著者 亀山早苗
リストラ劇で男の意識が変わるのか
平成九年(1997年)から十年にかけて、金融機関を始めとする大手企業の倒産や自主廃業が相次いだ。年功序列、終身雇用は確実に終焉(しゅうえん)に向かっていると実感させられたサラリーマンは多いことだろう。
こうなったら自分も変わっていかなければならないのではないか。そんな不安も覚えてしまうはずだ。だが今までの会社員人生、おいそれと簡単に方向を変えることなどできないだろう。それでも、考え方を少しずつ変えていくくらいならできるのではないか。危機に対処できるだけの地力みたいなものをつけておくことは必要ではないだろうか。
平成九年、倒産や自主廃業で会社がなくなってしまったあるふたつの社員のその後の明暗を分けた。立場は多少しちがえど、どちらも大手企業に勤め、時間的にも大差のない日常を過ごしていた。仕事の面で同じく忙殺されつつも、このふたりは日頃の生活、考え方のどこかに明らかな差異があったんだろう。
そのちがいを検証してみたくて、対照的なふたりに会ったのだが、私の印象、考えは思わぬ方向へ行くことになる。
「会社に執着なし、ステップアップのチャンス」〈夫・元大手証券会社勤務〉
会社の存続自体がまちがいだった
会社なくなったものの、それまで培った人脈で再就職がすぐに決まり、家族にも応援されている人物がいるという。会社に執着せず、淡々と自分の人生を切り拓いていくタイプの男性だと聞き、私は早速、彼に連絡をとり、会いに行った。
浦野哲也さん(37歳)は、ある大手企業の課長職を務めていた。大学を出てから営業一筋。営業成績は抜群で、会社から何度も表彰されたことがある。
職場結婚して十年、8歳と5歳の男の子がいる。かつて社内結婚した奥さんの真佐子さん(35歳)は専業主婦だ。
会社がなくなったとき、哲也さんは一瞬、動揺を隠せなかったという。
「その前からなんとなく社内の雰囲気はおかしかった。もしかしたら、という感じはありました。だから本当に会社がなくなるとわかったときは、『やっぱり』という気持ちと『本当かよ』という気持ちが交互にきましたね。こんな大きな企業でも潰れてしまうんだということに、経済の恐ろしさを感じました。
妻ですか? 驚いたでしょうね。しばらくのあいだは多少の動揺も感じられました。なんとなく落ち込んでいるのもわかりました。それまでも、僕はわりと会社の話は妻にはしていたんですけどね。もともと、同じ会社だったせいもあるけど、もし社内結婚じゃなかったとしても話していたでしょうね。仕事は家に持ち込まないというタイプじゃないんですよ。なんでも話してしまうから、妻にはかえってうるさがられています。男の子が三人いるみたいだって」
人なつこい笑顔が哲也さんの魅力。この笑顔に惹かれる人が多いから、営業成績も伸びていったかもしれないと思わされる。顧客には誠実に接してきたのだろう。だがその一方で、クールな客観性と分析力も、持ち合わせているようだ。
「僕は仕事が大好きですが、会社にはあまり執着していないんです。会社を愛する気持ちはありますが、それは自分が所属しているから当然ですよね。でも会社に何かをしてほしいと思った事はありません。あくまでもビジネスとしてギブ・アンド、ティクの関係ですから。たとえば家族に何かがあって僕が家にいた方がいい状況になったら、会社を辞めてもいいと思っている。それは会社がなくなってか、今でもこう思ってきたんだなとはっきり認識したことなんですけど。
同僚や先輩の中には、会社がなくなることに対して、男性でもかなり悔しがったり感情的になったりしている人がいましたけど、僕はそういう気分にはなれなかった。最初は動揺したけど。むしろ僕らをこんなふうに使い捨てるような企業なら、存続してきた方が間違いだったんじゃないかと冷静に思うようになっていました。
といって別に会社に恨みもありませんよ。仕方ないことです。僕にとって大事なのは自分の人生であり、家族を守ることなんです。だから会社に滅私奉公しようなんていう気持ちはありません」
哲也さんは明快に言い切った。私は、会社に感情的な愛着をもたない人種がいることをしっかりと確認した。彼はこれまで、忙しい仕事の合間を縫って、異業種交流にも興味を持ち、盛んにそれらの会に顔を出してきたという。
「たまたま僕の顧客に、異業種交流の会に行っている人がいたのがきっかけです。最初はその顧客の誘いを断れずに顔を出したという感じがしたんですが、だんだん面白くなってきました。そこでいろんな社会勉強もしたし、人脈も広がりました。会社だけに縛り付けられるより、自分がいかに生きていくか大事にしたほうがいいと、そこで知り合った人たちにさんざん言われたんですよ。自分の会社がなくなってみて、その意味が初めてわかりました。
