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     社表

配偶者の失職を、女性は一体どういうふうに感じるのだろう。まずは驚きだけだろうか。夫への評価が下がったりしないだろうか。生活の危機にそらされたとき、妻は自分の人生さえも顧みずにはいられないはずだ。そんな事態に陥ったのち、夫婦は、家族の在り方はどう変化していくのだろう。

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第一章 失職騒動渦中の夫婦たち

本表紙著者 亀山早苗

夫が職を失ったとき
 女のココロとカラダシリーズ
       突然ふりかかった”失職”の現実

 ある晩、フリーで物書きの仕事をしている私の家の電話が鳴った。出てみると、親しい編集者からだった。彼はいつもと違う改まった声で突然、言った。
「次の雑誌が次の号で終わるんです」
 十年間、毎月関わってきた月刊誌の廃刊のお知らせだった。
 フリーランスの仕事は波がある。仕事が重なるときは非常に忙しいが、仕事がない月は本当に暇になる。そんな中でレギュラーで毎月仕事があるのは本当に有難いことなのだ。もちろん、十年間、仕事をしてきた雑誌には並ならぬ愛着もある。

 呆然としつつも、編集部員たちはみんなどうなるのかと聞いてみた。すると彼はこう答えた。

「みんなどこか別べつの部署に行くことになると思う。でも僕らはサラリーマンだから、雑誌がなくなっても給料を貰えなくなるわけじゃないし」

 ああ、サラリーマンは会社に属してさえいれば、担当している雑誌がなくなったとしても収入には関係ないんだ、とそのとき改めて痛感した。もともとわかっているはずのことなのだが、立場の違う私には実感できなかった。

 次の瞬間、私にとって雑誌廃刊はそのまま収入源につながることに気づいた。その雑誌で得る収入は私の生活費の主要な部分を占めていた。だからその仕事を失うことは、そのまま生活の危機につながる。

 幸か不幸か、私はひとり暮らしで扶養家族もいない。だがこれが一家の大黒柱である男性だったらどうなるか。しかも定年まで無事に勤められると信じているサラリーマンであったとしたら――。

 そう考えると、リストラの憂き目にあって解雇された男性の気持ちが急に身近なものになった。仕事に対する自負心が一気に失われ、生活の不安に見舞われ、さらに家族への責任観に揺れ動き・・・・。男として夫として父として、彼らは何を思い、どういう対処をしていくのか。

 そしてそれを受け止める側の妻の心は――。配偶者の失職を、女性は一体どういうふうに感じるのだろう。まずは驚きだけだろうか。夫への評価が下がったりしないだろうか。生活の危機にそらされたとき、妻は自分の人生さえも顧みずにはいられないはずだ。そんな事態に陥ったのち、夫婦は、家族の在り方はどう変化していくのだろう。夫婦の正直な気持ちを聞いてみたい。そこから私の関心は始まった。

失業中の夫婦たち

「共働きだから何とかやっていける」〈夫・元電機メーカー勤務〉
 内線電話一本で「辞めてくれ」
「なぜ俺が? とにかくそういう気持ちでいっぱいでした」
 リストラで解雇された夫は、言い渡された時のことを振り返ってそう言った。

 夫とは別の場所と時間を設定してもらって、妻に話を聞いてみる。
 「最初、主人からその話を聞いても信じられませんでした。何を言っているのかよく解らないという感じで」
 都内のマンションに住む山野孝志さん(45歳)、美恵子さん(43歳)夫妻は、職場結婚をして十七年目を迎えた。
 昨年、(平成九年、一九九七年)十月の結婚記念日の前日、夫が失職する。電気関係のメーカーに二十年以上も勤めていた。課長職だったがリストラの波は逆らえなかった。再就職先はまだ決まっていない。失業手当をもらいながら、就職活動に奔走する毎日だ。

 現在、中学二年の長男、小学校六年生の長女を抱えている。妻は結婚していったん退職したが、出産後に別の会社に就職したという経緯がある。
 この家族に、夫の失職はどういう影響を及ぼしたのだろう。

「もちろん、主人が仕事を無くして収入は激減しました。私が働いているといっても、主人ほどは稼げませんから。それでも食べていくくらいは何とかなっているという感じでしょうか。ただ、息子は私立の高校に行きたがっていたんです。それがついこのあいだ、『僕、都立高校に変える』って。それを聞いたとき、私と主人は顔を見合わせるだけで、すぐには言葉が出ませんでした。

主人は、『お金のことは心配しなくていいから、生きたい高校を受験しなさい』と息子話したみたいですけど、息子は意地になって都立にするって言い張っています。子供なりに考えているみたいですね。そういう子供の思いやりが主人をよけいに傷付けているのも分るので、私としては何とも言えなくて。

 娘の将来も気になっています。親の口から言うのも変ですけど、娘はけっこう成績が良くて、医者になるのが夢なんです。こういう事態になって、娘の夢を叶えてやることができるかどうかわからなくなってきた・‥。主人が再就職できたとしても、今までより給料は下がるのは目に見えていますからね。子供たちが不憫で」

美恵子さんは目をしばたたいた。大きな瞳がうっすらと潤んでいる。色白の肌のきれいな女性なのだが、日々の疲れがたまっているのか、さすがに目の下のくまは隠せない。

孝志さんの年収は約八百万円だった。美恵子さんは約四百万円。夫婦の年収を合わせれば生活はかなり楽だった。子供二人を私立高校、私立大学に通わせてもなんとかやっていけるはずだった。ところが夫の失職で、子供の教育に関してはまるきり予定が狂ってしまったのだ。

山野さん宅は分譲マンションだ。購入時に退職金を前借していたので、解雇されたときの退職金はほとんど借金返済に消えてしまった。家を買うときに退職金を前借するケースは多い。これは、企業側も社員も障害同じ会社で働く前提として考えた。終身雇用ならではのシステムかもしれない。

子供たちの入学金はボーナスを充てる予定にしていたので、現在は、いざというときのための貯金が三百万円弱あるだけだ。この貯金まで取り崩したくない。

リストラはある意味で仕方ないと孝志さんは言う。こんな時代、企業でも生き抜いていくためにはスリム化していかざるを得ない。それは頭で分かっている。しかし、それが”なぜ俺なんだ”という気持ちは今でも残っている。

「中間管理職なんて結局、誰がやっても一緒なんですよね。だったらなるべく中間管理職を斬って、その給料で若い人を二人雇い入れた方が会社としては機動力が出るし、新しいエネルギーも得られる。

 それは頭ではわかるんです。でもわたしは今まで二十年以上、会社のために一生懸命尽くしてきました。取引先からの評判も悪くなかったはずです。それを会社も評価してくれていると信じていた。会社員人生に疑問を感じたこともありませんでした。それがある日、人事部長から内線電話で『辞めてほしい』と言われて・・・・。電話一本で俺の会社員人生も終わりか、と。今も悔しい。なぜ自分なんだ。という気持ちは何時まで経っても消えません」

