閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたい

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第三章

本表紙 亀山早苗 著

ピンクバラ友だちの浮気を密告したセックスレス妻のほの暗い嫉妬心

 最近、「女として下降線をたどっている」という気持ちが強まるにつれ、妙に自意識が高まってきたような気がする。不安の裏返しなのだろうか。若く見られたいが若作りはしたくない。

物欲しそう、さもしく思われたくないのに、女として見られたい、誰かに愛されたいあまり、自意識過剰になって、結局、内にこもっていく。相反する気持ち、欲望と理性が常に心の中で戦っている状態だ。

 数ヶ月前、とある会合の帰り道。たまたま自宅の方向が同じ男性がいて、一緒の電車に乗った。十歳ほど年下の彼とは初対面だった。彼は、「二人で飲み直しましょうぉ」「どこか行きましょう」と何度も誘ってくる。

相手は酔っているのだからと適当にあしらっていたが、あまりのしつこさに辟易(へきえき)し、最後は降りたくもない駅で「急用があるから」と降りてしまった。

 その後で、自分の行動にショックを受けた。十年前なら「いいかげんにして」と言えたのに、もっと強気に出られたのに、それができなかったからだ。

 いや正直に言えば怖かったのだ。強く拒絶したときに、「女として見てるんじゃないよ」と言われるのが・・・・・。

 そもそも女として自信があるわけでもない私ですら、年齢に負け、自尊心を削られていく。そう気づいたとき、いかに自分が「女であること」にこだわっているかが分かって愕然とした。

 乳母で教育係で家政婦

「身近な人間である夫に、『お前を女として見られないんだよ』と言われたときのショック、想像がつきますか?」

 都心のカフェで向かい合った金沢玖美子さん(五十一歳)は、少し口元を歪めながら、そう話し始めた。神奈川県に生まれた彼女は、都内の短大を卒業後、金融機関の企業に就職。二十七歳のときに二歳年上の男性と職場結婚して退職した。大学生の長男と専門学校に通う長女がいる。

 そんなふうに言われたのは十三年前、深夜、ふと寂しくなって夫のベッドに潜り込もうとした時の事だった。

「それまでは年に五、六回は夫婦生活があったんです。セックスはしなくても、私が夫のベッドに入ると抱きしめてくれることもあった。だけどそのとき、夫はそう言って拒絶しました。

ケンカした勢いで、と言うことならまだわかるけど、淡々とした言い方だったので、よけい傷ついたんです。その一言があってから、夜の生活は一切なくなりました。

誘ってこないし、私も彼に触れなくなった。ツインベッドでお互い、背を向けて寝ている状態です。あの時期、彼に誰か好きな女性がいたのかもしれません。証拠はないけど、帰宅が遅かったり週末も仕事だと言っては出かけたこともありましたから」

 夫の言葉の真意を探ることは、怖くてできなかったと言う。けっして夫婦仲が悪いとは思っていなかっただけに、どう対処したらいいかわからなかったのだろう。

「夫の態度は、その後も変わりませんでした。もともと無口な方だけれど、話し掛ければ相槌くらいは打ってくれる。ただ、私の頭の中には『自分には女としての魅力がないんだ』ということだけが強烈にインプットされました。

まだ三十代でしたから、離婚という言葉も浮かびましたけど、専業主婦だったから現実的には離婚したら生きていけない。あれからずっと、私の心はすっきり晴れないままです」

 逆に玖美子さん自身は、夫を男として見ていたのだろうか? そう尋ねると、彼女は少し考えてから、言葉を選びつつこう言った。

「子どもたちにとっては父親だから、恋人に感じているようなドキドキがあったわけではないけれど、私は夫の中に”男”を感じていました。だけど夫から見れば、私は子供たちの乳母で教育係であり、家政婦であり、家の中をまとめてくれるマネージャー的な存在でしかなかったかもしれません」

 夫の真意が分からないだけに、玖美子さんの心は自分を卑下する方向に行くしかなかったのかもしれない。

 “女の致命傷”に塩を塗られ

 それでも日常生活は滞りなく進めなければならない。家事をこなし、子どもたちの言動に目を配り、ときには将来についての悩みの話し相手になる。母として妻として、自分なりに頑張ってきたつもりだと、玖美子さんは言う。

「でも心の中には常に、『私は女としてはダメなんだ』という気持ちがあって、いつも黒い霧が垂れこめているような感じ。このままじゃいけないと思い、五年前からパートに出るようになりました。

通販関係なんですが、女性パートが多いので、話ができる友人もできて‥‥。夫の浮気に悩まされている人もいれば、姑にいびられている人もいる。暴力を振るう夫とやっと別れて再婚したら、今度は夫の浪費家で借金ばかりを重ねている、なんていう人もいます。

