快楽(けらく)工藤美代子著
「国際結婚した夫と離婚して今度こそやりなおしたい」
純子さんは猛烈に怒っていた。
私は今まで、女性が怒るシーンは何度も目撃している。たとえば、私の母は短気で、怒りっぽい人なので、子供の頃から、怒られたばかりいた。母の凄まじい形相は、目に焼き付いている。しかし、その怒りはどこかさっぱりしており、家族同士の馴れ合いの部分もあった。あえていうなら、明るい怒りだった。
だが、純子さんの場合はちがった。もう本当にこころの底から怒っている。体内に自分でも制御し難い黒い濁流があって、それが渦巻き、逆立っているように見えた。
なぜ、それほどまでの強い憤怒に彼女が襲われているのかといえば、それは、彼女が他の誰でもない、自分自身に怒っているのである。
他人に向けて怒るのは、ある意味では救いがある。ボールを相手にバシッとぶつければよいのだ。ぶつける行為で、自分の怒りを解消できる場合もある。しかし、自分に対する怒るのは、その悩みの直接、自分の肌身に返ってくることだ。これは、かなり辛い話だ。
「今度こそ、離婚しようと思うのよ」という純子さんの言葉を、私は内心、「またか」という思いで聞いていた。もう過去十年間にわたって、同じ言葉を彼女から聞かされ続けてきた。
純子さんとは、私がカナダに住んでいたとき以来のつき合いである。彼女は私より三歳年下の五十一歳だ。アメリカの西海岸に住んでいる。いや、住んでいたという方が正確かもしれないが、私には、今の彼女の本拠地が何処なのかよくわらない。
私の前の夫はカナダの大学で日本文学を教えていた。そして純子さんのご主人のトムと友人だった。トムは日系二世だが、かなり流暢な日本語を話す。
一時は家族ぐるみで交流があったのだが、私が離婚してカナダから日本に帰って来てしまったため、しばらくは音信が絶えた。それが、十年ほど前に、突然、純子さんから電話があって、再会してみたら、以前は丸いクリンとした目におちょぼ口で、どこか子狸のような愛嬌のあった彼女が、すっかり?せて沈んだ表情をしていた。
トムと離婚したい。しかし、簡単には相手が承知しそうにもない。どうしたらよいかという愚痴を延々と聞かされて、いささか参ったのを憶えている。「離婚したいのなら。ただ行動あるのみよ」と私はいった。まず、別居する。それから弁護士を間に立てて離婚の話し合いをするという手順を踏めば、時間はかかるかも知れないが、確実に離婚は成立するはずだ。
しかし、よく話を聞いているうちに、事はそう簡単ではないということがわかった。専業主婦の純子さんは、離婚しても経済的な基盤がない。日本に帰って来ても、四十歳を過ぎた女性が就職できるかどうかわからない。彼女も後悔しているのだが、夫が日本語に不自由でなかったため、アメリカに住んでいた間、純子さんは英語の勉強をしていなかった。
日本の人はよく、アメリカに十年とか二十年住んでいたら、英語はぺらぺらになると思い込んでいるようだが、実際には、そうではない。夫が日本語を話す場合は、よほど自分が強い意志を持って勉強しない限り、何年アメリカにいても、単純な日常会話以上の英語力は身につかない。
純子さんは二十代でアメリカへ渡ったが、結局、子ども二人の育児や家事に追われて、英語を使う必要もないまま日々を過ごしてしまった。
やがて、子供たちが大学に進学し、家を出て行ったら、愛情のなくなった夫との二人だけの殺伐とした日々が待っていた。
その頃、淳子さんは、母親が病気になったため、日本に里帰りした。彼女は四十一歳だった。思い出して、私に電話をくれたのも、そのときである。
それ以来、一年に一度くらいのペースで東京で彼女と会っていた。話はいつも同じところを堂々巡りしていた。トムと離婚したい。だがアメリカでも日本でも経済的に自立して、一人で生きていく自信はない。
子供たちも育ってしまった今、養育費という名目でトムからはお金はもらえない。別にトムに女がいるわけではないし、家庭内暴力を振るったわけでもないので、慰謝料を求めるのは難しい。つまり法律的には彼の方に落ち度がないと認められない。
そうなると、離婚が成立しても、せいぜい家を売却して、その半分を財産分与してもらうくらいが関の山だ。
そんなお金は五年もすれば消えてしまうと彼女はいう。
「だけどね、あたしはもう、あの田舎町にはうんざりしているの。日本に帰って、すべてを新しくやり直したいのよ」
純子さんの言葉に、私はいつも、とにかく心配しないで第一歩を踏み出してみたらと答えていた。もちろん、中年の女が、いきなり二十年のブランクの後で、日本に戻っても、その生活は大変なのは、自分も経験しているので、よく理解している。
しか、恐れていたら、何も始まらない。ほんとうに別れを望んでいるのなら、裸一貫で新しい人生を築くらいの覚悟が必要だ。
あるいは現状維持でいくのか、そのどちらしかないのは、私の目には明らかだった。