社内の人間関係ってやっぱり煩わしい。たとえ自分の仕事が終わっていても、やっぱり同じ課の人間が残業していたら帰りずらいでしょう。とくに僕は課長だったから、部下に働かせて自分が帰るわけにはいかない。上司に頼まれれば残業もせざるを得ない。行きたくなくても、たまには同僚や後輩と飲みにも行かなくてはいけない。自分の仕事でどんなに残業してもいいけど、どこか個人と企業がごちゃ混ぜになっている感じがあって、それがどうして納得できなかった」
再就職先はすぐに決まった。それも知人からかけてもらったというから、
ほとんどヘッドハンティングに近い。今度は外資系の会社だ。
「ロンドンの野村証券で年収八十億円っていう人がいて話題になったでしょう? 彼の売上は「一千億円かなんかあったらしいから、八十億の収入を得るのはあたりまえだと社長が言ったらしい。僕もそう思うんですよ。どんなに働いてもある程度の給料しかもらえないのは変です。
働いて結果を出した人間にはそれなりの報酬をくれるところじゃないと。再就職先はそういう考えにぴったりなんです。だからすごく楽しみですよ。思いきり仕事をして、たくさん収入を得て、早く家に帰りたいんです。
会社がなくなって、僕は今までより家族に対する責任感が強くなった。子供たちにも”強い父親”を見せてやりたい。男の子だし、父親がいい手本にならなくちゃと思うんです。妻も今度の会社の方が僕に向いていると喜んでくれています。
やっぱり会社べったりの人間は、これからの時代、損をすると思いますよ。自分は何ができるのか、それをつねに考えて努力を重ねていかないと一流の人間にはなれない。会社がなくなると聞いたときはちょっとショックではありましたが、今になると、却ってよかったという気もします。
僕にとってはスムーズなステップアップができるきっかけとなった。だいたい、駄目な会社はなくなって、企業も淘汰される時期がきたといことではないでしょうか。それは働く人間も同じだと思いますよ。結局は強食の世の中なんですよ。それが資本主義っていうことなんだから」
哲也さんの言うことは正論だ。会社べったりで、会社が自分の人生を保証してくれるなんて思っているのは甘い。もっと大きな視点に立って働くべきだし、自分の視野を広げた方がいい。働いて利益をもたらした人間は正当に評されるべきだ。だめな企業も淘汰されるべきだろう。そうやって会社は活性化していくのかもしれない。旧態依然では何も変わっていかない。
彼の場合、家庭も上手くいっている。強い父親、バリバリ働いてお金をたくさん稼ぐ夫。確かに逞しいし頼りがいがある。夫としても手本であろう。
しかし…・なぜだろう。私は哲也さんに共感することはできなかった。言っていることは正論だと思うのだが、人として違和感を覚えてしまった。この人は自分とは別種の人間だというランプが、私の頭の中でくるくる光るのである。
自信を失ことを知らない恐さ
彼は同期の中でも出世頭だというが、決してエリート臭漂うタイプではない。むしろ、軽快なしゃべり、人をリラックスさせる笑顔が身についている男性である。それなのに、どうしても共感を覚えられなかったのは、きっと彼が、”努力すれば必ず報われる”と信じているタイプだからだと思う。そして、そのとおり報われてきたことに、なんの疑いも抱いていないからだ。
私たちは子供の頃から、努力すれば何とでもできると信じ込まされてきた。望みがかなわないのは努力が足りないからだ、と教育されてきた。努力が大切なのは言うまでもない。努力なしにではどんな天才でも花開くことはない。それは一面では真理だ。だか、実際にはどんなに努力しても報われないことはいくらでもある。人は友達付き合いや受験や恋愛でそういうことを学んでいく。
人間にはそれぞれ、向き不向きというものがある。どんなにがんばってもできないこともある。さらに相手が人間であれば、こちらがどう尽くしても裏切られることもある。それでも自分の好きなことには前向きに取り組みたいし、好きな人には損得を考えず惹かれてしまう。それが人間なのだ。
うまくいくか行かないかどうかは解らない不安をつねに抱え、それを何とか克服しながらがんばっていくものなのだ。努力は必ずしも報われないかもしれない。それがわかっているけれど、自分がやらなくてはいけないから、やりたいことだから頑張れるのだ。
だが、友達に悪口を言われた経験もなく、いつも人気者で、勉強もできて受験にもすんなり通ってしまい。手痛くふられた経験もないままに好きな女性と結婚してしまったとする。そんな人生だったら、”努力すれば必ず報われる”と信じてもおかしくない。まさに哲也さんはそういう人生を送ってきたのだろう。だから私のように念が年中、つまずいて、それでも何とか生きてきたという人間には違和感があるのだ。
彼自身が大きな失敗のない人生を送って来られたのは決して悪いことではない。人間、誰であれ、失敗などしたくはないのだから。ただし、失敗した人間の心を、もし彼が想像できないようであれば、今後の人生はかえって苦悩に満ちたものになるかも知れない。たとえば子供が受験に失敗したらどうするのか。
