。雑誌などで性生活が充実しているという人の話を読んだりすると、世間の夫婦は仲がいいんだなあと羨ましく思います。
だけど、私はもういいんです。夫を拒み続けることが、私の復讐だとも言えますし‥‥。そもそも夫が大好きというわけでもなかった。それが間違いの始まりだったのだと、最近になってようやく気付いたんですけどね」
愚痴と後悔ともつかない美紀さんの独白は続く。
「二年ほど前から体調が悪くて、心療内科に通っています。最初に話をしたとき、先生に『今まで頑張りすぎですね』と言われて号泣してしまいました。
こんなふうに私を認めてくれる人がいたんだ、と思って‥‥。夫にその話をしたら、『医者にかかるほど具合が悪いようには見えないけどな』と嫌味を言われ。あげく『おまえの具合が悪いのはオレのせいだって言うのか。オレにどうしろって言うんだ』と逆ギレされたんです。この人に何を言ってもムダだと絶望的な気分になりのました」
大変だったな、苦労かけたな、ありがとうさえ言ってくれれば、彼女の長年の苦労は報われるのに、夫はそう言わない。もちろん、そう言ってくれる夫なら、彼女もこれほど鬱々としないですむのだろうけれど。女を生かすも殺すも、夫やパートナーの「ひと言」なのかもしれない。
不安が昂じるばかり
「夫はそうやっていつも事なかれ主義、家族の問題にも、自分はかかわりたくないのでしょう。そして、最後には開き直れば私が黙るとわかっている――。夫婦関係を構築することに失敗したのだと思います。生理が完全に止まって一年。めまいや頭痛、そして全身の倦怠感は今も続いています。
性欲は、とうの昔なくしてしまいましたけど、それでもふと誰かに抱きしめられたいと思う時もあります。夫が酔って帰ってきたとき、足元がふらついたので、思わず抱き留めたことがあるのです。すると夫はさっと身をかわして『なんで抱きつくんだよ』と毒づいた。
酔っていたはずなのに、やけに身のこなしが素早かった。あれはショックでした。私が拒絶しているつもりだったけど、夫も私を汚らわしいもののように感じ、拒んでいたのかもしれない…。
男女としての関係はともかく、少なくとも家族としての信頼くらいは抱いてくれていると期待していたけど、それも私の錯覚だったことを思い知らされました」
それ以来、美紀さんには時折、パニック障害のような症状が表れるようになった。道を歩いていて突然、不安が昂じ、うずくまってしまうのが始まりだ。美容院でも発作を起こしたこともあり、二度と美容院に行けなくなった。
「医者には日常的なストレスをため込んでいるからだと言われますが、どうすればいいのかわからない。夫はしょっちゅう近所のスナックでストレスを発散させているようですけど‥‥。
舅姑も、もう八十歳になろうとしているし、次女のことも、義妹のことも、考えれば考えるほど、私の不安は昂じていくばかりです」
心配しても始まらない。人生において何か起こった時、その対処法を考えるしかないのだから。もちろん、それは彼女にもわかっている。「それでも不安になってしまう自分を情けなく思っている」とつぶやいた。
別れ際、美紀さんは小さな声で、しかし、はっきりとした口調で言っていた。
「私、夫しか男は知らないのです。夫以外の男性とちゃんと恋愛をして結婚できていたら、今とは違う人生があったはずだと、最近、そればかり考えてしまう。
高校時代、片思いだったあの人はどうしているんだろう、とか。そんなことを思って見てもどうしょうもないのに‥‥。私なりに必死に頑張ってきた人生だったけど、何一つ報われなかった。それが虚しくてたまらなんです」
絶望の淵の私を救った”ある仕事”―その快感と高い代償
以前、四十代のAV女優を取材したとき、「この世界、女性は百歳まで募集があるんですよ」と聞いて驚いたことがある。それなりに需要があるからだという。その後、私は「六十歳になったらデビューした」と祝いで友人に笑われた。
が、半分は本気だ、希望として、正直言うと、心のどこかに「そういう形であっても、自分を女として認識でき、なおかつ求められたらうれしい」という気持ちがあるからだろう。
