
著者=白河 桃子
結婚できてもしない女
「女は、ウェディングドレスを着るために生まれ、そのために死んでいくのだ。誰に刷り込まれたのかはしらないけれど」
そう書いたのは作家の島村洋子さんだ。二十一世紀を迎え、空前の未婚時代といわれても、ウェディングドレスを着たくないという女性は少ないだろう。たとえ「結婚」に未練がなくなる時が来たとしても、ウェディングドレスを着ることには絶対に未練が残るに違いない。
結婚しても、何度でも着てみたい。「結婚願望」の正体は、本当のあの白いドレスにあるのかもしれない。
とにかく、私たちは最初すら「結婚しない女」になるつもりなどなかったのだ。
1、1960年代生まれは結婚しない? 結婚できない女VS結婚しない女
「ひとり論」が盛んだ。ひとり暮らしの素敵さ、快適さ、潔さ、を追及する女性たちの本だ。
男性シングルが「差別しないで」と訴える本よりも、「ひとり」を謳歌(おうか)する前向きな本だ。日本にも大人の自立した女性たちが出て来ている証拠である。
かっこいい「ひとりのライフスタイル」に憧れつつも、巷(ちまた)の女性の本音としては、結婚はまだまだ「しない」と決めたものじゃない。ただ「結婚できない女」と呼ばれるより、「結婚しない女」と名乗ったほうがかっこいい。結婚しなくてもけっこう楽しく生きていけることは事実なのだ。
女が結婚を考えるときには二通りある。好きな人ができて、その人と一緒にいたくて結婚したい場合。そして相手はいなくても、結婚だけはしたい場合。前者は、相手がどうしても欲しくてほしくて溜まらない気持ちだ。そして後者は、女の身のうちに巣喰うどうしようもない「刷り込み」のようなものだ。「ただ一人の男も捉まえられなかった」「女としての欠陥品」と思われたくない。世の母親たちは事あるごとに、
「そんなことをしていると、貰い手がありませんよ」
「行かず後家になったらどうするの?」
そんなセリフで幼いころから娘たちをおびやかしてきた。それが私たちの中に根をおろしている「結婚できない」ことへの恐怖感の正体なのではないか。
自分の人生の中に「結婚」というシステムがセットされていて、それ抜きにしてはどうしても人生自体が成り立たないという思い込み。それがある日「パカン」とはずれるときがある。
パカンとはずれても、結婚そのものは決して消えてなくなるわけではない。なくても自分というマシンは起動しているじゃないかと、気がつくわけだ。
その「パカン」が起きるとき、女は「結婚できない女」から「結婚しない女」になるのだと思う。
たしかに、結婚しない女は大量発生している。もうシングルであることは少数派ではなくなった。今どき、地方でも「クリスマスケーキ」とはもう誰も言わない。都会なら、三十才過ぎての独身なんて履いて捨てるほどいる。
時おり押し寄せてくる結婚願望を飼いならし、大手を振ってシングル道を謳歌し、もし究極の出会いがあれば、さっさと結婚してしまえばいい‥‥と女たちが開き直ったら、日本は大変なことになってしまいそうだ。
人類学者は、女性にしか興味がないという。人口を左右するのは女性だからだ。父親が誰かということは問題ではないし、はっきりいって証明する術もない。少子晩婚化の主役は、どうしても女性たちとなる。
最近話題になる「生涯未婚率」とは、女性が五十才になったときの一度も結婚を経験していない人の割合だ。知り合いで五十才すぎて退職通知と一緒に結婚をお知らせした女性がいる。五十才過ぎて結婚はあるのだから、生涯未婚とは失礼な話だが、出生率に貢献しないという理由で、女性は五十才で生涯未婚というありがたくないカテゴリーに入ってしまう。
女性の1950年生まれの生涯未婚率は五%以下。2000年の国税調査をもとにした数字では、1965年生まれの生涯未婚率は九%と予測されている。十一人に一人というところだ。男性なら十人に一人ぐらいか。結婚がなければ子供が生まれないのが、まだまだ日本の保守的なところ。
シングルマザーは少ない。したがって、結婚する人が少なくなれば、どんどん出生率も低くなる。最新の発表「日本の将来人口推計」(二〇〇二年一月)では、二〇五〇年にはひとりの女性が生涯産む子供の数は、一・三九人ということだ。
一九八五年生まれの生涯未婚率は一六・八%と予測されている。ひょっとしたら「結婚している」ほうが珍しい時代が、そこまで来ているのかもしれない。
「クロワッサン症候群」後のシングルズ大量発生
一九七七年に創刊した女性誌『クロワッサン』の提唱するライフスタイルをめざして頑張った女性たちがいた。「自立する女」という掛け声に踊らされ、一段上に上がったものの、降りるべきはしごはもう外されて、「結婚したい」「比護されたい」という気持ちを抱きながら不本意なシングルライフを送る女性たち。それが「クロワッサン症候群」である(『クロワッサン症候群』松原惇子 文春文庫)。
その頃の三十代シングルと、今の三十代シングル女性の違いは何か?
