性・セックスを生きるスタイル

事実の審判が、神々の闘い、つまりはとめどないモラルの同位対立に陥ることは不毛である。審判の正さが、その少数性に求められてゆくこともある。大多数が「あたりまえ」と考えることに、批判加えることは、重要である。 トップ画像

性・セックスを生きるスタイル

序 性・セックスを生きるスタイル文章を入力してください。


一九九一年四月一七日に、総合講義「女性論と男性論」の導入として、共著者の鮎京訓さんと対談を行った。これは、一九九〇年度講義(国立婦人教育会館一九九一)のまとめも、兼ねたものであった。
 これは、本書は両年度の総合講義講師により編集・執筆されたものである。したがって、対談の主な論点を、視点と素材をかえて検討することにより、序論に変えることが出来るのではないかと思う。

 雇用機会均等法施行後の一九八六年、ある雑文(伊那一九八六)のなかで、関連してコメントを述べたことがある。そこでは女性の「男性化」、つまり効率的労働力としての活用を、容認・推進したに過ぎない、雇用均等法の不備を批判した。

 他方、かつて喧伝された「結婚しない女」や「キャリアウーマン」というスタイルの底の浅さと、結婚育児再就職志向の増大を指摘した。また、性的二型性の社会性に対する上野千鶴子の洞察などを紹介した。このテーマについて発表した唯一の論稿であるため、これらの視点が、本章でこの問題を考えるガイドランとなっていることを、あらかじめ断っておきたい。

 さて、それ以来、講義やゼミナールで、問題を提起し、参加者と討論を繰り返してきた。機会あれば、アンケートや感想文を集めた。一九九〇年度総合講義では、調査を行い、受講者のうち三三五名から回答を得たまた、八七年度には、学術振興会科学研究費奨励研究調査「若者の人生設計における〈沈黙〉と〈倫理〉を実施し、関連項目の聞き取り調査を行った。

本章では、性・セックスの問題に直面した際、回答者や討論者が説明のために持つ出した代表的な言葉に注目し、行論を構成した。

 本章の視点は、どのような語彙(ゴイ「意・○1ある範囲、或はひろく○2順序だてて並べたもの)を使用し、どのように問題状況をのりきったかに注目することである。ある人の考えや、スタイルに対し、「なんて」(Why?)と問うのは、もちろん原因・理由を心の中に尋ねることである。

しかし、その回答が、本心であるかどうかは分からない。また、原因・理由の説明要因は、根拠もなしに、とにかくモラルとして一人歩きする(これは本章の3で詳述する)。

むしろ、本心などというものはTPOに応じて変わる考え、ある状況で接明力をもつ語彙が「どのような」(How?)ものか、と問えば、考えやスタイルの様態をまったく別の角度から考察できる。

心の中などと違い、こうした語彙は観察できる(Mills1971=同訳一九七一)。本章は、性・セックスと関わる問題解決の語彙を検討する。もちろん、その文節を網羅することはできない。ゼミナールや総合講義などの体験をもとに、本書の内容をできる範囲で概観しながら、扱われた代表的な論点を整理することを目標としたい。

2 討論や、聞き取りの場面で、もっとも多く出会ったのが、男と女では「ちがう」という理由づけであった。 

周知のとおり、これらに対しては、いくつかの反論が用意されている。どうしてちがいばかりに眼をむけるのか。個体差を判定する物差しのなかで、なぜ性差だけが問題になるのか。人種差別などの場合、違いを超えた共通の公民権が探究されたりした。違いへのこだわりは、一種のアパルトヘイトではないか。

「ちがう」に類した意見として、「差別でなく、区別」というものも、よく見られる。これに対しては、両者の集合的包含関係を考え、「差別でない」必要十分条件を考えることが、とりあえず提起できる。

 そして、区別にこだわる意味を考えることが、初歩の心得であるようだ。違いにしても、区別にしても、意味を考えることが重要である。それが、素朴な平等論を回避させ、違いの様態や、さらには由来の考察を促すからだある。

「性・セックス」の社会的、文化的由来に関しては、ボーヴォワールやM・ミードの古典的研究を初めとして、多くの人類学的、社会史的研究がある(Beauvoir1949=同訳一九七六から一九七七、Mead1949=同訳一九六一)。

 他方、平等の制度的保障についても、議論と実践が積み重ねられてきていることは、言うまでもない。こうした問題を、つきつめて議論する際、よく論拠として持ち出されるのが、自然的性の違いである。

 ある年のゼミナールで、この自然的性差が一大争点になったことがある。出席者のなかには、免許を持った医師や、その卵もいた。ホルモン分泌など多少のものをのぞけば、「さしたる差はない」。フェミニズムの立場に立った医師の、この説明は、激論を呼んだ。

 それは、平行線のまま終わった。そのとき味わった割り切れない気持ちは、それ以来、この問題を議論する際、何度か経験した。

 育児時間の問題をめぐり、仕事の現場で実践されている方とお会いし、総合講義のメニューについて話したときのことである。その方は、医学関係の講義あるのに眼をとめられた。最近の研究動向として、医者に取材し、男女は医学的に見て「さしたる差はない」と結論するルポルタージュの仕事が出て来ていることを話された。

