閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたい

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第四章

本表紙 亀山早苗 著

近所の人妻の虜となった夫、私は”性の劣等生”に苛まれて

仕事と実益を兼ねて、「お見合いパーティー」潜入してみようかと思ったことがある。調べてみると、多くの年齢で区切られており、なぜか、女性の「四十七歳から五十四歳」がすっぽり抜け落ちていることに気づいた。

五十五歳からは「シニア部門」としてまた求められるようになる。いわゆる「更年期年齢」の女性だけが対象外なのだ。

 年なんて気にする必要はないと世間では言われているが、実際にはこうやって差別しているのだから、更年期の年齢の私たちが落ち込むのもやむを得ないのではないだろうか。

 男性として魅力があるとは

 越野綾子さん(四十九歳)からメールを貰ったのは、半年前のことだ。
「夫が浮気していたことが分かり、私が守ってきた生活がめちゃくちゃになりまいた」
 
 と書かれていた。夫婦仲はどうあれ、配偶者が他の異性と関係を持っていたことがわかったとき、誰もがまずは衝撃を受ける。そこから少しずつ気持ちを立て直し、配偶者との関係をどうするかを考えていかなくてはならない。いずれにしろ、知ってしまった方にとっては”地獄の始まり”と言えるだろう。

 何度もメールのやり取りをした末、綾子さんに会った。首都圏の新興住宅地に住む彼女は、短大を出て就職、三年後に四歳年上の彼と社内結婚をした。

「当時は女性が辞めるという暗黙の決まりがありました。だから私は退社して専業主婦に。社宅住まいをしながら、子どもの成長後はパートに出、家計を助けてきたんです。私の世代としては典型的な生き方かもしれませんが」

 「つまりは典型的な幸せな家庭だったわけでしょう」
 私は心からそう言った。現在、二十四歳、二十一歳、十九歳の子どもたちがいる綾子さんを、そしてそういう人生を心の底から羨ましく思う。

「夫は会社人間です。子どもたちが病気をしようが私の具合が悪かろうが、大事な会議があれば会社に行ってしまうような人。それは仕方ないと私は思っていましたけどね。

十年ほど前に今の一軒家を手に入れたときは、ふたりで『頑張ってきたよね』としみじみ話しました。

上の娘は看護師、二番目の息子は大学生、一番下の娘は浪人中ですが、元気に育ってくれた。特別なことがあるわけではないけれど、これが平穏無事な人生というものだろうと実感していのです」

 それなのに、一年前、綾子さんの夫が浮気に気づかれてしまう。今まで気になっていた夫の欠点と言えば、少し短気な所、ときどきの深酒くらい。「浮気なんてするはずがない」とずっと思っていた。

「信じたいというのとは少し違うのでしょうね。するはずがない、という根拠のない確信というか‥‥。男性として魅力があるなんて、思ってもいなかった。

私の怠慢と言われればそうなんでしょうけど、四半世紀も連れ添った人を、改めて男としてどうかなんていう目で見ないと思うんですよ」
 それが「妻」の本音かもしれない。

 グロスたっぷりの唇が‥‥

 一年前のある日。深夜、ふと綾子さんが目覚めてリビングに行くと、テーブルの上に無造作に置かれた夫の携帯がチカチカと点滅していた。夫はソファでだらしなく寝ている。

「その日は仕事のつき合いで遅くなると聞いていたので、私は先に寝ていました。夫はとどき、泥酔したままソファで寝てしまうことがあります。ただ、もう四時ごろ。こんな時間に電話だがメールだかをしてくるのは誰だろうと‥‥。いけないとは思ったのですが」

 思わず夫の携帯を開き、来ていたメールを読んだ。そこには口では言えないような言葉が書いてあった、と綾子さんはうつむく。「セックスに絡むことだろう」と予測しながらも、先を促す。

「そうです‥‥。『さっきはすごく感じた。意識がなくなったわ。すればするほど感じてしまう』とか、『あなたはすごい』とか。何度も読んだから覚えてしまって。今思い出しても腹が立ちます。メールには『ルリ子』と署名があってハートマークがついていたんですよ。

そのメールを私の携帯に転送してから削除し、会社の若い子かと思って夫の年賀状を調べたけど、ルリ子なんていう人はいなくて。そうこうしているうちに朝になっていた。しかたなく、何食わぬ顔をして夫を送り出しました」

 怒りと不安で何も手につかなかったが、夕方、買い物に行こうと家を出ると、近所の主婦がふたりで立ち話をしている。挨拶をしながら通り過ぎるとき、「ルリ子さんがね」という言葉が耳に入った。

 近所にいたんですよ、ルリ子さんは。近くにいすぎて、ピンとこなかった。だいたい彼女は夫より年上だし、近所でも我儘だと評判の奥さん。年齢の割には派手な服を着て、メイクも濃い。

男性に好かれて同性には嫌われるタイプですね。まさかあんな女と、と信じられない気持ちでした。ご主人は町内会の役員も務めている人格者です。周りがみんな、『あのダンナさんがよくあんな奥さんで我慢できる』と言っているくらい――」

