著者=白河 桃子
新・晩婚時代
母たちの時代、女の一生は女の子から始まり、結婚式の一瞬だけお姫様になり、それから妻になり母親になり、おばさんになっていった。母たちの時代、それを誰もが女の幸せと呼んだ。
私たちはそんな母親に育てられ、いつか王子様がやってきて「君しかいない」と言ってくれる漫画を読んで、やがて来るその日を信じていた。私たちは確かに王子様を待っていたのだが、ちょっと横道にそれて人生を楽しみたくなった。
すぐに結婚してお母さんになり、おばさんになるには、世の中が面白過ぎたからだ。そして「お母さんの結婚」が実は女にとって損だと、こっそり思っていたからだ。
私たちは会社に入り、お給料をもらい、そのお金で海外旅行をし、グルメを楽しみ、語学やお稽古事に明け暮れ、恋愛をし、いつかくる王子様のために自分を磨いた。
ところが、いくら待つても王子様は来ない。そこで私たちは馬に乗って王子様を探しに行くことにした。それと同時に、会社でコンピュータのキーをたたいている自分じゃなくて、本当の自分が何処にいるのではないかと、「自分」を捜す旅に出た。
探しても日本のどこにも王子様はいなかった。しかたがないので、遠くまで出かけた。日本の外に出かけた。そこで王子様に会った人もいる。会わなかった人もいる。
そのかわり、本当の自分がほんの少しずつ見えてきた。本当の自分は、女の子でも、妻でも、「ただの女」だった。そして「ひとりの人間」だった。
自分を見つけた女たちは、家に戻った。どこにいても「ひとりの自分」でしかない自分に気がついたからだ。そして家に戻ったら「青い鳥」がいた。「青い鳥」はずっと家にいたことに、私たちは初めて気がついた。
1、晩婚・少子化の主役たちの結婚
由梨の場合
女子大生タレント、十年遅れの結婚
私が三十六才で結婚したときに、周囲の女性たちから「いつ、どこで、どんなふうに出会ったのか?」「どうして決意したのか?」ということを、根掘り葉掘り聞かれた。みなが知りたいのなら調べてみようということで、三十代からの結婚に絞り込んで書いたのが、月刊『SAY』(青春出版社)に連載された「晩婚さんが行く」である。主役は、バブル時代に社会人または女子大生として青春を謳歌した同世代から上の女性たちだ。「結婚しないかもしれない症候群」に一度かかっことのある女性たちが、どういう人生をたどり、どんな結婚を、どのように決意していったのか。
結婚をみんながしなくなった理由は、もう十分語られている。それでも結婚は、開けてみたいパンドラの箱だ。物語の箱を一つひとつ開けるうちに、「結婚って何なの?」といういちばん私たちが知りたかったことの答えが、浮かび上がってくるかもしれない。そして、こんな時代にどうやったら 人とつながることが出来るのか、その答えが見えてくるかもしれない。
●結婚という「パンドラの箱」を開けて
女の二十代後半は、けっこうつらい時期だ。結婚は三十代過ぎてまあいいか、と思えても、じゃあ本当にやりたいことは、と模索しはじめると、堂々巡りが続く。そして、その大切な二十代後半をバブルと共に駆け抜けてしまったのが、いわゆるHanako世代。私もその真っただ中だ。
雑誌を見れば、グルメ、おしゃれ、海外旅行・・・・。楽しいことをどんどん追いかけても、誰にもそしりを受けない時代だった。結婚だけじゃ女の生き方も、次々に提示された。
外資系に転職して、普通のOLよりちょっといい給料をもらい、忙しい毎日を色とりどりに過ぎて行った。こんな楽しい日々を捨てて、結婚なんて全然考えられないと思っていたのだ。一九六五年生まれの女性がちょうど五十才を迎える二千十五年、六人に一人が未婚という数字が予測されている。(二〇〇〇年の調査では三十五〜三十九才女性の未婚率は約七人に一人)。それは一九八〇年代の初めにかけて日本が「バブル」に沸いていたことと、無関係ではないだろう。
同世代のひとりの女性から、結婚の便りが届いた。彼女は、元女子大生タレント由梨(仮名一九六四年生まれ)。涼しげな目元が印象的な彼女は、いったいあのバブルのあと、どんな道を通って、どんな結婚をしたのだろうか?
●十年遅れの招待状
新緑の五月、あるレストランで一組の結婚披露パーティが行われた。新郎新婦はともに、大学のテニス同好会の先輩後輩。誰もがそんなカップルの結婚式に出たことはあるはずだ。ただひとつ違っているのは、ふたりがはじめて出会ってからすでに十五年が経過していること。花嫁は三五才、花婿は三六才。突然の招待状に、仲間の誰もが「今さら‥‥」と驚いた。
十年前に結婚していてもいいんじゃないの? そんな正直な感想を投げかけると、由梨はそれが癖のちょっと小首をかしげるしぐさをしながら、ゆっくりと言葉を選んで答えた。
「ええ、でも十年前だったら、きっとうまく行っていないと思います。お互いの自分の事ばかり考えていた時代でしたから。相手を思いやったり、許したりできるようになったから、結婚したんだと思います」
彼は、由梨が入部したテニスサークルの一年先輩。本当のところ、入部してからしばらくは、憧れの先輩だったのだ。その時の彼には、同じ学年の彼女がいた。家が近く、練習の帰りに彼の車で送ってもらうこともあり、いつも助手席で甘酸っぱい気持ちを噛みしめていた。
半年ほど経った頃「あいつ彼女と別れたんだって。由梨ちゃん、チャンスだよ」と、彼の親友に囁かれた。そのとたん、甘酸っぱい思いは消えてしまった、大学一年の由梨には、すぐに後釜を狙うような女だと思われたことが許せなかったのだ。
幼稚園の劇で主役のマリア様を務めてから今日まで、由梨はいつも学年でもいちばんかわいくて、勉強もできる女の子だった。勇気ある男の子が歓心を買うとして、わざと意地悪をしようにも、由梨のもつ凛とした空気がそれをさせない。涼やかな瞳で見られるだけで、ひいてしまうのだ。
合格した私立大学は、華やかなキャンパスライフが有名で、明日でもモデルとしてデビューできそうな派手やかな女子学生がそこかしこにいた。その中でも由梨は、サークルでいちばんかわいい子、お嫁さんにしたいタイプナンバーワンだった。
そのままいれば、多くの男子学生に慕われ、その中のいちばん素敵な人と恋に落ち、友だちの中でいちばん最初にウエディングベルを鳴らすことになったかもしれない。しかし、時代の力は由梨をそのままにしてはおかなかった。マスコミが由梨を、サークル一かわいい女の子から、全国の大学生のアイドルに押し上げたのだ。
●つくられた女子大生タレント
きっかけは、二年生のときに学園祭用のキャンパスカレンダーの一月を飾ったことだ。サークルの先輩が学園祭実行委員で、由梨に白羽の矢を立てた。学内にはすでに毎月雑誌モデルとして表紙を飾る子もいたが、カレンダー企画委員は半分タレント化した有名人女子学生ではなく、大学の授業で会える普通の女子大生にこだわった。一生の思い出になるから、と軽い気持ちで引き受けた写真が縁で、由梨はあるクイズ番組のアシスタントに抜擢されることになる。
時代は、女子大生の全盛期だった。女子大生をタレント化する番組が次々現れ、由梨はその先鞭をつけた女子大生タレントの一人となった。アルバイト気分、サークル活動の延長のような芸能活動は楽しく、キャンパスを歩いていても振り返られるようになった。何をやっても「女子大生」のひと言が錦の御旗となる時代だった。
「見た目ほど華やかな世界じゃないんですよ。番組自体は楽しかったけど、あくまで素人。躍らされているだけとわかっていましたから」
何事にも好奇心旺盛な由梨は、スタッフと話すのが好きだった。番組の企画や構成、プデュースについて、物怖じしないで諮問してくる由梨はスタッフの人気者だ。
同じ女子大生タレント仲間には、女優を目指すといって本格的な芸能プダクションに入る者もいたが、由梨自身は醒めていた。卒業後もテレビ局のアナウンサーなど、華やかな表舞台をあるくつもりの仲間が多い。しかし、由梨は芸能界をのぞいてみていちばん惹かれたのは、番組を支える陰のプロフェッショナルたちの姿だった。
表舞台よりも、現場を支える裏方になりたい。その思いから、卒業後は出版社に入社する。もともと由梨は小さい頃から「大きくなったら何になりたい?」とか「編集者」と答えていた。
共学だったので、卒業と同時に結婚する同級生もいたが、皮肉なことにお嫁さんにしたいタイプナンバーワンの由梨には、まったく結婚願望はなかった。結婚は由梨にとって「いつかはするでしょ」という程度のものだった。
本を作る裏方、編集者をめざした由梨だが、またしても時代が由梨を違うところに連れて行った。女子大生タレントだった由梨が配属されたのは、広報室。バブル期の事業拡張の波にのる会社は、出版以外の事業にも手を染めており、さまざまな企画を外部にアピールする「会社の顔」として、由梨は選ばれたのだ。
最初の一年は夢中で過ぎた。オーナーでもある社長に気に入られ、会社関連のパーティにお供で出席するのも仕事の内。作家、芸能人、スポーツ選手、ありとあらゆる有名人と会った。プライベートなパーティでは五〇人乗りのヨットを貸し切って、会食は入会金一千万円のクラブで、といったことが当たり前に行われていた。社員旅行も海外へ、というのを常識にした最初の会社だった。
大学時代のサークル仲間とは、OB会で年に一、二回は顔を合わせたが、その中に彼の姿を見つけても、懐かしさ以外の感情はわかない。普通の企業に就職し、普通の会社員生活を送る彼らとは、何の話をしても「へえ、やっぱり由梨は違うね」と言われてしまう。自分が変わったつもりはないが、由梨をとりまく環境は、やはり大きく変わっていた。
編集者へのチャンスは無いと見切りをつけ次の就職先は、大手のインテリアデザイン事務所だった。パーティで出会った社長に、インテリアコーディネーターの勉強をさせてくれる条件で引き抜かれたのだ。
ここにも、バブルの絶頂期の華やかな世界があった。仕事をしながら実地でインテリアの勉強をする。次々と開店する店舗の現場で、思い切り贅沢なイタリア製の家具をコーディネートする。二十代は、あっという間に過ぎていった。
相変わらず由梨はモテたが、付き合う人も、自然と建築家やレストランのオーナー、空間デザイナーなどのネクタイをしない人種になる。パーティやディナーの予定は埋まらない日はなく、手帳はいつも、公私を含めて約束でびっしり。名刺入れは、ふだんは新聞紙の経済蘭出しかお目にかからないような人の名刺で一杯になった。
「その頃、みんな仕事が忙しくて、大学時代の仲間とは自然に遠のいてしまった。彼とはいい友達っていうか、まるできょうだいみたいにいろいろ相談する仲になっていました。付き合っている人の相談もいっぱいしていたし、向こうの彼女の話を聞いてあげたり。私ったら、彼に対して『サラリーマンの人とは結婚しないと思う』なんて、すごいことを言っていた」
実は二十代の頃、彼から正式に付き合ってほしいと、二回も申し込まれている。二回ともその時点では、付き合っている人がいた。ずるいとは思ったが、友達以上・恋人未満の関係でいたかった。ちょうどいい温度の関係を失いたくなかったのだ。告白の後も、彼の由梨への接し方は変わらなかった。
当時付き合っていたカタカナ系の華やかな職業の男性からも、何回かプロポーズされた。今のきらびやかな世界の一員としてとどまりたいと願うような女性だったら、迷わず受けていただろう。
「でも、経済的に余力があって、地位と権力がある男性には必ず愛人がいるのを、見てきましたから。私って、未来のシミュレーションしちゃうんですよ、すぐに。結婚しても、浮気されそうで‥‥」
●結婚とは「してもしなくても後悔するもの」
パーティで会う社長たちは必ず、奥さんでない女性を同伴している。由梨の会社の社長も派手な女性関係で知られていた。由梨を社長の愛人と勘違いして、おべっかを使う人もいたくらいだ。
「家具の仕事って、家の中のことが解りますよね? 奥さまとお話しすることも多い。ある営業の人が注文された家具の確認でお宅にお電話したんです。でもその注文は、別宅の愛人のためのものだった。奥様は何も知らないんです。そのときはつくろったものの、あとで冷や汗をかいたと言っていました。でも、そんなことが一回だけじゃないんです」
輸入家具は高価で、ソファ一つでも百万以上が当たり前。しかし、そんな家具に囲まれた女性たちは、あまり幸せそうに見えなかった。少なくとも、自分の幸せはそういうことではないという気がした。
業界で活躍する四十代の独身キャリアウーマンにも、仕事はたくさん会った。有名なインテリアデザイナーや、本当に一流といわれる女性たちに。その人たちも、女として幸せをつかんでいるとは思えなかった。彼女たちが華やかな席で一瞬見せる疲れた顔や、笑っていてもどこかきつい表情をみると、自分にはとてもここまで頑張れるとは思えない。
三十四才のお正月、彼から突然電話があった。
「やっぱり君と結婚するような気がする」
そんな預言めいた言葉を残して、電話は切れた。
その年の六月。今度は由梨のほうが、彼の事を気になりだす。電話でのたわいのない会話の途中に、ふと「今まで、この人だけは誰にも渡したくないって人、いました?」と聞いたら、「君かな」という答えが返ってきた。
次の正月に、正式に考えてほしいと言ってくれた。うれしかった。ものすごく。
そのときから、すべてが結婚に向けて動き出した。八月にイエスの返事、その一ヶ月後に入籍、翌年の結婚式、そして妊娠。
「仕事を辞めるとき、社長には『君も、結局は堅いところに納まるんだな』と言われました。でもプロポーズされたときに思ったのは、結婚って結局、してもしなくても後悔するものじゃないかと。パーフェクトな結婚なんて絶対にありえないし、何よりも今度彼を選ばなかったら、一生後悔すると思った。結婚したことに、後悔も不満もありません。彼でよかったって思ってる。結婚って一度はして見るもんだなって。でも悔しいから、彼には言いませんけどね」
二十代の頃に結婚した友だちと話すと、彼女たちの今の生活への不満と、夫に対する醒めた態度に驚く・ひょっとして経済的に恵まれた結婚した彼女たちは、バブルのときに会ったあの奥さんたちと同じ立場に立っているのかもしれない。
「でも、みなを見ていると、子供がいても働いた方がいいかもって思う。お受験、すごいでしょ。あそこまで子供にのめり込むのも怖いような気がします。でも、二十代の結婚にすごくこだわった友達が、今の生活には不満だらけ。自分も二十代で結婚していたら、そこで止まっちゃったかもしれない。何も見ないで我慢するより、全部見てよかった」
あの華やかな世界に未練はない。ひととおり見たからもういいやと、鮮やかなターンで踊りの輪から抜け出た由梨。普通のサラ―リマンの妻として送る日常が、今は今で、すごく楽しいのだ。
女たちが欲望を全開にした時代、バブル。あの時代に流され、いまだに帰る場所の見つからない女性は少なくない。
欲張りは悪くない。やりたいことはやったほうがいい。自分の事だから。でも、結婚に求めるものはシンプルなほうがいい。ふたりのことだからだ。
結婚適齢期のあのバブルの時代の洗礼をうけた世代が、ちょうど今、三十代の半ばから四十代。普通のOLも時代とともに夢を見ることが出来た時代のさなかに、好奇心いっぱいで家を出て、ひと通り冒険を終えて「ただいま」と家に帰ってきたかのように、普通の結婚生活に着地した由梨。
バブル期の狂乱が去り、我に返って、かつて自分に注がれた温かい眼差しの大切さに気づいたときにはすでに遅く、その人はとっくに結婚し、家庭を築いている。大半の女たちはそうやって後悔をかみしめるのだが、由梨の場合は待ってくれる人がいた。なぜ彼女には、それが許されたのか?