 そして、講義メニューも、そうした観点からのものであるに違いないと思われたようだったので、説明した。どうも、意外に思われたようである。

 これまでも、こういった、いわゆる「空中戦略的」状況に出くわすたび、漠然と脳裏に浮かぶものがあった。だが、はっきりとこの事に気づいた。それは、いささか大袈裟なのだが、一方で歴史の中で破壊された偶像の数々であり、他方で名誉の回復という認知の儀式である。

 こういった場合、介在するモラルは、即効性をもって、大量の人々の運命を左右するものである。この連想は、反感を喚起する。偏見が、まったく混在していないと言い切る自信はない。しかし、どうにもわりきれない気持ちの原因だけは、はっきりとした。

 科学史の研究成果や、あるいは、公害裁判を持ち出すまでもなく。自然科学一定のイデオロギーや、立場や、モラルと無縁でないことは、常識の部類に属すると言ってよいだろう。

 しかし、事実の審判が、神々の闘い、つまりはとめどないモラルの同位対立に陥ることは不毛である。審判の正さが、その少数性に求められてゆくこともある。大多数が「あたりまえ」と考えることに、批判加えることは、重要である。

 しかし、モラルならモラルの意味が「どのような」ものであるかを常に問わなければ、議論は安直な護教論に堕することもある。いささか教訓めいているが、これは銘記に値するとことだと思う。

 もっとも、かくも性差にこだわることが「なぜ」か、その理由は、ほぼ見え透いてきているとも槲槲。だから、この原点としての問いにこだわるべき場合、こだわりを持ちながら耳を傾ける必要がある場合などは、自明であり、右の危惧などは、いらぬ心配かも知れない。。
 
 医学関係の話は、一九九〇年度の総合講義でもっとも好評であった。アンケートの結果では、事前に医学関係の講義に期待していた人は、わずか五%であった。これは、社会科学の三〇% 、思想の二一%に比べるとはるかに少ない。しかし、医学関係の講義に満足した人は二七%で、もっとも多かった。

 社会科学は二一%、思想は一六%である。クロス集計の検定なども勘案すると、六〇%の人にもたらされたこの講義の「意外な収穫」は、医学関係の講義に対する評価と解釈される。

 講義をどう組むかは、かなりあっさり決まった。まず最初にコンタクトを取った方に相談し、主要項目を提示して頂いた。生殖・発生、ホルモン分泌、脳、精神病理、等々である。ご本人が精神医学専攻だったので、もう一人、性教育・基礎医学などを講じられている方をご紹介いただいた。他の分野も、こんな具合に、講師は決まっていた。仲介して頂いた方々の慧眼(すいがん)、ご尽力によるところが大であると思う。それにしても、総合講義の講師陣全体が、次々と体系的に決まっていったのは、一つの感動だった。

 医学関係の話について、「生理」・「病理」と便宣上題目をつけた。本書編集なども顧慮すると、明らかに自然科学・医学分野のメニューが、貧弱であることを、ご批判頂いた。一九九一年度の講義では、フェミニズム関係・実務関係などとともに、重点的に充実した。総合講義全体も、こんな具合に、編成改善していったと考えていただきたい。

 この編成に関わった執筆メンバーを、本書の「編者」とした、話がわき道にそれた。ついでに、この種の講義で、編成と並んで重要な、講義の原則にも一言。
 思想統一をしないこと。公式見解を出さないこと。幅広く問題を提示すること。ともかく、なにかを参加者に考えてもらうこと、扱われた論点、さらには争点などくらいは、総括しておくこと。こんなところがある。打ち合わせも、事務的な程度にした。研究会などによる、全体の論調整理なども、しないことにした。

 意見交換、相互批判などは、個別にやればよい。これは、大人のダンディズムであろう。まあ、徒労は防ぐのはいいとして、体よく怠慢な意見ばかりが、通るのも困る。そこで、他の講師の講義を聴くことは、認めようということになった。責務責任者であったため、雑用係として、ほぼ毎回教室に足を運んだ。役得で、はばかることなく、いろいろ講義を聴いた。
 特に熱心に聴いたのが、医学関係の講義。ともかく「ちがい」を知りたかったのだ。話を戻して、講義内容を紹介しておこう。

「生理」の方は、生殖から脳までの各分野を概説いただいた。講義はまず、ボーヴォワールの言葉をもじり、「女は女に生まれる」という言葉で始められた。生殖・発生過程の説明から、「アダムからイブ」という聖書の偏見が、「イブからアダム」とただされた。

「遺伝子の柔軟性」という観点から、性差が「どのように」働くかが、説明された。

「性・セックスを大切にすること」、「性・セックスを感じること」などが説かれた。半陰陽の場合など、「選択される性・セックス」にも、言及いただいた。

 「性・セックスの回避」、「性・セックスからの逃避」「性・セックスの不能」などの「病理」については、特定の問題に絞り、講義して頂くことになった。広義の題材は、「思春期痩せ症」である。広義の最初に示された、有名なジャコメッティの像が、実に印象的だった。像の通説的解釈はもちろん踏まえられた上で、教材とされたことは言うまでもない。

 象徴的にしめされた、針金のようなイメージ、それを「らしさ」として受け取った人の逆説が、症例をもとに体系的に示された。合格点がいただけるか解らない。ともかくこれが、受講者の一人として、「痩せ症」の講義から学んだことである。

