金の切れ目は縁の切れ目という側面も残念ながら見てとれる。というのもバブル期の一九八〇年代後半は、それまで増加していた離婚数が減少傾向にあったのだ。一九九七年の離婚件数は二十二万五千件となり、過去最高を六年連続で更新したという。

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第三章 リストラが招いた夫婦崩壊

本表紙著者 亀山早苗

夫婦が抱える家族幻想破壊の爆弾

取材をして実感としては、夫が仕事を失ったことで根本から揺らいでしまう夫婦はそう多くはなかった。これまであげてきた実例からそれは明らかだ。たいていの場合、夫の気持ちの揺れを十分に察することはできないまでも、現実の生活の中で妻が奮起することが多いからだ。それは結婚期間が長かろうと短かろうと関係ない。

 ところがやはり中には上手くいかなくなる夫婦もいる。おそらくリストラという事態が起こり、夫婦が改めて向き合うことになるために、それまで見て見ぬふりをしてきたお互いの関係性や相性の欠陥が顕在化するのかもしれない。

 実生活というものは、壊さないという暗黙のルールにのっとって回っていく。正面切って相性だのお互いの性格だのを真剣に見つめ合ったら、どの夫婦だって「うちは大丈夫」と完全に断言できるかどうかわかったものではないのではないか。

 歌手の松田聖子さんが前夫と離婚したときこう言ったのを思い出す。
「三日間、お互いがオフがあってじっくり話し合う時間があった」
 そのためにお互い、離婚という結論に至ったのだ、と。それを聞いて、男友達がため息をもらした。
「三日もじっくり話したら、どこの夫婦も離婚するよ」

 夫婦とはそんな見えない爆弾を内包した関係なのかもしれない。だからこそ、夫の失業でどの夫婦もその見えなかった、あるいは隠してきた爆弾を一度取り出し、二人の間に置かざるを得なくなる。それをきっかけに爆弾の存在を認め、二人で処理していこうとする夫婦は、新たな関係を築いていくことができるのだ。だが、上手くいかなる夫婦はどちらかが爆弾を見ないようにしたり、勝手に持ち出したり、あるいは爆破させてしまったりするのだろう。

 金の切れ目は縁の切れ目という側面も残念ながら見てとれる。というのもバブル期の一九八〇年代後半は、それまで増加していた離婚数が減少傾向にあったのだ。一九九七年の離婚件数は二十二万五千件となり、過去最高を六年連続で更新したという。

 いったい、夫の失業以来、夫婦の間に置かれた爆弾は、どやってタイムリミットを迎えてしまうのだろうか。

「子供とひと芝居うって逃げた妻」〈夫・元外資系メーカー研究所勤務〉

 私の夫はあまり優れていない?

里中恵利さん(44歳)は、外資系メーカーの研究所に勤めていた夫の燿一さん(47歳)と結婚して二十年がたつ、昨年夏、夫がリストラで失業する。その後、夫とは冷たい関係が続き、今年の初め、恵利さんはとうとうひとりで家を出た。専門学校に通う19歳の息子、高校生の17歳の娘は、もとの家で父親とともに暮らしている。子供たちは母が家を出るのを了解したという。

 恵利さんは三十代といっても通るくらい若々しく見える。別居中という陰も見えない。この別居にはどうも裏がありそうだ。そんな利恵さんにいろいろな質問をぶつけてみた。

――”夫の失業”をどのような気持ちで受け止めましたか。
「私としては子供たちの教育にまだお金がかかるし、これからの生活をどうするのか、という思いがまず先に立ちました」
――ご主人の心の内は考えませんでしたか?

「きっとつらい思いはしているんだろうとは思いました。でも、夫は口数も多くないので何を考えているかちょっとわからないところもあるんですよ。多少、身勝手なところもある人ですし。男兄弟の三人の中で育って、中学らずっと男ばかりの学校で、大学も理科系でしたから、どうも女性の気持ちを察することが出来ないタイプなんです。

 女性だけじゃないかもしれない。なんとなく人の感情に疎(うと)いところがありますね。結婚して十年くらいたったときかしら、夫の秘密がばれたんですよ。というのは会社は外資系なので通常の六月、十二月のボーない時期には出ないですが、ほかの時期にじつは出ていたんですね。私は、『うちは外資系だからボーナスはない』という夫の言葉を信じて、ずっとボーナスはないものだと思い込んでいた。

 それが夫の会社の人の何気ない言葉からわかって、大騒動になって。まあ、あとから聞けば、そのボーナスも全部自分で使うわけではなくて、子供たちの教育費に貯金はしていたみたいですが、どうして話してくれないのか、私はそんなに信用がないのか、ずいぶん悩みました。

 夫は、『自分にも自由に使えるお金が欲しかった。子供たちの分は貯金してある』って。だからボーナスを隠していたくらい、何の問題があるんだという感じだったんです。確かに夫の稼いだお金ですから、私としてはあれこれと口を出せません。

 だけどそれじゃ何のために妻がいて、何のために家族がいるのって思うでしょ。『私の存在が無視されたような気がする』と言ったら、夫は驚いた顔して、『そんなつもりはないんだ、ごめん』って。悪い人ではないんですが、極端に人の気持ちに鈍感なところがあって‥‥。

 それ以来、この人はどこか信用できないというか、心の奥深い部分で結び付けないようなじれったさが、ずっとあるんです。夫はあまり仕事のことは話しませんしね。だから今回、リストラされて夫は傷ついたかもしれないけど、私にすれば子供がいる手前、生活はどうなるのという気持ちが真っ先でした。

――母親とか家計を預かる主婦としてではなく、ひとりの女として、妻として夫のリストラをどう思ったかを聞きたいんですが。
「夫も辛いだろうけど、私も辛かった。多少のクセはあっても、夫は根から悪い人ではないですからね。だけど夫のようなタイプはやっぱり組織では受け入れられないのか、という思いはありました」

――やっぱり、というのは?
「…‥。基本的に和を重んじるタイプじゃありませんから。私は長年かけてわかってきたつもりだし、子供たちも夫のいいところ悪いところを説明しながらやってきたけれど、企業の中ではマイペースの人って浮いてしまうでしょう。やっぱり組織では、撥ねられていくんですよね。

 それでもうんと仕事ができればきっとリストラの対象にはならなかったと思うんです。だから変りもの上に仕事も大してできなかったのか、と私自身が『あんたの夫はあまり優れた人間ではないんだ』と宣告されたような気にもなりました」

――リストラ後、何か今後の話し合いはしましたか?
「私も娘も高校に行ってからパートで働いているんですよ。だから最初のうちは『何とかなるわよ』って慰めていました。本当はどうにもならないんだけれど、そんなことは言えないしね。夫は『俺の給料はお前が何とかできる程度のものだったのか』と憎まれ口をたたくんです。もともと皮肉屋のところもあるし、今は気が立っているんだろうからと気にしないようにしていました。

 辞めてすぐ、夫は精力的に動き回っていました。知り合いのつてを頼ったり、求人情報を観たりして三ヶ月ほど熱心に就職活動をしていたんですが、年齢もあってなかなか思うようにいかない。しかもプイラドが高いので、今までの給料よりあまりも少ない所へは行きたくない。私は少しくらい給料が落ちてもいいじゃないかと言いました。

『そんなことは我慢できない』って言い返されたけど。夫は研究職だっただけに、つぶしがきかないんですよ。それに今の世の中、そう簡単に仕事なんかあるわけないですよね、夫は自分が認められないという経験は余りしたことがないので、よけい参ってしまった。それでだんだん就職活動が嫌になってしまったみたいです。

 三ヶ月後からはほとんど就職活動もしなくなった。とりあえずは失業保険がありますから、生活は何とかなっていましたけど、私がパートから帰っても来ても、夫家の中で昼寝をしてたり、パチンコに行って下手すると何万円もすってきたり。それで私はついつい言いたくもないことを言うようになったんです」

――言いたくもないことって?
「『これからどうするつもりなの?』とか、『動き出さないいつまでたっても事態は変わらないじゃない』とか。私としては励ましのつもりもあったんですが、夫はそれを責められていると感じたみたいですね。『どうせ俺は甲斐性のない男だよ』なんて言って。自分で自分の不甲斐なさを認めたくないと思っていたんでしょうね、

 だけど私としてはいい影目を覚ましてほしい気持ちでいっぱいでした。だってもう辞めてしまったものは仕方ないでしょう? いつまでもくよくよしていても、どうにもならないんだから。でも夫としては面白くなかったんでしょう。そのうち、私が何を言っても、『お前に指図される覚えはない』と夫が言うようになったんです。

 それにこれは私がいけないかもしれないけど、近所の手前もありますでしょ。近所の人もあからさまには言えないんだろうけど、『最近、ご主人、いらっしゃるのね』なんて言われると、曖昧に笑っているしかない。そういう状況も私にはこたえましたね』

――そもそも夫婦仲はさっきのボーナスの一件以来、冷めていたんですか。
「冷めているというほどでもないと思います。どこの夫婦もこんなもんじゃないでしょうか。日常的に会話があったかと聞かれると、うーん、どうでしょうかね。お互いの内面に踏み込んだような会話はあまり多くなかったと思います。でもそれはどの家でも一緒でしょう? 子供にこんなことがあったとか、夏休みや冬休みはどうしょうかとか、そんな話はよくしていましたよ。

