煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

  本表紙著者 渡辺やよい

第五章ぷちとムツゴロウ王国の女王

表題5

ネットで救をもとめていたミドリガメをひきとる 亀子

 わが家には、九歳になる三〇センチの大きさのミドリガメがいる。
 もとはといえば、夜店でよく売っている、あの、ちっこいミドリガメである。
 あれが三〇センチになるのである・・・・。
 彼女(メス)は養女である。
 私は「ミクシィ(mixi)という会員制のサイトに入っている。そこの亀愛好者のコミュニティで、ある日「三〇センチのミドリガメの里親募集!」と、書き込みがあったのだ。飼い主が留学するために飼えなくなった亀を引き取って欲しいということだったのだ。

 が、如何せん、甲羅の大きさだけで三〇センチ! である、亀好きな人々の集まりのコミュでも、みな、心配しつつとても引き取れないと手をこまねいていたのだ。

 私のうちにも、息子がお祭りの夜店ですくってきたミドリガメがすでに一匹いて、順調に(?)成長しているところに、三〇センチはきついよなぁ、と、思っていた。が、「引き取り手がないと、生態系を壊す(ミドリガメは正式名はミシシッピアカガメ、外来種)から池や河に離すわけにもいかず、もう、安楽死しかないです」と、

 悲鳴のような飼い主の書き込みを見て、たまらず夫に相談すると、「うむ、義を見てせざるは勇なきなり」と、了解してくれた(考えたらどうせ世話するのは私であった)。そこで武士道精神で、名乗りを上げてしまった。ああ、自爆。

 いざ、引き取る、ということで飼い主さんとお会いすることになり、駅前のスターバックスに出向いた。そこで、飼い主である若い女性が足元との大きな紙袋から取り出された現物を目の当たりにして、やっぱり「で、でかいー」と、ひるんだ。しかし、ここまできて、引き下がれない。

妙齢の乙女と中年女がでかい亀を真ん中にカフェオレを飲みながらやり取りしている光景に、店の客もびびっている。彼女は、目に涙を浮かべて「ほんとうにありがとうございます」と、私の手を握ってくる。もう引き受けるしかない。

 当日は雨。プラスチックの小さな水槽に押し込めて紙袋に突っ込んで、大急ぎで受け取って家路を急いだ。が、亀、実は怪力なのだ。歩いている途中でばたばた大暴れ、水槽から飛び出し、濡れていた紙袋がばりばりと破れてしまった。

私はしょうがなくて、亀をむんずと直に小脇に抱えて走っている。ちょうど小学校の下校時刻で、子供たちが「あ、でかい亀―」「おばさん、それ、どうしたの?」などと、口々にいいながら後をついてくる。浦島太郎状態である。それをしっしっと追い払いつつ、わぎわぎ暴れる亀をラグビーボールのように抱えて走る。

六〇センチもある大きな水槽を用意し、やっと新居に入れた。しかし亀とて、長年慣れ親しんだ環境と飼い主を失い、ショックですっかり引きこもり状態となってしまった。ときどきうかがうように首を出す。こちらが覗く込むと、「しゆっ」と音をたてて、鼻息をあらくして、さっと引っ込んでしまう。

そう、亀は威嚇するのである。初めて知りました。
こちらも慣れさせようと必死。
鳥のささ身などのご馳走でつったりやさしく話し掛けたりして、受け入れてもらおうといろいろ試みる。野生児ヘレンケラーをなつかせようとするサリバン先生さながらである。

やがて、さしもの亀も次第に餌を食べるようになり、むこうむきのままだった姿勢から、じょじょにこちら向き始めた。
日当たりのいい日には、手足を伸ばして日光浴もし始めた。
そして。空気が緩み暖かくなってきたところ。
水槽から出して、部屋の中を散歩させると、わしわし力強く、そして、すごいスピードで歩き始めた(亀は意外に足が速いのである)。子供たちが騒いでも、もう、平気だ。犬がわんわん吠えても気にしない。
亀子さんは(息子が命名、まんまや)、やっと、我が家の一員となったのである。

ところが、ずんずん歩いている亀子さんを見ていた娘は「うさぎさんはどこ?」と、言い始める。

我が家の生き物、犬二匹、亀二匹(うち一匹三〇センチ)、金魚二十匹、ウーパールーパー五匹、ハムスター一匹、子供二匹もとい二人、夫一匹もとい一人‥‥。(しかし、まだまだアニマルウォーズは続くのである。後半を待て!)