人生観が変わる紹介先
「ときどき、私、自分は何をしているのだろうと思うことがあります」
沢口和美さんは、都心のカフェで困惑したようにそう言った。
事前にその日着てくる洋服を聞いていたので、すぐに彼女と特定できたのだが、とても五十一歳には見えない。肩まで伸ばしている、ウェーブがかかった上品な栗色のつやつやしているし、姿勢もいい。三十代後半でもとおるくらい、溌剌(はつらつ)とした女性に感じられたのだ。
だが、話を聞いているうち、彼女の苦悩が想像できないほど深いことがわかっていく。
「私、二年前から、風俗で働いているのです。彼女から聞いていますよね」
和美さんは共通の知り合いである、今回の紹介者の名前を出した。私は頷いて、「デリヘルですよね」と確認する。
和美さんは、四歳年上の夫と結婚して二十五年になる。社会人の息子と大学生の娘がいる。
「この年で風俗に働いていると言うと、よほどの事情があるみたいですけど、きっかけはたいしたことはありません。二年前、昔のパート先で親しかった女性と、ばったり会ったのです。
私と同い年なのに、やけに明るく、きれいになっていました。一方、そのころ私は。ホットフラッシュがひどく、気持ちが常にいらいらしていて。生きていても仕方がないと毎日、鬱々とした気持ちで暮らしていました。パートも辞め、必要最低限の家事だけをやって‥‥。ひきこもり主婦だったのです」
そんな話を友人にすると、「働いていた方がいいわよ。気も紛れるし、人と接していないと世間が狭くなっちゃう。いいパート、紹介するとわ」と言われる。
「人生観がかわるような仕事」という彼女の自信にあふれた言葉を信じ、仕事の内容もわからないまま事務所に連れていかれた。
「簡単な面接をされて、そのまま採用になりました。そこで初めて、仕事の内容を説明されたのです。ホテルで待機している男性のもとに行ってサービスをする仕事だと、驚きましたよ、もちろん。
一度帰って考え直します、と言いかけました。だけど面接してくれたその若い男性の感じがよくてね。風俗業界の人に対して、それまで偏見を持っていたけど、つい結婚生活のことを話ししまいました」
和美さんは、二十六歳のときに職場結婚した。ごく普通の結婚生活だったが、四十歳の声が聞こえるころから、夫との夫婦生活は激減。社内で業績を認められた夫が仕事多忙を極め、出張も増えたことからだ。
一時期は、国内問わず、月に三週間は家にいなかったほど。もともと仕事のことは家で話さないうえに、子供たちも大きくなったため、話題も少なくなる一方。
たまに夫が家にいても何をしいいかわからない。そうしたことが積み重なっていくうちに、どこかしっくりこない夫婦となっていた。
「いつも寂しくて寂しくてたまらなかった。病院の更年期外来にも行きましたが、医者が寂しさを癒してくれるわけじゃない。心配させたくなかったから、子供たちは医者通いを話していません。
私は何のために生きているのだろうと一人で考えると、絶望的になってしまって‥‥。だからでしょうか、事務所の男性と話しているうちに、自分を変えるためにやってみてもいいかなと、思い直したのです」
本当に落ち込んでいるとき、人はふとしたことで気持ちが変わる。私も、それほど親しいわけでもない女性と話していて、急に号泣してしまったことがある。仕事関係でも友人関係でない適当な距離感が、私の本音を引き出したのだろう。
相手の女性には申し訳ないが、私自身は急に憑(つ)きものが落ちたように気が楽になった。だから和美さんが、事務所の男性にするりと心を開いたのがよく分かった。
「私は性的に飢えていたわけではないと思うんです。いつもなら、世間体を考えるタイプなのに、それもまったく意識しなかった。違う世界を見ていたのかもしれません」
自分が壊れていく
とりあえず、ということでその日から仕事を始めることにした。一度帰って考える時間を持てば、恐れをなして「やっぱりやめます」ということになると、事務所の男性はわかっていたのだろう。
「事務所近くのホテルで、四十代の男性が待っているから行ってくれと言われて。一応、どんなことをするか手順を聞かされました。
