閉経による卵巣からのホルモン分泌が減少することで性交痛を引き起こし、セックスレスになる人も多く性生活が崩壊する場合があったり、或いは更年期障害・不定愁訴によるうつ状態の人もいる。これらの症状を和らげ改善する方法を真剣に考えてみたい
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第三章 漢方という選択肢

本表紙 快楽(けらく)工藤美代子著

「更年期を障害なく乗り切れたのは漢方をやっていたからかな」

 小枝子さんは、私より四歳上だ。ということは、現在、五十八歳である。離婚して独身。あるテレビ制作プラダクションに勤めている。

 一ヶ月ほど前に、久しぶりに彼女と昼食を共にした。はっとするほど美しい肌をしていて、まさに健康そのものに見えた。

 私は事前に小枝子さんに「性生活」について話をして欲しいと頼んであった。
「私なんて、特に話すことはないわよ」と言いながらも、彼女は取材に応じてくれた。

恋人はいる。ただし、九州に転勤になってしまったので、しょっちゅうは会えない。それが悩みといえば悩みだ。
「あのね。聞きにくいのだけれど、セックスするとき、何も問題ない?」

 私は彼女がホルモン補充療法をしていないのを承知の上で、尋ねてみた。すると小夜子さんはゆっくり首を横にふる。

「とくには、ないわね。彼は私より五歳年下だから、まだ若いでしょ。セックスも激しいけれど、別に性交痛を感じたことは一度もないわ。そう、この間、ちょっとセックスをした後で痛みが、ほんの少しあったけど、出血なんてなかったし、とりたてて今のところ問題はないわ」

 そう答えてから、彼女は言葉を継ぎ足した。

「前戯に時間をかけること。それが大切かしら」

 満ち足りた表情の小夜子さんの前に、私は考えていた。更年期の症状には個人差が大きい。彼女は特別にラッキーな例ではないだろうか。そう伝えると、小夜子さんは柔らかい微笑を浮かべた。

「わたくしね、ずっと漢方をやっているの。それで更年期をあまり大きな障害もなく乗り越えられたんじゃないかなと思っているわ。工藤さんも一度試してみたら?」
「漢方ねえ」

 たしかに、更年期障害の場合、漢方が有効であることは多くの人が語っている。以前、取材をした小山嵩夫先生のクリニックでも、漢方の処方をしている。

「つまりですね。ゴビ砂漠を横断するのに、ホルモン補充療法は水を補給するようなものに比べて、漢方は身体をラクダのように変えることなんですよ」といった小山先生の言葉は忘れられない。

 小夜子さんが、年下の恋人とセックスを楽しめるのも、漢方のお陰だとしたら、これは多くの女性にとって、一つの選択肢になるのは確かだ。

 私は、かねてより評判の高い漢方医である三位敏子先生にお会いするため、東京の神田小川町にある「千代田漢方クリニック」を訪ねてみた。

 「腎の精」は早く使うと枯渇、使わなくても機能を失います
 三位先生は上海出身の中国人だが、ご主人は日本人で、もう日本に十六年も住んでいる。だから、いたって流暢な日本語を話す。

「本日、お尋ねしたいのは、女性の更年期と性の問題についてです」
 挨拶もそこそこに、私は本題に入った。

「そうですね、更年期になると女性はエストロゲンなどホルモンの減少によって、膣の粘膜が薄くなり弾力性がなんなり、乾燥して、分泌物も少なくなります」

 三位先生はよどみなく説明を始めてくれた。こうした症状が出るため、膀胱炎、膣炎、性交痛などを経験する女性が全体の半数はいるのではないかという。

 ただし、個人差がある。七十歳くらいの女性が「私は今、更年期です。顔が火照ったりします」というケースがあるし、三十歳になったばかりで、もう性交痛を感じる女性もいる。
「これは、つまの『腎の精』の問題です」と三位先生はいう。

 中国では腎の精が強い人は五十五歳くらいまで生理があるし、閉経後も若さを保つといわれている。一方、腎の精が弱い人は早く老化現象が起きる。したがって腎の精をいかに活性化するかが大切である。しかし、ちょっと複雑なところもあって、ただやたらと使えばよいということでもないらしい。

「まあ、貯蔵庫みたいなものと考えてください。腎の精は早くたくさん使うと枯渇してしまいます。また、全く使わなくても、その機能を失います」

 といってから、先生は「性の養生法」の話をしてくださった。
 その養生法によると、女性もあまり若い頃にセックスや妊娠、出産などたくさん経験すると、腎の精が早くなくなる。男性も十代でセックスやマスターベーションをし過ぎるのは、腎の精がじゅうぶんでないときに、それを出してしまうので、いけないこととされている。

「孔子の言葉に、『十代戒於色』というものがあります。この意味は、十代においては、色事を戒めなさいということです。だから、更年期の障害もどんな十代を過ごしたかと関係があるわけです」

 三位先生の話を聞きながら、私はつい最近読んだ、ある若者の小説を思い出していた。
まだ二十歳を過ぎたばかりのその女性作家の作品には、やたらと「マンコ」という言葉がでてくる。そして少女たちの援助交際を、「レンタル・マンコ」と書く。

