閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたいトップ画像

渇望 性、更年期、そして孤独感 亀山早苗

本表紙 亀山早苗 著

社長夫人の座を捨てて駆け落ちした女性の「失われた十年」

 ここ二、三年、私はかつて知らなかった感情に苛(さいな)まれている。簡単に言えば、「寂寥(せきりょう)感」「孤独感」だ。三十歳で離婚してから二十年近く一人で暮らし。更年期といわれる年代、身体の決定的な不調はまだないが、鏡を見るたび、「女の終焉」を迎えつつある事実に心が萎える。

一方でまだ「何か」を求める気持ちも強い、私は何を失い何を得て、人生の終わりへと向かっているのか。漠然とした苦悩に心が揺れる日々だ。

 この年代、みんな同じように考えているのではないか。未婚既婚、子の有無を問わず、友だちにも尋ねてみたが、「人間はもともと孤独よ」「あまり考えたくない」と前向きなのか諦念(ていねん)なのか、曖昧(あいまい)な答えが返ってくるばかりだ。

 そんなとき、十年前に取材した同年代の女性からメールが来た。近況が書かれたあと、「思えばこの十年間の私は、ずっと孤独の中で生きてきたような気がします」と結ばれていた。

彼女は地方の名士の家に嫁ぎながら、他の男性と激しい恋に落ちた人だ。東京で落ち着いたところ、何度か会って話を聞いたことがある。
 何かを「渇望」し、その結果「底知れぬ孤独」に陥る。興味を持った私は彼女に連絡を取った。

 三歳年下の”運命の人”

 十年年ぶりに会った桜井美奈子さん(四十七歳・仮名=以下同)は、以前よりかなり痩(や)せていた。顔色もあまり良くない。聞けば、心療内科に通っているという。

 美奈子さんは、西日本のとある町に生まれた。県内の短大を卒業後、親の知り合いの会社に就職。社長の長男で、当時は専務だった六歳年上の男性に見初められた。

「地元では名の知れた大会社です。周りは『玉の輿(こし)ね』と大騒ぎ。戸惑ったけれど、結婚すれば、経営不振の父の町工場も助けてもらえる。私には妹も弟もいて、弟を大学まで行かせてやりたかった。夫となる人は穏やかで優しかったので、三度のデートで結婚を決めました」

 二十四歳で結婚、二年後に長女、その二年後には長男に恵まれる。舅姑(しゅうとしゅうとめ)、小姑との同居生活は苦労の連続。何ひとつ自分に決定権はない。だが、それより辛かったのは、夫が常に曖昧な態度をとることだったという。

「彼の優しさは、本当は優柔不断さ。長男が小学校に上がった頃、ふと迷いが生じました。家族という狭い社会の中で、”私の人生”を終わらせていいのか、と。妹は大阪でバリバリ働いていて、海外出張も多い。

『お姉ちゃんが羨ましい。私は自分で稼がないと生きていけない』と愚痴るものの、いつも生き生きとしている。反対に、子どもたちが成長した後の私は、”ただの社長夫人”で人生を終わるだけ・・・・」

 かといって、仕事を始めるような境遇にはない。自分は何のために生きているのか、そればかりを考える日々が続いた。

 結婚から約十年後、夫が父親から会社を託されることになった、その社長就任パーティーで、美奈子さんは”運命の人”である貴裕さんに出会う。彼女より三歳年下の彼は、当時三十二歳。夫の取引のある企業に勤めていた。

「ひとりだったので話し掛けてみたら、面白い人で話が弾みました。心から笑ったのは、結婚してから初めてだったかもしれない。途中で姑が間に入って引き離されたほどです。彼は帰りがけに素早くメモをくれました」

 彼の携帯電話の番号がそこにあった。当時、携帯を持っていなかった彼女は、三日間悩んだ末、公衆電話から貴裕さんに電話する。

「『ふたりで会いたい』と言われましたが、返事ができなかった。彼は『話したいだけなんだ。あなたはどうなの?』と。話すだけならと、翌日、隣町のホテルのティールームで会う約束をしたんです」

 彼女は車を運転して出かけた。ホテルの駐車場に入れようとすると、彼が待っていた。
「知り合いに会っちゃって。別の場所へ行こう」

 狭い土地だ。噂は怖い。彼を車に乗せてさらに走り、ふたりがようやく落ち着いたのは、かなり離れた町のラブホテルだった。

 セックスの相性がよすぎる

「誰にも見られないためには、そこしかなかったんです。今思うと、二人きりになりたかっただけかもしれません」

 美奈子さんは小さな声でつぶやいた。お互いに一目で惹かれ合っていた。一目惚れというのは、外見だけではなく、相手が放つ「何か」を感じ取ることだと思う。双方ともに、その「何か」に強力に惹きつけられ、離れられなくなるのだ。「そうなる運命だった」とも言えるのかもしれない。

