一 もっとしなやかに、もっとしたたかに――性の存在理由
1、 有性生殖の贈り物
性・セックスをテーマに、それぞれの分野から問題を提起するこの企画の第一章は、まず生物学から「性の存在理由」を取り上げたいと思います。
現在女性と男性が共に住む地球の年齢は、約四五億年あまりと推測されています。もちろん地球誕生の時には、生物はいなくて、女性とか男性とかいう存在もしなかったわけです。三三億年ぐらい前にようやく、細菌に似たような生物が出現したことが化石として残っています。細菌は、ただ一つの細胞からなる単細胞生物です。単細胞と言っても、生物ですから、自己増殖をして子孫を残すという性質を持っています。
自己増殖とは、その生物の持つ遺伝子を次の世代に伝えることです。現在の地球上のほとんどの生物の遺伝子は、デオキシリボ核酸(DNA)と呼ばれる物質からできていることが解っています。
DNAは二重らせん構造で、リン酸と糖と四種類の塩基からなる物質です。DNAは、このたった四種類の塩基の配列の仕方で、遺伝情報の全てを伝えることが出来ます。これは細菌もヒトも共通しています。だから最近の遺伝子工学の進歩とともに、ヒトのホルモンであるインシュリンを大腸菌という細菌の中で作ることも可能になったわけです。
細菌が、自分の遺伝子を次の世代に伝える自己増殖の方法は、まるでコピーをしたように同じ遺伝子の子孫を作る無性生殖です。無性生殖は、単独で自己増殖する方法ですから、相手を見つける手間はかからず数を増やすことができます。しかし子孫は、突然変異が起こらない限り金太郎飴のように親そっくりの遺伝子を受け継ぐだけです。
これでは地球の様々な環境の変化に対応して、遺伝子を柔軟に変化させ生物の種を存続させるには不利です。最近の研究では、細菌やウィルスでも性質の異なるものが、お互いの遺伝子を交換して両方の性質を持つ子孫を作ることも観察されています。ある意味で、これは性・セックスの始まりと言っていいでしょう。
生物は、その後の進化の過程の中で、有性生殖を獲得しました。有性生殖は、生殖のために特殊な細胞である生殖細胞を作り、その合体によって新しい個体を形成するというものです。つまり、メスの配偶子である卵と、オスの配偶子である精子が合体して受精する時に、メス・オスそれぞれの遺伝子をブレンドすることで新しい組み合わせをもつ個体を作ることができます。
有性生殖により子孫の遺伝子が変化し、多様性を獲得したことは、予測できない環境の変化に対応できる種としての柔軟性をもつことを可能にしました。その他、親の世代に遺伝子の中に侵入したウィルスなどの寄生者を排除することや、有害な遺伝子を早く修復することも可能としました。さらに有性生殖では、生殖細胞を作るために体細胞では通常同じ役割をもつ遺伝子が、二倍体という二つ対になった状態で存在しています。二倍体で存在することは、遺伝子の一つに致命的な損傷をうけても、他の一つの働きにより生命が維持できるという利益があります。
有性生殖が生物にもたらしたこれらの利益こそ、性・セックスの存在理由です。性・セックスの存在は、生物に環境変化に柔軟に対応できる「しなやかさ」と、しぶとく生き抜く「したたかさ」をもたらしてくれたものと言えるでしょう。女性と男性の問題についても、お互いもっとしなやかに、もっとしたたかに対応する力はあるはずなのです。
2、遺伝子が語る
ところで我が国を代表する分子生物学者である本庶佑は、分子生物学の三つの発見が生命観に大きな影響を与えたと指摘(本庶一九八六、p.151)しています。
その一つは、地球上の全ての生物の生命の仕組みは同じDNAという遺伝物質によるという発見です。このことからヒトは、太古の地球上での偶然の結果生じた一つの生命体から進化した生命体一族の一員であることが認識できます。
第二は遺伝子は決して確固不動のものではなく、極めてダイナミックに変化しているという発見です。これは生命の仕組みが、きわめて柔軟性と融通性に富んだ設計図に基づいて作られていることを教えています。
第三は、DNAの塩基配列は一人一人の間で予想以上に変わっており、ヒトは著しく多様性に富んでいるということです。ヒトは、けして同一の遺伝子をもった均一な集団ではありません。その上、ヒトの遺伝子の配列には、介在配列といって現時点では無駄としか考えようのない部分が沢山あります。
この無駄を含んだヒトの遺伝子の多様性が、未来も含めてヒトという生物種の生存と繁栄をもたらすと考えられています。そして本庶は、ヒトは誰でも、全く違う固有の遺伝子をもち、コトという種の多様性を未来も含めて担っているからこそ、一人一人の生命を尊重すべきであると述べています。
私も、本庶のいう遺伝子が語る生命観に敬意を払いたいと思います。ヒトは、女性と男性に限らず人種とか障害の有無とか「違う」ということで排除したり、差別を合理化してきた歴史があります。
とりわけ性差別については「男と女はもともと違うのだから、これは差別でなくて自然の違いに基づいた合理的区別」とよく言われてきました。そのためフェミニストには、女性と男性の違いを語ることは性差別を助長する(宮藤一九九〇)と心配するヒトもいます。
しかし、この論理は一方で「違いがあれば差別もしてもよい」という考え方に結びつきませんか。排除や差別する側は、「違う」ことで合理化しても、本当にどこがどうして「違う」のかは真剣に考えてはいません。排除や差別をなくして共生する道を探るとすれば、この「違い」をこそ明らかにする必要があります。
そろそろ、ヒトがそれぞれ「違う」ことを尊重し、共に生きるために安心して「違い」を語り、理解と協力できる時代にしたいものだというと現実離れしていると笑われるでしょうか。
つづく
二 変わりて男子となる――性の分化
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。