それだけで、ひどく不潔な響きがある表現だと感じたが、そうした行為が将来、身体を蝕む可能性があると中国の医学ではいっているのだろう。つまり、若い頃に自分がしてきたことの結果が更年期に表れるという考え方だ。

 といって、三位先生は、セックスそのものを否定しているわけではけっしてない。

「セックスは途切れないで、やった方がよいと思います。頭だって使えば使うほど良くなります。セックスも同じです。中国では男は女から陰をもらい、女は男から陽もらうわけです。それで体内の陰陽のバランスがとれて、あらたな生命力ができるのです」

 自分の身体に、もう少し頑張れと後押しするのが漢方

 なるほど、そういわれると、セックスが男女にとって、いかに自然な行為かがわかる。
 ただし、更年期になると卵巣の機能が衰えてくる。そのために起きる障害には遺伝的、栄養的、精神的な要因が大きく関係してくる。とくに精神的な面で、心の部分が満足していると障害が少ない。

 極端にいえば、相手の男性が思いやりの気持ちを持っていてくれれば、女性もリラックスできる。

 しかし、なかなか理想的な性生活などない。多くの女性が、更年期の障害に苦しんで、満足のいく性生活を送れないでいるのも事実だ。

 それでは漢方には、どのような対策があるのだろうか。

 まず、最初に先生が挙げたのは、「海馬補腎丸」という薬だった。「かいばほじんがん」と読む。これは、タツノオトシゴなどの動物の腎臓が入っている薬だ。性生活のみならず、女性の若さを保つ効果がある。非常にナチュラルなもので、副作用もない。精神的な安定にもつながるという。

 この他に、ほてりを鎮める効果もある、「知柏地黄丸」(じばくじおうがん)とか、冷えとか頻尿には、「八味地黄丸」、それから「牛車地黄丸」といった薬がある。

 その患者の症状に応じて、二種類くらい処方することもある。
 性交痛などの悩みの人には、前出の海馬補腎丸がおすすめだという。これは丸薬なので煎じる手間もいらない。一ヶ月で六千円くらいの値段だそうなので、経済的な負担もあまり大きくない。

 こういう薬を、「血肉有情」という。動物性の薬のことを指す。
「似たもの同士が補うという考え方があるのです」と先生は教えてくれた。

 たとえば腎臓を食べれば腎臓によいという意味である。「腎の精」を補うためには、動物の腎臓を使うということだろう。

 いずれにしても、漢方の場合は、その患者の状態に合わせて、薬を処方する。西洋医学のように、直接にホルモンだけを補充するのではなくて、体全体の水分を増やすようにする。

水分のことを陰分といい、陰液を増やして、身体が潤い、卵巣や脳下垂体などのホルモンに関連する働きを活性化させるのがねらいだ。

「自分の身体、もう少し頑張りなさいといって、後押しをするのが漢方です」
 したがって、即効性という部分では、ホルモン補充療法のように、すぐに劇的に効くというわけではない。

 ただ、そういう薬がないこともないではないと先生はいう。これは主に男性に使用されている薬だが、「三鞭丸(さんべんがん)」などいろいろな種類があるそうだ。早い話が、漢方薬のバイアグラといったもので、男性のインポテンツに効く。

その成分は鹿、馬、牛のペニスを丸薬にしたもので、バイアグラと違って、二日ぐらい連続で飲み、それからセックスをする二時間前にまた飲む。中には即効性があるものもあり、効果は絶大だという、ただし日本では入手が困難なのか、ちょっと難点だ。

バイアグラは単にペニスの血管を膨張させて勃起を促すのに対して、漢方のこれらの薬は身体全体に効くので、健康維持の側面もある。

 先生の考えでは、これは女性が使っても、もしかしたら、いいのではないかという。だが、残念ながらまだ女性が使ってどうなるかという、十分なデータがない。もしも、女性にも男性と同じ効果が表れるとしたら、夢の特効薬ということになるだろう。

冬の間に薬を飲んで養生すれば一年中元気でいられる

  しかし、大切なのは、どうやら日頃の心掛けのようだ。
 中国では女性の身体を七歳ごとの節目でとらえる。七歳のとき歯が生え変わる。十四歳で生理が始まる。二十一歳は青春の真ん中。二十八歳で結婚で出産が待っている。三十五歳はとくにないが、四十二歳を過ぎると、だんだん女性ホルモンが減ってくる。四十九歳で閉経。
なるほど、こうしてみると、だいたい七年の周期で、女性の身体が変化していくのが良くわかる。

 私が思うには、ここで意外に大事なのが四十歳を過ぎたあたりの時期ではないだろうか。まだまだ、自分では若くて美しいと思っていても、実はこの頃から髪の抜け毛が増えたり、視力や聴力の低下が始まったりと、老化が足音も立てずに、ひたひたと近づいてくる。セックスに関しても、以前ほど積極的になれなくなるのが、四十代からだ。