女の人生って、本当に多種多様なんだなあと思いました。私だけが辛いわけじゃない、と少し救われる面もありますね」

 三年ほど前の真冬にある日、職場でひどいホットフラッシュに見舞われた。ついに来たか、とは思ったが、その時は何故か、夫への恨みが心の中に湧いてきた。

「更年期症状は誰にも現れるのかもしれないけど、夫が私を愛してくれないから、こんなひどい目に遭うんだと思ってしまったのです。もちろん冷静に考えてみればそんなことは関係ない。

だけど、十年以上セックスをしていない、男性に触れられていないということが、女の致命傷のような気がして‥‥。そこへ更年期がやってくると、私としては最後通牒を突き付けられているとしか思えなかった」

 ホットフラッシュは今でも断続的にある。不眠もひどく、食欲のある時とないときが交互に訪れる。病院に行くつもりはなかったのだが、一年ほど前、パート仲間に勧められて更年期外来を訪ね、症状は少しずつ落ち着いてきているという。

「ちょうど病院に通い始めた頃、短大時代の友達と会う機会がありました。今までみんな、子どもや家庭に縛られて、なかなか自分の時間が取れず、せいぜいメールのやり取りくらいしかできなかった。でも、当時、仲良しだった五人グループのリーダー的存在だった女性が音頭を取ってくれて、全員が久しぶりに集まることになって――」

 五十歳の女性が五人、平日の昼下がりに都内のレストランで会った。みんな揃ったのは、三十代後半で再婚した仲間の結婚式以来だ。

「自分のことは棚に上げて言うけれど、若く見える人もいれば、年齢以上に老けて見える人もいるんですよね。私はどう見えるんだろうと不安を覚えました。

でも、昔から友だちですから、話せば若い頃のままの雰囲気に戻ることができた。年齢や『女であること』にとらわれず、久々に楽しい時間を過ごしました」

 帰宅後、その中のひとりである静香さんからメールが来た。互いのパート先が近いことが分かったので、近いうち、食事でもしようという話になる。

「一ヶ月後くらいかな、静香と食事に行きました。そこで彼女が『他の人には言えないんだけど』と、自分が浮気をしていることを告白してきて‥‥。実は静香のご主人は、私の独身時代の同僚、私が紹介したことから結婚することになった。

ご主人はいい人です。だけど静香は『夫は真面目だけでつまらない』と。そしてパート先の上司と付き合っているけど、好きになればなるほどつらいと涙を浮かべたかと思うと、実は趣味でやっている陶芸の先生とも寝ちゃったなんて言い出して‥‥」

 天誅(てんちゅう)を加える必要を感じた

「聞いているうちに、私、だんだん不愉快になってきました。彼女のふたりのお子さんは、どちらも奨学金で大学に通うほど優秀だし、ご主人は同期で一番の出世頭、しかも、今でも静香の事を愛してくれている。

それなのに浮気をするなんて、何だか許せないと思って‥‥。しかも彼女、『私、もう閉経しちゃっているから、心置きなくセックスできる。

この前なんか失神するくらい感じちゃった。閉経したらって快感が衰えるわけじゃないのね、そう思わない?』と笑ったんです。その発言も、勝ち誇ったようなあの笑顔も、ものすごく憎らしかった、だけど・・・・」

 急に激しい口調で語る玖美子さんへ、私どうやら不審の目を向け始めたようだ、彼女は私の表情をみて、気持ちを落ち着かせるためか、大きく深呼吸をした。

「わかっているんです。嫉妬ですよね、たぶん。女を謳歌している静香に対し、女として断末魔の刻を迎えている私が妬(ねた)んでいる。特に彼女の『そう思わない?』という言葉に、私は過剰反応しました。

セックスしてもらえない私に、同意を求めるなんて‥‥。もちろん彼女に私の事情は知らない。だけどそのときは、どうしても許せないという強い憤りを覚えてしまった」

 静香さんは、玖美子さんが自分の話しを受け止めてくれると思ったのだろう。それからときどき、食事やお酒に誘ってくるようになった。

「彼女は結婚後、何度か恋愛しているそうです。子供を連れて行った先の歯医者さんだとか、子どもの友だちのお父さんだとか。もともとそんな恋愛体質だったという記憶はないし、はっきり言って美人でもない。

私よりずっと太ってて、服のセンスだってよくない。それなのにどうして彼女がそんなに恋愛できて、私は夫すら振り向いてもらえないのか‥‥。妬みが怨みに変わって、私、彼女に天誅(てんちゅう)を加える必要があるんじゃないかと思うようになったんです」

 人は、自分の心の暗い部分を正当化するために、世間一般の「正義」を振りかざすことがある。私自身は、それだけはしたくないと思っているが、玖美子さんはそこに踏み込んでしまったようだ。

 哀しく捻じ曲げられた心

 何も知らない静香さんの夫に、真実を知らせなければいけない。罪人は罰を受けなければいけないのだから――。玖美子さんはその思いに取り憑かれた。そしてこともあろうか、自ら静香さんを尾行するのだ。