具合の悪いカメを爬虫類専門動物病院で治療 金太

さて、その春先に、今度はここ一週間ほど、もとからいるミミドリガメの金太(息子命名、息子は光物がすきなのである、どういうセンスだ)が餌をぱったり食べなくなってしまった。思い余って爬虫類専門の獣医に連れて行くことにする。そうなんです、あるんです、爬虫類専門の獣医さん。

その爬虫類専門の獣医さんは都内ではなかなか有名で、亀やトカゲなど買っている人はたいていここに行くという。実は、里子にひきとった大亀亀子のかかりつけの(?)の獣医さんもここであった。

本郷にあるその病院に、日曜日、子供たちと亀を載せて車で出かけた。完全予約制で、十一時に予約した。
順天堂医院の近所にあるこじんまりとした病院は、すでに午前中の予定は満杯で、待っている間にも、急患の亀を連れて血相を変えて飛び込んでくる人もいる。

「うちのヘンリーが仲間におしりを噛まれてしまった」と、泣きながら血だらけの亀を抱きしめて飛び込んでくるセレブ風奥様など、盛況である。

 考えたら、昔は犬猫ぐらいのペットが、今は多岐にわたり、においや抜け毛のない爬虫類愛好家も多い。逆にこうした専門の獣医は必要不可欠になってきたわけだ。

 さて、うちのミドリガメは、というと。春になって暖かくなってきたので、私が水槽のヒーターを切ったために、逆に寒くなって食欲が衰えたらしい。栄養剤を注射してもらうと「きゅー」と、鳴いて首を出し入れして驚いていた。いや、亀も鳴くんですね、初めて知りました。

 しかーし、お亀様である。動物は健康保険がないから、受診料しめて四千五百円なりー
 こ、こいつは息子が夜店で二〇〇円ですくった亀なんだが。
 ぴかぴかの受診カードまで作られて「渡辺金太さま」と書き込まれた。
 多くの人が世店などで買ったはいいが、あきて川や池に捨てたあげく、膨大に増え、日本の亀の生態系を壊している、実はたちの悪い外来種なのである。

 でも、うちに来た亀は、やっぱり家族なのだ。元気になって欲しい気持ちに種別はない。お、お金にはかえられない。って、どもるなって。

 ところで、先生がうちの金太を見て、
「あと三十年は生きますから」
 とのたまう。うーん、私はあと三十年、もちませんー。
 亀の愛好家の間では「五十歳過ぎて亀を飼うと、喪主は亀」といわれる。
 私の死後、でかい年寄り亀が残るのか。こいつが遺産では子供達も相続しそうにはならないよなぁ。

コーギー歴十数年、私と犬たちー びすこ
 私は子供の頃から行き物を飼うのが大好きだった。しょっちゅう捨て猫だのカエルだのありんこだのを家に持ち込んでは、生き物が大嫌いな母親に悲鳴を上げさせ、??られては泣く泣く捨てにかえるという繰り返しだった。引っ込み思案で口下手な子供だった私は、物言えない生き物に、とても共感し愛着をもったのだ。

 特に、犬が飼いたくて飼いたくてしかたなかった。さんざんねだって、近所に生まれた雑種の子犬を飼ったものの、これがまた非常に頭の悪い犬で、無暗やたらに吠えまくる癖が抜けなかったもので、とうとう親は子供の私に内緒でその犬を捨ててしまったのだ。
 これは子供心にもとても口惜しかった。涙ながらに私は思った。
 (大人になって、自分で暮らすようになったら、絶対犬を飼おう)