また、今度も同じ話をするのかと思っていたら、「わかっているわよ。あなたのいいたいことは」と純子さんは、こちらの機先を制するように、喋り始めた。
夫とうまくいかなくなって日本人商社マンと恋愛関係に
「あたしだって、この十年間、真剣に悩んできたわ。でもねえ、ほらよく『藁もすがる』心境って言葉があるじゃない。あれと同じなのよ、その心境で男にすがっちゃったの。でもその男ほんとうに藁だったのよ。藁以下の屑よ、あんな男」といって、純子さんは自嘲気味に笑った。
トムとの関係がうまくいかなくなって、五年ほどしたところ、日本人の商社マン知り会って恋に落ちた。彼の会社の支社が純子さんの住む西海岸の町にあった。ところが、不況が続き、本社がその支社を閉鎖したため、彼は日本に帰った。それまでは単身赴任で独身気分だった彼も、日本では立派な妻子持ちである。
彼に会いたくて、純子さんは頻?に里帰りするようになった。私と会って、「離婚したい」を連発していたのが、その頃である。
「結局、今考えるとセックスなのよね。あんなに燃えたのは、生まれて初めてだったわ。トムと一緒になる前だって、三人や四人の男は知っていたわよ。トムとだって、結婚したころは毎日セックスしていたわ。
でも、二人目の子供が高校へ行く頃から、なんだか鬱陶しくなって。あんまり彼の要求に応えなくなっていたったの。といって、セックスがしたくないわけじゃないのよ。したかったわ。そんなときに西野と巡り会ったの」
西野と純子さんが呼び捨てにしているのが「藁以下の屑」だといった男のことだ。
彼女の夫のトムは博士号も取得しているインテリだが、西野のほうは、三流大学を卒業して営業マンから、海外支社の支社長にまでなった、いわば叩き上げのタイプだ。
「セックスがトムとは全然違ったのよ。アメリカにいた頃は隣の町のモーテルで会っていたし、日本でも、やっぱりラブホテルに行ったのだけど、西野はそういうところに行くのもまったく気にしない男なのよ。あたしは、初めは抵抗があったけど、だってそうじゃない、ラブホテルって、雰囲気も何もなくって、ただやりに行くところっていう感じでしょ。
どこかのシティーホテルのほうがお洒落じゃない。でも西野にはそういう感性が欠落していたのね。それが、私には分からなくなって、下品っていうよりも野生的でいいという風に思っちゃったの。馬鹿もたいよね」
純子さんは目をつぶって、口先を丸めてふうっと息を吐いた。
このときの純子さん顔には、まだ怒りの表情は出ていなかった。少し躊躇してから、急に西野という男とのセックスについて語りだした。
「ねえ、四十代って、女のセックスの欲望が一番強くなるときなのかしら? もう、過ぎ去ったことだから、話せるけど、あの男に狂っていたときって、ただもう、今度いつ会えるかって、それしか考えていなかったから、なんかもう、ふわふわと地面から十センチくらい浮き上がって生きているような感じだった。
とにかく、すべてがあたしにとっては初めての事ばかりだったのよ。西野はいつも鏡の前でしたがったの。しかもバイブレーターを使うのが好きで、ときには二本も入れられたの。だけど、あたしの身体がそれに反応して、乱暴なことや、卑猥な言葉を聞かされると、それが愛情だと勘違いしちゃったのね。とにかく、あたしは彼なしでは生きていけないと思うようになったの」
「でも、その方はご結婚されているのでしょう?」
私は思わず聞いてしまった。
「そうよ。だけど彼は妻には性的な魅力は感じないって言っていたし、自分も純子なしでは生きていけないって言うから、あたしはすっかり結婚するつもりでいたの」
妻を使って突然の電話にひどいショックを受けた
アメリカの生活に終止符を打って、純子さんは都内のマンションを借りた。二人で新生活を始める予定だった。そのために密かにためてあった定期貯金を解約までした。半額は男が出してくれた。
トムには、恋人ができたとはいわなかった。離婚の手続きをする際に不利になることは、言いたくなかったのだ、ただ、人でもう一度、人生をやり直したいから、しばらく別居したいとだけ言って家を出た。
家具を買って、食器を揃え、純子さんは準備を整えた。男も嬉しそうにマンションを見に来て、自分が妻に別れ話をして、家を出る段取りについて、あれこれ語り、必ず一ヶ月のうちにそれを決行すると誓った。その時期が、男の妻の父親が危篤になったという理由で二ヶ月伸びた時点で、純子さんはほのかな不安を感じた。
会っているときの男は誠実そうに見えた。しかし、どんなに遅くなっても、男は自宅に帰る。それを送り出すのも、あと一ヶ月思うから我慢もできた。しかし、どうせ別れる妻の父親のため、なぜ、いつまでも男は足踏みをしているのだろうか。
純子さんが日曜日に一人でじっと考え込んでいたとき、電話のベルが鳴った。
男からだった。そして、その口から思いがけない言葉が飛び出した。