 夫婦だけで特別にどこかに行くとかということもなかったけど、それもふつうでしょう。多少、夫の性格が変わっているかもしれないという以外は、まったくふつうの家庭だと思います。でも研究職や学者さんではもっと変わった人も多いというから、夫の場合、職業柄というよりは男社会だけで大きくなったことに問題があるのかもしれませんね」

夫婦双方、かけ離れた仕事観

燿一さんは男ばかりの三人兄弟の次男。一方の恵利さんは姉のいる次女。男きょうだいの中で育った夫と、女姉妹で育った妻との間には育つ家庭で互いにわかり合えない部分を持ってしまったのかもしれない。

 恵利さんは基本的に楽天家だという。自分でも何の疑いなく結婚して主婦になり、子供を産んだ。”ふつうの女”だと強調する。結婚したときに仕事を辞めたのも、従来の女の生き方にのっとったまで。家庭と仕事の間で悩むほど、自立心はなかったと自分でも認めている。こう言う考え方の妻であれば、無意識のうちにも夫に生活の保障を“疑いなく“求めるのがごく当然の成りゆきだろう。

 従来の夫婦の在り方は、「妻が自立を放棄する代わりに、夫が生活を保障する」ことで成り立ってきた。それが暗黙の了解だったわけだ。だが夫の失業は、その暗黙の了解を破ることになる。恵利さんが真っ先に「生活はどうなるの」と思ったのも、この了解が突然破られたことからくる不安が原因だろう。夫の失業で上手くいかなくなるのは案外、この従来の夫婦型が多いと実感する。

 これはたんに妻が専業主婦であるかないかという問題ではない。むしろ女性の意識の問題だ。パートで働いている主婦であっても、夫の仕事に対する姿勢を全く理解できない妻もいる。それには妻が無意識のうちに、「基本的に私は面倒を見てもらう存在」と自分を位置づけているからだろう。

 反対に専業主婦であっても、夫の仕事を単純に「生活費のもと」「夫が働いてお金を稼いでくるのはあたりまえ」というふうには考えていない女性もいる。こうした女性は、男の仕事と精神の結びつきを、漠然とではあっても密接であると感じているのだ。だから夫の失職に際しても、まず「会社に対する怒り」や「働くことの大変さ」に思いが至る。

 これはおそらく、その女性の生き方、男性観の違いだろう。もしかしたら女性の父親の影響も強いのかもしれない。父親がどういう意識で働いていたか、それを母親がどういう目で見ていたか、どういうふうに娘に伝えてきたか。さらにそれを娘がどう感じて育って来たか。そんなところが案外、大人になってからの夫を見る目に反映しているのではないだろうか。

 恵利さんはおそらく対外的に見れば、従来の枠組みにはまった”いい妻”だったはずだ。だが夫の失業という予想もしなかったハプニングに遭遇したとき、従来の”いい妻”の部分だけでは本当の意味で夫の助けにならなかった。それを恵利さん自身、当時は理解することもできなかったようだ。

“夫の失職”は本当に様々な所まで波及する。たとえば近所の目を恵利さんきにしたのも仕方ないというるだろう。近所なんて気にする必要はないと言ってしまえばそれまでだか、実際、近所の人がどう思っているか気にする当事者は多い。中にはみずから「僕はリストラされたんです。当分、家にいますから」と近所に言って回った夫もいる。

 気にするくらいなら自分からありのままを話してしまおうという方法だ。しかし、多くの当事者夫婦は、近所の人になるべく何も訊ねられないように願いながら暮らしている。それだけでもかなりのストレスにはなるだろう。

 もちろん、近所の目を気にする以前に、従来の夫婦関係の在り方まで問われてしまう。夫の失職によって、経済的なことだけでなく、自分たち夫婦とはいったい何なのかを目の前に突きつけられることになるのだ。むろん、その渦中にいる当事者がそれを冷静に考えられるはずはない。ショッキングなことに遭遇したとき、人はやはりまず自分の身の安全を第一に考えてしまう。だからお互いのエゴがむき出しになりやすいのだ。

――恵利さんが家を出るまでに何があったのですか。
「結局、夫が仕事探しをしないで家に籠るようになったんですね。リストラ直後に精力的に動き過ぎたのかもしれません。それで一気に疲れが出たこともあるでしょう。そのくせ、こんなことをお話ししてもいいものかどうか…・変な話ですが、毎日、夜になると私を求めてくるんです。

 仕事をしているときは月に二、三度がいいとろだったのに。職探しをしているときもほとんど求めてこなかった。なのに家に籠るようになってから急に激しくなって」

――かなり自分勝手なセックスでした?
「そうね。愛情みたいなものは感じられませんでしたね。かといって手順だけでしているという感じでもなくて。なんかこう、焦っているというか必死にしがみついてくるというか。終わった後が空しくてね。私は単に道具として使われているような気がしてならなかった。

 その最中、ずっとやるせない気分でいっぱいなんです。身体も心も空っぽになっていく。決して満たされるのではなく、何かをすり減らす行為にしか思えなかった。セックスというより、交尾という言葉が思い浮かびました」

――それも家を出た原因の一つ?
「あるかもしれません。私の身体がしんどいというわけではないんです。気持ちの問題ですね。こんな行為を続けていたら、本当に夫の事が嫌いになってしまう、私自身、生きる気力さえ無くしてしまうという恐れもありました。主人、昼間はまったく精力をなくて家に籠っているわけでしょう。

 私から見ると、やっぱり男のくせに情けないと思ってしまうんです。子供たちの手前もありましたしね。情けないお父さんを見せたくなかった。それによって私自身のプライドも傷つくような気がして。

 そうしているうちに夫が昼間からお酒を飲むようになって‥‥。日に日に飲み始める時間が早くなっていくんです。お酒を全部隠したこともありました。だけど結局は買ってきてまで飲んでしまう。そのうち近所でも昼間から酒屋にいた、なんて言われるようになって‥‥。

 文句を言うと今度は暴力。夫の空しい気持ちもわからなくはないけれど、『私や子供たちが黙って自分のやるべきことをやっているのに、どうしてあなたはそうなの』って私もいきり立ってしまって。

 だけど夫は理性的な人なので、どうしようもないほど飲んだり、私が本当にケガするほど暴力を振るったりするわけではないんです。それがまた悲しいですよね。完全に自制心を無くしてしまえば、こちらとしても病院にいれるとかなんとか対処の仕方があるのに、中途半端にストレスをぶつけてくるからどの程度、こちらも返していいかわからない」

――そういう意味では、理性の持ち方が夫婦で似ているのでは? 恵利さんもかなり理性的な女性に見えます。だからご主人とも変な所がわかり合ってしまって、恵利さんも強気に出られない‥‥。

「あ、そうなんでしょうか。そんなふうに考えたことはなかったけど…。もしかしたらそうかもしれませんね。私も中途半端に利性的かもしれない。あら、そうね、そういえば。面白いわね」

――聞いていてそんな気がしたんです。
「その点はまた改めて考えてみますけど、案外、似たもの夫婦だったのかしら。それはともかく、夫がそんな状態だと、家の中も暗くなるでしょ。子供たちはもう大きいけれど、やはり精神的に動揺しますよね。それで夫の兄に相談したんですよ。そうしたら、この義兄が面白い人で、『恵利さんが家を出てしまった方が、あいつはしっかりするんじゃないか』って言い出して。

子供たちまで家を出ると、さすがに夫も気力を無くしてしまうだろうけど、私だけが家出すればかえって夫は目が覚めるかもしれない、と。子供たちが嫌がるかなと思ったら、ふたりとも乗ってくれて、『いいんじゃない?』って。いつの間にかそんなことを言うほど成長したんだなあとホロリとさせられた。

だけど別居するかぎりは、正直言って離婚覚悟でした。このまま夫が変わらなかったり、悪い方向に変わったりするケースがあり得るわけでしょう。もし子供に暴力を振るったらどうしょうなんてことも考えましたよ。だからあの時点では、別居と離婚はとても近い所にあったような気がします」

夫がむやみに妻の身体を求める気持ちが私には痛いほどわかる。おそらく夫としては生命の危機に似た切羽詰まったものがあったのだろう。以前、友人と「もし不治の病に冒されて余命いくばくもないという状態になったらどうするか」という話をしたことがある。私は迷うことなく、「全国行脚の旅に出て、いろんな男の人とセックスしまくる」と答え、友人を失笑させた。

だが生命の危機に瀕(ひん)したとき、少なくとも私自身はそういう方向へ走るだろうという気がしてならない。自分は生きている証を求めるために、いちばん手っ取り早く、しかも確実に生命の躍動感を覚えることが出来る方法だからだ。

だからこの夫が、精力的に再就職先を探したものの、それがだめだったとき、ひたすら妻に身体をぶつかってきたのは、自分の存在がなくなるような恐怖におののいていためだ。自分の身体にぶつけ、妻の肌の温もりを感じることで、自分の存在感を確かめたかったのだ。

リストラという現実を受け止められないうちに、動き回りすぎたのもいけなかったかもしれない。反動でうつ状態がいっそうひどくなり、そんな自分が悔しいのと何か本心をぶつけたい一心で妻にぶつかっていたんだろう。

夫にとっては本当につらい時期だったはずだ。研究職で言葉数も少なく、きっと自分の感情を言葉にすることになれていなかったに違いない。そんな人間が、むやみに妻の身体を求める姿は、非常に哀しいものに私は映る。