それは、いつも半歩下がって自分を見つめる由梨の涼やかな眼差しを、彼がどうしても忘れることが出来なかったからに違いない。話していても、的確な答えや、結婚を「してもしなくても後悔するもの」とあっさりと切り捨てるクールさに、はっとさせられる。時代を読む聡明な眼差し、潮時を見て切り返す鮮やかなターン。何事にも溺れない、足るを知っている女性。だから彼女は、遠くまで出かけていっても、本当に自分が必要な温かな場所に返ってくることが出来たのだ。
●三年後の由梨を訪ねて
「十年先がこんな時代になるなんて、誰も思っていなかったですよね。もし夫がリストラされて、私が働こうと思っても、もうお掃除おばさんの仕事しかないですよ」
久々に話した彼女は、相変わらず淡々と今を語ってくれる女性だ。子供が一人いる。もうお受験の季節だ。お受験を抱えたママは、普通はもうそのことの一色になってしまうのに、彼女はやはりどこかクールだ。
「年を言うと、びっくりされるんです。このくらいの子供がいるんだから、いくつぐらいっていう思い込みがあるじゃないですか。そこから外れていることが解ると、みんなシンとしてしまう」
地元の幼稚園のお受験仲間のママたちとは、十年ぐらいの開きがある。熱くならない彼女は、みなと温度が違う分、ちょっと浮いてしまうそうだ。ヤンママには頼りにされることもある。
「子育ての理想って、追いかけても、なかなか思い通りにはいかないもの。でも子供はいつか大人になって日本の税金を払う人になる。そこでまた夫婦ふたりになる。人間のプラスマイナスって、帳尻が合うようにできていると思うんですよね」
*祥子の場合
勤続十六年目の社内結婚
結婚なんていつでもできる。都市とか、条件とか、親とか、人の目線にこだわるほど、ろくなことはない。外からではなく、自分の内側からの声に耳を傾けて、その声が聞こえたらそれが結婚の時とき。
自分を磨き、自分を癒し、自分を探し、今まで自分の事だけに熱心だったあなたが、他の誰かと繋がろうと自然に手を伸ばす。それからでも結婚は決して遅くはない。
晩婚といっても、みなそれぞれ。理想の人を探しつづけた人もいれば、浦島太郎みたいにぽーっとしていた人もいる。ひとつ言えることは、「もう遅い」とあきらめなかった人、仕事でも恋でも欲張った人に、運命は微笑むような気がする。
何事も「遅すぎる」ことなんてない。
●「遅すぎる結婚」なんてない
祥子(仮名 一九六一年生まれ)は、大手ゼネコン勤務十六年のベテランOL。バブルの絶頂期に社会に出た。いわゆるHanako世代だ。そして、一九九〇年に大ヒットした中尊寺ゆつ子さんの漫画に登場する「オヤジギャル」の走りでもある。その彼女が、とうとう結婚するという。
「十年前なら、絶対選んでいないタイプょ、彼。絶対に出世しないと思う」
勤続十六年、会社で多くの男性たちの浮き沈みを見てきた祥子は、シビアに言い切る。転職せず、新卒で入社したゼネコンにずっと勤めている。社内で転換試験を受けて、一般職から総合職になった第一号でもある。
どこの会社にも、彼女みたいなOLが一人はいるだろう。しっかり者で、気が利いて、補佐役に徹している。会社の飲み会で一升くらい飲んでも、翌日ケロリとした顔で定時前に出勤している。部内のイベントでは、必ず幹事役。釣りに行ったりすれば、切れない包丁で器用に獲物をさばき、うまいつまみのひとつも作る。仕事の確かさは、その辺の男子社員など、到底かなわない。
機会均等法とか、差別なんてことは、間違っても口にしない。てきぱき仕事をさばいて、脇を固めてくれる。こんな女子社員が一人いれば、上司はかなりご機嫌なはずだ。
私たちが社会に出たころ、時代はバブルだった。特に祥子の勤め先は、大手ゼネコンだけに福利厚生もしっかりしているし、年に一度は海外に行けるぐらいの休暇もくれる。一九八九年の、日経平均株価が三万八千円台をつける絶頂期まで、「行け行けドンドン」の社風と時代の追い風を受け、会社生活は華やかで活気に満ちていた。もともと体育会系の社員が多い職場は、大学時代、ラグビー部のマネージャーを買って出たような祥子の性格に合っていた。
オヤジギャルなどと呼ばれはしても、ゴルフの社内コンペで、涼しい顔で上司よりいいスコアを出したりする。ベロベロに酔っ払っても、最後の精算は必ず仕切って帰る。飲み会はほとんど毎日で、週末はスポーツはイベント。日々は飛ぶように過ぎて行った。
さすがに祥子も三十才になると焦りが出て、パンフレットを読み漁っては、ありとあらゆる保険に入った。三十五まで結婚しなかったら、もう結婚はしなくてもいいと思っていたからだ。シングル女性がマンションを買うようになったのも、ちょうどその頃だ。
●リードするのは私、従うのは彼
三年前、会社のスキーツアー出始めて彼に会った。彼は理系で、配属は研究所。同じ社内でも、まったく顔を見たことがない。細身で体も細身。年下と思っていた。
「悪いけど、初めて会ったとときのことは全然印象に残ってないの。翌日のツアーで顔を見ても『この人、誰だっけ?』ってくらい」
次の年は、かなり話をした。意外にも彼は一つ年上。祥子の好みは、がっしりした、「男らしい」が服を着ているようなタイプ。線が細く神経質そうな彼は、まったく眼中になかった。
「でも帰りのバスの中で、今度飲みに行きましょうと誘われた。もちろん、ただの社交辞令だと思っていたんだけど‥‥」
駅前で解散したあと、山手線のホームに向かう祥子を、走って追いかけてきた人がいた。彼だった。
走ってきたせいでちょっと曇った眼鏡を押し上げながら聞いてきた。
それから、何となく一緒に飲みに行くようになる。やがてそれがデートになった。
「会うまでは、けっこうわくわくする。でも、待ち合わせ場所で手を振っている彼を見ると、あまりに好みと違うんで、がっかり。それの繰り返し」
祥子は、自分の我の強さを承知している。でも好きになるのも同じくらい我の強い男ばかりだった。家族もそろってみな気が強く、決して自分を曲げない。父は下町育ちの江戸っ子ではっきりしないのは大嫌い。自分の性格は、父にそっくりだと思う。
古風な面もある祥子は、好きな男には自分を押さえて尽くす。やがて我慢できなくなって、うまくいかなくなる。二十代の恋愛はそれの繰り返しだった。
彼には逆に、不思議なほど自分の我を通せる。まるで男女の役割がさかさまだ。常にリードするのは自分。「今日はどうする?」と聞いてくるのは彼。
彼はなんでも、祥子と一緒にやりたがる。遅く出会った分を取り戻したいとでもいうように。
初めは携帯電話に二、三時間おきに電話が入るので、閉口した。まるで嫉妬深いガールフレンドと付き合っているようだ。「今日は○○たちと飲みに行くよ」とひとこと言っておけば、祥子がどこで誰と何をしていようと気にしない。しかし言わずに出かけると、「聞いていないよ」と急に不機嫌になる。心配性なのだ。
見た目通り神経は細くて、仕事のストレスには弱い彼。忙しい時期はいつも不調を訴えた。夜中の電話で眠気をこらえ、話を聞いてあげるのも祥子の役目だ。彼が体調をくずしたときには、鍼や整体など、ありとあらゆるところに付き合ってあげた。
ケンカもよくした。謝ってくるのは必ず彼の方からだ。「どうしていつも謝るの?」と聞くと、「ケンカはふたりとも悪いから謝るんだ」と答える。そんな彼と付き合って、あんなに意地っ張りだった祥子が、素直に「ごめんなさい」と言えるようになった。
●十年前なら選ばなかった彼
結婚の話は、彼が切り出した。明るい祥子は遊び仲間の人気者で、周囲の口添えが彼に祥子との結婚を決意させたのだ。しかし、問題がひとつあった。彼は出会ったときに、すでに二年目の別居中だったのだ。
一緒に楽しくやれれば結婚なんてしなくてもいい、と祥子自身は思っていた。しかし、いったん決意した彼は。もうまっしぐらに結婚に向けて進み始める。
はっきりしないまま放置されていた別居は、訴訟になった。離婚を決意した彼は冷酷なほどで、初めて祥子に見せない別の一面を知った。
訴訟は長引いた、夜中の電話もすべて離婚訴訟の相談だった。
「ねえ、慰謝料いくらにすればいいかな」
私に相談するとか、と思ったが、彼は裁判の進行状況を逐一打ち明けてくれる。彼が頑張ってくれているのだから、耐えるべきだと思ったが、頼られる祥子の方もストレスが溜まる。
「いい加減はっきりしてよ」
何度電話で怒鳴ったか解らない。父親譲りの気性は、はっきりしないことがいちばん嫌いなのだ。
一年経って、やっと離婚が成立した。晴れて結婚できる身になったが、今度はなかなか祥子のほうが親に切り出せない。「早く言ってよ」と急かされつづけて三ヶ月も経ってしまった。
祥子の家は、小学校六年生のときに立て替えた。以来、ずっと両親と三人で同居している。新築の家の敷居をはしゃいで入った時から二十年以上年を重ねたが、メンバーは変わっていない。変わったことといえば、父親の夜の外出がめっきり減ったこと。そして祥子のほうが、家で食事を取る回数が月に数えるほどになったこと。
今日こそと、たまに早く帰って身構える。いつもは両親とふたりの静かな夕食に加わって、明るく会話する。食事が終わってテレビの時代劇にチャンネルがかわる。話を切り出すチャンスを待つうちに、どちらかが席を外したりするうちに、「もう寝る」と言って父が席を立つ。今日も言えなかった。そんな夜が何度かあった。
「朝、出かける間際にやっと言えたの。だって、朝の方が話すこと少なくて済むじゃない。言ったら、ふたりとも硬直していた。付き合っているのも全然言っていなかったから」
次の土曜日に彼が来て、親に挨拶・あれほどためらったのに、あっけないほどだった。
「あのときは、今さら結婚しますなんて気恥ずかしかったからかな。あと、言ったらもう後戻りできないでしょ。若い頃ならともかく、もう親も歳だし、後から揉めたりしてこれ以上心配かけられない」
十年前の自分なら絶対、選ばなかった彼。彼の事を「出世しないタイプ」と彼女は言い切る。会社生活十六年の目はシビアに見極めている。
しかし長い会社生活の中で、仕事仕事で明け暮れ、挙句の果てに身体を壊し、第一線から脱落したり、リストラされたの、家族ともほとんど一緒に過ごせない会社人間の悲哀を、いやというほど見てきた。今は結婚に向けてひとつ決心するたびに「本当にこれでいいの?」と確かめながら進んでいる。本当に彼でいいの? 後悔しないの‥‥と。
「でもね、初めて話したとき、夢が一緒だったの。オーロラを見に行きたいとか、くだらないことなんだけど。私がやりたいと思っていることを相手の口を借りて出てくる。不思議で‥‥。酔っぱらっていたから、話したのは覚えていないのかなって思ったくらい」
遅く出会った分、長く一緒に過ごしてきたい。
来年は、ふたりでアラスカへオーロラを見に行く。彼の方が自分より長生きしないと思うから、「看取ってあげるね」と祥子が言うと、彼は「うん」とうなずいてくれた。
●自分だけのいい男(ひと)を見つける
今回の取材で必ず誰にでも聞いたのは、「十年前なら、今の彼を選んでいましたか?」という質問だ。
そして見事に、ほとんどの人が「ノー」という答えだった。
十年は長い。自分も時代も大きく変わっていく。そして自分の中の結婚観も。
バブル経済に亀裂の入り始めた一九九〇年、まだOLは元気だった。会社の花であることをやめ、オヤジ文化を取り入れ、男中心の企業社会に元気に踏み込んでいった。それは男と肩を並べるキャリアウーマンの道とは違っていた。賢い彼女たちは、機会均等法が本当に機能してはいないことを知っていたのだ。男のように会社に自分を捧げることはなく、男の文化のいいと取りをする。
女たちはいつも静かな反体制派だ。長く会社に居ながら、決して会社に飲み込まれることなく、脇役として冷静な目で男社会を見ていれば、おのずとわかってくることがある。
彼女もバブルで会社が元気なころは、「将来性のある男」「一目置かれる男」に魅力を感じていた。それは、男が男を判断する価値観と似ている。「男でござい」と全身で主張しているようなタイプが好みだったのだ。
バブル崩壊後の男たちの右往左往ぶりを見定めた彼女は、男の価値観に背を向けた。そして、自分自身の価値観へ目を向けた。
自分に合う、長く寄り添えることを見極めるのは難しい。彼女が見つけたのは、自分の目で選んだ。自分だけの「いい男(ひと)」だ。
私はといえば、たとえて言えば「船が沈むときには一人で逃げる」ような自分勝手な男ばかり好きだった。結局、結婚したのは、ひょっとして二人で沈むかも知れないけど、とりあえず一緒に居てくれそうな人人だ。
本当に自分に合う、長く寄り添える人を見極めるのは難しい。判断するのは、他人の目線に惑わされない自分だけの目線。それを手に入れたとき、今まで見えなかったものが見えてくる。
●三年後の祥子を訪ねて
「新しいプロジェクトの企画を出さなきゃいけなくて」
と、会社のお昼休みに訪ねた彼女は相変わらず忙しそうだった。バブル崩壊の直撃を受けた業界だが、やはり彼女は元気だ。
夫婦ふたりとも、まだ同じ会社で働いている。彼は転職したがっているが、祥子が時勢を見て、今は止めている。子供はいない。
「もし若い頃に結婚していたら、絶対に別れているよねえ」
というのは、私たちふたりの共通した意見だ。わがままいっぱいの、バブル時代のノリのまま、結婚生活に突入していたら、偉いことになっていたに違いない。夫も妻も自分を抑えなくてはやっていけないのが、結婚した後の日々だ。
「我慢って感じじゃないよね。我慢だと思ったら、もううまくいかない。我慢じゃなくて、うっと思うことがあっても、流せるようになった」
子供は、夫も特に欲しがってはいない、ふたりで休みが許す限り一緒に出かけたりする生活が楽しい。仕事ではお互い責任も出て来て、夢だったオーロラもまだ見に行っていないぐらいの慌ただしい日々。一生懸命。ふたりで走って来て、最近、ふと思う。
「子供は育てたほうがいいかなって。育てることで、自分も大人になれるような気がする」
それは私も同感だ。子供でももたないかぎり、私たち世代はなかなか大人になれない。
今回、三年前に会った彼女たちを訪ねたのは、三年後の彼女たちに「結婚って何?」という質問をしたかったからだ。祥子は少し考えてから答えてくれた。
「あったかいところで、守られている感じかな。それと、一人前の普通の大人になった感じがする」
社内研修で、年配の男性講師が講義を受け持った。かなりセクハラがかったオヤジだった。疲れて家に帰ると、妻が色々くだらないことを話してきてうるさい、とそんなことを女子社員もたくさんいる前で言った。かちんときて、意見を求められたときに、
「そうですね。私も家に帰ると、夫が色々その日にあったことを話してきて、うるさいと思っています」
そんなふうに言ってしまった。
あとから思った。自分が独身だったら、どんなふうに答えたかしら。
「結婚して、仕事の上で男と対等になった気がする」
オヤジギャルだったOLは、結婚して初めて、オヤジたちと対等にやり合えるようになった自分に気付いた。同時に、オヤジたちの家族を背負っていく苦労や悲しみみたいなものも、何となくわかるようになってきた。最近とみに元気のないオヤジたちの背中を見ると、ポンとたたいて「一緒に頑張ろうぜ」と声をかけたいような気がする。もちろん、本当にそんなことをしたら、向こうは目を白黒させるのも、わかってはいるけれど。
* 淳子の場合
年下夫は鍛えなあかん!