 ホテルの部屋で。彼はパーティーで会ったときとは違って、静かに自分の境遇を語った。婿養子で、家庭に居場所がないこと、妻らセックスを拒絶されていること・・・・。

「それを聞いて、私、思わず彼に抱きついてしまったんです。夫とは社長になるというプレッシャーのせいか、その時点で一年以上、夜の生活がなくなっていました。

配偶者から異性として見てもらえない寂しさは、私もよくわかったんです。手が届く場所にいるのに、触れることができない苦しさ・・・・。それが心の距離につながっていきました。貴裕さんと唇を合わせ、互いの舌を絡めあったとき、自分の下半身が潤っていくのがわかった。

彼、全身に激しく優しくキスしてくれました。そんな経験も初めてで、嬉しかったし、身体が信じられないくらい反応しちゃって。まるでお互いを貪(むさぼ)るように求め合い、感じ続けました。

自分の意思とは関係なく身体中が震えて、自分が凄まじい声を上げているのも気付かなかった。『相性がよすぎる』と、彼も言うぐらいだったんです」

男性と心が触れ合った歓び。自分のおかれた状況や、他人の目を気にしながらも身体をつなげる興奮。それによる刺激と快感――。「恋に落ちる要素」は十分だった。「嫁」「妻」「母」として自分をがんじがらめにしてきた美奈子さんの「女」が、一気に開花してしまった。

「毎日会いたい、会えば抱かれたい。抱かれると、彼の刻印が押されたようでうれしくて、離れられなくなる。自分でも何がどうなってしまったのかよくわからない。彼と一緒にいたかっただけ。

でも周囲を気にしながら会うのは疲れました。半年ほど経った頃。彼が『この先オレたち、どうなるんだろう』と言い出しました。いずれバレる。バレたら引き裂かれる。それは耐えられない。いっそ死んでしまいたい・・・・。そう言うと彼は、『東京へ行こう』と。彼、大学は東京だったので、生き直すなら大都会の方がいいって」

 いつか結婚してくれるはず

“運命の人”との出会いから約半年後、三十六歳の誕生日を迎えた美奈子さんは、夫に携帯電話を買ってもらった。携帯がなければ、貴裕さんと駆け落ちの打ち合わせができないからだ。

罪悪感に苛まれながら、「あなたといつでも連絡をとりたいの」と夫に嘘をついた。翌日、貴裕さんは旅立った。そして一ヶ月後、彼から「とりあえず就職した」という連絡を受け、夏休みが始まると同時に、子どもふたりを連れて美奈子さんも東京に向かった。

「飛行機だと名前が記録に残るから、ローカル線と新幹線に乗り継ぎました。私の貯金は舅姑に許されていなかったのでまったくなく、子ども名義の貯金を持ち出しました。姑のタンス貯金にも手を付けたんです」

 彼は会社の借り上げたアパートに住んでいました。そこへ美奈子さんたちが転げ込むわけにもいかず、彼女は自力でアパートを探す。彼に保証人になってもらい一年分の家賃を先払いすると、2DKのアパートが何とか借りられた。

「彼も私も、家に置手紙と離婚届を残してきました。決死の覚悟でした」
 人間は目的を達成すると、脱力感に襲われることもある。貴裕さんもそうだったようだ。新しい土地、新しい仕事が大変だったせいもあるだろうが、”家庭”からの開放感も大きかったに違いない。

美奈子さんのアパートには週に一度くらいしか来ず、夜中に来てセックスだけすると、すぐに帰ることもあった。一緒に住もうと言っても煮え切らない。

 数週間後、子どもたちの転校手続きが終わると、美奈子さんもパートに出るようになった。どこか歪んだ”駆け落ち”生活から三ヶ月が経った頃、互いに戸籍謄本を取って見た。美奈子さんはあっさりと籍を抜かれていたが、貴裕さんは離婚が成立していなかった。

「婚家にとって、私はどういう存在だったんだろうと落ち込みました」
 直後、美奈子さんは妊娠。彼に相談すると、「自分から妻に連絡は取れない。経済的なこともあるし、子どもを諦めてくれないか」と言われてしまう。もちろん、彼女は了承しなかった。

「私は彼の子が欲しかった。いつか離婚してくれればいい、とにかく産むと言い張りました。コンビニエンとファミレスを掛け持ちして働きました。身体を動かし続けていたせいか、緊張感のせいか、八年ぶりに近い妊娠なのに、つわりひとつありませんでした」

 上京して一年と少しが経った頃、彼女は無事に出産し、生後三ヶ月の息子を保育園に預けて、また働き出す。そのころだった、私が最初に会ったのは。当時の彼女は「子どもたちのために頑張らなければ。

彼もいつか結婚してくれると思う」と明るい笑顔で話していたのが印象的だった――。私がそういうと、美奈子さんはうつむきながら小声で答えた。

「そうでしたね。でも彼は、離婚が成立していないのと、私が連れてきた子どもたちが自分を警戒していることを理由に、距離を置き続けていたんです。

一番下は自分の子なのに、認知もせず、ろくに面倒もみなかった。私が家を留守にしていたのが寂しかったんでしょう。長男が万引きで捕まったこともありました。そのときにも彼は頼りにならなかった」