 ところで、受講者に求められることも、ユニークであった。一つに、「身体を感じる」ため、基礎体温をつけることが要求された。もちろん男性にも。よい機会なので、自分でも試しにつけてみることにした。

 男性の場合、規則的変化はなく、体調によることがわかった。体調に応じて、朝「性を感じる(?!)こともないではなかった。毎朝体温を測るのは、とても面倒なことである。だから、男性もそれを測ってみるというのは、女性の苦労を「分かちあう」という意味もあろう。

 しかし、なにより「身体を感じる」ことで、その日の過ごし方を調整できるのが、発見であった。それにより、性・セックスを含め、「大切にする」ことの意味を理解できた気がした。以来、これは日課となっている(?!)

「痩せ症」については、レポート課題とは別に、アンケートがとられた。結果、痩せ症と診断される人が、かなり高率なことがわかった。「異常だな」と思った。しかしすぐ、浮かんだ語彙(ごい)にはっとした。いったい「異常」とは何だろう。一九九一年度の講義でも、性・セックスをめぐる葛藤と絡め、「われわれは、精神病といわれるたいていのものになることができる」、「それは何処にでもあるたいへん身近なものである」、「風邪をひいたり、下痢をしたりするのと変わらない」と、注意がなされた。

 精神科医の方は、精神病に対する偏見を正し、積極的受診を勧められる。これは、後述する老人性痴呆など高齢化社会の問題との関わりでも、重要な論点であろうと思われる。あるいはまた、「男」とか、「女」はもとより、さまざまな「らしさ」による、緊張、葛藤が増大している現代社会で、この点にはより一層の留意が必要である。こうした認識を、講義は与えてくれた。

 他にも、受講者の一人が包茎の手術に行ったなどの、ユニークな「勉学成果」が出たことを、申し添えておく。ともあれ、講義は性差の生理が「どのような」ものであり、また、性差が「どのような」病理を招くかを、明らかにしてくれた。遺伝子や、性の選択の「柔軟性」を見据えること。これは、女の男が「ちがう」ことへの、興味深い回答になっていると思う。

 男女共生の戦略として、性差・個体差をふまえた平等をあげている人は、八三%である。講義内容は、生殖・発生等々と、性差の関連を、基本視点とするものであったと言える。こうした講義の文脈において、提示された議論は、「明晰な」共生戦略を照らし出している。

 受講者は、親しみ深いものとしてこれを受け取った。思えば、「あたりまえ」のようだが含蓄があった。とても「身近か」な話で分かりやすかった。こうした、感想があとで寄せられた。もちろん、基本視点のとり方では、結論が変わってくるとか、結論はどの範囲で妥当するか、ということに関しては、充分吟味されていた。

3 本書のもととなる講義が行われた岡山は


 本書のもととなる講義が行われた岡山は、男女ともに、結婚年齢が全国平均と比べ、随分と低い県である(岡山県企画部統計課一九九一、国民生活センター一九九〇)。それが「あたりまえ」なのである。おもしろい個性をもっているなと思っていた人が、「嫁に行けない」とおどけてみせる。

 学問的に大きな可能性があると思っていた人が、「男だったら」と悔やんでみせる。話し込んだ折りなどに、よく耳にすることである。悩みの表現が、あまりに紋切り型なのが、痛々しい。

 男性はまず自分の解放を。ヤニ下がって女性の味方ヅラするな。こういう近頃の「きまり」はわかる。しかしである。大学のサークルに、女性部長は見かけない。サークルによっては、催し物の時、女性部員総出で男性部員の弁当を作る。婦人警官や、地方紙の女性記者採用も、ようやく始まったばかりというところ。赴任部局の女性教官は、当時ゼロ。現在二人。なかには、教官の件をはじめ、全国共通の問題も、あるだろう。しかし、岡山に来たばかりの頃は、正直言って、カルチャーショックの連続であった。

 一九八六年に、岡山大学医療技術短期大学部で、社会学受講者一四七名にアンケートをとったところ、これまた驚いた。表現は少しずつ違うものの、「将来の夢」と問われ、「結婚。理想は恋愛結婚。だが、結局見合い結婚するだろう」という人が、八割以上いた。しかも、ほとんど同じ文言で‥‥。

「一生仕事を続ける」と答えた女性は、一人であった。看護婦不足を見据え、結婚・出産で休職しようと、配偶者の転勤で引っ越そうと、職にあぶれることはないから、この職業を選んだのだと、「したたか」さを強調する意見もあった。

 しかし、結婚、出産、転勤などをめぐる「従属性」などを、「しかたない」と是認する意見であった。科研調査でも、近い将来における結婚、入籍、改性、そして女性の家事・育児専業を説明する語彙として、「あたりまえ」、「やむをえぬ」などが析出されている。

 小学校の制服、PTAや町内会の運営などをめぐり、東京から「地方」へと流入した人々が、地域社会と摩擦をおこしていることは、時折耳にする。全国大のシステムが形成されるにつれ、こうしたことはますます多くなるだろう。そこで、「東京流」の民主主義をふりまわして、啓蒙・教化しようとすることは、「性急」であればあるほど、問題を膠着させるようである。