夫の転勤ごとに人生を築く場所をリセットしなくてはいけない妻。一見、優雅な専業主婦に見えても、その胸の内には「私も何かやりたい」という気持ちがくすぶっていることが多い。海外在住の日本人女性を対象としたネット掲示板に携わったことがあるのだが、「仕事をしたい」という駐在員婦人たちからの欲求の強さに驚いた。誰も羨ましいと思うような生活をしていても、「中途半端に仕事を辞めざるを得なかった」といった後悔を抱えている人は多い。
晩婚の妻たちは、長く社会に出た分だけ、諦めが悪い。結婚後の人生も、自分の人生。自分の人生なら自分でコーディネートしたい。転勤、子育て、親の介護と、家族の問題はまだまだ女性がメインで背負う。それでも隙間を見つけてチャッチャと何かを成し遂げてしまう人もいる。
●ホロリときて結婚
淳子(仮名 一九六四年生まれ)は関西生まれ。一般職で入った設計事務所で総合職に移り、上司に認められ、マーケティング企画のチームリーダーに。バリバリ仕事をしているときに、新入社員の彼に出会う。七歳年下の彼と、遠距離恋愛を経て結婚した。
「うちの会社、特に、同じ部署の人って、すごくできるんです。設計ってアーティストっぽいでしょ。忙しくても、プライベートもきちんと使う。尊敬できる人ばかり。『ダンナも一緒や!』って思って結婚したら、全然違った」
惇子の夢は、自分の会社をもつこと。起業家になりたい気持ちは、空間プロデューサーもどきの仕事をしていた会社員時代からあった。だから、結婚するなら、お金と家があって、ちゃんと自分をサポートしてくれる人と思っていた。それが、出会ったときは弱冠二十二才の頼りない新人君だと思っていた彼と結婚。
「最初は頼りなくてねえ。付き合ってと言われたけど、断った。一年して会ったら少ししっかりしていたんで、『おっ』と思ってつき合いだしたら。彼が転勤。仕事を辞める気はなかったんで、札幌〜大阪の遠距離でしんどかった」
結婚を決めたのは、大きなプロジェクトに入って猛烈に忙しかった彼の爪が、ぼろぼろになっていたのを見たとき。
「爪でホロリときたんですよ。七才年上のお姉さんは…・母性本能をくすぐられた」
と淳子は照れながら言う。意外に古風な彼は、結婚を機に、淳子に「仕事を辞めて欲しい」と言った。結局、彼の海外転勤を機に退職した。
「あたしの方が給料高かったのに、『やっけんのお?』って言ったら『大丈夫』だって。でもこれが全然甘かった」
今は働いていないけど、自分のお小遣いは貯金や財テクから。ガーデニング用品をアジアから安く輸入する会社を企画中。サンプルを集めるためにけっこう投資している。「あたしのお小遣い。文句は言わんといて」と、夫には釘を刺してある。
実は私が淳子に目を付けたのも、一緒に買い物をしている時の彼女が、プロのバイヤーのような目つきをしていたからだ。なんかこの人、普通の奥さんと違うなあ、と思った。話してみると、すごくバイタリティと集中力がある。自分の思う方向にぐんぐんすすんで行く追及力。専業主婦として一歩退いても、自分の人生を絶対夫任せにしない人だと思った。
「うちは大学生のとき、お父さんが倒れたから。今まで一人で何でもクリアしてきた。結婚しても、旦那さんに食わしてもらっているとは思わない。いざとなったら自分でって思っていますから。お小遣い…・旦那の給料からやと、なんか後ろめたくて使えないんです」
こんな淳子を、世の男性はかわいくない女というだろうか。けなげで正直ですごくいい女じゃないか。自分の人生を自分で引き受けようという、この心意気がいい。
●年下夫は鍛えて育てる
「旦那は、超マイペース。でも、そういう人だからこそ、何でも言ってしまえる。動じないから」
海外に転勤してからも、淳子は何でも自分で解決してきた。特に発展途上国の都会じゃなく現場に住む生活は、日本では想像もつかないトラブルの続出。危険もある。「私が男やったら、奥さんにこれはしてあげるのになあ‥‥」と思うことも、全部一人でやらなければならなかった。
「でも、トラブルがチャンスやと思った。旦那、仕事以外は全部あたしに任せて、甘えてるところがあるから、『今言わな』つて文句、がんがん言った。もう本当にがんがん。ひとりでもできるけど、夫婦になったんだから、ふたりで解決したい。何考えてるか、言ってほしいって。そしたら変わってくれました。今じゃ、疲れているっていうと洗濯物たたんでくれます」
何回もキレて、怒鳴って、受け止めて、受け止められて。そうやって夫婦は固まっていく。この異国での生活が大事な時間だった。
「でも、現場が終わってまた転勤。どこに行くか解らない。これからも転勤生活だからこそ、自分のビジネスをやりたいんです。状況が難しいと言っていたら、一生何もできない。難しいからこそ、何か自分の者もの、持たなきゃいけない」
物価の安いアジアか、自分の故郷に拠点を構えて、自分はビジネスをやり、旦那は世界を転々とする。そんなライフスタイルが理想だ。転勤のたびに人生をリセットしていかなければならないサラリーマン妻の宿命を諦めない淳子は、やっぱりニュータイプの妻だ。
「結婚して、仕事を辞めて、小さな庭をガーデニングして。ちょっとほのぼの幸せだなあと思う時期もありましたけど、やっぱり私には、暇な時間は不要。でもね。私が結婚で仕事を辞めるとき、旦那が『人間、休むことも必要だ』って言ったんです。私もその頃すごく忙しくて、遠距離で疲れ果てていた。自分の仕事で爪がボロボロなのに、私のこと休ませようとしてくれたんかな…今思えば‥‥」
最後にそう言って、淳子はまた照れた。
●あきらめない年上と、やわらかな年下
晩婚に年下はつきもの。しかし、年上女房といっても、夫婦の関係はそれぞれだ。特に相手が長い独身を思うままに過ごしてきた妻の場合。甘えさせてくれるかと思ったら大間違い、なんていう悲劇もある。尽くしてくれるお姉さん女房は、むしろ二十代に多い。
自分自身の人生をあきらめない女と、それを受け止められる柔軟性のある夫のカップルが、最近は増えてきてたようだ。
「妻がシンガポールに転勤になりましたので、三年間働かせてください」
シンガポールの大手人材斡旋会社の人に聞いたが、最近そういう男性がちらほら出て来ているそうだ。転勤になるのは、男ばかりじゃない。転勤になって仕事を辞めるのは、女ばかりではない。妻はアメリカ、夫はアジアと、離れて暮らすカップルもいる。離れはなれに暮らして、あえて結婚している必要があるのかと、いう人もいるだろう。
それでも夫婦でいたい気持ち。それがこれからの結婚に、いちばん大切なものではないだろうか。結婚や家族が今までの形だけでなくなってきた時代、ふたりでいる理由はふたりでつくっていくしかないのだ。
「どうせ出世しないのなら、一緒にお店やろ」と、淳子は夫にいつも言っている。大手の倒産が相次ぐ時代、夫の勤務先だってどうなるか解らない。そのときにうろたえるような妻ではいたくない。そんな言葉をポロリと言えるのも、彼女が強いからばかりではない。受け止める側がしなやかだからなのだ。
●三年後の淳子を訪ねて
淳子は夢を実現させた。こつこつとコネをつくり、お店を回って、委託で商品を置いてくれる個人の店舗を開拓した。輸入は自分で海外に出て、おしゃれなガーデニング用品として使えそうなアジアの籠(かご)やつぼを集める。一回買い付けに行けば、次の旅費は必ず出る。安くて売れ筋のものを探しているので、最後に残った在庫はフリーマーケットで売っても損はしない。
どの場所でどんな商品が受けるのか。回を重ねるごとに予想が立つようになった。自分で趣味がいいと思うものはが必ず売れないこともよく解った。店のオーナーによっても、年配のお客が集まるところもあれば、若い女の子が立ち寄る見せもある。商売がどんどん面白くなってきて、手ごたえを感じる。そんな矢先に。また転勤になる。
「結局ね、今は中断中。不況と、実家の親の具合ちょっと悪いせいで実家と転勤先の往復で、海外に買い付けに行く余裕がない。人から見たら優雅な専業主婦だけど、私はお稽古とかランチとかそんなことよりも、商売で成功して充実したい、中身は男なんかなあって思います」
そういう淳子は、ちょっと悔しそうだ。わがまま全開できた私たちの世代も、だんだんに年老いてく両親や、さまざまな家族の問題は、避けて通れない。
「病気のとき、特に子宮筋腫が見つかったときにはつらかった。ひとりじゃ人間、何もできないし、女性特有の身体のハンデもあるって思い知らされる。小づくりのタイミングもあるし。そういうときに、女って悲しいって思うと同時に、家族のありがたみもわかる。でもその反面、女じゃなくて、結婚もして居なかったら、夫の転勤のたびに人生を中断されることもなく、もっと障害も少ないんじゃないのか、とも思った」
そんなふうにカリカリして、当たる相手はやっぱり、七歳年下の夫しかいない。年下のマイペースで冷静な夫は「一生少しぐらい障害があった方がいいんじゃない」と、年上の妻をなだめてくれるという。
「もっとかっこいいこと言いたかったけれど、今はそんなところです」
人間、一生元気で働いてばかりいられないことを、ここ一年でたっぷり学んだ。それでも、昔の仕事関係の主催するセミナーを手伝ったり、仕事のカンを鈍らせないようにしている淳子は、決してあきらめないてはいない。まだ三十八才。夫は三十一才。ぬるま湯につかったような日々だと言うが、まだまだ彼女の中身は熱い。
アジアでは、家族のために仕事をする女性たちがたくさんいる。アジアに嫁いだ日本人女性たちもそうやって働いているひとが多い。アジアで出会った懐の深い、逞しくて商売上手な女性たちに、彼女とてもよく似ている。ひょっとしたら彼女が今度立ち上がるときは、自分のためだけでなく、家族のためになるかも知れない。そんなことをふと思った。
*真澄の場合
時代の求める「小さい男」
男は、「小柄できゃしゃで可愛女」が好き。女は「背は高くて頼れそうな男」が好きと、誰が私たちに刷り込んだのか。そもそも、女よりも男の方が小さいと釣り合いが悪いと誰が決めたのか。日本ではコンパクトな製品で席けんしたのに。なぜか男に関しては「大きいことがいいこと」なのだ。ひょっとしたら、今の時代のニーズに合うのは、コンパクトな男かも知れない。
」は
●「小さい男よく喋る
真澄(仮名 一九六五年生まれ)は美大を卒業後、中堅の広告代理店にデザイナーとして勤務。外見は大柄で派手めでも、仕事は真面目でコツコツ型。今や、立派なベテランとして、新人君なんかにはちょっと怖がられる、そんな彼女が結婚した男は、小さい男だった。
「彼、最初の飲み会のときから目立ってた。かっこいいからって? ううん、全然違う。その日の仕切りは大手商社マンで、その同級生という彼は、ピシッとしたスーツ姿の群れの中で、
「一人浮いたラフな私服姿。そして、小さい男だった」
真澄は身長一六五センチで、ヒールをはいて一七〇センチ弱。目線は少し見下ろした位置でかちんと合った。
真澄は昔から小さい男は嫌いだから、パーティでも合コンでも、背が低く見えるような小細工はいっさいしない。彼は、顔が小さくて、バランスはいい。チビでデブよりはましだけど、こういう男と並ぶと、同じ身長でも絶対女の方が大きく見える。だから並んで歩くのは嫌いだ。
彼はすごく喋った。吉本の小柄な漫才師みたいに、よくしゃべる。声がハスキーだから、そんなに不快じゃない。ちゃんと座を保ちつつ、けっこうしっかり自分を出している。