 もちろん、何度もいうように個人差はある。先生の患者さんでも、五十七歳で、ご主人との性生活を充分に堪能している女性がいるそうだ。だから、一概には決めつけられないが、私自身の経験からいうと、たしかに四十代に突入して、あらゆるエネルギーが減少した気分になった。

 さて、そんな場合に中国では「養生をする」という考え方が普及しているらしい。たとえば、先生の出身地である上海では毎年、冬になると人々が漢方薬の店に行き、自分の症状に合った専用の薬を調合してもらう。

「動物も冬は体に脂をつけます。人間の身体も同じですね。寒さに備えて脂肪を蓄えるわけです。夏は代謝がよすぎて、蓄えたものを出してしまいます。そこから『冬季進補』という考え方があるのです」

 それは、冬の間にきちんと薬を飲んで、体調を整えておくという発想である。とくに身体に悪いところなくても、この季節にちゃんと養生をすれば、一年中、元気でいられる。中国ではかなり広範に行き渡っている健康法で、毎年、冬になると薬屋さんの前は人だかりができて、活況を呈する。

 そういえば、以前、小枝子さんに会ったときも、彼女が「わたしは冬の間だけ、漢方のお薬を飲んでいるのよ」といっていた。だから彼女はいつまでも若々しいのか。

 結局のところ、漢方で更年期を乗り切ろうと考えるなら、どこかが悪くなってからではなくて、少し早めに、もう四十歳を過ぎたあたりから準備するのが、賢い選択かもしれない。

 我が身を振り返ってみると、どうも更年期を迎え撃つ気概に欠けていたようだ。実際に症状が出る前に、もっと早く「冬季進補」を実行しておけば今頃になって、こんなにあちこち具合が悪いと悩まないですんだかもしれないと悔やまれる。

 そんな感想を先生に洩らしたら、「そうですね。心身一如という言葉あるんですよ」と切り出された。

 読んで字の通り、人間の心と身体は一つものだということである。だから、更年期の患者の場合、その人の生活背景、家族構成、心の悩みなどを知らないと、治療はできない。

 先生は新しい患者のときは、初めに一時間くらいかけて、ゆっくりと話を聞くところから始める。また、西洋医学のデータは参考にするが、やはり患者さんと直に向き合って情報を得るようにしている。

 男性に比べると日本の女性は、あまり性の相談をしない。中国に比べても、ずっとシャイだ。セックスは男性が主導権を握るものなで、女性からは、言い出せないという考えが浸透しているせいだろう。

「でも、セックスは大事な部分です。若さにつながりますから。夫婦喧嘩をしても、一晩立つとけろっとすることがあるでしょう。黙って抱き合えば、相手を愛しく思えます。それがないと、しこりが残りますね」

 だからこそ、セックスは、女性の身体にとって、ないよりあったほうがいいものだと先生は考えている。

 漢方は西洋医学とバッティングすることもない。即効性を求める人はホルモン補充療法をやりながら、海馬補腎丸を飲んでも構わない。そして、症状が良くなったら、途中で、西洋医学のほうもやめるのも、一つの方法だ。

 人生において性の快楽をあまりに早く放棄してしまうのは、もったいない。閉経後も性を楽しむ権利が女性にはある。そのためには、若い頃からの養生が大切だというのが、私の三位先生にお会いして得た結論だった。

 性交痛に悩み続けて

私、三十代の頃から性交痛があったんです

 とにかく、久子さんに会って、話を聞いてくれと、友人から電話があった。その友人とは長い付き合いで、この連載の第一回目に登場している。セックスしたら、少量の出血があって、痛かったけど、どうしようと相談してきたのだ。私はまだ、ホルモン補充療法のことも、漢方のことも、よくわからなかったので、彼女に、「ちょっと待って、後で連絡する」と言ってあった。

 実は、それっきり、忙しさに紛れて、友人に電話を掛けるのを忘れていた。
 すると、向こうから掛かってきてしまったのである。なかなか連絡しなかった弁解を始めようとする私の言葉を遮り、彼女は、いきなり、自分の親友の久子さんなる女性に会ってくれという。

 久子さんは、彼女と同じ五十六歳だ。境遇も似ている。

 私の友人の恵美子さんは、若い頃に結婚したが、すぐにご主人が亡くなり、それ以来、独身だ。同じ歳の恋人はいるが、所帯持ちである。自分もかつて妻だったから、相手の男の妻の気持ちはよくわかる。

だから、向こうの家庭を破壊する気はないというのがポリシーだ。とにかく、相手の男の妻に気づかれることなく、不倫は二十年も続いている。ちょっと信じられないような話だが、本当だ。

 彼女自身、学校の教師として経済的に自立しているからこそ成立する関係かも知れない。
 恵美子さんが、恋人のセックスにこだわる気持ちが私にはよくわかる。普通の夫婦違って、二人はいつまでも一個の男であり、女である。だからセックスの結びつきはひどく大切な行為だ。あるいは、その一点によって、結びつきが、さらに深くなっているのかもしれない。だとすると、セックスに支障をきたすのは、彼女にとっては深刻な問題だ。