「地方」というものは、「東京並」を開発の基準としていることが多い。理屈として、言葉の上では、たいていのことを理解している。それを指摘される時の感情は、想像にあまりある。同様の問題文脈で、性・セックスの問題が起こることもあるだろう。それを、どのように考えたらよいか。

 たとえば、岡山に愛育委員というボランティア制度がある。行政、保健婦の方などとの協力において、乳幼児の死亡率を下げるなど、保健医療福祉の面で実績を上げてきた。最近は、高齢者のケア、リハビリなどに取り組んでいる。一九九一年六月、岡山県津山市で、この愛育委員制度について、話を聞く機会があった。コミュニティに根ざし、地域に深く浸透した活動であるがゆえに、実効性があることがわかった。

 しかし他方、任命権が町内会長にあること、老人性痴呆の問題はまだまだタブー視されていることなどとならんで、男性の愛育委員がいないことがわかった。それは、委員の方が自ら問題として指摘されことである。むろん、定職をもつ愛育委員はいる。高齢化と男性の自立は、深いかかわりを持つ。しかし、平等のモラルを振りかざす気には、少なくともなれなかった。

 ここで想起されるのが、第一次主婦論争である。今よりも女性の地位が明らかに低かった一九五〇年代中葉、石垣綾子が「第二職業論」という狼煙をあげ、論争は始まった。この論争は、すでに整理・紹介されている(上野千鶴子一九八二b)ゼミナールで、それを輪読した際、舶来の知識・教養を振りかざした主婦=売春婦兼家政婦論などよりも、とりわけ男子学生に、支持者が多かったのが、清水慶子の意見であった。

 何より、「日本のおかあちゃんの時代がきたのだよ」式の議論が、共感を呼んだ。輸入した進歩主義による社会や文化の改変を批判し、土地土地の人々が、土地土地の事情を踏まえて紡ぎ出してた営為の延長線上に、変革を見据える、竹内良の「自生」論や、男性原理が支配する職場からはとりあえず引き上げざるを得ないという議論、つまり今日、「総撤退論」と呼ばれている立場につながる論点を、そこに嗅ぎつけた参加者たちも、皆無でなかった。しかし、多くは「偏見」保守の根拠発見であったと思う。

 ともかく、問題はこれがなぜ根拠になるのかということである。こうした見解の理由づけのほとんどは、「身近なところから」というものであった。多分にマニュアル化された優等生的理由づけに聞こえたものの、「生活と遊離した変革を目指すのではなく、生活に根差した身近なところから、等身大にものを考えるべき」というある参加者の説明は、それでも至言である。

 この「身近か」という方向づけは、総合科目調査でも、男女共生の最重要戦略として五四%の人があげている。ちなみにも「女性原理による近代男性原理の解体」というのが、一五%で二位である。最も重要ではなくても、ともかく重要性を認める人まで含めると、「身近か」からが八二%、「男性原理の解体」は三八%である。

「身近か」ということは、確かに無視しえない事であろう。総合講義が終わって、子育ては性を問わず人間の当然の権利と、調査で答えた者は、六八%であった。女性の仕事についても、男性の協力が必要とする者が、四三%で、甘えず「男並み」に働くべきとする者(一三 %)専業主婦でいいではないかとする者(三%)を圧倒的に上回っている。

また女性の人生について、「男性との共生」を主張する者が七〇%で、「男性依存」の一一%を圧倒している。男女の受講者は約半々(男性一六三人/女性一七二人)、男性の受講動機は、テーマよりもむしろ、単位や講義形式、講師に片寄っていた。必ずしもいわゆる「意識の高い」人の集まりではないのである。

「身近かな」ことでの協力、自立の必要は、かなり浸透していると言えよう。ついでに付言すれば、女性の仕事について、いわゆる「総撤退論」をとる人は、二八%で、共生戦略で女性原理を重視する人と相関がみられた。

 しかし、「身近か」という場合、「容貌論」(井上章一、一九九一)、「羨望論」(思想の科学編集委員会一九九一)「偽悪者のフェミニズム」(小倉千加子一九九一)といった、最近の議論に見られるいわゆる「本音」の部分を直視することは重要である。この論点は、一九九〇年度総合科目の総括シンポジウムで指摘されたものである。

「身近かな」実践という啓蒙・モラルは、なにか説教臭い、偽善的な臭いを発する。もちろん説得力をもつものは数多い。しかし、一瞬の時を超えると、それは独特の臭気を発する。見田宗介が言うように、青物の魚のおいしさと、傷みやすさを想像すると分かりやすいだろう(見田宗介一九八七)。この点に、賛意をしめした受講者は、四七%であった。

 もちろん、反論を許さぬ迫力だとか、真剣だとかによって、モラルを貫くこともできる。しかし、それには独特の危険さがあることは、注意されなければならない。それは、モラルの種類を問わない。柳田国男を引きながら、佐藤健二はその事情を敗戦と絡め、巧妙に説明している。

「封建的」とかその対立価値として「民主主義的」という語を多用する文体をふくめて、・・・・ただ標語がひっくり返ったのみで、大声疾呼で群れ引きずって行こうとすることは、終戦前も同じじゃないか」(定本31:一〇)