 結局、何も築けなかった

 上京してからこの十年、何度も「いっそ別れて」と言い続けました。だがそう言ったときに限って、彼は頻?に部屋へやって来る。

「抱かれればまた、元の鞘に収まってしまう。しばらくすると、月に一回、二ヶ月に一回と間遠くなっていく。その繰り返しです。私もスッキリ別れる勇気は出ないんです。いまさら、誰かと一からやり直すなんてできるはずもない。だったら、一人でいるよりはいいんじゃないかと思うし」

 だが、ここ半年ほどの間に、さまざまなことが起こった。高校を卒業後、アルバイト生活をしていた二十歳の娘が、昨年十二月、突如行方不明になり、捜索願を出す事態に。結局、一週間後に帰ってきたのは、一緒にいた男に捨てられたのが原因のようだった。

「『きちんと生活しなさい』と言ったら、『お母さんにそんなこと言われる権利、あるの? 自分の勝手で、私たちを振り回してきたくせに』と猛反発されました。駆け落ちしても、その後きちんと彼と結婚すれば、子どもたちにも安定した生活をさせてやれたはず」

 そう思うと、無性に貴裕さんが憎らしくなった。また「別れて」と言うと、年末年始、貴裕さん久々にやってきた。長女も、高校三年生だった長男も、「友達と過ごす」と出て行き、正月でさえ家に居着かなかった。

「子どもは三人とも私の子。なのに、家族はバラバラです。あまりにも悲しくて、彼と一緒にいながらも涙が止まらなかった。そのとき、たまたま彼のスーツから風俗店の会員証が出てきたんです。それを見て私、とうとうキレました。

私とはたまにしかセックスしないくせに、自分は風俗に行っているなんて。『あんたを追って来なければ、私もっと幸せだったのに。十年を返してよ』と爆発したんです。

彼は私の剣幕にびっくりしたようで、やっと、じっくり話し合いました。彼、とっくに離婚が成立していたそうです。ただ、どうしても再婚する決意ができなかった。

『どう頑張っても、お前たち全員を養いきれないから、いつも心苦しかった。美奈子の娘も息子も、オレをうさんくさそうに見る。残してきた子どもにも、きっと嫌われている。そう考えると、どうしても一緒には住めなかった』と」

 美奈子さんの長男が万引きしたときも、彼は一人で自分を責めたという。だが、いつも彼が現実をきちんと向き合ってこなかった結果が、私を苦しめてきた。そう彼女は話す。

「話し合って、ちょっとわかったような気になってセックスし・・・・・。とりあえず身体の渇きは満たされたけど、彼が生活をかえないから、私の心は満たされない。なんだか虚しいんです。

娘はとうとう家を出て行きました。長男はこの春、高校を卒業してアルバイト生活に。家へはあまり寄り付きません。結局私は、何も築けなかった。新しい家庭も、彼との盤石な関係も。

『失われた十年』ですね。二月から心療内科に通いつつ、生活保護を受けています。落ちたものだと思う。彼との間の子である次男も、いずれ私を非難するようになるかもしれない。本当に孤独・‥。温かい男性に守られながら、笑って暮らしたいだけだったのに」

 一時の感情で後先かえりみず、無防備な恋愛に身を投じた結果だと責めるのは簡単だ。だが、十年前の彼女は確かに幸せそうだった。”自分の人生”を変えた実感に満ちていたはずだ。自分を解放しなければ、今も後悔しながら地方都市で悶々としていたかもしれない。

 人生は”選択と決定”の連続だ。それがいずれ、どういう結果をもたらすかはわからない。だが半世紀近く生きてきた過去を振り返ったとき、「苦い経験」を覚え、「虚無感や孤独感」を?みしめている女性は、美奈子さんに限らず、そこかしこにいるのではないだろうか。

 七年ぶりのセックス以来、奔放な性に耽った四十八歳の残照

 女性も年齢を重ねて成熟してくると、自身の性欲を認識するようになる。

 あるとき、知人に「更年期世代になると女性ホルモンが減る。相対的に男性ホルモンが増えたことになって攻撃性が高まり、性欲も増進されて、男を襲いたくなるだって」と言われて笑ったことがある。真偽のほどは定かでない。

 いまだに女性たちは性についてオープンには語らない。「セックスしたい」という欲求を持つこと、それを明らかにすることの何がいけないことなのだろう。そう私は思うのだが・・・・。

 浮気夫を汚らわしく感じて

「この年になって性欲全開というのは、自分でも恥ずかしくて…‥」
 小川智香子さん(四十八歳)は、うつむきながらそう言う。小柄で少しぽっちゃりタイプ、うっすらと脂肪ののった色白のデコルテラインが色っぽい。

ここ数年、性欲の強さに自分でも困り果てていると自嘲気味に言う。が、問題は性欲の強さではなく、その発散のさせ方らしいと、話を聞くうちに分かった。

 二歳年上の夫と職場結婚して二十年、十七歳と十三歳の子どもがいる。夫婦仲もけっして悪くはなかった。専業主婦として家の中を快適に整え、夫や子どもたちのために料理の腕を振るう毎日が楽しかったという。