だが一方、妻にしてみればそんな夫の気持ちを察しろというほうが無理だろう。夜はやたらと求めてくるくせに、昼間は家でゴロゴロしている。自分が道具として扱われているやるせなさも手伝って、妻が”情けない”と思っても仕方ない。この人は何をどう思っているのか、それが妻にはわからないからよけい気持ちがささくれ立っていく。

感情をきちんと言葉にしてほしい。これは多くの女性が男性に望むことではないでしょうか。人と人とのコミュニケーションにはやはりことが必要なのだから。一般的に男性は感情を抑制して、言葉の代わりに行動でその一部を表し、女性は感情のままナマの言葉にしてぶつけがちだ。

その違いをお互い解っていないとコミュニケーションはとりにくい。本当はお互いもっと冷静になって考えを的確に言葉にできれば、そういう習慣があれば、もう少し事態は変わったかもしれないが――。

もう一つ思い出したのは、一般的な傾向として、アルコール依存症の夫を持つ妻は、「よくでき妻」が多いという心理学での説だ。できた妻が、夫をアルコールに追い詰めるのだという。だがこれは一種の相互依存関係なのだ。

夫はよくできた妻に依存し、妻は「私がいなくてはこの人は駄目になってしまう」と思うことで依存する。夫はできた妻には結局、本音を言えず、妻も夫に文句を言ってはいけないと思うあまり励ますことに終始する。そのためになかなか夫のアルコール依存症は改善されない。

そんな夫婦関係は恵利さんのケースにもある程度あてはまる。義兄が「恵利さんがいない方があいつは目が覚める」と言ったのは、弟の本質を知っている血縁者ならではのアドバイスだろう。恵利さんも、自分の見栄を捨てて素直にアドバイスを受け入れたことが、事態を好転させた。

仕事が決まったらお母さんを迎えにいこう

――家を出てからご主人は変わりました?
「いちおう、置手紙を残して今年の初めに家を出たんです。義兄がアパートを借りてくれたので、子供たちには住所を伝えておきました。といっても、家からバスで十分くらいの所なんです。だから子供たちは私のとこへ寄ってから学校に行ったり、帰りにご飯を食べに来たりして、毎日のように会っていました。

 最初、私の置手紙を読んだときは、夫の顔色が変わったと娘が言っていました。娘もなかなか演技派で、『お父さんがしっかりしないからお母さんが家を出て行ってしまったんじゃない。どうするのよ』さて泣いて掴みかかったそうです。

『けっこううまく演技で来た』と娘は言っていましたが、それは娘の本心でもあったんじゃないでしょうか。夫は子供たちに自分の心をさらさないでここまで来ましたから。私は”父親”というのは威厳を持ってほしいと思っていましたから、それはそれでよしとしてきましたが、義兄にそのことを諭されました。

 親が心を開かなければ子供も開かないって。親という立場だけで接していたのでは、子供も本心を明かすことができない人間になってしまう」

――恵利さんの考え方も別居するようになって変わったわけですか。
「相談したときに義兄に言われたことが、アパートにひとりでいると蘇って来るんです。『お互いにもうちょっと気持ちを楽にできないものかと』とか、主人のことを許して『あいつはまじめの域を越えているからなあ』とか。私、ひとりで暮らすのって生まれて初めてなんです。

 たまに子供が来なくて、ひとりで夕食をとることもある。そんな時いろいろ考えますよ。夫はどういう人間なんだろう、私は夫婦の在り方というものをきちんと考えたことがあったんだろうか。今回のリストラの件にしても、夫の気持ちをきちんと聞こうとしただろうか。仕事の子とも言わなかった夫だから、リストラのことだって話したくないはずだって‥‥。

 頭から決めつけていたんですね。だけどそれは実は私が聞きたくないという気持ちが強かったからだと気づきました。聞こうとする姿勢があれば話したかもしれない‥‥。

 パートから帰って来て、簡単な食事を作って一人で食べている時に思うのは、夫が今頃何をしているかしらっていうことなの。不思議ですね、対して会話もない夫婦だったのに、ふとしたときに、夫が言ったことを思い出したりするんです」

――ご主人が変わられたんでしょうか。
「私が家を出て一ヶ月くらいは変わりなかったみたいですが、ここ二ヶ月くらいは相当な変化があったみたい。最近は、ぽつぽつと面接などに行っているみたいですよ。このごろ、娘も息子も朝は私の所に寄らなくなったので、どうしているかと聞いたら、夫と子供たちの三人で朝の当番を決めたんですって。

 だから朝は変わりばんこんで食事を作っているみたい。といってトーストにサラダという簡単なものだそうですけど。『だけどお母さん、お父さんが当番の時にはオムレツを作ってくれるんですよ』と娘が目を輝かせていました。今であまり父親と接する機会がなかったから、父と子の時間を少し持たせるのもいいんじゃないかと思います」

――お母さんが仲間外れになってしまう不安はありませんか?
「これも娘からの情報なんですが、夫は『仕事が決まったらみんなでお母さんを迎えに行こう』と言っているんですって、『恥ずかしいからレストランに招待しようか』とも言っているらしい。夫はそんな軽い口を利くような人ではなかったんですが、子供相手に過ごしているうちに少しずつ変わってきたんでしょうね。

 じつは私がここにいるのも知っているんですよ。義兄が告げたのかもしれません。でも夫も体面があるからすぐには戻ってこいとは言えないんでしょうね。だから再就職をお土産、迎えに来るつもりなんだと思います。そうなったら私ももちろん素直に帰りますよ」

――夫のリストラ、恵利さんにとってはなんだったんでしょう。
「まだ結論は出ません。でも戻ったら、今度はもっとちょっと、あの人にとってのいい妻になれそうな気がします。私は今まで自分の中で理想としてきた、いい妻を演じていたような気がするんです。でもきっと夫にとってのいい妻は、必ずしも私が理想としてきた妻とは違うんでしょう。私、このあいだ、リストラについての講習会に行ってきたんです。

 これも私としては進歩だと思って自賛いるんですが。リストラされたとき、働いている人はどういう心理になるか、そこから立ち直るにはどんな心理変化があるのかも聞いてきました。夫の気持ちを分かってあげられなかったという忸怩(じくじ)たるものは感じましたね。でもそれがあるからこそ、今度戻ったら新しい気持ちで夫婦生活を送れるような気がしているんです」

 一度は別居から離婚まで考えた妻、夫を本心から嫌いになってしまうかもしれない恐れた妻。だがいったんうまくいかなかった夫婦関係が、今は確実に修復の方向に向かっている。爆発寸前の爆弾が、時間ギリギリでうまく処理されたという感じだ。

 夫の失職というショッキングな出来事があったとき、さらにショック療法を選んだことで、この夫婦は新たな局面を迎えようとしている。妻にとって英断であった別居が、とりあえず功を奏しつつあると言っていいだろう。

 長年ともに暮らしてきた夫婦の場合、物理的にも精神的にも距離を置くことで、お互いを見直したり、これまでの家族関係を振り返ったりすることができるかもしれない。

 恵利さん夫婦はお互い真面目な性格だった。だからふたりとも”ごくふつう”であることをよしとしてきた。だがそれを夫のリストラという形で揺さぶられたとき、自分たちにとって何がいいことで何がいけないことなのか、まったく判断がつかなくなってしまったのだろう。

 ここでもやはり、私は日本人の体質として、凡退主義的な側面を痛感した。人と同じ、普通であることをむやみに尊んでしまう。だが、日本人ももっと、”自分らしさ”を真剣に考える時期が来ているのではないだろうか。アメリカで「あなたは例外的」と言われたらそれはたいてい誉め言葉だという。

 だが日本で同じことを言われたら、誉められていると素直に受け取ることが出来るだろうか。「ちょっと変わっている」という言葉を、私たちは恐れているのではないだろうか。そのために自分を殺して、まわりに合わせようとしてしまう。

 だが、人はみんな違って当たり前、違っているからこそいいんだ、という教育を子供たちにもしてやれないものか。他人に足並みをそろえていればいい、ということは逆に足並みを揃えない人間は落ちこぼれていくことにほかならない。個性を個性として生かせないなんて、悲しい話ではないか。

「自分たちにとって何がいちばんいいのか」
「自分たちらしい暮らしはどこにあるのか」

とつねに考えていく必要なのではないだろうか。既成の”幸せの基準”はもう崩れているのだ。そこに危機感を抱かないと、いつまでたっても満足感は得られない。

 日本も終身雇用、年功序列というシステムが崩れつつある。これからは善し悪しはともかく、実力本位、能力主義になっていくだろう。市民の間で、貧富の差も今よりは出てくるかもしれない。しかし、そのときには、夫婦の在り方や幸福の感じ方ももっと”自分なりに”とか”自分たちらしさ”とかを求められるようになるのではないだろうか。

 他人からどう見られようか、足並みを揃えた生き方を探るのではなく、自分らしさをどこでどう生かすかを考えていくしかない時代にまさしく入っていこうとしているような気がしてならない。それは働き方だけでの問題ではなく。生き方、子供の教育、夫婦観まですべてにつながることなのだ。

夫のメンタルケアについて

 夫が突然、仕事を失ったら、妻としてはどうすればいいのか。今、夫に仕事がある場合、リストラや倒産という事態をたぶん、自分の危機として捉えられないはずだ。だが実際には誰にリストラという事態が起こっても不思議でないのが現状である。