 かくして、大人になりたい、曲がりなりにも仕事で食えるようになり、独立してささやかな一戸建てを手に入れた私が、引っ越しの荷物を運び入れるよりも早く手配したのが、犬であった。

 私が選んだのは、今でこそテレビのコマーシャルなどでメジャーになったものの、当時は珍しい犬種のウェルシュコーギーペンブローク。なぜその犬かといえば、かって近所の「長谷川町子美術館」をふらりと訪れたときに、印象に残った一葉の写真のせいだ。

 長谷川町子さんは、生涯独身だったが、犬や猫をとても可愛がっていた。その愛犬の一匹を抱き上げて写っていた写真に私は一目惚れしたのだ。耳がピンと立ち利口そうな精悍な顔つきなのに、胴が長くて足が短いところがとても愛嬌があり、私はいつか犬を飼うならこの犬種、と、心に決めたのだ。

仕事で独立して犬を飼う。ああ、素晴らしき夢の実現。

「子犬を飼うんだよー」
 うきうき気分の私に、当時まだ恋人だった夫は、冷静に返した。
「そんな甘いもんじゃないぞ」
 彼は実家で犬を飼っていた経験があったのだ。しかし、淡い夢にのぼせている私の耳には届かない。

 現れた子犬は、みかけは正に絵に描いたようにくりくりとして可愛い子犬であった。
「きゃあ、可愛い、今日からよろしくね」
「くうんくうん(ぺろぺろぺろ)」
「あはは、くすぐったいよぉ、ほらぁおいでょ」
 私のあとをしっぽをちぎれんばかりに振りながら(もっともコーギーには尻尾がないのだ)追いかけてくる子犬。
――これは私の妄想。

現実は
「きゃあ、可愛い、今日からよろしくね」
「(無言)がぶっ」
「ぎゃあー、ね、ねえどうしたの、だいじょうぶだよ、ね(なでようとする)」
「(無言)がぶがぶりっ」
「ぎゃああー(両手から血が吹き出る)」
 わが家に来たのは、愛想がなく警戒心が強く噛み癖のあるという最悪の子犬だった。

 犬初心者の私は、噛みまくられて血だらけの両手を抱え、半泣きで毎日その子犬に振り回された。引っ越ししたばかりの家は、子犬がそそうをしまくり暴れまくるので、ぼろぼろどろどろであった。(こんなはずじゃなかった)少女趣味な夢は打ち砕かれた私は、早くもひと月足らずでギブアップしかけた。

 思い余った私は、とうとう手に負えない子犬を犬の訓練所に預けることにしたのだ。可愛盛の三ヶ月の別れ。連れていかれる時にさすがに不安そうな顔をした子犬に、私の胸は痛んで、思わず「やっぱりやめますー」と、言いそうになった。

 しかし、「躾のできていない犬になるということは飼い主にとっても犬自身にとっても不幸なことです」と、訓練所の先生にびしっと言われて、しゅんとなって、子犬を先生に託した。

 三ヶ月の訓練ののち、もともと頭のいい子犬は、見違えるように落ち着いてきちっとした若犬になって帰ってきた。でも三ヶ月のブランクは、私たちの間に微かなみぞを作った。子犬は私につれなく接し、私はお互いの距離を図りかねていた。

 ある日、夜中に子犬がこっそり私の布団にもぐり込んできて鼻ズラを私のほほに押し付けてきた。私は思わず子犬をぎゅっと抱きしめた。初めて、犬と心の通じた瞬間だった。

 それが私の最初の犬、びすこだ。

 犬一匹のために、私の世界は開けた。仕事は完全てつや、夜型の私が、犬と生活するために朝型生活に変えた。社員は泊まり込みで仕事をしていたのを、九時から夕方五時までの通いにしてもらった。土日は休みにした。びすこと旅行に行きたいがために、忙しい仕事の合間に教習所に通い免許を取った。

