彼は女性であるのに、副腎から間違って男性ホルモンを大量に分泌して、外性器を男性化する副腎性器症候群を取り上げています。副腎性器症候群では、肥大したクリトリスがペニスと間違われて、女性であるのに出生時男性と判定されることもありますトップ画像

ピンクバラ6、社会・文化の性・セックス

 ヒトは、誕生したときの外性器の形(一次性徴)から、女性または男性のいずれかに性別判定が行われます。
 この出生時の性の判定に基づいて出生届が提出された女性または男性としてそれぞれの社会や・文化の中で育てられます。ヒトが生まれ育つ社会や文化は、すでに女性らしいあるいは男性らしいことについての枠組みをもっています。

 この枠組みの中で育てられたヒトは、身体的差異に基づいて、それぞれの性を自認し、社会や文化が期待する女性らしさ男性らしさである性役割を身に着けていくわけです。性自認や性役割については、これまで長い間生まれながらにある身体的差異に基づいて、「自然に」形成されるものだと信じられてきました。しかし現在では、影響力の大小について議論はあるとしても、社会や文化の影響抜きに語れないことは異論がないと思います。

 性自認については、一九七〇年代性心理学者のマネー(Money,同訳P19)後天的影響が大きいことを明らかにしました。彼は、半陰陽をはじめている性自認に問題を抱えた人々の関わりの中で、身体的差異よりも、養育態度が性自認に大きな影響を与えていると指摘しました。

 例えば、彼は女性であるのに、副腎から間違って男性ホルモンを大量に分泌して、外性器を男性化する副腎性器症候群を取り上げています。副腎性器症候群では、肥大したクリトリスがペニスと間違われて、女性であるのに出生時男性と判定されることもあります。

 出生時男性として判定されて男性として育てられると、男性としての性自認が形成されます。思春期になって、卵巣から多量の女性ホルモンが分泌されると、身体は女性化しますが、それでも男性としての性自認は崩れず持ち続けていく例もあります。

 また出生時男性とも女性とも性別を決めかねたまま育てているうちに性自認があやふやになった例もあります。性自認があやふやのまま育ったためにその後、性に関連する話題になると緊張して話せなくなる「選択性無言症」になった例も報告しています。

 マネーはこのような性自認障害の研究を続ける中で、性自認は出生後二~三才までの言語を習得する時期を境界として形成され、性自認がうまくいかない場合はアイデンティティの形成が困難となると指摘しています。

 一卵性双生児の男児の一人が、包皮切除術中の事故でペニスを失いマネーのいる診療所を訪ねた時の話もあります。ペニスを失った男児に対して、女性として性の再判定が行われ、一才九ヶ月で去勢後女性として育てたという報告です。

 先天的には問題なく男性であった双子の一人は、人形あそびの好きないわゆる女の子らしい女の子として育っているようです。この双生児の経験は、極言すれば性自認や性役割は生まれはどうあれ育て方一つで決まると言っているようです。

しかし、今後胎児期の脳の性分化の影響も出てくるでしょうし、思春期になって彼が女性らしい身体を望むときには女性ホルモンの長期投与も必要になるなどの問題も出てくるでしょう。ペニスを失った男性として育てるのではなく、早急に女性もどきとする決定が、本当によいのかどうか、判断していかねばならないと思います。

ドミニカにおける五α還元酵素欠損症の性自認に関する調査報告書は思春期における性自認の変更が不可能ではないことを示しています。五α還元酵素欠損症は、先に胎児期の外性器の男性化異常としてとりあげました。この酵素欠損症では、出世時外性器は男性化しておらず、性別では女性として判定されて育つことがあります。

ところが思春期になると男性ホルモンの分泌が急増し、二年くらいで急速に身体は男性化し、勃起も射精も可能となります。マネーの性自認説でゆけば、言語習得期には女性として性自認がすんでしまっているわけで、思春期の身体的男性化はアイデンティティの危機をもたらす恐れがあります。

実際に調査してみると、ドミニカでは五α還元酵素欠損症の男性への性自認の変更はそれほどの問題ではなくできているようです。ドミニカでは、一生男性のヒトと一生じょせいのヒトと、産まれた時には女性で思春期以降男性になるヒトがいるという現実の受容の中で、ヒトは比較的容易に性自認を変えられるようです。

性役割については、一九二〇年代からのニューギニアにおける比較文化研究でミード(dia-mond,1980,同訳p421)が初めて社会や文化によって性役割が異なることを指摘しました。調査した部族はそれぞれに異なった性役割をもっており、それぞれの社会が要求する性役割にそぐわない資質をもつヒトは、その資質を発揮することができず不幸であったということです。

彼女は、ヒトの資質は男女問わず多様であるので、社会や文化がこうあらねばならぬと言うように厳格な性役割を押し付けることは有害であると述べています。

ミードのニューギニアの部族の話はどうあれ、ヒトの歴史の中では男性優位の社会や男性文化が圧倒的なシェアを誇っていたいたことは間違いありません。「男性は強い、男性は賢い、だから男性は偉い」と男性優位を主張して頑張ってきました。アダムとイブや変性男子の話のように古くから男性優位の幻想をふりまき、男性優位の文化や価値観・社会制度が造られました。

このことは忘れないで、女性とは、男性とはそれぞれが問い直してほしいと思います。

 しかし、生物としてはもろくて生命力の弱い男性が、男性優位を続けるのも大変だろうと思います。そろそろ男性は、自分で自分の首を締める前に、しっかりと認識した方がよいと思います。

「男性は脆くて弱い存在」だと。女性にしても、いつまでも性差別の被害者の立場に安住できるわけではありません。これまでの男性社会の価値観をそのままにして結果の平等を求めることが解決策でしょうか。そう、二十一世紀の男女平等は、平均寿命を同じにするという生物学的な結果の平等を目標にしてもいいではありませんか。
つづく 思春期性ホルモンの性・セックス

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。