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本表紙著者 亀山早苗

第二章 夫の失職と家族のきずな

企業に捧げた魂のゆくえ

「念願の料理店、今からやろう」〈夫・元金属関連会社勤務〉

 納得できない夫の解雇に「闘うわよ!」と妻

 大沢康男さん(53歳)
   敬子さん(50歳)
結婚して二十五年がたつ。長男23歳、長女19歳。勤続関係の会社に勤めて二十八年、営業課長だった平成八年(一九九六年)初めのある日、突然解雇を言い渡された。拒否すると減俸、降格、配転などつぎつぎと嫌がらせにあい、翌九年、とうとう会社と合意、和解の上退職した。

 この夫婦のそれぞれの独白を追いながら、男女の思考の違い、夫婦の在り方について考えてみたい。

《夫の独白》

九六年の初めの事です。ある日突然、わたしは退職を言い渡されました。その日は月末の金曜日で、私は何人かの部下と共に飲みに行くつもりでした。ところが営業部長からちょっと残ってほしいと言われたんです。それで部下を先に近所の居酒屋に行かせて、私は残っていました。

 誰もいなくなった午後七時ころ、人事関係の役員に呼ばれました。何が何だかわからなかった。その役員の個室へ行くと、
「退職してくれないか」
 いきなりそう言われました。本当にわからない。何を言っているんだろう。最初の印象はそれだけでした。理由を訊きましたよ、もちろん。だけどはっきりしない。ただ、以前、私が取引を決めた会社が倒産したとかなんとか言うんです。その取引はもう終わっている話だし、結局うちの会社が損をしたわけでもない。そんなことは解雇の理由にもなりません。

 そう言うと、最近、私の部下が立て続けにふたり辞めたことを理由に挙げるんです。だから「管理能力に問題がある」と。確かにふたり辞めましたが、ひとりは女性で結婚して遠方へ行くという理由ですし、もうひとりは親が亡くなって実家の商売を継がなくてはいけなくなったからです。
 それもわたしの管理能力とは関係ない。つまり難癖をつけて辞めさせたいだけなのが見え見えでした。

 役員は、「退職してほしい」の一点張りで押してきました。心ない言い方でした。事務的に言っているだけ。三十年近く勤めてきた会社です。私には会社のためにさんざん働いてきたという自負がある。だから理由を訊いているのに、とうとうはっきりしないままんなんです。わたしは当然、拒否しました。辞める理由はありませんから。

 するとしばらくして、ある日、会社に行くと廊下に張り紙が出してあり、課長職から係長に降格、減俸と書かれていました。驚きました。その場で妻に電話しました。

《妻の独白》

 主人から解雇されそうだという話は聞いていました。承諾しない方がいいと思ったので、主人には言いました。それにしても定年まであと十年もないというときに、どうしてそういう話が出てきたのか、理解に苦しみました。
 
 主人が勤めていた会社は、二十年前は本当に小さな会社だったんです。結婚したばかりの頃は家族的で、私たち夫婦も社長をよく知っていました。その後、会社は急成長、今は四百人も社員がいます。

 いわば主人は会社を大きくした功労者の一人でもあるんです。前の社長の時はよく食事に招待されたりしてね、アットホームないい会社だったんですよ。会社がどんどん大きくなって、九五年に社長が代わってから、なんとなく主人には、居づらい雰囲気になって行ったようですね、生え抜きの古株は嫌われたということかもしれません。

 それにしても、いくらなんでもいきなり「辞めてくれ」はないでしょう? 私はもう頭にきちゃって。こんなんじゃ会社の秩序も何もあったもんじゃない。もともと正しくないことを見たり聞いたりしてカッとなると、私は見境もないほうなんです。「戦うしかないわよ!」と騒いで、主人にたしなめられたりもしました。「当事者は俺なんだけどな」って。

 でも主人の身に降りかかったことは私の身にふりかかったも同然です。
 降格、減俸と主人に電話で聞かされて、わたしはいても立ってもいられなくなりました。自分から会社に殴り込んでいこうかと思いましたよ。生活の事なんか考えませんでした。よくもうちの主人をばかにしてくれたわねっていう感じかな。

 その降格、減俸を知った晩、主人が帰ってきたとき、いつもとはちがって顔が青ざめていました。それを見て私も胸が苦しくなって。だけどとにかく、会社側の出方を見よう、いざとなったら会社を辞めてもいいし、家を売ってもいいじゃないと主人に話しました。主人は頷いてはいましたが、どことなく力のない顔をしていましたね。

「ここで倒れたりしたら、会社の思うつぼよ」
 ひたすら励ますしかありませんでした。おめおめと会社を辞めるのは悔しいでしょう。辞めるにしても何らかの保証はしてもらわないと、主人だって今まで身を粉にして働いてきた意味がない。それだけははっきり主人に言いました。

 理由が解らないまま突然、解雇を言い渡されたとき、夫はひたすら戸惑う。自分の何がいけなかったのか。顧みて仕事上、自分に落ち度はない。仕事を愛し、会社を愛してきた。一生懸命働いてきたプライドもある。

 多くの男性は、自分がいなければ会社の立ち行かないと思っている。会社に必要とされていることがプライドである。だからこそ、突然の退職勧奨に対して、「わけがわからない」という想いが湧きおこってくるのだ。ここに男性の”会社人間”としての問題も弱さもある。

 一方、退職勧奨を知らされた妻は、この時点では夫を励ますことしかできない。むろん、ここで夫の価値について考え直してしまう妻もいるだろう。自分が考えていたほど、あるいは会社での地位が物語るほど、夫は社会的に価値のある人間ではなかったのではないか、と。

 だが二十五年間連れ添ってきた大沢さんの場合、妻の敬子さんは夫の評価をつゆほどにも下げず、会社への怒りだけに身を震わせた。「夫の身に降りかかったことは、自分にも降りかかったも同然」という彼女の言葉には重みがある。これまでの結婚生活で、夫婦が密に交わし、お互いをわかりあってきた努力と年輪が読みとれる。

 とくに敬子さんが家を売ってもいいじゃないかと最初から言っている所は興味深い。通常、賢母と呼ばれる妻であっても、「私も働くから頑張ろう」という励ましの表現にとどまる妻が多い。

 だが敬子さんは、初めから「どん底になってもいい」という意志を夫に伝えている。敬子さん自身は、体裁のみのいい妻ぶるところのない、気さくな女性だ。本音で語り、怒るときには本心から怒る正直なタイプ。だからこそ、「どん底になってもいい」とういう意志も心の底から出た言葉だ。
 ところがこの夫婦の試練はこれからだった。

リビングに座り続けて日焼けした夫の片耳

《夫の独白》

そうやってあからさまな退職勧奨があったわけですが、妻の励ましもあって、わたしは自分からは辞めないと決めました。すると会社は今度、九州地方の向上への転勤を言い渡してきたんです。

 こうなったら徹底的に戦うしかない。私はそこにある種の覚悟を決めました。それまでは、やっぱり長年、勤めた会社がそんなひどいことをするわけがないと信じていたんです。それがこうなると、会社が私を追い出しにかかっていることは認めざるを得ない。妻にもそう言いました。

「いいわ、家族で引っ越しましょう」
 妻の答えはその一言でした。息子は大学生でしたから、一人で暮らすと言っていましたが、高校生の娘を置いていくわけにはいかない。転勤の内示が出てから、転勤まで二週間もありませんでした。そこですぐに引っ越しの準備をしました。長女の転校の手続きもあわてました。それなのに会社は、五日前になって、転勤を取り消してきたんです。この時ばかりは娘に泣かれまして・・‥。娘はけっこうおとなしくて内向的なタイプなんですよ。さめざめと泣いて、

「また同じ学校に通うことなるなんてかっこ悪い」
 とう言うんですね。それはそうでしょう。もうお別れ会までしてもらったんですから。家族に迷惑をかけているという心苦しさで、わたしも眠れなくなり、食べ物も喉を通らなくなりました。

 娘の高校に夫婦で足を運びました。先生に事情を説明して、またこの学校に通わせてもらえるように頼んだんです。ちょうど夏休み前の試験休みの頃でしたから、試験休みを挟んで、娘はまた登校することになりました。本当にかわいそうなことをしたと今でも思います。でも、どんなときでも救いというのはあるものでね・・‥。

 娘がふたたび登校した日は、わたしも妻も冷や冷やしていました。泣いて学校から帰って来て、やっぱり学校へ行きたないと言われたらどうしょうと思っていたんです。でもいい先生に恵まれた。娘は帰って来て笑いながら報告してくれました。担任の先生はしゃれた人で、その日、
「今日から転校性が来ます。仲良くしてあげてください」

 と言って、娘を教室に呼び入れたそうです。クラスのみんなは一瞬、しんとしたあと、どよめいて、次の瞬間、拍手してくれた。機転の利く先生だったおかげで、娘はまた同じ学校に元気に通えるようになりました。これはわたしの胸のつかえをひとつ消してくれました。あのときは地獄で仏に会ったような気分でしたね。

 わたしのほうは転勤は取り消されたものの、今度は自宅待機を命じられました。もうそこに至っては会社自体、私に何をしているか解らない状況だったんじゃないですかね。辞めさせようとしてもわたしがめげずに辞めないものだから、万策尽きてしまったのでしょう。といって、実際、営業職のわたしが九州の工場へ行っても、かえって工場側が迷惑でしょうしね。

 自宅待機は結局は半年近く続いたんですが、最初の三ヶ月くらいは辛かった。理不尽なことばかり言ってくる会社と戦うぞ、と決めたのですが、会社に行かないとなると、あまりにも暇なんですよ。

 しかも目の前に敵がいないし、先が見えない。いつまで自宅待機が続くのか、見当もつかない。仕事がどうなっているのかも気になる。働かないでいいと言われたことがあんなにも辛いなんて知りませんでした。

 いったい、自分が何をしたのか。私は仕事人間でしたし、それに何の疑問も持っていなかった。だけど家にいるようになると、どうしても自分自身に目が行かざるを得なくなる。それまでの自分の在り方は間違っていたのか、わたしにとって大切なものは何だったか。
 そういうことを毎日、家でボーッと考えていました。

《妻の独白》

 自宅待機でもいいじゃないかと私は思っていました。おもしれえじゃないか、受けて立とうって。とりあえず給料をもらって働かないわけですから、今後の事をゆっくり考える時間がもてる。会社に対してどういう態度に出ていくか、作戦会議を練る時間だってあるんですから。

 でも主人にとってはつらかったみたいですね。全く前向きにはなれなかったようです。日の当たるリビングで毎日、朝から晩までボーッとテレビを観ているだけ。でもテレビに神経が向かっているとは思えなかった、ただ座っているという状況でした。置物みたいに動かないんですよ。

 季節はちょうど真夏から秋に向かう三、四ヵ月でしたか。毎日、同じ場所で長い時間座っているものだから、窓側に向いている主人の左側の耳と頬だけが日に焼けて真っ黒になっていったんです。それに気づいたとき、私はこのままでは主人はだめになると思いました。もともとはわりとよくしゃべるたちなのに、そのころはすっかり寡黙になっていましたしね。