 びすこを助手席に乗せて、ずいぶんと色々なところへドライブに行ったものだ。あの時免許を取らなかったら一生車の運転などすることもなかったろう。おかげで現在、子供たちを載せてどこでも出かけて行けるようになった。

 ちょうど、私も三十代になったばかり、若く仕事も順調で、そんな私の傍らにいつもびすこがいた。

コーギー歴十数年、私と犬たち2 あんこ、平助

 あんこが来たのはその三年後だ。
 友人の家に、びすこと同じ犬種のコーギーの子犬が何匹も生まれ、その余りの愛らしさにどうしても欲しくなった。
「びすこも友達が欲しいと思うんだ」
 と言う私に、夫はまた冷静なアドバイスをした。
「いや、おまえ、びすこはそういうタイプの犬じゃあないぞ、やめたほうがいい」
 ああ、彼のアドバイスはいつでも的確である。なのに、私はそのたび
「えへへだいじょうぶだいじょうぶ」
 と、聞く耳を持たないのだ。余談だが、子の私の読みの浅い性格は現在もそのままで、彼は
「もうおまえにはなんのアドバイスもしてやらない!」
 と、怒りつつも、いつも先走って泣きを見る私にとりあえず、歯止めをかけてくれている。

 さて、あんこと名付けられた、ちょっと鼻ぺちゃだけど気のいい子犬がわが家にやってきた。
「びすこ、あんこだよ、仲良くするんだよ」

 私の声かけに、びすこは端正な顔の表情を動かさないまま個畏怖を無視する。あんこが尻尾をふりふりのこの子びすこに近づいた途端、びすこは顔色一つ変えずがぶりとあんこの鼻ズラに食いついたのだ。あ、と思う間もなかった。

「きゃいんきゃいん」
 あんこが、鞠のようにすっ飛んで私の膝に飛び込んでくる。あんこの鼻ズラからぷしゅーっと血が吹き出ている。

 びすこは知らん顔で前足をなめている。その一瞬で、二匹の上下関係が一生決められたのだ。お人よしのあんこは、死ぬまでびすこに頭が上がらず、餌を横取りされても腰を低くして譲ったりしていた。

 犬には八方美人型の誰でも大好きという性格と。生涯我一主人、という頑固なタイプがあり、びすこは後者あんこは前者であった。

 その後、私は彼と結婚して子どもを二人儲けるのだが、びすこはがんとして彼も子ども達も受け入れず、かたくなに私についた。逆にあんこは、子供達にもよくなつき可愛がられた。

 子供達と戯れているあんこを、遠巻きじっと見ているびすこを見ると、(損な性格だよなぁ)と、ため息がでてしまう。でも、その頑な不器用さが、私には愛おしかった。

 独身から結婚出産と、激動の私の十五年間をびすこは共に生きた。そして、人より六倍の速度で歳を取る犬であるびすこは老いた。

九歳になったころ、下半身がじょじょに萎えて、とうとう後ろ足が立たなくなった。私はびすこの腰にバスタオルを巻いて、持ち上げるようにして散歩に出た。しかし、体重十三キロの犬を持ちあげての散歩は意外に重労働で、私は腰や肩を痛めてしまった。

 しかし、散歩に出ないと寝たきりで、垂れ流しになってしまう。その上に、泡を吹いてひきつけるという原因不明の発作も度々起こるようになり、私は介護に追われた。その間に仕事も育児も家事もある。私の疲労は蓄積していく。

 ある日、私はびすこに車椅子を作ってあげられないかと思った。調べてみるとオーダーメイドで多少値段は張るが、とても機能的な犬用の車いすを作ってくれる会社があり、考えた末、注文した。