 それまでおとなしかった綾子さんが、激しい口調でルリ子さんのことを話し始めたので、私はつい彼女の顔を見つめてしまう。自分でも気づいたのだろう、彼女は苦笑した。

「嫉妬でしょうね、きっと。だってルリ子さんは私より七歳も年上なんですよ。近所でそんなことをしたら、いったい何を言われるか‥‥。いい年して、もっと分別があってもいいはずじゃないですか。

そのときはそう思ったけど、実は夫と彼女のこと疑ったことのある人が、周りでは少なからずいたようです。知らぬは女房ばかりなりということかもしれません。本当にバカにされたような気持ちでした」

 五十歳に手の届く女性が、七歳年上の女性を年齢で批判するのもどうかという気がするが、おそらく綾子さんのプライドを支えたのは「私の方が若いのに」という一点だったのだろう。このあたりに女性自身の「年齢に対する複雑な気持ち」が見え暮れする。

 その後、綾子さんは何度か夫のメールを盗み見て、ルリ子さんとの関係を確信する。そして夫に何も言わず、ルリ子さんに会いに行ってしまう。相手も既婚者、話せばきっとわかってくれると期待したのだそうだ。

「電話もせずに、いきなり訪ねて行きました。彼女は上がらせてもくれず、玄関先で自分の長い髪を指に巻き付けながら、『何の用?』って。『うちの主人と別れて下さい』と言ったら、

『お宅のご主人とは身体の相性がすごくいいのよ。彼、とってもいいモノお持ちだし』と流し目で私を見ながら笑うんです。私は頭に血が上って、『ご主人に言いますよ』と叫びました。

ところがあの女は『うちはお互いの自由を認めていますから、告げ口したところで夫は別に何とも思わないでしょうね』とグロスたっぷりの唇を光らせる。そのグロスと真っ赤なマニキュアが目に入って、また腹が立って‥‥」

 とても太刀打ちできる相手ではなかった。すごすごと家に戻ると、夫が帰宅していた。その顔を見ると、猛烈に怒りがこみあげてきた。すべてをぶちまけ、しまいには殴りかかった。

「ごめん」
 最後に夫はそう言って土下座したと言う。

「夫が『彼女は魔性の女だ。わけのわからないまま性的に強烈に惹かれていた』と呟きました。その言葉に私には、妻のお前には女らしさを感じないという意味に聞こえた。くやして『あの女とどういうセックスをしたのよ』とねちねち責めました。

夫は答えず『二、三回しかしていないし、二度と会わない。許してほしい』と涙ぐむばかり。泣いたりわめいたりしましたが、結局、私も水に流そうと決めました。

夫はそれからも普段通り生活をしていましたが、私はどこかでしこりを残してぎくしゃくして。それでも夫の好きな料理を作ったり、一緒に散歩に出かけたりと関係修復する努力はしたんです。でも、ただひとつ、性生活だけは受け入れられなかった。もともとあまり好きなほうでもないし、彼女との関係を知ってからはよけいに‥‥」

 ルリ子さんのグロスたっぷりの唇が、おそらく夫のあそこを咥(くわ)えただろう。ぬめった夫の性器が、ルリ子さんのあそこに入っていって‥‥。綾子さんは何度もその夢を見てうなされた。
 そして、仲直りを求める手を振り払う日々が続いたという。

 「おまえが拒み続けるから」

 三ヶ月ほど前、夫がまだルリ子さんと会っていることがわかった。
「近所のおせっかいな奥さんが、『いっていいかどうかわからないけど、ルリ子さんとお宅のご主人が、隣の駅前にあるホテルへ入って行くのを見たのよ』とひそひそ教えてくれたんです。

知りたくなかった。でも知ってしまった。またカーッと血が逆流するような思いでした。そのおせっかいな奥様のおかげで、夫とルリ子さんの関係が、数回だけというものではなく、実は二年以上も続いていたと知りました。

近所の居酒屋でいちゃついていたこともあるらしい。夫は、彼女と別れるつもりなんかなかったかもしれません。結局、私は夫にも彼女にも見くびられていたんですよね」

 その晩、綾子さんは夫に詰め寄る。「いったい、どういうつもりなのか、みっともないと思わないのか」と。すると夫は冷静に言葉を返してきた。

「あれ以来、会ったのは一回だけ。それもおまえがセックスを拒み続けているからだ。彼女は何時でも受け入れる」

 開き直りもいいところだ。『セックスさえできれば誰でもいいのか』と綾子さんは責めた。だが夫はそれ以上、話そうとしない。苛立った彼女は、とうとう台所から包丁まで持ち出して大立ち回りを演じてしまった。

「夫があんな下品な女に身も心もはまっていると思うと、ただただ悔しくて。そのときは子どもたちに抑えつけられましたけど、夫を殺そうと思ったのか、自分が死んでやろうかと思ったのか、それさえもはっきりとしない。

もしかしたら、夫への小さな不満がずっと溜まっていたのかしら。あるいは自分が、あの下品な女より下に見られたことへの怒りとか‥‥。いろいろなものが積み重なったあげく、一気に爆発したのかもしれません」