大学に行かないでバイトをしながら好きなことを模索すると言ったらどうするのか。次の会社が外資系だからといって、まったく人間関係がなくなるわけではないだろう。営業成績が悪かったら、自信をもって他者に接することが出来なくなるかもしれない。つまり、自分が自信を失う日が来ることもあると考えたことがない人の恐さを、私は彼に感じてしまったと言えそうだ。
社会的に、あるいは今の世の中を生き抜いて行くには、彼のような考え方を持った方がいいのかもしれない。合理的だし、現代をクールに見ているから損もしない。理屈としては解るし、サラ―リマンはこうあるべきだと頭ではいいたいのだが、私の中の劣等感に近いものが、やはり「本当にこの人は一生、このままうまくやっていけるのだろうか」という不安を抱かせる。そこには意地悪な気持ちもあって、きっと今後、どこかでつまずくにちがいない、つまずいたときが正念場だ、と思ってしまうのだ。
彼の中になんら屈折が見えなかったことが、私のような感想をもたらしたのだろう。私自身は、人生、最終的にはプラスマイナスゼロになれば儲けものという気がしてならない。きっと生きているときの実感としては、悪いことの方が多いと思うくらいでふつうなのだろうと感じている。
だからこそ、楽しいことは自分で見つけて行こうとするし、創り出していこうとするのではないだろうか。いいことずくめの人生では、心から楽しいことがどういうことかわからなくなってしまう。
失業から思わぬ方向へ話が行ってしまったけれど、結局、仕事にもその人の人生観は出るものなのだ。哲也さんはかなり冷静な目で見えても、やはり好人物だし立派であるが、誰もが彼のような考え、彼のようになれるとはかぎらないのも確かだろう。
夫は何があっても家族を守ってくれるはず
多少、無理を言って、哲也さんの奥さんにも会わせてもらった。真佐子さんは夫の勤める会社がなくなったときさすがショックだったという。自分自身も、もと勤めていたところだからだ。
「だけど生活の不安は感じませんでした。主人が『何があってもお前たちを路頭に迷わせるようなことはしない。結果論だけど、こんなことが起こっても大丈夫なように生きてきたつもりだから』って。改めて立派だなと思いました。主人は強い人なんです。どんな時でも泣き言をいうのを聞いたことがありません。今までだって仕事が忙しくて毎日、午前様が続いても、休みの日はちゃんと子供の勉強を観たり、遊んだりしいくれます。
自分の言ったことには責任を持つ人ですね。私が自慢するのも変だけど、近所でもいいお父さん、いい主人で通っているんですよ。それは誇張でもなんでもないんです。そりゃあ夫婦ですから、些細な事で口げんかになることもあります。でもすぐに仲直りするし…。働いているんだからストレスもあるとは思うけど、それを家族に感じさせるようなことはありません。
自分の中で処理できる強さがあるんでしょう。この人と結婚して本当に良かったと思いますよ。私は主人の後についていくだけです」
真佐子さんは微笑みながらそう言った。こういう夫婦もいるのである。夫昌婦随、何があっても夫が守ってくれると信じられる妻。守られている女は、身体中から幸せをにじませている。それは結婚式で輝く花嫁の幸せとはちがう。一瞬の華やぎではなく、もっと深い所からゆったりと幸福感を漂わせているのだ。この人は、もしも夫が事故にあったり病気になったりしたらどうするのだろう。
「もし守り切れなくなったら正直に言ってね、と主人に言ったことがあるんです。そうしたら、『何があっても守る、少なくとも経済的なことで苦労はさせないようにしてある』って。それでも私が一家を担わなくてはいけない状態になったら? 困りますねぇ、そんなことになったら。私には今さらろくな働き口もないだろうし。最悪、私の実家に頼るしかないかもしれませんね」
彼女自身、比較的裕福な家で、父親に溺愛されて育ったという。だから夫も父親に似たタイプを自然と選んだようだ。いい夫婦、いい家庭なのだから茶々は入れまい。人の底力というものはいざとならないと分からないものだから、万が一、もしものことがあったとき、真佐子さんが奮起する可能性もないとは言えない。もちろん、何事来なければ一生、人生を送れるだろう。
夫婦や家庭なんて、どこかしら歪んでいて当然だと思っていたが、こんな夫婦も広い世の中、いるものである。
ひがみを抜きでいえば、家族を守るという哲也さんの強い意志はやはり立派である。男が男らしくなっていく現在、なんの矛盾も感じずに、家族を守るが僕の責任だと言いきれる男性は希少価値かもしれない。こう言う男性がいて、その男性に添う形で妻がいる。これはこれで一つのいい形の夫婦だ。
家族を守るために、会社がなくなろうがリストラされようが、彼は強く生きて行くだろうから。そしてその強さは彼自身が作ってきたともいえるだろう。異業種交流会で人脈を作り、自分自身をどんどんステップアップさせてきたのは紛れもなく彼自身の努力によるところだ。そういう努力をしていくことも、これからのサラ―リマンには必要となって行くだろう。