「意外と簡単でした。静香から、どんなときに上司とデートしているのか、陶芸の先生と会うのはいつなのか、いろいろ聞き出していたので。静香が上司と別々に会社を出て、?華街の居酒屋でデートしているところ、べったり身体を密着させたままホテルへ行っていくところ‥‥。

さらには陶芸の先生と思しき人と、彼女の自宅近くに車を停めて情熱的なキスをしているところ‥‥。ひょっとしたら、彼女の話は妄想かもしれないと疑ったのです

実際には驚くほど行動的で、男とやたらと会っていました。断続的にですが、二か月くらい彼女の行動を追ってみると、話には出てこない男性と真っ昼間、ラブホテルに入って行くのも見ました」

 小さなデジカメで証拠写真を撮った。いつどこでどんな風貌の男と会って、どこのホテルへ行ったか、詳細なメモまで取った。

「そのレポートを、静香のご主人の会社に送りつけたんです。もちろん匿名で。自宅から遠く離れたポストに投函しました。メモも宛先もパソコンで作りました。筆跡がばれるようなことは一切しません。投函したとき、私は正しいことをしていると満足感と、妙な達成感を覚えました」

 すっきりした気分になって、あとはそのことをほとんど忘れかけていたと彼女は言う。だが、送り付けられた方は、そこからが地獄だったに違いない。

「一ヶ月後、静香から連絡があって会いました。あの一件はどうなったんだろうと、ちょっとワクワクした。静香はすっかりやつれていました。一ヶ月で六キロも?せたそうです。

『誰かが私のことを夫に密告したのよ』青ざめた顔で落ち込んでいる。思わず、『私じゃなわよ』と言うと、『玖美子のことは信用している。夫は離婚すると言い出しているの。お願い、助けて』と涙を浮かべたんです」

 彼女は、ふうっと大きなため息をつき、「正直に言います」と私を見つめた。
「私、そのときものすごい優越感に浸かっていました、心配そうなフリをしながら、心の中では『自業自得でしょ』と嗤(わら)っていたんです。嫌な女でしょ。

友だちを陥れるような事をして。だけど、同じ女として生まれたのに誰からも忘れられ、触られない私と比べて、失神しそうな快感を得ている彼女をどうしても苦しめてやりたかった‥‥」

静香さんの夫は家を出て行き、現在、別居中だそうだ。妻を愛し、仕事一筋で真面目に頑張ってきた夫にとって、妻の裏切りはあまりにショックだったのだろう。

「静香は反省して謝り、戻ってきてほしいと頼んでいるそうです。ときどき『死んでしまいたい』なんていうメールが来ます」

 玖美子さんが夫に女として見られないと言われたのは事実だ。だが、それを「魅力がない」と解釈したのは彼女自身。愛されていない、必要とされていないという思いは、玖美子さん本人が脳にインプットしただけではないだろうか。

 自信がないから卑下し、それが自分を歪めていくのは、私自身も辿りつつある道。そういう思い込みは、女の心を哀しく捻じ曲げていくのだと自戒を込めつつ、私は玖美子さんを見つめていた。

 卑屈な夫と恐妻家の恋人、不倫がばれてひとりぽっちの私

「愛された」というのは、おそらく人間の根源的欲求なのだと思う。だが、大人になってからそれを重視しすぎると欲求や不満に陥る危険性が高いことを、私は今までの恋愛の失敗から学んだ。だから、「恋愛は愛されるより愛する方が重要だ」

と声高に叫んでもいた。それでも、心身ともに衰えを感じる日々の中、「愛されたい」と願う女性たちの気持ちが身に染みてわかるようになってきた。

 コンプレックス夫の凌辱

「既婚者の恋愛っていろいろな意味で五分五分だと思っていたけど、やっぱりそうではありませんね。認めることが出来ないんです。だから苦しい」

 本当に苦しそうに表情を歪めながら、そう話す北村真理さん(四十八歳)を前にして、私はかける言葉がなかった。

 彼女の住むのは中部地方のとある都市。大阪の大学卒業後、地元に戻って就職する。二十五歳のときに、高校時代から知り合いだった二つ年上の先輩と結婚した。二十七歳で長女を、三十歳で次女を産んだ。

 彼女が差し出した名刺には、「取締役営業部長」とある。
「小さな会社ですから。当時、この地域では四年制の大学を出た女性は珍しい時代だったので、採用してもらったようなものです。マーケティングを勉強して私を社長が面白がってくれまして‥‥」

 彼女は謙遜(けんそん)したが、女性がその肩書を得るまでには、相当、苦労してきただろう。

「実家の親の助けを借りて、なんとか家庭と仕事と両立してきたという感じです。夫は長いあいだ、うまくいっていません。上の子が生まれたころは、本当に幸せだった。私自身も、子ども可愛さあまり、仕事を辞めてもいいとまで思っていました。