真澄の経験からすると、小さい男はだいたい、お喋りが多い。同期の幸子がこの前まで付き合っていた外人の証券マンだって、小さい男でお喋りだった。身体が小さいから、自分の言葉で空間を満たさないと気がすまないのか。その分、頭の回転も速い。
「へえ、真澄さんてデザイナーなんだ」
ひとしき座を盛り上げたあと、大勢の飲み会では決まって訪れる隙間みたいな時間に、彼はまっすぐ真澄に話しかけてきた。見慣れた一部上場企業の堅い書体の名士に交じって、すっきりした横型の名刺。デザインがしゃれている。
コンピーター関係の会社を立ち上げたばかりという。仕事の内容はよく解らないけれど、柔らかめの職業同士だからってなつかれたくはない。今日のねらい目は、京大卒の商社マン。真澄はギョーカイ人だが、地方公務員の親仕込みの、バリバリ安定志向だ。
付き合う相手は、絶対安心と太鼓判が押してある優良企業じゃなきゃ、お断り。早くちゃんとした男を捕まえて、こんな朝も夜もない業界におさらばして、専業主婦になって、『VERY』にでも載って優雅に微笑むのだと、真澄はずっと思っていた。
仕事も面白いし、付き合う男はみなちょっと問題があるせいで、あっという間に三十才を過ぎた。決してつまらない人生を送ってきたわけではないから、帳尻は合っていると思う。
「しっかりした、きれいな手だね」
二次会の席で、彼から言われた。ちょっとドキッとした。真澄はデザイナーの端くれだから、造形的にきれいなものが好きだ。実はこの「小さい男」の手こそ、きれいだと思ったのだ。体のサイズのわりに、指が長い。むちむちした芋虫みたいな手は生理的に受け付けない。その点、彼の手は好みにぴったりと合った。相手は、明らかに気があるようだ。
ちょっといい気分が、帰り際にみなが立ち上がると水を差された。やっぱり「小さい」のだ。
「酔ったふりしてよろけて見せて、ちょうどスーツに包まれた胸板に顔が当たって、『あ、ごめんなさい』なんて言えるぐらいの男がいいんだよね。だいたい、もっと小柄できゃしゃな女の子、他にたくさんいるじゃない。あんたと並ぶと絶対、あたし大女に見える。だからついてこないでよ」
と心の中で思う。しかし次の日から、その小さい男の着信履歴が、一日一回、真澄の携帯に残るようになったのだ。
●大きい女は損をする
「真澄って、昔から三高ねらいだもんね」と、大学時代の同級生は、呆れて言う。みんな三つの高のうち、どれかを省いてだんだん結婚していったのに、いつも真澄の付き合う男は、絵に描いたような三高。身長は絶対、少なくとも一八〇センチ以上。手堅い勤め人が好きなのは、親の影響で、身長は自分が譲れない。
昔から、大柄な女と言われた。
「こんなに背が伸びちゃあ、貰い手がねえ」
と、いつも親戚のおばさんに言われていた。
今は身長一六五センチなど、やたら手足が長い最近の子の間では決して高い方ではないが、なぜか同じ身長でも、真澄は大柄に見える。ダイエットには気を遣っているけれど、骨格が立派で、どうも態度も大きいらしい。初対面の男性に「あなたは押し出しが立派すぎる」と言われたことがある。
実は、女の押し出しが立派なことは余り有利ではない。プライベートはもちろん、仕事でも。あまり生意気で使いにくいそうに見える女よりも、一見カワイコちゃんの方が、同じレベルなら絶対有利だ。恋愛だって、もちろんそうだ。小柄できゃしゃで、実は真澄よりもずっとしたたかな女の子が得をするのを、いつも横目で見てきた。大きな男が好きなのは、その反動かも知れない。
自分より圧倒的に質量の多い男の側にいると、まるで小さい女の子みたいでうれしかった。いくらヒールをはいても、キスをするときには上を向いて、ドラマみたいな感じで口づけされたい。
半年前まで、二年間ずるずる付き合った元カレは、大手の証券会社勤務。ダークブルーのスーツがよく似合う体育会系。同い年で、いつかは結婚を夢見て付き合っていたが、大きい男は、実は頼りになりそうでならない。
男同士は初対面の時に、動物みたいに相手を測る。大きさで圧倒できる男は、その時点で勝ってしまう。だから頑張らない。男は女より劣る存在ではいけないと思っている。だから、圧倒的に女より体格的に勝る男は、頑張らない。それに大手企業の名刺がくっついて、容姿もまあまあだったら、とりあえずモテる。努力しなくても。
そういう男ばかり好きになって、クライアントと電話で怒鳴り合う真澄が、かわいい尽くす女になって我慢する。今まで結婚できなかったのは、ひとえに大きい男というのが譲れないという趣味の問題だと思っている。
元カレと別れたのは、前々から噂のあった彼の会社が、いよいよ危ないぞということになったとき。結局リストラもなく、会社もどこかの大手証券みたいにつぶれはしなかった。
だが、そのときのおろおろぶりに頭にきて、真澄の方からふってしまった。
「名刺一枚なくなるだけで、男ってこんなになっちゃうんだ」
男も女も本当に大変な時代だが、手に職が合って本当に良かったと真澄は思う。今の時代、奥様雑誌に載って微笑む女は、いったいどんな男をゲットしているのだろう?
結局、真澄は一年前の飲み会で会った、小柄でおしゃべりで、明日をも知れない会社を一人でやっていて、スーツじゃなくて、いつもスニーカーを履いている「小さい男」と、年末に結婚した。
結婚式の頃は「これからは小さい男がモテる!」と、ナインティナインの岡村君がもてはやされる時代になっていた。真澄の「こだわり」を知っている友人たちは、ほとんど目線の変わらない新郎の隣のローヒールの花嫁を見て、ビックリしていたようだが…・真澄は本当に幸福そのものの顔でずっと微笑んでいた。
●二年後の真澄を訪ねて
「小さい男のいいところなら、あたしはもう雑誌に書けるぐらい。秀吉だって、ナポレオンだって、みんな小さい男だったんだから」
今は彼の会社を手伝っている真澄は言う。
ドラマのようだが、彼のベンチャー企業は結構成功して、不況の波の中でも揺らいでいない。手堅い真澄にしては大冒険だった結婚だが、今や大企業もどんどん倒産する時代。最初は反対した親も、今は安心している。彼みたいなタイプは、どんな事になっても何とか隙間を見つけて、しぶとく生き抜くタイプだと分かっているから。
「彼は、仕事も遊びも女を口説くときも、いつも一生懸命なんですよ、一緒に暮らしても小回りが利いて、すごく楽。今は不況で、彼みたいな自営業は大変でしょうと言われるけれど、ベンチャーでも政府系の団体がクライアントだから、かなり手堅い。まだみんなが会社にしがみついていた頃に、大きな船からえいって飛び下りちゃった彼は、すごいと思う」
夜に酔っ払って帰ってくると、真澄が、ベッドまで引きずっていける。彼には絶対に言えないが、もっと猫みたいにひょいとってつまめるぐらい小さくてもいいかも、と思う。
同じ年でも、先行き夫を介護するのは、女の方になるだろう。夢がないようだが、結婚するということは、相手の介護をする覚悟もあるということ。真澄の親戚のおばさんがつくづく言っていた。
「小さい男の方が楽よ」
一緒にガンガン働いて、アジアのリゾート巡りをするのが趣味のふたり。次号のアマン系のホテルの特集にリピーターとして出て下さいと、某女性誌に頼まれた。
「なんか笑っちゃう。その雑誌を見て『どういう人と結婚したらこうなるのかなあ』って思う女の子がいるかと思うと。そしたら、あたしは絶対『小さい男』がお勧めだよって言いますね」
●晩婚のキーワードは「逆転」
こうしていくつかの話を並べてみると、晩婚のキーワードは「逆転」のように思えてくる。
誰もが「人よりもいかに多くのお金や物を持てるか」が幸せの基準だったバブルの時代に、どんな「玉の輿」でも望めた女性が、結局は平凡なサラ―リマンの妻になる。男のサポート役に徹していた有能なOLが、「出世する男」を支える妻にならずに、結局は「ついてきてくれる男」を選び、男と対等に仕事をする道を選ぶ。「年下」も「小さい男」も、結局晩婚は、私たちが欲しかった男の価値を、ぐるりと回転させたところにある。
連載当時はもっとたくさんの人の話を聞いたのだが、二十代のころの男性の好みの延長線上にある結婚をした人はいなかった。二十代、三十代と、女性たちは確実に変わってきた。男の好みも、結婚の意味も、自分がどんな風に生きていきたいのかも。
シングルの男性たちは、「年を取ったから妥協する」という。女性たちの辞書には「妥協」の文字はない。傍から見たら、「あんなに選り好みにしていたのに、どうして」と思われる結婚をしている人も多いだろう。妥協とは「量」の変化であり、「質」の変化ではない。身長百八十センチ以上と言っていた女性が一七〇センチでもいいと思うのは妥協だ。一八〇センチじゃなくても、この人のここがいいと思えれば、それは「質」の変化だ。
女性たちの好みは、「質」が変化しているのだ。
私たちは、親世代からの「家族神話」の刷り込みを受け、バブルの時代に「恋愛至上主義」を実践し、結婚してからは「永遠に愛し合わなくてはいけない」(フォーエバーラブ症候群)と、さまざまな「思い込み」でがんじがらめだ。仕事のできる女性ほど「自分よりも仕事のできる男性」を求め、男は「自分よりも下」の女性を求める「好み」も変わっていない。
量ではなく質の転換が起こるのはなかなか難しい。
しかしそれが起こった女性たちには、憑(つ)きものが落ちたように「ホロリ」と結婚している。私たちに憑いていたのは、旧来の価値観の刷り込みと、何が何でも結婚しなくちゃ、というお化けのようなプレッシャーである。
男性の目が女性の「年齢」にいってしまうのは、同世代の男性たちにまだ、その「ポロリ」が起きていないからだ。バブルの洗礼を受けていない世代の方が、最初から不景気の波にもまれているだけに、まだ頭が柔らかい。
そして年上で、自分よりも仕事ができたり、背が高かったり、何となく上手そうな女性を選ぶことのできる男性というのは、さらに頭が柔らかく、勇気がある証拠でもある。
終身雇用制度の崩壊、マイナス成長、倒産、リストラと、日本のシステムがほころびかけている今になって、いちばん右往左往しているのは、旧来型の企業社会で一生安泰と信じていた男性たちだろう。そんな同世代の男性たちに最近、「弱音を吐く」のが流行っている。
弱い自分を認めるのは、たしかに勇気のいる行動だ、しかし、弱音を吐かれて「そんな僕をわかって」とすがられる女の方も困る。こっちだって、「独り立ち」したばかりなのだ。
その点、東南アジアの女性たちの方が、はるかに腹が据わっている。弱くなった男たちが彼女たちの「温かい腕」を求めてしまうことも、文句は言えない。日本の女性は、懐の深さにおいては、まだまだである。
よりかかり、よりかかれることよりも、一緒に歩いていくこと。それを目指したとき、結局選ぶのは、「逆転男」ということになるのかもしれない。
2 ヴィンテージな結婚と子育て
*桜の場合
ジョージ・ルーカスと仕事をした女
バブルの全盛期にもてはやされたカリスマ的なキャリアウーマンたちは、今どうしているのだろう?
人より先に海外に飛び、人より先に自立した女として世間に登場した彼女たち。彼女たちがあまりにカッコよかったから、多くの女性たちが自分を探しに海外へ飛んだ。多くの女性たちがダナ・キャランのスーツでオフィスを闊(か)歩することに憧れた。そんな時代の一歩先を行った彼女たちも、今はそれぞれ妻になり、母になっている。
「結婚って何?」
「どんな子育てがいい?」
そんな私たちの疑問に、彼女たちはどんな答えをくれるだろうか?