「会社人間のなれのはてです」〈夫・元大手証券会社勤務〉
妻には無言で「わかってくれ」
同じょうに会社なくなり、就職先がまだ決まらず、家族のあいだにも少しトラブルがあるらしいという人が見つかったという情報が入り、私はあわてて東京近郊に赴いた。
長谷川章人さん(50歳)は、ある大手企業の支店長だった。店はすでに閉鎖され、精算業務もほぼすんだ。だが長谷川さんの再就職先はまだ見つかっていない。
結婚して二十三年がたつ。三歳年下の妻・智美さんとのあいだには、二十一歳になる大学生の長男と十八歳で浪人中の長女、そして十五歳の高校生の次女がいる。子供たちはまだまだ学費がかかる。家のローンも三分の一ほど残っている。妻はパートで働きに出てはいるが、長谷川さんは、まだ再就職先を必死になって探す気にはなれないでいる。
「わたしは会社が好きだった。この会社の社風も好きだったし仕事も好きだった。周りの仲間も‥‥。若い者たちはさっさと新しい仕事を見つけていきました。それでいいんです。彼らにはまだこれから自分の可能性を追求していってほしい。だけど私たちは‥‥若い者とはちがう。会社への未練っていうのかな、それをどうにかしないと。自分の気持ちを整理する時間がもう少しほしいんです」
会社がなくなったとき、長谷川さんはまず、自分の支店の社員たちの再就職先に思いを寄せた。自分で再就職先を見つけられる社員はいい。だが中には年齢等でひっかかり、なかなか見つからない社員もいる。営業一筋で働いてきて、支店長になって一年弱の長谷川さんは、これまでの自分の人脈をフルに使って、社員の行き先を見つけようと躍起になった。加社を愛して働き続けてきた夫、真っ先に社員の将来を懸念する夫、そんな夫を見た妻の智美さんにこう言われたそうだ。
「私たちにも将来がある。子供のたちの事をまず考えてほしい」
妻には無言で「わかってくれ」
同じょうに会社なくなり、就職先がまだ決まらず、家族のあいだにも少しトラブルがあるらしいという人が見つかったという情報が入り、私はあわてて東京近郊に赴いた。
長谷川章人さん(50歳)は、ある大手企業の支店長だった。店はすでに閉鎖され、精算業務もほぼすんだ。だが長谷川さんの再就職先はまだ見つかっていない。
結婚して二十三年がたつ。三歳年下の妻・智美さんとのあいだには、二十一歳になる大学生の長男と十八歳で浪人中の長女、そして十五歳の高校生の次女がいる。子供たちはまだまだ学費がかかる。家のローンも三分の一ほど残っている。妻はパートで働きに出てはいるが、長谷川さんは、まだ再就職先を必死になって探す気にはなれないでいる。
「わたしは会社が好きだった。この会社の社風も好きだったし仕事も好きだった。周りの仲間も‥‥。若い者たちはさっさと新しい仕事を見つけていきました。それでいいんです。彼らにはまだこれから自分の可能性を追求していってほしい。だけど私たちは‥‥若い者とはちがう。会社への未練っていうのかな、それをどうにかしないと。自分の気持ちを整理する時間がもう少しほしいんです」
会社がなくなったとき、長谷川さんはまず、自分の支店の社員たちの再就職先に思いを寄せた。自分で再就職先を見つけられる社員はいい。だが中には年齢等でひっかかり、なかなか見つからない社員もいる。営業一筋で働いてきて、支店長になって一年弱の長谷川さんは、これまでの自分の人脈をフルに使って、社員の行き先を見つけようと躍起になった。加社を愛して働き続けてきた夫、真っ先に社員の将来を懸念する夫、そんな夫を見た妻の智美さんにこう言われたそうだ。
「私たちにも将来がある。子供のたちの事をまず考えてほしい」
それは長谷川さんにも十分わかっている。だが子供たちへの責任と、社員への責任とは別だ。自分が社会人として支店長としてまずやらなければいけないことは何なのか。
――家族には悪いが会社を優先させるしかない――。これが私の答えだった。その余波を受けたのかどうかわからないが、長女はこの春、大学受験に失敗した。
「長女には、私が何を考え、会社にどんな思いをもって生きてきたのかよく話したつもりです。娘も分ってくれたようで、『私も頑張る』と言ってくれたのに落ちてしまった。べつにわたしの会社がこういう目にあわなくても娘は受験に失敗したかもしれない。
だけど家内はそうは思えなかったみたいですね。合格発表の日に、家内に『受験の大事な時期に、あなたがまったく協力してくれなかったから』と嫌味を言われました。こたえましたね。娘も落ち込んでしまって・・‥。次女は中高一貫教育の私立に通っているので助かりました。だけどそれからしばらくのあいだは、家内と長女のふたりにはどこか冷たい風が吹いている感じがしていました」
長女の大学受験から一ヶ月ほどは家庭内でぎくしゃくしていた。まず、妻の口数が少なくなり、軽蔑の眼差しで見られているのを感じることもしばしばだった。それに連動するように長女も態度を変えた。三月までは会社に出ていたのだが、長谷川さんが帰宅すると長女は逃げるように自室にこもってしまう。