 標語は変わったが総動員体制を支えた政治・文化は少しも変わっていない。「戦後民主主義」の言説もまた、結局「直接当面の問題と関係なきこと、何かさしあたりの仕事を紡げるものを抑え、もしくは人の判断を複雑にしたくないというような」(定本31:九)社会状況を〈自明性〉の相においてつくりあげ、また組み込まれていたのではないか(佐藤健二、一九八七p.91)。

 ここで、議論はふたたび啓蒙・・教化の問題に連れ戻される。この問題は、マルクスの「実践」概念と、深く関わっている。他の場所(伊奈一九九一p、47-70、esp.pp.56-57)で詳しく論じたことだが、この概念は、とうに俗流の理解から救出されている。何かモラルを振りかざし、その根拠づけもせぬまま、啓蒙・教化をする意見を、マルクスはテオーリアの立場として批判した。プラクシスの立場とは、根拠たる理想と、批判される現実の、歴史的発生文脈を問うことである。これは、歴史科学、社会科学の重要課題である。

 こうした見地に立てば、安直・素朴な反宗教論よりも、苦悩・深慮する宗教者の方が、より評価される面もあるはずである。アヘンにもたとえられる宗教に、なぜ人はそれほどまで頼らざるを得ないかを、突き詰める視点を、それはもっているからである。そして、それを突き詰めてこそ、人々が、黙々と積み重ねてきた文化の延長線上に、文脈、文脈にあった、無理のない制度を探究することなども、可能になるのではないだろうか。

 もちろんまったく逆の評価、可能である。ここに「急進」ということの、積極的・消極的意味合いを見つめておくことは重要だろう。積極的と言ったのは、無理があろうとなかろうと、とりあえず対象を批判的に見つめ、問題化しておく、すなわち「異化」(佐藤一九七六)しておくことが必要な場合もあるからである。

 本節では、「地域」という「空間」的なものを、手がかりとした。さらに範囲を広げても同じことが言えるだろう。たちえば、国際的な視点は、いろいろなものを「異化」してくれる。一九九〇年度の総合講義では、この点を顧慮し、外国人講師にも参加いただき、「欧米の眼」から「比較」して、どのようなものを「発見」したかを、率直に語って頂いた。また、岡山大学現代アジア研究会などの研究成果も含め、「アジアからの視点」も講義に盛り込んだ。

東南アジアの女性像をめぐる講義を行ったのは、マルコス失脚の際、マラカニアン宮殿に飛び込んだという武勇伝の持ち主である。フィリピンを対象として、通例想起される買売春の問題だけでなく、まったく「意外な」一面を紹介して下さった。二つの話は、おおよそ次のような思索を喚起した。

国家は、時代に応じた、ふさわしい「対外比較」を用意する。比較の装置として日本論等々が提起するイメージは、劣等なものにせよ、優勢なものにせよ、国民のコンプレックスを刺激する。それを原動力に、西欧近代など、いわゆる「大きな物語」が形成されてきた。

こうした物語の図式に「同化」された眼が、何を映現するかは、たかがしれたことかもしれぬ。しかし、そう言いきってしまってよいものか。非合理的な精神主義としての国粋主義。劣等コンプレックスの「戦後」と、経済「発展」を、合理的計算に基づき問い直す国家主義(杉山一九八七)。この二つの文脈は、この際除外して考える。

今日、そうした国家的ナショナリズムとは別様な、例えば、「東京(TOKYO)」というコスモポリタン的生活文化が形成されつつあることは、一面確かだろう。もっとも、単純な「進歩」の観念や、それに基づく「対外図式」から、ようやく解き放され始めただけかもしれないが‥‥。

ともあれ、こうした状況認識に立てば、「外国の眼」というものに、われわれは慣れているし、「あたりまえ」の月並みな議論は、あきあきと思うのも、故なきことではない。しかし、それも「あたりまえ」という自負・即断の陥穽(かんせい〈意・落とし穴・人を騙しおとしいれる〉)かもしれない。

「外国眼」が、批判的な「異邦人の眼」でなくなったわけではない。単なる紋切り型の舶来趣味や、裏返しの国粋主義を越えた、応分に複雑な「異化」の図式が、必要かつ、可能になっているのではないか。これが、二つの講義に喚起された思索の結論である。

「欧米の視点」からの話しは、アカデミックな社会科学的視点から、構成されたものだった。雑感を交えた、スパイスのきいた語り口や、皮肉な洞察は、期待通りのものであった。日本社会はアジア社会なのか、性差別社会かという問題提起。および男性性を誇示する南米などのマチズムへの言及。

 それと日本の優位社会の比較。右に示した、思索を通して振り返ると、これらの話題がとりわけ印象に残った。

「アジアからの視点」は、フィリピンを対象としたものだった。とりわけフィリピン社会というのは、たいへん女性の地位が高いということが、強調された。夫婦関係、親族構造などを基本的視座として、昨今劇画で取り上げられて(弘兼憲史一九九一)有名になったエリート女性に対する親族の依存構造をはじめ、豊富な現地調査に基づいた分析が展開された。