 しかし、電話の声は、とても明るかった。

 恵美子さんが、私に紹介したという久子さんという人は、離婚歴のある独身女性で、子供はいない。仕事は持っているが、特殊な職業なので、書かないでほしいといわれた。したがって、ここでは、年収一千万程度の特別な資格を持った女性とだけ紹介しておく。

 それ以外の予備知識はなく、私は恵美子さんの強い勧めしたがって久子さんと会った。もちろん、恵美子さんも、同席してくれた。場所は私の事務所の近くにある、いきつけの小料理屋だった。とくに頼んで、奥の座席を取ってもらった。女三人で、ゆっくりと話がしたかったのである。

 久子さんは、恵美子さんと、高校の同級生だという。しかし、とても若くみえる。せいぜい四十七、八歳といったところか。可憐な感じの残る美人である。

「実はね。久子さんはね、ホルモン補充療法を始めたんですって。その経験を話してくれるって言うんだけど、これは絶対に工藤さんも聞いておいた方がいいと思って」と、恵美子さんが口を切った。

 学校の先生だけあって、恵美子さんの口調は、はっきりしている。いかにもさばさばとした物言いだ。

 一方、久子さんは、女性らしいなよなよとした雰囲気で、はにかんだように下を向いている。私はまず、熱燗の日本酒を彼女の盃に注ぎながら、「まあ、お気楽になさってください。どうして、ホルモン補充療法を始められたのか、そのへんからお話しいただけますか?」と久子さんに水を向けた。

「もう、こうなったら、何でもお話ししますね。実は、私、三十代の頃から性交痛があったんです」

 毎日したら痛みはよくなるのかと呑気に考えていた

 のっけから、思いがけない言葉だった。女性の中には三十代でも性交痛があるという話は聞いたことがあるが、まさかと思っていた。それは、何か精神的なトラブルと関係があるのではないかと想像していた。ところが、そうではないと久子さんはいう。

「私が離婚したのは、三十歳のときでした。結婚して三年目に、夫に女がいることが分かって。別れました。それから。しばらくして、三十五歳のときだったかしら、三歳年下のボーイフレンドができたんです。恋人ではありません。

だって、彼は恋愛感情はどうしても持てなかったですから。ただ、だらだらと十五年も関係が続いたんです。まあ、ひもっていうわけでもないけれど、私よりは、ずっと収入が少ない人でしたね。

それはいいんだけど、初めてその人とセックスした時、痛みがあったんです。びっくりしました。なにしろ、まだ三十代半ばですからね」
 私は、彼女に尋ねた。

「あの、性交痛って、どんな感じなんですか? 具体的に説明して頂けますか?」
 私はいつも疑問に思っていた。性交痛とは実際には、どのようなものなのだろう。セックスができないほど痛いのか、膣全体が痛むのか、どうもその辺が、漠然としてよくわからないのだ。

「そうですねも他の方はどうなのか分かりませんが、私のケースをお話しますね。うまく言えないんですが、段階があったんです。初めのときは、相手がペニスを挿入しようとしたら、私のあそこの入り口のところが熱いような痛みを感じて、あれって思ったんです。

でも、彼の方は、全然、気が付かなかったみたいですね。そのまま普通の動きを始めたんです。どうしようって、焦ったんですけど、若かったから、あんまり恐怖感もなくて、なるようになれって思って、そのままにしていたら、だんだん、潤ってきて、動きがスムーズになって、そうしたら快感の方が、痛みより強くなっていきました。それで、最後には完全に忘れちゃったんです」

「それって、もしかして、心理的なものが作用したってことは、ありません?」
 私の質問に、彼女はすぐに首を振って否定した。

「親友のあなたにも打ち明けたことがなかったんだけど」と、恵美子さんの方を向いて、久子さんは、ちょっと恥ずかしそうに微笑んだ。

「私ね、もう一人、おつき合いしていた人がいたんです。っていうか、今でも、その人とは続いています。途中、トラブルがあって、十年間ほどブランクがあったんですけど、彼が奥さんと別居してから縒(よ)りが戻ったんです」

 メモを取りながら、私の頭はいささか混乱してきた。久子さんは、年齢相応の男性遍歴がありそうだ。それを、いっぺんに聞き出すと、話がこんがらがるので、まずは分けて、年下の彼の方から聞いてみたい。

 そういうと、彼女は時系列で、語ってくれた。その彼は肉体労働に従事していて、逞しい身体をしている。セックスも、ホテルで会うと、最低三回はしたという。そこで、彼女は不思議なことに気づいた。

 一回目のセックスのとき、とくに、ペニスを挿入する際に、焼けるような痛みが伴うのだが、相手が射精するころには、もうその痛みは忘れている。そして、彼がすぐにまた、二回目のセックスに挑んでくると、そのときは、もう何の痛みもなく。スルリとペニスが入る。三回目はもっと楽になる。

