閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたい
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  代表的な避妊方法=交接図

第九章 心療内科とのつき合い方

本表紙 快楽(けらく)工藤美代子著

無気力、虚脱感の原因は果たして何なのか

 この頃。自分で自分が、ちょっとおかしいと思う。うまく言えないのだが、明らかに以前とは違ったことがいくつかある。
 まず、何をするにも億劫で仕方ない。台所に立って料理をするのも面倒だ。ついデパートで出来合いのものを買って食べてしまう。毎朝、洋服を選ぶのも苦痛だ。何を着ても、どうせ他人の眼からみたら、ただのオバサンじゃないかと思うと、お洒落をする意欲も湧かない。

 さらに、一ヶ月ほど前から、頻?にあるイメージが頭に浮かぶ、それはビルの屋上から自分が飛び降りる光景だ。さーっと音を立てて身体が落下し、どすんと地面に叩きつけられる。それで、すべてが終わると思うと、悪くないなと感じる。

 しかし、よく考えてみると自分は、とくに大きな悩みを抱えているわけではない。贅沢はできないまでも生活は安定している。夫とは喧嘩したこともない。信頼できる友人にも恵まれている。じゃあ、何が不満なのかと問われれば、不満はありませんと答えるしかない。それにもかかわらず、この無気力、この虚脱感はどうしたわけだろう。

 親友の恵美子さんに相談したら、「あなた。うつ病じゃないの?」といわれた。
「ね、最近、セックスしている?」と重ねて彼女に聞かれ、「そいえば、セックスなんてしたいとは思わない。うん、全く興味がないなあ。でも、更年期って、そんなものじゃないかしら」と答えると、「変よ、あなた絶対に変よ。そういうときはね、心療内科に行くのが一番いいのよ。あたし、すごく良いクリニックを知っているから紹介してあげる」という。

 私は、はっと思った。もしかして、更年期世代で、私と同じような症状に悩んでいる人はたくさんいるのではないか。つまり、自分でも何が原因か分からないけれど、とにかく気が滅入るような症状だ。

 そこで、私は恵美子さんが知っている「すごく良いクリニック」の先生に取材を申し込むことを思いついた。実は、取材にかこつけて、心療内科と呼ばれる未知の世界の扉を開けてみたいという下心があった。

 お会いしたのは、恵美須町の駅前にある「大見山クリニック」の院長である、大見山浩一先生だった。クリニックの名刺には次のように書かれている。

「不眠や体調不良でお困りの方は。なんとなく元気が出ない方、家庭や職場でうまくいかない方」
 そういう人たちのためのクリニックらしい。
 私の場合、最後の家庭や職場は、まあうまくいっているとしても、他の二点はまさに当てはまる。

 とにかく、夜はなかなか寝付けない。朝は身体がだるい。原稿は書いているものの、その生産性の低さたるや、といもプロと呼べる仕事量ではない。ああ自分は元気だと感じられる日など、一年に何日もないのだ。これは更年期のせいかといつも思っていたのだが、もしかして恵美子さんがいうように、うつ病の可能性もあるのではないか。しかし、そもそも、うつ病とはどのようなものだろう。そのへんから先生にお尋ねしてみた。

「悪くなる前の予防の段階で来てくださっていいんです」
「うつ病とうつ状態というのは違いますからね」と優しい口調で先生は切り出す。うつ病かどうかを判断するのは、普通の生活を送れるかどうかにあるという。たとえばサラリーマンなら会社に行けるかどうか、主婦なら家事ができるかどうか、学生なら学校に通えるかどうか、そうしたことが判断の基準になるらしい。

 ただし、主婦の場合は家事の事ができなくなって、ご飯が作れなくなっても、夫が許してくれれば、それですんでしまうところもある。だから見極めは難しい。

 これは私にとってはドキリとする言葉だった。私の夫はいたって寛大な人なので、私がデパートで買ってきた御総裁を電子レンジでチンして食卓に出しても、一度も文句をいったことがない。だからどんどん家事をさぼるようになる。