そうなると次女も以前のように甘えてこなくなる。家の中の雰囲気はどんどん悪化していく。長男は大学とアルバイトと遊びに忙しくて帰宅は遅いから、つねに女三人に責め続けられているような気分になった。
それを打ち破ったのは次女の心からの叫びだった。ある日曜日の夜、たまたま家族全員がそろって夕食をとっていた。以前はにぎやかだった食卓での会話もその頃はほとんどなくなっていた。
「次女が突然、お箸を放りだして泣き出したんです。一瞬、どうしたのかとみんな次女を見ると、『お母さんもお姉ちゃんもいいかげんにしてよ! どうしてこんなことになっちゃうの。ご飯なんか食べたくない。もう家にはいたくない!』って。甘えん坊で子供っぽい次女があんなに声高に自己主張したのは初めてでした。長男がそれを受けて、『親父も大変な時期なんだから、みんなもうちょっと考えてやろうよ』と冷静な口調で言ったんです。
長女は席を立って、自分の部屋に閉じこもってしまいました。気まずい雰囲気にはなりましたが、次女が思い切って口火を切ってくれたおかげで、わたしも家族に対してようやく本音で話せるきっかけがつかめたんです。情けないですね、大人のくせに。ああいうとき、大人はなかなか自分の言葉で話すことが出来ない。
家内に対しても長女に対しても、いちおう、話はしたつもりですが、心の奥底からのナマの感情を言葉にできたかどうかはわからない。どこかきれいごとにしたりかっこつけたりしていますからね。あとは無言で『俺の気持ちを分かってくれ』と強要していたんですね」
長谷川さんはその晩遅く、長女の部屋のドアをノックした。彼はこれまで転勤が多く。長男は小学校を二回も変わっている。四十代では五年間の単身赴任を余儀なくされた。だから長谷川さんにはもともと家族に対してどこか遠慮がちに接してきたところがあるのだ。本音で話すより、波風が立たない方を選んできた。だがもうそれはどうにもならないところまで来ているとその時は痛感しました。長女は黙ってドアを開けた。
「冷たいようだけど、『大学に落ちたのはきみの責任か運が悪かったかどちらかだ』ということを言いました。『確かに俺が会社の事でかまってやれなかったのは事実だけど、きみはそれでも頑張るって言ったじゃないか』って。もちろん試験は水物だから長女を責めたわけではありません。長女は大きくうなずきました。わかっていたんですよ、彼女にも。ただ、滑り止めの大学まで落ちてしまったものだから、憤りの持って行き場がなかったんでしょう。
わたしは、『俺の就職先が見つかるか、君の受験がうまくいくか、競争しよう』と言いました。すると娘は、『お父さん、焦らないでゆっくり探したほうがいいよ』とにっこり笑って見せました。娘は笑っているほうがいい。心が和みました。そして長女とふたりで次女の部屋へ行って、次女にお礼を言ったんですよ。彼女のおかげで少し気持ちがすっきりしましたから」
あとは妻である。これがいちばん手強いはずだ。じつは長谷川さんは、妻に内緒で会社から金を借り、自社株を買っていた。妻の不機嫌が続いたのは、会社がなくなったとき初めて、そのことが明らかになったせいもある。いや、妻にとってはむしろその件がいちばん大きな原因でもあった。だがそれは子供たちには言わないで置いた。
「その晩、家内ともじっくり話しました。二十七年間、働いてきた会社を自分がどんなに愛してきたか。それは家族への愛情とは別種のものであって、どんなときも家族を大事に思ってきたし、そのことに今後とも変わらない。私は言葉が下手ですが、そういうことを分かってもらおうと思って一生懸命訴えました。会社が好きだったから、気持ちを整理するまでもう少し時間がほしい。
自社株の件も申し訳なかったけど、それも会社への愛情だったんだから許してほしい、と。しばらくした家内が『あなたは会社に裏切られたようなものなのよ。株だって無駄になった。あなたが汗して働いてきたお金を、会社は無駄にしてしまったのよ。それなのにまだかいしゃがすきなわけ?』って。
俺、自分でもばかだなとわかっている。裏切られた会社なんですよ。だけど、それでもやっぱり好きなんです。これは家内には一生、解ってもらえないかもしれないですね。そうなると子供とは血が繋がっているけど、夫婦は子供を介してしかつながることができないのかなと空しくなりました」
だが本音で話した後、妻は多少、態度が変わってきた。少なくとも夫に軽蔑の目を向けることはなくなってきたという。口数もだんだん増えてきた。
今は長谷川さんが家にいて、妻がパートに出ている状況。慣れない家事も、少しはこなせるようになり、妻に礼を言われることもある。子供達も徐々にではあるが、以前のように自然に接することが出来るようになってきた。愛した会社への気持ちの整理はまだつきそうにないが、今年中には再就職を考えようとしている。