 何より目には全く力がなくなっているんです。このままだと陽の光に主人が溶けていってしまうのではないか、と。いや、今だから冗談で言えますけど、あのころは真剣に溶けてしまうかもしれないと思いましたよ。それほど生気がありませんでした。

 毎日毎日、そんな日が続いてしました。私にとってもその頃が一番つらかった。もうこの人と一緒にやっていくのは無理かしらと思った事もあります。だって毎日、ほとんど何も喋らず、私が何か言ってもろくに返事もしないんです。人が変わったようになってしまった。主人も食べることが大好きで、以前はよく食べ歩きもしました。外で食べたものを見よう見真似でつくると、

「もうちょっとちがう味だった」
「何を入れたらあの味が出るんだろう」
 とそれだけで話が盛り上がったものなんです。それなのに食事もろくにしないし、夜はひとりでお酒を黙々と飲んでいるだけ。お酒の量はかなり増えていったと思います。それを見ているだけしかできない自分自身も情けなかった。止めようがないんですよ。

 男が本気で落ち込んで気力をなくしたら、女は見ているだけしかできない。何にもできない自分が辛くて・・・・。私はこの人の何だったのかとつくづく感じました。

 同時に、そんな主人と一つ屋根の下にいるだけで、私自身もおかしくなりそうでした。私はそれまでパートで働いていていたんですが、主人の問題が起こってから社長に話をしてずっと休んでいました。主人が自宅待機になったばかりのころ、顔を突き合わせているのも辛いからパートに出ようかなと思った事もあります。でもじっと事態を見ていた大学生の息子に、

「親父、危ないかもしれないから目を離さない方がいいよ」
 と言われたんです。完全にうつ状態だから、下手をすると自分を傷つける可能性もあるんじゃないかと、と。息子は心理学科なんかを勉強している友人にそう言う話を聞いてきたようです。わりと淡々とした息子なんですが案外。家族思いなんだなとじんときましたね。

 四ヵ月くらい、必要最低限しか主人とは口をききませんでした。あのころの主人の目には、私の姿さえ映っていなかったんじゃないでしょうか。ここにいるのにいないようにふるまわれるのはとてもつらいですよ。私はそこにおいてある見慣れた家具じゃないんですから。

 一緒になって、ふたりの子を育ててきたこの二十数年間はなんだったのか、と私は考えるようになっていきました。”離婚”という言葉も頭に浮かびました。こままでは私は耐えられない。私はご覧の通り、しゃきしゃきした江戸っ子ですからね、白黒はっきりさせてほしいと思ってしまうんですよ、でもそのとき、思いがけなく息子が頼りになりました。

「ここで親父を見捨てたら、お母さんが後悔するんじゃない?」
 その一言にハッとしました。私は自分の今までの人生を否定したくない。それに息子は時折、主人とぽつりぽつりと話をしていたようで、その様子では、主人はとにかく今は自分の来し方を考えるので精一杯だと言っているというんです。

確かに三十年近く勤めた会社に裏切られたんだから、私よりもよほどつらいだろうなと思った。でもそう思うことと実際の毎日は別なんです。やっぱり口を利かずに、毎日ぼんやりとしている主人を見ているのはつらかった。

自宅待機になった夫と、それを見ているしかない妻。窓から差し込む陽の光の左耳と左頬だけがじりじりと焼けていく。同時に妻には、夫の心まで焼けていくように見えた事だろう。同じ家にいながら、夫の心がここにないことが解ってしまうのは、妻としてはいても立ってもいられないに違いない。

だが、自分がこの場を離れるわけにはいかない。夫が自分を傷つける恐れがあるかも知れないという息子の言葉に、ハッとしたからだ。そして夫を見張り続ける。

 妻からこそ味わう孤独、というものが夫婦間にあると思う。恋人でも愛人でも親子でもなく、妻だからこその孤独だ。リストラという確かに仕事人間にとっての大きな危機にぶつかったとき、当事者は自らの孤独の中に埋没できる。だが、妻は夫以上に状況がわからない、夫の真意もつかめない。

孤独に埋没している夫の周りに見えない壁が張り巡らされているのを、突き破る術さえもないものだ。すべてがわからないゆえに的の絞れない心配に振り回されていく。こんな時の妻の孤独は、敬子さんが言葉にする以上の深さがあるはずだ。

企業の側からすれば、人ひとり辞めさせるのは簡単な決断だろう。だが、その簡単な決断でひとりの人間とその家族を巻き添えになる。大沢さんの娘の転校の件にもそれが伺える。この場合は機転の利く先生に救われたが、子供がもっと小さかったらどうなるか。あるいは先生が心ない処置をしていたら、少女の心の奥に取り返しのつかない傷を負わせたことになったかもしれない。

「どうしてこの年になってこんな思いをしなくてはいけないのかとつくづくと感じました」
 そう呟いた康男さんの眉間に刻まれたしわが忘れられない。
 それでも人は生きていくしかない。生きていく限りは希望を持つしかない、ということをその後の大沢さん夫婦は見事に体現した。

“男のわがまま”と妻の孤独

《妻の独白

 秋になって気候が良くなってきたある朝、私は主人に有無を言わさぬ口調で言いました。
「お父さん、散歩に行こう」って。それまでだったら聞こえているのかいないのか、無視することの多かった主人が、その時だけは不思議なことに頷いてついてきたんですよ。だけど主人は、長く歩いていないものだから、うまく歩けない。人間ってあっという間に衰えるものですね。私は腕を組むふりをして支えて歩きました。

家から十五分くらいのところに大きな公園があるんですが、そこまでいつもの倍の時間がかかったんじゃないかしら。ゆっくりゆっくり秋の空気を吸いながら歩いていきました。公園でベンチに腰掛けてふたりでジュースを飲みながらぼんやりしていたんです。そろそろ行こうか、と声をかけると、主人がぽつんと、

「お前には迷惑をかけてるな」
 とひと言、なんだか私、涙が出てきちゃってね・・・・。
「何言ってるの、今までお父さんが私たちを支えてくれたんだもの。今度は私たちがいくらでも支えるわよ。だけど体は自分で大事にしなくちゃだめよ」

 そう言うのがやっとでした。でもそれは私の本心よ。もう二度と、離婚なんて考えまいと思いました。お父さんも目が赤かったような気がします。私が離婚とまで思いつめていたなんて、きっと今でも知らないでしょうね。あるいはお父さん自身、それまでの自分のことを考えていて、なんで私なんかと一緒になってしまったんだろうって後悔していたかもしれない。

 夫婦なんて、心の底では何を考えているか分かりませんから。でも確かにあの公園で、私は主人と一緒になってよかったと思ったし、これからも一生、手を取り合って過ごしていこうと決意しました。公園まで腕を組んで支えたように、お互いに支え合って生きていくにはこの人しかいないんだなって痛感したんです。

 それからふたりで毎日、散歩に行くようになりました。自宅待機でとりあえず基本給は入るから、節約すれば家族四人、食べては行ける。
「つらかったらいっそ、会社を辞めてもいいんじゃない?」

ある日、私はそう言いました。もうこれ以上、中途半端な状態に耐えられないのではないかと思ったんです。でも主人は、黙って首を振りました。口には出さなかったけれど、私には主人の決意が痛いほど伝わってきました。長い間考えて、やはりこのまま辞めるのは自分の気がすまないという結論を出したんでしょう。

 主人は本当に自他ともに認める仕事人間でした。営業という仕事柄、接待だのなんだかで午前様になることもしょっちゅうでした。それでもタフに仕事をこなして、それで生き生きしているようなタイプです。でも日常生活は大変でしたよ。家のこと、子供の教育もほとんど私任せ。ろくに相談もする暇もりません。過去にはそれが元でケンカになったこともしょっちゅうでした。

 十年くらい前でしたか、私が急に腹痛を起こして明け方、救急車で運ばれた時も、病院に着いて少しすると、そわそわしているんですよ。私の顔を覗き込んで、
「大丈夫だよな、大丈夫だよな」
 と何度もいう。出勤時間を気にしているんだとすぐにわかりした。でも私は痛み止めが効いていて、夢うつつ。すると主人は、「じゃ、俺は会社に行くから」って。そのとき私は腸閉塞で、後から聞くと死ぬか生きるかという状態だったらしいんです。それなのに主人は会社に行ってしまったんですから、元気になってからさすがに大ゲンカになりました。

 結婚してから私の知る限り、無遅刻無欠勤じゃないでしょうか。それほどまでに会社が大事かと詰め寄っても、否定はしないような主人でしたからね、それが仕事を奪われてがっくりきてしまったんでしょうか。自分がいなくても会社は回っていくことを初めて実感したんじゃないでしょうか。

 主人と散歩に行くようになってしばらくしてから、私はふと思いついて主人に言いました。
「定年になってから商売しようかって言ってたじゃない? 今から始めようか」

 私の生まれ育った家はてんぷら屋だったんです。そのせいか、私もできれば食べ物屋をやりたいという希望があった。たまたまサラリーマンの主人と結婚しましたが、ふたりとも食べることが大好きだから、定年になってから商売するのも楽しいかもしれないねという話もたまに出ていたんです。

 主人の顔がパッと輝きました。そうだ、そんな生き方もあったんだって思ったんでしょう。本当にトンネルから抜け出たみたいな明るい顔だった。
「どうせなら、俺、調理学校に通うよ」

 人間って、あんなふうに急に希望をもつことがあるんですね。そして希望をもったときの顔って本当に明るく輝くんですよね。
  主人、その日のうちに学校に申し込みに行きました。

《夫の独白》

毎日、部屋でボーッととりとめもなく、自分のこれまでを振り返っていました。仕事ばっかりしてきて、子供のことも妻に任せきりで、夫としても父親としても失格だったんじゃないだろうか。

 半面、やっぱり仕事はおもしろかった。生き甲斐でしたよね。結果が見えているでしょう? 失敗してもその後、頑張ればまた目に見えていい結果を出すことだってできる。部下や同僚と力を合わせて目標を達成していく躍動感みたいなものも私は好きでしたね。私のしている仕事は、わたしでなければできないと思っていたし・・・・。

だけどまたそこで家族のことに思いがいく。そんな一体感をわたしは家族と味わったことがあるんだろうか。家族をないがしろにしてまでしてきた私の仕事って何だったんだろうかって。

わたし、皆勤賞を長いこと続けていてんです。会社に入ってから休んだのは、自分の親が死んだとき。会社の規定の休みでは足りなくて一日、休みを延長したんです。それだけじゃないですかね。だから風邪をひいたと言って休むヤッの気持ちが解らなかった。わたしは熱があっても会社に行けば治ってましたから。

つねに自分がいなければ、と思うことで自分を奮い立たせていたところもあったのかもしれません。だからそうではないんだ、自分一人いなくても仕事とか会社とかには、何の影響もないんだと分かったことが辛かったんです。
それに自分が思っているほど、会社にとって自分が大事な存在でないことも認めざるを得なかった。それは誰にとっても同じことかもしれない。

 だけど男って、自分はあいつより仕事ができる、あいつよりは部下に頼られているって、つねに誰かと比べて自分を支えている所があるんじゃないでしょうか。それが「認めてないよ」と会社に言われたも同然だったんですから、自分の過去まで全否定されたような気持ちになってしまった。