「そうですね、そこが気を付けなければいけない点です。つまり単に怠け病で、性格的なものならば、頑張ってと言われればDNA頑張れます。ところが、それがうつ病の場合は明らかにエネルギーのレベルが落ちているわけですから、これは治療をすることはありません」

 更年期というのは、女性にとって身体の変化がある時期だ。たとえば生理の直前にイライラするのや、出産後に、マタニティー・ブルーになるのと同じことだ。その変化に対するストレスから、うつ病になるケースが多い。

 さて、そのうつ病なるものは、発症に関与するDNAつまり遺伝子の影響を受けるものなのだそうだ。もちろん、そのDNAがあるからといって百パーセント発症するわけではない。しかし何かきっかけで、それが鬱になるケースがある。

といって、自分にそのDNAがあるかどうかを検査してもらうのには、そう簡単ではないという。もっとも、そのDNAがあると分かっただけで落ち込んでしまう危険もあるだろう。

 更年期の場合は女性ホルモンの量が低下するので、性的な欲望が落ちることは十分に考えられる。また男性は、アルコール依存症などで不能となり、それが原因で鬱になる人もいる。だとしたら、女性でも性交痛や、体力、性欲の衰えが心理的に影響することもあり得るだろう。

「しかしですね、まずは、一つの症状にとらわれるのではなくて、その背景を理解することが大切です」と先生はおっしゃる。

 私のように単純な人間は、あっ、セックスがしたくないのは、これは鬱病じゃないかと勝手に思い込んでしまう。ところが、そうではなくて、セックスをしたくないのは、ときどき押し寄せてくる鬱の波のせいなのか、あるいは加齢のためなのか。また夫とうまく行っていないからなのか、そうした点を考慮しながら診断する必要があるわけだ。

 したがって大見山クリニックでは、初診にきっちりと時間をかける。初診だけは予約制で、一人に一時間以上は取ってくれる。最初に四十分から五十分ほど臨床心理士が話をじっくりと聞く、その後に大見山先生の診察となる。これが十五分から二十分くらいだ。

 なぜ、先生がこれだけ初診にこだわるかというと。ここで患者さんの精神的なバックグランドをしっかり押さえて、投薬でいくか、カウンセリングでいくかいった治療の方針性を決めなければならないからだ。この最初の見立てを間違えると治療気難しくなる。

 もちろん、私のように自分が鬱病なのか、あるいはうつ状態なのかどうかも分からない人は、たくさんいるだろう。しかし、専門家に診てもらえば、すぐにわかるはずだ。不安を抱えながら生活をしていくのなら、思い切って診察を受けたほうが、気が楽になるともいえる。

「もう一つは、セカンド・オピニオンを聞きにいらっしゃるというケースもありますね」
 先生のところで、今まで自分がやってきた治療が正しいかどうかを確認しに来る患者がいる。
 そう言われてみれば、私自身も更年期障害が始まってから、もう七年くらい精神安定剤を服用している。それで症状が何とか収まっているのだがから、かまわないと思う反面、いつまで自分はこの薬を飲み続けるのだろうという不安もある。

 また、ホルモン補充療法を採り入れるべきかどうかで迷っている女性は、私のみならず、とても多いだろう。そうした女性たちが、現在、自分を受け入れている治療方法を話したうえで、相談に乗ってもらえるのだとしたら、なんとも心強い。

 セカンド・オピニオンを聞くと言うことは、つまり今受けている治療に改善の余地があるかどうかを一緒に考えてもらうということだろう。

「さらに、うちの場合はほんとうに具合の悪くなる前に予防の段階で来てくださっていいのです」

 なるほど予防か…と私は心の中でつぶやいた。人間の身体だって、昨今はさかんに予防医学が叫ばれている。だったら精神だって、予防した方がいいに決まっている。

 自分が自殺するところまで追い詰められてからでは遅いから、何か変だなと思ったら、さっさと心療内科の門を叩けばいいわけだ。どうも精神科という敷居が高い感じがするが、心療内科のクリニックなら、もう少し気軽に訪ねてられる気がする。