4「異化」ということに関連して、論点を一つ付け加えておく。それは、同性愛の問題である

性差・個体差に関連して、この問題が重要な論点を提起する。クリステヴァやフーコーを、もちだすまでもないだろう。一九九〇年度の講義では、この問題にあまり多くを割けなかった。一九九一年度の講義では、冒頭に述べた対談で取り上げた。

さらに、フェミニズム関係のコーナーで取り上げることにした。それが、「選ばれる」性であるとか、゜大切にされるべき」性・セックスであるとかは、すぐわかる。問題は、それが、家族社会学の家族二類型(生まれ落ちる「定位家族」、子孫をつくり育てる「生殖家族」)や、民法の規定などに対し、重要な問題を投げかけていることである。

 今日では、DINKSやコミュータ・カップルなど、家族をめぐるスタイルが、次々と輸入・創出されている。その一つ一つを大切にすることは、多様な性を大切にすることになると思われる。従来カウンターカルチャーやマイノリティ等々と分類されていたものが、制度化を主張し始める。それは、皮肉である。しかしまた、深刻な問題である。

 ところで、総合調査によると、家族の解体を主張するものは、一人もいなかった。家族の必要性を認める理由は、「共同の単位」(四四%)、「個の保護」(四三%)などである。いわゆる別性であるとか、事実婚の問題と関わる戸籍の問題に関しても、制度それ自体の検討を必要とするものが五三%、制度の運用面を検討すべきいうのが一八%であった。

 もっともこれは、総合科目の「教育効果」ばかりではないようだ。講義を聴いた結果の総合科目調査データを見ると、考え方の変化があったという人(四二%)よりも、ない人(五八%)の方が若干多い。

 講義の受講動機、つまりはもともと問題関心との相関もある。しかし、印象に残ったのは、感想文に書いてあった男子学生の言葉である。「一通りの理屈がクリアーできたと思う。しかし、家へ帰ると昔ながらの意見がまかり通っている。」とおりいっぺんの議論であると、このように「クリアー」した言葉を駆使する。

 しかし、家事や育児について、議論をつめていったり、インタビューで聞き込んでいったりすると、はたして出てくるのが、「関係ない」という理由づけである。

「立ち合い出産」について、ゼミナールで講義したときのことである。ラマーズ法ではなくとも、手を握っていてくれるだけで違うのではないかというが、出席していた女性の大部分が述べた感想である。

 これにたいして、男性からはさまざまな意見が出た。そして、否定的な意見の大部分が、「関係ない」という理由づけをしていた。「相手が望むなら」というのも、「基本的に関係ない」という見地に立っていると考えて差し支えないだろう。なかには、ああしたものは苦手で、できれば関わりたくない、という見解もあった。

 現代社会において、出産は男にとって「どうしようもないもの」ではない。「効率」重視のシステムにおいて、子どもについて分かち合うことは、最初から歓迎されない。職場で電話を待ち、知らせが入ると、同僚の拍手を受ける。そんな頑固さ、仕事一徹が、一種の権利放棄であることは、あまり顧慮されない。そうしたことがひとしきり議論された後で、面白い意見が出た。

 女性が「腹を痛めた子」という言葉がある。しかし、男性が「腹を痛めた」とは言わない。また、それに当たる言葉は、あまり見かけないし、たとえつくっても、定着しないのではないかという意見が出た。「おちんちん」の対応語で気の利いたものが出てこないのと同じだ、社会学的に言えば「関与」と「忌避」などという問題なのだろうという指摘も出された。

 こうした「関与」の問題には、「貴賤」など、差別と関わる権力作用を解読することができる。それを、卓抜な洞察で示しているのが、住井すゑの回想である(住井一九九一)。住井が子どものころ、近所のお百姓が、「天皇さんの糞(ばば)を盗んだという噂を耳にしたという。天皇が奈良を訪れた時のことである。お百姓は、「ず―っと身体をお通り遊ばした」値打ちものだから、家宝にしようとしたわけである。問題はその臭いであ。

 住井は就学前、くさい糞を垂れることに劣等感を抱き、自己嫌悪から自閉症におち入ってしまったそうだ。ところが、神と奉られる権力者の天皇も糞を垂れた、糞だから、糞なみにくさいにちがいない。そう思うと、なにも劣等感に苦しむことは無かったと、夜が明けた思いがしたという。

 だがここに一つ難問が生じた。”なぜ人間は万物の霊長と言われながら、くさい糞などたれるのか?”ということだ。人体構造にはまったく無知な田舎の六歳の子どもには、これは大荷物だった。しかし、自分で背負い込んだ荷物は、自分でおろすしかない。

 考えた。なぜ人間は糞を垂れるのか? しかし容易には考えつけない。
 四、五日して、”あっ、そうだ!”と、さとった。人間は一日三回もものを食い、その上、間食までとる。それがカスになって外に出ると、糞である。つまり食べたものは「時間」がたつと、誰も彼も糞になる。天皇も、大臣も、大将も、学校の先生たちも、そして私――(住井一九九一、p.124)。

 住井は、糞をとおして、「ままならない」ものとしての「時間」を認識し、把握した。そして、住井は「ままならない」道理を引っ込める無理を認識する。「人間は誰も彼も同じや。偉い人もいなければ、尊い人も居てへん。それを、天皇は尊い、大臣、大将はえらいというのはつくりごとや」。住井は、「ままならない」ものを引っ込めるものを、「つくりごと」として認識する。