だけど実際には、夫の給料だけではやっていけない。夫は高卒なんです。私は気にしたことはないけれど、夫自身は心のどこかで私に対してコンプレックスがあったようです」

 そのことが分かったのは、下の子の産休明け近くに、社長が自ら家を訪ねてきたとき。土曜の夕方だったので夫も家にいたのだが、社長が帰ってから夫の態度がおかしくなったという。

「急に不機嫌になって口も利かない。不穏な空気だったので、冗談めかして『社長がやって来るなんて大袈裟よね』と言うと、夫は吐き捨てるように、『おまえはそれだけ偉いんだろう』って。

以来、ことあるごとに『おまえは偉いからな』と厭味を言うようになったんです。夫は工場に勤めていますが、私は彼がコツコツ頑張っているのを知っているし、そう言う姿勢を尊敬していました。だけど厭味ばかり言われるようになると、どう対処したらいいか解らなくなって‥‥」

 夫の気持ちを逆なでしないよう、家では仕事の話はしないようにした。彼が早く帰れるとわかっていても、子供の面倒は実家の母親に頼んだ。

「夫に負担を感じさせないようにしなくちゃと思ってしたことです。家庭の雰囲気が悪くなるのも嫌だったので。でも、今考えれば、彼には彼で頼られないことの寂しく思っていたのかもしれません。

下の子が生まれてからは、ほとんど夜の生活もないんです。たまに酔った夫に犯される以外は‥‥」

意外な言葉に、私の表情が思わず変わったのだろう。彼女は、「驚きましたか」と言って、言葉を続けた。

「私にとっては、ごくまれにある夜の生活は、犯される以外の何ものでもなかった。夫は酔って帰って来て、自分がその気になると、私の顔の上にまたがり、口の中に自分のモノを突っ込みます、勃たせるためと湿らせるため。そして暫く自分で腰を動かすと、私のパジャマの下と下着を膝までずりおろして、無理やり入れてくる。

それても入りにくいと、自分のモノに唾をかけたりしていました。酒臭い息が気持ち悪くてたまりません。夫は私の身体を使って、マスターベーションをしているだけ。

快感なんて覚えたことはありません。むしろ屈辱です。私はいつでも凌辱(りょうじょく)されていると思っていました。でも、そういうことをすると、多少、征服欲が満たされるのでしょうか、しばらくは機嫌が良くなるのです。つくづく器の小さな男だと思います」

 そんな目に遭いながらも、彼女が離婚しようと思わなかったのは、やはり世間体と娘たちのことがあるからだ。

「夫は娘たちには、けっして悪い父親ではなかったんですよ、不思議なことに。昔を想えば、根は悪い人じゃない。ただ、私との関係では何かがこじれてしまったのでしょう」

 「ここで土下座しなさいよ」

 そんな結婚生活の中で、真理さんは恋に落ちた。七年前のことだ。

「三歳年下の会社の人で、晃さんといいます。あるときから急速に親しくなって。彼には三人のお子さんがいて、家庭を大事にしていることはわかっていました。私も自分の家庭を壊すつもりはなかったから、お互い無理のない範囲でつき合ってきたつもりです。

それでも彼は、『女としてのあなたを一生、愛し続ける』と言ってくれていました。私は彼とのあいだで、初めてセックスっていいものだな、身体を密着させるのは気持ちがいいんだと気づいたんです。

彼は、『家ではしないから、あなたもしないで』といつも言っていました。お互いに、きっと配偶者とはしているだろうと思いながらも、『あなたとしかしない』と約束し合って‥‥」

 悲しい約束だか、既婚者同士の恋愛では、それが気持ちの上での支えともなる。七年ものあいだ、ふたりは秘かに、じっと耐えながら、お互いの気持ちを大切にしてきた。

「最初は心が揺れ動いてばかりいました。この関係を続けたいと思う一方で、別れるなら今の内だとも思った。毎日、後ろめたい気持ちで一杯でした。母親として、こんなことをしてはいけないと分かっているけど、彼の顔を見るとときめいてどうしようもない。

でも、もしふたりの関係が会社や家庭にばれたら、何もかも終わりです、お互いに。それなのに晃さんは、『あなたと過ごすわずかな時間が、僕の人生の全てだ。僕の人生を味気ないものにしないでほしい。

いつか、本当にいつか、死ぬ間際でもいいから一緒になりたい』と言うんです。それは正に私の気持ちでもあったから、私は初めて手に入れた本気の恋を、大事にしていこうと決めました」

 残業だの出張だのと嘘をつき、会社やそれぞれの自宅から遠く離れた場所で待ち合わせ、ホテルで過ごす僅かな時間‥‥。自分が生き返っていくひとときだったと真理さんは振り返る。

 半年前、突然、そんな時間が断たれた。晃さんの妻が、二人の関係に気づいたのだ。おそらく携帯電話からわかったのではないかと真理さんは推測している。

「ある日、奥さんから私の携帯に電話がかかってきたんです。ものすごい剣幕でまくしたてるだけで、何が何だか分かりませんでした。ただ、『うちの人はあんたのことなんてなんとも思っていないからね』とか『盗人猛々(たけだけ)しいというのはあんたのことよ』とか罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられたのだけは覚えています」