 主治医を決めてその人とともに戦う

 私はにこやかに、更年期とうつ病に関連する初歩的な解説を丁寧にしてくださる先生のお顔をぼんやりと眺めているうち、思考がふと遠いところに飛んでしまった。

 もしも、今、自分の頭の中のすべてのことを、先生に預けられたら、ずいぶんと楽になるのではないかと考えたのである。平凡な主婦の私には、たいした秘密もトラブルもない。それでも、五十五年間生きてくると、何か澱(おり)のようなものが、心の内部に沈澱している。それをそっくり曝(さら)け出せたら、私の頭はずいぶんとクリアーになるのではないか。

「先生、私、ときどき、全てを吐き出せる相手がいたらと思うのですが、それを心療内科に求めてもよいのですか?」
 そう尋ねると、先生はこちらを見て頷いた。

「もちろん話すことによって、自分の気持ちや、考え方を整理できるときがあります。さらに、すべてを吐き出してすっきりするといった側面もありますね」

 さらに先生は言葉を続けた。
「問題は誰を信頼するかなんです。ドクター・ショッピングといって、いろいろと医者を替え、渡り歩くのではなく主治医をひとりに決めた方がいいのです。決めたら、その先生と一緒に、どうやったら乗り越えられるかを考えて、戦っていく。それば本来の治療の姿だと思います。とにかく、一緒に戦い抜ける先生が見つかれば、幸せですね」

 ここで、大見山先生は面白い話をしてくれた。昔の日本は「社会」というものがしっかりと確立されていた。その中で、皆が助け合って生活が機能していた。だが、現代社会では、そうしたソーシャル・サポート・システムが希薄になっている。個人がばらばらに生きているから、こころの問題の解決も医師に委ねるしかなくなっているというのだ。

 なるほど、そういわれてみれば、江戸時代の日本人より現代の日本人はずっと孤独だ。それだけは間違いない事実だ。私は日常生活のなかで、無意識に家族とも友人とも、ある距離を取っていると自分で感じている。また、暗黙の了解事項があるのも現代社会だ。たとえば、英語では「ショップの話はしない」という表現がある。

他人と話しているときに、それがビジネスであったのではない限り、極力自分の仕事の話題はしないというお約束事だ。お天気や、ペットや家族や政治、宗教に関わる会話はしても、自分がこれほど大変な状況で仕事をしているといった愚痴は、絶対に言ってはいけないのが、北米社会の常識だと聞いた。

 だとすると、愚痴は吐き出す場所がなくて、体内にどんどん蓄積していく。それを私たちは簡単にストレスと呼んでいるのかもしれない。日本でも、自分の心が抱える苦悩を社会が助けてくれると考えている人はもう少ないだろう。

全ては自分で処理しなければならないと信じ込んでいる。そこで、自分の状況がよくわからずに空回りして、もがいているのが現代人ではないだろうか。

 独り歩きしすぎている? 「更年期障害」という言葉

「そうですね。普通の人はよく、症状と症状群と病気と、この三つをごちゃごちゃにしていると思います」

 先生の説明によるとまず、症状というのは更年期の場合、イライラやほてり、生理不順などいろいろある。そして症状群というのは更年期障害とか自立失調症とかいう言葉を指す。そして病気はうつ病などある。

 したがって、症状に対しては、とりあえず対症療法的に薬で対応して辛さを軽くする。その間に病気の根本的な治療をしていく。それぞれ三つのレベルでの把握をちゃんとしないと、間違った解決策を模索する結果となる。

「どうも、僕は更年期障害という言葉が独り歩きし過ぎるような気がするんですよ。ピントぼけちゃっているんですね。不調の原因がストレスのこともあるし、鬱の場合もあるかもしれない。すべて更年期障害と決めつけるのはおかしいです」