事務所側は、『この人は常連だから、いろいろ勉強していらっしゃい』という感じでしたね。もちろん、本番はなしという約束でした。なのに、この最初のお客さんと私、セックスしてしまったのです」
結婚して以来、一度だって浮気などしたことはない。二十五年以上、ほかの男に触られたことのない女性が見知らぬ男性と体を交えるというのは、どういう感覚なのだろう。私がそう尋ねると、和美さんは苦笑しながら答えてくれた。
「まず男性とふたりきりでホテルにいるという状態が不自然な感じでした。最初にホテルに到着したという連絡を事務所に入れ、お金をもらう。相手はもうシャワーを浴びていたというので、
私もシャワーを浴び、事務所で借りてきたキャミソールに着替えて。ローションやオイルを使って体をマッサージしたり、あとは手や唇や舌でサービスしたり‥‥。それで相手が終わる、というのがこの仕事の流れのはずでした。
だけど『あなたはとても魅力的だから我慢できない』と言われて。優しく胸を触られているうちに、だんだん変な気分になってきました。
それでいつの間にか、そんなことに。彼を好きになったわけじゃないけれど、嫌なタイプではありませんでした。だけどねえ。自分がそんなことまでするとは思っていなかった」
「仕事だから、という意識もあったのでしょうか」そう問うと、和美さんは遠い目をして、必死に思い出してくれた。
あったかもしれませんね、でも、どちらかというと、それまでの自分に考えられない状況に、判断力を失っていたという方が正しいかも。夫とは、いつしたかわからないような感じだったから、久しぶりに男性に触られていつの間にか気持ちよくなってしまったし。
相手がお客さんなのに、その人、とても丁寧に私を扱ってくれたの。セックスって楽しいものなんだと初めて知ったような気がします。あんな状態で初めて知るなんて、ちょっと悲しいけど」
料金のほかに二万円のチップをもらった。”買われた”という感覚はなかったと和美さんは言う。「正当な報酬」と思うしか受け止めようがなかったのかしれない。
「その日はそれで帰りました。なにが何だかわからないような一日でしたも。帰宅してからソファに沈み込んでしまいました。妙な緊張感から解放されたのと、やはり後悔の念に苛まれて。
夫は『オレが食わせてやっている』というようなことは言わない人だけど、やはり仕事をがんばっているのも私たち家族のためでもある。なのに私は、夫を簡単に裏切ってしまった。
子どもたちに合わせる顔がない。自分が壊れていくような感覚もありました。どう言ったらいいのかしら。私が絶対だと信じていたものが心の中でガラガラと崩れていくというか‥‥」
「セックスは愛する男性とするものだ」とか、「愛情のないセックスは感じるはずがない」とか、「既婚女性が簡単に夫を裏切るはずがない」とか。
そういった既成の価値観に、実は人は縛られている。もちろん、縛られているからこそ家庭の秩序が保たれるし、自分自身もある意味で守られている。そこから飛び出したとき、おそらく誰もが和美さんのように悩み、苦しむのではないだろうか。
「最近、生き生きしてるね」
それでも和美さんは、仕事を辞めなかった。なぜだろう。
「いろいろ理由はあります。ひとつにはこれも仕事なのだから、勝手に辞めてはいけないと思ったこと。それから、もちろん『妻であり母であるとう立場上、いけないことだ』と頭では思っていても、
自分の心の奥底では嫌いじゃなかったこと、『残りの人生を考えたら、そろそろ好きなことをしてもいいじゃないか』と私の中の悪魔がささやくのです。家事も子育ても楽しかったですよ。
結婚したことを後悔しているわけでもない。だけど、どう言うのかなあ、これまた縁というか。説明がつかないんですけど、ここで辞めたらむしろ後悔する、という気持ちがなぜか強かった」
週に三回ほど仕事を続けた。あるとき、娘に、「お母さん、最近、前と違って生き生きしてるね」と言われたという。自分でも気づかなかったし、むしろびくびくしながら続けていただけに、この言葉は意外だった。後ろめたさが少しだけ払拭された瞬間だったという。