 犬によっては車椅子に順応できずに無駄に終わってしまうケースもあるというが、私はびすこの利口さに賭けた。

 結局この車椅子でびすこは二年以上散歩に出た。前足だけで必死に歩くびすこに、街の人たちがいろいろ励ましの声をかけてくれるようになった。
 そして、あんこ。
 びすこと正反対の陽気で単純な性格のあんこは、歳を経ても子犬のようなとこがあり、びすこの看病に追われていた私は、あんこはいつまでも元気でいると思い込んでいた。

 しかし、あんこが九歳になった夏、急に食欲が落ちた。あんなに大好きだった散歩もすぐに帰りたがるようになった。獣医に連れて行ったが、肝臓の機能が少し落ちているという程度で、夏バテであろうと、言われた。

 いろいろ食事を工夫して、あんこの食べやすいものを作ってやった。その日、私が作った肉団子を美味しそうに食べたあんこを見て、あ、少し元気になった、と、喜んだ。ところが翌朝、あんこは、廊下のいつも寝ている場所で寝ているような顔のまま、息途絶えていたのだ。あまりにあっけないあんこの死に、私は愕然として号泣した。

 正直、びすこに気を取られて、あんこの事を注意深く見てやらなかった所があった。申し訳なくて、可哀想で涙が止まらず、心に大きな空洞が空いてしまった。

 失ってみて、初めて、ペットロス、というものが本当あると知った。
 びすこは、あんこより頑張り屋だった。
 あんこより一年も長く生きた。
 最後まで、車椅子に載り、わずかな距離だが家の前を散歩した。
 盛夏。とうとう口からものが入らなくなり、病院に入院して点滴を受けたりしたが、その日見舞いに来た私の方を、すがるように見て何度も「わふっ、わふっ」と声をかけてきた。家に連れて帰ることにした。

 家について一時間後に、私の腕の中であっという間に息を引き取った。ちょうど夏休みで、息子の友達たちが我が家に遊びに来ていた時だった。びすこの死骸を抱きしめて声をあげて泣く私の姿に、子供達もしんとしてしまった。

 翌日、息子が一緒に来てくれて、お寺でびすこを荼毘にふした。びすこの小さな骨のかけらを拾いながら、息子が言った。

「母ちゃんはまた、犬を飼うだろう?」
「うん、きっとそうだね、悲しい別れがあるとわかっていても母ちゃんは犬を飼ってしまうだろうね」
 そして今。
 わが家には、三代目のコーギー犬、平助がいるのだ。
 犬も三匹目ともなると、慣れたもので、適当に躾もして、でも適当にぐうたらさせている。びすこのときに、泣きながらおろおろ世話をした時とは雲泥の差で、いつの間にか私も犬飼のベテランになっていたのだ。
まんが挿絵

水槽の住人1 金魚

金魚を飼うのは難しい。ある意味犬猫より難しい。
 ええっそんなばかな、とお思いのあなた。金魚を一年以上飼ったことがありますか? 金魚、すぐに死にませんか? お祭りですくってきた金魚など、翌日には浮いていませんか? 実は金魚、ものすごくデリケートな生き物なのだ。

 ある日突然水面に横たわって浮いてあえいでいたり、水底でじっとしていたり、そうなるともうたいがい死んでしまう。金魚の長生きのコツは、病気にさせないことにつきる。

 そのコツとは、もう良い環境の維持以外の何ものでもない。常に一定の水質と一定の温度一定の餌、環境の変化は金魚は弱い。常日頃の観察を怠らない。でも構い過ぎはダメなのである。

 で、金魚界の名人になるには。もう金魚を何度も死なせていくしかないのである。わが家には、五年も生きている金魚がいるが(なんのへんてつもない和金)、その一匹の金魚を生かすためには、なんと十匹の金魚の累々たる犠牲があったのである。

飼っては死に、飼っては殺し、そうやってじょじょに金魚飼いのコツをからだで覚えていったのである。
 まるで美しい赤い焼き物の色を出すために何百枚の皿を割りつづけた初代柿右衛門のようである。って、それはいいすぎか。