●スパーキャリアの結婚
桜さん(仮名 一九五六年生まれ)は、ハリウッドで長く影像業界に携わった、かのジョージ・ルーカスとも仕事をしたことのある女性。
「根をおろしていいかなと思ったから、結婚したのよ」
そういう桜さんは、三十八才のときに結婚した。
モデル並みの長身で、グッチの黒のロングスカート、ショートヘアでさっそうと歩く彼女は、見るからにただ者じゃない雰囲気。しかし今は、東京の下町の、老舗の総菜屋の女将さんである。
生まれは埼玉県の大宮だ。彼女にとって東京は常に中途半端な位置にあった。家から出るには、もっと遠くに行くしかない。留学を決意した動機は単純だった。
今のように、誰もが気軽に留学する時代ではなかった。周りに経験談を話してくれる人もいないから、桐島洋子さんの本を買って読んだ。留学先は西海岸に決めた。英語を専攻して、卒業後は観光局。そして三、四年で、コーディネーターとしてロスで独立した。
「すごくラッキーなときに居合わせるんです。何しろ、日本の企業が湯水のように宣伝費を使って、ハリウッドでCMを撮る時代でした。映画監督も、お金がいいからCMをやりたがる。ルーカスのチームを使って、日本のCMでよく仕事をしました。『E.T』の人形なんか、ごろごろスタジオにある。日本から来たディレクターは、子供みたいにうれしがっていた」
CMのプロデューサー、そして映画にも、ちょい役の中国人の酒場の女役で出演。スリットの深いチャイナドレスを着た。淡々とした口調で語られるそれは、豪華なキャリアを絵に描いたようだ。
やがてアメリカの景気が下降し、ロス暴動で帰国を決意。アメリカはぽっと留学してきた日本人の女の子に充分夢を見せてくれたが、突き進む強さも要求する。アメリカに住み続けることにはちょっと疲れたとき、日本の広告代理店からヘッドハンティングされた。
そして日本は遅れてバブルの真っ盛り。「二十四時間働けますか」のフレーズどおり、深夜までがむしゃらに働いた。
「その頃、会社の近くにマンションを借りたんです。それが、今の主人の店のすぐそば」
●青年会のおみこしを担いで
下町とはいえ、都心の商店街の一角にはしゃれたお店も多い。マンションに住む新参の住人と、地元の住人は、同じ町にいてもまったく接点がないのが普通だ。行きつけのバーのマスターは地元組。仕事が終わった商店街の跡取り息子たちのたまり場でもあった。
きっかけはお祭りだった。ロスにいたとき、和太鼓を習っていた桜さんは大のお祭りフリーク。地元のお祭りで、御神輿を担ぐ青年会に参加したのだ。
「軽い気持ちで誘ったら、いきなり、はっぴ、地下足袋、ねじり鉢巻きのフル装備で彼女は現れるんですよ。こりゃ、担がせないわけにはいかないって」
とは。マスターの弁。そこから、地元の二代目、三代目たちと仲良くなったら。しかしマスターは、最初からある男性を桜さんに目あわせようと、画策していたらしい。
「彼は、六歳年下で、体の大きい人。あまりしゃべらない人っていうのが、第一印象。でも、なじんだら、けっこう核心を突いたことをズバリと言う人。自営で、老舗の総菜屋の三代目だから、のんびりしているのかなって思ったら、好きなこと、食材とか、料理にはプロとして入れ込んでいる。まさに料理の鉄人です。
全然知らない世界だから、驚かされることが多い。今までこっちが驚かす方に回っていた女ですから、私。だから新鮮。女が知らないことを指摘されると、イヤがる男っていますよね。でも、彼はそれが、女からであれ、男からであれ、おもしろいものはおもしろいと、きちんと受け止められる人」
すぐに彼は、桜さんのマンションに遊びに来るようになる。彼女は夜遅く、彼は朝早く職業。すれ違いはロケーションの近さで補った。何しろ、疲れ切って仕事から帰ると、おいしいご飯ができているのだ。キャリアウーマンには理想の男である。
「食べ物で釣られたって、友達には言ってあります。今まで同じ業界で、バリバリやっていた男の人ばっかり付き合っていたから、初めは戸惑った。たとえば、前のタイプの男だったら、合理的じゃないことは排除する。でも、彼やここの人たちは違います。おじいちゃんやおばあちゃんも、町の一員として働いている。
合理的じゃないからもう働かないで,何て誰もいいません。古臭いけど、人間味がある。心がある。ここなら根をおろしてもいいかなって、ふと思いました』
そして「ねえ、結婚しよ」という、ストレートなプロポーズ。ありとあらゆるビジネスシーンの駆け引きを踏んできた彼女が、初めて素直に「イエス」と言った。
結婚してからしばらくは、変わらずハードに働いていた。子供が欲しかったけれど、なかなかできない。アメリカではキャリア女性の高齢出産は当たり前なので、ためらう気持ちもなかった。
「ここで産まないと、もう産めないかも。そう思って退職を決めたら、退職の一ヶ月前にできました。でも、やっぱり出産は大変。隣のベッドは二十四才で、同じ日に出産したのに、次の日はもう一人で立って歩いている。こっちは立てない。アメリカでは、高齢出産の大変さを誰も教えてくれない」
子供が生まれてからは、店の上に三世帯、縦になって住んでいる。お義母さん元気なので、店にはしゃしゃりでない。今はどっぷり子育て主婦。公園デビューもしっかり果たした。ご飯も、彼のつくらないアメリカで覚えたメキシコ料理を作ったりしている。
今は子育てが楽しいという桜さん
あれほどのキャリアに未練はないのか、という人もいる。世の中はそう甘くないということも、桜さんはよく知っている。もし自分が仕事に戻るとしたら、もっと責任の重いマネージメントの立場になるだろう。脱サラするサラ―リマンの気持ちがよく解る。
男だって女だって、仕事に燃え尽きることがある。ふと虚しさや、憑き物が落ちたような脱力感に支配されることがある。
「女はいいよ、結婚に逃げれば」
と男たちは言うだろうか、しかし、結婚だって甘くはない。「逃げ」の結婚で、女性はこんなに満ち足りた笑みを浮かべることはない。
彼女はスーツをジーンズに着替えるように、新しい自分にするりと変わっただけ。その変わり身のしなやかさが、これからの時代に潰されないために大切なことだと、彼女の自然な笑顔が、物腰が、何よりも私に教えてくれた。
●三年後の桜を訪ねて
桜さんは、二児の母親になっていた。あの頃は赤ん坊だった長男は、もうひと時も目が離せない腕白で活発な幼稚園児になっており、一年半しか離れていない
次の子供は、女の子だった。
「あのインタビューの頃は、子供は寝ているだけだから、まだ余裕だった。子育てが楽しいとか、甘く見ていたんですよね」
と彼女が笑う。今子育てに振り回されて、けっこう余裕がないという。次の子供がすぐにできてしまったので、息つく暇もなく追われることになった。
「自分の娘には、違う人生設計を考えなさいと、というつもり。『高齢出産は甘いもんじゃない』って、これは絶対に書いておいてくださいね」
まず体力。男より忙しく仕事をしていたのだ。体力には自信があったのだが、ストレスや不健康で不規則な仕事中心のライフスタイルで、思ったより体がへこたれていたというのが、妊娠してからの実感だ。つわりまず酷かった。体力に自信があっただけに、こればかりは読めないと思った。
「今の女性は、産む力が弱くなっているかもしれませんね」
最近高齢出産した友人たちから「自分のしたいことはしたから、子育てに余裕が持てる」という肯定的な意見を聞いているだけに、高齢出産でもOKという答えが欲しかった私だが、やはり現実は厳しい。友人たちはまだ一人目だから余裕があるのかもしれない。一歳半の長男の世話をしながら、赤ん坊を抱える生活で本当に参ってしまったという。
「高齢出産の多いアメリカでも、四十才で子供を産むのはOKでも、四十二才で二才の子供を追いかけるのは大変だって言われているぐらいなんですよ」
幼稚園のお母さんたちを見ていると、三十前の人たちは「若いな」と思う。子供に戻って、一体になって一緒に遊んであげられるのが羨ましい。二番目の子供の兼ね合いで送り迎えに楽なところを選んだだけなのだが、都立の私立の幼稚園はみなお受験組だ。
「ただでさえ、ビックリされるから年齢は言わないけれど、これで『お受験するつもりはない』なんてばれたら、口もきいて貰えなくなるかも」
子供に望むのは「学歴じゃなくて、『生きる力』を身に着けてほしい」ということ。自分が大人になってから英語をやって発音や聞き取りに苦労したので、英語だけは早いうちにやらせたい。
「産んだり育てたりは、どうしても女の仕事。どこの国のお母さんも言っているけれど、やっぱり女は損。仕事をずっと続けるのには犠牲にしなくてはならないものがあるし、そこまで犠牲を払ってもしたい仕事があるかどうか。
こればかりは縁だからしょうがないけれど、子供を産むのなら、四十才までは待たない方がいいと思う。早く産んで、あとで楽しむのもありかもしれない。手に職があれば、実力さえあれば、復帰できる」
何回も転職してきた桜さんならでは言葉だ。桜さんの「手に職」は「英語」から始まっている。
あれほどの華麗なキャリアを自力で築き上げてきた女性にとっても、子育ては未知のまったく新しい分野だ。
「自分の今までの仕事の中で一番きつい。理詰めで解決できる問題じゃない」
しかし、自分をいちばん大人にする仕事でもあると思う。そして新しい自分を発見できる。
「私ですら、大層な宝物ができたような気分で、ふわふわの布団を買ったり、フリルの一杯ついたベビー服を買ってしまったりしてしまうんですよ。合理的なものだけを求めて突っ走ってきた仕事人間だったのに、こんな自分もいるのかしらって、新鮮な発見だった」
今は義母も義父も元気で店をやっているが、いずれは、ご主人と桜さんの代になる。都会に残った下町もすっかり変わって、惣菜を買いに来る人たちも、ひとことも喋らない人が多くなったという。会社で人に使われるつもりは、もうない。ふたりで店をやっていくことを考えている。もう、前の世界に戻ることはないだろう。
「仕事では面白い思いもいっぱいさせてもらったし、『やった』という思いも自分の中にある。子育てで何かを成し遂げたいとは思わない」
今でも、仕事の誘いや「復帰しないの」と声を掛けられることもある。それでも、もういいのだと桜さんは言う。誰にも言わないけれど、自分の心の中にだけ飾る「勲章」があるのだから。
3 恋愛異種格闘技時代
不倫は最も「切実」な関係
不倫にあって、結婚にないもの、それは何でしょう?
答えは「切実さ」ってやつです。
結婚して同じ家に帰るのが当たり前になると、まず、恋愛時代のときめきは跡形も消える。それは一緒に居たい「切実さ」がなくなるから。恋愛のときめきは、別れの予感によって助長される。別々の場所に帰らなければならないふたり。その理由はさまざまだか、相手には家庭があるなんてことになってごらんなさい。「切実さ」は、いやが上に盛り上がりまくる。
こんなに好きなのに、どうして一緒に居られないの? あなたは奥さんのもとに帰っていく。あと、十分、いえ、あと一分でいいから、私のもとでいて・・‥。
不倫は、最も切実な関係である。
恵美子(仮名 一九六一年生まれ)はメーカーの営業職。男並みに仕事もできるが、さばさばした気性で、男女問わず頼りにされる。二十代は激しい恋愛を経験したが、三十代になってから彼女が選んだ道は、長く切ない穏やかな関係だった。
「今さ、一緒に暮らしているんだ」
大学の同級生、恵美子から突然告白された。同じ学部で、社会に出てからもつかず離れずの友人関係だが、忙しい彼女は最近、疎遠だった。もとより、自分の恋愛を逐一報告するべたべたしたつき合いはしない女性なので、いつも恋愛は事後報告。人の恋愛相談には頼りにされるが、自分のことは、いつも結果が出てからぽつりと報告して終わり。もう一年以上になるというのだ。
「ええっ、どこの誰? 知っている人?」
頭の中で思いつくかぎりのリストをめくってみるが、彼女は笑って首を振る。
「実はSさん。あなたが紹介してくれたんじゃない?」
「ええっ!」
と言っても正確には、その人は私の友だちの先輩。四人で一緒にカラオケに行ったのは五年も前ことで、正直こっちは顔も覚えていない。もの静かな、育ちのよさそうな人だったと印象がやっと出てくるぐらいだ。
「でも、あの人‥‥」
そう、彼は独身ではなかった。四十代で、もう子供もいる、落ち着いた年齢。まさかふたりが・・‥全然予想もしなかったことだ。
一緒に暮らしてはじめたのは、彼が家を出てから、と恵美子は長い間封印してきた物語を語り始めた。
「不倫は本気になったら困る。逃げるよね」
「不倫は若いうちだけ」
いずれも、三十代前半のときの恵美子のセリフだ。そんなクールなことを言っても、恵美子は情が深く、純粋な恋をすることを友達は知っている。「恵美子のお嫁さんになりたい」という女性ファンをたくさんもっているハンサムウーマンだか、恋する彼女は、誰よりもかわいい女だ。
そんな彼女が選んだのは、長い時間を費やすことになる不倫の道だった。
「弁護士さんに相談したら、離婚するに十年かかるって。だから、親しい友達には、言うことにしたんだ」
そうあっさり報告してくれても、ふたりが今の形に落ち着くまでも本当にいろいろなことがあつたのだろう。
「奥さんに酷いことを言われた?」
「一回だけ電話あった。『泥棒猫』って。でもそれだけ」
不倫のシナリオは常に一定パターン
不倫が妻に知られた後の顛末は、シナリオでもあるかと思うくらい、一定のパターンがある。
自分のサイドにいたはずの彼は、いつの間にかリングの外。女二人の激しいバトルになる。妻は、裏切った夫ではなく、相手の女に全ての憎しみをぶつける。セリフもどうして、と思うほど決まっている。
「泥棒猫!」
「私の人生返して!」
妻サイドの攻撃で、ものすごい目に遭っている実例を知っているだけに、よくそれで収まったと思う。奥さんも彼女も、理性とプライドがある女性だからだろう。
「三十代になってからの、初めての不倫は止めましょう」
と誰もが言う。三十代になると、不倫に費やす時間が惜しい。後がないからだという。三十代からの不倫には覚悟と経験が必要だ。
それほど、不倫は、(特に女性がシングルで男性が家庭持ちの場合)一定の「パターン」を踏んでいる。ふたりが純粋に恋愛しているうちはいい。離婚や結婚の可能性が絡んでくる、または、奥さんにばれると、とたんにドラマのような急展開となる。経験があれば、ある程度の予測がつくのだ。
不倫の恋にハマっているあなたへ、恵美子の名言が二つある。
「三年で何も起きない不倫は、可能性がない」
「妻の悪口や、うまくいっていないこと、別れると口にする男はダメ」
彼はそんなことは何も言わなかった。付き合って三年目に、ただ家を出て彼女の所にやってきた。
不倫からは正当な形で進めようとする場合、ふたりとも腹をくくらなくてはならない、と恵美子は言う。相手に子どもがいれば、なおのこと。夫婦がすでに空気のような存在になっていても、そうなるまでのふたりには積み重ねてきたものがある。夫婦を続けていくことは、恋愛の瞬発力を上回るエネルギーがいるからだ。私も自分が結婚してからは、よけいにそれが分かるようになった。
男は築いてきた家族を捨てる。捨てさせる女もそれだけの覚悟がいる。「奥さんより遅く出会っただけで何が悪いの?」と言うのは、その重みが解らない子供のセリフだ。恵美子はおとなの女だ。不倫に伴う、自分の痛みも相手の痛みも、ちゃんと承知している。だから、あまり多くを望まないことを大切にしてきた恵美子のもとに、彼は家を出てきたのだ。
今ふたりは、同じ金額だけ生活費を出し合って生活している。ふたりで楽しく暮らせても、決して贅沢はできない。公の場に出ることもできない。人から見れば「愛人」と呼ばれる生活。でも、ひとりでいることより、ふたりでいることのほうがいいから、それを選んだ。
「入籍にはこだわらない。離婚はして欲しいけど。今の私たちって、すごく中途半端な状態かも知れない。でも、いちばん大切なことを見失わないことが大事だと思うよ。なぜ一緒に居るのか、いつも考える。一緒にいたいから、一緒に居ることが幸せだから、一緒に居る。自分に嘘をつけない…」
彼も彼女も、お互いの前では子供のようだ。
「彼はね、私の前ではなーんにも構えるところがないの。ただの人。それって相性かなあ、やっぱり」
彼はたぶん、前の家庭では普通の夫、普通の父親、普通の企業人の顔をしていたのだろう。日本のその年齢の男として求められる顔で、その役割をきちんとこなしていたのだ。そして彼女に会って、そうじゃない顔ができる人生を歩く決意をしてしまったのだ。
「他人の目は、もうほとんど気にならない。そんな人たちが何をしてくれるわけでもないし。親しい人が解ってくれたら、それで充分だから。ただ、子供を持つことを考えると、入籍は必要かもしれない。お母さんと彼との関係は、やっぱりきちんとけじめをつけたい」
と言う。お互い親にも、もう隠すところではない。
「この前、母と彼と三人で会って、温泉に行ったの、仲良く話してくれてうれしかった。彼のお母さんとも、そのあと会ったよ」
長年連れ添った夫婦のような、こなれた優しい空気が、ふたりといると感じられる。恋愛の甘い空気はなく、いろいろなものを一緒に乗り越えてきた空気だ。普通の結婚なら長年かかって経験するものを、不倫という形でふたりは擬縮して経験してしまったのかもしれない。
五十才ぐらいになったら入籍してもいいかな、と恵美子は言う。今のふたりにはさして必要なものじゃない。
「もう、恋しているって感じじゃないけれど、毎日『愛している』って言っているよ」
不倫のゴールはウエディングベルか?