 結婚以来、あれほど大声を出して泣き喚き、夫に向かっていったのは初めてだという。彼もさぞ驚いたことだろう。

「その後、夫は、娘や息子に『いい年して、いいかげんにしてよ』とたしなめられたようです。娘に聞いたところでは、夫は夫で『みっともない』という私の言葉に反応してしまったらしい。

自分のことより世間体の方が大事なのか、と。でもねえ、何処で誰が見ているか分からないのだから、大人としての行動をとってほしいというのが普通でしょう? そう反論したら、『お父さんは、お母さんの愛情を感じられなくてイライラしているんじゃない?』と娘に言われて、ドキッとしました。

 性生活を受け入れなかったのには、私なりの理由があるけれど、私が拒否し続けたことが、夫が彼女と縒りを戻す原因になったのかと思うと、何とも言えない虚しい気分になりました」

 子どもたちが、もうすっかり大人になっていることを実感させられたできごとでもあった。だが、さすがにいちばん下の娘にとっては刺激が強すぎたようだ。夫婦仲の悪化が原因で(と綾子さんは思っている)大学受験に失敗、浪人を余儀なくされた。

 私が知らない快楽を知る女

 それ以降、夫とルリ子さんとの仲がどうなったのか、綾子さんは確認していない。
「たぶん、切れているとは思います。夫は今もごく普通に生活しているし、私もなるべく何もなかったように接している。

何度か夫のベッドに入って行こうと思ったこともありますが、体が動かないんです。夫ももう誘ってきません。あと三十年くらい生きるとしたら、ずっとこのまま仮面夫婦みたいなわけにもいかないし、いつかは何とかしなければいけないとわかっているのですが」

 長女は、ふたりで旅行に行くことを勧めてくれるが、受験勉強中の次女を残して出かけるわけにもいかない。

「夫は彼女との関係が、『性的なことに引きずられただけ』というような言い方をしていました。それが本当だとしたら、私との性生活はつまらなかったと言うことですよね。

今になって、そんなことも気なってきて‥‥。『妻』というのは、いったい何なんでしょう? 四半世紀も連れ添ってきたけれど、私は夫の何を知っていたのだろうと思います」

 がっくりと肩を落とす綾子さんに、私は何も言ってあげられない。もうひつ、彼女の真意がつかめなかったからだ。奔放に性を楽しんでいるように見えるルリ子さんへの嫉妬はないのだろうか。「感じる」とメールしてきた彼女への対抗心は? 夫への苛立ちと、ルリ子さんへの同性としての嫉妬、どちらが重いかのか・・・。

おそるおそる尋ねてみると、綾子さんは空をにらみながら、まるで何かを読んでいるように平坦な口調で言った。

「わかりません。ただ、あの女は、たぶん私の知らない快楽を知っている。女として比べられるのが怖くて、夫とはできないかもしれません」

 これが彼女の真意かどうかはわからない。今はまだ、気持ちが整理できない状態であるだろう。ルリ子さんが、綾子さんの思うほど、「性的な快楽を知っている女」かどうか。それは、誰にも分らないことだ。

 これまでの結婚生活、女としての人生を考えたとき、性的快感――しかも強烈な絶頂感を知っているかどうか。それが幸福感や充実感のひとつの基準となりうるのだろうか。私自身、綾子さんの話を聞いて混沌(こんとん)としてしまった頭で、ぼんやりとそんなふうに考えていた。

 介護バトルの末、夫を見限り、縋る五十代にして初めての恋

 昔の話であるが、末っ子の長男と結婚していたころ、嫁姑関係は私にとって大きな問題だった。夫の家族から押し付けられる「長男の嫁」という役割が苦痛でならない。「彼の妻にはなったが、そちらの家の嫁になった覚えはない」と反抗もした。

可愛い嫁を演じようと思っても、若さによる意固地さから、自分を欺けなかった。結婚は個人の問題と考える私と、家の問題と考える彼との間に、大きな亀裂が生まれ、やがて離婚した。

 それ以来、周りで起こる親の介護の話を聞くにつれ、「夫婦はどこまでもいっても、他人なのかもしれない」と身につまされる。

 母を引き取ることを拒まれ

「私も夫婦は他人だと、結婚生活の折々に感じさせられてきました。他人に気遣いせず、お互いに嫌なところばかり見せあってしまう。だからだんだん愛情も薄れてくる。私の場合は、もう夫には関心がありません。寂しいけど、それが正直な気持ちです」

 そう話してくれたのは、加賀友里恵さん(五十二歳)。関東のある県に生まれた彼女は、両親の離婚により、母ひとり子ひとりで育った。新聞配達のアルバイトをしながら高校を卒業し、都内の企業に就職した。

「会社の支援を受けて、週に三回ほど経理関係の専門学校に通わせてもらいました。ずっと働きづめだった母を楽にさせてあげたい。その一心で必死でしたね。結婚にはまったく憧(あこが)れを持っていなかったと思います」