「ちょっと待ってくれる。今、うちのやつに代わるから」
「話は主人から全て聞きました。主人はあなたと一緒になる気なんてまったくありませんよ。私たちは別れませんからね。あなたがあんまりしつこいんで、主人が困って、私から直接話してくれって言うから、話しているんですけど、幸せな他人の家庭を壊そうなんて考えるのは、同じ女として最低よ」
男の妻は叩きつけるようにして電話を切った。純子さんはショックで心臓が苦しくなった。男が自分から別れたいのなら、なぜ、そう言ってくれなかったのか。今まで、妻とは冷ややかな関係だと言っていたのは、嘘だったのだろうか。
「あたしね、鏡の前にずっと座って、泣いたわ。馬鹿だったねって、自分にいって。あんなに自分が可哀そうだったことってなかったわ。いい歳して、あんな屑みたいな男に騙された自分が情けなかったのよ」
純子さんの目にうっすら涙が浮かんでいた。私も西野という男のやり口が、いかに卑怯に感じられて腹が立った。
アメリカに帰ったら待っていたのは地獄だった
「あたしに残されている道はトムのところに帰るしかなかったのよ。だって、日本にいても一人で生きていく自信はないし、アメリカに帰れば、芝生のある大きな家や、子供たちもいる。急にトムが恋しくなって、さっさとマンションを引き払って、またトムのところに帰ったのよ」
「そうだったの。そんなことがあったなんて、ちっとも知らなかった。でも、雨降って地固まることもあるんだから」
私が答えると、純子さんは怒りに満ちた目をかっと見開いて、首を大きく横に振った。
「ちがうの。あたしを待っていたのは地獄だった。トムとは、もう一度やの直そうということで、帰ったその晩にセックスしたのよ。でも、ダメだったわ。全然感じない。西野とのセックスに慣れてしまったあたしの身体は、もうトムとの当たり前の正常位のセックスなんて、受け付けないわけ。でも、最悪なのはトムがそのことに気づかないことなのよ。彼は大感激して、射精したとき、よだれを垂らしたの。あたしはぞーっとして鳥肌がたったわ」
「トムはいつになるの?」
「あたしより十歳年上だから、もう六十歳を過ぎたわよ。だけど性欲は全然衰えていないわね。それどころか、あたしが向こうに帰って、縒りが戻ってからは、もうセックスの事しか考えていないみたい。夜、食事が終わってテレビを見ているときも、いつも自分のペニスを握っているのよ。
異常だとは思わない? 昼間でも、気がつくとペニスを握りしめているわ。そんな夫と毎日、顔を突き合わせているのは、もう耐えられないから、今度こそ離婚したいと思って、日本に帰ってきたけれど、あたしの年齢で、雇ってくれる職場なんてありゃしない。
わずかな貯金も西野と暮らすための準備で使い果たしたし、あたしはもう八方塞がりなのよ。そんな自分に腹が立って仕方ないの。いったいなんで、こんなことになったわけ? あたしだけがどうしてこんな不幸を背負い込まなきゃならないの? 世の中にはあたしよりもっと性格の悪い女やブスの女や頭の悪い女がたくさんいる。
でもみんな、普通に生活している。なんであたしだけが、五十歳を過ぎて、毎晩、夫のセックスの相手をして、感じるふりをしなきゃならないの? そうしなきゃ、ご飯が食べられないなんて、体を売っているみたいじゃない、まるで」
純子さんの頬に涙がつうっと流れてきた。怒りの後から悲しみが彼女を包んでいるのがわかる。
「あなたはそんなのじゃないわ。新しい人生をやり直すのに、遅すぎるということは絶対にないと思うわ」といって、彼女の手を固く握りしめるのが、そのときの私にできる精一杯のことだった。
ホルモン補充療法の効果
いよいよ始まった性交痛、悩んだ末に病院へ
もうこの連載には、何度も登場してもらっている、親友の恵美子さんが、近所まで来たからといって私の仕事場に立ち寄ったのは、去年の暮れだった。
「私、いよいよ決心したの。来年からHRT(ホルモン補充療法)を始めるわ」
私の顔を見るなり、決然とした口調でいう。
これにはなにか理由があるなと、私はすぐに察しがついた。
「急ぐの?」と尋ねると、「うん、やっぱりねえ」といって、一拍置く。「何かあったの?」と私は重ねて質問した。
「実はね、いよいよ我が身に降りかかってきたのよ、あれが」
「ああ、あれね。そっか」
長年の友人になると、いちいち説明しなくても、通じる会話がある。とくに女同士はそうだ。
彼女が言っているのは性交痛のことだと私は理解した。以前、恵美子さんはセックスの後に少量の出血があったのを気にしていた。彼女は、七年前に、子宮筋腫の手術をして、子宮を全摘している。だから子宮がんの前兆とは思えない。ということは、つまり更年期における膣の乾燥や萎縮がすでに始まっていると理解するべきだろう。
「十一月ころからかなあ、セックスしていて、十分くらい経つと、あそこの入口あたりが、どうも引っかかるような感じがして、それが軽い痛みを伴っていたの。