 そういうことをすべて認めるまでに時間がかかりました。その間、妻は大変だったでしょう。あとから、「あのときは本当にどうしょうかと思った」と言われましたから。だけど妻はどんなときもわたしの支えでしたよ。言葉にして伝えたことはないけれど。わたしが黙って家にこもっていたときも、きっと妻は私の気持ちを察して放っておいてくれたんだと思います。

 妻が料理屋の話を持ちだしたとき、わたしは本当に光明が見つかったという気がしました。
 そうだ、会社だけが生きていく道ではないんだ、と思ったんです。それまでに自分である程度、気持ちを整理していたから、妻の申し出が希望の光にように思えたのでしょうね、妻はわたしが落ち着くのを待って、言いだしてくれたんだと思います。

 それからプロになるための調理学校に通いました。わたしは食べるのは好きだけど、料理をしていたわけではないから、最初は若い者に交じって苦労しました。プロ用の学校ですから、みんなある程度のことはできるんです。ところがわたしときたら、かつらむきさえ、聞いたことはあるけど実際にどういうものかよく解らない、やれと言われてもできないという調子で、家に帰ってから妻に教わりながら勉強しました。

 夫には妻が離婚まで考えていたなんて、まったく思いも及ばぬことのようだ。心の中で妻に感謝はしているものの、言葉にしたことがないという。自分が感謝していることも妻はわかってくれているはずだと思っている。夫の知らないところで、妻はひとりで自分の気持ちを克服していたというのに。

 このあたり、世間一般によくある”男のわがまま”といえるだろう。
 自分が夫の役に建てないことを認めざるを得ない妻のおののくような孤独感を、たいていの場合、夫は慮(おもんばか)ろうとはしない。もちろん、こんな場合は妻の方も夫がたとえどんな言葉を尽くそうとも、夫の心の部分の傷までは理解することが出来ないないかもしれないけれど。

 敬子さんが基本的に明るくて、悩んでも自分で解決していく強さを持っている人だったから夫は救われた。もし敬子さんが自分で自分を支えきれないような人であれば、この夫婦はとうに崩壊していたに違いない。

 おしなべて夫が自分の孤独の殻にこもるのは、妻が”強い”という前提のもとに成り立つのだ。夫は根本的に妻に甘えていると言ってもいい。何も言わなくとも自分の事を理解してくれていると思う男の甘さは、妻の賢明さによって助けられていることが多いのだ。とくにリストトラのような危機に直面した場合、女の寛容さで夫がどんなに救われていることか。

 だが、男と女のすれ違いは悪いことばかりでもないようだ。ふと思いついた妻が言った料理屋の件が、夫には妻が言い出すタイミングを待っていたように受け取られているのだから。夫が全面的に妻を頼りにしているから、こういう思い違いが起こるのだろう。

 こう言う夫婦関係は、フェミニストの立場からはとんでもないと怒りの対象になるかも知れない。だが、夫の心の奥底でつねに妻を頼りにしている状況を、私は決して情けないことだとは思わない。妻がそれに耐えられないなら拒否すればいいだけの事で、それは個人の見解の違いだ。

 むしろどんな女性も、男性に精神的に頼られるだけの強さを元々持っているのではないかという気がしてならない。日本の夫婦は、そうやって平穏無事に添い遂げて来たのだろうと思う。だから康男さんの話を聞いたとき、典型的な日本の夫婦を見たようで、少しはほほえましくなった。

 今は第二新婚期

《夫の独白》

わたしはその後も紆余曲折があったんですよ。じつは自宅待機から半年後、本当に九州へ転勤を命じられたんです。それでその時は仕方なく、単身で行きました。調理学校も中途半端なままです。代わりに妻が調理師の免状をとると張り切っていました。

 九州の工場でパートの女性たちに交じって単純労働をしているのはとてもつらかった。毎日朝八時半から夕方五時半まで、ベルトコンベアで運ばれてくる部品を検品する作業です。慣れない立ち仕事と、営業なのにどうしてこんな作業をさせられるんだといういらだちで、わたしはすっかり参ってしまいました。

 周りのパートの女性たちも、工場長も、私をどう扱っていいかわからない。だから腫れものを触るような感じなんです。それがまたこちらのイライラに繋がっていく。それでも半年くらいがんばりましたよ。そして本社へ呼び戻されました。その頃には私の方も弁護士に相談していましたから、もう会社もどうしようもないと思ったんでしょう。

 退職金を上乗せすること、精神的に損害を与えたための慰謝料を貰うことで同意しました。去年の四月末でした。大した金額ではないんですが・・・・。

 そのころ、妻は店を開くという具体的な計画を立てていました。わたしが半年間、単身赴任に絶えられたのも、妻がその計画を逐一、九州のわたしのファクシミリで送ってくれたからです。

 器はこんな感じ、カウンターの板はこう・・・・。妻の字はいつも躍るようにうきうきしている感じで、私もそれを見るたびに本当に店を開けるかもしれないという希望に燃えました。

 東京に戻ってしばらくしたころ、妻に調理師免状が取れるめどが立ちました。わたしとしては店を開くというのが、どこか夢のように感じられていたんですが、やはり妻は食べ物屋をやっている家の娘ですね。まだ元気で現役の父親の話を聞いては、店の具体的な構想を練っていくんです。それを見ているうちに、私もだんだん本気になっていきました。

 そして去年の夏、とうとう自宅からバスで三十分くらいのところに店を見つけたんです。たまたまスナックをやっている人が、別の場所に店を開くことになったために明け渡したもので、潰れた店でもないし、悪い事が起こったところでもないというので、それなら借りようということになりました。

 内装に五百万円くらいかかりました。カウンターだけ十席くらいの小さな見せですが、妻と二人でやるにはちょうどいいかなと思いましてね。秋に開店いたしました。ようやく固定客もついて、見せは今のところまあまあ順調です。

 妻が明るくて客あしらいが上手いので、妻に話を聞いてほしくてやってくるサラリーマンがほとんどですよ。見せに関してはほとんど妻が主導権を握っていて、わたしがついてきたとい感じです。

 会社を辞めるまでの一年半、本当に大変でした。わたしはそれまで平凡な会社員人生を送って来て、そのまま年を取って行くものとばかり思っていた。それがあんな目にあって、どうしてこの歳でこんなことにと、めげたこともありました。ただ、今になると波乱に満ちたことがあってよかったと思うんです。

 負け惜しみじゃありません。前は負け惜しみで言っていたけど、今は本当によかったと思う。自分に対しても、家族に対しても新たな発見をしました。家族は本当にありがたい。心強い。自分が働いたのも家族の力があってこそなんだと思いました。

 きれいごとじゃないんです。どん底で頼りになって、絶対に裏切らないのは妻だということもよくわかった。それにわたしのような会社人間でも、いざとなれば会社にたてつくような強さもあると分かりました。それさえも、妻の力が大きかったんですけど。

 子供たちですか? 長女は今、大学生です。まあ、金はないけど行きたいというからそのくらいはね。ただ小遣いはナシです。長女もそのあたりは良く解っていた、自分でアルバイトをしているようですよ。アルバイトをする時間がないときは、店で皿洗いをして、妻から少し貰っているみたいです。

 おもしろいのは息子です。今年、大学を卒業したんですが、就職活動はしたものの、結局、就職もしませんでした。親父を見ていて、サラリーマンになる気を無くしたんでしょうね。去年の秋から時間を見つけては、妻の実家に顔を出して修業させてもらうようになって、今はフルタイムで働いていますよ。てんぷら屋で和食全般も出してますので、そこで下働きをしています。

 休みの日は、うちの店で働いています。今年になって、「就職しないで本当にいいのか、後悔しないのか」と聞きました。すると息子はも「会社の名前とか肩書とか、そんなものは意味がないと良く解った。俺は自分の腕だけで勝負できる道を行くよ」って。ついこの前、「そのうち、親父の店を任せてもらうよ」と、息子がにやにやしながらいうんです。
「まだお前に任せてたまるか」
 そう言ってやりました。

《妻の独白》

主人は店の件は最初、本気にしていなかったみたいですね。その段階では何か希望にすがりたいという気持ちだけだったのかもしれません。でも私は本気でした。主人をやめさせた会社の人たちを見返してやりたかったしね。こういうことを言うと、主人に、「鼻柱が強すぎる」ってまた言われちゃいますけど。

 私は今でも悔しいですよ。主人はこの歳で人生勉強をさせてもらったと言いますが、私はそうは思えない。まあ、そういことでもなければ見せは開けなかったかも知れないけど、だからといって主人が会社に捧げてきたものがすべてちゃらになるとは思えません。

 あれから主人とは会話も増え、今は第二新婚期みたい。店が休みの日はふたりで映画を観にいったり、食べ歩きしたり。娘なんかは、「店が休みだと、いつもふたりで出かけちゃうんだから」と嫉妬しているくらいです。今は主人と一緒にいるのがいちばん楽しいですね。あのとき別れなくてよかったとつくづく思います。

 私の力によるところが大きいって、主人が言ったのですか? 私はね、男の人が組織で働くって本当に大変だなということが、最近、ようやくわかってきたんです。ああいう目に会った主人が、家の中でぼんやりしていたのも無理はない。店に来るサラリーマンのお客さんと話していると、みんないろいろなことを我慢しているのですよ。

 しかも、家に帰って妻に愚痴をこぼすことはできないってみんな言うね。それは奥さんのせいだけではなく、男の美意識みたいなものじゃないかしら。本当は弱音が吐ければいいのかもしれないけど、奥さんだからこそ弱い所はみせたくないというきもちがあるんでしょう。

 だからこそ外で頑張って働けるのかもしれない。男の人も複雑な思いを抱えているんだなって良く思うんです。あのときは私も主人の気持ちをわかってあげられなかった。だからこれからはふたりでもっと一緒に遊んで、楽しく時間を増やしていきたいんです。子供が巣立っていくばかりだし、結局、歳をとったら夫婦ふたりきりになるんですから。

 平穏無事という幸せが破れたとき
 いざとなったとき、新たな局面を切り拓いていく能力は女性の方が高いかもしれない。
 それを言い換えれば、女性の方が男性より現実的だということか。もちろん個人差が大きいという前提は忘れてはいけないのだが、夫が窮地に陥ったとき、敬子さんに代表されるように妻たちは案外、現実的に新たな身を切り拓いていこうとする。

「どんなことをしても自分が働くから大丈夫」と夫の動揺を鎮める妻もいる。

「ずっと主婦をしてきたのだから、家政婦ならできる」
 そう言ってすぐに家政婦紹介所に登録してきた妻もいる。

 そんな妻たちを見て、夫たちは内心、驚きを隠せない。言葉にすると「ありがたい」という感謝にしかならないのだが、その裏には、自分の妻の芯の強さに初めて気づいたり、女の逞しさに愕然としたりすることもあるようだ。
 
 ある夫はこう言った。
「わたしがリストラされたとき、妻が『半年は好きなようにしていい。でも半年たったら何か行動を起こしてほしい。私だったらそうする』と。なんていうんでしょう、ある種の割きりを感じました。女の人は、そうやって期限を区切って、自分の気持ちを整理していくものなんでしょうか。その半年間、妻はまったく文句を言わず、せっせとパートに出て働いてくれました。