 生き物に死なれるのは情けなく悲しい。特に金魚などは「完全に死にましたーうらめしいー」という感じに目を?いてぷかぷか浮くもんだから(もっとも金魚は瞼がないのだけれども)「ああもう二度と飼うまい」と、普通は思うものだ。

 だが、私などそこはそれ、金魚ってのがピンきりで何百円で買えるものだから、つい「チャレンジ!」とばかりに懲りずに飼ってしまうわけだ。そうやって少しづつ金魚が長生きできてくると、それはそれで達成感があり、うれしい。

 きれいな水の中で、赤いウロコをきらめかせてひらひら泳ぐ金魚を見ているのはとても幸せだ。長年飼っていると餌をくれる人を覚えるくらいはして、私が姿を現すたびに水面に寄ってきてくれるのも可愛い。

 ところで、我が家の金魚の環境ベスト1は、なんとトイレなのだ。様々な場所で飼ってみたが、トイレのなかに飼っている金魚が一番長生きする。どうも我が家で一番環境が安定している場所はトイレらしい。

 しかも一日に何度も通う場所なので、金魚の様子をうかがうに、もってこいの場所なのだ。用を足しにはいったまま、金魚をぼんやり眺めていつまでもトイレから出てこないので、家族が心配していきなりドアを開けたこともある。

 またうちのトイレは「養殖場」とも呼ばれ、ここで生き物を飼うと、なぜか恐ろしい勢いで繁殖してしまうのである。子供が夜店ですくってきたザリガニなど、複数入れておいたらガンガン交尾して、がっつり卵がかかえ、ある日うじゃうじゃと何百匹ものザリガニの子どもが孵化してしまい、トイレに入ってびっくり仰天、出し掛けたものも止まるような大変な騒ぎとなった。

 結局共食いの果てに(おそろしや)数匹残る程度におちついたものの、餌と陽の当たらない環境のせいか、全員真っ白いザリガニと化し、めでたいのか無気味なのか分からない生き物が長いことトイレの水槽に生きていた。

 夏祭りごとにこれが繰り返されているので、これはいっそザリガニを養殖して食用にしようかとも考えたが、トイレ産のザリガニでは食指も動かない。とうとう我が家は「ザリガニ禁止令」が出されたのである。

水槽の住人2 ウーパールーパー

そして今、私がはまっている水生動物が、アホロートルである。え? なにそれって。ウーパールーパーである。ひと昔、テレビCMで有名になったからご存知のかたも多いだろう。

「ああ、海に住んでいて天使と呼ばれているあれね」
 いやそれはクリオネですって。ウーパールーパーは、サンショウウオの仲間である。目の離れた顔の周りにひらひらしたエラがたなびくのほほんとした生物である。そんなもんが飼えるなんて知らなかった。でも飼えるんですね。

 ある日、仕事をしながら私が
「なんか新しい生き物を飼ってみたいんだよね」
 などとつぶやくと、アシスタントの一人が
「先生、ウーパールーパーなんてどうです?」
という。
「え? あれって飼えるの?」
「私の友人が飼っていて、意外に可愛そうですよ」
 もう、がぜん飼いたくなる私。
 早速ネットで調べてみると、白いからだに赤いエラがキュートなウーバーが通販されている。気の短い私はすぐさま注文をクリック! するとすぐ返事が
「明日、到着します」
 はやっ!
 かくしてあっという間にわが家にクール宅急便でウーパールーパーがやってきた。水槽を用意してわくわくして待っていた私。蓋を開けてのけぞった。
「でかっ!」
 そうなのだ、テレビや想像の中のウーパールーパーは、せいぜい五センチ程度のものだった。しかし、今、目の前のビニールの袋に入っている生き物はどう見ても三〇センチはある。でろーんと、白くてでっかい無気味なのか生き物。

