1、思春期やせ症とは
「皮膚を被った骸骨」と、R・モートンは一六九九八年に一八才の女性と男性について記載し、「神経性萎縮症」と名付けた。読者のなかには、このような姿の女性が、弱弱しいというより、むしろ生き生きと表情で、パック入りの海藻サラダなどを、一抱えも購入するのを目撃したことがないであろうか。筆者は、現在では思春期やせ症と呼ばれている病気の、いわば自然経過(発症後治療を受けないで過ごしたという意味)例とも言える四三才の女性を、民生委員から紹介されたことがある。
この人は、一〇才代で無食欲となり、高度のやせと無月経が惹き起こしたが、三〇才半ば頃までは母親とともに暮らしていた。弟が結婚して同居するようになると、殊のほか食事をめぐってトラブルが絶えず、家を出た。しかし、やせ衰えているため、仕事先でも断られ、生活保護に頼らねばならなかった。民生委員から、医療を受けて健康を回復するように奨められ、病院に伴われたのが受診の経緯であった。
見ると身長は一五一センチであるのに対し、体重は二五キロしかなかった。骨の上にしわだらけの皮膚が覆った顔貌、ほとんど抜け落ちて、まばらに残っただけの頭髪、褐色のシャツ、ズボンの姿などから、この人が女性であるとは到底思えなかった。のちに行われたロールシャッハ反応で、現在の自分が少しやせていると感じるものの、もっと?せて美しくなりたいという願望が示されたのには驚かされた。
この病気について、日本では下坂の優れた研究と歴史的展望がある。それによると、モートンの記載から一八〇年経た一八七三年に、W・ガルとE・C・ラセーグがたがいに独立して、心理的要因による無食欲症の詳細な臨床像を報告した。
それは、(一)主として若い女性が、(二)食べないで、(三)高度にやせ、(四)無月経になるというものであり、心理的に食行動を象徴的に利用して、他人を意のままに動かして目的を達成することが示唆された。一九〇〇年初頭には、P・ジャネが、無食欲症には上述のようなヒステリー型の他、強迫型を示すものもあると述べている。
強迫型は、食べること、太ること、成熟した女性になることを恐れるが、多くは肉体を嫌悪して、食欲を含むあらゆる欲望を抑制できないことに罪悪感を抱いているという。しかしジャネは二つの型を、はっきり区別するのが困難な場合があるとも述べている。
その後一九〇〇年の前半には、心因性の無食欲症とうつ病などとの区別や、脳下垂体疾患との区別が議論され、後半になると、定型的なものとそうでないものとの異同をめぐって研究が行われるようになった。
今日では無食欲に無茶食いのエピソードを伴うものまで含めて、摂食障害という概念で論じられる傾向にある。この章では、思春期やせ症という用語を用いるが、そりは本書の主題である「性の自立」が思春期の課題であり、この課題が食べないで痩せることによって、いかに損なわれるかについて考えたいからである。
ところがこの病気の恐ろしさは、食べ物を摂ることを極度に制限するか、または否定して、骨と皮になるまで痩せても、自分はもっと痩せなければならないという考えにとりつかれ、この考えが病的であるという自覚が失われることにある。モートンの女性例は、初診後数ヶ月で死亡した。思春期やせ症の人が死亡するのは稀ではない。
死亡率は痩せ症の持続期間によって異なるが、いくつかの報告を平均すると三パーセント前後といわれる。やせ症にとりつかれると、食べないだけでなく、緩下剤や利尿剤を利用したり、自分で嘔吐することが多く、それらの行為の結果、体内カリウムが激減して、致命的な心筋不全収縮を起こして突然死する。死に至らないまでも、体内脂肪の含有量が、体重の二〇パーセント以下に減少すると、思春期以降の女性では月経が停止する。
思春期前の少女であるなら、成長スパート期に期待される身長・体重の増加が起こらない上、二次性徴の発達が遅れる。年齢平均の体重が二五パーセントを越えて下回るやせ症の人の、性ホルモン分泌のパターンは、子どものパターンに似ているといわれる。
性ホルモン反応の異常は、男性のやせ症でも同様に起こり、それに伴い性衝動が減少する。思春期やせ症は回復しない場合、死を招くか、そうでなければ生殖能力や、恋愛をする能力の発達・健康を慢性的に損なうのである。
2、思春期やせ症は増加している
ガルやラセーグの時代にはきわめて稀であった思春期やせ症が、第二次大戦ことに過去30年ほどの間に、欧米諸国で、またその後を追う形で我が国でも、男女両性でとりわけ女性に、すさまじい勢いで増え続けている。A・H・クリスプらによると、イギリスの私立学校では、一六才から一八才の女子学生の一〇〇人に一人が、やせ症の重篤な徴候を示すという。