 そして、もっと大事なのは不調の陰に何か身体の病気が隠れていないかをチェックすることである。これは私も常に思っていることだ。四十代から五十代の女性で、身体の不調を全て更年期のせいだと思い込んで、定期検診も受けなかった知人が何人いる。ある人は脳梗塞の前兆を見逃していた。亡くなる三日ほど前に電話で話したのだが「なんだか頭痛がひどくて、更年期のせいだと思うのよ」と呑気な声を出していた。なぜ、そのときに早く病院に行くように勧めなかったのかと、あとから悔やまれた。

 生理不順も子宮がんなどの可能性を疑って、初めての検査した上で、何でもなかったら、ストレスや更年期も原因かも知れないととらえて、そのケアを考えるべきだろう。

 大見山先生のクリニックでは、ホルモン・バランスのチェックをする血液検査もしてくれる。ただし、先生自身は、ホルモン補充療法にはあまり賛成でないという。ホルモン補充療法を始めるとどうしても、自分が持っているホルモンをだす力が弱くなる。それよりも、本人の持っている力を高めようというのが先生の考えだ。しかし、やはりホルモン補充療法をやりたいという患者がいたら、それは薬も出すし、専門の医師も紹介する。

 最後に私は、気になっていた費用について質問した。先生のクリニックは保険診療を受け付けいる。初診が約二千五百円と薬代、再診では約千五百円と薬代がかかる。ただしカウンセリングをうけると予約金として四十五分で五千二百五十円が追加される。再診の場合は予約なしで診てくれるので、カウンセリングがなければ、すべて保険で賄える。

 ほかでカウンセリングを受けると自費診療になることが多く、一万五千円前後かかる。そのため保険診療と予約金の方が、経済的にはずっと負担が少ない。

「僕は患者さんの味方です。何があっても味方です。最後まで味方です」といい切る大見山先生の言葉が頼もしかった。なにしろ、今の世の中、自分の周囲は敵だらけである。誰かにすがれるものなら、すがりたい。まして、相手が味方になってくれる医者ならば。

 充実した夫婦間のセックス

 同じ相手セックスをし続けて

 知人から岸田夫妻に会ってみないかといわれたのは、半年ほど前である。私が、この連載の中で書いた一文がきっかけだった。自分の周囲の人々に取材したところ、再婚でない限り、更年期世代で、夫とセックスをしている女性は一人もいなかったと書いたのである。これは事実だった。不倫をしている女性はいたし、セックスレスに悩む人妻もいた。しかし若い頃に結婚して、そのまま二十年も三十年も、同じ相手とずっとセックスをしているというケースはついぞなかった。

 ところが、そんなことはないと反論の電話があった。ある地方都市に住む岸田夫妻は、結婚して二十八年になるが、今でも充実したセックス・ライフを送っているという。取材にも応じてくれるから、ぜひ会って詳しい話をして聞いたらどうかというのが、仲介に立ってくれた知人の弁だった。

 たしかに興味はあったのだが、東京から新幹線でなんとか日帰りできるくらいの遠方に住んでおられるので、なかなか腰があがらなかった。
 ようやく、時間を作って、岸田夫妻を訪ねたのは、つい先週のことだった。

 まず、ご主人の岸田徹さんは五十八歳である。奥様の治子さんは五十二歳だ。自営業で、ほとんど二人きりで、店を切り盛りしている。子供は一人いるが、東京の大学を出て、東京で就職した。だから今は二人だけの生活だ。

 普通、ご夫婦を取材すると、たいがいは奥様のほうが、よく喋ってくれる。男性は照れくさいのか、むっつりと黙っていることが多い。

 ところが、岸田家では、饒舌なのはご主人のほうだった。奥様の治子さんは、ときどき相槌を打つぐらいで、ほとんど黙っている。そこで、私はご夫婦別々に話を聞きたいと申し出た。

そうじゃないと情報が偏ってしまいそうだったのだ。それに、お互いに配偶者がいないところのほうが、本音が出るような気がした。

 今考えると、ずいぶんと不躾なお願いだったが、夫妻は了解してくれた。そこで、まずは、ご主人の徹さんと私が近所の喫茶店へ行った。ちょうどランチ・タイムが終わって、店内は静かだった。