「今でも、おかしいと思うのは、彼と一緒に旅行なんか行って、連日セックスするときがあるんじゃないですか。そういうときには、性交痛が最初の日の一回目にあるだけで、もう翌日は初めから平気なんです。だから、毎日したら、性交痛はなくなるのかなあんて、あの頃は呑気に思っていました」

年下の彼とは手を切って新しい恋人との交際をスタート

 それが、久子さんが三十代から四十代までの体験だ。念のために聞くと、彼女は二十代の頃は性交痛を経験したことがなかったという。それは、三十代半ばを過ぎて始まった。

 彼との間では、ついに結婚話はおろか同棲の話も出たことがなかった。完全にセックス・フレンドという関係だったようだ。しかし、彼が久子さんに過剰に要求をしたことがなく、喧嘩をしたこともない。

それなのに割り切ったセックスをお互い楽しんだ。だから、こころになにか、わだかまりがあって、性交痛が生じたという解釈はできない。

 それを証明する例として、彼女はもうひとりの男の存在を挙げたのだ。こちらは、恋愛である。遊びではない。久子さんは、四十歳のときに彼と巡り合って、一目惚れした。それは向こうも同じだった。

「でも、そのとき、彼の奥さんが妊娠していたんです。私は、そういう状態に耐えられなくて、そうですねえ、一年くらいで、一回別れたんです」

 仮にその男を A氏としておこう。A氏と会っている間も、彼女は年下の彼をキープしておいた。定期的にセックスもした。

 二人の男性と同時に関係を持っていたわけだが、性交痛の起きるのは、全く同じだったという。やはり、A氏とセックスするときも、膣の入り口に痛みを感じた。だから、愛情のあるA氏とそうでない男とでも、変わりはないということだ。

つまり、性交痛は心理的な問題で起きるわけではないといえるのかもしれない。もちろん、これにも個人差があるのだろうが、久子さんにかぎり、相手が誰であれセックスのたびに、かならず性交痛があった。


 自分もだんだん年を取っていく。いつまでも、年下のセックス・フレンドと関係を続けていても、この先、なんの光明もない。ぼんやりと久子さんが、焦りのようなものを感じ始めたのは、四十代が終わるころだった。

 ちょうどそんな時期に、以前、好きだったA氏と再会する機会があった、彼は、妻とあまりうまく行っていなくて、週末だけは子供に会いに家へ帰るが、それ以外は都内のワンルーム・マンションに住んでいる。

 久子さんは、このとき決心した。年下のセックス・フレンドとは手を切ろう。つまり背水の陣で、新しい恋人との交際を始めたわけである。

「だって、工藤さん、あたりまえじゃないですか。そりゃ皆さんに若く見えるといっていただいていますけど、でも、女が五十迎えたら、そうそう恋愛のチャンスなんて転がっていませんよ。私はこれからの人生を一緒に歩む人が欲しかったんです」

 いきなり別れ話を切り出された。年下の彼は、ずいぶんと驚いたらしい。

「でも、女って残酷ですよ。いくら縋(すが)られても、もう切り捨てようと決心した男には、これっぽっちの未練もないものですね」 あっさりと、年下の男は捨てられた。

「数年待ってくれ」といわれてから痛みがひどくなって

 A氏とのセックスは、前の男と比べると穏やかだった。しかし、物足りなさは感じなかった。一週間に一度会って、一回セックスする。それで満たされた思いになった。

「あれって、回数じゃないんですよ。どこまで深くいけるかなの。彼は、前戯に時間をかけて、私が乳首が感じるってしっていて、ゆっくり舐めてくれるの。そういう優しさとか、技術って、あの人のものなの」

 それでも、彼がペニスを挿入しようとするときには、いつも激しい痛みが走るので、久子さんは、思わず身をすくめる。

「痛いの?」と相手に聞かれると、「ううん」と首を振って否定するが、向こうは何か気がついている様子だ。もしかしたら、自分の膣の潤いが足りなくて、彼も挿入するときに痛みを感じるのかな、と久子さんは想像したりした。

 だが、いくらうまくいっている恋人同士でも、なかなかそういうセックスの微妙なところまでは、立ち入って話せないものだ。

「恋人は彼ひとりと決めて、一年くらいしたころだったかしら、妙なことになって来ちゃって。つまり、性交痛が少しづつ酷くなってきたんです。初めはペニスを入れる時だけだったでしょ。それが、入れた中までが痛みを感じるようになったの。どう説明したらいいのかな。ほら、膣の全体の内側が痛いわけ。でも、彼がぐっと奥に差し込んだとき、突き当たりのところは、痛くなくて、側面だけですね」

 その痛みも彼が往復運動を始めて、三分くらい経つと、次第に消えていって快感に身を浸される。少し強引でも、彼がペニスを挿入してくれさえすれば、あとはどうにかなると久子さんはまだ楽観的に考えていた。

 そんな状態に新たな変化が生じたのは、去年の春だった。彼から、いずれ久子さんと結婚するつもりだが、妻と正式に離婚するのは、娘が成人するまで待ってくれないかと言われた。あと数年のことである。