 専業主婦で穏やかな女なんですが、あのときは彼女の内側にある強さや激しさを感じて、有り難い半面、ちょっと恐くもありました。その恐さは、うーん、なんていうのかな、味方だったら心強いけれど敵にまわしたら恐いぞ、という種類のものだすね」

 女は今の生活を守りたいという意識が強い。そのためには現実を考え、自分のできることなら何でもしようとするものだ。特に子供のいる夫婦だと、それは顕著だ。いろいろな妻に取材した中でも、
「万が一、夫は放りだすことはできても、子供を見捨てることはできないもの」
 と言い放った妻は多い。

 幸福とはなんだろう。私は大沢さん夫婦の取材を通じて、ずっとそれを考え続けた。今の生活を守ろうとする妻の在り方は立派だ。だが、ある意味で、それは日本人的な幸福感なのかもしれないとい気がしてならなかった。大沢さん夫婦は、夫のリストラというマイナスの状況になったとき、それをゼロに戻すだけではなく、さらにプラスの方向へ向かって大きく飛躍させていった。もちろん、子供が大きかったとか。家のローンがほとんど終わっていたという好条件もあった。

 だからこそ新たな道に踏み出したともいえるし、逆にもっと守りにつくこともできたともいえる。今さら新しいことを始めるのではなく、どこかの会社へ再就職してそこそこの毎日を送ればそれでいいと考えるても不思議ではない。

 日本では平穏無事という言葉が尊ばれる。つつがなく毎日を送り、他人と比べてはみ出さずに生きていければよしとする。人並であることが最上のように思っているひとが多いだろう。それはひとつの生き方である。だがローリスク・ローリターンは金融の世界だけでない。リスクの少ない人生は、幸福感、充実感も浅いものとなってしまう。リンスが高くても、自分の夢に向かって手を伸ばすことができるか、ほしいものを欲しいと言って掴みに行けるか。本当の幸福感を、生きている充実感を得たいなら、そうしなければいけないのではないか。

 幸福感そのもの考え方を変えいかなければ、リストラや倒産が続く現代、日本人はすべて不幸になってしまう。人並の幸せだという考え方がいけないわけではないが、人と違うことを幸福だと思える土壌が日本にはなさすぎる。それが失職をさらに深刻なものにしてしまう。

 大沢さん夫婦、とくに奥さんの敬子さんは自分たちならではの幸せを考え、それを具現化した。もし店が上手くいかなかったらどうするつもりだったのだろうか、と敬子さんに訊ねたとき、彼女は一笑に付した。

「そのときはそのときよ。それこそ家を売って店の後始末をし、夫婦ふたりで働けばいいだけのこと。私たち、結婚した時はふたりでゼロから始めたんですよ。六畳一間のアパートでね。だからそこに戻ればいいじゃないかと思っていましたよ」

 夫のリストラをふたりで乗り越えていくときに、敬子さんのように、視点を変えるという手はあるかもしれない。もともとゼロから始まったのだ、いざとなればそこへ戻ればいいというある種の開き直りを根本にもつ。そして二人でやりたかったことはないのか、夫婦それぞれ何か夢はなかったのか。それをもとにして、今後の人生を考えていくことはできるはずだ。
 店のカウンターの中で、敬子さんは生き生きと働いていた。

「夫が家事、妻は正社員と立場が逆転」〈夫・元イベント企画会社勤務〉
 家族のために我慢する夫は嫌

新井豊さん (37歳)
   菊乃さん(35歳)
 結婚して七年。4歳と2歳、ふたりの女の子がいる。豊さんはイベント企画の会社にいたが、社内の派閥争いに巻き込まれた形で昨年秋に退職。菊乃さんが派遣で働いていた会社で正社員となり、豊さんは家で家事全般を担っている。豊さんは当時、精神的にかなり追い詰められた。この夫婦からは、リストラされた男性の心理、夫婦の立場が逆転した時のそれぞれの気持ちを知ることが出来る。

《夫の独白》

 僕はもともと派閥なんて興味もなかったんですよ。それなのにいつの間にか巻き込まれていた。会社というのはこんなことが起きるところなんですね。派閥があるのは知っていたけど、僕はどこにつくなんて考えたこともなかった。自分の仕事を必死にやって、それがお客さんに受け入れられていくのがいちばん楽しかったんです。

 派閥抗争が水面下で起こっていて、気が付いたら巻き込まれ、対外的には余剰人員という扱いをそれ、リストラという形で辞めさせられた。僕に分かっているのはそれだけです。

 辞めろと言われて、辞めないと突っぱねることもできました。でも僕が信頼していた上司は、すでに子会社へ飛ばされていた。僕が会社に残ったところで、これからは自分の下位仕事ができないのは明らかでした。

 うちの会社は中堅の規模でしたが、わりと自由な社風で、今まではけっこう個人のやりたいように仕事をやらせてくれたんです。僕自身は外部の評価はよかったという自負がある。そもそもサラリーマンって、どこで評価されているかよく解らないところがあるんですよ。

社内の評価は必ずしも正しいとはいえない。人間関係が絡むから。だから僕にとって外部の評価がいいというのがいちばんの喜びだった。それがひいては会社のためにもいい影響を与えると思っていたし。

辞めろと言われたときどう思ったかですか? 来るべきものが来たなという感じでしたね。うちの上司が子会社に飛ばされた時点で、僕も、もうそろそろこの会社は潮時だなと思っていた、だから会社にはそんなに固執していませんでしたよ。

《妻の独白》

私と彼が知り合ったのは同じ会社なんです。彼がリストラされた会社に、私も上の子が生まれる時までいたんです。出産を機に辞めました。だが彼の働きぶりも知っているし。上司の事もよく知っている。彼の上司はいい人でしたよ。その人が飛ばされたと聞いて、彼自身、「僕も危ない」と言っていたんです。

 会社ってそういうとこがありますよね。どんなに優秀な社員でも、その代わりはいるんです。上層部にとっては、仕事のできる優秀な社員より素直なイエスマンのほうが大事じゃないですか。

 だから私は、彼がリストラって聞いたときも、「戦うのもよし、さっさと辞めるのもよし」と思っていたんです。どうするかは彼自身が決めればいい、と。家賃とか生活費とか、具体的な問題は抱えていますけど、苦しい思いをしてまで会社にしがみつく必要はない。もっと自分の能力を生かせるところを別の場所に求めればいいじゃないかと思っていました。

 むしろ家族がいるからといって。自分だけ我慢すればいいというふうに彼には思って欲しくなかった。きれいごとと言われるかもしれないけど、家族の犠牲になるのだけは避けてほしかった。それは私の本心なんです。

 誰だって、自分以外の人間の犠牲になっていいわけがない。私自身、外で働くのが好きなんですよ。外で働く楽しさも分っているし、そこで得る評価が自分自身の自信にもなることを知っている。いくら家庭が大事だからって、自分の票を自分で下げるようなことはしない方がいいと思っているんです。

 もっとも仕事はたんなる生活費のもと、という考え方もありますね。それはそれで割り切れるのならいいと思う。家庭がいちばん、仕事はその家庭を運営するためのお金を得る所。そういう考え方もある。だけど彼はたぶん、仕事で評価を得たいタイプだと思うし、わたしもそれはわかっている。だからこそ、我慢や無理はしてはほしくなかったんです。

 私も出産後、ずっと派遣で働いていました。彼が会社ともめていたとき、私はちょうど、派遣先から正社員にならないかと打診されている時期でした。だから彼に言ったのです。「あなたが辞めるなら私が正社員になる。そのほうが社会保険なんかの面でいいと思うから。だから何も心配しないで好きなようにしてちょうだい。生活は多少、苦しくなるけど、どうにかなると思うわ」ってね。

 覚悟していたせいか、夫にはあまりリストラされたショックはなかったようだ。妻もまた同じ会社で働いていたこともあり、派閥の件はよく知っていたため、「あの人たちならやりかねない」と思ったという。

 それにしても、「家族の犠牲になってほしくない」と言える妻の逞しさに、私は感心し、爽快感さえ覚えてしまった。妻は、家庭という場の独裁者になりがちだ。夫が稼いで来るのが当たり前だと信じて何も疑わない妻は、世の中に掃いて捨てるほどいるだろう。

 そう言う妻は夫が何のために働いているのかなんて考えたことがないはずだ。夫が仕事で得ている自己評価にまで思いを及ばせる妻はそうはいないに違いない。そのあたりはさすがに自分で「外で働くのが好き」と言いきる女性だけある。

 菊乃さんの意見は本心からだろう。彼女は夫の精神的に支えるという従来の妻の在り方とは多少違う。互いの独立心を尊重したいと考えているようだ。無理なく自然にふたりともそういう考え方になってきたのだろう。これからの夫婦の姿としては多い形態になりそうだ。

 だが私には夫の豊さんが妙に淡々としているのが不思議だった。仕事で評価を得たいと願っている男性なら、リストラなど本来耐えられないことであるはずだ。いくら信頼している上司が子会社にいってしまったといって、そう簡単に会社に固執しないと言いきれるものだろうか。固執しないのならしないなりにもっと会社に対する批判が出て来てもいいのではないか。

 豊さんは非常に温和な男性である。見るからに穏やかそうな顔なのだ。妻を心から信頼しているし、子供たちを目に入れても痛くないほどかわいがっている。

思いがけない派閥争いのはて、湧きおこる”殺意”

《夫の独白》

会社を辞めてから、子供たちの保育園の送り迎えは僕がやるようになりました。洗濯、掃除、料理までほとんど僕がやっています。今までふたりとも仕事をしていましたから、基本的に家事も分担していたんですが、会社を辞めてからは僕が一手に引き受けることになりました。大変ですけど、立場が変わってしまったんだから仕方ないですよね。

家事すること自体には抵抗はありません。僕が育った家庭は、母親が外で働いて、父が家で書道塾を開いていたんです。だから家に帰ると母はいなくてお父さいがいるわけです。小さい頃は、「よその家はみんなお母さんが家にいるのに、うちはどうしてお父さんがいるのだろう」と思った事はあります。

でもそういう家があってもいいじゃないかと家族みんなが思っていたんですね。父は家の中のことをけっこうやっていました。そういう家で男ばかり三人の兄弟で育ちましたから、僕は末っ子ですが、ふたりの兄の家庭もそれぞれ奥さんが仕事を持っています。

ふたりで稼いでいるときは経済的にゆとりもあったけど、時間的に忙しかった。今は時間的に余裕ができて、女房も身体が楽になったみたいだけれど生活が苦しいですね。収入は今までの三分の一くらいじゃないでしょうか。切りつめていくしかありません。

もちろん僕もこのまま主夫でいるつもりはありません。仕事はしていきます。でもどういう形で、どういう仕事をするべきか迷っているんですよ。また会社員になって、やっていけるかは自信がありませんし。会社という名前のついたものに自分を捧げる気力が湧きません。