 童貞と処女が結婚したんです

「なんといっていいのか、まあ、この歳でお恥ずかしい話ですが、私はあっちのほうは、家内でないと、どうにも駄目なんですよ」
 徹さんがいきなり話題をセックスにもってきた。まるで待っていたかのようだった。

「家内と一緒になったのは、二十九歳のときだったですかねえ。高校の同級生の妹だったんですよ。可愛子だなとずっと思っていたんですが、私が静岡の大学に行ったため、しばらく連絡は途切れました。

それで大学を出て、家業を継ぐために、田舎に戻ったんですけど、それから六、七年したところで、親父が脳溢血で急死しましてね。こっちはまだ二十代の若造ですから、どうやって店をやっていこうかって、そりゃあ不安でした」

 ここで、徹さんの職業を書けないのが残念だが、かなり特殊な技術を必要とする仕事である。それだけに、突然店を一人で背負って立つことになった徹さんの不安は察するに余りある。

「当時はおふくろがまだ生きていましたから、これを機会に身を固めろってうるさくてねえ。おふくろですか? 七年ほど前に乳癌で死にました。きつい人でしたねえ、

 まっ、それはともかく、嫁とりの話が出た時とき、私の頭に最初に浮かんだのが、治子でした。それで、私は一人で、のこのこ治子の家を訪ねたんですよ。いい度胸ですよ。でも、親父も死んだし、誰か仲人を立てて聞いてみるのも、まだるっこしいと思いましてね。

菓子折りぶら下げて治子の家に行ってみたんです。まだ嫁に行かないで家にいたんですよ。だから治子の両親に、娘さんをくださいって、いきなり頭を下げました。

 先方はびっくりしたでしょう。でもねえ、向こうも同じ町内で、私の家のことは知っていましたから、あとは治子の気持ち次第ってことになりましてね。それから、しばらく、治子から返事がこないので、ずいぶんとやきもきしましたが、そうねえ、一ヶ月くらい経ってから『お受けします』って電話がありましてね。正直、ほっとしました。なにしろ治子しか眼中にありませんでしたからね」

 徹さんは、煙草をすいながら、嬉しそうに笑って言葉を続ける。
「こんな話はねえ、私は今まで誰にも話したことはありませんでしたがね、そのぉ、何と言うか、私らは童貞と処女で結婚したんですよ。古い言葉でしょ、童貞と処女なんてねえ。

今じゃ中学生だって身体を売る時代ですからねえ、おかしいかも知れませんが、私は治子が初めての女だったんです。だから、最初はもう、何が何だか全然分かりませんでしたよ。

女の人にこんなこといっちゃあ何だけど、どこに入れるのかもよくわからなかったですからね。最初の夜なんか、先っぽがちょっと入っただけで終わりですよ。ああ、そうかこのへんかっていうんで、見当をつけて、翌日はうまくいきました」

 女房の身体を抱くだけで分身のように愛おしい

 どうやら徹さんは、し話好きの人のようだ。このままだと、話が少し横道にそれそうなので、私はどんどん質問することにした。

「それで、現在も奥様とセックスをなさっているのですか?」
「そうなんですよ。私は治子じゃないとどうも具合が悪いんで。これは家内には内緒にしてたんですが、まあもう時効だからいいでしょう。実はね、あれは四十五歳くらいのときだったかな、同業者仲間の連中と温泉に行ったんですよ。そこで、皆よっぱらちゃって、芸者を買おうという相談がありましてね。

いやあ、男なんてそんなものですよ。慰安旅行なんていって、男同士で行ったらろくなことはしません。私も一度も浮気をしたことがないって言うんじゃ、どうもねえ、男の沽券にかわると思って、その芸者買いに参加したんです。わりあいと若いきれいな芸者が来たんですよ。他の奴はお前のはいいなあなんて羨ましがられるくらいでしたよ。