久子さんは待つことに同意した。不必要に妻を刺激したくないという相手の希望もあって、二人の関係はまだ世間には秘密になっている。

 それでも久子さんの精神状態は、いたって安定していた。

 ところが、いつものようにセックスを始めた久子さんは、性器が挿入されたあと、いくら彼が往復運動を繰り返しても、ちっとも痛みが消えないのに愕然とした。ようやく最後に彼がクライマックスを迎えるとき久子さんは痛みを忘れることができた。

 しかし今度は、セックスをしたあとに、膣にじーんとした痛みが残るのである。こんなことは以前は絶対になかった。さらに恐怖を感じたのは次のセックスのときだった。

 ついに、最後まで痛みが去らないで、絶頂感を感じることなくセックスは終わってしまった。
「あんなに落ち込んだのって、初めてでした。だって、まるで彼のペニスの先に、小さな剃刀が付いていて、それで膣の中を切りつけられているような感じだったんですから」

 幸い、恋人は彼女の変化に気づかなかった。久子さんは、ある総合病院を訪れて、ホルモン補充療法を試してみる決心をした。

「もう、切羽詰まった気持ちでしたよ。だって、あんな痛みには耐えられないですもの」
 医師に相談して、何種類かの薬を出してもらった。それを飲み始めて、一週間後に久子さんは彼とセックスした。

「もうね、まるで嘘みたいだったですよ。まだ入れるときは、ちょっと痛みがありましたけど、そのあとはすーっと滑るような感じでペニスが出し入れされるわけ。あっ、この感覚、ずっと忘れていたと思いました。二十代の頃のセックスを思い出しました。滑らかで、すごーくいい感じ」

 今、久子さんは恵美子さんにもホルモン補充療法をするよう、強く勧めている。
「だって、私たちみたいに、まだ現役で、女をやって行こうと思ったら、やっぱり自分の身体へのメンテは当然でしょう」
 久子さんの説得力ある言葉に恵美子さんも私もただ深く頷いたのだった。

 性交痛をめぐる問題

 女性が女性であることをやめるかどうかが分かれ道?

 私の事務所の表参道にある。いつも自宅から地下鉄で通っている。
 先週、ふと気が付いた。同じ服をもう三週間も着ている。靴もバッグもやはり同じものだ。なぜだろう。若い頃は、毎日、どんな服装をするのかを考えるのが楽しみだった。
それに合わせて。靴とバッグの色も選んだ。ところが、五十四歳の私の思考は、毎朝、まったく停止している。服を選ぶのが面倒で仕方ない。

 事務所には、いつも私一人しかいない。たまに編集者の人が打ち合わせに来るが。ほとんどは、ただ黙々とパソコンに向かう日々だ。しか、それだからといって、お洒落に全く無関心になってしまうものだろうか。

 ずつと着ている服だって、けっして気に入っているわけでもない。ただ、一番手前に置いてあるので、何となく着ているだけだ。正直なところ、スカートとセーターの色の組み合わせを考えるだけで苦痛だ。

 これはいったいなんだろうと思っていたのだが、都立大塚病院の女性専門外来・産婦人科外来担当看護長である河端恵美子さんにお会いしたら、その謎が解けた。
 何のことはない、つまりは更年期の症状の一つなのである。

 河端さんは、助産師で性交痛の研究もしていらっしゃる。それで、お話を聞きたいと思い取材を申し込んだ。彼女の所属する女性専用外来を訪れる更年期の女性のなかで、調子の悪い人は、ジーパンにTシャツなどで、全然身なりをかまわない、ぼろぼろの状態で来るという。

それが、治療によって、症状が改善されると「良い環境」に入って、元気になりお洒落をするようになるのだそうだ。

 なるほど、女性とは、かくも極端な生き物かと私は思った。精神的に、いわゆるうつ状態のときには、自分を美しく見せようという意欲が湧かない。生きているのがやっとというのが本音かもしれない。お洒落は精神的に余裕があってこそ生まれるものだ。

 そういえば、この頃、同世代の友人たちからも何度か同じ言葉を聞いた。

「もう着る服なんて、なんとでもいいっていう感じ。あれこれ選ぶのがしんどくって」
 彼女たちは、以前は眼を輝かせてデパートのバーゲン会場を歩いていた。あの情熱はどこへ失わせたのだろうか。

 女性が女性であることをやめるかどうか、そのターニングポイントが更年期のような気がする。

 河端さんは、五十二歳というが、とても若く見える。せいぜい四十五歳くらいにしか見えない。しかも素敵な装いが、なんともチャーミングだ。肌もきれいだ。そう申し上げたら、「HRTをやっているからかしら」と微笑んだ。

 二年ほど前からホルモン補充療法をしているという。こんなに効果があるのなら、私も迷わずやってみようかという思いが頭話よぎった。

 セックスレス、最大の原因は性交痛

 さて、河端さんの専門である性交痛について、いくつか質問してみた。
 まず、河端さんがなぜ性交痛を調査しようと思ったのか、その理由を尋ねると、予想もしなかった答えが返ってきた。