 夫が仕事を無くしたら、現実の生活のこと、経済的なことにまず思い行くのは仕方ない。だが、夫自身が自尊心をいかに傷付けられているかに思いを向けることも必要だ。命あってこその物種である。自尊心の低下がいかにうつ状態を引き起こすかは、失恋などを思い起こしてもらえばわかりやすい。だれでもおぼえがないことではあるまい。

 うつ状態に陥ったら、まずはしっかり落ち込んだ方がいいので、この期間は夫を励まさないことが重要だ。とくに、「内なる会社」の項でも述べたとおり、サラリーマンが無意識にせよ会社に抱く気持ちは、おそらく妻の理解の範疇(はんちゅう)を越えていると思ったほうが無難。

 だが落ち込んでいるときは徹底的に落ち込ませておく。気持ちが内向していくのはやむを得ないのだ。
 そこを脱したら、今度は文句を言いだすかもしれない。会社の悪口を言うだろう。だが、

「そういう会社を選んだのはあなたじゃない」というようなことは言わないでおこう。
 立ち直って行く過程では怒りという感情を吐かせ出せた方がいい。愚痴ったり文句を言ったりしない夫の場合は、むしろ愚痴を言わせるように仕向ける。夫は妻に弱みを見せたくないから、ひとりでがんばっているかもしれない。だが感情的にはよけいストレスになるだけだ。
 会社に対する不本意な気持ち、上司への恨みなども誰にも言えずに心に秘めていると、後からもっとつらいことになる。黙って愚痴を聞いてあげることだ。

 それからは少しずつ励ましたり、前向きになれるように言葉をかけていく。妻自身が頑張りすぎるのも良くない。たまには妻も愚痴ってみる。弱みを見せる。夫婦というものは面白いもので、片方が弱くなるともう片方が強くなるのだ。高に妻が頑張りすぎると、夫は何時まで経っても立ち直りのきっかけが見出せなくかる。

 本来、誰でも自分の感情をうまく発散させることが日常的に必要なのだ。家族がそういう対象であれば理想的だ。だが不幸なことに、日本のサラリーマンには三人のママが必要だとされてきた。つまり母親、妻、そして酒場のママ。サラリーマンたちは、母親は別としても、女性を使い分けることに慣れてきた。

 妻には仕事の愚痴がこぼせないから、酒場でくだを巻いてママに弱みを見せる。だが夫に弱みを見せてもらえない妻の存在は一体何だろうか。
“男は強くあるべし”という男性の理想像を、女たちは男に強要してきたのではないだろうか。

 男たちも、「どうせ妻に言っても分ってもらえない」という思い込みがあるのではないか。一度、妻に思い切り愚痴ってみればいい。思いがけない妻の一面を発見することが出来るかも知れないのだから。

 よく言われていることだが、欧米の夫婦関係は「自転車型」なのだそうだ。自転車はこぎ続けないと倒れてしまう。だから夫婦関係でもつるに愛情を育て合おうと努力する。育て合えないとなると別れるのも早いから、それはそれで問題はあるけれど。

 一方、日本の夫婦関係は「自動車免許型」だ。一度手に入れたら、よほどのことがないかぎり?奪(はくだつ)されない。自分が悪いことさえしなければ免許は無くさないですむ。だから免許を手にすると、なんの努力もしなくなりがちなのだ。なあなあ、馴れ合いの夫婦関係も私はいいと思うけれど、お互いそこに胡坐をかきすぎると、予想外の事に対処できなくなるだろう。

 だが日頃から、もっとお互いを知ろうとする気持ちだけは失わない方がいい。実際、そうやって努力している夫婦もいるのだから。

 夫が愚痴をこぼしても、それを受け入れるだけの包容力が女性にはあるはずだ。だからといって、夫の”お母さん”になればいいということではない。相互に弱みを見せられる関係がいちばんいい。お互いにカバーしあえる関係こそが、本当のパートナーシップではないのか。

たとえ夫が外で働き、妻は家を守るという従来の夫婦関係であったとしても、お互いに弱みを見せあえる関係を築いていけば、いかなるハプニングにも対応できるのではないだろうか。

世の中は情報社会である。専業主婦だから情報を集められないわけではない。専業主婦だから社会性がなくなるわけではない。働いているにしろ、いないにしろ、いかに社会性を身に着け、世の中の情報に対処していくかは、その生き方自体にかかっている。夫の弱みを吐かせるのも妻の度量次第だと言えるだろう。

「『稼いできたらどうなの』とののしられ」〈夫・元大手運輸業勤務〉 

規格外のおにぎりに我が身を重ねた日

東京近県に一戸建て持ち家がある西村達典さん(45歳)。家のローンも残っているのに平成八年(一九九六年)の秋 、勤務先のある大手企業から、業績悪化を理由に解雇を通告された。課長職だった。おない年の妻・晶子さんと結婚して十六年、十五歳になるひとり娘がいる。

 娘は3歳の頃からバイオリンを習い、将来はバイオリニストをめざしている。そのためにも評判の高いバイオリン教師につきたい。だがいい先生につくためにはそれなりにお金がかかる。娘がこれからいよいよ本格的に音楽の勉強をしたいというときにリストラ。それで家族関係は一気に悪くなったという。

 中肉中背、いかにも日本のお父さんといった感じの西村さんは、いたって穏やかに話してくれた。
――今はもう就職されたんですか?
「ええ。中堅のメーカーに人の紹介で今年の初めにやっと‥‥。一年以上たってなんとか就職できました」
――収入は下がりました?
「ええ。三割以上減りましたね。以前は千二百円近く貰っていましたけど、今は残業も結構やっていて、八百万円がいいところです。でも私の年齢で、今の状況下での転職にしてはまあまあというところじゃないでしようか」

――解雇通知を受けたとき、まずどう思いました?
「なんで俺が、という感じでしたね。自分としては会社のため、家族のために二十年近く、一生懸命、働いてきましたから。最初は会社が悪い、不況が悪い、と呪うような気持しか湧いてこきませんでした。だけどすぐに落ち込んでしまったんですよ。自分が働いているときには、リストラされる人間には、やはりそれなりに理由があるだと決めつけていた。

 能力的に問題があるから、あるいは人間的に問題があるから辞めさせられても仕方がないんだとわたし自身は思っていた。だから会社を辞めさせられた自分に至らないところがあったんだろうと思うしかなくなってね。どこがいけなかったのか、急に矛先が自分に向いたという感じでした」

――奥さんはどういう対応をしていました?
「どう対処していいか解らなかったんじゃないでしょうか。じつはわたし、一ヶ月は家内に言えなくて、会社に行くふりをしていたんです。毎日、通勤している時と同じ時間の電車に乗る。だけど行くところはない。図書館にいったり、安い映画館で時間を潰したり‥‥。

 土曜日になるとほっとしましたよ。でも給料日が来て、言うしかなくなってしまった。家内に話すと、『どうして? 何か仕事でミスをしたの?』と言われました。それはわたしが会社に聞きたいところですよ。一か月、私が言えなかったことに対しては家内は反応しませんでした。その次に家内が言ったのは、娘の手前、もう少し会社にいっているふりをしてほしい、と。折を見て自分から娘に話すからって」

――ご自分で娘さんに言おうとは思わなかった?
「娘は母親っ子なんですよ。私の事はあまり好きじゃないみたいで・そういう年齢なのかもしれませんが。だからそれで一ヶ月ほどまた会社に行くふりをしました」

――つらかったでしょう?
「どうせだから、とコンピュータを習いに行きました。だからどうやって時間を潰そうかと考えなくてすむという意味では、そんなにつらくはなかった。ただ、夕方、どうしても早く終わってしまうので、そこから時間を潰すのがちょっとね。あまり早く帰ると娘に怪しまれるから、それだけは苦労しました」

――その後のご家族の対応は?
「あんまり芳しくありませんでした。まあ、わたし自身、あの当時は何を言われても聞き耳を持てなかったせいもありますけど、ほとんど声をかけてくれませんでしたね、家内はわたしがリストラされてすぐ、パートに出始めたんですが、それもわたしにしてみれば正直言って、あてつけがましい感じがしました。彼女はそんなつもりはなかったんでしょうけど、まだ失業保険もあるんだから、そんなに急かさないでくれと内心、思いましたよ」

――責められているように感じた?
「ええ。実際、言葉でも言われました。『毎日家にいないで、稼いできたらどうなの?』って」

――言葉だけ聞くとかなりきつい感じがしますけど。
「まあ、もともと気の強い女ではあるんです。言葉がきついところがありますね。ふだんなら気にならないけど、わたしがそういう状態にあるときに言われると、こちらも精神的によけい突き落とされるような感じはしました。彼女としては励ましというかわたしを発奮させるために言っているんだろうというのはわかるんですが」

――西村さんはそのとき、どうされたんですか。
「解雇された年の暮れに妻からそう言われたし、その頃は娘も知っていたので、かえって家にいる方がつらかったんです。娘にはひと言、『私はどうなるの?』と言われました。それがこたえてね‥‥。何とか家族に迷惑をかけないというところを見せるためにも、近所の工場に働きに出ました」

――工場って?
「お弁当やおにぎりを作っている小さな工場があるんですよ。そこでベルトコンベアに乗って運ばれてくるおにぎりの検品をするのです。夜七時から朝までの夜勤でした。それから暮れから正月にかけてずっとやっていました。