「いつまでも会社の事を考えていても仕方ないのは解っているんです。他人から見たら、本当に会社人間の成れの果て、という感じがするでしょう? だけどどうも自分の気持ちがね‥‥。ここでだめになったから、すぐに次の会社っていうふうに切り換えられないんですよ。しょうがないですね、こうやって生きてきたんだから」
会社での地位や肩書には未練はないという。ただ、仕事への愛着、会社への愛情が、彼の心の中で尾を引いてくすぶり続けているのだ。長谷川さんのキャラクターの性もあるかも知れないが、私は「会社に愛情を持っていて、気持ちが切り換えられない」と言いきる男性がいてもいいではないかと好感を持った。
もっとも家族には迷惑を被っている点もあるのだろうから、無責任であることは重々わかっているのだが。
会社を失っても、大事なものをもち続けた男性
理屈では仕事にプライドを持つべきであって、会社に滅私奉公をするのはよくない、それはなんのための自分の人生か、とずっと思っていたし、「うちの会社」という男性を不思議にも感じていた。この本の中でも会社と個人の在り方をずいぶん考えてきた。ときに非難がましいことも述べた。それでも長谷川さんに好意を抱いたのは、彼自身が「第三者から見たらばかなヤツと思われるのは解っている」からだ。
わかっていながら、自分を裏切った会社への気持ちを切り捨てられない、さらにそんな自分を卑下できない、だからこそ葛藤している男性は、人間の複雑さを内包した愛すべき存在ではないか。何も考えないままに企業の理屈に染まって、当然のように「うちの会社」と言う男性と、わかっていながら自分を変えられなくて葛藤している長谷川さんとは、意識の持ち方がまったく違うように思うのだ。
こう言う人を責める気持ちにはなれない。だいたい、すべてをわかったうえなのだから、決して「認識不足」とはいえない。
不器用である。だが長谷川さんのもとには今も多くの後輩や部下から連絡が来る。それは再就職の報告だったり、新しい職場での悩みだったりする。そのたびに彼は自分のことのように喜んだり心配したり。そんなふうに人に慕われる夫、父親を持ったことは、家族の何よりの喜びではないだろうか。
それに家族が気づく日が早く来ることを願うしかないが、きっと近い将来、夫や父への敬愛の念は戻って来るだろう。それは話を聞いていても確信できる。
何のために働いてきたのか、と私は長谷川さんに訊ねた。彼はしばらく目を宙にじっと注いでから、こう言いきった。
「自分のため、ですね。それは家族に責任を持たないという意味では全くないけれど」
きっと長谷川さんからこの答えが返って来るだろうと予想していたので、私は思わずにんまりとしてしまった。
この問いに「家族のため」と答えるのはウソっぽい。長谷川さんなら「会社のため」と答えそうなものだか、それも違うのだ。彼は会社に片思いだということが解っているのだから。長谷川さんへの取材は何故かとても後味がよかった。
それは彼の人間性から来るところが大きいのだろう。お金も大事、名誉も肩書も、人によっては大切かもしれない。それは想像できる。だが人としていちばん大事なものを長谷川さんは失っていない。他者への愛情や、信頼、そして葛藤しながらも答えを見いだそうとする姿勢…そういうものを、長谷川さんはもっている。要領よく転職はできない。
まだ家族との溝を感じている。それでも長谷川さんからは豊かなものが家事とれる。
人間にとっての喜びや幸せってなんだろう――。私の考えはまたそこへ戻って行った。
好きだからこそ、仕事にのめり込む
なんのために働くのか。これは働いている人間なら一度は考えたことがあるのではないだろうか。生活のため、自己実現のため、いろいろ答えは出てくるはずだ。
長谷川さんの話を聞いて、自分自身の事を思い出した。私自身何のために働いているのだろうと初めてつきつめて考えたのは、ある夏の事だった。働き始めて十二年以上がたっていた。遅い目覚めである。
話は、ある日突然、腰に激痛が走り、歩くこともままならなくなったことに端を発する。その頃はたまたま連日取材が入っており、医者にも行けない。なぜか市販の痛み止めはまったく効かない。仕方なく近所の薬局で杖を買い、杖にすがるようにして家を出た。
いつもなら五分の駅までの道を二十分かけて歩いたことを覚えている。夏の暑い日なのに身体中、冷や汗でぬるぬるした。身体がまったくいうことをきかず、思うように足が出ないのだ。一歩を踏み手出すことがこんなにも大変だと気づく初めての経験だった。
十日後、ようやく病院に行った。腰痛の原因は椎間板ヘルニアであることが判明。医者に、「絶対安静、三週間の入院」を言い渡された。その瞬間、私は、「仕事ができなくなるのは困る」と思った。入院を断り、薬とコルセットで痛みを抑えながら、なんとかその月の仕事をこなした。結局、既に入っていた取材は一度も断らなかったし、原稿も締め切りに遅れず書いた。