 女性外来で、患者さんの話を聞いてみると、セックスレスの夫婦が実に多い。なぜそうなったかというと、その原因の多くが性交痛だという。しかし、性交痛というのは、単に女性の機能の問題とだけはいいきれない。他にも複雑な要素がからんでくる。

家庭環境も八割くらい関係している。だから、性交痛そのものは、ホルモン補充療法とゼリーを使うことで解消されるが、心の問題はそうはいかない。それでも解決されない部分が残る。そのために、性交痛が結婚生活をやめる理由となってしまうケースが少なくはないのだ。

 では、その性交痛とは、いったいどのようなものなのだろう。河端さんが丁寧に説明してくれた。

  更年期になると女性の卵巣から出るエストロゲンの値が低下し、子宮や膣が委縮する。それに伴い分泌物も少なくなる。その結果、膣が乾燥する。いや、膣のみならず、性器そのものが乾燥してしまう。英語ではVaginalDrynessというらしい。

するとどいう症状が出るか。極端な場合は、歩くだけで擦れて痛みを感じることがある。つまり大陰唇や小陰唇がすっかり干しあがった状態になっているので、擦れるだけで痛みを感じるのである。

そこまでいかなくとも、膣に潤いがなくなり、性交に支障をきたす。とりわけ前戯をしないでペニスを挿入しようとすると、激痛が走る。それでも無理に入れると炎症が起きる。

 ここで不思議なのは、男性の方は、相手の女性の膣が乾いていることを、ほとんど感じないのだそうだ。女性から見ると、分かりそうなものだと思うのだが、少しきしむなというくらいの感じらしい。したがって、夫婦間でセックスをしていても、夫が妻の痛みに気づかないことが多い。なぜ、妻がセックスを嫌がるのか、夫には理由が分からないのである。

 性交痛が酷くなると出血をするという女性がいる。実際に体験した人の話だと。まるで熱い火箸をいれられるような痛さだというから悲惨だ。

 それ以外にも、痒みに悩まされることがしばしばある。もともと女性の分泌物は膣に酸性に保つ働きがある。それが保てないと外陰炎や膣炎を起こすのである。また、無理な性交をした結果、膣が炎症を起こして痒くなることもある。

 私の友人で、この頃セックスをするたびに、性器全体が痒くなるのだけど、なぜかしらと相談してきた人がいた。彼女の場合は性交痛があるわけではない。ただ、やたらと痒いのだそうだ。それも河端さんから話を伺って理由が分かった。

 更年期を迎えて、女性器も大きく変化している。だから、これまでにない症状が出るのだ。痒みもその一つだ。これは、ほっておくと、自然に治る場合もあるが、酷いときは治療が必要となる。

 いずれにせよ、そうした不快感がセックスに伴う場合、それを機会にもう性交を止めようと思う女性が多い。

 男性にもう少し努力してもらいたい

 だからといって、あながち女性が無知だと責めるわけにもいかない。なぜなら、夫婦生活とは長い年月の積み重ねである。今までお互いどれだけの信頼関係を築いてきたかが、性生活にも関係してくる。性交痛を理由に妻がセックスを拒否すると、夫は自分の面子をつぶされたととらえて怒る。

 そうなると妻はさらに夫が嫌になり、性交痛を理由にもう、きっぱりとセックスを拒絶したくなる。当然、それは夫婦の日常にも反映し、会話もない寒々とした生活が続くことになる。

「だから、夫婦って、妻も夫も互いに気を遣わなくてはいけないと思うんです。だって、もともとは他人同士ですからね。気を遣って当たり前なんですよ」と河端さんはいう。

 たとえば、アメリカの場合、夫婦に限らずカップルはお互いのコミュニケーションを非常に大切にする。セックスをしたあとに、「良かった?」と必ず聞く。お互いによかったかどうかを確認し合うのだ。ところが、日本の男の多くはそういう部分を軽視しているところがある。

「ほんとうに、男性にもう少し努力をして欲しいって思うんです。セックスも自分だけ満足すればよいというのではなくて、前戯にきちんと時間をかけて、お互いに楽しめていなかったら意味がないですよね、それは普通の生活でも同じことがいえます」

 なるほど、河端さんは鋭いところを突いてくる。性交痛というのは、いわば表面的な理由であって、それまでの夫に対して言えなかった不満が積もり積もって、結婚生活をやめる口実になるともいえるのである。

 たとえば、河端さんのいる女性専用外来でも「女性専用」というネーミングのためもあってか、妻の体調を心配して付き添ってくる夫は非常に少ないという。私はかつて、自分の母親に付き添って、ある大学病院の泌尿器科へ行った経験がある。

そこの患者は、ほとんどが、老人の男性だった。そして必ずといってよいほど、隣には妻が控えていた。私は男とは、なんとだらしのない動物かと、そのときあきれた。おそらくは前立腺肥大で診察を受けに来ているのだろうけど、一人で来られないで、妻を従えているのである。

それならば、妻が不調のときは、夫が一緒に来て医師の話を聞くくらいのことはしてもよさそうなものだが、男はそう言うことはするべきでないと信じているようだ。
 しかし、いくら夫が非協力的であったとしても、セックスの問題は厳然として夫婦の間に横たわっている。