恋愛は今、異種格闘技時代に入った。ノールールの勝負だ。
かつて恋愛のルールは、社会全体の決めたルールだった。今は、誰もが自分なりのルールをもって恋愛している時代。それを知ラナイで参戦すると、負けることもある。
相手が結婚しているからとか、自分が結婚しているからとは関係ない。年上も年下も関係ない。何人だからとか関係ない。もう男とか女とかも関係ないのかもしれない。
ルールにのっとって勝負しているつもりでも、横からいきなりやられる。相手が実は違うルールで闘っていることに気づいたときは、もうマットについている。
結婚にはまだ様々な制限がつくのに、恋愛のタブーは、ほとんどなくなってしまった。こんな時代には恋愛していくためには、自分のルールを守るしかない。自分のベースにあるモラルと向き合って、自分なりのルールを作り、自分の責任で恋をするしかないのだ。
不幸を誰かのせいにできる恋愛は、もう存在しない。
普通の恋愛にゴールのようなものがあるとすれば、それは今のところまだ「結婚」だろう。もし不倫にそれがあるとすれば、それは「結婚=入籍」ではなく、「相手の親に会うこと」、これに尽きると思う。しかしそこまで行く不倫の関係は、「千件に三件あるかなあ」と恵美子は言う。とにかく今、彼女は、ふたりでいる。ふたりを見ていると、長い友達としてとても安心するものがある。
誰もが思う。
「もし結婚したあと『運命の人』に出会ってしまったら、どうすればいいのか?」
もしその人が本当に「運命の人」なら、結局二人はどうして引き合うだろう。それは止められない力だ。同時に、何もしなくてもいいということだ。結局、何年かかろうと、どんな形をとろうと、ふたりは強い力で引き合ってしまう。ただ普通の結婚をして、妻にとってかわる結末だけが大団円ではない。
不倫の恋に勝利者になりたかったら、彼への愛以外は「無」になるしかない。そしてスローに構える。ファーストフードのように恋愛を急いではいけない。何でもありの世の中から、先々何が起こるか解らないのだから。
これからふたりが入籍するまでに、まだ何年もかかるかも知れない。それでも、長い迷路はもう抜けているのだ。
4 「できちゃった結婚」は二十一世紀の救世主か
魔女の条件
「八才年上のお嫁さんなんて、息子が連れてきたら絶対認めない!」
昼下がりのカフェで、まだ四才なるかならないかの子供を連れた、いかにも「お受験塾帰り」の奥様の一団からそんな会話が聞こえた。向かい合ってお茶を飲んでいた友達の手が急に止まった。彼女は今、八才年下の彼と恋愛中。彼女も私も、子供を連れた奥様たちも、どうやら同世代に見える。
「あたしって、やっぱり悪い女なのかな?」
友は、ぽつりと言った。
治美(仮名 一九六〇年生まれ)は、出版社のイベント担当。特にアート関係が強く、海外の芸術家を日本に紹介し、ときにはプロデューサーも手がける。そんな彼女が、四十才にしてできちゃった結婚をすることになるとは‥‥。
「三ヶ月間、日記を書いて見れば? そうしたら今、何に迷って何が大切か解るんじゃない?」
八才年下の後輩は、相変わらず何を考えているか解らない表情で、ぼそっと言った。それでも、その言葉は、治美の心にぽんと響いた。あのときから、何かが始まったような気がする。
年下の後輩は、仕事もできてセンスもいいけれど、おとなしくて真面目で、今どきの若者っぽいところがない。正直、同期の華やかな業界風の女の子たちには、「あいつ、ほんと何考えてるか解らない」と、エイリアン扱いされていた男の子だった。治美だけは、彼は見所があると、いつもいろいろなイベントやパーティ、コンサートに引っ張り出しては構っていた。
それでも八才違いの美人の先輩と後輩は、ふたりでいても噂になることもない。どこに行っても「シモベを連れている」としか思われないし、当の治美も、特別な感情はまったくなかった。
「今の彼って、本当に治美さんのこと、愛しているのかなあ?」
淡々ともの静かなくせに、そんな核心を突くようなことを、ときどきズバリという。その日も残業で、ふたりだけがオフィスに残っていた。そこに酔っぱらった治美のカレシから電話があり、しつこく「会いたい」と言う。ちょっと口論になった。
カレシは妻子持ちで、年上。さまざまなことに生き字引のように詳しくて、ワインの飲み方を世間のブームよりはるか先に教えてくれた人。仕事は証券関係で、ちょっぴり危ない橋を渡るような事もあると聞いていた。とんでもない時間に呼び出されて、深夜のカフェで待ち合わせたり、逆にこちらが仕事で会えないこともある。
まあ、大人の関係だと思っていた。最近ずっと連絡が取れずに心配していたら、取引の事でちょっとまずいことになっていて、裁判になるかも知れないと、知り合いが教えてくれた。ひさしぶりの電話なのに、心配していたのに、何の説明もしない。
「その人、絶対に治美さんのこと、愛していないよ。別れた方がいいょ。迷っているなら、本当に別れてやり直したほうがいいょ。他の人と‥‥」
もの静かな瞳で、後輩は言う。その頃の治美は、複数の取り巻きと楽しく交際していた。だいたいが物わかりのいい年上で、既婚あり、独身あり、でもどちらかというと、面倒くさい独身よりも、既婚者の方がずっと楽だと思っていた。
「お姉様」なんて、キラキラした瞳で甘えてくる年下には「つよいおんな」を演じなくちゃいけないから、うっとうしい。バブルはとうに終わっていたのに、治美の周りの顔ぶれに変化はなく、毎日楽しくひらひらと暮らしていたのだ。
いちばん愛している人と結婚したくない?
治美の二十代の頃の恋愛観は、「いちばん愛している人とは結婚したくない」だった。だった。
大学生の頃、もうこれは「運命の人」、彼しか考えられない、という人に出会った。恋人同士にはならなかったけれど、ずっと彼は治美の「最愛の人」だった。
出会った頃は彼のほうに思っている人がいて、逆に彼の方が告白されたときには、いちばん好きな彼を失うときが来ると恐いという理由で断ってしまった。親友同士のような、ときにはもっと深い絆で結ばれた恋人同士のような「友達関係」はずっと続いた。
「彼以外とは結婚は考えられない。でも、彼と結婚して変わっていくのが耐えられない」
そんな矛盾した気持ちを抱えたまま、タイプの違う複数のボーイフレドと、それぞれにまったく違った気持ちで付き合っていた。今にして思えば、誰にも本気にならないよう、気持ちのベクトルを分散させていたのだろう。
三十代になって、バブルが終わっても、バブルが終わったことに気がつかなかったかのように、治美の生活は変化がなかった。
周りの人たちは、バブルだからといって派手になるわけでもなく、終わったからいって地味になるわけでもない。最愛の彼は他の人と結婚してしまったけれど、ずっと親友の座は変わらない。
どんな人と出会っても「かれが一番」の気持ちは揺るがない。だから、治美は相変わらず、ささやかなハーレムの女王様で、仕事も忙しく毎日を過ごしていた。
どっぷりとぬるま湯につかって、寒い外にはもう出られない自分に、まったく気づいていなかったのだ。
そんな治美を捕まえて「それでいいの?」とぐっと地上に引き戻してくれたのが、八才年下の後輩君だ。ちょっと顔の大きなベビーフェイスで、いつもボーッとしている彼。それでいて誰よりも人の隠れた痛みの解る人。
「日記を書いてみれば」と言われた日から、本当に治美は、既婚のカレシを含む例の取り巻きたちとの付き合いをきっぱり辞めてしまった。
でも後輩の彼は、あくまでも対象外。ただあまりにも「すばらしい人」なので、年下の従姉妹(いとこ)と娶(めと)わせて、自分の一族に加えようと、吸血鬼のようなことを考えた。
治美の好みの男性は、「一見ひねくれて影があって、何かを背負って入るように見える人、(あくまで見えるだけ)、言葉選びが上手で、どうでもいいようなことを楽しく口論できる人、文化的に成熟している人、リベラルな人、色気のある人、ワインとチーズを語れる人、わがままを言っても包み込んでくれる人」
というふうに大変、大変難しい。治美はそれをひとりの人に求めたりせず、治美を囲む複数の男性は「理想の男」の一部分ずつを、それぞれきちんと持ち合わせていた。
それがいつの間にか、治美は八才年下の、全然好みじゃない、お酒も飲めない、ベビーフェイスの彼と恋に落ちていったのだから、世の中は解らない。付き合ってみれば、彼は「恋多き女」の恋愛キャリアの中でも初めて出会った、「こんな人がこの世に存在するなんて」とびっくりするぐらいの、人間的に尊敬できる人。
そのうえ、癒し系。曲がったことが大嫌いで、群れない、媚びない。静かだけど、おもしろい。ひとりで何でもできて、自立している。気づいてしまうと、こんな男が世の中にいたなんて、にわかに信じがたいほど完璧な人だ。そして、なおさら、今までの自分は何をしていたのかと我に返る。
奇跡の「できちゃった婚」
ある日、彼を助手席に乗せているときに、治美は交通事故を起こした。
「ドイツ車じゃなかったら、助手席の彼は死んでましたよ」とあとで言われて、「彼を殺してしまうところだった」とパニックになった。その時の彼はまったく取り乱さず、「大丈夫」と言って治美を支えてくれた。
「支えてくれるは、この人だ」
震えるような思い出自覚した。
ところが、ひとつ問題があった。つき合ううちに解ったのだが、彼は大変な子供好き。治美は子宮筋腫があって、妊娠は無理と宣告されていたのだ。プロポーズされても、「長男の嫁として相応しくない」と、治美の方から身を引くことをも考えた。今にして思えば、そんな自分に酔っていたのかもしれない。そんな時にも彼は「大丈夫。子供ができないなら、養子を貰えばいいから」とまた、何事もなかったように受け止めてくれた。
ある日、「親友で最愛のカレシ」と、夕食を約束した。年下の彼と付き合うようになってからしばらく会っていなかったのだが、治美は身を引く決意をカレシに相談したかったのだ。ところが、今までどんな男に会っても一番の座が揺るがなかった男なのに、近くに来ると「あっちにいって」と追い払いたくなる。
自分の変わりようにびっくりしながら、早々に帰宅。ベッドに入ってから、夜中の三時にぽかりと目が覚める。予感があって、何気なく妊娠検査薬を使ったら、なんと「陽性」。
もう自分は結婚していないことなど、何処かに飛んでしまった。体中震えるぐらいの幸せの中で、彼に電話した。「え、本当?」と彼も大喜びで、あとはうれしい涙で洪水。翌日、主治医の所へ行くと、「まさか、ありえないよ」と、まったく信じてくれない。懇願してやっと検査してもらったら、やはり妊娠。それほど奇跡的なケースだったのだ。
長い付き合いの主治医も「よかった。よかった。大事にしていい子を産もうね」と、手を取り合って喜んでくれた。
てきちゃった婚につきものの「どうしよう」は一切なく、それからはあっという間だった。もちろん、四十才の妊娠で、「高齢出産」というリスクはついてまわる。子宮筋腫のせいで、結局、出産までは絶対安静の状態が続いた。
彼の田舎の両親は、さぞ驚いただろう。さすがに彼を育てた素晴らしい人たちで、妊娠中の彼女が不安になることは一切なかった。治美の家族は「おめでとう。名前、何にする?」といきなりハイテンション。普通は「誰の子供?」って最初に聞かない? と思ったぐらいだ。
出産まで七か月の安静で、全身の筋肉が衰えた。無事生まれた時には「守りきった」と思った。妊娠中に彼は転勤の辞令が出ていて、籍を入れても実家を動けなかった治美とは離れはなれの生活だったが、生まれた後は二ヶ月で彼のもとに、子供と二人で旅立った。やっと家族三人が一緒になれたのだ。
「運命の人」は本当に身近にいた
「高い建物を、どんどん上に建てていって、それがガラガラと崩れたら、小さいおうちがあった」
と、治美は自分の結婚をたとえる。何もかもあっという間に起こって、今は、小さな愛しい命がふたりの間にすくすくと育っている。
二十代、三十代の独身生活は、楽しい竜宮城のようだった。玉手箱を開けてみたら、あらこんな年。でも失ったものはないし、後悔もない。
「結婚だけが人生じゃないし、もし彼と出会わなかったら、私は今でも結婚することもなく、毎日楽しく過ごしていたでしょうね。でも結婚は悪くはないし、子供はすごくかわかいい。出会わなきゃわからない。今にして思えば、間違いなく『運命の人』」
気がつかなければ、そのまま行ってしまったかも、でも、本当に大切なものには、絶対に気がつくようにできている。彼はまったく好みのタイプとはかけ離れていた。けれど、会ったらすべてが納得できた。長い間解けなかったものが、するすると解けていった。用意されていた、そんな気がする。
晩婚、年下、できちゃった、と治美の結婚は、現代の結婚に迷える女性たちにとっては、すべての解答が詰まっている結婚のように思える。て゜も彼女の結論は、
「結局、男って年じゃなくて、『その人』なのだ」
ということ。そして彼女が「その人」と思える男性と出会うときにちゃんと「気がついた」のは、彼女が本当に欲しいものを見極めるために考えた時間があったからだ。「三か月間、日記を書いてみれば」と言われて、本当にその通りにして見て「なりたくない自分」になっていた自分に気がついた。結局のところ、それを気づかせてくれた男性と結婚したのだ。
ある女性にこの結婚の話をしたら、彼女はびっくりして「それってうちの会社の人じゃないですか?」と聞いてきた。最近、彼女の会社の女性も、四十才超えてから、できちゃった結婚したそうだ。相手は10才下の同僚。彼女は同級生と結婚していたのだが、長年子供ができないことで悩んでおり、数年前に離婚していた。
子供ができないから、と結婚を拒んだ彼女に「どうしても欲しかったら養子をもらおう」と言ったのが、新郎となった年下の同僚だ。結局、ふたりは子供が出来て、めでたく結婚した。ほとんど似たような話だが、まったく別のカップルである。
今、三十代の終わりから四十代で、同世代の女性を結婚や恋愛のターゲットとして視野に入れている男性は、残念ながらほとんどいない。逆に、女性たちが選ぶパートナーは、次の世代の男性たちということになる。
なぜ、彼らはひと世代も年上の女性を選ぶことができるのか。
それは、私たちの世代が十年かけて達した結論「結局、年ではなく、その人」という答えを、もう知っているから、途しか思えない。