そして、「貴なければ賤なし」、「賤なくして貴は成立せず」という地点まで、認識を展開した。この洞察は、「関与」と、「禁忌」と関わる、さまざまな思索を喚起する。

人間は、「つくりごと」を通じ「ままならないもの」に対処してきた。たとえば、高度成長というものも、幾多の「つくりごと」によって、達成されたものである。効率や能率も、そうしたものの一つである。もちろん人間もすべからく「つくりごと」という見方もある。しかし、「人権」など「普遍なもの」を生み出しながら、「関与しない」ものと、「関与するもの」の構造は、確実に変化してきている。

これを単なる交代の繰り返し、つまり「周流」とみるか、なんらかの成果を随伴する「進歩」と見るかは、議論の分かれるところである。問題は、そこに、確実に権力作用を読解できることである。

典型的には、女性を「不浄」という位置において、安定化されていた社会構造が、あげられる。それは、地域により、風呂や、洗濯の慣習として、いまだに残っている。こうした顕在化した権力作用には、「急進」的対応も容易であろう。しかしまた、変容し、潜在する権力作用を「異化」しつつ、着実に対応していくには、より慎重な吟味が必要であろう。

今日、「ままならない」ものの代表格である、高齢化社会の問題は、「効率」という「つくりごと」が生み出した「少子化」に起因することは、興味深い。これは、一九九〇年度の講義でも、取り上げられた論争である。これを対処するには、子どもを育てやすい社会をつくらなければならない。また、年金などの福祉制度存続のためには、女性が働きやすい環境をつくらなければならない。離婚の増加は、「母親がダメだから、子どもが・・・・」という、理由づけを無意味にして行くだろう。

「片親」だと子どもがうまく育たないなどというのは、まったく根拠のない差別的偏見であることは、総合科目のなかで、労働省からみえた高橋悳子さんが、強調されていた、また、男性の生活面での自立も不可欠になってくことは、言うまでもないだろう。

さらに、高齢化社会は、ライフコースとしての老年期の検討を要請する。社会集団論的にこれを表現してみよう。コミュニティからアソシエイション(マッキーバー)、第一次集団から第二次集団(クーリー)という、図式が、近代社会の集団構造を表現するものであることは、周知のとおりである。

それは、一方で、「共同体的なもの」の副次化、下位体系化、場合によっては消滅をあらわす。他方で、効率的契約関係に基づく労働力などの再生産が、図式に表現されている。「高齢化」という変動の解明には、この図式の変化と、それに影響を与えている「第三次的なもの」、「第三次集団」(伊那一九九一、p.
213)が探求、定位される必要があろう。前の段階であげた論点やいわゆる「家事労働論」などが、この集団区別の意味を、具体的に解明していると思われる。

総合科目では、性の問題をからめ、高齢化社会の問題をとりあげてきた。印象に残ったのは、この問題に「関与する」ことが、老人問題にたいする理解をより深めるのだということを、在宅ケアなどの最前線で活躍されている保健婦の方が強調されていたことである。祖父、祖母と一緒に暮らしたかどうか、老後の世話でスキンシップを持つかどうか、これは、重要な分かれ目だともおっしゃっていた。「関与」というものに、いずれの場合も「手の温もり」が重要な要因として関係しているのは、興味深かった。

「公」の世話になりたくない、「みっともない」ことは「家」で、何とかする。こうした考え方が、「いたましい」ケースを生み出している。総合講義で行われた、ある寝たきり老人の話は、痛切に胸をうった。これは、本書にも書かれている。もちろん詳しくはそちらをご覧いただきたい。

 ここでは、受講して感じた一端を記してみたい。一方で、子供の「しつけ」などが、「公」化、さらには「商」化しつつある。他方で、「自分のことは自分で」という「自助」(self help)の観念が提唱されている。こうした現状を、照らし合わせて考える必要があるだろう。

 何十年も寝たきりで、風呂にも入っていない。ほとんど「自力」で下の始末から、食事まで、何とかしていた。保健婦が訪問しても、面会は拒否されていた。しかし、どうしょうもない事態になり、保健婦が部屋に入って、愕然としたという。

 爪はのび放題。自力で排泄の処理をするため、そこに汚物がこびり着いている。そして、家族の持ってくる食べ物のゴミなどが、散乱していたという。それでも「自分」で生きる。驚くべき、「生」の意志であり、「自立」の姿である。

 社会問題は、その渦中にある人に、学ばせていただくしかないというと、あまりに教訓めいている。しかし、事実は寡黙にして、雄弁である。私語の多い学生たちが、この話を聞いて水を打ったように黙り込んでしまった。

 こういう仕事をどうしてもしたい。どうしたらよいか。何を勉強すればよいか。講義が終わると、一人の学生がそう質問に来た。実は、自分も同じ様な気持ちになっていたので、回答に注目した。

「まず最初は、ボランティアをされてみたら?」いくぶん肩透かしぎみの保健婦の方のお答えにはね豊富な経験と、含蓄を感じた。性と高齢化の講義は、こうした事例と絡まされ、受講者に、「自立」などの問題を考えさせてくれた。一九九一年度総合科目では、こうした成果を踏まえ、地域行政をはじめ、より多くの「現場」の方に講義を頂いている。