 ところがねえ、その女といざ初めてみると、どうもうまくいかないんですよ。女がね、なんか白けてんですな。ほら芝居でもいいから、いいような顔して見せりゃいいのに、冷たいーい感じでねえ、もう全然ダメでした。こっちも途中で萎えちゃってね、金だけやって帰しましたよ。そのときに、私はひょっとして治子以外の女とはできないのかなあって思ったんですよ」

「あの浮気の試みはその時の一回だけだったんですか?」
―いや、実はもう一度あります。これは治子に知られると怒られちゃうだろうけど、まあ未遂事件ですから、勘弁してくれると思います。もう、まな板の鯉じゃないけど、覚悟して喋っちゃいますよ。あれは、五十歳くらいのときだったかな、年末には私らの商売がちょっと忙しくなるもんで、店にアルバイトのおばさんを雇ったんですよ、おばさんったって四十二、三歳くらいでね。

治子よりは若いですよ。その人がこう、いやになれなれしいんですね。とくに治子のいないところだと、まあいっちゃなんですが、明らかに色目を使ってくるんですよ。それで、私も男ですから悪い気分はしなかったですよ。

 その人と商品を配達に行ったとき、ふっと魔がさして。そのまま二人でモーテルへ行っちゃったんです。今になって考えりゃ、向こうが誘ってたんですね。特別に色っぽいって人じゃなかったけど、ブスじゃないですよ。

 それで、風呂まで入って、これから始めようってときに、その人がなんか妙な顔をしていて、雰囲気が盛り上がらないんですよ。私も相手の反応は気になりますからね、嫌がるものを無理にはしたくないし。実はやり始めましたんですけど、途中で引っこ抜きましたね。

そんなに笑わないでくださいよ。大根じゃないないんですからさ。まっ、気分が乗なかったんですよ。ああ、私はもう金輪際、浮気をしようとなんて考えるのは辞めようと決心しましたね。それからは、もう治子一筋ですよ。だって、他の女にちょっかい出したってろくなことにはならないですから」

 徹さんは自分の冒険談がおかしいらしく、笑いながら話してくれので、私もつい、つられて噴き出してしまった。

 そんなに奥さんを愛しているなら、最初から浮気なんかしなきゃいいのにとも思った。それにしても、徹さんは幸せだ。自分と最高に相性の良いパートナーに恵まれて、現在でもセックスを楽しんでいる。

「失礼ですが、どのくらいの頻度で、セックスをしていらっしゃるのですか?」と尋ねると、うーんと首をかしげた。

「本当のところ、最近は急激に減っています。つい三、四年前までは、毎週一回は必ずやってましたんですよ。ところがねえ、近頃は一ヶ月に一回がやっとですか。別に夫婦の間に何かあったってわけじゃないんです。忙しいとか疲れているってわけでもないんですが、これがほら、よくいわれる精力減退ってやつかなあって思ってます。

 でもねえ、有り難いですよ。治子と何をした後はしみじみと、いい女を女房にしたなって、感じます。若い頃のセックスは激しくて、欲求をぶつけるようなところもありましたが、中年になってからは、ただ女房の身体を抱いているだけで、満足なんです。ああ、自分の分身はこいつだと思うと愛おしいですよ。

 近頃は射精しないで入れるだけってこともあります。それでも満ち足りちゃうのは、長年、連れ添ってきた夫婦だからじゃないですか。治子も同じ思いだと私は信じていますがね。夫婦ですから、いちいち聞いたりはしませんが」