もっと自分のための仕事、それでいてもちろん社会的に意義のある仕事ができないものだろうか、その方法を探っている所です。今は精神的なリハビリ期間だと思っています。社会に出て行けるだけの力がまだ湧いて来ないんです。心身ともに・・・・。たぶん、女房にはそんなぼくがはがゆく見えているでしょうけど。

会社に対して思うこと? 会社云々より、個人的な思いはありますね。幅って本当にくだらないですよ。子供の頃の陣取りみたいなもの。大人になってやるような事じゃない。いろいろ考えさせられましたね、今回の事はでは。そもそも会社にいる者の目標って何だろうと思うんです。経営者なら会社の業績をあげていくことが第一でしょう。

そのあとにたとえば地域に貢献するとかいろいろ付随はしてくると思うけど、それだって業績が上げなければできないこと。その目標のために社員を使っている。社員は自分の仕事を一生懸命やって、それが会社の業績につながれば自分の達成感になる。本当は経営者側も社員側、非常にシンプルな目標で結びついているはずなんです。

目標はシンプルで、純粋であるべきなんですよね。それなのにそこにくだらない人間関係が入り込んできてしまう。そして僕みたいに、生活が一変するような人間が出てくる。

去年の秋、リストラされた直後は、やっぱりうつ状態になりました。女房は知らないかもしれません。極力、見せないようにしていましたから。ただ、昼間、子供を保育園に連れていったあと、ひとりになると、全ての力が抜けてしまうんです。家事をやる気にもなれない。夜、眠れないものだから昼間うとうとしたりする。頭がぼんやりと重くて何も考えられない。そんな日が三ヶ月くらい続きました。

その後、わりと仲の良かった後輩の携帯電話に電話したことがあるんです。自分が途中まで手掛けていた仕事がどうなったか知りたくてね。そいつは、僕が辞めるとき、「こんな会社、さっさと見捨てて正解です」と言ってくれた後輩なんです。だけど電話して仕事の事を聞いたら、あからさまに迷惑そうに、「もう気にしない方がいいんじゃないんですか」って。

「あんたは辞めた人間なんだから、もう関係ないでしょ」という感じに受けとれました。
 僕なんかと関わっていたら、彼の身も危ないかもしれないしね。保身を考えても不思議じゃない。サラリーマンって悲しいなと思いました。自分もそういう立場にいたんだということにあらためて気づかされました。

 それでなんだかうつうつとしている自分がばかみたいに思えてきたんです。僕は確かに仕事にプライドを持っていたけれど、会社にプライドを持っていたわけじゃないと分かったんです。むしろ会社にプライドを持っているように思わされていたんじゃないか、と。ある意味で、サラリーマンって洗脳されているのかもしれない。

 これ、毛塚強い問題だと思います。就職っていうけど、じつは日本では「就社」なんですよね。少なくとも今まではみんなそういう意識だったんじゃないでしょうか。年功序列、終身雇用が当たり前の時代はね。だけど今はもうそういう時代ではない。それなのにけっこうみんな、仕事と会社をごちゃまぜにしていると思います。

 職業に愛着があることと、会社に対して忠誠心があることは、本来、別のものであるはずなのに。その会社にいる限り、忠誠心を持っことは当然ですが、どうも日本のサラリーマンはそれだけにはとどまらない感じがある。
 僕自身もそうだったのかもしれません。会社なんて、と言いながらうちの会社にはやはり裏切られたという気持ちがありましたから。

 今年になってからうつ状態はなんとか脱することができたんですけど、どうもそれ以来、今度は気持ちがピリピリして仕方ないという状態が続きました。とくに、僕と僕の上司を斬った奴らの事を考えると、ときどき、血が逆流して全身が震えてくるんです。

 子供と散歩をしていて、たまたまそいつらと同じ名札の表札を見つけたりすると、身体の奥から何か噴き出すような感じになる。突然、子供の手を引いて、全速力で走って帰ってきたこともあります。子供が豹変した僕を見て、泣き叫んでいましたけど。

 それはね。殺意なんです。殺意が芽生えるんです、あいつらの事を考えると。僕自身、殺意を抱くような人間ではないと自分の事を思っていた。だけど認めざるを得ないですね、殺意を抱くことはあることがあるということは。だけどそういう自分が嫌なんです。自分で自分が怖くなることがある。もちろん、本当に殺したりはしませんよ。だけど自分の中にこんな醜い面があったなんて・・・。

 穏やかだった豊さんの顔つきが変わったように見えた。こんな普通の人から「殺意」という言葉が出るなんて…。しかも彼は一度、自分の曖昧な気持ちの正体を”殺意”という言葉で定義づけいると、立て続けにその言葉を連発した。まるで言ってしまったからには、その言葉にみずから慣れようとでもするかのようだった。

 ショックだった。だが一方で、やはりすべてを成り行きとして、神様のように受け入れているだけではなかった、人間的な面を見たということに安堵もした。豊さんは自分の気持ちを一人で必死に抑えてきたのだろう。言葉に出してしまうと、”殺意”がもっと頭の中で跋扈(ばっこ)するかもしれないという恐怖感があったはずだ。だが言葉に出せた、表現できたというのは、”殺意を抱いてしまう自分”を克服したからに違いない。
 むしろもう口にしても大丈夫、という本人の判断があっての上の発言なのだろう。

 会社を辞めさせられるというのは、こと男性にとって居場所を失うことにつながる。その原因となった人間に、殺意を抱くこともあるだろう。人間きれいごとだけではすまない。自分の中の醜い感情を初めて意識したのは、きっとこれからの人生にプラスになるはずだ。もちろん、苦しい経験には違いないがけれど。
「標的を絞って会社を辞めさせようと画策する人間と自分が、同じレベルに堕ちる気がするから、憎むのは辞めようと思った」
 と彼は最初、言っていた。だが自分の居場所を奪った人間を怨まないではいられるはずがない。

 自分の中に落ち込む気持ち、マイナスの感情を見てみないふりをするのはよくないことだと心理学では言われている。何もなかったように振る舞っていると、そのときはうまく擦り抜けられるかもしれない。だが、必ずツケは回ってくる。つまりマイナスの事柄からはいつも逃げるしかなくなってしまうのだ。その結果、自分の気持ちを前向きにしたり、マイナスを克服したりすることができなくなる。怒りや落ち込みの感情をじっくり見つめ、苦しみ、ついにはマイナス感情を認めることから人の立ち直りは始まる。どん底へ落ちないと、プラスに転じるエネルギーは出てこないのだから。

《妻の独白》

彼は相当、苦しかったでしょうね。会社をリストラで辞めさせられたことは、しばらく自分の親にも言えなかったみたいですよ。それは当然でしょう。私の両親には私からそれとなく言っておきました。

 辞めた直後は、少しイライラしているように見えました。私が焼きたてのパンなんかを勝手帰宅すると、「そんなことに金を使っている場合じゃないだろ」というんです。パンなんて大したお金じゃないのに。イライラしているのはわかっていたから、なるべく当たらず触らずという感じで過ごしていました。ごく普通に接するようにしたんです。でもそれが彼には物足りなかったかもしれませんね。

 正直に言うと、私、どうしたらいいのかわからなかったんです。彼がやり場のない気持ちを、八つ当たりという形でもいいからぶつけてくれれば、私も対処のしようもある。だけど彼はひとりで処理しようとしている。それがよくわかったんです。それだけに私が出過ぎたことを言ったりしたりしないほうがいいんじゃないか、と思えて。

 夫婦って他人だなとつくづく感じました。だけど身近な家族だからこそ、触れられたくないこともあるんじゃないかと私は思ったんです。それに私以外の女の人に相談していたら腹も立つけど、彼の場合は、ひとりで考えひとりで解決していくタイプなんです。

 もともと。それが解っているだけに、信用するしかありませんでした。彼はきっと大丈夫、いつか立ち直ってくれるって。やっぱり人間、どんなにつらくてもひとりで苦しまなくてはいけないことがあるんですね。私や子どもの存在がその妨げにならないようにするしかないと思っていました。

 彼が家の中の事や子供のめんどうを全面的に見てくれるようになったのは、精神的にも肉体的にも助かっています。だけどこのままずっと主夫をやっていくと、働く気を無くしてしまうのではないかと言うのがちょっと心配ですね。経済的な問題もありますけど、やはり家の中だけでなく、もっと広い場所で自分自身を試してほしいと思うから。

リストラで木っ端みじんにされたプライド
 夫の豊さんが懸念しているように、妻の菊乃さんは夫に早く社会復帰してほしいと願っている。男としての夫への、”期待”があるのだろう。男とはこういうものであるべき、という理想イメージが強いのかもしれない。彼女にはまた、夫に生き生きと働いてほしいという、同じ仕事を持つ同士として応援したいという気持ちは強いのは確かだ。

 一般的にいって、妻は夫に「素早い立ち直り」を求めすぎるような気がしてならない。プライドをズタズタにされた夫の心を、解っているようでわかっていないのだ。十年、二十年の会社生活の中で培ってきたプライドが一瞬にして木端微塵にされてしまう。

それがリストラである。とはいえ、私自身も、リストラされたいろいろな男性に話を聞いてみるまでは、これほどまでにプライドを傷つけられていると思わなかった。男性の傷つきやすさ、そこからの脱しにくさに驚かされた。ある意味で、男性は育つ過程で、女性より精神的に傷付けられることが少ないのだろうか、と思うほどだ。

 だが、それはもともと女性の方が、育つ環境の中でストレス解消の巧みさを得ていることと無関係ではないかもしれない。女性は些細なことでも泣くことを許されている。ストレス発散の仕方を子供の頃から体得しているのだ。自分を甘やかす術も知っているし、他人に甘えたり依存したりする方法もわかっている。世間でも女性のそうした行動を見とがめることは少ない。だから人にも素直に助けを求めやすい。

 一方、男性は、「このくらいでは泣いてはいけない」「このくらいで愚痴ってはいけない」と押し付けられて育っていく。枠組みの中で、自分を律することが男の証しなりやすい。だから自分の感情のイエローゾーン、レッドゾーンを知らないのではないだろうか。

 女性が、これ以上、自分を追い詰めたら危ないという限界点を察して、自分に逃げ場を作る野とは対照的に、男性はどこまで言ってもこの程度なら大丈夫と思い込んでいるがために、知らず知らずのうちに深い傷を負ってしまうのではないだろうか。

 自分の居場所という点でも、男性と女性には違いがあるだろう。誰もが自分の居場所を求めているが、既婚の場合、女性は当然ながら家庭に精神的な比重を置く。子供がいればそれはもっと顕著になる。独身の時には仕事に重きを置くケースもあるだろうが、それはあくまでも”仕事”であって”職場”に居場所を求めるという形にはなりにくい。

 自分の生活と仕事途は分けて考えるものだ。そして結婚後は自然と家庭に自分の気持ちの中心を移行させていく。つまりは時と場合に応じて柔軟に自分の居場所をスライドさせていくのである。何の抵抗もなく。男性は一般的にはそうはいかない。

 家庭を持っても、厳然として職場こそが自分の”居場所”なのである。家庭が上手くいっていても、子育てに積極的にかかわっていても、自分が勝負できる職場こそが居場所だと思い込んでいる節がある。だから、リストラで思いがけなく唯一の居場所が奪われると、自分の存在自体が危うくなってしまうのだろう。