 デートに誘ってくる男性もいたが、恋愛には発展しなかった。週末は、母とゆっくり過ごすのが何よりの楽しみだったという。だが、彼女が二十代後半になると、母の方が焦り始める。

「独身の娘を残したまま死ねないとなんて言いだすようになって‥‥。『それなら結婚相手を探して来て』と冗談を言ったら、本当に見つけてきたんです。

三歳年上のまじめなサラリーマンで、会ってみると感じも悪くない。安易だったけど『お母さんがいいなら』と結婚を決めてしまいました」

 二十九歳で結婚、翌年には双子の男の子に恵まれ、専業主婦となる。夫は多少、自分勝手なところがあるが、家のことには口に出さないので、かえって生活はしやすかったという。

「ごく普通の家庭生活だと思います。夫はバランスのとれた人だから、口げんかをしても、決定的なことは言わない。一日たてば何事なかったように元通り。子どもを中心の、どこにでもある家庭でした」

 状況が変わったのは、彼女が四十歳のとき。七十歳になる母が倒れたのだ。

「母はひとり暮らしで、そのころも週に三回くらいパートで仕事をしていました。うちから一時間ほどのところに住んでいたので、週に一度は訪ねていましたが、具合が悪いとは知らなくて‥‥。

近所の人が倒れている母を発見して救急車を呼んでくれたそうです。私は何をしていたんだろうと、自分を責めました。切なくて辛くてたまらなかった」

 元気だからと油断していても、母は確実に年を取っている――。それを思い知らされたと友里恵さんは言う。母は脳溢血だったが、左半身にわずかな麻痺が残っただけで、三か月後には自宅に戻った。

「ゆっくりなら、自分のことはできる母は言うけど、私は心配でたまらなかった。幸い、うちは一戸建てを買ったばかりで、部屋はあります。『母を引き取りたい』と夫に言いましたが、いい顔はされませんでした。

『一生のお願いだから』と何度も頼んだけど、あのときの彼は頑(かたく)なで‥‥。家の中に他人がいたらくつろげないと言うのが彼の言い分。大きな距離を感じた瞬間でした。

近くに住まわせようと思いましたが、母は近所に友だちがいるから引っ越したくない、と。気を遣っていたのでしょう。あるときぽつりと『あんたと一緒に暮らしていたころは楽しかったね』と言ったことがありました。本当は私と住みたかったんだと思います」

 なるべく母の元へと足を運んだが、当時は子どもたちが小学生だったこともあり、思うようにはいかない。一年後、母はまたも脳溢血を起こし、たったひとりで死んでしまった。

「夜中に発作を起こしたようなので、一緒に住んでいても気づかなかったかもしれない。みんなそう言って慰めてくれたけど、私は悔しくてたまらなかった。興奮して、夫に『母を見殺しにしたのはあなたよ!』と言ってしまいました。夫は黙っていたけど・・・・・」

 何かも私に押し付けるな

 二年後、今度は夫の父親が亡くなる。ひとりになった自分の母を、夫はすぐに引きとると宣言した。

「お姑さんは元気だし、近くには夫の姉と妹も住んでいる。心配ないのに、夫はどうしても一緒に住むと言い張りました。『私のときは反対したのに、あまりにも勝手じゃない?』と言うと、『この家はオレの家だ』と。ああ、この人はこういう人だったのかと、私は結婚したことをものすごく後悔しました。

絶望的な気持ちでした。母のお墓の前で何度泣いたことか‥‥。
『あんたはもう、加賀の家の人なんだから。気にしなくてもいいよ』と、母の声が蘇りましたが、私は夫を許せなかった。

死んでしまいたいと思い詰めたこともあります。でも、子どもの存在が私を押しとどめました。母ひとりで必死に私を育ててくれた。私も子供たちを守らなくてはいけない、母が私にしてくれたようにと思って・・・」

 友里恵さんは絶句して、ハンカチで目をぬぐった。自分の気持ちだけではどうにもならないことが、人生にはある。それにしても悔しかっただろう。

誰にとっても、本音で自分の親と相手の親とでは重みが違う。それでも結婚したからには、どちらかに比重が偏るのは不公平なはずだか。

 夫婦間に決定的な亀裂が生じたことを感じつつも、姑と暮らすしかしかたないなら、なんとかうまく生活していこうと、友里恵さんは心を砕いた。姑はことあるごとに、自分の娘たちと嫁とを比べる。孫たちが野球に夢中になっているのを見ては皮肉をいうので、双子の息子たちも祖母を避けるようになった。

 四年ほど前、息子たちはそれぞれ、北海道と東京にある、希望の大学に入った。都内の理系大学に入った次男は一緒に暮らしているが、アルバイトだの実験だのと夜が遅い。「今日は友だちのアパートに泊まる」というメールを寄越すことも多くなった。

「そこうしているうちに、三年くらい前でしょうか、姑が倒れたのです。脳卒中でした。かなり重症だったため、寝たきりで認知症も起こりました。夫は家での介護を望みましたが、私は拒みました。