仕事も、実入りよりむしろ、どんな人と出会えるかという楽しみが勝っていく。男の弱さやずるさも、つぶさに知るようになった。
「奥さんがセックスを拒むから来るという人もいるし、もう奥さんじゃ興奮しないから、という人もいる。仕事の息抜きという男性も多いですね」
そこで和美さんは、急に言葉を切った。少しだけ目が潤んでいる。
「実は十年ほど前、夫が出張先で女性を買ったことを知っていました。夫のスーツから女性の名刺が見つかった。でも私、夫には何も聞かなかった。真実を聞くのが怖かったから。ただ、そのころから夫とセックスしても感じなくなっていたのです。
自分が接客側に回ってみると、お客さんは気軽に来ているだけ。妻を裏切っているなんていう気配はみじんもありません。夫も出張先でふと息抜きをしたくなっただけなのかなと思ったりします。そういう意味では、社会勉強になりますね」
一年後、店を移った。今度は「熟女専門店」が売り。彼女は四十二歳ということになっている。
「もちろん本番なしが原則ですけど、気に入ったお客さんに口説かれると、つい『チップくれる~?』と言ってセックスしてしまうことがあるんです。気持ちは割り切れないのに、割り切ろうとしている自分がいる、と気づいたのは数カ月前。
私、何をしているのだろうと恐ろしくなりました。もし娘が風俗で働いていたら、私は首に縄をつけても連れて帰る。では自分だったらいのか。子どもたちが私の仕事を知ったら、どれほど傷つくか‥‥」
急に怖くなった彼女は、私と会う一か月ほど前、また店を変わったのだという。
ところがその三日後、とんでもないことが起こる。
みんな孤独なんだな
客が待っているというビジネスホテルへ赴き、ドアチャイムを押すと、中から顔を出したのは知り合いだった。
「夫の後輩です。家にも何度か来たことがある。彼はお父さんが亡くなって家業を継ぐことになり、会社を辞めたのですが、そのとき夫に相談に来ていました。あわてて『ごめんなさい、部屋を間違えて』と言いましたが『沢口さんの奥さんじゃないですか、どうしたんですか』なんて言われて。
焦って、『宝石関係の営業をしていて、このホテルの顧客が待っている』なんて、ありそうもない嘘をつきました。立ち話もそこそこに事務所へ電話し、事情を話して別の女性を派遣してもらったのです」
夫が彼と今も親交があるのかどうかわからないが、いつばれるとも限らない。和美さんは戦々恐々とした日々を送っている。それなのに、仕事を辞めようという気にはなれないという。
「客観的にみれば、私は自分を売っているわけです。好きでもない男のあそこをしゃぶり、夫とはしたことのないような淫(みだ)らなことをしている。堕ちたものだと思います。なのに辞められないのはなぜなのか、自分でもわからない‥‥。
お客さんが喜んでくれると、仕事という枠を超えた喜びがあるし、女としてみてもらっている心地よさもある。誰かの役に立っているような気にもなります。それに正直言って、セックスの快感から抜け出せない。危ない橋を渡っているのは、わかっているのですが」
個人的には風俗と言う仕事の功罪を問うつもりはないし、妙な倫理観を振りかざす気もない。ただ、結婚して子供もいる和美さんにとって、リスクは確かに大きい。
「お客さんと話をすると、私だけじゃなくてみんな孤独なんだとおもいます。男も女も関係なく孤独。ただ、お客さんたちは仕事を持ってお金を稼ぎ、余暇を作り出して来ている。
しょせん、私は誰かに本気で求められているわけではない。人生において、私は何を目指し、どこへ行こうとしているのか、それが見えてなくなっていることに、最近、ちょっと焦りがあります」
自分は何のために生きているのか。そこからくる絶望感なよって、風俗という世界で仕事をするようになった和美さん。だが仕事に慣れた今、また迷いの道に入っている。人生にはいくつになっても、戸惑いと悩みの連続なのかもしれない。
行くも帰るも地獄、燃えさかる不倫愛は十年で突然幕を閉じ
婚外恋愛、いわゆる不倫の恋をして男女から、「いつかは別れるしかないのかもしれない」と嘆く声をよく聞く。別れるか、それぞれ離婚したあとに再婚するか。