 ここでない”どこか”にも自分の仮住まい、どこにも居場所はないのだと開き直る手もある。自分をラクにする術を、男性たちは身に着けた方がいいのではないだろうか。

 ただ、最後に豊さんは「いつか僕の子の経験を子供たちに話してあげられる日が来るといいなと思うんです」と明るく言った。将来、子供たちが何か挫折したとき、父の経験からくるアドバスはきっと貴重なものになるにちがいない。

内なる会社――男性アイデンティティについて

リストラで会社を辞めた人間は、会社を怨んで当然だと思う。もちろん、彼らは会社に対する考え方が変わったと一様に言う。「会社に片思いをしていたようなもの。自分では恋愛だと思っていたが、結局はこちらの思いを利用されて捨てられた」と分かりやすい例えをしてくれた男性もいた。

 それなのに、会社の事を話すとき、そこには席がないにもかかわらず、ほとんどの男性が「うちの会社」と言う。私は取材を始める前から、この「うちの会社」という言葉が気になってならなかった。「うちの」って何だろうと思い続けていたのだ。

「うち」には「内」か「家」の意味しかない。「わが家」を「ウチ」というのは、それが自分のもの、自分がいるべき場所、自分とは切り離されないものというイメージがあるからだ。「内」は文字通り、自分の内面に通じる。おもしろいことに「うちの会社」というのは、圧倒的に男性が多い。

 働いている女性からはあまり聞かない言い方だ。男性の中には、「会社」まで言わずに、「うち」とだけ表現する人もいる。彼らにとって、会社は本当に「内」なのだろう。

 ある女性心理士に聴いたところでは、日本人サラリーマンの会社との心理的距離は、欧米のそれとは違うと以前から指摘されてきそうだ。日本のサラリーマンの場合、やはり会社は、自分の身体の一部に近い感覚があるという。

 もともと日本人の人間関係の作り方は、「あなたはあなた、私は私」という個人主義とはちがう。周囲に溶け込むことをよしとしているのだ。そう言う教育をされた大人になっていく。そのために社会人となっても、会社と上手く融合することがまず最初に与えられる課題だろう。

 そして自分が必要とされているという認識を持ち、その期待に応えることで、自分自身のアイデンティティを保とうとする。会社というすでに出来上がった者の中に、自分を閉じ込めたり押し込んだりできる人間が有能と判断されるのである。

 欧米でも雇用される人間は愛者精神を持っている。自分の属する組織に利益をもたらすことは大事だと考えているはずだ。ここまでは日本と同じだろう。だがその貢献の仕方、精神の在り方が違う。アメリカのチームスポーツを見ていると、選手たちは盛んに「チームに貢献したい」という言葉を使う。

だがそこはやはり、自分がチームに貢献するのであって、チームとの融合を望んでいるわけではない。チームに溶け込むことで満足するのではなく、自分がどれだけ新しい風を吹き込めるか、自分の実力でチームをどこまで変えていけるかに心血を注ぐのだ。こういう意識は企業に属するビジネスマンも大差はない。

 日本人の場合、所属している場所との融合感や一体感を大切にしたいという気持ちが強いのだろう。そこで「うちの」という言葉を知らず知らずのうちに選択してしまうのだ。実際、どうして「うちの会社」と言うのかと訊ねても、誰ひとり、明確に答えた男性はいない。みんな無意識のうちに口からつい出てしまうらしい。

 だからこそ、リストラが辛いのだ。自分の身体の一部がもぎとられるような感覚に陥ってしまうから。たんにプライドが潰されたというより、もっと切実な喪失感があるのではないだろうか。

 さらにこの「プライド」という言葉にも、私とサラリーマンのあいだには大きな違いがあるようだ。取材中、私はそのことに気づいた。会社に対して「うちの」と言いながら、じつは会社に取り込まれて生きていることを、彼らは認めようとしない。

 彼らのプライドとは、自分にこれだけの仕事をする実力があるから、会社に貢献できるという種類のプライドではない。周囲に期待され、努力して苦労して、その期待に添うこと、期待をいかに潰さないかということに自分を懸けるプライドなのだ。それは善し悪しの問題ではなく、日本のサラリーマンに脈々と続く伝統であり、男性特有の感覚なのだろう。

 女性は組織の一員として働いている歴史が短く、職場との一体感よりも、基本的に”自分”を大事にする面がある。いざとなれば辞めてもいいんだという開き直りや、今では会社にそれほど期待されていなかったという悪い面も手伝って、組織に取り込まれることを快く思わない。だからこそ「うちの」という言葉も意識的であれ、無意識であれ、使う人が少ないのではないだろうか。

「経営破綻、夫婦でマンションの管理人に」〈夫・元コンピュータ関連会社経営〉

土地投機と株に入れ込むバブル時代

 木田泰造さん(57歳)
   悦代さん(55歳)

結婚して三十年がたっ。木田さんは二十年間、コンピュータ関連の会社に勤めていた。だが、独立するなら四十代のうちだと判断、昭和六十年に”脱サラ”し、コンピュータ関係の会社を興す。バブルの頃は経営状態もよかったが、バブル崩壊とともに会社も傾いていく。平成九年とうとう倒産、自己破産を余儀なくされた。

 自己破産はこの年、七万一千二百九十九件にのぼった。その前年の平成八年にくらべて千五百件も増加している。今後も増える傾向は続きそうだ。
 木田さん夫婦は現在、首都近郊県でマンションの管理人となっている。残念ながら夫本人にはとうとう話を聞くことはできなかった。だが妻と、27歳になるひとり娘の独白を通して、家族の絆を探ってみた。

《妻の独白》自己破産が認められてから一年近くたちますが、何だか最近は主人が気弱になってしまって気がかりです。今は夫婦でマンションの管理人をしています。ふたりとも働くことが嫌いではないので、在住者の役に立とうと頑張っているんです。

 最初に主人から会社の経営が悪化していると聞いたときは、あまり大変なことにならないように祈るしかありませんでした。会社を閉鎖すとなっても、気持ちだけはしっかり持たなくてはと思いもしました。私は仕事のことは良く解らないし、今まで口を挟んだことはありませんでしたから、そのときもじぶんのいけんはとくにいいませんでした。

 だけど会社がだめになりそうだというとき、人が散っていくのは早いですね。会社が危なそうだとなると、あっという間に、二十人いた社員はクモの子を散らすように去って行きました。主人と最初から事業に参加してくれていた人だけがひとり残りました。でも、その人にも辞めてもらうしかない状態だったようです。というのも、主人の事業だけでこんな状態になった訳ではなかったんです。

 主人が言うには、バブルの頃、銀行は「頼むから金を借りてくれ」と言ってきたらしい。主人も会社の経営はうまくいっているし、土地を買っておけばいずれは会社を広げるときにも役に立つと思って、どんどんお金を借りて土地を買っておいたんです。おまけに株まで手を出して、一時期には会社の仕事そっちのけで株の売買をやっていたようです。

 当時はそれなりに儲かってもいたんでしょう。その金でまた土地を売ったり買ったりを繰り返していた。その時は会社は上手くいっていたので、けっこう信用があったみたい。何より「借りてくれ」と相当、強く頼まれたみたいですね。そういう時代だったんでしょうか。

 ところがバブル崩壊後からは、会社も上手くいかない、銀行もお金を貸してくれないという状況になって、どんどん経営状態が悪化していったようです。コンピュータ関係の会社も一気に増えたそうで、競争も大変だったんでしょう。

 会社名義で二億円、主人の個人的な借金が二億円ちょっとある、と聞かされたのは、会社が二度目の不渡りを出して、もうどうにもならないとなったとき。ある日突然です。四億円って常識を越える額でしょう。最初、この人は何を言っているんだろうと思いました。

 主人の言葉が耳に入って来ても理解ができないような状態でした。主人が言うには、利子を払うために、消費者金融だけでなく、いわゆる”まちきん”っていうんですか、街の高利の金貸しからも借りていたので、利子だけがどんどん膨らんでいったんですね。

 会社の経営が上手くいかなかっただけなら、主人の仕事のことですから、私も理解して協力するしかない。だけど、主人の場合はそれ以外に個人で土地や株を買っていたわけで、そんなに手を広げていたなんて全然知らなかったから、私もショックでした。どうして会社が危なくなった時点で、そのことを私に話してくれなかったのか。

 バブル頃だって、土地や株の売買をして儲けていたなら、どうして私にひとこと話してくれなかったのか。興した会社での仕事を地道にやっているだけだと信じていたから、裏切られたような気持ちになりました。

 すぐに都内でひとり暮らししている娘に電話をかけました。娘に心配をかけたくなかったけれど、個々にはいられないことを告げておかないといけないと思って‥‥。

 どうしたらいいのかわかりませんでした。いろんな事情をいっぺんに聞かされて、私としては何も考えられないような状態でした。主人はもう利子さえ返せないところまで来てしまったというだけ。とにかく不渡りを出したその日のうちに、私の妹を頼って家を出ました。夜逃げといってもいいでしょうね。

《娘の独白》

「今日中にどこかへ逃げるしかないの」
 ある日、母からそういう切羽詰まった電話が来たのです。二度目の不渡りを出したということでした。私は父の会社がそんなひどいことになっていることさえ知りませんでしたから、もう驚いたのなんの。

「お父さんもお母さんもしばらく身を隠すけど、心配なくていいからね」
 母にそう言われても、心配しないわけにはいきません。とりあえず、中部地方に住む母の妹のもとに身を寄せるというので、次の日に、会社を休んで駆けつけました。そこですべての状況を聞いたんです。

 両親に会ったのは二ヵ月ぶりくらいでしたが、父はすっかり小さくなって、頭も真っ白でした。人間ってほんの何日間で白髪だらけになってしまうことがあるって聞いたけど、本当なんですね。母の親戚も何人か集まっていて、知り合いの弁護士さんを呼んできていたので、みんなで話し合いました。そしてすぐにでも自己破産の申告をするしかないという結論がでたんです。弁護士さんに、

「債権者が取り立てに来るかもしれないので、あなたも自分のアパートにはあまり帰らないほうがいいかもしれない」
 と言われて、急に恐ろしくなったのを覚えています。

 それからしばらく、両親は叔母夫婦の家にいるというので、私は心配ながらも東京に戻りました。帰る電車の中でひとりになると、同にも涙が止まらなくなりました。父は話し合いの最中もほとんど口を利かなかった。あまりの憔悴ぶりに誰も声をかけられない状態だったんです。それを思い出すと悲しくて。

 私はひとりっ子で、父には本当にかわいがられて育ったんです。仕事一筋の父でしたが、私の言うことは何でも聞いてくれました。子供の頃からピアノ、バレエ、絵画と、私が興味をもてばなんでも習わせてくれた。大学時代には留学もさせてくれました。もしかしたら私が大学生のときにもう会社は傾けかけていたのかもしれないけど、そんなことはつゆほども見せませんでした。

 私も社会人になり、ひとり暮らしを始めるようになると、忙しくてなかなか家に帰りませんでした。たまに帰って父に「景気はどう? 会社、大丈夫?」と聞いても、「大丈夫さ」と言うだけでしたから、苦しいなんてまったくわからなかったんです。