 電話を受けて、孝志さんはすぐに自分の上司である部長の所へ飛んで行った。部長とは信頼関係が厚いて思っていたからだ。ところが部長は孝志さんに宣告が渡されるのを見越していたのか、その日は一日中、外回りということだった。

 孝志さんは誰にも話すことが出来ず、その日は通常の仕事をこなすと、ひとりで飲みに行った。
「なんだか帰りにくくて、ついひとりで深酒してしまったんですよ。結局、家に帰ったのは夜中の二時でしたか。次の日がたまたま土曜日で家内もわたしも休みだったんで、子供たちが学校へ行ってから、二日酔いの抜けない頭で言葉を選びながら『じつは』と家内に話しました。その日は結婚記念日だったんです。夜は子供たちと四人で食事に行こうと前から話していたんですけど、それどころではなくなっちゃいましたね」

 その話をしたときの妻の反応を、孝志さんはあまりはっきりと覚えていないという。
「一瞬、息をのんだような気配は感じたんです。でも以外と、取り乱したりはしませんでしたね。それどころかそんなに驚かなかったような気さえします。私自身も、平静ではなかったから、家内の気持ちまで注意がいかなかったということがあるかも知れない。その後も自分の悔しさを家内に正面切ってぶつけた記憶はあまりありません。悔しいけど、だからといって家族に八つ当たりするわけにもいかないでしょう。

 ただ、会社を辞めさせられてから、私が体調を崩してしまいまして。今までの疲れとか、解雇のショック、やりきれなさみたいなものが一気に体にきたのです。そのとき家内が、『今までどおりに、家族四人、健康で暮らしていけばいいじゃない?』って。たぶん、言わなくても家内は私の気持ちが解っていたと思うんです。だからその一言がうれしかった。

 でも気分的にはけっこう波があります。わたしはあまり感情が激しいほうではないんですが、つまらないことでイライラすることも多くなりました。今年になってから求職活動をしています。でも、なかなか仕事にありつけない。そんなとき家内は、『焦らない方がいいわよ』と慰めてくれる。ただそう言われるとかえってムッとすることもあります、正直な話」

夫のショックを共有するむずかしさ

 失職直後の夫の状態は妻はどう見ていたのか。
「主人はやっぱり仕事にプライドを持っていたと思うんです。だから家計がどうこう言いう前に、リストラされたこと自体がすごくショックだったはずです。その辺は私自身も仕事をしているからよく解る。その朝、主人はなかなか起きてこなかったんです。

 土曜日はたいてい子供たちと一緒に朝食をとって私たちふたりで子供を送り出すことが多いんですけれど、主人は九時を回っても起きてこない。前の晩、遅かったのはわかっていました。たぶん、会社の人たちと飲んできたんだろうと思ったんです。

 飲んでもたいてい終電で帰ってくるはずなのに、なかなか帰宅しないので心配していました。夜中に寝室に入ってくる気配があり、私もようやく安心して寝たという経緯があります。

 朝の九時頃、寝室を覗いてみると、ベッドの上に座ってボーッと宙を見ているんです。『どうしたの?』と聞いたら、『じつは会社を辞めて欲しいと言われた』って。怒ったようにそれだけ言ってまたじっと虚空をにらんでいる。私はまずはショックが先でした。

 言葉は出てこなかった。どう言おう、どうしたらいいんだろう、そればかり。主人は基本的には明かる人ですから、あんまりぶっきらぼうな物言いをしないんです。それがあんな言い方をするなんてよほどショックなんだとわかったから、何も言いようがなくて・・‥。主人がその先を言ってくれるのを待っていたような気がします」

 その後、孝志さん本人が言うように身体を壊し、夫は寝たり起きたりという状態が一ヶ月ほど続く。
「相当、ストレスだったんでしょうね。どこがどう悪いというわけではなくて、心も体もぼろぼろだったんだと思います。その後も二ヶ月ぐらいは夜中に突然、ウワーと叫んで、ガバッと起き上がったりする。

 シングルベッドを並べて寝ているんですが、主人の叫び声で私もずいぶん起こされました。だけどもう決まってしまったことは仕方ないでしょう? なかなか立ち直ろうとしない主人に内心、いらだったこともあります。なんとか慰めようと思っても、それがかえって傷付けてしまうみたいでしたし。

 今年のお正月は主人のイライラが頂点に達していた時期だったので、子供たちはかわいそうでしたね。それでも何とか家庭が収まっていたのは、やはり私が働いているということが大きいんじゃないでしょうか。経済的にはたいしたことはなくても、昼間、ふたりで鼻をつき合わせていなくてすんだという意味で」

 ちょっと笑って間をおいたあと、今も夫のショックを、夫と同じように自分が感じているとは思えない、と恵美子さんは言った。ある意味で、非常に冷静で賢明な意見だ。いくら夫婦でも、同じように働いていても、やはり他人なのだ。相手の心の底をわかったような気になるより、本当のことは理解できないと思った方が、温かく接することができるのではないだろうか。

「十七年も一緒にいるのに、いざというときになると、相手が何を考えているのか解らないなんて、ちょっと虚しい気もしました。でもそういう経験をしたからこそ、今後も一生、連れ添って、主人の事をわかりたいと思ったんです」

「親父が悪いんじゃない」という息子

美恵さんは職場結婚だったため、当時の社風にのっとって退職している。だが長男を出産後、現在勤めている通信販売関係の会社に再就職した。子供を預けて働くことには抵抗はなかったわけではない。だがどうしても社会と関わっていたいという気持ちがあった。

「子供べったりになりそうで恐かったんです。というのは私自身、母親に過保護に育てられて、それがすごく重荷だったから。ですから、主人とも相談して、仕事も家庭もふたりで一緒にやって行こうと決めたんです」

 だがなかなか同じょうに家事を分担することはできない。夫の方がどうしても仕事に関わる時間が長いからだ。
「それは仕方ないですよね。だから保育園の送り迎えは私がほとんどやっていました。それを承知で、なるべく定時で帰れる仕事を選びましたから。でも土曜日や日曜日、主人は本当によく子供たちの面倒を見てくれた。普段の日も、週に二回くらいはわりあい早めに帰って来てくれましたし。

つきあいも含めて、男性どうしても時間的に会社に束縛されてしまうのは仕方ないと思っていました。ただ、上の子が小学生になると、私も職場で少しベテランになったせいか、残業を断れない状態になってきたんです。そのころがいちばん大変だったかもしれません」

夫婦だけはどうにもならず、近所の人や親戚の子に、保育園の送り迎えを頼んだこともしょっちゅう。あるいは恵美子さんが夕方、一度家に帰り、食事の支度をして子供たちを食べさせる。そこへ夫が戻ってきてバトンタッチで、美恵さんは会社にとんぼ返りというこが何度かあった。美恵子さんが会社の仕事を家に持ち帰ったことは数え切れない。