 こ、これがウーパールーパーかいっ? 用意していた水槽では間に合わないと判明、慌てて新しい水槽を用意する。
 どうみても可愛くない。
 私は生半可な知識で購入したことに早くも後悔した。試しに購入先のペットショップに電話してみる。
「あのぉウーパールーパーって、どのくらい大きくなるんですか?」
「最大四〇センチくらいですかね」
 うおーあれよりまだ大きくなるんかい?
 水槽のなかに、でろーんと半笑いした顔、白いしかもお腹のあたりにはシワシワの寄っている生き物に、子供たちは怯えて寄り付かない。
 
 夫は
「これを飼う意味を述べよ」
 と私に迫る。とほほである。しかも、ちっとも餌を食べない。
 生き餌は面倒なので、ナマズ用のつぶつぶの餌(あるんです、ナマズ用の餌)を目の前に落としてやるのだが、動くものに反応するというこの生き物はぼーっと餌が落ちていくのを見ているだけだ。何度やっても食いつかない。

 このうえ、飢え死にさせては夫のいい笑い者だ。だいたい水生生物は、一週間やそこらは絶食でも生きている。一週間のうちに何としても餌を食べさせないと。

 私は毎日このウーパールーパーに餌を食べさせようと試行錯誤した。私の努力をよそに、ウーパーは半笑いの顔のまま、ぼーっと水底ではいつくばっているのである。

 だが三日目に、お箸で餌を摘んで目の前に振りながらぽとりと落としてやると、いきなりぱくっと食いついたのだ。その素早いこと。ぱっくんごっくん。である。その瞬間、私の脳裏に「ロッキー」のテーマが流れた。思わず「エイドリアーン」と叫んでしまいたくなる。やったー!

 一度お互いコツをつかんでしまえば、こっちのものだ。何度も餌を食べさせているうちに、人影が見えるとのっそり後ろ足で立ち上がるようになった。こうなると、がぜん可愛くなる。ぼーっと薄笑いでたたずんでいるだけの不気味な生き物に、癒しさえ感じる。

 私はすっかりはまった。
 気がつけば、白いウーパーパーから始まり、金色、マーブル、ブラック、ブルーと、すべての色のウーパールーパーの水槽がずらりと並んでいるのである。さすがに二匹目からは、子どもの五センチくらいのウーパールーパーから飼い始めた。これを大きくする楽しみ。

 今や私の目標は、すべてのウーパールーパーを四〇センチに育て上げることである。夫はあきれ顔で言う。
「だからこういうの飼って楽しいの?」
 はい、飼えば何でも楽しいのだ。
まんが挿絵

子猫が来た

さて、かくのごとき様々な生き物を喜々として飼いまくる私であったが、意外というか鬼門だったのが猫である。
 犬はすでに三頭目十五年のキャリアを誇る私だが、猫は食指が動かなかった。

 漫画家が飼うペットは、猫が断然多い。なにせ昼夜なしの不規則な生活、締め切りに入るとぜんぜん動きが取れない人が多いので、散歩もいらずトイレも自分で済ませ、あまりかまわなくてもマイペースで生きている猫は漫画家にはぴったりのペットだ。ではなぜ私が飼おうとしなかったか。

 そもそもが、我が道を行く感じの猫より甘えん坊の世話のかかる犬の方が面倒見たがり屋の私の嗜好に合っていたのと、今まで遭遇した猫体験があまりいいものではなかったせいだ。

 私がまだ漫画家としてはほとんど売れていない時代、ほかの漫画家のアシスタントをして食いつないでいたのだが、そのゆく先々に猫がいた。生き物は好きな私は、猫自体には問題がなかったのだが、問題はその飼育環境であった。

 忙しさにまぎれてトイレ掃除を放棄してある仕事場。ひと部屋になん十匹もの猫を飼っておいて、抜け毛地獄の仕事場、凶暴な猫が背後から襲ってくる仕事場…。

 かくのごとき、仕事場にまつわるすさまじい猫体験のせいで、私の頭には「漫画家+猫=鬼門」という図式が刷り込まれてしまった。

 そのため、私は猫自体にいい感情を抱かなくなってしまっていたのだ。しかし、冷静になって今、よくよく考えると、問題は猫でなく漫画家の方であったことは明白だったのだが。