 それから彼の対応に、真理さんは不信感を覚えるようになっていく。

「彼は『妻に会って欲しい』と言うんです。妻がそれを望んでいるから、と。彼が完全に奥さん側に立っているのが寂しかった。でも、自分がしたことの責任を取らなくてはいけないし‥‥。それに、『会うなら、ダンナさんには黙っていてあげる』と奥さんが言っている、と。

私も夫にばらされたくなかったから、指定の喫茶店に出かけて行きました。てっきり彼もいるものだと思っていたのですが、そこにいたのは奥さんだけ。

ただ謝るしかありませんでした。話しているうちに奥さんは激昂(げきこう)してきて、しまいには『ここで土下座しなさいよ』と怒鳴り始めたのです」

 土下座? 妻としての怒りはわかるが、本来、それは夫に向けられてしかるべきだろう。あまりにも理不尽な要求だ。だが、真理さんはそれを甘んじて受けた。

「喫茶店の床に正座して謝りました。周りの人たちだって、みんな見ていましたよ、もちろん。惨めで情けなくて‥‥。でも泣いたら負けだとこらえるしかない。そうしたら奥さん、『自分が本当に悪いと思っているなら、涙の一つも出てくるはずよね』

と言うなり、私の頭からコップの水をかけて店を出て行きました。お店の人がタオルを持ってきてくれたとき、急に涙が込み上げてきた――」

 屈辱的な気持ちが蘇ったのだろう、真理さんは、ハンカチ目を押さえた。私は私で、真理さんに共感しつつも、妻だからと言う理由だけで、他人をそこまで貶めることができるものかと、妙な感心をしていた。

 愛されていなかった私

「数日後、晃さんと話す機会がありました。彼が言うには、二人は大恋愛だったそうです。当時、彼女には恋人がいたけど、それを必死で奪い取ったんだ、と。結婚してからも、彼は奥さんを大事にしてきたみたい。

『家庭は家庭、でもあなたとの関係は一生続く恋愛なんだ』なんて、うまいことを言っていたのに‥‥。奥さんは『夫は今でも毎晩、私を抱きたがる』と言っていたけど、彼は『それは嘘だ』と言う。私にしてみたら、どちらでもいいんですけどね、今となっては」

 会えば納得すると思っていたが、晃さんの妻は、結局、ますます鬱憤(うっぷん)が募っただけだったようだ。今度は、夫婦二組で会いたいと言い始める。

「妻の気が済まないみたいなんだ。何とかしてもらえないだろうか」

 晃さんは、そうやって真理さんに懇願した。妻の顔色ばかり窺っている男に、真理さんはうんざりしていく。それでいて、晃さんに会わずにはいられない。そう、関係がばれてからも、ふたりは逢瀬を重ねていたのだ。

「自分でも何をしているのかわかりませんでした。もう彼のことは信用していないのに、それでも会いたい、好きでたまらない。会えば抱かれたい。会っている時は優しいのに、妻に要求されたことは、私にそのまま伝えてくる。そんなときは電話の口調も冷たいんです」

 夫婦同士で会うという話を、真理さんは無視し続けた。ある晩、真理さんが自宅に戻ると、夫が電話で話をしている。夫は短い受け答えをするだけで、妙な感じだった。

「ずいぶん長話だったようですが、夫は電話を切った途端、『おまえ、オレを裏切っていたんだな』と目を真っ赤に血走らせ、ドスのきいた声で言いました。晃さんの奥さんからの電話だったんです。

彼と私のあいだでは、ほんの数回、関係を持っただけというふうに口裏合わせをしていましたが、彼の奥さんは、半年くらい付き合っていたはずと推測していて、夫もそう聞いていたようです。

『あっちの奥さんは夫婦同士で会いたいと言ってきたけど、オレはそんなみっともない所へ出かけないからな』と夫は言っていました。『おまえのことなんてオレは知らない』『いつ離婚したっていいんだけどな』とも。

私は本当に夫に愛されていないんだなと確認したような気分でした。それから三ヶ月ほど前のことですか、夫はそれ以来、ほとんど私とは口を聞きません。娘たちとは普通に接しているようですが」

 気持ちの「点」と「線」

 一方で、晃さんのほうは妻のご機嫌をとるのに精一杯のようだ。
「この三ヶ月は彼ともプライベートでは会っていません。たまに電話で話しますが、『あなたのご主人に会うのを拒絶されて、妻が半狂乱になっている』とか、『ご主人を説得してくれないか』とか、そんな話ばかり。

つい先日、とうとう私、電話口で『あなたは自分のことしか考えていない。奥さんの機嫌ばっかりとって。私がどんな気持ちでいるか知っているの?』と思わず叫んでしまいました。