 流れてくるおにぎりが自分に見えてね、こうやってなんの疑いもなく人生、流れてきたのに、突然、こいつは食えないとチェックで外されたようなものでしょ。規格外れのおにぎりを出すのが恐かったですよ。しまいには規格外れをチェックする資格が自分にあるのか、とまで思い詰めてしまいました。

 職場にはリストラされたわたしくらいの年齢の男性が結構いましてね。お互い慰めあう環境がわたしにはあまりよくなかった。『俺はもうだめかもしれない』と思う一方で、『今まではだめじゃなかったのか。ただ会社の名前にしがみついてきただけじゃないか』ともうひとりの自分が言うわけです。そんなことの繰り返しでした。

一昨年から去年にかけてはクリスマスも正月も完全に他人事でした。ケーキも雑煮も縁がなかったんじゃないかな。いや、実際には食べたかもしれませんが、記憶にはありません。でもこままでは本当に駄目だと思って、その工場は三週間くらいで辞めました」

――そのころ疲れが出たりしませんでした?
「知り合いにやはりリストラされた人がいて、『心も身体もいちばん疲れている時期だから、しばらくゆっくりとした方がいい』と言われたんですけど…。二ヶ月近くも会社に行くふりをしていたのも神経が休まらない原因でしたね。でも仕方ないですよね。家内と娘の目がありますから」

――家族に弱みは見せられなかった。
「ええ。私は見せてしまいたいと思いに駆られることもありました。家内と娘の前で泣き出してしまいたいような気分になったこともあります。でも、それを受け入れてくれないというのは解っていましたから、どっちが良かったのかわかりませんが。娘には悪いことを下と入思いばかり残ります。

 娘は高校から音楽関係の学校に入るのが夢だったんです。高校に入ったら、いいバイオリンの専制につきたいし、新しいバイオリンも欲しがっていた。本当は防音装置のついた部屋も作ってやりたいと思っていた。ひとりっ子ですし、できるかぎりのことはしてやりたかったんですが、なかなかそうはいかなくて‥‥。今年、音楽関係の高校に入りましたが、新しいバイオリンは結局、家内の実家が買ってくれたんです」

――お父さんとしては立つ瀬がない、と。
「そうですね。これも私が不甲斐ないから仕方ないでしょうけど」
――でも新しいバイオリンは今でなくてもよかったでしょうに。
「音楽かになるのは家内の夢でもあったんです。でも家内はわたしと結婚してその夢を断たれた。だから娘に夢を託しているんですよ。家内の実家も、そんな娘を応援してくれていますし、新しいバイオリンを拒否するわけにもいかないでしょう」

――そんな‥‥。
「わたしはわたしなりに家内に尽くしてきたつもりですよ。決して悪い亭主だったわけではないと思うんです。女性問題で泣かせたこともないし、飲んだくれていたわけでもない。でも家内には物足りないなかったでしょうね。娘にも情けない父親に映ったんでしょう。あるとき娘が言いましたよ。『お金を稼いでこないお父さんになんの価値があるの?』って」

――それはちょっとひどい。
「思わずカッとなって、つい手が出ました。娘を殴ったのは初めてでした‥‥」

能力給導入は企業側の勝手な論理

家族にとって有名企業の価値
 最後の言葉を呟くように言い。目を伏せてしまった彼を見て、私はそれ以上、深追いができなかった。どうして家族にもっと自分を分かってもらおうとしないのか、いちばんつらいのは自分なんだと叫ばなかったのか。彼にはそう言いたかったけれど言えなかった。これが私のインタビュアーとしての限界なのかもしれない、と自分を情けなくも思ってしまった。

 どうしても西村さんの妻である晶子さんと接触したい。日を追うにつれて、私は強く願うようになっていた。といって、西村さんを無視して自宅に電話するわけにはいかない。当たって砕けろの気持ちで、西村さんに正直に話してみることにした。そして彼と協議した結果、私の一存ということで夕方、奥さんが家にいて西村さんが、いない時刻に電話してみた。

 趣旨を説明したがなかなか承諾してもらえない。再三、無理を承知でお願いして、電話でよければと話してもらえることになった。

――晶子さんにとって、夫のリストラはどういう影響がありましたか?
「主人は名前を言えばすぐにわかるような会社に勤めていたんです。私の親も、『あの会社なら大丈夫だろう』と結婚をOKしてくれたくらいですから。どうしても会社の名前がその人の信用になるということはありますでしょう? 

 定年まで無事に勤めてくれるものと信じていたんです。それがこんなことになったものですから、やはりショックでした。生活が突然、一変してしまったんですから。経済的なことがいちばん痛いです」

――なぜ自分がリストラの対象になったのか、という悔しさみたいなものはありましたか。
「層ですね‥‥。私は物事の白黒がはっきりとしないと気がすまない性格なんです。主人は、会ってお分かりでしょうけど、人がよくて『ものごと、灰色のほうが多いんだ』というタイプなんですね。

 だからリストラと聞いたときは、思わず『要領が悪いのよ。あなたは。いつだってそうなのよ』と言ってしまいました。主人は私が本音でぶつけても、同じ勢いでは返って来ませんから、そのときも黙っていましたね、やっぱり私としてはどこか歯がゆいんです、主人が」

――二度お会いしましたが本当にいい方ですよね。
「いい人必ずしも地位を約束されているわけではありませんからね。もっとリーダーシップを取って欲しいと思うことがあります。一緒に暮らしていると」
――そういうことを娘さんに話したこと、ありますか。
「娘はいい話し相手なんです。主人より頼りになるくらい。だから主人のことも娘にはしょっちゅう話しています」

――それが娘さんの、お父さんに対する評価を下げてしまうことにつながるとは思いませんか。
「娘にもかわいそうなことをしたんです。このままだと音楽を続けられるかどうかも分かりませんし。親だからって娘の才能を潰していいとにはならないでしょう?」

――ご主人のリストラと、娘さんの音楽とそんなに深い関係にあります?
「一流の音楽かになろうと思ったらやはりお金がかかるんです。年功序列でこれからはお給料ももっと上がっていくと思ってこちらもいろいろ予定しているのに、それが全部ゼロになってしまったんですから」

――でもそのことで父娘の関係が悪くなっては元も子もないというか‥‥。
「娘って一時期、父親を疎ましく思うでしょう。うちの娘もそんな時期なんですよ。うちの主人、何か言っていました?」

――いえ、ただ娘さんと接点が持てないことを悩んでいらっしゃるみたいだったので。
「時が解決するんじゃないでしょうか。親娘ですからね。それより娘は今しかできないことをやるしかないし、私たち親はそれを全面的にバックアップするしかないんじゃないでしょうか」

――夫婦関係は変わったと思います?
「主人は何て言っていました?」
――詳しくはおっしゃいませんでしたが。
「私自身、今回のことはあまり深く考えないようにしているんです。起こってしまったことは仕方ない。というふうに思おうと。主人に対しても今まで通り接しているつもりですけど」
――ご主人もまだ新しい職場になれなくて大変だと思いますけど、そのあたりはどう感じてます?
「‥‥。あ、娘が帰ってきましたので、ごめんなさい。これで」

 電話が切られた。どこかボタンをかけちがえたような会話になった印象は否めない。晶子さんの本音は聞けずじまいだった。言葉は丁寧だが、あきらかに迷惑そうだということがわかった。それはこちらとしても予想していたことだった。誰だってこんなプライベートなことを話したくないにちがいない。

 だがあえて言うなら、彼女の娘に対する接し方は間違っているのではないだろうか。母親は娘の事をいい話し相手だと一方的に気軽に思っているだけかもしれない。父親に対する愚痴を聞かされて育った娘には、母親が考えている以上に悪影響を及ぼすものだ。

 私は自分の経験に照らし合わせてそう断言できる。そして結果的には父親ともいい関係を作れず、さらにどこか心の隅に男性に対する不信感が拭い切れないことになってしまうのだ。大人になった娘に、夫の愚痴を言うのはいい。だが自分の目で人間を判断できない年齢の娘に、夫の悪口を言うのは厳禁だ。

 愚痴や悪口を言った挙句、離婚という結末を迎えるなら、娘はまだ母親の苦しみを理解することができるだろう。だが離婚するつもりがないのなら、自分でその決断を下せないのなら、夫の事を娘に言ってはならない。娘は必ず、「お母さんを苦しめるのはお父さんだ」と思って育っていく。

 それで父親を必要以上に憎むようになる。それは一時期、娘が父親を疎ましく思うこととはまったく別問題なのだ。この家の娘が、父に対して「お金を稼げないお父さんになの価値があるの?」と言ったのはおそらく母親の影響だろう。彼女が大人になったときも今と同じように。「要領の悪い男、稼げない男に価値はない」と思う女性でないことを祈るしかないけれど。

 あるいは、そんなに悪口を言いながらも一緒にいる母親にも不信感を持つようになるかもしれない。どちらにしても、子供時代から思春期にある娘に夫の愚痴をこぼさないほうがいい。もちろん夫婦関係にはさまざまなことがある。

 たまには夫の悪口を言いたくなる時もあるはずだ。だがその相手に娘さんを選んだらいけない。娘の心に、一生取り返しのつかない傷を付ける恐れさえある。母親は、案外、そのあたりを軽く考えている節があるようだ。