そうまでして美恵子さんが働いてきた理由とは、いたいなんなのだろう。
「じつは私の父親が小さいながらも会社を経営していたんです。小さい会社はどうしても世の中の景気のあおりを受けるでしょう? いい時もあれば悪い時もある。私が小学生のとき、父が仕事を広げすぎて失敗して、大変だった時期があるんです。そういうのを見てきたせいでしょうか。人生、いつ何時、何があるかわからないという不安が身についてしまっているんです。

 だからこそ、元気であれば子供がいようがどうしようが働きたい、と。父は仕事に身を入れすぎて家庭を顧みない面もあった。そして母は、子供にすべての愛情を注いで、ひたすらそんな父を待つだけ。なんかそういうの、嫌だったんですね、子供心に。だから私もできる限り社会と接点を持ちたかったし、主人にも家庭の一員であることを忘れて欲しくなかったんです」

 母親が働き続けることで、子供たちが寂しい思いをするかもしれない。一時期、美恵子さんもそんな葛藤に悩んだ。しかし、母親が家に居さえすれば子供は寂しくないのか、といえばそんなことはないのも、彼女自身がよくわかっていた。

「母は私たち三人きょうだいをとても可愛がってくれたけど、母自身がいつも寂しげなところがありましたからね。そんな母を見ているだけで、私は決して幸せを感じることはできなかった。もっと生き生きとしていてくれるなら、少しくらい母がいなくて耐えられる、そう思っていました。でも、うちの子供たちが感じているか分かりません。

 物心ついたときにはもう母親が働いていて、いつもいなかったわけだから。そういう母を持つたとあきらめてもらうしかないですよね。ただ、子供たちが恥ずかしいような生き方だけはしてこなかったから、後ろめたさを感じないように堂々としてるんです、私」

 親の生き方は子供に多大な影響を及ぼす。美恵子さんの場合、ふたりの子供たちは、「お母さんは働いているものだ」というふうに自然と感じて育っていった。専業主婦のお母さんの家庭とは違うけど、それはそれでいいのだとふたりも感じている節もあるという。だからこそ、長女は医者を目指すと言っているのだろう。自分も働く道を選ぼうとしているのだ。

 専業主婦であれ、働く母であれ、大事なのは美恵子さんが言ったように「堂々としている」ことだ。少しくらいかっこ悪くても堂々と生きていく。そういう親の姿が子供に悪い影響をあたえるとは考えにくい。

 しかも美恵子さんは、「人生、いつ何が起こるかわからない」と子供の頃から思っていた。だからこそ、夫のリストラという事態に直面しても、とり乱さずにすんだのではないか。彼女はどんなときも、ぬるま湯につかるようには生きてこなかったのだろう。

 では子供たちは父親に対してどう感じているのだろうか。とくに職を無くした今は。
「親父が突然、毎日家にいるようになったんですから、子供たちは最初、不審に思ったようですね。しばらくわたしが具合を悪くしていましたから、『身体が悪くて会社に行けない』と子供たちには説明していました。でもだんだんとそんなことはウソっぽいとわかってくる。とくに長男は反抗期で、どうやってつきあっていいかわからない時期でもあったんです。あんまり親と話したがらないし、一緒に出かけるのも照れる年ごろですから。

 でもあるとき、長男を散歩に誘ってみたんです。男同士、腹を割って話そうと思ってね。ふだんだったら長男も、『行かないよ』とにべもないはずなんですが、そのときはさすがに何かを感じていたんでしょう。黙って散歩について来ました。

 歩いて二十分くらいのところに河原があるんですが、そこに着くと、長男が突然、『どうしたんだよ』と話しかけてきた。そこで正直に、『リストラって知っているか』と言いました。そこからぽつぽつとありのままを話していったんです。長男はずっと黙って聞いていましたね。最後に言ってくれたんですよ。

『親父が悪いわけじゃない自やないか』って。憤慨した口調でね。それがうれしかった。情けない親父だと我ながら思ったけど、親父が情けないところを見せても、子供は案外平気なんだと初めて知りました。もしかしたら、弱い所も情けない所も見せた方が子供ともいい関係が築けるのかもしれない。

 十四歳というちょうど親がうっとうしくなる時期でしょう? 今、中学生の問題もいろいろ言われている。本当にむずかしい時期だと思うんですよ。そんなときに親に弱音を吐かれたわけだけれど、子供は意外と、変わらず逞しく生きていくものなんですね。ただ、最近、都立高校に志望を変えると言われた時はさすがにね。それはこれからじっくり話し合おうと思っていますが。

 娘ですか? 娘にもわたしから話しましたよ。娘は最初、『この家を出て行かなくちゃいけない』と思い込んでいたらしくて急に泣き出しちゃったんです。あれにはまいりましたね。とりあえずは今までと変わらない生活をしていけるんだということは説明しました。あとは女同士、家内がフォローしてくれるみたいです」

 孝志さんにとって大発見だったのは、長男の態度だ。それまで男の子ということもあり、孝志さんは長男には比較的、厳しく接してきた。”父親の威厳”という言葉も常に頭の中にあった。だが子供も十四歳ともなれば、ある程度、世の中の事も親の気持ちもわかってくる。下手に子ども扱いされるより、父親が「男同士」という態度で腹を割ってくれたほうがうれしいものなのだ。

 勇気を出して、かっこ悪いところをさらけ出してくれた父の気持ちを、長男はきっとこの先も、自分の人生の中で思い出すことがあるに違いない。

 長女はそれ以来、前に増して母親の手伝いをよくするようになったという。兄が妹に、「会社を辞めさせられたのは、お父さん自身が悪いわけじゃないんだ」ということを説明しているのを、美恵子さんがたまたま聴いてしまったことがある。

「息子と娘の部屋はそれぞれ二階にあるんです。娘に用があって二回に行きかけたとき、ふたりがそんな話をしているのが聞こえてきた。息子がいつの間にかすっかり大人になっていたことが意外な驚きでした」

 山野家にとって、孝志さんの失職は、経済的には大変なことだ、孝志さんの再就職もどうなるか解らないし、突然、リストラという目に遭った傷も決して癒えたわけでない。だが、そんな状況の中で、子供たちの成長を目の当たりにできるというプラス面もあった。

 それでも、当面の家計を支えている美恵子さんは、プライマイナスで考えれば、やはりマイナスのほうが、大きいという。

「今後の教育費の事を考えると、落ち込みます。ただ、現状がマイナスであっても、これから何年かけてプラスに持っていけたらいいなと思っているんです。とにかく今は、私が倒れないよう、家族で健康でいられるよう、それしか考えられない。逆に言えば、この先の事を計画する余裕がまったくありませんから」