親たちから引き継いだ旧世代の価値観と、バブルの時代に身につけたまったく新しい価値観、そのはざまでいろいろなものが見えなくなっていた私たちの世代とは違う、ニュータイプの頭の柔らかい男性たち。「男」をふりかざさない、女に甘えない、自立した男性たち。私の同世代にはまだまだ希少価値な、そんな「いい男」たちが、次の世代にもう、出現しはじめているのかもしれない。
「できちゃった婚」は日本を救うかもしれない
厚生労働省発表の二〇〇〇年人口動態統計によると、結婚から出産までの期間が九ヶ月未満、つまり「できちゃった」の可能性の高い結婚は二六・三%今や四人に一人が「できちゃった婚」というわけである。年齢別には、二十才未満のいわゆるヤンママ世代の八割以上が「できちゃった婚」で、二十代、前半でも半数以上だ。この二十年で倍になってい。結婚のモラルは、確実に変わりつつある。
女同士というのは、結婚に関しては、けっこう何でも話をするものだ。自分の身の周りだけでも、確実に増えているのが「できちゃった婚」である。
木村拓哉と工藤静香の「できちゃった婚」が世間を騒がしたのは20世紀末。
普通の芸能人ならいざ知らず、木村拓哉に「できちゃった」わけである。男サイドにちょっとおマヌケ感が漂う“できちゃった婚”も「木村拓哉」というブランドを得て、大手をふってあるいていけるというもの。時代の求めるときに、時代の求めるものをやってしまうのは、やはり木村拓哉が時代に求められた男だからだろう。
最近周囲ではやたら多い“できちゃった婚”。もうこれ以外「結婚の必然性」なんてないよねと思っていた矢先の出来事、「また、キムラタクヤにやられてたなぁ」という感じだった。
結婚に必然性を感じられない時代の男女に子供が出来る。恋愛大国フランスのように結婚しないカップルの子育て共同体性が整っていない日本では「できちゃった」子供を育てるため、男女が協力する一番やりやすい形が夫婦という単位だ。二十世紀末にふさわしい、なんとも今日的な結婚の形としか思えない。
(木村拓哉×工藤静香、二十世紀末結婚「MSNジャーナル」掲載)
この文章を書いたのはちょうどその頃だが、今や「できちゃった婚」は、この結婚難時代の唯一の救世主かも知れないと思うぐらいだ。
このときにコメントをくれたある四十才独身男性は、
「もう、是っきゃないでいよね。結婚‥‥」
と、しみじみと言った。彼はバツイチ、男パラ(男パラサイトシングル、東京都内で親と同居)、いい男、と、いま最も結婚しにくい男性の要素を、きっちり満たしている。付き合う女の一人や二人は軽くいそうだが、なぜ結婚しない「手強い男」である。本人も「特に今、結婚の必要は感じない」と、ついこの前も言っていたばかり。
「もう、こういう形じゃなきゃ結婚しないと思うし、結婚前じゃなきゃ、子供なんかできないですよ」
まったくもって、そのとおりだょなあ、とまた深くうなずいてしまった。「結婚前こそ、子供を作るチャンス」というのは、結婚すると、子供ができる原因になるような行為の回数が減るからだ。
いやいや、うちは違うという反論もあるだろうが、「セックスは家庭に持ち込まない」と豪語する男性もいるくらいだ。日本の家庭には、ロマンスやセックスの匂いはない。学者たちの間でも、少子化の一要因として「セックスレス説」が有力である。
他の男性たちの意見も、似たり寄ったり。不倫などの問題がない限り、永すぎた春を過ごしすぎてしまったいい大人同士なら「できちゃった」はもう他にはない、いい結婚のきっかけである。「するしかないでいょ」という程度の覚悟あるというのだ。
しかし、男性たちにとっての一つの問題は、
「でもさあ、まず本当に俺の子かって思うよね」
ということ。生物学上の父親であることに最後まで確信が持てないのが、男の辛いところらしい。産科看護婦のマニュアルにも、初めて子供に会うパパには「まあ、パパそっくり」と言ってあげる、という手順があるとのことだ。
第三者の発言による安心感を与えてあげる。それが必要なほど、父親の立場というのは危ういものらしい。
結婚に踏み切れない、結婚しても子供をつくらない、またはつくれない晩婚、少子化時代の主役である。結婚への踏ん切りがつき、しかも子供をつくれる「できちゃった結婚」は、この時代の切り札ともいうべき結婚の形だ。
アジアの大家族主義は、「大家族」でいることが生きるための重要な手段であったが、豊かになった日本では、大家族は淘汰(とうた)され、今や最小単位の「核家族」も淘汰されようとしているのかもしれない。日本の家族に残されているのは「子育て」の機能だけじゃないか、と思うことすらある。
まだまだ現実的には、シングルマザーという選択は、厳しい道だ。
遺伝子を残せない男たち
女性たちの意見を聞いてみよう。三十代独身、または既婚の女性陣に聞いてみたが、やはり「できちゃった結婚」は最近増えているらしい。
だいたい「子供ができた」となってから女性の方が腹が据わって、結局、女性主導で結婚への道は進む。ある男性は、結婚はするつもりはない女性から「妊娠したかも」と深夜の電話で告げられ、「冷たい汗が出る」とはこんなものか、と実感したという。
結婚するつもりがなければ、用心の仕方もあると思うのだが、女性たちは口をそろえて「男は女の体のことなんかわかっていないし、だいたい何も考えいない」という。男性陣に聞くと、彼らの信奉している避妊方法というのは、今どき中学生でも「危ない」とわかる程度ものだ。やはり妊娠は、どう転んでも女性の手にあるものである。
「できちゃった」がつき合いの長い男女の間で起こるとき、それは女性サイドの覚悟が固まったときだろう。
ある独身三十九才バツナシ男パラ男性は、結婚しないことをある女の子にこう言われた。
「好きな女の人に、自分の子供を産ませたいと思わないんですか?」
その発想は、自分の中にはない。いや、奥底に願望はあるかも知れないが、正直考えたこともなかったから、虚をつかれたという。そういえば、最近はドラマのセリフでも「俺の子を産んでくれ」なんて聞いたこともない。
ある男性は「自分の遺伝子に自信がないから、子供は欲しくない」と、はっきり言った。最近の男性は「遺伝子を残す」という本能はあっても、それを具体的に実行していくだけの余裕がないのかもしれない。
その一方、ある結婚情報サービスの調査によれば「結婚抜きで、自分の子供は欲しい」という男性は増えているそうだ。
実際にそういう願望を口にする男性と話すと、彼らの中での子供とは夜泣きしたり、おむつを替えさせられたり、そんな面倒な存在ではない。せいぜい三歳以上、またはキャッチボールができるような年頃に育ったうえでポンと現れる、しょせんは「夢の子供」。結婚抜きの子供というのは、「結婚していなくて自由で、たまに行くと『パパ』と迎えてくれる」という、メチャクチャ身勝手な願望のようだ。
結婚しても、子育てに関してはこれを実現させてしまっている男性も多く、そこに「育児をしない男を父とは呼ばせない」という政府主導のキャンペーンを張らなければならないような現実がある。
やはり妊娠、出産、子育ての現実の前に、都合のいい男の子供願望など、「冷たい汗」となって流れてしまう程度のものなのだ。
最近もまた、芸能人の「できちゃった結婚」が発表されたが、もはや「できちゃった」ことに対して、世間は寛容になった。少子化問題解消を真剣に考えなくてはいけない政府にとっては「ありがたい」ことだろう。木村拓哉夫妻は、そういう意味で表彰されてもいいかもしれない。
今の日本では、「できちゃった」ら必ず「産む」ようにしないと、出生率は回復しないと思うのだが、そうすると、たくさんの「シングルマザー」ができることになるだろう。シングルマザーを政府が厚く擁護して、出生率を上げるというのは、北欧ではすでに成功している手段だが、日本では今のところ、そこまでの進んだ政策はない。
となると、やはり「できちゃった」カップルには結婚してもらうことしかなくなる。「できちゃった婚」は、これからの時代の「希望の星」なのである。
5 病めるときも、健やかなるときも
もうひとつの「ビューティフル・ライフ」
人間はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。人の一生の始まりと終わりには決まっている。その間の孤独を埋めるために、人は求め合うのだろう。それでも、信じあえる絆があれば、最期の瞬間も、人は孤独ではないかもしれない。
マザー・テレサは、インドで死にゆく人のための家を造った。道端で死にかけている人々よりも、未来のある子どもとか、もっと他に目を向けるべきではないか、という人もいた。しかし、マザー・テレサはこう言ったそうだ。
「誰もが必要とされて生まれてきた。最期の瞬間でも、そのことを知らせてあげなければいけない」
まさにバブルの絶頂期、あるホームパーティで知り合った彼女、佳子さん(仮名)は、私よりも四才年上。マンションのオーナのペントハウスで開かれるパーティは、砂糖菓子のような甘い結婚を夢見て、顔を出す女の子たちでいっぱいだった。その中で、一人だけ異質な雰囲気をもっていたのが、彼女だった。小柄な体にいつもエネルギーが満ちあふれているキャリアウーマンだった。料理上手で姉御肌で、誰にも頼りにされていた。
仲良くなって三年して、私はひとつの大きな失恋をした。手当たり次第相談した相手の中で、いつも一番大人だ、いつも前向きな助言をしてくれたのが、佳子さんだった。彼女と話をすると、いつもほんの少し、気持ちが浮上した。
一方的な相談相手ばかりを務めさせていた彼女から、ある日、電話がかかってきた。珍しく沈んだ声で。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「何ですか? 何でも言ってください」
やっと支えてもらったお返しができると勢い込んだ。しかし、そのお願いの内容は、とてつもなく重いものだった。
ある大学病院で、癌の第三期だと診断された。違う病院でも診てほしいので、どこか紹介してもらえる病院はないか、というものだった。
いつも人の三倍は元気な彼女に、いつの間に、そんな恐ろしい病魔が巣食っていたのか。検査の結果。即時入院となった。
佳子さんは当時、長い付き合いの恋人がいた。彼女より、三っほど年上、元ミュージシャンデ、今はセールスマン。ちょっとお水っぽい雰囲気の、きれいな顔の男の人。会社の帰りに見舞いに立ち寄る私と彼は、病院でよくすれ違った。彼女が薬で眠っていて会えないときに話をするようになった。
しっかり者の佳子さんと、ちょっとモラトリアムを地でいくような彼。ふたりは似合いのような、似合いではないようなカップルに思えた。
やがて、彼女はガン細胞に侵され臓器を摘出する大手術を受けることになる。
癌の進行を食い止めるためとはいえ、あまりにも女性にとっては残酷なその手術の話を聞いて、私は泣いた。誰よりも大人の顔をしてはいても、まだ結婚前の、三十代の女性なのだ。
癌の手術というのは、実際に間近で見ないと想像がつかないほど、患者を消耗させる。つい二ヶ月までは、彼女は普通の人以上にエネルギッシュな日常を送っていたのだ。手術前には「担当の先生、独身だって。おもしろいやつなんだ。今度紹介するよ」と、まだ、人の世話を焼いていたのに。
手術後、何本のチューブにつながれた彼女は、別人のように弱っていた。本当にこれが彼女のためになる手術なのかと、疑ってしまうような状態だった。
そんな日々を支えたのが、彼だった。時間の自由にならない勤め人の生活を放棄し、日雇いの労務者として働きながら、病院に通った。
正直、この先長い時間、人工臓器をつけて生きる恋人を彼が支えて行けるものかと、私は心配していた。今は必死でも、途中でその重さに耐えられなくなるのではないかと。
しかし、彼は退かなかった。仕事を捨て、全てを彼女と一緒に病気と闘うことに賭けた。彼女はそんな彼にすべてを委ねた。
「雨になると嬉しいよ。現場が休みになって、長く一緒にいられるから」
すっかり日に焼けて逞しさを増した彼は、そう言って笑う。病床の佳佳子さんは、傍らで本当に幸福そうだった。
三ヶ月ほどして、一時、自宅療養できるようになる。車椅子で彼と病院を出る彼女は、輝いていた。
「落ち着いたら、籍を入れてちゃんとしようって思っているですょ。こいつと」
佳子さんは傍らで微笑んだ。
快気祝いのウェッジウッドの小箱が送られてきてから、一ヶ月もたたず再入院。今度は、見舞客に面会もできないほどの、酷い状態が続いた。
彼は、病床につききりだった。佳子さんに会えず喫煙室で時間を潰す間、かれとはいろいろな話をした。しかし私たちは信じていた。
あの潔く、勇気のある、強い女性は、必ず病魔に打ち勝って、また輝くような笑顔を見せてくれると。子供が親を信じるように一途に信じていたのだ。
佳子さんの口から「ホスピス」という言葉が出たことがある。どんなところかわからなくて、たくさんの本を読んで調べた。そのときですら誰もが、死の準備をする場所は彼女には相応しくないと思っていた。
彼女が私たちにくれる前向きなパワー、真摯な助言、温かなまなざし、包容力。本当に今思っても稀有(けう)な女性だった。
こんなに多くの人に必要とされ、多くを与えることのできる女性を、この世から奪っていくほど、神さまは残酷なことはなさないはずだ。
初めて癌と診断されてから、たった八ヶ月。享年三十五才。彼女は逝った。
お葬式は、彼女の両親が住む、郊外の団地の葬祭場で行われた。
彼女は強い人だった。ひとりでも生きていける自立した女だ。人間ひとりで生まれて死んでいく。しかし、その彼女が、最期にひとりぽっちではなかったことに、私はとてもホッとする。
女は、思うよりずっと強く、人は、思うよりずっと弱い存在なのだ。
ふたりの最期に組んだパートナーシップは、佳子さんの死によってピリオドとなった。期間限定だったから、彼は仕事をなげうってまで頑張れたのだと、意地悪な見方をすることもできる。
しかし、彼女が帰らぬ人となるなんて、誰一人思っていなかったのだ。死への覚悟や予感も許さないほど、若い体に宿った癌は凄まじい。何も考える間もないほど、速やかに彼女の命を奪っていった。
力強くリードしてくれ、ときにはあまく優しい恋人になれる人。
とまあ、女たちが結婚を求めようとした欲望は果てしなかった。特に「足るを知らない世代」の私たちの場合は。
こんなにたくさんの欲望を実現させてくれる王子様なんて、もう日本のどこを探してもいない。こんなにたくさんの欲望を許容できる「結婚」何てない。
王子様はいない。
そして女たちは、「ひとり」の自分をみつめはじめた。
私はいったいなんだろう?