『専門家でもないのにできない。強要するなら私家を出ます』と。私が出て行けば、介護はもとより、家事ができない夫も困るわけですよ。凄絶(せいぜつ)なバトルが続きましたが、義姉や儀妹たち家族が集まったとき、
『嫁に面倒見てもらうより、本当の娘たちに見てもらった方がお姑さんも幸せだと思いますけど』と言ったら、義姉と義妹は顔を見合わせていましたね。

何もかも私に押し付けるなという言外の意図を察してくれたんでしょう。結局、施設に預けることになりました。復讐するつもりはなかったけど、夫はあとで『おまえの勝ちだな』って…‥。ここまで夫婦関係が壊れると、もう修復はできないのかなと漠然と思いました」

 家庭に絶望する男と女

 施設の費用や息子たちの学費の足しという名目で、友里恵さんは近所のスパーのパート勤めを始めた。本当は、ようやく自分の時間を持てるようになり、外に出たくなったのだという。

「久しぶりに世間に出て、開放感を覚えました。独身時代は母のために、結婚してからは家族のために尽くしてきた私の中に、自分のために生きてもいいんだという気持ちが、生まれて初めて芽生えてきた。

職場の人間関係は難しい所もあるけど、家族関係に比べれば距離がとりやすい。むしろ、いろいろな人が入るから楽しかった」

 蘇ったように晴れやかな日々を送る友里恵さんは、職場である男性と知り合った。鮮魚部門で働く賢次さんだ。

「毎日顔を合わせているうちに、自然と話すようになりました。私は魚が好きなので、帰りに買うときも、彼に頼んで三枚におろしてもらったり。『だんなさんが魚好きなの?』と聞かれて、思わず「夫なんて」と吐き捨てるようにつぶやいたことがあるんです。

彼はそれからずっと気になっていたと、後で話してくれました。『あんたも家庭に絶望している人なのかと思った』と」

 ふたりとも家庭に居場所がない。互いの心の穴を埋め合うように惹かれた。夫が出張、息子が帰ってこない日、賢次さんと偶然、帰り時間が同じになった。

「私から『軽く何か食べにいかない?』と誘いました。彼とふたりでゆっくりと話してみたかったんです。近くの居酒屋に行きました。何を話したかは覚えていないけど、とにかく楽しかった。

あんなに笑ったりしゃべったのは、高校生のとき以来かもしれない。彼に対して構える必要はなかったのです」

 彼は十三歳年下。両親はすでになく、妻の実家で暮らす。子どもはいない。以前、彼が失業したとき、妻の両親が物心両面で助けてくれた。今のスーパーの仕事も紹介してくれたのも、妻の父だ。

それだけに、義父母は彼に恩を着せ、妻もどこか夫を見下す態度を取るという。「僕はただの便利屋。家庭に居場所はないんだ」と嘆く彼の言葉を聞いて、友里恵さんは、「この人のために力になりたい」と心から思ったそうだ。

 友里恵さんの五十一歳の誕生日、彼は「ふたりきりで祝いたい」と言ってくれた

 夫も息子も、私の誕生日など忘れている――。彼女は彼と過ごす決意をした。

「レストランで食事をしました。彼は予約時に私の誕生日だと告げていてくれたようで、食事の後にケーキが出されて…。彼の温かさを感じました。そのまま初めてホテルへ。罪悪感はなかったけど、もう何年もセックスレスだったから、男性に抱かれる自体が怖かった。

彼と結ばれたとき、涙が止まらなくなりました。彼は涙を全部、キスして拭ってくれて、『僕にとって初めての恋だと思う』と。私にとってもそうだと思いました」

 燃え上がる気持ちは止めようがなかった。だが、妻に財布を握られている彼の経済状況を、友里恵さんはわかっている。そうそう外でデートを重ねるわけにもいかない。

 月に一度、休みを合わせて、昼間からホテルで過ごした。お互いをどんなに欲しているかわかっているのに、一緒にいられる時間が少なすぎる。いっそ自宅に彼を招き入れようかと友里恵さんは考えたが、さすがにそこまでのリスクは冒せなかった。

「いろいろ考えた末、アパートを借りることにしました。駅から遠ければ安いアパートがたくさんある。借りたのは四畳半一間。トイレは共同、シャワーもないけど格安です。それなら私のパート代でなんとかなる。

彼に言うと、涙ぐんで喜んでくれました。それ以来、お互い携帯メールで連絡を取りながら、時間に合わせてそこで会っています。

ときには丸一日、部屋で過ごすことも。彼が食材を買ってきて、料理をしてくれたり‥‥。家財道具も何もないけれど、彼とひとつの布団にくるまっていればいい。それが私の幸せです」

 自分が生きてきた証を求めて

 そんな生活を始めて一年過ぎた。彼と会って帰宅すると、夫がすでに家にいることもある。
「叔母が長期入院中なので、そういうときは見舞いに行ったと嘘をつきます。夫は私の親戚関係には興味がありませんから、ばれる心配もないし。