でも、あまり気にしていなかったんだけど、先週ね。二人で銀座に新しくできたフランス資本のホテルに泊まったのね、内装がお洒落で、すごくいい雰囲気で、彼も頑張っていつもは一回しかしないのに、二回目にチャレンジしたのよ。ところが、あんなこと初めてなんだけど、二回目のときが、もう痛くて痛くて、どうしょうもないの。
せっかくムードも盛り上がっていたから、彼の勢いを止めたくなかったんだけど、痛いのに気を取られてちゃって、どうしてもいけないのよ。それは彼も感じたらしくって、射精するまでに至らないで途中で萎えちゃったの。あなた、そういうときって、お互いにすごくばっが悪いものよ。口に出しては何も言わないけど、こう、沈んだ感じになっちゃって、ほんとに困ったわよ」
恵美子さんは真剣な顔で話してくれる。彼というのは、彼女が二十年以上にわたって交際している恋人の事だ。向こうは結婚しているが、彼女は独身である。
彼女の恋人はたしか恵美子さんと同じ歳と聞いていたから、五十六歳のはずだ。男の五十六歳といのは微妙な年齢だろう。そろそろ、男性としての機能が衰えてくる時期ではないだろうか。
だとしたら恵美子さんの状態とは関係なく、彼が途中で勃起不全におちいる可能性もある。恵美子さんは自分が原因だと思い込んでいるが、そうとばかりはいえないだろう。
しかし、なにはともあれ、性交痛があるのは問題だ。
私はしばらく考えた末に、銀座にある村ア芙蓉子先生の「女性成人病クリニック」の名前を挙げた。
更年期外来の場合、保険がきくところと、自費診療のところがある。村ア先生のクリニックは自費診療だ。そのため、最初は初診料や検査などに数万円の出費を覚悟しなければならない。しかし、予約制で、待たされないですむ。スタッフの人たちがとても親切だ。
さらに村ア先生がたっぷりと時間を取って話を聞いてくれる。つまり大きな病院に行って、何時間も待たされたあげく、診察はたった五分といった扱いは受けなくてすむわけだ。
「そうよね、私たちの年齢になったら、いちばん大切なのは健康だと思うわ。ブランド物のハンドバックを一個買ったと思えば、自費診療だって安いものよね」と恵美子さんは頷く。
もちろん人によっては価値観は違うが、私は自分の健康というものは、身体のみならず、精神状態も含まれていると認識しているので、どうせなら恵美子さんが気分よく診察を受けて欲しいと思った。
村ア先生のクリニックに電話して、恵美子さんのために予約を取ってあげた。ただし、私は彼女に頼んだ。ホルモン補充療法をやることで、どのような変化が起きたかを、すべて教えてくれと。彼女は、自分の身元がわからないように配慮をしたうえで私が原稿を書くならかまわない、と承知してくれた。
自分の心も身体も持て余していたのがつくづくわかった
いささか緊張しながら予約した当日、恵美子さんがクリニックを訪ねると、村ア先生は親身になって、彼女の悩みを聞いてくれたという。さらに骨密度検査や乳癌の検査、血液検査をすぐにしてくれた。
大きな病院なら、何時間も待たされるのに、あっという間に検査が済んで助かったとお礼の電話が恵美子さんからあったのは、一ヶ月ほど前だ。
そして、村ア先生に処方してもらったプレマリンという薬を、彼女は一日一錠ずつ飲むことになった。
初めにちょっとしたトラブルがあった。恵美子さんは、今でも、内科の医師からアビリットとエリスパンという精神安定剤を処方してもらって、飲んでいた。これは、実は私も飲んでいるのだが、自律神経を整える作用がある薬だ。
どうせ新しい治療を始めるのなら、いっそ精神安定剤を飲むのを止めてみようと彼女は考えた。ホルモン補充療法で不定愁訴が劇的に治ったという話をよく聞くからだ。
ところが、これがうまく行かなかった。今まで飲んでいた薬を止めて五日後くらいに、何ともいえない倦怠感が彼女を襲った。もう居ても立ってもいられない怠さだった。慌てて村ア先生のクリニックに駆け込んだ。このときに先生は、やさしく対応してくれた。
「無理をすることはありません。しばらくは、精神安定剤とプレマリンと両方を飲んでいたらいいんではないか。症状が落ち着くまで、そうしたらいいですよ」
そういってくれたので恵美子さんは心底ほっとした。そして気づいた。自分がすっかり精神的に先生に頼っていることに、とにかく、自分の身体のことは先生に預けておけば安心だと思ったら、子供が親に甘えるような気持ちになった。
「あれって不思議ねえ。村ア先生の声を聞いているだけで、なんか涙が出てきちゃったのよ。いかに自分が自分の心も身体も持て余していたのかって、今ごろになってつくづくわかったわ」と恵美子さんは笑った。
私は彼女の言葉にはっとした。
私たち、更年期世代の女性は、社会的に見ればじゅうぶんに自立した大人だ。彼女も教師として脆い部分をいつも保護しながら生きている。だから疲れるのかもしれない。