 徹さんは、しみじみと、二人で歩んできた道を振り返っているようだった。

 あたしが捨てたら他の人はいない

 私は続いて、治子さんから話を聞くことにして、同じ喫茶店で、徹さんが帰り、治子さんが来るのを待った。

 彼女が寡黙な人なので、少し心配はあった。だか、それにしても、明るくて話し好きのご主人と、静かで落ち着いた奥さんは、いかにもお似合いのカップルである。

 二十分ほど待っていると治子さんが店にやって来てくれた。控え目な治子さんは、声も小さい。私は身体を前に乗り出すようにして、彼女の言葉を聞いた。

「主人があんな性格なもんで、誰にでも、うちはまだ現役だぞなんて自慢するものですから、それで西川さんが、ぜひ取材に応じてくれとおっしゃってきたんですけど、そんな他人様にお話するような事じゃないんですよ」と、初めはやや戸惑っているふうだった。西川さんというのは、仲介に立ってくれた人物で、徹さんの友達だ。

「こういうお話って、ご本人はしにくいものですよね。でも、プライバシーは守りますので、奥様にとっては当たり前のことでも、お話ししてください」私は頼んだ。

「わかりました。主人と、今ちょっと打ち合わせじゃないんですが、話し合って、もう、この際、何でもお話ししてもかまわないといわれたんです。ええ、主人も構わないってますから」

 治子さんの声に力が入っている。これは何かあるなと私は感じた。つまり徹さんが話さなかったことが、まだ残っているのだろう。
「工藤さんねえ、絵に描いたような幸せな夫婦なんていえません。皆、何か悩みや苦しみを抱えています。うちだって、今でこそ、あたしはこうやって、気楽に暮らしていますが、結婚した頃は、まだ主人の母が生きていましたから、大変でした。主人はひとり息子ですから、夜になると、わざと私達の寝室の前を何度もトイレへ行く振りをして通って、そのたびに咳ばらいをするような姑でした。だから、あたしも気苦労が絶えなかったんですけど、徹さんが優しかったので、なんとか乗り越えられました」

 治子さんも少し本題から外れた話題に入りそうだったので、私はじっと彼女の顔を正面から見て、質問した。
「すいません、立ち入ったことをお聞きしますが、ずっと同じ相手とセックスをするのに飽きてしまうことはありませんか?」

「工藤さん、あなた、朝ご飯を作るのに飽きますか? 洗濯をするのに飽きますか? 飽きないでしょ。それは生活の一部ですから。あたしにとってはセックスも同じです。主人の求めに応じるのは当然だと考えています」

「でも、食事だって、たまには外食ということもあるでしょう?」
「不思議なことに、他の人としたいと思った事って一度もないんです。あたしなんかでも若い頃は言い寄ってくれる男性もいましたけど、主人を裏切る気持ちになれませんでした。なんか、うまくいえないんですけど、主人はあたしが捨てたら、もう他の女の人はいないだろうって、わかっていましたから」

 この言葉を治子さんから聞いたときは、内心おやっと思った。治子さんのこの自信はどこから来るものなのだろう。やはり性的な相性が抜群なので、夫は自分以外の女性とはセックスができないと知っての上の自信なのだろうか。

 しばらく私が沈黙していると治子さんのほうから口を切った。
「自惚れていると思われているかもしれませんけど、そうじゃないんです。あたしは、何も知らないで結婚したんですけど、五、六年した頃に気づいたんです、これは主人も自覚していますから、お話ししてかまわないって、さっき言ってましたけど、つまり、お話ししないとどうしてあたしたち夫婦の結束が強いか、工藤さんにおわかりいただけないでしょうから」

「その気づいたことって、何ですか?」
「ええ、実は主人のペニスは普通の人より、ずっと小さいんです。半分くらいじゃないですか。だから、少しでも音を知っている女の人だったら、驚くでしょう。でも、あたしは、そんなことは関係ないと思っています。いいんです。あたしは主人が好きですし、主人とのセックスにも満足しています。ただ、そんなことがあるもんですから、あたしたちの絆はよけいに強くなったってことを、隠さずにお話ししようって、主人もさっきいってました」

 治子さんは、ほっとしたように、小さくため息をついた。それからははにかんだように微笑んだ。それがとても可愛らしくみえた。

 夫婦のことは他人にはわからない。でも、今日は養護夫婦に会えたと、私は幸せな気分で帰りの新幹線に乗ったのだった。
 つづく 第十章 人生の伴走者