王子様の隣に居場所がないなら、私の居場所はどこだろう?
私はいったい何が欲しいのか?
そして気がついた。結局、自分を縛っていたのは、誰でもない、自分なのだということを。
母親でも父親でもない、社会でもなく、まして男でもない。自分が自分を「女はこうでなければいけない」という鎧(よろい)でガチガチに固めていたのだ。
仕事をして、恋をして、遊んで、勉強(カルチャー)して、考えて、落ち込んで、上昇して、家族に逆らって、そうして「自分の殻」を少しずつ、バリバリと破って抜き捨てていったのだ。
殻を抜き捨てた自分は、自由だ。そして孤独だ。「ひとり」なのだ。
もう、誰のせいにもできない。誰に頼ることもない。
孤独だけど、自由。自由だけど孤独。
それに気がついたとき初めて、今まで自分を慈しんでくれた家族や、恋人や、友だちのありがたみが解る。「ひとり」の自分を見つけてから、人間は「ひとり」では生きていけないことを思い知る。
シングルで信頼できる友人を持つのもいい。
結婚しないパートナーを持つのもいい。
結婚せず子供を持つのもいい。
五十才でも七十才でもしたいときに結婚してもいい。
結婚が老後の楽しみであってもいい。
これからは「何でもあり」の時代になるだろう。
人とつながる形は、ひとつではない。「結婚」である必要はないし、「結婚」でいい。みんなで幸せの仮面をかぶり、ひたすら上を目指すことは、私たちの世代で終わりにしなくてはいけない。
山本文緒さんは、自らの結婚への微妙な思いを語った『結婚願望』(三笠書房)の中で、「独身のまま一生を過ごす覚悟」を語っている。三十代も半ば過ぎ、普通の標準的な人生を送ってきた人は、何の根拠もなく「ささやかですが平凡な結婚生活ぐらい」は、特に欲をかかない自分に与えられると信じている。
しかし、人生のすべてが順調にできちんきちんと暦通りに進んできても、結婚だけがうまくいかない場合もあ る。もしかしたら結婚するかも、という中途半端な迷いを捨て、覚悟を決め、そのうえで「一人では生きてはいけない人間」として、人と関わっていくのだ。
私は、この文章がとても好きだ。誰にも与えられているはずの平凡な人生、標準的な人生。というのは、もう本当は存在しない。人は絶対に平等には生まれてこないというのは、誰もがもうわかっていることだ。
そして彼女は今年、二度目の結婚をするという。
「青い鳥」が見える目をあなたはもっているか
晩婚の物語は、女たちが「ひとり」の自分を見つけていく旅路のストーリーでもある。
白いウェディングドレスを着ることを夢見ていた私たちは、遠くまで旅して、結局、また白いウェディングドレスを着ることにした。まだ、愛と家族を信じることが出来るからだ。白いウェディングドレスを着る「私」は、フワフワした甘い未来を夢見ていた「少女」ではない。同じ白いドレスでも、中身は「ひとりの女」、またはそれになろうとする途中の「女」である。
傍らに寄り添うパートナーは、少女の頃に夢見た王子様とは違う。
晩婚のキーワードは「逆転』だと書いたが、それは表面的に見ればそうなったというだけの事で、必ず「年下」の「癒し系」がいいというわけではない。
それよりも重要なことは「頭の柔らかさ」である。突き詰めて言えば、旧来の「男らしさ」「女らしさ」という価値観からいかに自由な人か、ジェンダーフリーな人かということだろう。
年齢に関係なく、「柔軟」で「自立」した男。
女性の方が「依存しない自分」になれば、そういうすっきりとひとりで立っている男性が見えてくる。彼らはお金持ちでもないし、いい車に乗っていないし、背も高くなくて、今までの自分には「視野に入らなかった」男かも知れない。
「青い鳥」は家にいたのに、遠くの都のお城ばかり見ていた女たちには、それが見えなかったのだ。
また、アジアの家族を見ていると、家族は本当に生きるために助け合っている、または助け合わざるを得ないのが解る。出稼ぎに来るフィリピン女性たちは、仕送りをして家族に家を建てる。お金が必要になれば、サラ金もない国では、親戚に借金をするしかない。
失業保険、保健医療、社会福祉制度のさまざま恩恵のない国。失業したり、病気になって働けなくなれば、明日からすぐに食うのに困る国。そんな国では、家族が依存し合わなくては生きていけない。日本人がそういうアジアの他の国を見て家族の絆を懐かしむのは、平和ボケなのかもしれない。愛し合う絆は、依存という要素が入れば、拘束にもなる。
家族が依存し合わなくても生きていける社会になっても、日本の男と女は依存し合っている。女は男に「経済力や自分の居場所」を求め、男は女に「自分は強い男である確認」を求める。実は「愛」と呼ばれるものの正体に「依存」が大きく関係していることに、最近はみんな気づき始めている。
「私と彼って、共存だと思うんですよね」
ある女性にそう言われて、驚いた。心理学で使う用語がすでに一般化している。DV(ドメスティックバイオレンス)の夫婦も、暴力を振るう夫と、その夫の元を離れられない妻によって助長される。妻は「この人は私がいなくてはダメ」と言いながら、自分の居場所を確認するために、夫に依存しているのだという。
「あなたのために」という美しい愛の言葉は、本当はぞっとするほどのエゴイズムを含んでいることに、そろそろ気がつくときがきている。
誰かによって自分の存在を確認したい。すべてを預けたいという欲求は、ときにはとても危険だ。日本の男も女も、もう誰かに依存されるほどの余裕はないだろう。依存を軸とした男女の関係や家族の関係は、きっともう終わりにしなくてはいけないのだ。
この章に登場した女性たちも、完全に自立しているといわけではない。子供を育てる側に回った女性は結局、仕事を辞めている。今の社会状況では、それも無理はない。今は過度期で、すべての制度は変わっていかなくてはならない。とはいえ、社会の制度が変わるまでも人と愛し合うことや、子供を持つことを待っている暇はない。特に女性にとっては。
それならば、過度期なりの、自分なりの方法でやっていくしかないのだ。社会のせいにしている暇はない。彼女たちは、自分なりの回答をみつけて家族を持つことにした。経済的に夫に依存している人もいるが、その選択は自分のもの。誰もがそうするからではなく、社会が悪いからでもなく、自分で選んだ道の結果は、自分で引き受ける。そういう腹が据わったときに、人は初めて、依存の時代を終えるのだと思う。
人とのつながった「ひとり」になりたい
これからは「個」の時代が来るのだ、と誰もが言う。「個」を確立せずに、集団主義の「右へならえ」で、多様性を排斥してきた日本。結局、そのひずみが今、あちこちに出て来ている。政治や経済ももちろんだが、家族そうだ。まさに「日本病」は、日本の全身に動脈硬化を起こしている。
「家」制度から「核家族」という近代家族になり、さらに「自由恋愛」の時代になったのに、誰も好きな人と楽しい家庭を持てる時代になったのに、このシグナル大量発生時代が来ているのは、どうしてだろう。
日本人の男女が「個」としての「大人」になれないうちに、すべてが豊かになってしまった。「大人」として成熟しないうちに、お金の力で急に何もかもが出来るようになってしまった。
恋愛ばかりではなく、人ときちんと係わるには「大人」であることが不可欠なのに、「大人」になりない大量の男女の群れが出来てしまった。「個」ではなく「大人」でもない男女は、人と関わることが怖い。傷つくことが怖い。温め合いたいのに寄り添えないのを、心理学的には「ハリネズミのジレンマ」と言うのだが、まさに今の私たちが抱えるのはそれだ。
ネットという、バーチャルな空間を介してしか触れ合えない。携帯電話の登録件数は多いのに、孤独を感じる。幸せな家族の顔をしなければ、世の中から落ちこぼれる。今失望している世代は、まだましかもしれない。これから先に「大人」になっていく世代は、いったい何を信じていけばいいのだろうか。
まず、幸も不幸も誰のせいでもない「ひとり」になるように努力すること。そして「人とかかわる」ことをあきらめない。矛盾するようだが、「ひとり」になることと、「人とつながる」ことは、きっと同じことだ。
「ひとり」の自分になれば、人が自分と違うことをしていても、受け入れられるはずだ。人が何を言おうと、気にしないでいられるはずだ。自分が何をしても、その結果を自分で引き受けられれば、何をするのも自由なはずだ。そして「ひとり」と「ひとり」が手を取れば、人はつながっていけるはずだ。
「ひとり」でも、人とつながるために手を伸ばすことを怖がらなければいいのだ。快適な「ひとり」の自由は素晴らしい。それでも、人がこの世で味わう、天国に昇れるような最高の思いも、地獄に落ちるような最悪の気分も、結局は「人」とかかわることでしか、知ることができないと思うからだ。
世の中は男と女しかいないのだから、その手を取らないのはもったいないような気がする。これからは、結婚や家族だけが人とつながる形ではない。しかし、伝統的な形の中で「ひとり」を模索していくのもありだろう。これからの結婚は、決して固定した形ではない。結婚の中で「ひとり」と「ひとり」の関係を日々培っていかなくては、やがてひずみが出てくる。
要するに「何でもあり」なのだ。多様性を受け入れる日本にならなくては、誰もが窒息しそうな袋小路から抜け出ることはできない。
これからの結婚や家族はどうなるか、本当に分からない。今は過度期で、本当にこれから何もかもが大きく変わっていくということしか解らない。
それでもまだ「愛」や「人とつながれる心」を信じている私は、まだ終わらない病の中にいるのだろうか?
少なくとも私は、親の世代から愛を貰った。温められた。最初に自分を肯定してくれたのは、家族だった。もらったものは誰かに繋いでいかなければ、という思いは常にある。しかし誰に、どうやって、という答えは見つからない。愛を押し付けるのは「エゴ」なのだということも、もう知ってしまったからだ。
世の中には、愛があふれている。チャンネルをひねれば、愛をテーマにしたドラマが流れ、本屋に行けば、恋愛小説があふれ。街角で耳にする音楽は、すべて愛を歌っている。私たちは、こんなに愛を欲しがっている。そして、誰かを愛したいと思っている。バーチャルな愛はあふれているのに、生身の人間同士はすれ違うばかりだ。
今から変わっていかなければ、日本のシングル社会は、自立した男女が結婚しない関係を楽しむ社会ではなく、人とつながらないシングル社会になっていきそうな予感がする。
親も子供を愛さない、子供も親を愛さない、夫婦も愛し合わない、誰もが恋人をもたない、そんな殺伐とした社会にならないために、本当に変わらなくてはならない時が来ているのだ。
あとがき
今年は、友人の間で二件の出産の報がある。
一人は一九六五年生まれの友人で、三十七才で四人目の子供を出産した。
四人目というと誰もが驚くが、彼女が子育てをしているのは、日本ではない。米国留学中に知り合ったダンナ様の母国に嫁ぎ、彼女はアジアの発展途上国で、メイドやベビーシッターにかしずかれるという、日本いる私たちから見ればお伽噺(とぎばなし)のような生活を送っているのだ。
「四人目は絶対に誰にも触らせたくないの、四人目にして、初めて女として生まれた喜びみたいなもの、役目みたいなものをひしひしと感じる」
と彼女は笑って言う。
「四人目にしてやっと?」
友人たちはそう言って笑うけれど、何となく共感できる。子供が好きではない私ですら、
「おすすめよ、ぜひこの喜びを味わって」
と幸福そのものの顔で言われると、ついその気になってしまうのだ。
そしてもう一人、一九六三年生まれの友人は、三十九才にして未婚の母になる選択をした。
晩産で、しかも未婚と、現代の女性の最先端をいくように見えるが、彼女は元々保守的な母親に厳しく育てられ、どこかの奥様になるために生まれてきたような人だと、私はずっと思っていたのだ。
「欲しいものだけ選んだら、こうなった。すごく贅沢かも」
と、同じように母となった喜びに満ちた彼女。自分のことを「家猫の冒険」という。家付きの猫が迷子になってしまうのは、ちょっとテリトリーを離れて戻れなくなってしまうからだ。
どちらの女性にしても同じ世代。そして日本での生活は似たり寄ったり。学生時代の話やOL時代の話をすれば、尽きない共通項が出てくる。
私の世代は本当に「思えば遠くへ来たもんだ」という感じだ。気がついたら、母親にこうであれと望まれた娘から本当に違うところに流れてしまった。
そして物的に遠い場所、日本の外に出た女性たちも多い。この四年、アジアと日本を行き来しながら、どこにいっても日本の女性たちに注目して来た。異国に定着していく女性たちは母となることで、揺るぎなく大地に根付いていく。そんな彼女たちを見ていると、母性神話を信じていない私でも、結局、遠くまで来た女性たちが最後に出産という喜びに突き当たるというのは、正しい解答のような気がするのだ。
このあとがきを書いたら、コンピュータを閉じて日本行の便に乗る。私にとってのアジアをフィールドとした四年間は終わり、日本に本格的に居をことにした定めることになる。
「外に出ると、日本がよくみえる」というのが、見た結果、愛国心に目覚めるか、やたら日本に批判的になるか、または両方になる。この本を書いたのは、外から見た日本が本当にもうまずい所まで来ているような危機感からで、にわかに発露した愛国心の成せる業だ。そして「日本はここがおかしいのでは?」と考えるたくさんのきっかけを与えてくれたのは、アジアで出会った多くの日本女性たちである。
女が子供を産みたい、育てたいと思えない国というのは、どんなに物質的に豊かでも、生きにくい国だと思う。多様性を受け入れない日本では、自分と少しでも違う人たちがどうしているのかを想像することすら、できなくなっている。
結婚している人には、結婚しない今の男女が奇異に映るだろう。また男には女が、女には男が、親には子供が、子供には親が、何を考えているのか解らない。
この本が、少しでも縮んでいる想像力の翼を広げるきっかけになり、窒息しそうな思いをしている普通の結婚しない男女に、
「これからは何でもありなのだ」
と気づいてもらう助けになればいいと思う。
取材に応じてくれたみなさん、もの書きになるきっかけをくれた青春出版社の菊池さん、学者でもない私にこの本を書くチャンスを与えてくれたサンマークの出版の新井さん、その他、多くのの人のおかげでこの本を出すことができました。
そして、飛び回る妻に辛抱してくれた夫に依存している、誌面を借りて感謝します。
二〇〇二年五月九日 白河 桃子
恋愛サーキュレーション図書室
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