 言葉からは、悲壮な感じが漂うが、実際に美恵子さんの口調は、それほど悲観的ではない。むしろ今は自分が頑張るしかないという潔ささえ感じられた。

リストラに名を借りた解雇と企業の実情

平成十年(一九九八年)二月時点で、総務省から発表した労働力調査によれば失業率は三・六%だ。とくに男性の完全失業率は三・七%、さらに世帯主の完全失業率も二・七%と過去最高となっている。

 派遣やパートの就業率は伸びているから、世帯主が失職してその妻が働きに出たり、正社員としてではなく派遣で働く男性たちが増えたということを裏付けている。人材派遣の会社では空前の登録率だという話を聞いたことがある。
 
 さらに四月の完全失業率は四・一%にはねあがり、景気はどんどん悪くなっているというのが実感だ。

 一方倒産した会社の数は、同じ平成十年の一月で千五百件を超えている。平成九年の一年間で倒産した会社数は一万六千三百六五件。このままでいくと、平成十年の倒産は九年の数を越える可能性が高い。

 銀行の貸し渋りは深刻を極めている。小規模の会社ではたった数百万円が払えなくて倒産するところもあるという。会社というのは借りて儲けて返すと言うのが当たり前で、そうしないとうまく回って行かない。

 それなのに運転資金や設備投資資金を貸してもらえないとなると、会社は経営方針自体を変えていくしかなくなってしまう。大手企業を支えているのは中小企業である。その中小企業が積極投資を控え、小ぢんまりとした経営しかできないのだから、最終的には経済界全体も活気がなくなっていく。

 倒産を防ぐために会社はさまざまな手段を講じる。まず経費節減。徹底的にむだを省いていく努力が必要となる。接待費、交際費、交通費を始め、いらない電気を使っていないか、コピーの紙からボールペンに至るまで、使える物を捨ててないかなどチェックも厳しくなっていく。さらには、給与体系の見直しなど、そうやってどんな方法を駆使しても業績が上向きにならない時、会社は最終手段として人員削減をせざるを得なくなるのだ。

「リストラ」という言葉が頻?に聞かれるようになったのは、バブル崩壊以降、ここ六・七年ほどのことだ。そもそもリストラとはリストラクチャリング、つまり企業の再編成、再構築という意味合いだ。

 好景気時には、企業が新規事業に進出して多角経営をするような前向きな戦略を指すことが多かった。だがバブル崩壊後は、経営縮小路線を意味するようになっていった。それを推し進めていくと、最終的には人員整理につながるので、今やリストラはイコール人員削減である解雇、あるいは社員側から見れば失業という意味でつかわれることが多い。

 しかし企業としては、先に述べたようにそう簡単に人員を削減してはいけないのである。リストラする場合は、まず経費節減の努力をしなくてはいけない。給与体系の見直しも含めて、どんなに経費を節減しても会社が存続しきれないとなったとき、初めて人員削減に手を付けるべきだ。

 そうやって人員削減に踏み切ったといても、最初は希望退職者を募るのが常道である。数年前には希望退職者には年収の数倍の退職金を上乗せする大企業もあった。

 だが、今は大企業といえどもなかなかそこまでの余裕はない。さまざまな理由をつけて社員を切り捨てていく。下手をするとリストラの名を借りた不当解雇もまかりとおる現状となっている。企業にとって都合の悪い人間を、リストラという名のもとに解雇してしまおうという作戦だ。
 ともあれ、現在の社会状況は厳しさを増すばかりである

「リストラを隠したことから別居に」〈夫・元大手商社勤務〉

給料を装い、口座にへそくりを振り込む
 高城ゆかりさん(三一歳)は、夫が大手商社をリストラされた三カ月後、二歳になる娘を連れて東京近郊の実家に帰った。夫と離れて、実家で生活すること一か月半がたった。

「別居生活がいつまで続くのか、私にもわからないんです。私の気持ちも整理がついていないし。今のところは、夫次第だと思いますけど」
 ひとりっ子のゆかりさんが孫とともに帰ってきたのを、彼女の両親は口では困ったという言いつつ、内心では喜んでいるようだという。

 友人の紹介で夫となる高城大祐さん(三三歳)と出会ったのは五年前。二年間の交際ののちに結婚した。ゆかりさんはいわゆるOL、一般事務に就いていたが、めでたく”寿退社”をする。大手商社に勤める国立大学出身の男性との結婚は、同僚にも羨ましがられた。

 ゆかりさんは目鼻立ちのはっきりした美人だ。高城さんはそんなゆかりさんに一目惚れしたらしい。電話や手紙攻撃がすごかったそうだ。ゆかりさんが、高城さんのどこに惹かれたのかというと――。

「やっぱり最初は、大手商社に勤めているということを友達に聞いて、じゃあ会ってみようかなと思ったんですよね。私も26歳になっていたし、これから付き合うんだったらどうしても結婚ということを考えざるを得ない。何のかんの言っても結婚って生活でしょう。私はひとりっ子だし、経済的にあまり不自由なく育ったんですよ。

 だから結婚も、お金で苦労したくないと思っていた。独身時代は自分のお給料はすべて自分のために使ったりためたりしていましたから。もちろんお金だけで夫婦が上手くいくとは思えないけど、基本的な生活レベルは落としたくない。だから企業名は大きかった。それで実際、付き合ってみたら強引ではない程度に私をリードしてくれる人いろいろな面で彼となら大丈夫だろうって確信したんです。それで結婚しました」

 結婚して夫の会社の借り上げ住宅に住んだ。夫の年収は30歳にして一千万円近くなった。ゆかりさんは専業主婦として、何不自由ない生活を送った。結婚後、ゆかりさんは働かないというのは本人の希望であると同時に、夫の願いでもあった。

 結婚してすぐに妊娠、かわいい娘にも恵まれた。夫も娘を可愛がり、たまの休日には近くの公園へ家族三人で出かけることもあったという。唯一の不満は夫の帰宅が遅いこと。休日を返上して会社へ行くことも接待ゴルフに行くこともしばしばだった。

 つまり夫はかなり仕事に忙殺されていたのだ。だが、それは裏を返せばエリート街道を歩んでいる証拠のようにゆかりさんは思えた。

 そこへ突然のリストラ劇だ。しかも夫は二か月間、妻にそのことをひた隠しにした。二ヶ月分の給料は、自分のへそくりを取り崩して、会社名でみずからの銀行口座に振り込んでいたらしい。ゆかりさんに言わせれば、「そのことが許せない」ということになる。

「私はほとんど主人の会社に電話をしたことがなかったんです。でもある日、私の母が急に倒れて救急車で運んでと父から電話があった。それで慌てふためいて、主人の会社に電話をしたんです。『家の者です』と告げると、電話に出た方が不審そうに、『高城さんはもうお辞めになっていますが』って言うんですよ。もう心臓が止まりそうでした。『何かの間違いじゃありませんか、私は妻ですが』と叫んでしまったんです。