でもある晩、帰ったばかりの私とすれ違ったとき、夫が『おまえ、なんだか生臭いな』と言ったことがありました。いつもは彼と抱き合ったあと、お互いに体を拭き合うのに、その日は遅くなって急いでいたから拭いていなかった。

夫の言葉にドキッとしました。『今日はスーパーで魚屋さんを手伝ったから』と言いましたが。すんなり嘘が付けるようになった自分に少し驚きました」

 五十代として始めての恋。友里恵さんは冷静にいようと心がけているが、彼とのあいだでは、「いつか一緒になりたいと」という言葉まで出るようになっている。

「彼は若い。いつか私に飽きるかも知れない。その恐怖はあります。もう生理もまばらだし、彼の肌のハリを見ると、嫌でも自分の年齢を思い知らされますしね。

でも彼は、『妻の親を看取れば、僕の責任は果たしたことになる。そうすしたら一緒になろう』と言ってくれる。私は、彼とならいつ死んでもいいと思っています。息子たちももう大学を卒業しますから、私がいなくてもやっていけるでしょう」

 先が見えない不安な恋に、ときに押し潰れそうになりながら、友里恵さんは踏ん張っている。

「本当は今すぐに死んでしまってもいいの。いつか彼に捨てられるくらいなら、そのほうがずっといい。でも、彼が愛してくれるうちはふたりでいたい‥‥」

 最初と最後の恋に、まるで自分が生きてきた証を求めるように、あるいは夫への復讐のように縋りつく友里恵さん。この歳になってからの恋にしがみつく気持ちが、私にはよく解る。

 もう後はないのだ。彼を失ったら‥‥。彼女の幸せが長く続きますようにと祈らずにはいられない。

 姑。浮気。DV、借金――三人の夫が去った

 かつて「人生五十年」と言われた時代があった。今は人生八十年。ひたすら老いに向かう残り三十年をどうやって過ごそうかと考えると、居ても立っても居られないような不安に駆られることがある。

「結婚していれば孤独感は癒される」とは限らない。「子どもがいれば幸せな老後が待っている」とも限らない。わかっていながら、それでも敢えて「ひとり身は侘しい」と思う。

「子どもを売って」離婚をし

 私より少し年上の独身女性に会った。浅野遼子さん(五十五歳)だ。三回の結婚と離婚を繰り返したが、今なお魅力的で、恋愛もバリバリ現役だと聞いていた。実際、彼女は
輝くような笑顔で挨拶をしてくれたが、話が進むにつれ、表情は次第に暗くなっていった。

「私は関西出身で、短大卒業後、大阪の企業に就職しました。二十三歳のときに、社内恋愛で五歳年上の人と結婚。彼のお祖父さんは官僚で、お父さんは銀行のお偉いさん。私は商店の娘ですから、家柄が釣り合わないと、あちらのお母さんは反対だったようです。

彼が押し切ったから結婚できたものの、親との同居が条件。ただ、実際に生活をともにしてみると、彼はお姑さんの言いなりでした。私は仕事を続けていましたが、給料をお姑さんに預けなくてはいけない。納得がいかなくて、何度も夫とケンカしました」

 そうこうしているうちに遼子さんは妊娠。会社を辞めて専業主婦になる決意をした。
「子どもが産まれたら夫も変わってくれる。あわよくば義父母と別居できるかも知れない、なんて思っていました。

でも、それは甘かった。結局、何も変わらなかった。男の子だったので『跡取りができた』と、あとらの一族は大喜びでしたが、誰も私をねぎらってくれない。

『私は産む機械じゃない』と夫に言ったら、『みんな祝ってくれているんだよ。何が不満なの?』って…。どこか人の気持ちに鈍感な人でしたね」

 息子が小学校に入ったころ、遼子さんは離婚する。原因は、義父母との折り合いの悪さではなく、夫の浮気だった。

「息子が生まれてすぐ、私の妊娠中に夫が浮気していたことがわかったのです。その後も、相手は変わりましたが、浮気三昧。夫は優しいのではなく、単なる優柔不断で、女性を見るとついフラフラしてしまう人だった。

『女房が怖いって彼が言っていましたよ』と浮気相手に電話で言われたこともあります」

 夫の一族が集まり、「子どもを置いて行くなら離婚してもいい」という結論が下された。遼子さんは頑なに拒む。身の回りの荷物を持って。帰宅すると息子を学校前で待ち伏せした。息子の手を引いて連れ去ろうとするところを、見張っていた姑に阻止された。

「息子は泣き叫びながら車に乗せられて、私は姑にぶたれました。子供と離れることはできないと思って帰宅すると、家に入れてもらえない。姑が出てきて、今すぐ離婚届に判を押せと迫られたのです。

『これ以上、息子を苦しめたくない。それに私とふたりきりの生活より、経済的には苦労しないはず』‥‥。そう観念して判を押すしかなかった。姑はにゃっと笑って、百万円の束を私の前に落としました、帯封がついたままの新札‥‥。