「でも十年前、夫の裏切りがわかり、地獄に突き落とされるような気持ちに陥ったんです」
 浮気だ。相手は職場の部下で、自宅にも遊びに来たこともある二十代の女性だった。テーブルの上に放り出してあった夫の財布がたまたま見たところ、コンビニのレシートが出てきたのが、浮気を知る発端だった。

「うちは埼玉県なのに、コンビニの場所は東京の西側。そこで深夜、夫がデザートだのスパークリングワインだのを買っている。その日は、夫が仕事で遅くなると言った日でした。

怪しいと思って、夫に来た年賀状を全部チェックしたら、そのコンビニの近くに住んでいる女性からのものを発見したんです。相手の顔は知っているせいもあって、本当にショックでした」

 夫にレシートを突き付けた。否定して欲しかった。断固として否定してくれたら「不問に付す」心づもりもあった。それなのに、夫はしどろもどろになり、あげく「いや、もうあんまりうまくいっていなくて‥‥」と意味不明の言い訳をしたのだ。

「その態度にはらわたが煮えくりかえり一方的に責めたてたんです。すると、夫は社員旅行だと言って彼女と温泉に行ったことを認めました。私も、本当は知りたくなかったのに『どのくらいつきあってたの?』『何回寝たの?』と、自分を痛めつけるように根掘り葉掘り聞き出して・・・・」

 一週間ほど、夜中になるとそんな修羅場を続けたあと、夫は意を決したように押し倒しきた。

「そのとき私は吐き気を催したんです。夫を心底汚らわしいと感じて、思わず手をはねのけてしまった」

 夫は驚いたように一瞬表情を凍らせて身体を離し、そのまま背を向けた。もしそのとき、彼女が夫を生理的に受け入れることができていたら、その後の展開は変わったかもしれない。

だが、多くの女性がそうであるように、彼女も「ほかの女性とセックスをする夫」を許せなかったのだ。それもまた、当然の気持ちだと思う。

 「いつ死ぬかもわからない」から

 はねのけられたショックから、夫はそれっきり妻を夜の営みに誘わなくなった。彼女もまた、夫の心の中で「最低の人間」と決めつけ、男女の関係は失われる。それでも滞りなく過ぎていくのが、家庭、日常生活というものだ。

「子どもがいるから、最低限の会話はありますよ。親として暗黙のうちに協力し合っている。でも私、心の底では人間として尊敬していないんです。男性として受け入れるなんて、もっと無理。

夫はそのときの女性とは別れたようですが、その後も、なんとなく怪しいなと思う時期があります。そういうときは浮気しているんじゃないでしょうか」

 妙な胸騒ぎがすることもあったが、それはもはや”嫉妬”ではなかったと智香子さんは言う。真面目な夫、いい父親を期待していた彼女の気持ちを踏みにじった夫に対して、怒っていた。
 そして、それは徐々に諦めへと変化していく。

 夫の浮気が発覚した当時、智香子さんは三十八歳。女盛りではあったが、怒りのあまり、その後もしばらく「セックスしたい」という気持ちはなくなっていた。

「習慣として月に一、二回はしてたから、自分自身の性欲が強いのかどうか考えたこともなかったけれど、浮気の発覚後は、夫に触れることさえなくなりました。寂しさはあったかもしれませんが、夫とするくらいなら、しないほうがマシだと思っていました」

 そんな彼女に劇的な変化が訪れたのは、四十代半ばとなった三年前。二十代前半のころ、仕事をしながら趣味で学生時代の仲間とバンドをやっていたが、その内の一人が急死した。

「みんな結婚したり仕事が忙しくなったりで、めったに会うこともありませんでしたけど、私の大事な青春の一ページではありました。ほかのメンバーもそう思っていたんでしょうね。

だから仲間が急死したときはすぐ連絡が回って、お通夜に全員駆けつけたんです。当時付き合っていた人も来ました」

 最後に会ってから二十年ぶりで再会したが、濃密な関係を築いた仲間たちとは、すぐに気持ちが通じた。かつての恋人だった敬介さんに会うと、智香子さんに当時の思い出が一気に甦った。

「帰りがけ、お互いに携帯番号とメールアドレスを交換、数日後にはランチを共にしました。彼はIT関係の仕事をフリーランスでやっているので、時間の都合がつくんです。三度目に会ったとき、彼が事務所として借りている部屋で関係を持ちました。

お互い結婚しているのだから、と私は拒否したんですが、『せっかく再会できたんだ。人間、いつ死ぬかもわからない。僕はきみと結婚しなかったことを今も後悔している』と言われると、抵抗できなくなって。

仲間の一人が四十代半ばで死んで、いつ誰が死んでも、もうおかしくない年代なんだと実感したんです。彼に会って、私は若かったころの自分に戻ってしまった。

でも現実には、半世紀近く生きていた自分がいる。夫に浮気されている女がいる。今思えば”女”としての何かを取り戻したかったのかもしれません」

 智香子さんは早口で、一気にそう語った。冷静なふりをして日常生活を送っていたが、夫の浮気を端に発したセックスレスの日々は、自分でも気づかないうちに、心のどこかで殺伐とさせていたのかもしれない。