 ただ、晶子さんが言った「一緒に暮らしていると歯がゆく思う」という言葉には重みがあった。二度しか会っていない私から見れば、西村さんは本当に当たりの良い、”いい人”だ。だが一緒に暮らすという側面から考えれば、確かに人がいいだけではすまないこともあるだろう。家族だからこそ我慢できないこともある。どうしても家族に対しては要求が高くなってしまうのだ。その気持ちはわからなくはない。

 もう一つ感じたことは、ほかの女性もそうなのだが、「私は白黒をはっきりつけたい性格だが、夫は違う」という言葉だ。白黒はっきりさせたい、善悪をきちんと見極めたいというのは最大公約数的な意味で女性たちの共通点のように思えてならない。そう表現することで、自分の潔癖さを言い表そうとするのだろうか。

 だが、世の中はほとんど灰色だという夫の意見のほうが私にはしっくり来る。自分の価値観で、すべてを白黒に振り分けていくことにどんな意味があるのだろう。どんなに考えても答えが出なくて、それで自分を責めたり他人を怨んだりしながら、試行錯誤を重ねていくしかないのだ。そのときどきで、考えられ得るかぎり最上の方法をつねに見つけて行こうとするのが人生ではないだろうか。どこかに光があると信じて。

 女は正しい答えを急ぎすぎる。

男は光を見ようとする力が弱すぎる。

「リストラのおかげでふっ切れ、離婚できた」〈夫・元サービス業勤務〉

 リストラはきっかけのひとつにすぎない
 小林美也子さん(34歳)は、昨年の夏、5歳になるひとり息子をひきとって離婚した。結婚生活七年を経たところだった。今は都内の実家に息子とともに身を寄せ、昼間は近所にパートに出ている。

 サービス業だった夫の英紀さん(36歳)が会社の業績不振からリストラされたのが二年前の夏のこと、美也子さんは、英昭さんと一年の交際を経て結婚した。わかり合っていると思っていたが、結婚してからはこんなはずではなかったとがっかりすることの続出。

「リストラは単なるきっかけ。リストラのおかげで吹っ切れて離婚する決意ができたともいえる」
 そう言う美也子さんの結婚から現在までの心境の変化を追ってみたい。

――新しい生活はもう慣れましたか?
「ええ。ようやく落ち着きました。息子も今年から幼稚園の年長さんになって、元気に通園しています。両親も最初は毎日、小さい子のいる生活に戸惑っていたみたいですが、今では『もし再婚するなら孫は置いて行け』とまで言うようになって。私は近所のブティックで昼間の五時間くらいパートをしています。

 家にいても何もすることがないので。これから子供が大きくなっていくにつれて、何か長いあいだできる仕事を考えていかなくてはいけないと思っているんですけど、今のところはまだなかなか精神的にもそこまで考えられなくて」

――もとご主人は今、どうしていらっしゃるんでしょう。
「去年の秋に再就職したようです。最初のうちはろくに子供にも合いに来なかったんですが、去年の暮れくらいから月に二、三度は会いに来ます。日常の生活はどうしているか分かりませんが、実家にいますから、お母さんに面倒を見てもらっているんじゃないでしょうか」

――ご主人とは一年の交際で結婚したんですよね。
「一年間、けっこうべったり付き合っていたんでので、相手のことは解ったような気分になっていました。今思えば、結婚した当初は、お互い夫婦だという自覚はまったくなくて、恋愛時代の続きみたいでしたね。ただ一緒にいるだけで楽しかった。そんな時代もあったんだな、と懐かしいような気がします。だけど楽しかったのはほんの一年くらいだった。それからすぐ、すごくショックなことがあったんです」

――ショックなこと?
「私が妊娠しているとき、彼が浮気をしたんです。同じ会社の女性と関係を持ってしまいまして‥‥」

――悔しかったでしょう、妊娠中に。
「それはもう。カバンの中から、その女性のラブレターまがいの手紙が出てきたので、問い詰めたらあっさり認めたんです。私としてはそんなことをしたのなら、完全に隠し通してほしかった。隠せないならそんなことをする資格はありませんよ。でもきっと彼はつらかったんでしょう、黙っているのが。見つかってほっとしたような顔をしていましたもの。

 彼は『もうこんなことはしない』と手をついて謝りました。それで自分はほっとしたんでしょうが、私のショックまでは考えてくれなかった。妊娠中に浮気なんてあんまりでしょう?  そのとき妊娠三ヶ月くらいだったんですが、もうこのまま別れたいと思いましたよ。そんなことをする人で、さらに私を気遣うための嘘もつけないほど弱いなんて、一年の交際ではちっともわからなかった。

 ほかにもあるんです。結婚後、彼はかなり母親べったり、しかも甘えん坊で、子供の部分が抜けていない人だということが見えてきたんです。私は弟のいる長女なので、けっこう人の面倒を見てしまうタイプなんですね。私が恋だと思いこんでいたのは、精神的に幼いところのある主人をかばっているだけじゃないかと思うようになりました。

 浮気の一件でも彼は私に甘えていますよね。悪く言えば見くびっている。そんなこんなで精神的に不安定になったせいで一時期、流産しかかって二ヶ月ほど入院していました。だけど主人は私がそんな状況になると、毎日病院に来てくれて急に献身的になったんです」

――そういうところは優しいんですね。基本的に女性にだらしない人だったんですか。
「いえ、浮気はそれだけのようです。詳しくは解りませんけど。子供が生まれてから女性関係はなかったと思います。ただ、出産後は子供に嫉妬するようになったんです。私が子どもの世話をしようとすると、『あれやって、これやって』と自分の用を言いつける。それがそこにある新聞を取れとかお茶を入れろとか、たわいないことなんです。

 だからじぶんでやってほしいというと急に不機嫌になってしまう。まあ、男性にはたまにあることだと聞いていましたから、最初はあまり気にしないようにしていました。それに主人のことを全然かまわなかったわけではありません。私といては主人がだんだん父親として自覚を持ってくれるものだと思っていました。だけど結局、だめだったんですよね」

――父親になりきりなかった?
「夫にも父親にもなり切れなかったんじゃないでしょうか。赤ん坊は泣くものですよね。だけど夜中に泣くと、『うるさいからどこかへ連れて行け』と言う。賃貸マンションに住んでいたものですから、抱いて廊下であやすわけにもいかない。ときどき、深夜に子供を抱いて近くの公園まで行きました。

 ブランコに乗っていると、なんで私は赤ちゃんを抱いてこんな時間に外に居なければいけないんだろうと悲しくなってくるんです。やっと眠った子供の頬に涙を落としこともあります。それで家に戻ってくると、主人はぐっすり眠っている。私も子ども、この人にとってはいてもいなくても同じなのだろうと思いましたね。

 私だって新米のママだから、どうしたらいいか解らない時もあるでしょう? すると主人は都内の自分の実家に電話をかけて、『お母さん、今から来てよ』と頼むんです、夜中の一二時とか一時に。また姑がよせばいいのにタクシーで飛ばしてやって来る。それで、『美也子さん、英紀は仕事があるんだから、育児くらいしっかりしなさい』って。どうしてこんなことを言われなくてはいけないのか、とよくトイレで泣いていました」

――子供が生まれてから、急にお姑さんが干渉するようになったんですか。
「そうですね。もともと彼のことは溺愛していたみたいですが、それまでそんなにひどくなかった。それにお姑さんも働いていました。から時間もなかったんですね。だけど子供が出来るとのと同じくらいに、姑は定年になったんです。それも大きかったでしょうね。舅はいますけど、元気でバリバリ現役で働いている人ですから、姑としてはほかにエネルギーを注ぐところがなかったんでしょう。それにしても私は姑と結婚したわけじゃないのに、とよく思いました」

――嫁姑の問題は、ご主人には言いました?
「言ったけど、まったく真剣に捕らえてくれませんでした。『きみは未熟なんだから、おふくろに助けて貰った方がいいんじゃないか。おふくろが好意でしてくれているのに何の文句があるんだ』という感じですね。よくそれで口論になりました。主人は仕事仕事で帰りが遅くて、私はほとんど子供とふたりで家にいる状態でしたから、確かにその頃は少し育児ノイローゼ気味だったかもしれません。

 だけどそういう場合って、主人のひと言で救われたりもするものでしょう? 主人は嫁姑がもめていても自分に害が及ばなければいい、という感じでしたから、私はどんどん自分を追い詰めていったんです。あのころは、主人とはほとんどまともな会話をしていなかったような気がします」

――でも子供が歩いたとか、喋ったりとか、だんだん楽しいことも増えていくでしょう。
「主人は子供にどう接していいのか解らないみたいでした。本人は溺愛されて育ったのに、愛情の注ぎ方が解らないんですね。子供は可愛いと思っていながら扱いが下手なので、子供も心から懐こうとはしない。私がいないと、主人は子供とのコミュニケーションが図れないんです。

自分の気分がいいときは妙に子供にも愛想がいいんですが、仕事で疲れたりすると子供を邪険にすることもありました。子供に感情的に接するのは良くないですよね、そういうのを見ていると、この人とずっと一緒にやっていけるかしらと不安が大きくなっていったんです」