一段落してから、私はなぜあの激痛をおしてまで仕事をしたのか、自分に問いかけた。足が上がらないからストッキングさえきちんとはけないのだ。腰が痛いということは、腰から下をほとんど動かせない状態である。椅子に座っていることさえ難しい。そんな状況で仕事をし続けた自分が不思議だった。
なぜがんばったのか。なかなか答えは出なかった。少なくとも、あの状態ではお金のために働いたわけではない。ではフリーゆえの責任感だろうか。それもなくはない。一度倒れたら、もう仕事が来なくなるかもしれないという不安感ももちろんあった。
手がけた仕事を途中で他人に渡したくないという気持ちも強かった。だがそれがすべてではない。最終的に、私はとてもシンプルな理由にたどり着いた。「仕事が好きだから」なのだ。
私はフリーの身の上であるけれど、仕事をするときには企業に属した人と組む。だから、企業の理屈が否応なく降りかかってくることもある。雑誌などで、自分ではこういう方針の記事にしたいと思っていても、編集者が駄目といったらだめなのだ。雑誌にはそれぞれ編集方針がある。それは私には変えられない。
日常的に同じ人と顔を合わせることはないが、それでも人間関係のわずらわしさがまったくないわけではない。そんな中でもなんとか仕事を続けているのは、やはり「好きだから」以外のなにものでもないだろう。「好き嫌い」で物事を判断するのは幼稚な基準だと思うし、もっと複雑な側面もあるのだろうけど、基本的には好きだからとしかいいようがない。もちろんいろいろな苦悩はつきまとう。だが好きな道での苦悩はつきものだから仕方ない。
長谷川さんの会社への思い、仕事への気持ちも、状況はちがえど、私自身があのとき感じたのと似たような感情ではないだろうか。だからこそ、彼の人間性も相まって、彼に共感を覚えたのだということに私は気が付いた。
夫のリストラという逆境をのりきるために
失業と奮闘中の夫婦へ
夫のリストラという突然の出来事に対して、妻がこう対処すればいいというマニュアルは、はっきり言ってない。
ただ、少なくともそれまでの夫婦関係を見直すきっかけになるのは事実だ。良くも悪くも。そしていい方向へ行くかどうかは、それまでの夫婦関係がやはりものを言う。だが災い転じて福となるケースもあるし、こればかりは一概にどうなるなどとは言えないのだ。
取材を重ねた実感として、夫がリストラされたとき、妻がまず感じることは大きく分けて二つある。
「どうしてあなたか」と、「生活はどうなるの?」である。
つまり夫の側に即座に立つ妻と、自分と子供をひとまとめにして夫に問いかける妻とである。両者のあいだには、同じ妻という立場でも相当な違いがある。
単純な印象であるが、「どうしてあなたが」タイプは、もともと夫の内面に深く入り込んでいるといえる。つまり、ほとんどの夫がリストラで最初に感じる「なぜ俺が」とまったく同じ言葉だからだ。夫と妻が、最初の時点で同じく感情を抱くことで、それまでの夫婦の軌跡がおよそつかめるというものだ。
ところが「生活はどうなるの?」タイプの妻は、夫の「どうして俺が」という感情、ショックになかなか気づかない。あるいは頭でわかっていても実感として理解できない。だから夫のその後の落ち込みをフォローできないケースが多くなる。
そこでこの手の妻はさらに二手に分かれる。ひとつは生活のために自分が動きだすタイプ。すぐに自分が動き出て、家庭を何とか維持しようと頑張る。その場合、自分が動きに出たことで、遅まきながら夫の仕事への意識やリストラによるショックを実感として受け止められることがある。そうなれば家庭はうまく再生していきやすくなる。
もうひとつのタイプは、そのまま自分も落ち込み、止まってしまう。彼女たちは、結局、夫のリストラによって、自分もリストラされたと感じてしまうのではないだろうか。夫が職場を無くし、居場所を無くす。すると妻も安泰だった”家庭の主婦”という居場所を失う。彼女たちの栄誉は夫の出世であり、子供の成績だ。
それもこれも自分自身の生き方とは別の次元の問題だと思うが、彼女たちはそれに気づかない。そのペースが夫のリストラによって崩されたわけだから、彼女たちの怨みは深い。その恨みは結果、夫に向かうしかないのだが、夫は自分の事で精一杯で、妻の気持ちまで思いやりを持てる状態ではない。
重い責任感に苛まれつつ、だからこそ家族に顔向けできないと感じている夫も多いのだ。こんなとき、私は、男とはなんて悲しい生き物かと思う。働いていなければ”無能”扱いにされてしまうのだから。
男の生き方いまだにひとつしかない。学校を出て働く、どんな学校か、どんな働き場所かにちがいはあっても大筋ではそれだけだ。そして職場の信用を得るためにも、ある程度の年齢になったら結婚する。最もある種の男たちはそういう生き方を否定し始めている。会社に勤めない、結婚しないという道を選択する若い男性も増えてきている。