 女が性欲に支配される時期

 七年ぶりのセックスというものはどんなものなのか、失礼ながら聞いてみた。

「うーん」
 彼女はしばらく黙り込む。それからようやく顔を上げ、恥ずかしそうに言った。

「怖かった。ただひたすら、怖かったですね。事務所のソファに押し倒されたときは、本当に『だめ、できない』と言ったんです。道徳上もだけど、物理的にもできないんじゃないかという不安の方が強かった。

でも、彼はとても優しかったし、不思議なことに首筋にキスされたとき、かつてつきあったころの感覚がふっと甦ってきたんです。それで安心したのと『ああ、私はこの人が欲しい』という欲求がすごい勢いでわいてきたの。それからは無我夢中でした」

 智香子さんは話しながら、声を潜めた。セックスの話などしている自分を、とても恥じているようだった。周りはともかく、私に対しての気遣いは必要ない、セックスは誰にとっても重要だと思う。そう私は言った。彼女はホッとしたような表情を浮かべ、話し続けてくれた。

「敬介と寝てしまった後、私、ものすごい罪悪感に悩まされました。夫を人として最低だと思ったのに、自分も同じことをしてしまったわけですから、身勝手だとわかっていたけど、彼への気持ちは抑えられなくて。

それからもあっては抱かれました。ただ、敬介は仕事に波があって、忙しい時期に入ると二ヶ月くらい会えなくなってしまうんです。そうなると私は悶々として・・・・。身体が熱っぽくてだるくて耐えられないんです。したくてしたくてたまらないの。わかります?」

 もちろん、と私も頷く。自分でも癪(しゃく)だが、一筋縄ではいかない体と心を持っていると認めざるを得ないほど、「したくてたまらない」ことはある。若い時期を性欲に支配される男と違って、この年代になってそうなる女の身体と心の仕組みは、切ない。

 敬介とさんとの再開後、月に二度ほど会っていたが、三ヶ月ほど経つと会えない時期に入った。その寂しさは埋めようと買い物がてら繁華街を歩いていると、知らない男性に「お茶でも」と誘われてる。私の知らない男性が、「平日の昼間、デパートで人妻をナンパする成功率が高い」と話していたことがあるが、まさに智香子さんも、その男性とホテルに行ってしまったという。

「同世代の男性で、見た目、清潔感があったし、話してみても紳士的だったんです。お茶を飲みながら口説かれて、テーブルの下で手を握られたら、それだけで下半身がじわっとしてきて‥‥。本当なら自分を汚らしいと思いました。

でも身体が感じていく。その男性、私をとことん満足させてくれました。ひとりで帰る道すがら、自分の身体が軽くなっていることに気づいて、嬉しいような悲しような複雑な気持ちなったのを覚えています。本当に好きなのは、敬介だけ、だけど会えなくなると自分を止められなくなるんです」

 その後も、敬介さんに会えなくなるとほかの男性と寝てしまうようになった。出会い系で知り合った人と一度きりの関係を持ったこともあるし、最初に繁華街でナンパしてきた彼とは、今もたまにあって寝ている。その他にもひとり、セックスフレンドのような存在がいるという。

 客観的なおかつ無責任に言えば、この年齢でそれだけモテるのは羨ましい話だが、彼女は自分自身の道徳観と行動との乖離(かいり)が許せなくなりつつある。

「モテるわけじゃない。欲求不満の男が、私と同じ匂いを感じているだけ。私。この年まで本当の快感を知らなかったんです。習慣としてセックスしていたけど、夫は私に快感を与えてはくれなかった。

敬介に再開して初めて、ぶっ飛ぶような快感を味わってしまった。自分から『欲しい』と思ったのは初めてでした。だから今、狂い咲きみたいになっているんじゃなかと・・・・。恥ずかしいけど正直な話、男の人のアレが自分の中に入ってくると、ほっとするんです。

本気で好きなのは敬介だけ。でも会えないと見も心も空っぽな気がして」

 だからほかにも求めてしまう。一瞬でもいいから、誰かに求められたい、と願ってしまう。実は女性の”性欲”の肝はここだ。肉体だけの欲求ではなく、裏に必ず孤独感が隠されている。

寂しさから性欲が喚起されるのか、あるいは快感を知ってしまったから性欲が強まっているのか、はたまた女盛りの時間が「残り少なく」と思い込んでいるから焦燥感が募るのか、智香子さんも私自身にも、本当のことは解らない。

 早く枯れたい‥‥

 今なら、ご主人のことも許せるのではないか。もう一度、夫婦で男と女の関係を取り戻すチャンスかもしれない、心を通わせることができるのはまさに今なのでは、と私は言ってみる。