 だけど母はショックだったみたいですね。とにかく父が何もかも話してくれなかったということが一番つらかったようです。うちの両親、見合い結婚なんですが、わりと仲がいいんですよ。私が学生だったころも、よくふたりで食事に行ったり出かけたりしていました。

 父が脱サラしたときも、母は「どんな苦労でも一緒にする」と心に誓ったそうです。最初のうちは、会社の雑用を母が一手に引き受けていたんです。その内会社がだんだん軌道に乗って、人は何人も使えるようになったから、母は主婦に戻りましたけど。そんな母を父も頼りにしていたと思うんです。それだけに、父が事業以外の部分で、内緒でお金を借りていたということが母にしてみれば耐えられなかったんじゃないでしょうか。

 だけど母も気が強い方なので、父は母に話したらきっと土地や株の売買は反対されるのに決まっていると思ったのでしょう。私としては両親の気持ちはそれぞれが解るだけに、なんとも苦しくなったんです。

老後の選択のひとつは「離婚」

《妻の独白》

それから数ヶ月、夫婦で私の妹の離れに住まわせてもらっていました。妹の夫の両親が生前、住んでいた離れで、小ぢんまりしていますが住み心地は良かった。それに妹夫婦が本当に気を遣ってくれて‥‥。食事は私たちの分は、私が用意すると申し出たんですが、みんなで食べたほうが美味しいから言って母屋に呼んでくれるのです。

「お姉ちゃん、姉妹なんだから遠慮しないでよ」
 妹はどこまでも明るくそう言ってくれました。義弟もいつまでもいてくれた方がにぎやかでいい、何て慰めてくれて。妹の子供たち三人もいつも明るく接してくれました。

 だけど出歩くわけにはいかない、何もすることがない、お金もない、という苦しさの中で、私はだんだん気が滅入ってきました。この三十年間は何だったんだろう、夫に従ってきたこの年月、私は何を得たんだろうって思ったら、すごく虚しくなってしまって、私、主人の借金の連帯保証人なんですよ。それも私の知らないところでそうなっていたんです。

 だからよけいに、主人にとって私はいろいろな意味で必要だっただろうけど、私にとって主人は今、無くてはならない人だろうか、過去はどうだったんだろうかとひたすら悩み続けました。子供はひとりしか授からなかったし、主人は仕事仕事でなかなか家族三人の時間は取れなかったけれど、それでも安定した生活を送って来られたのは主人のおかげです。

 だけど精神的にはどうだったんだろう、ひとりの女として、人間として、私の人生はこれでよかったんだろうかと思うと、何か大変な忘れ物をしてきたような、妙な焦りにかられてしまったんです。

 私の出した結論は、老後は苦労しないでひとりで生きていきたいということでした。つまり離婚という洗濯もしてもいいんじゃないかと思ったんです。借金苦の主人と一緒にいると大変だから見捨てたいという気持ちではありません。肝心なことを私に話してくれなかった主人への不信感がものすごく強かったんですね。

 だから人生をやり直すなら、今しかないという切羽詰まった気持ちになってしまったんです。それまで、人生をやり直すなんて考えたこともなかったんですが。何もできない状況で、考えが飛躍してしまったんでしょうね、いまから思えば。

 でもそのときは真剣でした。今さら離婚するのも恥ずかしいけど、私の人生はまだ二十年くらいあるかも知れない。だとしたらここで自由に生きてみるのもいいじゃないか。考えてみれば私は自分の思うように生きたいという実感がありませんでしたから。娘を見ていて、ときどき羨ましく思った事もあったんです。

 大学まで行って勉強して、留学もして、好きな仕事について。私も若ければ…って。そんなチャンスをこの年齢で与えられたと思っても、罰は当たらないだろうって、日を追うにつれて思うようになりました。ただ、娘になんて言おうか、そればかり考えていましたね。

 その頃の主人ですか? 毎日ぼんやりしていましたよ。妹の家の庭いじりを少しする程度で、あとは家の中でテレビを観るでも本を読むでもなく、ぼんやりしているだけ。何を考えていたんでしょうね。私自身、主人の心にまで思いが至りませんでした。

《娘の独白》

私に何かできることはないだろうか。私はひたすらそう考え続けました。両親はほとんど夜逃げ同然でした。お金だって当座の分さえあるかどうか。自己破産という子になれば二人はどこで何をするのか。衣食住はどうなるのか、まったくわからない。とりあえずお金はあって困るはずがない。でも私は単なる会社勤めの身です。ひとりで暮らしているので貯金もほとんどありません。

 仕方なく、私は夜、働くようになりました。最初はスナックでホステスをしました。だけどお金にはならないのです。それですぐにお金のいい所、と流れていきました。ええ、風俗です。いわゆるヘルスという所です。本番はしないけど、手や口で男性をいい気持にさせてあげるわけです。もちろん風俗なんて初めてだし、最初は抵抗もありました。

 知らない男性にそんなことをするなんて、普通の状態ならちょっと我慢できないものがありました。だけど私に他に選択の余地はなかった。泥棒するわけじゃない。自分でカラダを張って稼ぐのに後ろめたく思う必要なんかない、と無理やり考えるようになりました。実際。手っ取り早くお金を稼ぐ方法はほかにないんですから。

 ただ私は、その頃付き合っていた人がいたんですよ。そろそろ結婚しようかという話も出ていました。相談しようかと思いましたよ。だけど彼は普通の会社員です。相談されても困るでしょう? それにこれは私の家の問題なんです。いくら恋人だからって彼にそこまで迷惑をかけることはできません。

 それでも私は女です。夜の仕事を始めたからは彼に知られるのが恐かった。いつかはわってしまうだろうと思いつつも、何とか知られないですまないかと虫のいいことも考えていました。出も平日は夜中までしかないし、土日の休日もほとんどいない。そうなると彼が怪しむのに時間はかかりません。

 ほかに男ができたんじゃないか、と彼も苦しんだみたいで、そんな疑惑をもたらしてしまったことは悪かったなと思います。ある日、彼が思い切ったように口火を切り、問い詰められて、とうとう白状しました。包み隠さず、何もかも。

 彼はどうした? 去って行きました。
「きみが親を助けようとする気持ちはわかるけど、僕はどうしても、そういうきみを受け入れることはできない。ほかに方法はあるんじゃないかと?」
 そう言われました。予想はしていたけど辛かったですね。
「そんなきれいごと言ったって、お金がないという事態には代えられないことがあるのよ」と心の中でつぶやきました。

 だって両親は四億円の借金を背負い、債権者への申し訳ない気持ちを抱えて、着の身着のままで家を出たんですから。ここで私が知らん顔して、ぬくぬくと恋人デートはしていられませんよ、やっぱり。そんなことをしたら人として、一生後悔する事になると思った。

 恋人に去られても涙も出ませんでした。父の小さくなってしまった姿を見た時はあんなに泣けたのに。私は甘やかされて育っていますから、精神的には脆い所があるんですが、いざとなると女は強い‥‥のかもしれませんね。我ながらそんなふうに思って苦笑しました。

 最初の抵抗感が薄れ、風俗の仕事に慣れていくのにそんなに時間はかかりませんでした。目標がありましたから、無我夢中だったんです。かえって恋人にばれたからどうしようとも思わなくてすむ分、仕事に精が出ました。疲れましたけどね。だいたい一日五、六時間、土日は働けるだけ働いてましたか。

 でもそのおかげでお金はけっこうたまりましたよ。最終的にはちょっと無理がたたって身体を壊してしまったので風俗は辞めました。でも結局、六百万円ほど貯めたんです。

 父と会社と実家へ行ってみたことがあるんです。どちらも債権者が来たんでしょう、ぼろぼろになっていました。家の中には何もなかった。あっという間に廃屋になっていました。私はドアも窓ガラスも破られた家の中に立ってそこで暮らしていた日々を思っていました。でもそんな感傷に浸っているひまはなかった。

 ただ、不思議なことに、債権者は私の所には何も言ってきませんでした。父は確かに不渡りは出したけど、決して仕事の上であこぎなことをしたわけではないと分かってもらえたからでしょうか。

 母から「離婚を考えている」という話を聞いたのは、両親が夜逃げして一ヶ月もたたないうちです。それにもまた驚かされました。母も心が疲れていたんでしょう。だから私は言ったんです。

「今、そんなに焦って結論を出す必要はないんじゃないの。全てが落ち着いてからいいんじゃない?」
 昼も夜も働いて、時間があるかと親から電話が来て愚痴を聞かされる。そんな生活はつらかった。でも私が助けてあげないと、という気持ちでいっぱいでした。

体を張って親を守る子供はいるのか

夫婦にとって娘にとっても波乱の数ヶ月だった。ここでタフだったのは意外なことにひとり娘だ。経営者であり、責任者でもある父親は完全に腑抜け状態。母親もそれに同調するかのように自分の殻にこもっていく。この夫婦の場合。蟄居(ちっきょ)するかのような状況に陥ったのも精神的によくなかったのだろう。それに妻には夫に対する不信感があった。

 夫婦の間で思わぬことをきっかけに不信感が芽生えると、ときには致命傷になりかねない。もしバブルが崩壊しなかったら借金の件も秘密裏に片が付いていたかもしれない。あるいは夫がバブルに乗じて借金をしなかったら会社も倒産しなかったかもしれない。と今になれば思うものの、やはり「…・だったら」は通用しない。

 妻が離婚を考えるのも無理はないだろう。長年にわたって裏切られてきたという事実をいきなり突きつけられたら、動転した挙句、離婚という結論を出しても仕方ないと言える。瞬時のウソは許せても、長年にわたるウソや隠し事は、裏切りという重い言葉にとって代わられてしまう。

 夫婦でいちばんつらいのは、長期間にわたってウソをつかれることかもしれない。その間、この人はどうして普通の顔で同じ屋根の下で暮らしてこられたのだろう、と過去へ想像がさかのぼっていくからだ。

 現在の想像より、過去を想像する方が精神的にはつらい。過去に事実が存在するので、そこに想像を上塗りしていくと、むしろ事実の方が歪んでしまうことがある。だからその期間、たとえ夫婦の間に楽しい思い出があろうと、夫はあのときでさえウソを抱えたままだったのだと思うと、二重に裏切られたような気になるのだろう。

 ショッキングなことがあると、人間は記憶と想像をうまくコントロールできなくなってしまうことがあり得るということである。

 しかしこの娘の強さには驚かされた。中学から大学まで私立の学校に通い、留学までしたことがあるという彼女。見た目は小柄で華奢で、そんなエネルギッシユなタイプには見えない。だが話してみると、その芯の強さには恐れ入る。お金を得るなら合理的に得たいという気持ちもわかるが、風俗店で働くといのはやはり勇気のいることだ。

 彼女は恋人に去られたときのことも淡々と話してくれた。その時点で、自分にとって何が大事か、どうするのがいちばんいいのかを熟慮した挙句の行動だったんだろう。だから彼女は何も恥じるところがない。何かを選んだら、別の何かをあきらめなくてはいけないこともあると、彼女は本能的に知っていたのだろう。