おそらく恵美子さんの性の悩みに、ある回答を与えてくれたのは村ア先生が初めてだったのではないか。私だって、いくら彼女に相談されても、確固たる解決策など持っていない。
「とにかくね、あっちのほうは心配しなくても大丈夫って先生がいってくださったの。だから安心したら、なんだか急に元気が出ちゃった」と恵美子さんは弾むような声でいって、第一回の報告の電話を切った。
一番つらいのは不定愁訴、嵐が過ぎるのをベッドで待つ
ここで誤解がないようにいっておくと、ホルモン補充療法は、なにも性交痛のためだけにあるのではない。ほかにも骨粗鬆症の予防とか、不定愁訴の解消とか、さまざまな効果がある。恵美子さんも、ここ数年、不定愁訴には悩まされていた。
私たちが会ったとき、必ずといってよいほど、その話題が出る。
「朝、目が覚めるときにね、ああいい気分だなあと思える日って、一年のうち数えるほどしかないわよね」と恵美子さんはいう。
「ほんとねえ、私なんか、いつも、ああこのままベッドの中にいて、一日中なにもしないで、閉じこもっていられたら、どんなに幸せかと思うわよ」と答える。
更年期世代に特有のうつ状態に悩まされているのは、私も同じだ。
とくに体のどこが悪いわけでもない。風邪をひいているのでも、下痢をしているのでもない。それなのに、まるで地面に引き摺り込まれるようなだるさがある。
「学校で会議をしている時でも、あれが襲ってくることもあるの。あの脱力感というか、疲労感というか、とにかく、あっ、来たなって、自分でもわかるのよね。もうどうしょうもないわ。そんなときは、早めに会議を切り上げて、自分の家に帰って布団をかぶって寝るだけ」
「うん、それはこっちも同じよ」と私はいった。主人は更年期の症状には理解があるので、「ごめん、今日はちょっと具合が悪くて」というと、「そんなら寝ていなよ」とのんびりした声で答えてくれる。
どうしても食事の支度をしろとか、掃除をしろといった無理な要求は絶対にしない。それで私は安心て、ベッドの中に潜り込み、嵐が過ぎるのをじっと待つことが出来る。この感覚は、更年期の不定愁訴を経験した人じゃないとわからないだろう。だから、恵美子さんは秘かに、ホルモン補充療法が不定愁訴の解消にもつながるかもしれないという期待を持っていた。
彼女がプレマリンを飲み始めてちょうど一か月後に、私は恵美子さんと一緒にランチを食べながら、その後の経過について聞く機会を持った。
「報告することがたくさんあるのよ」と彼女はパスタのお皿を前にして、喋り始めた。ただし、なにしろ女同士の気楽な会話なので、話があちこち飛ぶ。それを私が整理してみると、次のような結果となった。
まず、村ア先生のクリニックへ行ったのは良かったと思う。先生はさっぱりとした性格の方で、常に患者の側に立って話を聞いてくださる。つまり、相手を見下すようなことは、決してなさらない。だから恵美子さんも安心して診療を受けられた。
その次に一番肝心の性交痛に関しては、明らかな改善があったと、彼女は語る。
「まだ、服用してから二週間目くらいのときに、彼とセックスしたのね。あんなに心配だったのは、大学受験のとき以来初めてよ。だって、もしまた痛いようだったら、セックスを諦めなきゃならないじゃない。
正直なところ、私はそれでも仕方ないかなと思っていたの。でも、彼はまだまだセックスに執着があるのよ。話していてもわかるんだけど、男をリタイヤする気には、まだなっていないわね。
だから私も彼の『ご要望』にはなんとか応えたいという必死だったの。あなた、笑うけど、セックスの楽しみがなくなったら、死んだ方がましだとまで、彼は言っているのよ。男って、そういう動物かも知れない」
いつもより前戯に時間をかけてから、彼がペニスを挿入した。相手がどこまで気づいたかは不明だが、恵美子さんのほうは、スルリとペニスが膣に収まる感じがした。以前はやや、ぎしぎしとしながら入ってくる感じだったそうだ。
ただし、彼が往復運動を始めて、しばらくすると軽い痛みがあった。
「だからね、私が考えるには、膣が本来のみずみずしさを取り戻すには、もう少し時間が必要なんじゃないかと思うの。でも、どうしょうもない痛さはなかったから、それだけでも治療を始めて良かったわ」
と、彼女はいたって満足そうだった。薬を飲みだすと、おりものが増えますと先生に言われたが、確かにその通りだった。
喉の腫れも貧血も気づいたら緩和されて
とにかく、これでしばらくは、恋人とのセックスの時の性交痛に関して心配する必要もなくなった。それだけでもHRTを始めた価値はあったと彼女は言う。
気になっていた不定愁訴についても、私は尋ねてみた。これは私にとっても深刻な問題だからだ。
実は恵美子さんは、この点で、ちょっとした失敗をやらかした。どうせ新しい治療を始めるのなら、この際、漢方も試してみようと思い立ち、知人の紹介で、漢方医を訪ね、漢方薬も処方してもらった。その漢方薬を飲んだら、ひどい動悸がして、一時は救急車を呼ぼうかとまで思った。しかし、症状は漢方薬を飲むのを止めたら簡単に治まった。