「それは無理ですね」
 智香子さんは一蹴(いっしゅう)した。

「浮気した夫の気持ちは、理解できないわけじゃない。チャンスがあれば人はしてしまうのかもしれません。だけど、あのとき感じた夫への”最低”という気持ちが十年経っても抜けないんです。もちろん、私自身も敬介も最低ですが、夫への軽蔑(けいべつ)が払拭(ふっしょく)しきれなくて・・・・」

 同じことをすれば相手を許せるという問題でもないようだ。男女関係は難しい。
 
 三ヶ月ほど前、とんでもないことが起こった。敬介さんの事務所で彼女が愉悦に浸っているとき、高校生の長男が交通事故に遭ったのだ。

「一時は意識不明の重体に陥りました。今は退院して学校に通えるようになったので一安心ですが。この三ヶ月はさすがに息子のことで頭がいっぱい。

あんな快感に浸っているから息子に罰が下ったんだと‥‥。事故直後、敬介に電話でそう言ったら、『そんなふうに考えるな』と諭されましたけど、今も私のせいだと思っています。それなのに――」

 私と会う一週間前、敬介さんとまた寝てしまったと智香子さんはため息をつく。息子への心配が徐々に払拭されていくと同時に、性欲は、また身体の奥からわき出し始め、彼女を苦しめている。

「久々に会ったら、前よりもっと感じてしまって・・・・・。いつまでこんなことが続くんだろう。早く枯れたいと心底、思うんです」

 いっそ枯れたい、という気持ちはわからなくはない。性欲がなくなれば、もっと穏やかに年を重ねられると思う。枯れたい、しかし女を降りたくない。この世代はその狭間で葛藤(かっとう)するのかもしれない。

 ただ、彼女が必要以上に苦しんでいるのは、性欲自体を罪悪視しすぎているからではないだろうか。あるいは自分の寂しさを素直に認められないからではないか。身体の欲求と心の欲求を自覚的に分けて考えるようにすれば、少しは気持ちも楽になるかも知れない。そんなふうに言ってみたが、彼女の表情に、明るい兆しが見えることはなかった。

 離婚後、放埓な性に身を委ねた女性部長が涙した、”老いの烙印”

 大人になると、どの世代であっても「大台に乗る」ときには、ある種の緊張と諦めが交錯する。なかでも、女性にとって五十代になるのは格別な思いが生じるのではないか。現在、四十代代最後の年を過ごしている私だが、「来年は五十歳」と考えると、臆する気持ちが強まっていく。

「ここ数年、原因不明の頭痛と肩こりに悩まされるようになった。五十歳になると今度は、生理がきたり来なかったり。完全に更年期ですね」

 とあるベンチャー企業で”部長”の肩書を持つ、沢村美帆さん(五十歳)は苦笑いする。活力あふれるように見えるし、ショートカットの髪だって黒々としている。そう言うと、
「もう年ですよ、ほら」と前髪を上げて見せてくれた。確かに白髪が塊になっていた。

カラーリングをしなければいけない間隔がどんどん短くなっていくのは、私も実感するところだ。歳を取るというのは、メンテナンスに時間がかかることになることでもあるのだ。

 離婚して三年目の恋

 美帆さんは、三十八歳のとき、十三年間続いていた結婚生活を解消した。夫の浮気発覚から二年。「たった一回の過ちだった」と弁解されたからやり直そうと思ったが、結局はどうしても許せなかったのだと言う。当時の十一歳の娘と八歳の息子は、美帆さんが引き取った。

 マンションのローンを夫が払い続けるという条件だけで離婚したから、その後の苦労は大変なものだったらしい。

「ひとり暮らしをしていた母に同居してもらい、私は働きに出ました。出産後十年以上、専業主婦だったので、最初はパートから。人脈を広げ、スキルを身に着けて、少しずつステップアップしていったんです。

三回転職したけど、何処の会社でも必死でした。残業続きでも、子どもたちとの時間は取ったつもりだし、朝は四時から起きて勉強。睡眠四時間の生活。母がいたからできたことだけど、毎日が必死でしたね」

 離婚してから三年経った頃、ようやく少しだけ余裕ができたのか、恋に落ちた。

「相手は三歳年上の四十四歳、職場の上司だったんですが、出会ってすぐに惹かれました。ただ、私は夫に浮気をされたショックが残っていたし、女性としての自信もなかったから、自分の気持ちは押し殺していたんです」

 それでもお互い気になる者同士、隠していても色に出る。出会いから二ヶ月後、仕事にかこつけて食事に誘われ、自制心を鈍らせる程度に酔ったあと、暗黙の了解のようにホテルへ行く、

「結婚生活の最後の方は夫としていなかったから、男性に触られるのはほぼ五年ぶり。キスしてお互いの舌を絡めたとき、膝(ひざ)から力がぬけました。あとは彼に身を委ねて・・・・・。指と舌で全身を愛され、身も心もほぐれていくのが、はっきりわかりました。もうこの人と離れられない。そう思ったものです」