「何より親が元気で生きていてくれることがいちばん大事だった。だからそのためには、古い言い方だけど身売りでも何でもしょうと思ったんです」

 夫婦が円満に生活を送り、子供を愛して育てた結果なのだろう。もし自分たちが苦境に陥ったら、子供が助けてくれるという親が、今の世の中、どのくらい存在するのか。子供の方も、何をしても親を助けると断言できるだろうか。それだけの愛情と信頼関係で結び付いているこの親子を、悲惨な状況に同情はしつつも、少し羨ましく思ってしまった。

《娘の独白》

自己破産が認められて免責決定が出るまではわりと早かったです。数ヶ月でしたね。額が大きいから早めに結論が出て助かりました。だけど免責されない借金が千五百万円くらいあったんです。

 それを母に聞いたとき、私はためた六百万円を渡しました。両親はビックリしたような顔をして私を見ていましたね。
「大丈夫、借りたお金じゃないから」
 と私が言うと、ふたりはふたたび顔を見合わせて何か言いたそうでした。でも結局は聞かなかった。ふたりはどうやって私がそのお金を作ったか、たぶん分かったんじゃないでしょうか、親子ですからね。

「あとは大台を切って九百万円しかないじゃない。三人で働けばきっと返せるよ」
 私は両親を元気づけようと業と明るく言いました。でもふたりともなんだか様子が変なんです。ふて周りを見渡すと、部屋の中にはわけのわからない仏像とか、お金の儲かる赤富士の絵とか掛け軸とか、そんなものがあるんですよ。

 父が通信販売で買ったらしいの。そこに向かって父はひとり拝んだりしている。そのとき一泊したんですが、朝早くから母は母で、ぶつぶつわけのわからないお経を唱えているし・・‥。ふたりとも精神的に疲れ切っていたみたい。だから何か信じるものがほしかったんでしょう。

 人間って、何かを信じることでいっとき、自分の苦しさから逃れられたような気になるのかもしれません。二人の様子を見たとき、情けなく思う反面、やっぱり私はこの両親を見捨てられない、愛しいという気持ちが沸き起こって・・‥。苦しいときに宗教にはまる気持ちは解らないでもないもの。私だってすがるものが欲しかったから。ただ、私は何かにすがってしまったら自分が終わってしまうような気がしていた。ここで自分がだめになったら絶対、両親もだめになる。

 それが解っていたから一人で立って行くしかなかった。両親を批判するつまりはまったくないけれど、何かにすがってしまうのは私から見れば甘えとしか思えない。まあ、あの年で突然、深い海に突き落とされたようなものだから、仕方ないんでしょうけど。

 わたしは叔母さんと叔父さん夫婦に、なるべく両親から目を離さないようにしてほしいとたのんで帰京しました。なんだか嫌な予感がしたんです。

夫の自殺未遂、そして再発見した家族の”きずな”

《妻の独白》

娘が六百万円の現金を目の前に出したときは驚きました。あんな大金を、本当に娘ひとりで稼いだとしたのなら、その方法は想像がつきます。でも娘にはあまり人を頼る子ではありませんから、きっと男の人に甘えて出してもらったお金ではないでしょう。それにそう簡単に他人にあんな大金を出す人がいるとも思いません。

 娘が稼いだにちがいありません。だけどどうやって得たのかは娘の口から言わせたくなかったから、聞きませんでした。娘までこんな苦労をさせて、本当に情けない親です。

 主人のほうは私以上に苦しかったみたいです。娘がやって来て数日後の深夜、ドーンという変な音で目が覚めたんですよ。横を見ると、寝ていたはずの主人がいない。あわてて裸足で外へ飛びたしました。すると主人が木の横に倒れている。木にロープをかけて首を吊ろうとしたんです。娘にお金が渡されてから、主人は何日間か妙に物思いにふけっていました。

 食事もほとんど喉を通らないようでした。きっと娘のお金の出所を察して落ち込んでいたんでしょう。でも娘には、あんまり励まし過ぎない方がいいと言われていたから、主人がもう一度がんばろうという方向に気持ちがいくまで、私は見守っていこうと思っていたんです。それなのに自分の命を断とうとするなんて・・‥。

 木の枝が弱っていたから、枝ごと主人も落ちてしまったのが幸いでした。悔しいのと情けないのと、だけど助かってほっとしたのと、いろんな感情が一気に湧いてきて、私はどうやって息をしていたのかもわからなくなるくらいでした。心臓が止まりそうなで腰が抜けそうで・・‥。それでとにかく主人を抱き起こすと、「あんたはそれでも父親か !」と叫んでしまったんです。

「娘があそこまでしてくれたのに、その娘にさらに悲しませるようなことをするなんて」って。主人も泣いていました。主人があんなに声を出して泣くのを初めてです。親が死んだときも目を潤ませくらいだったのに。

 深夜、庭の木の下でふたりで抱き合って泣きました。
「すまない、すまない」と繰り返す主人に、「ふたりで一からやり直そう、ね」とわたしもとぎれとぎれに言いました。離婚したいという気持ちがスーッと消えていくのがわかりました。何とかこの人を立ち直らせなくては、ふたりでこの状況を抜け出さなくては、という気持ちでいっぱいでした。変な言い方ですが、三十年連れ添って、急にいろいろなことが襲いかかってきて、それで私は初めて主人と気持ちがひとつになったような気がしたんです。

 悦代さんは照れたように微笑んだ。夫の自殺未遂に至って、彼女は目を覚ましたように全身に力がみなぎって来るのを感じたという。そこかに彼女は、猛然と立ち上がる。世話になった妹の家を辞し、東京近郊のマンションの管理人の仕事を見つけてきたのも悦代さん自身だ。

 全てを失っても、悦代さんには家族が残った。みずからの体を張って親を助けてくれる娘を裏切ることきできない。今まで家族のために働いてくれた夫を見捨てることもできない。
「ひとりになりたいと思った事もあったけど、それは一人じゃ何もできないんだということに気づかなかっただけ。妹夫婦にも娘にも助けられて、これから私たち夫婦が元気で生きていくことが何よりの恩返しだと主人と話すようになったんです」

 現在、ふたりは管理人として働いて、月に手取りで二十五万円ほどになる。マンション内に住み込んでいるから家賃はいらない。ふたりはそのうちの十万円以上を借金が返済に回している。贅沢はまったくできない暮らしだが、月に二度は娘が訪ねてくれる。安くて美味しいものを食べようと、ごくたまに外へ食事に出かけることもある。

 家族三人でゆったりとした時間を過ごすことが、何よりも幸せだと悦代さんは言う。今まではサラリーマン時代も含めて、夫が仕事三昧で、なかなか静かな時間を過ごすことが出来なかったからだ。

 何も話したがらない夫から、妻経由でこんな一言を貰った。

「こうなって初めて家族のありがたさ、良さを知りました」

 娘によれば、父は最近、とても涙もろくなっていて、テレビドラマを観ても泣いてしまうのだという。娘は気弱になった父親を案じている。確かに気持ちは完全に元気になったとは言えないかもしれない。だが涙もろくなったのは気弱になっているだけではなく、人情の機微に敏感になったためではないだろうか。

 それまで自分の力で何でもやっていくことが出来ると信じていた人が、突然のように落とし穴に落ちた。浅いと思った穴は意外に深く、もがけばもがくほど深みにはまっていく。もう駄目だと思ったとき、色々な人が心から手を差し伸べてくれた。みんな同じ穴に入ってきて、自分を引っ張り上げようとしてくれた。そこまで深い人間の情を知る。

 そんな経験をした人なら、涙もろくなって当然である。心身とも弱ってしまったのではないかという娘の心配は杞憂(きゆう)に過ぎないような気がする。杞憂であってほしいとも思う。

 だが夫はまだ眠っている状態。生きていることだけをよしとしている様子に見えると悦代さんは言う。それでも生きる気力が湧いたこと自体は大変な進歩だ。マンションの居住者からは「親切な管理人さん」として評判も上々なのだから、かなり立ち直ってはいるのだ。

 悦代さんに言わせれば、いまの生活は精神的なリハビリの段階だそうだ。女はつねに先を見据えているのだ。将来に希望を見いだそうとする前向きな態度は、男より女の方がよほど強いとつくづく思う。

 悦代さんの夢は、夫に再び自分で仕事をしてもらうことだ。それは娘も同じ気持ちだという。
「べつに会社を興して欲しいというのではありません。ただ、主人はやっぱりコンピュータ関係連の仕事をしたいと思っているはず。今はパソコンさえも買えない状態ですが、今度、娘がボーナスでパソコンを買ってくれると言っているんです。もちろん、主人には内緒で、突然プレゼントして驚かせるつもり。それを見て眠れる主人がもう一段階、起きてくれるといいなあと思います。もちろん、先は急ぎません」

 夫の自殺未遂というショッキングな出来事を経て、妻は急にエネルギッシュになった。娘も万全の態勢でフォローする。いざというときの女性の強さに、夫は男として父として驚きもし、励まされもしただろう。一時期、悦代さんはげっそり痩せたというが、今は、はた目にも元気そうに見える。

 ただ、女性陣がエネルギッシュになりすぎると、男性はまた自信を失ってしまいかねない。いい妻、いい娘になり切らず、少しは夫や父を頼ってみることも必要だろう。特に妻は夫を、”夫”という立場で見るだけでなく、できるだけ”男”として接したほうがいいと思う。彼の中の”男”は冬眠中かも知れないが、それを起こしてみてはどうだろうか。

 人間は誰でも”夫”や”妻”である以前に、男であり女であるのだ。本能的な部分を刺激すると、また男らしさを蘇らせようとするかもしれない。力仕事を頼んだり、あえて「男の人の意見が聞きたい」と何か相談事を持ちかけるのもいいだろう。「こういうことはやっぱり男の人じゃないと」という言葉を浴びせてみる。”男らしさ”は意外な所で発揮されるかもしれない。

 男らしさ、女らしさが尊重されなくなって久しいが、それは言葉自体がマイナスイメージを含み過ぎてしまっただけではないだろうか。男らしさとは強引に女を蔑視すること、女らしさとは柔順で男に従うこと。そんなイメージがあるから、男らしさや女らしさを誰も公然とは求めようとしなくなったのではないだろうか。

 なぜなら、男が自分の男らしさを、女が自分の女らしさを感じるのはとても心地よいことであるはずだから。相手が男らしくあってくれれば自分が女でいられる。女という性を持って生まれた以上、それを否定するのはかえって無理がある。

 逆に最大限に女らしさを感じた方が楽しいし、生きている充実感もあるではないか。そういう意味で、私は、意気消沈した夫の立ち直る過程では、妻が、夫を”男として”見ることが大事だと思う。

 それに人は頼られたとき、真価を発揮することが多い。自分が必要とされていると実感することで、人は自分を奮い立させることができる。人の??咤激励で立ち直ったとしても、それは根拠が希薄なのでまたすぐに折れる恐れもある。

自分が、自分自身を??咤激励し、自分の足で立った実感を持たない限り、人は本当の意味で挫折から這い上がることはできないのだ。夫が周囲の助けを得て、みずから少しずつ、”目覚めて”、立ち直っていけるといいのだが。

つづく 第三章 リストラが招いた夫婦崩壊