――そんなとき、リストラが?
「そうですね。その少し前に、会社の業績がよくないようだとか、社内の空気が妙な感じになってきたとかという話は聞いていました。主人の前にリストラされた人も何人かいたみたいです。そういうことは比較的、よく話すんです。自分のことはね。だけど私が何を思っているのか、家族で何をしようか、そういう建設的なことは話さない。家族があればいつごろ家を買いたいなんて話が出てもいいと思うんですが、そういうことはほとんど言わない。話っていえばほとんど自分の愚痴ばかり、私はおかあさん代わりだったんでしょうね。

 ちゃんと聞いて慰めて、『あなたが悪いんじゃないよ』と言ってあげないと納得しない。そのへんは本当に幼稚なところがありました。リストラされたときも、会社からすぐに電話をかけてきました。帰宅してからはずっとぶちぶち文句を言いっ放し。いつまでたっても『これから』という話は出てこないんです」

――リストラされてから、ご主人はずつと家にいたんですか?
「一、 二週間は火が消えたみたいに静かに家に居ました。だけど会社では飲み会があったときの写真なんかを夜中にビリビリ破っているのを見たことが
ります。相当、感情的になっていたみたいです。その後はパチンコに行っていたみたいですね。

仕事が好きで、きっと誇りももっていたはずなのに『あんな会社なんかにいるような俺じゃないんだ』『俺を使えない会社は、バカだ』と被害妄想的なことばかり言うようになっていった。

 四ヵ月くらい経った頃ですかね、心配になって、『カウンセラーにかかってみない?』と勧めてみたこともあるんです。そうしたら彼にいきなり平手で殴られました、驚きました。心配しているのにそれはないでしょうって、私も頭に来て力任せに殴り返して大ゲンカになっちゃって。その後、お姑さんから電話があって、『どうしてうちの息子がカウンセラーにかからなくちゃいけないの。だいたい仕事に集中できなかったあなたのせいじゃない』って。

 かれがお姑さんに告げ口をしたんです。もうそれで私はすっかり嫌になってしまって、子供を連れて実家に帰ったんです。そのときは離婚するつもりはありませんでした。ただ、お互い少し頭を冷やしたほうがいいと思っただけで」

自分の事しか考えられない夫

――なぜ離婚ということに?
「その一週間後くらいから、彼が迎えに来て、『知り合いにたのんでいた就職先が決まりそうだから、何とか戻ってきてほしい』というので戻ったんです。知り合いに頼んでいる形跡なんか私が知る限りではなかったから、ちょっとおかしいなと思ったんですが、案の定、ウソでした。またパチンコと罵詈雑言の毎日。『これからどうするか、前向きに考えよ』と言うと、急に物が飛んできたりするんです。

 さすがに私には直接、暴力を振るうのは避けていましたが、グラスを壁にぶつけたり、いきなり自分の頭をドアにぶつけたりするんです。ものに当たり、自分を傷付けるようになりました。息子がそれに脅えるんですよ。そのうち、些細な物音にもびくっと身体を震わせるのに気がついて、これじゃ息子のためにもよくないって、再び実家に戻りました。それがリストラから半年後くらいでしょうか。そのときはもう駄目だろうなあって思いましたね」

――で、案の定?
「ええ、就職するって言いながらしないし、たまに電話してみると昼間から寝ているし。それで私が子供を実家に預けてひとりで行って、離婚を告げました。すると、浮気の時と同じように土下座して、『戻ってきてくれ』と声を詰まらせながら言うんです。だけどもう私は疲れた。結婚して七年、疲れっぱなしです。そろそろ解放して欲しいと頼みました。

 すると主人は、まるで子供が駄々をこねるように、大の字にひっくり返って手足をばたばたさせながら号泣したんです。呆れてものも言えませんでした。自分の思い通りにならないと、ただの子供に返っちゃうんです。そんな姿はもう見たくなかったので、そのまま離婚届を置いて帰ってきました。署名捺印して送り返してくださいというメモをつけて」

――離婚届けはちゃんと送られてきました?
「あなたはそうは思ってないでしょう、そのとおり、全然。どんなに催促してもなしのつぶて。数ヶ月後、もう長期戦を覚悟していくしかない、まず調停を思っていたら、突然、署名捺印されて離婚届けが送られてきたんです。すぐに電話してみました。するとお姑さんが出て、『息子は実家にいます。ここは私が引き払いますから』と。私が結婚のときにもっていった家具なんかもあるんですよ。

 あわてて次の日にマンションに行きました。だけどもう全部処分した後。悔しくて悔しくて、訴えてやろうかと思いましたけど、両親に止められました。『すべて忘れろっていうことだ。ゼロから出発した方がいいんじゃないか』って。身の回りのものは何度かに分けて持ち出していましたけど、家具とか気に入ったお皿なんかは全部処分されてしまったんです」

――美也子さんにとって、結婚ってなんでしたか?
「うーん、わかりませんね。まだ自分の中で整理がついていない。確かに楽しいときもあった。私は子供が授かってよかったとも思います。でも彼と結局、ひとつ屋根の下にいながらまったくわかりあえなかった。夫婦というのは名ばかりで、私自身の言葉が彼には通じなかった。同じ言葉を話すはずなのに、まったく言葉が通じないないってとても寂しいですよね。

 もし主人のリストラがなかったら?  どうしていたでしょうね、自分を騙し騙し結婚生活を続けていたかもしれません。仕事が忙しくてなかなか帰ってこない夫、マザコン気味の夫、自己中心的な夫、子供にどうやって愛情表現をしたらいいかわからない夫。そんな夫はどこにだっているでしょう。

 リストラ以前は暴力を振るったこともなかったから、この程度の夫婦はまあ、ふつうの範疇に入るんじゃないかって自分ら言い聞かせながら生活していたんじゃないでしょうか。だけどリストラにあったことで、主人のもっと悪い面がたくさん出てきてしまった。

 そのことに私自身も長い間は耐えられなかった。もっとうまく処理する方法はあったのかもしれないけど、私にはそれができなかった。お互い悪い所を一気に見せ合うってしまったのかもしれませんね」

――夫婦はそこから出発だとは思いませんでしたか?
「‥‥。やっぱり私の我慢が足りなかったんでしょうか。親にも一時期、そう言われたことがあるんです。だけど‥‥」

――いや、我慢するのではなく、もっと何かに前向きに考えることはお互いできなかったのかなって。
「そうねえ。私も自分では検索したつもりなんですが、とにかく主人にとりつく島がなかった。
 朝から晩まで主人がパチンコ屋にいるとき、子供が急にすごい熱を出したことがあったんです。私はひとりで病院に運びました。結局、子供は二日くらい入院したんですけど、その晩、帰ってきた主人は『子供は?』とも聞かないんですよ。いないのに気が付かないのか、どっちでもいいのか。

 このときも大ゲンカになって、私は『働いてもいないんだから、もっと子供の面倒くらい見てよ!』と言ってしまいました。主人は、『子供なんか知るか』と吐き捨てるように言って外へ出て行きました。夜中に泥酔して帰ってきましたけど。状況がよくないと、言ってはいけないことがつい口から出てしまうものなのです。それは主人も同じで、私にいちいちぶつけていました」

――今、ご主人に対してはどんな思いがありますか。
「今から考えると…・主人も辛かったんでしょう。もともと子供みたいなところがあって、鼻っ柱だけは強い、プライドが高い。そんな人がリストラのような境遇に陥ったら、なかなか立ち直れないだろうということは想像つきますでしょ。でも逆に考えれば、会社としては使いにくいタイプだと思います。

 ただ本当は、けっこう義理人情が厚いところもあるから、上司や周りがそういう彼のいい部分を引き出してくれれば違ったんでしょうけど。でも社会でそれは通用しませんよね。自分から人と関係を作る努力をしなくては受け入れられない。主人はそのへんが本当に子供だから難しかったのかもしれない。妻である私でさえ主人と上手くコミュニケーションがとれなかったんですから。

 ただ、私は内心、忸怩(じくじ)たるものはあるんですよ、こう見えても。結局は、主人を崖っぷちで見捨ててしまったような気がしています。どうあっても息子の父親であることは変わらないわけですから、父親から息子を取り上げてしまったという負い目もある。この十字架を私自身が一生、背負っていかなければいけないんだろうなと今、徐々に覚悟を決めているところです」

――今、ご主人に会ってみて、変わったなと思うところはありますか。
「すごく不思議なんですけど、離れてみて、彼自身は子供の可愛さがわかったみたいです。
 今、子供はどんどん変わりつつあるところだから、かれが会うたび、子供は見た目にわかるほど成長しているわけです。ようやく『コイツも人間だ』と主人にはわかるようになった。それで可愛くなってるんじゃないかしら。

 主人、あ、失礼、もと主人ですね。彼はかつて野球をやっていたので、『これから野球を教えてリトルリーグに入れるんだ』と張り切っていますけど。ただ最近、私は彼がようやく父親になれたとき、私とは他人になったんだなと痛感しているんです」

窮地に追い込まれてわかる、意外な人間性

美也子さんはウィットに富んだ素敵な女性である。最初のうちは緊張感もあったのか、言葉もきつく聞こえたし、夫に対する恨みもあるように感じられた。だが少し話をしてみると、こちらの聞きたいことをすぐに理解する頭の回転の速さ、巧まざるユーモアセンスに気づかされた。言葉のキャッボールを楽しむタイプでもあるから、家の中でまだ話せない子どもとふたり、じっとしているときはさぞつらかっただろう。