 そうしたら私も知っている部長さんが出てくれて、『高城君には会社のために、他の方たち何人かとともに辞めてもらった。本人も了解済みですよ』って。妻のくせにそんなことも知らないのかというニュアンスがありましたね。私は恥をかかされたんです」

 ゆかりさんの口調に怒りが混じる。”妻”という立場を踏みにじられたことからくる憤慨なのだろう。その日、まるで会社から帰宅したかのように振舞う夫に、ゆかりさんは怒りを抑えて、昼間電話をしたことを告げた、夫は一瞬、顔色を変えたが、ばれたことは仕方ないといった様子で、リストラの経緯を話し始めた。

「夫によればリストラはある意味で、会社としてはやむを得ないんだと言うんです。今なら自分もまだ若いからやり直しもきく、と。会社は、むちゃくちゃな配置転換を言渡して、それが嫌なら辞めてくれという態度だったらしいんです。リストラはよくあることのようですね、

 夫は、ここで自分の歩んできた路線と違う仕事をさせられるくらいなら辞めた方がましなんだと淡々としているんですが、私は情けなくて胸が一杯になりました。どうして会社を辞めさせられて平気なのか不思議で仕方なかった。だって結局、”仕事ができないから、不要な人間だよ”という烙印を押されたようなものでしょう? 私が好きで結婚したのは、もっと仕事に燃えている彼のはずだったのに」

 憤懣やるかたないといった口調だ。二か月間、妻にも言えずひたすら会社へ行く振りをし続けた夫の気持ちを、ゆかりさんはどう思っているのか。さらになぜ妻に言えなかったのか、考えたことは無いのだろうか。給料日、自分の貯金を下ろして、会社名義で口座に振り込む男の姿を想像するだけで、非常にやるせない気持ちになるのだが――。

 退職が妻にばれたとき、夫は、淡々としていたとゆかりさんは言うが、本心からそうだったとはとても思えない。むしろ夫は自分のプライドを守るために、淡々と振る舞って見せるしかなかったのだ。裏を返せば、それだけ夫のショックは大きかったということだろう。

「それはわかります。でもやっぱり隠されていたのが私にしてみればショックですよね。ちゃんと言ってくれれば対処の仕方も違ったと思うんです。夫が私に言えなかったのはなぜなのか。考えたことはありますよ。今でもそれを考え続けているんです。私を信頼していないからかもしれない。でもそれは認めたくないんです。だって決して二人の間が上手く行っていなかったとは思えないから。

 どうして私に話してくれなかったの、と何度も夫に聞きましたが、明確な返事はこない。そうこうしているうちに、私の事が嫌いになったのか、妻として認めていないのか、と私は感情的になって問い詰めるようになってしまったのです。

 主導権をもってリードしてくれていた彼が何だか小さく見えるようになって、私はイライラするばかり。子供も情緒不安定になって、泣いてばかりいる。それで私はもっとイライラが募る。夫もちょっとしたことで『うるさい』とどなる。その繰り返しでした。そんな状態が一ヶ月くらい続いたところで、私の両親が、『ふたりとも少し離れてみたほうがいいんじゃないか』と。それを聞いて夫もそうしたいと言い出して‥‥」

ゆかりさんの目が赤くなり、言葉に詰まる

「ちょっとごめんなさい。コンタクトレンズが」
 と彼女はごまかして立ち上がった。だがコンタクトレンズが外れたり目にゴミが入ったりしたわけでないことはすぐにわかった。泣き顔を見せたくないのだ。彼女自身、自分の人生について、夫婦関係について揺れ動いているところなのだ。彼女にとって人生で初めて感じた挫折かもしれない。

 最初に「結婚は現実だから、経済的なことは無視できない」と彼女が言ったことで、私は彼女を見誤ったようだ。一瞬にして”打算的な女”という印象を持ってしまい、彼女を追い詰めてしまったのだ。知らず知らずのうちに、私はある種の反撥に近いものを彼女に持ち、それをにじませてしまっていたのかもしれない。

 ひとり暮らしの夫がうらぶれた人間に見えて
 洗面所から戻ってきた彼女は、化粧をしてきたのか、すっかりきれいな顔になっていた。私は彼女を刺激しないように、この三年間の結婚生活をどう思っていたのか尋ねてみた。

「何だったんでしょうね、この三年間。幸せでしたよ。それは確かです。でも私は彼のことを何も分っていなかったのかもしれない。彼はけっこういい私立の中学校、高校を出て、ストレートで国立大学に入った人なんです。ある意味でずっとエリートだった。そういう人が挫折したり苦境に陥ったりした時に、どういう反応をするのか、私には全く見えていませんでした。

 私自身も、そういう意味では挫折したことがないし・・‥。だからお互いに、相手を思いやる気持ちに欠けていたのかもしれません。だらしない妻だと思うでしょ、夫のリストラで別居だなんて」

 そんなことはない。お互い苦しんでいるではないか、と私は彼女に言った。むしろ大切なのはこれからふたりがどうするか、にかかっているのではないか。

「今も週に一度は彼から連絡が来ますし、子供にも会いに来ます。でもまだ、肝心なことが話し合えない状態なんです。彼はとにかく仕事を見つけるのに必死。ただ、いくら国立大学を出ていも、大手商社にいた経歴があっても、そう簡単に仕事が見つからないのが現状みたいです。彼は今までの給料は確保したいみたいですし。

 彼、今、小さなアパートに住んでいるんです。退職金や失業保険があるから今のところ生活は何とかなっているみたいですけど、本当に学生が住むようなワンルームの部屋です。狭いから、前に住んでいたところの家具は、ほとんど私の実家に運びました。

 彼の所にあるのはテレビとラジカセくらいかしら。たまに彼の所に子供を連れて行くんですけど、ちょっとうらぶれたような気持になってしまう・・‥。そなん部屋で暮らしている彼自身もうらぶれた人間に見えてしまうんです。そう思うこと自体がいけないのかもしれないけど」

 ひとりっ子で育った彼女は、本当にお金がなくて辛い思いをしたことがないのだろう。夫婦で働いて、この苦境を乗り越えようという意識は持っていないのかもしれない。もっとも具体的に考えると、子供が2歳では働くことはままならないだろうけど。

「夫は仕事が見つかったときに全てを話し合おうと言っています。それが夫婦としてやり直していく方向なのかどうかもわからない。夫は今の段階では、仕事のこと以外は何も考えたくないみたいなんですよ。だから私も今は子供のこと以外は考えるのを止めようと思っています。私の立場も”白紙”です」

 揺れるゆかりさんの女としての本音がぽろりと出た。思いがけない夫のリストラで、女としての立場が”白紙”になってしまったゆかりさんの気持ちは、きっと宙ぶらりんで切ないものなのだ。

 立場か不安定であり、行く先が見えないことほど、精神的にきついものはない。もっとフランクな夫婦関係を作っておけばよかったのではないか、リストラを知らされたときにほかに反応の仕方があったのではないかという思いはあるが、部外者が避難できることではないだろう。