 河端さんのまとめた「更年期女性の性生活」という報告書がある。それを見ると女性専用外来の受診者五百三十七人中、四十代では五十二パーセントが性交がありと答えている。五十代でも四十五パーセントが性交している。

 つまり、四十代、五十代の女性の半数近くが、性的にはアクティヴな生活を送っているわけだ。その一方で、五十代の女性の半数近くが性交痛を訴えている。これも見逃せない数字である。そして、夫婦の生活がなくなった理由のトップに挙げられるのが、性交痛なのだ。

その性交痛は六十代なると七十二パーセントと増加している。
 こうした事実を前にすると、今まで女性も男性も自分の身体の変化に、あまりにも無関心だったのではないかという気がしている。

 女性に性交痛があるように、男性にも勃起不全がある。それは加齢とともに自然に起きる現象なのだが、口にするのは恥ずかしいことだという思いがどこかにある。たとえば夫婦でも、なかなか性については、はっきりと話し合うのを、遠慮してしまう。その結果、夫婦の心が、どんどん離反していくケースも出てくる。

 河端さんの「性教育と性生活」というレポートには次のような記述がある。
「女性専用外来で性生活ついての相談は少ないものの、その中身は深刻です。ある女性は離婚してしまったケースや、夫のソープ通いに困り相談に来るケースもあります。そのような相談を聞くたびに、男性の女性の身体的変化への無理解や女性自身の無知に痛感してしまいます。

ある女性は、『夫が定年退職したら、私もお勤めをしなくてもいいでしょ』と平然といわれます。その人のパートナーとの性生活は『お勤め』なのです。それを聞いても性生活がもたらす、お互いの愛情とか優しさとかいった心の充足感はどこにあるのでしょうか」

 性生活について、もっと自然に語り合う場があれば

 河端さんの問いかけを読んで、私は数年前に離婚した友人を思い出していた。
 彼女は四十五歳で自分から夫に別離をいい渡した。その直後に会ったのだか、明らかに友人の精神状態は悪かった。そのために私は、三時間ほど彼女のモノローグに付き合う羽目になった。

 なぜ離婚したのか。理由はセックスだった。少しお酒が入っていた友人はあけすけな口調で語った。

「あいつさあ、いつも自分だけさっさといっちゃっうのよ。早漏というわけじゃないのよ。早撃ちマックみたいに、すぐ終わっちゃうんじゃないんだけどさ、とにかく出し入れすりゃあ、それでいいって感じなの。こっとは、途中でいっちゃいちゃしたり、キスしたりしたいじゃない。

そういうのまったく分かんない男だった。とにかくさ、ペニスが勃起して、射精すればそれがセックスのすべてだと思っている単細胞なのよ。だからさ、いったい俺のセックスの何が不足なんだって開き直るのよ。ちゃんと毎週やってやってるじゃないかって。あの馬鹿そう言ったのよ。ねえ、別れるの当たり前よねえ」

 彼女に同意を求められ、私は深い絶望を感じたのを憶えている。どのように、彼女に返事をしていいのか、わからなかったのだ。

 いや、今でもはっきりとはわからない。そもそも男に、セックスとはただペニスを出し入れすることじゃないよと教えることは可能なのだろうか。

 もし可能だとしたら、いったいそれは誰の仕事なのだろう。妻が教育するのだろうか。しかし、その妻だって、私の友人のように結婚する前に男性経験が豊富な場合は他の人と比較して、注意したり非難したりできるが、あまり場数を踏んでいなかったら、こんなものかと思って我慢してしまうことだってあるだろう。

 我慢しているうちに歳月は流れ、更年期に差し掛かる。すると現実的に性交痛などでセックスができなくなる。性交痛がなくても、セックスをする意欲がまったく喪失してしまったという人も結構いるらしい。

 だから河端さんは前出のレポートの中で問題を提起している。

「性生活は、食べること、眠ること、住むこと、衣服を着ること、学ぶこと等と同様に、人間が人類として生きる上で自然なことではないでしょうか。食にこだわり、住にこだわり、睡眠にこだわり、学歴にこだわり、ファッションにこだわる日本人が、性生活にこだわらないのは何故でしょうか。

 もう、若い世代への性教育の在り方、大人世代の性生活についてもっと、自然にオープンにそして、真剣に取り組む時期に来ているのではないでしょうか」
 まさに、河端さんがいうとやり、更年期の性についても、もっと語られる場があってしかるべきだろう。

 残念ながら日本には、性生活に悩んでいる人が相談する場所がない。「性生活に関して援助できる人が少ないし、指導できる人がいないんです」河端さんは語る。

 現在、全国には約二万五千人の助産師がいるそうだ。彼女たちが、そうした役割を担ってくれたら、ずいぶんと日本の夫婦生活の助けになるのではないだろうか。
 とにかく、更年期世代の性生活には、まだまだ課題が山積していると私は痛感した。
 つづく 第四章 若い恋人の悩み