その二つしか選択肢がないように思われているが、誤解を恐れずに言えば、「不倫のまま続ける」という道もある。茨(いばら)の道であろうけれど。
十三年前の忘れ物
「いつかは別れることになるかもしれない。いつもそれが頭にありました。ただ、こんな別れが来るとは予想もしていなかった‥‥」
ぐっと噛み締めた唇が震えている。
柴田直子さん(四十九歳)は、やつれきった表情で、化粧気のほとんど感じられない、小さな白い顔を歪めた。東京で生まれ育った彼女は大学生の時、一つ年上の先輩である敏和さんと恋に落ちる。
「結婚するつもりだったのに、つきあって六年ほど経った二十六歳のころ、彼が急に私を避け始めたんです。理由を聞いても話してくれない。苦しかったですね。結局、彼はそのまま海外に転勤し、音信不通になりました」
失意の日々のなか、同僚の男性が近づいてくる。穏やかな性格で周りの信頼も厚い彼のプロポーズを、直子さんは縋(すが)るような気持ちで承諾した。
二十八歳で二歳年上のその同僚と結婚、退職して専業主婦に。ふたりの男の子にも恵まれる。その後の結婚生活を「可もなく不可もなく、平穏無事に」送っていた。何度かの転勤を経て、十二年ほど前に夫が本社勤務に戻ったのを機に、東京でマンションを買った。
下の子が小学校へ上がったころからパートで働き、都内に落ち着いてからはカルチャースクールで以前からやりたかった刺?(ししゅう)も習い始めた。「ごく普通の、どこでもいる平凡な主婦」だったのだ。
ところが、今から十年まえ、彼女が四十歳を目前にしたころのこと、人生が変わってしまう出会いがあった。
「私たちの詩集のグループ展を開くことになり、会場を探しにきょろきょろしながら繁華街を歩いていたのです。そうしたら、「直子!」という男性の大きな声が聞こえて‥‥。
声のほうを見ると、敏和さんが立っていたんです。驚いて声も出なかった。ただ呆然と、ふたりで立ち尽くしていました」
そのまますれ違うわけにはいかなかった。ほんの三十分ほどではあったが、喫茶店で向き合う。連絡先を教え合い、再会を約して別れたとき、直子さんの心の中には、若い頃の熱い気持ちが甦った。
「翌日、彼から電話がかかってきました。午後から代休なので会いたい、と。私も十三年ぶりに見つかった忘れ物を取りに行かなければいけないような気がして‥‥。彼の指定したホテルのティールームへすぐに駆けつけました」
彼の変わらない笑顔に胸がどきどきした。自分自身が長い間抑えてきた気持ちが一気に噴出した、と直子さんは言う。
「『どうして私を避けたの』。聞きたかった一言を、とうとう口に出しました。彼は少しきょとんとした顔をして、『きみがほかの男とつきあい始めたんだろう』って、いろいろ聞いてみたら、私の友達が彼にそう吹き込んでいたことがわかりました。
彼女、敏和さんに片思いをしていのです。彼は彼女のこと何とも思っていなかったけど、彼女のいうことを信じてしまった。別れたのは、結局、単なる誤解によるものでした。今さら知ってもどうにもならない事実を知って、悔しくてたまりませんでした。
『私にはあなたしかいなかったのに』と、思わず言ってしまいました。すると、彼も『オレも本気だった。だから辛くて自分から海外への転勤を申し出たんだ』って。気持ちが昂揚(こうよう)して、思わずぽろぽろ涙がこぼれてきて‥‥」
彼は直子さんの手を取った。当時と変わらない、大きな温かい彼の手。彼女はその手を握り返した。
「十五分後には、そのホテルの部屋で抱き合っていました。いいとか悪いとか考える暇もなかった。とにかく、あの頃のふたりに戻ってしまって、お互いを貪るように体を重ねるしかなかったのだと思います」
年齢も立場も忘れていた。長い年月、心の隅にあったもやもやしたものを開放すかのように、彼女はセックスに没頭したという。
「彼は『ずっと直子のことが忘れられなかった。好きだよ、今も大好きだよ』と言いながら、激しく体を打ちつけてくる。私は夫とは感じたことのないような絶頂感を覚えて、泣きながら『私も好き、大好き』と繰り返していたような気がします」