 ゆかりさんから夫を紹介してもらうことはできなかった。今の段階で、夫の気持ちを刺激したくないという彼女の気持ちを尊重せざるを得ない。

 「正社員の口を求めて妻が奔走」〈夫・元機械関連会社勤務〉

社内での奮闘が突然むなしくなる
 夫のリストラという重大事件はなんとか受け止めたものの、現実的に生活していく上でまだ渦中にいる妻がいる。彼女は正社員の口を求めて東奔西走、ようやく就職先を見つけ、現在は試用期間中だ。

 首都圏近県に住む高橋正克さん(40歳)は、ほとんど社内虐めといってもいいような状態で一年ほど前に会社を辞めた。会社は百人程度の中堅企業。オーナー社長は、これまでも気に入らない社員は自分の鶴の一声で辞めさせてきたという経緯がある。十七年勤めてきた正克さんがなぜ、嫌われるようになったのかというと、営業としての実力のある正克さん仕事のやり方が社長の気に障ったとしか考えられないと本人は言う。

「会社のためになることなら自分が嫌われても素直に言うタイプなんですよ。だから仕事の方法とかシステムとかで気がついたことがあったら、何でも言うようにしてきた。というより言わないと気が済まないんですね。だって合理的に仕事を進める方法があるのに、旧態依然としたやり方ばかりしていたら、企業としての進歩がないじゃないですか」

 社長には、そんな正克さんの存在自体がだんだんとうっとうしくなっていったのだろう。さまざまな種類のいじめが起こる。営業車の運転席の下に盗聴器を仕掛けられたこともある。社長や上司の悪口を言ったら、それをきっかけに追い出すつもりだったらしい。

 営業日誌の書き方でねちねちと三日も文句を言われたこともある。過去の小さなミスをほじくり出され、それを解雇の理由にしようとするふしが見られたことも何度もある。

 正克さんは、だんだんそんな会社生活にばかばかしさを感じるようになって行った。
「こんなふうにしてまで自分は何故働いているのかと思うようになったんです」
 子供は、現在、小学校六年生の長女と三年生の長男のふたり。妻の陽子さん(三七歳)にはほとんど一目惚れという状態で、押しに押して、一四年前に結婚した。

「結局、僕が働いているのは家族のためだけだということに気づいたんです。もちろん、家族のために働くことは悪いことではないし、それにプライドももっていた。だけどこんな嫌な思いを毎日して、お金だけ持って帰る生活でいいんだろうか、はたして僕の一生は満足したものになるのだろうかと考えると、急にすごく空しくい気持ちになってしまったんです。40歳を目前にしていたことも大きかったのかもしれません」

 結婚した限りは妻には専業主婦として家にいてほしかった。彼が育った家庭では母親が仕事をしていて、あまりかまって貰った記憶がないだけに、自分の子供には寂しい思いをさせたくなかったのだという。おもしろいことに、男性の家庭観は自分の母親の影響によるところが大きい。

母親が仕事をしている家庭で育った女性は多くが自分も仕事を持つのに対し、男性の場合はパートナーに第一に母親であることを望むケースが多いように感じる。母親も働いていたから、当然のように妻にも働いてほしいと思っている男性は、まだ少ないのが現状のようだ。少なくとも今の30代半ば以降に関しては。

 正克さんも妻に母であることを望んだ。と同時に、家の事を妻だけに任せず、自分も積極的に参加した。家計も正克さんが握っている。給料から生活費だけを妻に渡し、この中でやって欲しいタイプだ。月に何度かは彼自身が家計簿を見直す習慣がある。こう書くと、神経質で細かな男性のように聞こえるかもしれないが、彼はスポーツマンで性格的にさっぱりしている。

 ただ、自分がかかわっていることについては、すべて把握しないと気が済まないというところがあるよだ。責任感がとにかく強い。もしかしたら、そのあたりが会社でも疎まれる原因になった可能性はあるかも知れない。

 その後も折に触れて間接的に、そしてしまいには直接的に退職を勧奨されるようになった。最初のうちは会社に負けるものかと気張っていたが、だんだんこんな不快な思いをするような会社人生なら投げ出してしまおうという気になっていく。

「なんのために働いているのか、これでいいのか、とずっと考えていたら、急に大黒柱でいることに疲れたんです。僕は結婚したから、子供がいるから大黒柱でいなくてはいけないと思い込んでいた。疑いもなかった。でも男が大黒柱でいなくてはいけないなんて誰が決めたのか。

 今まで十四年間、僕だけが外で働いて家族を養ってきたわけですよね。このあたりで女房に代わってもらってもいいじゃないかと思い始めたんです。もう子供も大きいし、女房が外で働いても特に困ることはないだろう、と」

 急激な変化だった。だが、確かに男がひたすら働きつづけなくてはならないなど誰が決めたことでもない。家族を養うためにだけに、尊重されないとわかっている場所にしがみつくのは、かえって彼のプライドが許さなかったのだろう。その気持ちは、同じ仕事を持つ身としてはよくわかる。

 たいていの男はそこで、”生活のため”と割り切って会社にしがみつく。自分の人生の満足度より、現実の金を選択するのだ。そうせざるを得ないのだ。あるいは決定的に会社から見捨てられるのが恐くて、居心地の悪さに耐えながら会社に居続ける。それもプライドを守る一つの手段にはちがいない。

 だが正克さんあっさりと会社を辞め、上乗せされた退職金で家のローンの残りをほぼ払い終えた。30歳で家を買う時、彼は45歳までには払い終える自信があった。そのやりくりのために自分で家系を握っていたのだ。年収は一千万円近くあったから、やりくりしだいでローンはどんどん減っていった。

 だが、そんな生活にも疲れてしまったという。あと多額の費用が必要なのは、子供の教育費だけだ。それは妻に働いて出してもらおう。自分は大黒柱を降りる。代わってほしい。すべての疲れが一気に出たのだろう。彼は妻に対して、そう宣言した。

“大黒柱”明け渡しの真相

「いきなりそう言われてもどうしたらいいのか。私はただ戸惑うばかりでした」
 妻の陽子さんの言葉だ。忙しい中、陽子さんには時間を取ってもらって、彼女の自宅近くの喫茶店で会った。確かに結婚以来、主婦という仕事だけしてきた陽子さんにとって、夫がいきなり会社を辞め、さらに大黒柱をおりたと言われてしまってはどうしたらいいか解らなかったに違いない。

「主人は、失業保険をもらいながら少なくとも一年間は、今後に備えて勉強したいって。それが一年以上になるかもしれない。だから生活費はお前が稼いで呉って言うわけ。結婚以来、私は主人に逆らったことがないんです。家で専業主婦をしてくと言われればその通りにしてきた。

 働きたいと思ったことはあるけど反対されていたから、外にでなかったんですよ。それが今になっていきなり働け、でしょう? 主人が会社を辞めたとか辞めさせられたとか、そんなこと以上に、私自身が働かなくてはいけなくなったほうが重大でした」