一方、女性の生き方は今や本当に多様だ。学校を出て働くもよし。働かないもよし、転職、留学も男よりずっと身軽にやってのける。結婚してもいいし、しなくてもいい。離婚だって女性からの申し出がどんどん多くなっているのが現状だ。子供を産むも産まないも自分の選択ひとつだ。
だから自由に生きたいタイプと保守的に生きたいタイプ、そして中間をうまくバランスを取っているタイプとに明確に分かれているのかもしれない。自由なタイプはますます自由に、保守的なタイプはその保守ぶりに拍車がかかっているような気さえする。
その保守タイプは、結婚して夫に身をゆだねればすべてがうまくいくと思い込んでいる。予想もしない出来事が自分の身に降りかかって来るとは思っていないのだ。危機感がないともいえる。こういうタイプの妻に、夫のリストラという突然の危機が襲いかかると、パニックに陥りがちだ。
彼女たちは子供の教育に目を吊り上げ、塾に行かせていい学校に入れることを自分の価値だと考える。だから入学式には自分もブランドの洋服を身に包む。それはそれで彼女たちの生き方だから仕方ないが、妻と子供たちの生活の元手を引き受けなくてはならない夫はつらくないのだろうか。
保守的な女性と結婚するのはたいてい保守的な男性だから、うまくいっているときはお互いの利害が一致していいのだろう。だがひとたび夫がリストラにあったら、力を合わせて乗り越えるには、妻に底力がなさすぎる。
同じ専業主婦でも日ごろから、「明日はどうなるかわからない」と考えている妻と、「リストラなんて他人事」としか捉えていない妻とでは、いざとなったとき、まったく別の道をたどるようなことになるのではないだろうか。
男性の働き方も今後は変わっていくかもしれない。正社員より派遣やパートタイムが増える可能性もある。企業の方でも福利厚生面の補助を廃止するところが増えつつあるという。住宅手当もなくなる傾向にある。こうなると、ますます会社は”自分の面倒を見てくれる場所”とはかけ離れていく。
今までの会社と社員の在り方からすると、少し寂しい感じもするが、それは企業の理屈では、生き残りのために避けられないのかもしれない。となると、社員も意識を変えていくしかない。雇われる側も、会社は自分の能力を売る場だという割り切りが必要になって来るだろう。否応なく、時代はそういう方向へ流れつつある。
働き方や会社との心理的距離感が変わると、夫婦の在り方も実際問題として変わっていくだろうか。浅はかな予測であるが、いずれ扶養控除などなくなれば、外で働く女性はもっと増えるだろう。すると夫は当然、今までよりもっと家庭に目を向けざるを得なくなっていく。
ひとつの家庭をふたりで運営していくんだという意識が高まるかもしれない。家庭重視、家族大事の感覚は今より濃くなる可能性が高くなるのではないか。
ただひとつ、私はそこで問題だと思うのは、家族が家庭だけにこもってしまう可能性があることだ。もっと家族ひとりひとりが心を外に向けて、地域活動も活発化すればいいのだが、そうでない家庭は今よりさらに閉鎖的になる。そのあたりのバランスが、今後の家族の課題ではないだろうか。
あとがきにかえて
不況が長引き、景気好転が見込めない現在、リストラによる解雇、倒産はあとをたたない。
それだけ失業者も増えているということだ。年功序列、終身雇用ははっきりと崩壊をみせている。
そんな中で、実際に仕事を失った男性はどんな気持ちになるか。そしてその配偶者である妻は、どういう心理変化をたどるのか。さらに男の仕事に対する心の在り方、夫婦関係は、失職を機に変わっていくか。そういうテーマで取材を進めていったのだが、ことのほか私自身も疲弊した。まず夫自身が、相当な精神的苦痛を抱いている。
同じ仕事をもつ身として気持ちが痛いほどわかるだけに、取材中、私は何度も言葉を失った。さらに失職が家族、とくに妻に及ぼす影響は大変、大きい。予想はしていたものの、彼女たちの心労も想像を絶するものがある。
取材中、こんなに女性の涙を見たのは珍しい。夫の失職の渦中にいる妻だけでなく、今はそれを乗り越えた妻たちも、当時の思い出しては目を潤ませた。それだけ辛かったということだ。なお、取材に応じてくれた方々のプライバシーを重んじる意味で、名前はすべて仮名にした。
取材に応じて下さったみなさまにはどんなに感謝してもし足りない思いでいっぱいだ。話したくないことも山ほどあっただろうに。そして目を血眼にして取材に応じてくれる人を探していた私に協力して下さった友人、知人にもこの場を借りてお礼を言いたい。また、東京管理職ユニオンの森園良夫さん始めも会員のみなさまにはとてもお世話になった。さらに、事実の重さにめげそうになる私を励まし続けてくれた出版プロデューサーの原田英子さん、編集部の檀原夏弥さんにも心から感謝したい。
そして読んでくれたみなさん、本当にありがとう。
一九九八年五月 亀山早苗
恋愛サーキュレーション図書室
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