この人しかいない。直子さんはそう思った。彼も同じ言葉を口にしていた。
「子供が成人したら」
行くも地獄、帰るも地獄。不倫の恋はそういうものだろう。彼にも家庭があり、ひとり娘はその当時、八歳だった。
「彼とはそれから月に数回、会うようになりました。会えば会うほど、体の相性がとんでもなくいいことが分かっていく。もちろん、気持ちもどんどん傾いていきました。
彼と一緒になりたい。本気でそう思っていたし、彼もそう言ってくれたけど、お互い子供が小さかった。
『大人の勝手で子供たち犠牲を強いていいのか』、ふたりでさんざん話し合いました。結論が出ないまま、月日が経っていく。
メールや電話で毎日のように連絡を取り合っていましたけど、それでも会いたくてたまらない。最初の一年ほどは、特に気持ちの浮き沈みが激しかったですね」
一年経ったころ、「このままの関係を誰にも知られないように続けて行こう。子供が成人したら離婚して一緒になる。それを目標に頑張っていくことはできないだろうか」と彼が提案した。直子さんも同意する。それがいちばん現実的な方法だと思ったから‥‥。
「彼に会うと嬉しくて泣ける。別れるときは寂しくて泣いてしまう。携帯電話だけを命綱に、会えない日々を耐え忍びました。夜が来るたび、『彼は今ごろ、奥さんを抱いているに違いない』と思って、辛くてたまらない。
でもばれると彼に会えなくなるから、『夜中と週末の電話やメールはやめよう』と話していました。彼に会うためにだけに残りの日々を生きる。そう考えるしかなかった」
当時の自分を振り返ると、けっしていい母親でもいい妻でもなかったと直子さんは言う。彼に再会するまでの彼女は、子供達に対して、過干渉とも言えるほど関心を向けていた。
ところが、彼と会うようになってからは自分の気持ちを持て余し、以前ほど子供たちにあれこれ言わなくなった。結果的には、過干渉を続けるよりかよかったかもしれないが。
家庭がすべだった彼女は、少しずつ変わっていった。今までだったら夜、夫が手を伸ばしてくれば必ず応じていた夫婦生活も、時折拒むようになっていく。
「夫とは週に一度くらいはしていましたが、彼と再会してからはしたくなくなって。三回に一回は断るようになりました。できればもうしたくなかった。だけど夫には何の非もないから、しないわけにはいかない。
あるとき夫が『オレのことが嫌いなのか』と言ったことがあります。『そうじゃないの、だけどこの頃身体が疲れて』と言い訳しました。子供からも、少しずつ自分の気持ちが離れていく。それがいいことか悪いことかよくわからなかった。常に心ここにあらずという状態でした」
再び音信不通になった
彼にこう告げたこともある。
自分は家庭生活を続けるのがもう無理かもしれない、と。
「彼は『オレも家で君のことを思って悶々とすることがある。苦しいのは君だけじゃない。だけどオレたちは大人なんだから、今を乗り越えなければ、幸せにはなれない』と言うんです。
私のことを愛してないのねと泣いたけど、しっかりしろと励まされました。今思えば恋をしてうれしかったことよりも、生きていく力さえなくしそうになることの方が多かったような気がします――」
つらいけれど会いたい。会えばうれしいけど、別れるときは前の別れより辛い。それでも生きていれば、いつか一緒になれるかもしれない。それだけが心の支えだった。そうやって三年経ち、五年経ち、とうとう十年経ってしまう。
「『再会してから十年経つ、今度、ふたりでお祝いしよう』と彼が言いました。それが半年前。そして、それが彼に会った最後でした」
直子さんはそう言ってうつむいた。握りしめた手に涙が落ちる。
「ある日突然、連絡が取れなくなったのです。メールしても返信がない。数日待っても何も言ってこないので、電話しました。呼び出し音は鳴るのに出ない。
数日後にまた電話をすると、『この電話は現在使われておりません』と。何が起こったのかわかりませんでした。どうしたらいいのかもわからなかった」
彼の職場は知っていたが、電話をかけても居留守を使われるかもしれないと思うと、怖くてかけられない。自宅の電話番号は知らなかった。一週間が経ち、二週間が過ぎるうちに、「私は捨てられたんだ」と気がついた。