日本では末松らが全国の擁護教論に依頼して、高校女子生徒のなかでやせ症の疑いのある者の調査を行ったところ、一万人について、大分県で八人、東京都で一七人、京都で二〇人であった。大まかに言って我が国では、思春期の少女の千人について、少なくとも一人がやせ症の徴候を示すといってよい。
ちなみに筆者は、本稿の題名を主題とする講義を受けた男女大学生三三四人へのアンケート調査から、節食によって平均体重の二五パーセントを越える体重減少と、六ヶ月以上維持する無月経を惹き起こしている女子学生二人を見出した。
女子受講生は一七二人であったので、筆者の周辺では、青年期の女性一〇〇人一人が、やせ症の疑いを示すことになる。この数字は、やせ症が一般に、知的に高い女性に多いといわれていることを裏付けるものであるのか、あるいは先に挙げた日本での数字が、一九八〇年代前半の調査に基づくので、その後の数年間にやせ症の有病率が更に高くなっているのかは、今のところ分からない。
いずれにしても、P・ダリーによると思春期やせ症らしい記載は、新約・旧約聖書にも、古代ギリシア・ローマ時代の文学にも、また中世修道院の記録にも見られないというから、思春期やせ症が現代の流行り病のように喧伝されることには肯けるものがある。
3、思春期やせ症のはじまるきっかけ
「私の年代の少女は、体重や体型をいつも気にして、痩せたいと思うし減食している。友達の誰かが数キロやせた痩せたというと、私は影響を受けてすぐ始めてしまった」
「父に太ももが太くなったと言われ、ショックだった。私は入浴時に鏡を見て、自分の体型がこれまでと変わっていることを知った。毎日皮膚の厚さを測るようになった。減食を決心し、脂肪とご飯を食べないで野菜と海藻だけを食べることにした。髪の毛が抜け始めても、痩せたのがうれしくて気にならなかった。
「ひとより早く生理が始まった。体形の変化も人より早いみたい。私が食べるのを止めたら、成長がゆっくりになって、友達が追いついてくるのではないかと思った」
これらは、痩せ症から回復した少女たちの発言である。一般的に言って、節食を決心したきっかけを、病初に周囲の人たちが理解するのは極めて難しい。とりつく島もない拒否的な態度を示したり、わざと快活に節食を否定するからである。多くの痩せ症の少女は思春期の体型の変化に敏感であり、実際の姿より大きくまた太っている知覚する歪んだ自己身体像をもつといわれる。彼女たちは節食を始めるのと同時に,身体を動かすことに熱中し始める。
常に身体を動かす行為はエネルギーを消耗させる目的の上で理にかなっているように思われるが、彼女たちは体型にこだわりだけでなく、拒んでいる食べ物へのこだわりも強いので、それらを払い除けようとしているかのように見える。スポーツだけでなく、学業にも過度に熱中することが多い。
少女たちが節食を決心するきっかけとして、心の準備ができないうちに余りに早く、思春期の身体成熟の徴候が到来したり、あるいは成熟が急速過ぎることが関わるというのはありそうなことである。確かに、思春期やせ症の少女たちは、そうでない少女たちより初経が早いというデータも示されており、近年の成長促進現象や成熟の早期化傾向が、思春期やせ症の増加に影響をしているのは歪めない。
4、思春期やせ症は単なる節食の行き過ぎではない
「私の育った家庭は欺まん的なものだった。父は母のつくった料理の一部を必ず残すのだった。父は外食する時にはきれいに食べたから、私は子ども心にも食べ物が将来情緒的武器になると考えるようになった」
節食を決心した少女たちは、やがて食べないことがもつ象徴的意味を利用して、周囲の人たちとの関係を操作するようになる。
「中学二年のとき私はバレー・ボールに熱中するようになった。母は、妹に体を壊すからと運動部に入らせなかったのに、私には逆に奨めたので、母から大切にされていないと感じて意地になった。私は母から奨められたバレー・ボールで身体を消耗した上に食べないで死んでしまえば、そのときこそ母が私に関心を持ってくれるだろうと思った」
「中学三年のとき、高校入試のために部活動の剣道を中止した。その後太ももに贅肉がついたので節食を始めた。高校に入ってからは、手足の不自由な友達の世話を引き受けている。家でも父が珪肺で仕事を辞めて、姉が知恵おくれである。兄が二人いるが、家を出た。母は働きづめ。家事は僕がしてきた。過労のためかむくみが出た。入院先の内科医から精神科へ行くように奨められた」
これらの言葉からは、ハンガー・ストライキや殉死の手段に訴えて、人の心を動かそうとする行為が思い起こされる。思春期やせ症の人たちが心を動かそうと試みるのは、主として彼らの母親である。