 当時を思い出したのか、美帆さんの目が色っぽく潤む。身体の相性も良かったようだ。

「それからは、盛りのついた猫みたいに、彼の顔を見るとしたくてたまらなくなった。昼休みに示し合わせて抜け出し、近くのホテルに行ったこともあります。

今思うと、よく誰にも見つからなかったものですよね。仕事は平日が休みというシフトだったので、土日は私が車で出社して、帰りに彼を載せて、車の中で抱き合うことも・・・・・。狭い所で彼に包まれ、身体を貫かれるのが好きだった。

終わると身体中がとろけるようになるのに、翌日はエネルギーが充満している。そんな日々でした」

 彼というパートナーを得て、彼女はますます仕事に邁進。後ろめたさも手伝い。子どもたちも細かく愛情を注ぎ続けた「彼がいる」、それだけで元気になれた。だが、そんな蜜月は長くは続かない。

「一年後彼が転勤することになったんです。いつかはそういうときが来るかもしれないと覚悟していたけど、ショックでしたね、栄転だったから喜んであげなければいけないのに、会うたび泣いていました。

最初は『単身赴任になるから、休みを取っておいで』と言ってくれたんですが、結局は家族とともに越していった。『家族は一緒にいるべき』という奥さんの考え方に押し切られたみたい。

『妻とはセックスレス。相手にされない』と言っていたのに。そんなことはなかったんですね、身体を半分もぎ取られたように苦しかったけど、私だって身動きできない立場。涙をこらえて見送るしかなかった」

 恋すれば終わりが来る。その事実を身体に刻み込まれ、当時の美帆さんはもう恋などするまいと誓ったと言う。

「しばらくは辛かったですね、気持ちもそうだけど、身体が満たされなくて。もともとお酒が好きなので、ひとりで一杯飲んで帰ることもありました。

ここだけの話ですが、飲み屋で知り合った人と一夜限りの関係を持ったこともあります。身体さえ満たされればいいと思って」

 異性の人肌でなければ埋められない何かもある。いっときだけでも満たされれば。また明日も何とか生きていける。そんなときが男女問わず、人にはあると、私も思う。

 バーで愚痴るうちに‥‥

 美帆さんには、子どもたちを成人させてきちんと社会に送り出すという、絶対的な目的があった。だから、何があっても生活自体を崩壊させてはならないと自戒していたりしたのだろう。

仕事だけは頑張り続けた。三年後、引っ張ってくれる人がいて、課長待遇で転職することができた。それが今の会社だ。四十五歳の転身だった。
 娘は十八歳、息子は十五歳になった。大恋愛だった彼を思い出すと、まだ苦い思いはあったものの、落ち込んでいる暇はなかった。家庭では思春期の子どもたちと対峙しなければならなかったし、新しい職場では自分の居場所をまず確保するのに必死だったからだ。

「ちょうどそのころからですね。白髪増えたなと思うようになったのは。頬のシミも発見したし。以前だったら、休日には運動したり映画を観に行ったり、あるいは家の中を大掃除したりと動き回っていたのに、土日のどちらかはごろごろしているようになりました」

 それでも努力が実り、周囲に認められて四十七歳のとき、現在の”企画開発部長”の肩書を手にした。彼女の立場を考えると企業名や仕事内容を秘さざるを得ないが、斬新な企画力、スピーディーな仕事ぶりが評価されたらしい。会社の中で部長職の女性は彼女だけだ。ところが――。

「昇進して半年もたたないうちに、七十歳の母が脳溢血で倒れたんです。これは計算外でした。風邪ひとつひいたことのないほど元気な人でしたから。私、おろおろしてしまって、娘に『しっかりして』と怒鳴られたくらい。

日常の家事を母に頼り切ってきたことは認識していたけど、実は我が家は母がいるから回っていたんだと、初めて痛感しました」

 母は入退院を繰り返したあげく、半年ほど経ってようやく家に戻ったが、介護なしでは生活できない身体になっていた。

子どもたちの生活を犠牲にするわけにはいかず、かといって自分自身が介護に時間を割くこともできない。介護保険を使ってヘルパーに来てもらうことにした。

「介護保険だけでは間に合わず、自分の老後のための貯金をはたいて、自費でヘルパーさんを雇った時期もあります。今だから言えるけど、実は私、母とは気が合わなかっんですよ。

だから自分が手間と愛情をかけるより、お金で片をつけたいという気持ちもあった。母の介護から逃げたかったんです。そんな自分の薄情さを嫌悪もしていましたけど・・・・」

 母の病気で、ここまで必死に頑張ってきた自分の日常生活が変わっていく状態に気持ちを切り替えられなかったのかもしれない。自分が追い込まれていくような気がして、ヘルパーが来ている夜は、ひとりで飲み屋やバーに逃げることも度々あった。

 そんな日々のなか、行きつけのバーで出会った博さん(五十三歳)と付き合うようになる。
「介護のこと、仕事のことなどを愚痴ると、本当に親身になって話を聞いてくれるんです。
いい人だなあ思っていたら、いつの間にか好きになっていて、いつの間にか関係してしまった。