「独身時代に六年、再会してから十年付き合った女を、こんなふうに捨てることができる男だったのかと絶望しました。奥さんにばれて携帯を取り上げられ、別れると誓ったのだろう、と。私はそれから、食べることも眠ることもできなくなりました」
一ヶ月後に、学生時代の友達から連絡があった。
「なんと彼、亡くなっていたんです」
お祝いしよう、と言った数日後、彼は心臓麻痺で急死していた。あまりに急で、昔の友人たちまで連絡が行き渡らなかった。
学生時代から親しかった別の彼に連絡を取ろうとしたが携帯につながらなかったため、会社に電話かけて知ったのだという。そこからようやく、当時の仲間たちに訃報(ふほう)が伝わっていった。
「彼が死んだということが理解できなかった。友人たちがお悔やみに彼の自宅に行こうと誘ってきた。でも当日、どうしても家から出られず、行けませんでした。
彼の遺影を見て、骨壺(こつつぼ)を目にしながらお線香をあげると考えただけでも、体が震えてしまって‥‥。どうしても彼の死を受け入れたくなかった。
お悔やみに行った友人の話よれば、彼の奥さん、とてもやつれていたそうです。娘さんが『ものすごく仲のいい夫婦だったから、母が心配で』と話していた、と聞いてまたショックで。友人に根掘り葉掘り、奥さんのことを尋ねていました」
彼は本気だったのか?
最後に会った翌々日の土曜日の昼間、敏和さんは夫婦行きつけの近所のレストランでランチを取った。帰宅後に急に眠くなったと、リビングのソファでうたた寝。
奥さんは洗濯物を取り込んだりバスルームを掃除したりと家事にいそしんでいた。二時間ほど経って彼の様子を見ると、何かおかしい。そのときはすでに息をしていなかったという。
「うちはそれほど仲のいい夫婦じゃないよ、と彼はよく言っていました。だけど実際には、土曜日にレスントランでランチをするほど仲良しだった。ランチですよ、ディナーじゃない。それがすごく衝撃でした」
直子さんの気持ちがわかるような気がした。ディナーならば、夫婦の記念日などに、ある種の行事としていくかもしれない。だが、週末のランチを外でとるというのは、よほど仲のいい夫婦でなければしないことだと思う。
「彼は本当に私を愛していたんだろうか、いつか一緒になる気でいてくれたんだろうか。そればかりが気になって。だけどもう尋ねることもできない。その後、ふと気づいたのです。私。彼と連絡がとれなくなってから、何度もメールをしている。留守電にメッセージを残している。
奥さんはそれを見たでしょう、きっと。信じていた夫に女がいたわけだから、どう思っているのか…‥。嫉妬と、申し訳ないという気持ちの両方で、私はおかしくなりそうでした」
直子さんの目から、またぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「かけがえのない人でした。だけと気づいたら、私は彼の写真さえ持っていない。これから何を支えに生きていったらいいのかわからない。今は心療内科にかかっています。
夫には更年期症状がひどいと訴え、パートは辞めたし家事もろくにしていない。申し訳ないと思うけれど、気力がわかないのです」
直子さんは、今でも彼の死を認められないでいる。事実を受け止め、気持ちを整理するにはまだまだ時間がかかるのだろう。
「彼は本気で私と付き合っていたんでしょうか。どう思いますか?」
直子さんはそう言って、真っ赤な目で私をひたと見つめた。
「本気でなかったら、それほど長いあいだ、付き合えなかったと思います」
私にはそれしか言えなかった。妻のことを愛していたのかもとれない。だが、直子さんに対しても本気であったはずだ。どちらかを選ぶことなどできなかっただけかもしれないが、彼の立場になってみれば、どちらも好きだったのだろうと想像せざるを得ない。
「彼の気持ちをいちばんわかっているのは直子さんでしょう?」
最後にそういうと、彼女は声もあげず、いつまでも涙を流していた。
つづく
第六章
六十九歳の母は今も女全開、娘の私は反発心から男を忌避し