「だから、教訓としては、あんまりいっぺんにいろいろな治療はしないことね。漢方薬が必ずしも副作用がないわけではないとわかったわ」と、恵美子さんは反省している。
多少の紆余曲折はあったものの、現在の彼女の状態は以前よりはるかに好転しているという。不定愁訴も今のところは表れていない。
最近では珍しいほど気分が良いと恵美子さんは喜んでいる。
「それにねえ、もう一つ、面白い変化があったのよ。それを、あなたに話そうと思っていたの」
という、その変化とは、彼女の喉の調子なのだそうだ。
恵美子さんは、ここ数年、喉の調子が悪くて困っていた。いつも喉が腫れている感じがするのだ。風邪気味だと、さらに喉が痛くなる。そんなときには、抗生物質を飲む、そうすると、確かに腫れは引くのだが、あまり長期間にわたって抗生物質を服用するのは身体に良くはないと医者にいわれた。
その喉の腫れがプレマリンを飲み始めて、しばらくしたら、消えたという。
さらに彼女は冬になると必ず鼻血が出るので困っていた。冬は空気が乾燥するためだろうと思われるが、これも更年期を迎えてからの症状だった。
ところが、気が付いたのよ。つまり、膣も、喉も、鼻も結局は粘膜じゃない。HRTによって粘膜は潤うとしたら、これってみんな繋がっているんじゃないかしら。医学的なことはよく解らないけど、身体の粘膜の乾燥が緩和されたことだけは間違いないみたいいよ」
ということで、この日の恵美子さんの話は終わった。なにはともあれ、彼女のホルモン補充療法が順調に進んでいるのを聞いて、私はほっと安堵した。
森瑤子さんの思い出
「この頃、ドキドキするような男が現れないのよね」
あれは、もう二十年ほど昔のことである。当時カナダに住んでいた私は、よく友人たちと、「女は鳥かテーブルか」という論議をしていた。
鳥は自由だ。空高く舞い上がり好きなところへ飛んでいける。一方。テーブルは四本の脚で、しっかりと地面に立っている。動かないけれど。その上で、家族が食事をしたり、寄りかかったりできる。一家にとって、なくてはならない存在である。
さて、女は鳥である方が幸せなのか、それともテーブルでいるほうがいいのか。そんな話を飽きることなく、友人たちと何時間も続けていた。
私は鳥になりたいと願っていた。三十五歳だった私は、初めての本を出版したものの、物を書くことがた、自分のキャリアになるのかどうかも定かでなかった。ひどく頼りない日々を送っており、とにかく、じっとこのままカナダで年老いていくことに恐怖感を感じていた。
そんなとき、東京で作家の森瑤子さんに会う機会があった。今思うと、彼女はまだ四十五歳の若さだった。更年期に入るちょうど入り口くらいの年頃である。
流行作家として活躍する彼女の姿は、私にとっても眩しく映った。大柄で華やかな彼女に、私は「鳥とテーブル」の話をして、「先生はまさに鳥そのものですね」といった。
すると森さんは、「アハハハ…」と笑ってから、「あたしは飛行機よ。鳥は一人で勝手なところに飛んでいけるでしょ。でもねえ、あたしはそうはいかないのよ。家族全員を乗っけて飛ぶ飛行機よ、ブーンってね」
両手を広げて飛ぶ格好をしてみせた。
「うわあ、それは大変。私なんか我が身一つ持て余しているんですから。そんなにいっぱい面倒を見なければならない人がいたら、すぐに墜落です」
何気なくそういったら、森さんは、私の境遇に関心を持つたらしく、いろいろと質問してきた。
そのとき、彼女が住むヴァンクー・ヴァーの近くにある島を一つ、丸ごと買って、別荘にしていることを知った。
日本はちょうどバブル経済の真っ盛りの時期だった。森さんは俳優のジーン・ハックマンと競って、その島を手に入れたとの話だった。
「家族みんなが休暇に集まれる場所が欲しかったのよ」と彼女はこともなげにいった。
私はその経済力に只々驚くのみだった。
毎年、夏休みには、プールやテニスコートまであるその島に滞在する彼女と、よくヴァンクー・ヴァーのレストランで食事をした。
島の単調な生活に飽きると、森さんは「お寿司を食べにいきましょう」と電話をくれて、なぜか一人で、小型飛行機をチャーターして、島からヴァンクー・ヴァーへ来た。
そして、いつもいきつけのダウンタウンにある寿司屋のカウンターで、グィダックと呼ばれる、みる貝などをつまみながら、とりとめのないお喋りに興じた。
「るえ、この頃、ドキドキするような男が現れないのよね」
あの日、彼女はつまらなそうにいった。
「そうですね。これなら一緒にベッドに飛び込んでもいいと思う男なんて、せいぜい、一年に一人くらいかなあ」私は答えた。
正直に言うと、その当時、私と夫の関係は最悪だった。もう修復不可能なところまできていた。しかし実際には、離婚するまでには、まだ数年を要した。