拾い上げるとき、涙が止まらなかったのを覚えています。結局、百万円で、息子を売ったようなものなんです」

 これは初めて話すことです。と遼子さんはつけ加え、目を潤ませた。二十数年前の記憶、昨日のことのように甦ってきたのだろう。遼子さんはそのまましばらく黙り込んだ。私も、かける言葉が見つからない。しばらくたって。遼子さんはまた少しづつ口を開き始めた。

「離婚したのが三十二歳。そのころ私の実家では兄夫婦が仕切っていたから頼れない。仕方なく、そのまま東京にでてきました。やり直すなら知らない土地の方がよかった。そうでないと息子の事が気になって、また学校で待ち伏せしそうだったから…。

東京に着いた日、小さなビジネスホテルに泊まりましたが、外のネオンがチカチカして眠れなかった。わびしかったですね、いつか息子に会える日のために、頑張って生きていかなくては――。自分にそう言い聞かせるしかありませんでした」

 二十三年前といえば、日本はバブル景気の真っ盛り。遼子さんも、幸いすぐに仕事が見つかった。

「流通関係の会社でした。当時はかなり大量に女性を採用していたのでラッキーでしたね、最初は売り場担当でしたが、三年後には本社で商品企画に携わるようになりました」

 後戻りはできない、とにかく仕事で成果を出すしか、自分の生きる証を?むことはできない。その思いが、彼女を仕事に駆り立てた。

 DV夫との怒涛の日々

 三十六歳のとき、二度目の結婚をする。相手は、行きつけの小料理屋で知り合った、関西出身の男性だった。

「二つ年上で、彼もバツイチでした。子どもは奥さんが引き取ったとか、似ていたんですよ、境遇が。遠慮なく関西弁も使える。それがお互いの気持ちがわかり合えるような気になったのでしょうね。

彼は小さな工場に勤める、まじめな職人。ただ、結婚して三ヶ月も経たないうちに、本性を現すようになりました。ストレスがたまると暴力を振るう人だったのです」

 ある晩、残業を終えて帰ると夫が待っていた。テーブルの上には食事の支度がしてある。
「思わず『うわ、すごい』と言ったのです。すると夫が『何だ、その口の利き方は』って。意味が分からなくて『え?』と振り返ったら、いきなり殴られました。しゃがみ込むと、今度は蹴飛ばされて…。

殴る蹴るがどのくらい続いたか分かりません。気づくと夫は私を抱きしめて、『きみを傷つけるつもりはなかったんだ』と、子どもみたいに泣きじゃくってた。

そして私の体中に優しくキスし、『遼子はオレのものだよな』と言いながら、それまでないくらい長く激しいセックスをしてくれたのです。私、何度も何度もイッてしまいました。あれほど感じたことはなかった‥‥」

 遼子さんはため息をつき、細い指でコーヒーカップを取り上げた。
 典型的なDVだが、彼女は気づかなかった。「夫は小心者で自分を表現するのが下手だからストレスがたまり、それが爆発したのだろう」、そう思っていたという。

だが、次は二ヶ月半後、その次は二ヶ月後と、暴力をふるう間隔が狭まっていく。しかも、一度暴れ出すと、とどめなくなるようになっていった。

「顔だと目立つから、彼はお腹や背中、太ももなど、外からは見えないところを集中的に殴るのです。でも、そのあとは涙ながらにたっぷり愛してくれるんです。

だけど結婚して一年半後、肋骨を二本骨折、さらに殴り飛ばされて拍子に壁にぶつかって左肩を脱臼。自力で燐家に駆け込んで、救急車を呼んでもらって…‥。

病院で医者やカウンセラーにいろいろ聞かれて、じっくり諭されて少しずつ目が覚めていきました。結局、夫を暴行で訴えたのです。そのとき義兄が初めて、『前の結婚も暴力が原因で破綻した』と‥‥。

『でも今度は大丈夫だと思っていた。申し訳ない』と頭を下げられました。そのまま離婚です」

 急激に惹かれあって、怒涛の勢いに巻き込まれるようにしてお互いを求め合った関係――。「運命の人」だと、遼子さんは信じていた。だが、結果は悲惨だった。

「私も彼も、どこか心が荒(すさ)んでいたのかもしれません。殴られても蹴られても、それが彼の愛情だ、私でなければ彼のことは解ってあげられないと信じていたんです。

カウンセラーには『共依存だ』と言われました。その後も私自身、彼への未練が断ち切れず、休職してカウンセリングに通うしかありませんでした」

 結婚生活を送っていたマンションを出て、小さなワンルームに移る。しかし、彼女自身がそれまで貯めていたお金は、ほとんど彼に使い果たされていた。

「預金もないし、会社から出るのはごくわずかな給料。とても生活できず。近所のスナックでアルバイトを始めました。アットホームな店だったので、ママや常連さんたちと話をするうちに、少しづつ立ち直っていったような気がします。

そういえば四十歳の誕生日は、スナックでみんなが祝ってくれたんです。嬉しかったわ、あれは。でもやっぱり寂しからは逃げられなかった」

 四十四歳、女ひとりでの再出発

 強くないお酒におぼれる毎日だった。そんな彼女を救ってくれたのが、スナックによく来ていた男性。五歳下なのに、やけに落ち着いて構えている彼に、遼子さんは酔うと絡んだ。だが、彼は決して怒らず、ひたすら愚痴を受け止めてくれたのだという。