「東京の大学に入学してから、体重が確実に減った。家に戻り母に会ったとき、二つの感情があるのに気づいた。一つはやせて美しくなった嬉しさであり、もう一つはやせて弱々しくなったという安心感である。私は母から離れ寮で友達と付き合うことに不安があった」
思春期やせ症の少女が食べないことには、やせて美しくなることで、劣等感から自尊心を回復したり、小さな娘のままでいることで、いつまでも母親に依存できるという意味のあることがわかる。
次は、友達に影響されて節食を始めた少女の例である。「友達に引きずられたというより、その友達と痩せる競争をして勝ちたいという気持ちがあった。治療を受けるようになり、無邪気で明るいその友達に対して、羨望と嫉妬の気持ちがあることに気づいた。明るい友達が一人の人間の表半分とすると、私は陰気で孤独な、裏半分の人間である。
食べないことは、嫌な自分を否定するための、肉体的な罰のようなものだった。私の自己像には、小さい時から摂り入れた母のイメージが重なっていたと思う。母の疑い深さや、影日向のある態度、愚痴っぽさが、小さい時からたまらなく嫌だったが、人から嫌われる私にも、母と同じ欠点があるのに気付いたときはショックだった」
この少女にとっては拒食が自己否定的な肉体の苦行としての意味をもつことが述べられている。。また嫌悪する自己像は、女性として同一化の対象であった、母親のイメージの内在化したものであるという。
ここで引用されたのは無数の思春期やせ症のなかの一部でしかないが、思春期やせ症が単なる節食の行き過ぎではなく、ひとりひとりにとって特別な意味を持つ飢餓の状態であることがわかる。
5、思春期やせ症を育てる社会化環境
筆者は最近、ほぼ同じ時期に、二次性徴の現れていない、二人の小学生のやせ症を治療する機会を持った。二人は、飽くなきやせの追求と高度のやせという、共通の病態を示したが、文化・社会的背景については、それぞれ大都会で育った子ども、過疎地で育った子供というように、対照的に異なっていた。
しかし治療を進めるうちに、彼女たちを取り巻く社会環境は、驚くほど同質であることがわかった。思春期やせ症の成因については、多くの見解があり、個々のり患しやすい身体的要因、性格傾向、家族関係などがあげられている。おそらくいくつかの要因の組み合わせが、罹る人によって異なるのであろうが、思春期やせ症が流行病といわれるほど増加していることを説明するのは難しい。
思春期やせ症を理解するうえで、鍵となる心理的特徴の一つは、体重増加・体型変化への恐れであり、他の一つが成熟への嫌悪であるとするなら、現代の子供たちが育つ社会化環境の特性を考えることに意義がある。
第一の例には、大学教授の父親と高校教諭の母親を持つ都会の女児である。母親は、几帳面で何事も完璧にやり遂げねば気が済まない性格といわれ、子供への躾として、「食べたら三分以内に歯を磨くこと」とか、「食べたらマラソンをしてエネルギーを消耗させる」などを徹底してきた。
母親自身は、最難関と言われる大学を卒業し、結婚前後を通じて研究生活を続けているので、このような強迫性は、自身のキャリアには幸いしたと思われる。しかし子供がひとたび拒食を始めると、しつけられ強迫的な習慣は、回復を困難なものにした。
高度のやせにも拘わらず、栄養を補給されると、エネルギーを少しでも減らそうとして、ベッドの上で逆立ちをしたり、病院内の階段を際限なく昇降したからである。彼女は、小学校に入学するや、母親の出身大学に進むため特別の塾に通い、最上位の成績を保っていた。あるとき、妹が別の事で賞を取って母親から誉められるという出来事があり、それをきっかけとして厳格な摂食を始めた。
その頃偶然にも父親から、彼女の体つきが娘らしくなったと言われている。子どもの拒食に対して、両親が食べるように強制すると反抗して暴れ、放置すると一滴の水も飲まないという状態が続き、郷里の病院に運ばれた。彼女は、初めて会った筆者に「私はゼロ才保育児だった」と打ち明けた。この言葉から、完璧な躾を行ってきた母親が、実は手塩に掛けて育てていないことがわかった。
母親は仕事に生き甲斐を求めていたのであるが、「人並みに結婚して、子供を二人くらい欲しい」と考えて結婚し、希望通りに二児を得たということであった。仕事を続けるために当然のことをして、子の養育は保育園に委ねられた。母親は複雑な家庭に育ち、生母を知らないため、自身が母性的なイメージを持っていないと、のちに述べている。
少女の父親は、子どもが「母親の価値観にあまりにも過度に適応してきた」と批評するものの、家族関係を変えるほどの力を示していない。