そんな背景があったので、私は男の人との新しい出会いがあること、「はたしてこの人と男女の仲になることはあるのかな」と考えたりすることがあった。
残念ながら、こちらが心を動かされてた人は、私など見向きもしなかった。逆にどうでもいいと思うような人が、熱心に誘ってくれた。
それはともかく、森さんは、私の返事が意外だったようだ。
「えっ、あなた一年に一人は胸をときめく男に出会うの?」
「ええ。だからって、すぐにベッドにジャンプするわけじゃないですよ。ただ、いざとなったら、この人ならまあいいかって思える男は、年に一人くらいは現れるでしょう?」
「ううん」と森さんは首を横に振った。
「あたしは、そんなにしょっちゅうは現れないのよ。これは年齢のせいかしら。あたし、もうすぐ五十になるんだけど。それは構わないのよ。年を取るのは怖くないわ。でも、たまにはドキドキしたいの。ところがそういう男が出てこないのよね」
彼女は少女のように可愛い微笑を浮かべて、「ああ、あなたが羨ましいわ。ときめいていられるのって若さなのよ」といった。
あの身の内に秘めた強靭さは更年期特有のものだったのか
そのとき、私は自分が若いとはちっとも思っていなかったし、富と名声を手に入れた女流作家が、何を言うのだろうかと不思議だった。
しかし、今になると、彼女の気持ちが痛いほどわかる。五十五歳になった現在、ドキドキするような男の人なんか、もう十年以上出会っていないような気がする
私が前の夫と別れて、今の夫と再婚したのは十二年前のことだ。新しい家庭生活がうまくいっていて、幸せだから、ほかの男の人に目がいかないのだろうといわれれば、確かにそうかもしれない。
だが、べつに結婚していても、誰かに秘かに恋心を抱くのはた、悪いことではないだろう。実際に不倫をするわけでもないのだから、許される範疇のことだと私は思っている。
もし恋愛ができたら、ちょっと苦しいけど、毎日が生き生きとするかもしれない。
でも、森さんの言葉は真実だ。五十歳を過ぎるとドキドキする機会なんて、そう滅多に転がっているものじゃない。
なぜだろうと考えていると、あるパーティーで森さんの姿がまぶたに蘇った。
あれは、ヴァンクー・ヴァーの大学で美術を教えている教授の家のリビング・ルームだった。白人が五、六人に、日本人が三人いた。
教授は、奥さんと別居してひとり暮らしをしている五十代の日本人男性だった。ゆっくりとブラン・グラスを掌のなかで揺らしながら、なにを思ったのか、突然、森さんに話しかけてた。
「どうですか? あなたはストイックな生活をしていらっしゃいますか?」
その質問に、彼女は戸惑ったようだった。私の方をちょっと向いてから、毅然とした口調で答えた。
「ええ。作家って、ストイックなものなんですもの」
「それで、小説が書けますか?」
「だから書けるのよ。ねえ」と私に同意を求めた。
私はなんだかドギマギして、下を向いてしまった。
ストイックとは、つまり、セックスをしていないという意味なのだろう。そんなことを聞くほうも変だが、森さんが、あまりはっきりと返事をしたので、私は困った。
その大学教授は森さんに興味があったのかもしれない。しか、彼女はどこか男を寄せ付けないような強靭さを身の内に秘めていた。私の知っている男の人たちは、一様に、彼女を魅力的だといったが、口説くのは難しそうだとため息をついていた。
あの強さも、年齢からくるものだったかもしれない。更年期を迎えると、女は精神的に強固になるのではないだろうか。
怖いものがなくなるといったら大袈裟かもしれないが、何かふっきれてしまうようだ。
いや、すべての女性がそうだというのではない。ただ、ある女性たちは更年期を境にして変化する。当時の私は森さんの悩みなんて、まったく理解していなかった。
彼女はいつも、ご主人とあまりうまくいっていない話を私にした。
「ほんとうよ。離婚を真剣に考えて、その話し合いもするのよ。それがたいがい秋なの。夏が終わって、何かしみじみしてきたときに、もうわたしたちはやっていけないって感じるの。でもね、いざ離婚するとなると、家をどうするか、子供をどうするか、財産をどうするかって話になるじゃない。
つまり根分けが大変なのよ。そうこうするうちにクリスマスが来ちゃっう。ああ、クリスマスだ、贈り物だとかパーティーだとか言っていると、離婚の話は一休みになるでしょ。そしてあっという間にお正月。新しい年を迎えて、まっいいか、このまま今年もいくかと思い直して、結局、離婚の話は立ち消えになる。それを毎年繰り返しているわけよ」
彼女が自分でもおかしそうに笑っていた。私は、つまりどこの夫婦も同じで、離婚と結婚のあいだで揺れながら、でも微妙にバランスを取って、離婚の側に落っこちずに、塀の上を歩いているようなものだろうと思った。
セックスの最中に目を開けている主人公