「今度こそ大丈夫かもしれない。そんな気がしたんです。半年ほどで私は会社に復職し、彼と一緒に客としてスナックに行くようになりました。周りも温かく見守ってくれたので、一年ほどの交際で結婚を決めて‥‥。
四十二歳のときです。ようやく穏やかな結婚生活を送れるとほっとしたのですが」
 
 結婚してすぐ。金融機関の会社から、やたらと督促状が新居に配達されるようになる。そして、彼に一千万円もの借金があることが判明した。とんでもない浪費家だったのだ。付き合っている間の彼の金銭感覚は、ごく普通に見えたのだが――。

「彼に問いただしても、使途は言わないのです。ただ、どう考えても一千万円の借金は普通じゃない、スナックのママに彼と話してもらったら、『結婚して一緒に返してもらおうと考えた』と白状したそうです。絶望しました。

私には男を見る目がない。離婚する気力も、引っ越すお金もない。そのまましばらく一緒に住んでいました。彼はぬけぬけと私を抱くんです。突っぱねるほど私も強くなれなくて、そんな自分が情けなくて‥‥。

見るに見かねたのでしょう、スナックのママがお金を出して引っ越しさせてくれました。『私にも責任がある。あんな男とずるずる一緒にいたら、あなたがダメになるわ。しっかりして、お願い』と言われて。本当に目が覚めました」

四十四歳.女ひとり、本当に再出発だと思った。
「ぎりぎりでしたね。四十代前半って、まだ三十代の気分を引きずっているから元気があるでしょ。私の場合、それから仕事に全力を尽くしました。ただ、五十歳を目前にしてからは、

頑張れば頑張るほど、喜びも大きいけれど、その後の虚しさも付きまとうようになっていき…。仕事は順調だけど、私の女としての人生はまったく満たされていない。仕事と私生活と落差があればあるほど、つらくて悲しくて‥‥」

 同じような気持ちを抱いている私は、ただ深く頷いて、共感の気持ちを表すしかない。
 だが、遼子さんなら、恋愛のチャンスはたくさんあったはず。やっとそう言うと、彼女はため息をついた。

「妻子持ちの男性と何度か付き合ったことはあります。相手が家庭を持っていれば、私も執着しないですむ、お互い必要なときだけあって楽しめばいい。そんなふうに思った時期もある。だけどそのうち、『食事してホテルに行って――』というパータンが、虚しくなっていく。裸になって抱かれて、何もかも忘れられるのはその一瞬だけ。

一度脱いだストッキングを、もう一度穿(は)き直すときの、なんともいえない冷え冷えとした嫌な気分を、もう味わいたくないと思った。結局、五十歳を過ぎてからは、セックスとは縁遠くなりました」

 なぜ誰にも愛されないの!?

 更年期に入っても、それほどひどい症状には悩まされなかった。一年ほど肩こりと頭痛が辛かったくらい。生理もすっかり止まった。それでも決して枯れてしまったわけではない。
今も、誰かと一つのベッドで愛されたいという思いが募ることもあるという。

「平日はまだいいんです、仕事があるから気がまぎれる。帰りに同僚や部下と軽く一杯飲むこともあるしね。そういうときの私は、ただの”明るいおばちゃん”と思われているんじゃないかしら。

そう演じている部分もあるし。だけど土日は悲惨です。することもなく、口を利くひともいない。男性は風俗に行けば身も心も紛れるんでしょうけど、女性はそういう場がありませんからね‥‥」

 遼子さんふっと口をつぐんで、誰も聞いていないことを確認するように周りを見渡した。そして小声でつぶやく。

「軽蔑されるかもしれないけど私、ネットでバイブレーターを買ったんです。使ってみたら性能がいいから、一瞬、体は満たされる。でも何度も使っているうち、もっと虚しくなっていきました。

なぜ私は、誰にも愛されなかったのか。私の愛し方が間違っていたか‥‥。あとで後悔しないように正直に生きてきたけれど、今は自分を全否定する考え方しか浮かんできません」

 ふと、最初の婚家に残してきた息子に思いを馳せることがあるそうだ。すでに三十歳になっている息子に会いってみたい。年々、その欲求は強くなっていく。だが、自分から連絡するほど、

「面の皮は厚くない」。今さら名乗り出ても迷惑がかかるだけだと思うから‥‥。

「二度目の暴力夫のこともよく思い出します。彼とはいちばん心の奥深くでつながっていたのかもしれない。今でもそう思う。でも、すべては過去のこと。そして人は思い出だけでは生きていけない。いくつになっても前向きにというけれど、なかなか難しいことですよね」

 遼子さんは、何かを耐えるような表情のまま、笑顔を作った。いくつもの悲しみを乗り越え、今は自分自身の孤独と闘っている彼女が、なぜかまぶしく見える。

つづく 第五章
 夫に連れていかれた性のけもの道で体験した不安と恍惚