第二の例は、過疎地の漁村で土木工事に従事する父親と、タクシー運転手として働く母親との間に育った女児である。この母親も生後間もなく生母と別れて、義母や義理の弟妹たちに尽くして成人した。結婚して四児を得たが、子どもたちの養育は姑に委ねて、一家の生計を担った。
漁村で女性が男性と肩を並べるほどの収入を得る唯一の職業は、タクシー運転手しかなかった。父親は、仕事が常にあるわけでなく、酒におぼれがちな生活であった。四児すべて女児であったが、母親は、その土地で優れた男児が、進学する国立高等専門学校への進学を期待した。
三人の姉たちはみな母親の期待に沿ってその学校に進み、やせ症になった少女も、その学校を目指す塾に通っていた。塾は男児ばかりの集団であったが、彼女は常に首位を保っていた。小学校五年のとき、少女の姉の一人がカー・レーサーになった。その頃少女は、友達に体型の変化を指摘され節食を始めたが、母親に対する姉の反抗を見るや、節食は拒食へと転じた。
二人のやせ症女児の社会環境は次の諸点で共通である。すなわち、(一)母親が子どもを養育していない、(二)母親自身が〈たまたまいずれも生母に育てられなかったため〉同一化する母性性のイメージをもたない、(三)母親は、女も男と並んで社会に進出すべきという価値観を持つ、(四)母親の抱く価値観がこの養育方針として優位に支配的である、(五)父親は暗に母親の〈女らしさ〉に批判的である、(六)学童集団も高学歴を志向する男性的競争原理で成り立つなどである。
このような環境で子どもが育つ場合、思春期にどのようなことが起こるであろうか。思春期には男女児ともに、身体成熟の変化が始まり、自分が男性であるか女性であるかを意識する。同時に同性の親の考えと振る舞いをモデルとして、男性的役割(男らしさ)、女性的役割(女らしさ)を摂り入れねばならない。
正常な性同一性が発達するためには、同性の親への同一化が行われることが前提となるが、その際同性の親が異性の親にどのように受け入れられ望まれているかが重要な意味を持つ。
先に要約されたような環境では、とりわけ女児の場合、児童期に男児と同様の自己実現の基準を課されて来るのであるから、思春期に混乱が起こっても不思議ではない。更に、自己に組み入れるべき女らしさのイメージ、あるいは母性性のイメージが、母親を通してだけでなく父親を通しても不明確であれば、心理的な意味での性成熟の回避が起こり得る。節食あるいは拒食が進むなら、身体面でも性成熟は回避される。
このような環境は、二人のやせ症児にのみ特有なものではなく、先進諸国で見られることの多いものである。思春期やせ症が、先進諸国で殊のほか急増している背景には、すでに触れたような、成長促進現象・早期早熟化現象と節食行動の流行の他、特に女性の同一性確立を妨げるような社会化環境が関わっていそうである。
もとより、このような環境に置かれた子どもたちが、どのような大人に成長するかは。子どもの適応の型や能力によって異なるものである。第一例の妹は、始めから(小さい頃から)母親の期待に応じなかったし、第二例の姉の一人も、ある時期から母やの期待とは反する行動に出た。
H・ブルックは、思春期やせ症の少女たちを、母親に過度に保護され自由を失った「金色の籠の中の鳥」と比喩的に述べる。しかし、彼女は「入れられてきたのではなく、自分が鳥かごを作り出した」と、少女たちが気づくことに意義を見いだしている。
思春期やせ症になる子どもは、ならない子どもと比べて、母親の価値観に沿う、より「良い子」として育つ。その子どもが思春期の身体成熟に直面して、節食を決意するとき、食べ物のコントロールを通して、自分の個性をコントロールしようと試みる。しかし、彼女たちが自分の身体外見にのみ没頭して強迫的な節食を続ける限り、個性を伸ばす余裕は失われる。「自分が鳥かごを作り出した」と気づくのは、「やせている」という、みかけの理想が真の充足をもたらしはしないことに、気づくことでもあろう。
人はジェンダーとしての性をもつだけでなく、性的役割(男らしさ、女らしさ)を引き受け、性愛・セックスの対象として異性を選択して生きる存在である。性的役割の意味・意識は時代により、また社会によって変化する。社会の変化が急激であればあるほど、性的役割意識の混乱も大きい。思春期やせ症が増えていることを理解するには、成熟の生物学的側面とともに、性・セックスの役割についての意味・意識を、社会文化的枠組のなかで捉える必要があろう。 古元順子
つづく
性の不能―インポテンツはなぜ起こるのか
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。