 遅く帰宅する夫とろくに会話がないとなればなおさらだ。それでも最後の方の話を聞くと、子供と接する夫に対して悪い感情は持っていないことが見て取れた。

 夫婦は不思議なもので、別れてみて相手の人間性に気づくこともある。近すぎた距離ではわからなかったことが、離れると、もっと客観的に見られるようになるのだろう。あるいは離れたからこそ、お互い、相手に優しくなれることもある。それは悲しいことに他人になった証でもあるのだが。

 身近人間に対する優しさと、他人に対する優しさとは質が違う。そしてその質の違う優しさを感じたとき、夫婦は本当に別れたことを実感するのだ。まさに美也子さんは今、それを心身で感じ取っている最中なのではないだろうか。

 それにしてもリストラがきっかけで、夫婦のあいだが完全に破綻してしまうこともあるのだ。もともと姑との問題や夫の性格への失望はあったにせよ、リストラがなかったら美也子さんが言ったとおり、離婚まではいかなかったかもしれない。

 リストラという事態によって、夫の悪い面が一気に噴出してしまったのだ。もしかしたら夫自身、自分も気づいてもいなかったような心の破綻から、だらだらした生活を送るようになったのかもしれない。

 人間は窮地に追い込まれたとき、本性が出るとよく言われる。真価が問われるとも言われる。それは本当だろう。だが、窮地に立ったとき、逆に自分でも知らなかったような自分の醜い面、もしかしたら一生隠れたままですんだかもしれない悪い面も出てくることはあるのではないだろうか。あるいは一時的に本来の自分自身を見失ってしまうということが。だから夫にとってリストラは、美也子さんが考える以上にショックだったと考えられる。

 さらにそこで夫婦ともに、以前だったら考えられないような激しい言葉のやり取りをし、お互い消耗しきってしまった。自分のいないあいだに子どもが病院に運ばれたと知ったら、いくら愛情表現が下手な父親だって自分を責めずにはいられないはずだ。内心、自分を責めている所へ妻になじられるような言葉を浴びせられ、さらに自己嫌悪に陥って泥酔してしまう。

 確かに弱い夫である。だがその弱さを知っている妻が、もう少し早い時点で何か対処できなかったものだろうか。あるいは誰かに相談くらいできなかっただろうか。

 一緒に暮らしていた美也子さんが夫の心や生活の荒廃ぶりに耐えられず、別れを選んだことを責めるつもりも非難するつもりもまったくない。子供のために我慢するより新しい道を選択したのは同性としては応援したい気持ちだ。

 だが客観的に見た場合、やはりこういうケースではカウンセリングにかからせるなり神経科医に相談するなりして、対処していくべきだろう。もっと言えば行政でも地域でも、こういったメンタルな問題に対して、真剣に取り組む必要があるかもしれない。これだけの不況で失業者が増える中、誰もがあらしい職に就けるわけではない。すぐに新生活で気持ちを切り替えることができるのはごく少数だろう。

 これまでも述べてきたとおり、リストラされてショックは、たんに職場を失う、生活が苦しくなるということからのみ来るのではない。自分の評価を自分で下げてしまうことから来る自信喪失、上司や経営者への不信からくる他者への不信感、居場所のなくなった不安感、家族の目を気にする脅え、あるいは家族への責任を果たせなくなった自分を罰する気持ちなど、すべてが一気に押し寄せ、心がマイナス一辺倒になるのだ。

 つまりはこれまでの自分ががらりと崩れていくことだ。そんな状態で、通常の生活を続けていくのはとても難しいことだから、現実逃避をするのはそんなに不思議な話ではない。

 当事者でない限り、この気持ちはわからないだろう。しかもどういう気持ちになってどういう態度に出るかは、個人差がとても大きいと思う。心の中ではものすごく憤りややるせなさを感じていても、それを表現しない人間もいるだろう。あるいは少しの怒りも制御できないタイプもいるはずだ。

そのあたりはストレスに強い人間と弱い人間がいるから、リストラされる一概にどうなるとは言いにくい。そういうメンタルな部分を気軽に打ち明ける場がないのが残念だ。カウンセリングはまだそんな一般的でないし、どうしても料金的な問題がある。

「失業して生活も大変なのに、カウンセリングなんてかかる余裕はありません」
 リストラされたある夫はそう言った。それはそうだ。カウンセリングを受けた方がいいなどと言うのは、他人事だから言えるのかもしれない。だからこそ、行政や地域のボランティアがそういう面をカバーする態勢を取ってくれれば、一般的なカウンセリングももっと安くなり、誰もが気軽にかかれるようになるという可能性はないだろうか。

 カウンセリングや精神科というと、日本ではまだまだ周囲の目を気にして、かかれないということもある。だか、身体が疲れたら風邪をひくように、心だって風邪を引く。こんな時代に、受け皿もなく、ひとりで強く生きていけるほうが不思議なのだ。

離婚は「夫を見捨てる」のではなく、最後の逃げ道

美也子さんは、「苦しい状況にいる夫を見捨てた」ということでより苦悩している。そこが通常の離婚ではなく、リストラという状況下で離婚せざるを得ないものにとってつらいところだ。

 知り合いの弁護士は、「夫がリストラされて離婚したいという相談に来た妻がいるけれど、そんな大変な時こそ、あなたが支えてあげなさい、といって帰した」と話してくれた。弁護士といえども男性なのだと苦笑してしまった。なぜならこれは完全に男性の視点からの言葉だから。

 確かに一般的に見て、夫婦のうちどちらかが苦しい状態にあったら助けるのがパートナーとしての愛情であり責任であろう。だが、そこで相手が今までとは全く違う側面をみせたとしたら、あるいはもともと不仲だったとしたら――。離婚を考える妻も揺れているのだ。

 私自身、あれてしまった夫の気持ちもわかるし、それを見ていられない妻の心も察することもできる。どんな場合も助け合うのが理想だろうが、人間はそう簡単な生き物ではない。愛情があればすべてを乗り越えられるというのは半分本当だけど、半分ウソだと思う。乗り越えられる場合もあるし、愛情だけではどうにもならないこともあるのだ。つまり、どちらが悪いと非難はできない問題なのだ。

 リストラという悪夢を見た夫がもう少し荒れないでいられる方法はなかったか、妻にとっても逃げ場はなかったのか、考え方を切り替えられなかったかと思うけど、それはたぶんそれまでの夫婦の在り方密接な関係があるし、お互いの性格的に問題もあるだろう。

 ただ言えるのは、リストラされた夫と離婚した場合、妻は自分自身を責め過ぎないことだ。夫のリストラで妻もショックを受けている。さらに離婚という行為自体でも心身は消耗する。

 そこでさらに「見捨ててしまった自分」を責めたら、あまりにも妻自身が可哀そうではないか。自分で自分を痛めつけるのが精神的にはいちばんつらいことなのだ。現実的な対処として仕方なかった、離婚しか選択できなかったと考えていくしかない。逆に言えば、そう言う意味での開き直りができる覚悟がない以上、離婚という結論は先延ばしにした方がいいかもしれない。

不当な解雇通告を受けたときの対処術
 企業が経営不振だからといって、どんなときも雇用している人間を簡単に解雇できるのかというと、そんなことはない。
 むしろ解雇は難しいといったほうがいい。退職は労働者の自由意志なのだ。だからリストラです。辞めてくださいと言われても怖がることはない。退職勧奨をされたら、それが正式なものかどうか確かめる。正式でなければ無視すればいい。退職勧奨だと会社が認めて、自分が納得できなければ闘う方法はある。大筋だけ記しておこう。

 まず経営不振、業績悪化などの理由で退職して欲しいと言われたら、どんな企業努力をしたのか、それも、どの程度、業績が悪いのかをきちんと書面で示してもらう。社員を解雇するしか本当に方法はないのか、証拠を出してもらうわけだ。それが納得できなければ、どんなに退職勧奨されてもいじめられても、自分から退職届け出を書いてはいけない。

 退職はしないという内容証明郵便を会社に送付して、自分の意志を改めて伝えておくことも必要だ。そうなると会社は不利益変更といって、給料ダウン、残業代カット、降格、転勤などを言い渡してくるケースが多い。不利益変更は違法である。つまりそれは報復人事といえるのだから、同意できない返事する。

 会社は人事異動に同意できないなら解雇を通告して来るかもしれない。そうなったら労働組合に加入すると警告するしかない。
 ところが組合のある会社であっても、いまや組合は会社の言いなりというケースがある。組合に相談したことでかえって会社からのいじめがひどくなったり、周囲と上手くやっていけなくなったりすることがあるので、会社の組合を信用できないときは相談しない方が無難だ。

 さらに組合のない会社の場合、ひとりで対抗するのは無理がある。会社は団体交渉には応じる義務があるが、ひとりでは団体交渉にはならないからだ。そうなったらやはり早めに専門家に相談するのがいちばんだろう。

「東京管理職ユニオン」(03-5248-5231)には、リストラに直面していたり、社内でいじめにあったりしているサラリーマンが多く加入している。管理職と銘打ってはいるが、誰でも参加できる。「指導も救済もしない」という方針で、問題を抱えた人が、ほかの組合員の助けや支援を受けながらみずから問題を解決していくのが主旨である。

 あるいは日本労働弁護団体本部(03-3251-5363)でも相談に乗ってくれる。ひとりで悩まず、こういった期間を利用して、自分の尊厳を回復させていくことも必要ではないだろうか。
 つづく 第4章大企業倒産時代の夫婦関係

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。