 だが陽子さんは、ここでも夫に反抗しない。言われた通り、いくつかの会社を当たってみるが、ほとんど年齢ではねられた。でも夫は失業手当を自分の勉強代にあてたいから、すぐにも生活費を稼いでほしいという姿勢を崩さない。陽子さんはとりあえず、ファミリーレストランでのパートの職を得た。午前九時から午後二時まで働き、三時間の間を空けて午後も五時から九時まで働いた。

 そして、昼間空いた三時間で就職活動をするようになったのだ。
「毎日、履歴書をもっていろいろな会社へ行きました。でもやはり年齢ではねられることがほとんど。35歳を過ぎると正社員の口はなんてほとんどありません。たまに年齢はいいという所があっても、私には仕事歴がほとんどない。短大を出て二年くらい勤めたところで結婚してしまいましたから。

 それからずっと専業主婦でしょう? 本当に何もできないのです。毎日、あちこち足を棒にして探しても、いい感触を得られることはまったくない。ビルの中にある会社なんか行くと、結構年齢のいった掃除の方がてきぱきと働いているのを見かけることがあるんです。そうすると『あの人には仕事があっていいなあ』とつくづく羨ましかった。

 私はいつも主人にボーッとしている、なんの危機感もないと言われてきたから、外に出るようになって初めて、社会で働いてお金を得るって大変なんだと思うようになりました」

 じつはこれ、正克さんならではの戦略だったのだ。結婚して十四年たち、自分が仕事を無くすかもしれないという状況のとき、彼は妻との接し方を間違えたと痛感したのだという。
「結婚当初はけっこうよく話す女房だったのに、いつの間にか自分の意見を言わなくなってしまった。僕が会社で危機にさらされているときも、女房は僕の文句を聴いているだけで全く意見を言わない。

 こんな関係で、この先も一緒にやっていけるのだろうか、これでいいのだろうかと考えてしまったんです。その結果が、大黒柱を女房に明け渡すということ。男が外でどんなに大変な思いをして働いているか、それを実感すれば、女房の方も僕に対する考え方が変わるかもしれない。接し方もきっと違ってくるでしょう。
 男が給料を持ってくるのが当たり前という考え方がなくなって、もっと感謝してくれるようになるんじゃないかと思うんです」

 正克さんのその言い方に、私は一瞬、あっけにとられた。”大黒柱をおりたい”という言葉だけ聞いたときは、彼は自分が男であるからリードしていかなくてはいけないという保守的な考え方を脱したい、男女の性を越えたいと感じているのだと私は認識していた。

 妻が働くのを望んだのも、妻と対等になるためなのだと早合点していた。夫婦の関係自体をもっと風通しのいいものにしたいと願っていると感じていたのだ。だが、彼は結局のところ、保守性をもち続けているに過ぎない。なぜなら、彼が妻に大黒柱を明け渡そうとしたのは、自分の大変さをわかってもらいたい、もっと自分に感謝してほしいという気持ちの裏返しなのだから。

 陽子さんがパートとはいえ一日中、働いて、しかも正社員の口を求めて東奔西走しているあいだも、彼はほとんど家事を手伝っていない。大黒柱を降りるなら主夫として家の中の事はやってもいいのではないだろうか。

「でも前に比べれば、ずいぶん手伝っていますよ。彼女が正社員になったら、僕が家事を全部やると言っているんです。とにかく今は彼女にとって、修行のときだから」

 彼は自分なりに、本気で今までの夫婦関係を変えようとしているのだろう。だがそのやり方が性急すぎるのと基本的な保守性を脱していないのとで、かなり強引さが感じられる。妻に相当な無理を強いていることにも思い至っていない。いや、わかっているかもしれないが、あえてその苦行を貫かせようとするのはちょっと酷いのではないか。

 そのあたりは妻の陽子さんには内緒にしてほしいと言われた。だから私は陽子さんには話していない。陽子さんは八ヶ月ほど、家事兼稼ぎ頭の一人二役の生活を続けた。

 朝は六時に起きる七時までには朝食の用意と、夕食の下ごしらえをする。子供たちを送り出した後片付け、掃除、選択を済ませて九時前には近くのファミリーレストランへ出勤。二時にから五時までは会社訪問、時間に余裕があれば夕食の支度に家に戻る。それが出来ないと分かっている日は、温めれば食べられるように朝、夕食の支度をしておく。

 炒め物くらいなら夫がやってくれるが、それでも素材は切っておかなくてはならない。買い物は土曜日か日曜の昼の空き時間、あるいは週に一度の休日に買いだめしておく。夜、選択して朝干すこともしばしばだという。

 女の頑張りとは、かくもすごいものかと思わされるほどだ。夫はといえば、家で勉強しているかスポーツジムへ行っているか。どちらにしても妻より楽そうだ。

折れ続けた妻の苦しみ

夫は妻が意見を言わなくなったと言うが、妻から言わせれば、自分自身を無くしてしまったほうが夫との生活がしやすかったという側面もありそうだ。

「結婚してすぐの頃は私もよく意見を言いました。でも何を言っても、主人に論破されちゃうんです。あの人の言うことはたいてい理屈が通っている。たまにおかしいなと思うことがあっても、あの人は言葉数が多いし、私はもともとのんびりしているたちなので、いつの間にか言いくるめられちゃうところがあるんです。

だからだんだん言うのがおっくうになってきてしまった。言わなければぶつかることもないから。主人は少し物足りなく思っているのでしょうけれど、私はあまり議論ってあまり好きじゃないんです。

私が黙ればすむならそうしていたい。でも私、実家の父にさえも怒られことがないのに、主人には本当によく叱られました。主人は知らないと思うけど、私、納戸家を出ようと思った事か‥‥」

彼女は目を拭った。やはり彼女も泣いてしまった。彼女自身もまた夫のリストラの犠牲者である。夫のリストラに近い退職であったからこそ、思ってみなかったようなつらい現実をいま現在、ここでこうして抱えている。

実際、この本を書くために取材しているあいだ、本当に多くの女性たちの涙を目の当たりにした。夫のリストラを経験した女性たちは必ず、それぞれに予想もつかなかったような問題をいきなり目の前に突きつけられてしまうのだ。それでも現実に立ち向かっていく女性たちは本当に強い。

「私だって子供がいるから、頑張っているんです。子供の健康保険も、今は主人の国民健康保険にいっていますけど、やはり国よりは、企業の社会保険にしておいた方がいいと思うし。だから夫婦どちらかが正社員でないとまずいんですよ。何とか早く、ある程度のお給料をくれる所で社員になりたいと思っているんです」

 彼女が”空しくなってしまった”夫の心理を理解するのは、正社員として働き出してしばらくたったころかも知れない。高橋さん夫婦は、そこから再びスタートを切るのだろう。

 後日、陽子さんから連絡を貰った。ある食品関係の会社から合格通知をもらい、現在、試用期間中だという。だが、試用期間が過ぎても必ずしも正社員になれるかどうかはわからない。