彼は黙って電話を切って、それっきり‥‥。今や私だけがひとりぽっちで、誰にも愛されていない。自分が蒔(ま)いた種だということはわかっているけど、彼の方は浮気がばれたことで、夫婦の絆は強まっているみたい。それが悔しくて‥‥」

 真剣に好きになった人だったからこそ、裏切られた思いは強いのだろう。一方で、すべてが明らかになってみると、彼の奥さんは夫に愛されているのに、自分は夫に愛されていないとはっきりわかってしまった。

それでも今もなお、真理さんは晃さんを求めている。ほとぼりが冷めたら、彼が自分とまたやり直したいと言ってくれるのではないかと思っている。それは願望でもあるだろう。

「わかっています。そんなことはないんでしょうね。それでも『死ぬ間際でもいいから一緒になりたい』と言った彼は信じたくなるんです。理性ではもう信じていない、むしろ恨んでいるくらいなのに‥‥」

 そう言って
再び目を潤ませる真理さんに、彼を忘れろとはとても言えない。理性で制しきれないのが「恋」なのだ。

 もちろん、彼の「そのときの」気持ちは嘘ではなかったかもしれない。しかし、男の気持ちは「点」なのだ。なかなか「線」にはならない。一方、女は関係を「線」で考える。彼を信じすぎた女心に深く共感しながらも、どこか哀しく切ないものが私の心のなかに残った。

 不倫の愛を貫いて結婚、だが病後、別の女の影が…‥

 この春のこと、ある日突然、左の乳房の奥に違和感を覚えた。浮遊物がときどき動くかのような、未知の感覚だ。ちょうど乳癌の検査を受けようと思っていたので、すぐにクリニックに予約を取った。

結果的には七ミリの良性腫瘍とわかり、ひと安心したのだが、それがわかるまでの一週間、先々の事をいろいろ考えてしまった。

 仕事はどうなるか、治療費は捻出できるのか、もうエッチはできないのではないか‥‥。乳癌は女性特有の病気であるゆえに(まれに男性も)心が揺れ動いた。

結婚していれば、これほど心細い思いをしなくて済むのではないかとも思った。しかし、パートナーがいればいるで、また別の悩みが生じることもあるようだ。

 ずるさも含めて好きに

 ずるさも含めて好きに
「因果応報という言葉を、生まれて初めて実感しています。同時に、私はそれほどいけないことをしてきたのかと言うと、誰にぶつけたらいいかわからない怒りみたいなものを抱いている。不安ばかりです」

 宮内和恵さん(四十八歳)は、そう言ってうつむき、深いため息をついた。
 彼女のこれまでの人生は、波瀾(はらん)に満ちているといっても過言ではないだろう。関東のある町で生まれ育ち、短大を卒業後、都内の企業に就職した。恋愛もしたが、なかなか結婚には至らない。

二十六歳とき、友だちの紹介で三歳年上の男性と付き合い始め、一年後には結婚を申し込まれた。ところがその後、彼の浮気が発覚。前の彼女とときどき秘かに会っていたことがわかったのだ。

「彼女は単なるセックスフレンドだよ、という彼の言い訳を聞いて幻滅したんです。男なんて信じられないと改めて思いました」

「改めて」と言うのは、和恵さんの父親が女性関係の派手な人だったからだ。彼女は、しょっちゅう泣いたり騒いだりしながらも、父と離れようとしなかった母を見ながら育った。

「男の人を信じたい、だけど信じられない。二十代はずっとそんな感じでした。母と違って私は幸せな結婚をするんだという気持ちと、男性への不信感が常に心の中で葛藤していましたね」

 和恵さんは理性的な人だ、的確に自分の感情を言葉にしていく。それでいて、時折にこっと笑うと何ともいえないかわいらしい表情になる。

「若いときは少しモテました(笑)。その彼と別れてからは、ヤケになって、寄ってくる男性と手当たり次第つきあった時期もあります。でもひとりの人と心身ともにどっぷり愛し合えないのは虚しくて・・・・・。そんなとき、一回り年上の上司から食事に誘われたのです」

 当時、彼女は二十八歳。上司は四十歳だった。地道に真面目に働いていた和恵さんの様子が微妙に変化したのを、上司は心配してくれたようだったという。

「前から上司とは気が合うなと思っていました。でも、ふたりきりで夕食に行ったことはありません。ただその日は、結婚を考えていた彼にフラれたこと、その後、いろいろな男と付き合ったことも素直に話せました。

上司は説教がましいことは言わずに、ひたすら聞いてくれて‥‥。あんなに自分をストレートに話したのは、生まれて初めてだったかもしれません」

 そのときは恋心はなかった、と和恵さんは断言する。既婚で、ふたりも子供がいる上司は、恋愛の対象外だった。それなのに――。

「二ヶ月後くらいから、酔った私をアパートまで送ってくれた彼とそういうことになって‥‥。う――ん、後悔しましたね。それから一か月間ほどは彼を避けました。ところがある晩、飲んで帰ると、彼が私の部屋の前で待っていたんです。