5 性・セックスの問題と関わる論点を三つ取り上げ、社会科学の基本問題とも絡めながら、「ままならない」ものに対処する「つくりごと」を、「異化」すること

あたりまえ」、「身近か」なものに潜在する権力作用を解読すること。これらを基本に、各々の差異を「大切にする」文化を作り上げることなどを論じた。昨今この分野で議論されていることも、不勉強ながら視野にいれつつも、基本的には講義の報告を中心に、論を展開してきた。

 時間的権力作用のなかにおかれた「ままならない」個のあり方、それを「つくりごと」乗り越えてゆく人間の営み。この双方を、くくりとる言葉として、スタイルという言葉を用いたい。この言葉は、もともとは、個の能動的存在を現す言葉として、用いられた(海老坂武一九八八ほか)。

しかし最近では、ユーウィンのように、大衆社会論に立脚した現状分析概念として使う例がある(Ewen1988=同訳一九九〇)。この両者を両極にして、吟味すると概念化することができるのではないか。

別の場所でも、想像力論などと関連してこの言葉を概念的に用いたことがある。そこでは、これを方法論として対照される。知識社会の概念を用いた(伊那一九九一).それは、科学の美学的な水準をも視野に入れ、分析するための装置であり、一時代をなす「大きな物語」に立脚したリジッドな方法概念と対比され、役割距離にもとづいた「芸」概念、すべてをシャレとみるバークの文芸批判などと関連付けられた。

しかし加えて、システム内で操作される様式としてのパターンや、記号構造と関わるモードなどと比べ、この言葉は、個というものの「構え」がもつ逆説性をうまく表現している。後者を基本に、前者の知識社会学的意味合いも込めて、ここでのこの言葉の定義としておく。

「つくりごと」のゲーム、ドラマを、随意に操作しながら、「ままならぬ」時間の経過の中で、人間は性・セックスというものを生きることを検討してきた。これを集約する概念として、スタイルを位置づけておく。

総合講義で取り上げた。日本中世の女性像、近世の性・セックス意識、育児を骨子とした女性の生き方の問題。性差別のなかにおかれた女性の事情などの諸問題も、「性・セックスを生きるスタイル」の問題として、取りまとめて考えてもよいだろう。

総合講義で取り上げた。少女マンガをはじめとする文化論の解析装置として、スタイルという概念が一定有効であることは、ユーウィンが示しているとおりである。また、文芸批判とこの概念が、深い関連を持っていることは言うまでもないだろう。

ここで用いられた意味でのスタイルという概念にこめられた思想の系譜をたどると、バークや、ソンタグ、ジラールなどの批評に逢着する。(Burke=同訳一九八四、森常治・作田啓一)その批評が、一時代を作り上げたのは、現代の逆理と向かい合い、それを直視する方法を探究したからだと思われる。

前述の、青ものの魚の例は、こうした文脈、とりわけバークの思想を意識して引用された。言葉でとらえきれるもののと、ぬけ落ちていくもの、こうした「ままならない」関係の論理を突き詰めることを、この思想的営為は目指しているからである。バークは「自己」逆理取り組み、ジェンダー論の一系譜をなすゴフマンなどの影響を与えている。バークはこの論理、存在自体の宿命を、弱者の排除、迫害など人間本質の「クライ」部分に光を当てるスケープゴートの劇を見いだしている。ここでは、この論理を示す言葉としてスタイルを用いているわけである。

浅田彰は、山口昌男(山口一九七五)の影響を深く受けつつ、構造主義批判という文脈で、この両義的論理に注目している。そこで、「秩序と混とん、掟と侵犯の弁証法を考え抜いていた」(浅田一九八四⇒一九八六、p.248)バタイユや、近代社会がもつ根本的な両義的論理構造洞察における女性の「徳恵的立場」(江原編一九九〇、p184f.)を指摘しつつ、そこでフェミニズムにつきまとう主体性の陥穽(かんせい)を警告したクリステヴァとならんで、バークは紹介されている。

どのようなものとして、これらは一括されているのか。浅田は、構造主義に対する批判が、理論の静態性に向けられていることを受けつつ、よりダイナミックな理論の構築を示唆する。そして、次のように言っている。最後の言い回しには、難解さが残る。しかしともあれ、目指されているものは、明解に理解される。つまり、「弁証法」の解明ということである。説明内容は、スタイル概念の簡素な性格説明になっている。

いわば定石として考えられるのは、構造と、構造の網目からこぼれ落ちたカオス的な部分との(例えば言葉で言えることと言えないこととの)弁証法的相互作用に注目することである。

秩序と混沌、抑圧と侵犯の弁証法の現代的再生、というわけだ。この弁証法は、中心/周縁、表層/深層などの劇として変奏され、多彩な展開をみせつつある。それによって、従来は光の領域とされていた文化を、光と闇の双方をはらんだものとして捉えることが可能になった。文化の理論からコスモロジカル・ポエティックスへ、というわけである(浅田一九八四⇒一九八六p.246-247)。 著 伊奈 正人
以下 文献一覧二ページ 割愛します。
 つづく 生理・病理としての性

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。