 こんなわけで猫だけは飼う機会がなく過ごしてきた私だった。
 しかし巡り合わせとは不思議なもので、なぜ今ここにきて四匹もの猫わが家に同居するはめになったのだ。そして、私の猫への偏見も一掃されたのである。
 それは愛犬びすこのおかげとも言える。

 死期が迫ったびすこは、たびたび獣医さんの元へ運び込まれるようになった。ある日、一匹の子猫がケージに入れられて病院の出窓に出されているのに気が付いた。里親募集中の捨て猫であった。それまで何度も様々な子猫がそこで里親募集の張り紙と共に出されていることは、知っていたが、猫に興味のない私の目に止まることはなかった。それなのに、なぜこの時だけ、妙にその子猫が気になったのだ。

 みすぼらしいぼろ雑巾のような色をした痩せた猫だった。獣医さんは、びすこの治療をしながら、その子猫が「性格はとても良い子なのに、見栄が良くないせいでなかなか貰い手が見つからないの」と、嘆いた。

ふっと私がケージに近づくと、小さな子猫は私の方を見上げて「みぃみぃ」と何度も鳴いた。真っ黒い顔には琥珀色の瞳がくりっとして意外に可愛い感じだった。びすこを連れていくたびに、その子猫のケージを覗くようになった。子猫は貰い手がつかないまま、そこにいた。そして、私はふと、つぶやいていたのだ。

「猫って、飼うの大変ですかねぇ」
 その瞬間、獣医さんの目がきらりと光った。
「ぜんぜん、犬より楽よぉ、もうこの子はトイレの躾もしてあるし、犬も怖がらないし、とても飼いやすいわよぉ、ねえ、試しに一日、連れて行ってみる? おうちに合わなければ返してくださってけっこうよ」

 びすこと共に子猫を連れて帰った私に、夫はあきれた。
「老犬介護に、この上、子猫かよ」
「いゃあの、一時預かりってだけだよ。大丈夫だよ。猫は犬みたいに散歩もいらないし、ほら、もうこの子はひとりでトイレに行っているし、お利口だよ」
「つて、お前、すでに飼う気まんまんじゃん」
「いやすぐ返すて、猫ってどんなもんかなぁ、と、思ってさ」

 そのまま、一日たち、三日たち、一週間たち、私は猫トイレとケージを買いに走った。子猫は返せなかった。

「もか(もかっち)」と名付けられたその子猫は、我が家の記念すべき一代目猫となったのである。うちで栄養たっぷりに育ったかもは、すらっとした艶やかなべっ甲色の美猫(ひいき目おおいにあり)になり、女王様のように家の中をしゃなりしゃなりと歩き回っている。

 禁忌(タブー)が一度破れれば、もろいものである。
 はかったように、引き取り手のない子猫が次々にその獣医さんに持ち込まれた。
 子猫の魅力に取りつかれたうちの子供達は「飼おうよ」「この子も飼おうよ」と、どんどんうちに連れてきてしまうのだ。一日でも飼ってしまったら、とても返せない。かくして食いしん坊で甘ったれの縞猫の「クッキー(くーちゃん)」、控えめで心優しいキジ虎の「虎(とらやん)」末っ子の白猫「だんご」と、捨て猫四匹がいきなり家族に加わったのである。

 私は生き物は飼えば何でも情が湧くのだが、とりわけ子猫の愛らしさは格別で、四匹がくすほぐれつて家中をぼろぼろにして暴れまくっても、顔がほころんでしまっている自分がいる。こうなると、私に猫偏見を植え付けた漫画家諸先生の気持ちが解らないでもない。

 ただし、私は猫トイレはまめに片付けるし、掃除も怠らない、つ、も、り。
つづく 第6章 人生は本当に大事なものだけを大事に