今思えば、逃げ場ができたと思えたから、彼に夢中になったのかも。週に三回くらいは会っていたんじゃないかしら。彼はそのバーの近くに事務所を持っている建築士だったので、会えば事務所でセックスして・・・・」

 彼とはいろいろなことをした、と美帆さんは顔を赤らめた。私はうずうずして先を促す。
「初めはバイブを使われたし、事務所の椅子に縛り付けられながら責められたことも、最初は抵抗したんですが、彼が言うには『ふたりで楽しみたい。信頼関係がなければできないことでしょ』と。

 前にバイブを入れられ、後ろから彼を受け入れたこともあって。もの凄く感じていながら、いつも頭のどこかに自己嫌悪に陥っていたような気もします。彼は、言いなりになって何でも受け入れていく私が面白かっただけかもしれない・・・」

 みんな去ってしまった。

 半年後、事務所で彼と狂態を演じている時とき、いきなり彼の妻に踏み込まれた。美帆さんはその日まで全く知らなかったのだが、彼は三度目の結婚をしたばかり。妻はまだ三十歳だった。

「私が行くと、いつもは用心深くドアに鍵をかける彼なのに・・・・・。新しいバイブを仕入れたと嬉しそうだったから、興奮して鍵をかけ忘れたのかもしれません。奥さんは入ってくるなり私を突き飛ばしました。

私は全裸で、ひっくり返ったカエルみたいに床に転ばされて。彼女は私に馬乗りになりながら、『こんなババアと浮気するなんて』と怒鳴ったんです。彼が引き離してくれましたけど、そのときの顔、何処か面白がっているように見えました」

 翌月に娘が大学を卒業して就職、会社の寮に入居するため家を出た。息子は調理師学校を卒業後、とある店に修業に入った。家から通っているが、夜中に帰って来て早朝にはまた出かけるような生活が続いている。

「一昨年春から、何もかも変わってしまいました。誰も彼もが潮が引くように去っていった・・・・・。そんな気がします。一年間どうやって過ごしたか、自分でもよくわからないくらい、建築士の博さんとは、もちろんもう会っていませんし、知り合った店にも行っていません。

あれからあの夫婦がどうなったかもわからない。一度だけ、別の店で共通の知り合いにばったり会ったとき、噂話のように『博さんはヘンタイだから』と笑うのを聞きました。短い付き合いだったし、あれが恋愛だったかどうかも今となっても良く解らない。自分自身の頭が混乱しそうなので、もう考えるのは止めました」

 大事な部分が老いてしまい

 母を失って一年経ち、美帆さんはようやく人心地につき、同時に過去を振り返るようになってきた。気づいたら子どもたちは自立している。自分の存在は何だったのだろうと思うと、「これでよかったのか」と考えてしまうという。

「急にひとりぼっちになった寂しさが、このところ身にしみてきました。離婚してからただ必死に生きてきたけど、母とは最後まで心からわかり合えなかったような気がするし、子どもたちが私をどう思っているのかも話したことがない。私は誰かに必要とされてきたんだろうかという思いに、このところ囚われているんです」

 子どもたちはずっと見てきたはずだ、頑張っている美帆さんの姿も、亡き母も知っている。必死に生きている娘の姿を。だからこれからも、若々しく明るい美帆さんでいなければ――。

私がそういうと、彼女はいきなり泣き出した。そして声を詰まらせつつ、次のように白状した。

「この前、仕事で知り合った十五歳年下の男性とホテルへ行ってしまったんです。彼が慕ってくれたから、冗談交じりに誘惑したら、『僕、美帆さんの事が好きです』とムキになって。

でも彼、結局、できなかったんですよ。飲み過ぎた言い訳をしていたけど、明らかに様子がおかしかった。家に帰ってお風呂に入ったとき初めて気づいたんです。私のあそこ、白髪がすごかった・・・・」

 そういえば、今年になってから生理がまったく来ていなかった。それも把握していないほど、昨年からの一年間は、彼女にとって呆然自失の日々だったのかもしれない。

 年齢を経れば、下半身は白髪が交じってくる。それはしかたのないことだが、頭髪と違って「シモシラ」(下半身の白髪)は、はるかに衝撃的だ。女としての大事な部分が老いていく恐怖感に直面するせいだろうか。

「女として終わったんだということを、私、認めなければいけないのかも。だけど素直に認めたくないし、老いていくことを受け入れたくもない。

若い彼の肌、もの凄く張りがありました。私は肌に触れているだけで気持ちよかったけど、彼は私のたるんだ肌に触れ、下半身の白髪を見て、愕然としたんでしょうね‥‥。老いをこんな形で知らされることが、惨めでたまらないんです」

いろいろなことが立て続けに起こって、美帆さんは今、心身ともに疲れているのだ。それに「産む性」としては終わったかもしれないが、「女としての性」は終わっていないはず。そう熱弁を振るってはみたが、それが何の慰めにもなっていないことは、同世代の私自身が一番よくわかっていた。
つづく 第二章 
 屈辱の浮気絶倫夫との二十七年、我慢の末に流す後悔の涙