『僕の口から付き合って欲しいとは言えない。だけどきみのことが本気に好きなんだ』と抱きしめられ、私も自分が抑えられなくなって、部屋に上げてしまいました」

 そこから秘密の関係が始まった。「最初から『いつかは離婚する』という男は信じられない。その点、彼は素直だった」と和恵さんは言う。

 それも一理あるが、既婚であることを初めから相手の女性に納得させるようなやり方も、謙虚に見えて実は狡猾(こうかつ)だと、最近、私は思うようになった。

もちろん、それがいけないというわけではない。逆に、男のずるさも含めて好きになってしまうのは、歳を重ねた女のずるさかもしれないと感じている。

 「ひとりで産むから別れて」

 結婚できる人とは思っていなかった、それでも彼を失いたくなかった、と和恵さんは言う。二年ほど経つと、彼は離婚をほのめかすようになった。実際、家庭はもともとあまりうまくいっていなかったようだ。

「離婚しようがしまいが、私は彼を愛し続けると決めていました。彼に美味しいものを食べさせたくて、ぶ厚い料理本を一冊、マスターしましたよ。

彼は『和恵は料理が上手い。家で美味しいものを食べられるような生活を一緒にしたい』って。泊まっていくことも増え、少しずつ、離婚が現実味を帯びてきました。それに伴って私の期待も大きくなっていたんです」
 
 だが期待に反して、彼はなかなか離婚しようとしない。とどき「今度こそ別れる」と和恵さんの気持ちを煽(あお)りながら、結局は家に帰っていく。そここうしているうちに、五年経ち、七年経ち‥‥。

「十年間持ち続けて三十代後半を迎え、出産のリミットを感じるようになりました。かといって私から離婚は迫れない。彼が好き、彼の子が欲しいと思いました。

シングルマザーになるのを覚悟の上で、彼に黙ってピルの服用をやめ、四か月後には妊娠。『ひとりで産むから、私と別れて』と言うと、彼、目を見開いて呆然としていました。

私がそこまで思いつめているとは知らなかったのでしょう。ようやく離婚話が進みました。でも、あとから彼の奥さんにもらった手紙には、『あんな男はくれたてやるけど、ろくでなしです。人を悲しませたうえに幸福はありません。

あなたが後悔しないといけれど』と書いてありました。彼、若い頃からけっこう浮気をしていたみたい。私と知り合った頃からは絶対、ほかの女とは付き合っていないと言ったけど、本当のところは分かりません」

 当時、彼には二十歳と十八歳の息子がいたが、ふたりとも母親の味方。彼は結局、身一つで家を出た。三十八歳の新婦と五十歳の新郎は、近くの神社で簡単な結婚式を挙げ、写真を撮った。

「生活は厳しかったですよ。引っ越しして新生活を調えたら、ろくに貯金もない。私は部署の異動を願い出て、仕事を続けることにしました。

会社では『そういう関係だったの』と驚かれたり、『愛を貫いたなんてすごい』と言われたり、評価は様々でしたね、それでも私、周りなんて関係ないくらい幸せだった」

 数ヶ月後、無事に出産。まるまる太った元気な女の子だった。女の子が初めての彼は大喜びで、毎日。カメラを子どもに向け続けた。

「これが幸せなんだと実感しました。私は彼が本当に好きだったから、十年間、日陰の身でもいいと頑張ってきた。ようやく報われたんです。育児休暇を一年とったあと仕事に復帰。

家事も育児も仕事も大変だけど、楽しくてたまりませんでした。彼もダッシュで帰ってくる。娘が寝ていると、『ああ、間に合わなかったか』とがっくりして‥‥。

あまり夜泣きをしない子でしたけど、夜ぐずったりすると彼はかえって喜んでいましたね。自分からあやせるから」

 いざというときに逃げる男

 しかし、浮気癖のある男というのは、同じ場所、同じ女性に居着けないものだろうか。四年ほど経つと、夫婦生活も間遠くなっていく。

「私は一週間くらいセックスをしないと、イライラしてくるんです。でも、ちょうどそのころ夫が部署を異動して、ストレスもあったようだから私も我慢していました。

それでも限界を感じて、すり寄っていくと、彼は『疲れているんだよ』と背を向ける。『あなたが後悔しないといいけれど』という彼の奥さんからの手紙が思い出されました。

ひょっとしたらこの人、また誰から別の女性ができたのかもしれない、そんな不安が押し寄せて来て、彼の寝顔を見ながら泣いた夜が何度かあります」

 夫は娘のことは可愛がる。仕事が忙しいのは確かだ。外泊はしない。和恵さんに冷たくするわけでもない。それでも、彼女は「何かヘン」という感じを拭いきれなかった。

「私は夫と一緒にいられることがうれしくてたまらなかったけど、今にして思えば。夫にはそう言う情熱はなかったかもしれませんね。

ともに生活する相手が変わっただけ。最初は目新しいものも、時間が経てば古びてくる。ある意味では、結婚生活が落ち着いたということなんでしょうけど、私は彼の愛情が薄れてきたような気がして、心穏やかではない日々を送っていました」