「最近、企業もずるくなっていて、試用期間だけ多めに人数をとって、思いきり働かせて、挙句の果てに正式に採用できる人材ではなかった、だからここまでで、はい、さようならというケースも増えているんです手。だがどうなるかわからないですね」

 声に、少し張りがあった。正社員になれるかはどうかは解らないものの、少なくとも希望が持てる状態になったからだろう。ただし、会社が遠いので、八時前には家を出て、夜は遅い時で帰宅が十一時を回ることもあるという。

 五時半に起きて朝食や夕食を作るのだそうだ。営業職なので仕事がきつく、勤務を始めて一週間で体がぱんぱんにむくんでしまった、と陽子さんは電話の向こうで笑った。

「でも最近、主人がお風呂を沸かして待ってくれるんです。何があっても私より先に寝るわけにはいかないって。しかも、私が帰ると、その日の話をすごく聞いてくれるんです。疲れていて寝てしまいたいという日には、何も言わずに寝かせてくれる。ずいぶん、変わりましたよ、主人」

 夫の戦略は功を奏しはじめたのだろうか。無謀な戦略だと思ったし、男の大変さを女もわかれという言い方が保守的な感じがしたのだが、やはりどうしたら夫婦の関係を変えていけるのかは、当事者でないと解らないに違いない。正克さんも、実際に奥さんが試用期間とはいえ働き出したのを見て、自分も今までより家の中のことをやらなくてはいけないと思いはじめたのかもしれない。

 あるいはある程度の時間がたったら、もともと自分が家事をやるつもりでいた可能性もある。「奥さんが可哀そうだ」となじるように正克さんに言っ自分の浅はかさに気づいた。
「私、頑張ってみます。子供たちのためにも」
 陽子さんの口から、主人のためにという言葉は出なかったが、「子供たちのためにも」の”も”には、おそらく夫も含まれているのだろう。彼女の奮闘ぶりが報われる日が来ることを祈るしかない。

より巧妙になる退職勧告

 ある弁護士から聞いた話だが、リストラの方法は今やかなり進んでいるようだ。最初は当然、希望退職を募る。退職金もかなり上乗せするところも多い。それでも人員を削減しなくてはならなくなると、今度は部署ごとに、あるいは対称人物を決めての削減となる。

 退職を勧めるいわゆる”肩たたき”や、閑職に追いやる、俗にいう”窓際”への配置転換という例もある。今までとは全く違う仕事をさせ、音を上げさせるように仕向ける手口も多く使われる。あるいは些細なミスを取り上げて突然の賃金のカット、降格(課長から係長へなど)もあるし、遠方への赴任命令が下さることもある。ありとあらゆる手段を使うといっても過言ではない。

 なかでも驚いたのは、A社とB社とC社がグルになってある人を辞めさせようとしたことだ。A社が、Zさんを退職させたいとする。退職勧奨をしてもZさんは首を縦に振らない。だがZさん自身、会社が自分に辞めてほしいと思っていることを知って動揺している。

 そこへ取引先であるB社の役員が、一役買うのだ。つまり「Aのような会社にいても仕方ない。君の実力は僕がよく知っている。君ならC社でも十分、やっていけるぞ」と甘い言葉を投げかける。

 Zさんは自分に自身を失いかけていたところだから、その言葉に心を動かされる。そしてB社の役員は、C社にZさんを紹介するのである。C社は現在の給料とほぼ同額を出すなど、Zさんにとっていい条件を提示する。「この条件なら、嫌な思いをしてA社に残る理由は何もない」とZさんは転職を決意する。

 ところがC社も当然、一枚かんでいるわけだ。Zさんに試用期間を言い渡す。たとえば三か月間。そして試用期間が終わったとたん、「やっぱりうちでは使えません」という理由で解雇。解雇というよりは正式採用拒否という形をとる。そんなことは思っていなかったZさんは、そこで初めて深刻に焦る。

 ところがこれはよほど注意深くないかぎり、三社がグルだったなどと、当のZさんにはわかりようがない。

 この例はB社の役員が個人で加担した例だが、現在ではヘッドハンティングに名を借りて、人材関係の会社がこういうリストラ請け負いまでしているという。アメリカではこういうケースがとても多く、日本でも今後、もっと盛んに行われるだろうと予測されている。

 自分の実力を買われてのヘッドハンティングだと思ったら、たんなるリストラの方策の一つだったと知った時の本人のショックは計り知れない。二重三重のショックを受けるに違いない。

 また、ある心理カウンセラーに聞いたところによると、企業のカウンセラーをしていると、上の立場の人から、「こういう人がカウンセリングルームに来たら、退職を承諾するような方向に説得してください」と言われるケースがあるそうだ。カウンセラーも非常に悩んでしまうのだという。

 企業にやとわれているとはいえ、退職したくなくて悩んでいる人に向かって、退職を承諾刺せるように説得するのは、自分の仕事に対して忠実でなくなってしまう。といって、それはできないと断れば、カウンセラー自身が仕事を失う恐れがある。誰もが生活を抱えているのだ。おいそれと仕事は手放せない。

 リストラを言い渡す側の苦悩もある。ある企業の五十代の人事部長はここ数年、リストラ対象者を説得する役を一手に引き受けている。彼の温厚で人望のある人柄を見込まれての事なのだが、彼自身はそれが辛くて、会社に行くのがたまらなく嫌になる日がしょっちゅうだという。

「恨まれていると思いますよ。私も会社の命令で、仕事としてその任務を引き受けているわけですが、リストラを言い渡される側にすれば、怒りをぶっける対象は”会社”という巨大な存在でなく、目の前のわたししかいないんですよ。

 だから罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられるのはわりとよくありますし、目の前で泣かれたこともある。じつは殴られたこともあります。もう少しエスカレートすると、自宅に無言電話やカミソリの刃入りの手紙が送られてくる。いちばん恐かったのは、朝、妙に早く目が覚めて、新聞を取りに行こうと玄関を開けたら。

なんと切り取った猫の頭部が置いてあったこと。ぞっとしました。誰がやったのか見当もつきません。人間の怨みの深さにただ茫然として・・‥。その時の気持ちをどう言葉にしたらいいか分かりませんね」

一瞬、警察に届けようかと思ったが、やはり会社を辞めさせられた人間の怨みを自分で一手に引き受けようと覚悟し、猫を自宅の庭に葬った。今でも時間があればそっと手を合わせるという。

「ただ、この仕事がそろそろ一段落するんです。そうしたら最後にわたしがリストラされるでしょう。もう会社にとって、私は不要な人間になるわけですから。それは覚悟しています‥‥」
 このように当事者のみならず、いろいろな人を巻き込んで、リストラの波は広がりつつある。
つづく 第2章夫の失職と家族のきずな

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。