ただ、彼女がどこまで性の問題に悩んでいるかなどには、まだ思いが至らなかった。
五十歳を過ぎると、女性の膣は萎縮することがあり、性交痛などさまざまな問題が起こるといった知識を私はまったく持ち合わせていなかった。
ところが、あるとき、彼女から送られてきた新刊書を読んでいて、ドキリとするシーンがあり手が止まった。それは四十代後半の女性が、年下の恋人に向かって、心の中で話し掛けている言葉だった。せめてもう十年早く、私の身体を抱いてほしかったと。主人公の女性はいうのだ。十年早ければ、私はもっと美しかった、そして、もっと彼の愛に応えられたのにと。
私はつい主人公と森さんの姿に重ね合わせてしまい、森さんは今だってじゅうぶんに美しいし、魅力的なのだから、そんなに遠慮する必要はないのではないかと思った。
その反面、女性も五十歳を迎えると、気弱になるのかなあと、自分の十年後を考えてみたりした。
そして、森さんの小説はずいぶんと視覚的な要素が多いのに気付いた。
「視られる」ということが女性にとっての最大の関心事の一つであるのと同時に、女性も男性を「視る」シーンが実に多いのだ。
そこで、森さんと西麻布の「キャンティ」で食事をしている時に、尋ねた。
「先生の小説に出てくる女性って、セックスしている最中に目を開けていることが多いですよね。あれはどうしてですか?」
「えっ?」
彼女はびっくりしたように聞き返した。
「だって、あなた、普通は目を開けているもんじゃなあい?」
そういわれて、今度は私が「えっ?」と驚く番だった。
セックスしている最中に、女性は目を開けているものだろうか? 今でも、私はよくわからないのだが、自分の経験だけでいうと、目を開けていたことは一度もない。
もしも、目を開けていて、相手の男の人と視線が合ってしまったら困るだろう。ただ、それだけの理由なのだが、必ず目は閉じている。
ところが、男の人はどうやら目を開けているもののようだ。少なくとも普通の小説の中では、ベッド・シーンがあると、いつも男性が女性の表情を見ている。
森さんの小説にもベッド・シーンは多い。ただし、女性の側からの視線で書かれている。だとすると女性が相手のことを観察するのは当然かもしれないのだが、それにしても、かんだか妙な気がする。
つまり、私が知りたかったのは、森さんが小説を書くためのテクニックとして、登場人物の女性に、男性を観察させているのか、それとも、ごく当たり前のこととして、女性は目を開けているものと思っているのか、そのどっちなのかということだった。
森さんはあっさりと、「べつに目を開けてたっていいじゃない? 何が悪いの?」と重ねていった。
そう言われると私は反論する材料もなかった。
「そうですね。でも、恥ずかしくないですか?」と尋ねると、しばらく森さんは考え込んでいた。
「若い時はそうだったかもしれないわね。でも、今は美しい男の顔を見る方がいいのよ」と答えた。
なるほど、彼女の年齢になると、若い男を美の対象として愛でることもあるのだと私は感心した。
現代は、更年期こそが女性にとっての厄年?
その森さんが五十二歳の若さで依願になり、半年の闘病生活で亡くなったのは、平成五年の七月だった。
亡くなる前の年の暮れに、彼女の家に遊びに行ったのが、最後となった。
とにかく、いつもエネルギッシュな彼女が、珍しく仕事上のトラブルで落ち込んでいた。それは実際、聞いているだけで頭がいたくなるような、込み入った難しい問題だった。
「なんで、そんなお仕事引き受けたんですか? 断ればよかったのに」と私がいうと、「ほんとうに、今になると後悔しているのよ」気弱な声でいった。
そして、あっという間に入院して、お見舞いに行こうと思っているうちに、ホスピスに入ってしまい。これはただ事ではないと心配していたら、編集者から訃報が届いた。
森瑤子が亡くなったというニュースは、テレビのワイドショーでも大きく取り上げられた。彼女はまさに芸能人並みの人気があったのだなあと、あらためて私は感じた。
そのとき、あるコメンテーターが、女性の役年は、昔は三十五歳だったが、今は五十二、三歳になったのではないかという発言をした。美空ひばりも、有吉佐和子も、やはりそのくらいの年齢で亡くなっている。すなわち、更年期が新しい時代の女性たちにとっては厄年なのだという分析をしていた。
ふーんと、私はテレビの前で唸った。本当にそうかもしれない。自殺であろうと病死であろうと、女性が追い詰められやすい年頃というものがあるのではないか。それが五十代の初めなのだと考えられる。
森さんが元気でいてくれたと、私は今でよく思う。今なら大人の会話ができたであろう。
あれから気になって、私は十人ほどの更年期世代の女性に、セックスをするとき目を開けているかどうかを尋ねたが、ときどき開けていると答えた人が一人いただけで、後は全員目を閉じているという返事だった。
つづく
第六章 女の執念の生き着く先