 娘が小学校一年生だった三年前、和恵さんに乳癌が見つかった。以前は毎年受けていた検査だが、二年ほど多忙で受けずにいたのが仇となったのである。

「三センチの腫瘍でした。リンパへの転移はなかったけど、ショックが大きくて‥‥。人を悲しませたからこんな目に遭うんだろうか、と思わずにはいられなかった。夫も驚いたようですが、彼はそんなとき逃げるタイプなんです。

私の不安を受けとめてはくれなかった。『大丈夫だよ、治るよ』と、それしか言わない。化学療法でしこりを小さくしてから手術をすることになったと説明しようとしても、夫は、『怖いから聞きたくない』って。

頼りないだけなのか、私への愛情が薄れているのかわからなくて、不安で胸が張り裂けそうでした」

 手術前に、夫はようやく医師の呼び出しに応じ、詳しい説明を受けたという。いっしょに聞きながら、和恵さんは夫の体が小刻みに震えているのを感じ取っていた。

「料理ひとつろくに出来ない人ですから、いろいろ考えた末、入院中は私の従姉妹に来てもらうことにしました」

 手術は無事にすんだが、その後も化学療法のために通院することに。吐き気や全身倦怠感などの副作用に苦しみつつも、会社の理解もあって、仕事は続けた。

「夫もそれなりに気を遣ってくれました。病気が夫婦の絆を深めることになるかもと少しは期待しました。ただ、手術自体は温存療法でしたけど、乳房の形がかわってしまった。退院後にその話をしたら、夫は怖がって話を替えるんです。寂しかった。寂しくてたまらなかった」

 がんを告げられたときも泣かなかったという和恵さんが、ほろりと大粒の涙をこぼす。
 手術から半年後、化学療法も終わりに近づいたころ、和恵さんあまりに寂しくて、寝ようとしている夫に抱きついたことがあるという。不意をつかれたせいか、彼は身を捩るようにして抱擁を避けた。

「お願い、抱いてと囁きました。夫は意を決したように私のパジャマを脱がし始めたけれど、途中で手を止めました。やっぱり乳房の変形に驚いたようです。彼、勃起できなかった。

一生懸命、口では勃たせようとしたけど無駄でした。『ごめん、お前が可愛そうで』という声がか細かった」

 男というのは、案外、現実を受け止められないものかもしれない。和恵さんは夫の態度に失望しつつも、そんな夫を見限ることができなかった。

 「天罰」などないはずなのに

 今から半年前、彼女に追い打ちをかけるようなできごとが起こった。夫の浮気が発覚したのだ。大ゲンカのあげく、彼は出て行ってしまう。

「ついに来るべきものが来たかと思いました。私は夫を愛している、彼が必要なのです。だからまずは話し合いたかった。それなのに夫は逃げまくるだけ。

奥さんから奪い取ったけど、結婚して十年経って、今度は別の女に盗られてしまった。自業自得という因果応報というか‥‥」

 相手は特定できないのだが、和恵さんは最近、従姉妹を疑っている。自分が入院している間に来てくれた従姉妹は、現在三十五歳.独身で化粧品会社に勤める美人だという。

「退院当初、疑ったことがあるんです。夫は余りにも彼女を褒めるから。先日、従姉妹に電話して久々に会いたいと言ったら、彼女、やけにうろたえていたんですよ。約束当日になって、仕事が忙しくていけないというメールがきました。

やましいことがあるからでしょう。彼女を問いただす手もあるけれど、今は私自身が、その現実を受け止められそうにない。だからすべてが宙ぶらりんのままです」

 夫は還暦を迎えたが、元気そのもので年齢よりずっと若く見えるという。定年は五年後だから、まだ生活の心配もない。ときどき、ふらりと帰って来て、しばらくいるかと思えば、また外泊を繰り返す。そんな日々が続いている。

「この前、私は娘と『行かないで』と泣いて縋ったんです。夫は娘に『お仕事だから仕方がないんだ』と。最後に私の手を思い切り振り払って出て行きました。

娘を巻き込むなとも言われたけど、もう十歳ですから、親の嘘なんて見抜いています、最近は私の昔の子供の頃のことも重なり。胸が苦しくてたまりません」

 乳癌再発の不安もついて回る。そのうえ夫の浮気とくれば、平常心でいられるはずもない。和恵さんは突然呟いた。
「これ、天罰なのでしょうか」

 私は、こと男女関係に関するかぎり、盗った盗られたとう確執はあっても、「天罰」などはないと思っている。だが、力なくつぶやく彼女に「そんなことはない」と言い切ったところで、説得力がなさすぎることもわかっている。

つづく 第四章
 近所の人妻の虜となった夫、私は”性の劣等生”に苛まれて