女性の就業機会が増えたこと、終身雇用制の崩壊とともに、結婚が逃げ込める永久就職ではなくなったこと、そして、何よりも三十代シングルの大量発生・‥。
クロワッサンたちは特別な女性を目指したし、当時の女性の生き方としては最先端、つまりは少数派だった。クロワッサン世代の先輩たちは、かなりかっこいい女性が多い。しかし、少数ゆえに、「優越感」と「不安」は同居する。
今や三〇代独身女は、そこかしこにごろごろしている。有能なキャリアウーマンもいれば、お気楽なパラサイトもいる。とにかく質より量だ。三十という赤信号も、大勢の強みで突っ切ってしまった。
それを除けば、「巣喰う結婚願望」も「比護されたい」気持ち」も、女の中身はここ二十年たいして変わっていないのだと思う。マイナス成長時代になり、男性中心の企業社会、日本の社会制度にガタがきて、庇護してくれるような男性が絶滅しかかっている。
そこで「不本意な結婚」よりも「納得できるシングル」を今のところ選んでいる。結婚にすべてを預けきれない、それなら自分はどうすればいいのか、そんなことを模索する女性たちが大量発生しているのが、今の過度期の状況だ。
「結婚よりも仕事を選ぶ」女性が増えている、というのはまだ時期尚早だろう。それほど魅力的な仕事を持っている女性は、まだ少数派だ。
そもそも今の三十代シングルたちは、みながみな、最初から「自立した女」を目指していたかといえば、そうではない。男女雇用均等法施行は、大量の総合職を生むには至らなかった。ただ「普通のOL」キャリア職」「専門職」と、女性たちの働くスタイルを広げただけである。
私の入社した大手企業では、その年の総合職採用の女性はたった一人だった。東大法学部卒業の女性を「採用しています」という言い訳のために、法務部に一人いれただけというお粗末さ。まだまだ大半が普通のOLだった。
身近な例をとれば、新卒で就職した同じ部署の、同期入社の女性たち十九人で同窓会をつくっている。四大卒の一般職で自宅通勤は不採用条件だった。馬にして思えばパラサイトシングルの集団ともいえる。同期の女性は短大卒百名、四大卒百名、すべてが一般職。不景気の今では驚異的な数字だ。四大卒は三年で肩たたき、結婚退職は不文律だった。
女性の仕事は事務職のみで、大手企業の社員のお嬢さん候補として入社し、職場の花の時代が終われば退社。そのわりにはハードな職場で、毎日残業はたっぷりで給料はいい。今ならしがみついても職場に残っただろうが、当時はみなあっさりと退職していった。
強気で退職できたのは、当時バブルただ中の日本に進出してきた「外資系企業」と「派遣社員」という受け皿があったからだ。私も三年勤めた大手日本企業の事務職から、外資系証券会社に転職した。当時、そうやって外資系に流れた事務職OLはたくさんいたと思う。同期十九人も入社五年ではほとんど退職し、そのうち外資系に転職したのは四人だった。
周囲は私たちを「キャリアウーマン」になったと誤解したが、それはとんでもない錯覚である。アメリカのオフィサーは、なぜ日本では四大卒の女性が、アメリカでは高卒、専門学校卒の職である「秘書」をやるのか、不思議がった。秘書は、あくまで一般書のカテゴリーにすぎない。
証券会社に移ってしばらくすると、五年下の同じ大学の女性たちが「総合職」(プロフェッショナル)」として新卒で入社してくるようになった。秘書として、上司の部下である彼女たちにも仕える。別にそのことを何の不思議とも思わなかった。職種が違うのだ。日本企業が総合職女性を使いこなせないでいた時期、外資系には当たり前のようにそういった風土が実現していた。
外資系に転職した私たちは、初めて長く働く女性のさまざまなロールモデルに接する。仕事には執着のなかった典型的なパラサイトシングルの自分が「働くのも楽しいかも」と思ったのは、外資系にいる四十代の秘書たちを見てからだ。
日本企業には「お局様」か、まなじりを決して頑張る「キャリアウーマン」しかいなかった。それがあまり楽しそうに見えなかったから、私たちの世代は先輩たちがせっかく切り開いた道に続かなかったのだ。
バブルの恩恵は。女性にも様々な就職機会をくれた。社内で一般書から総合職への転換試験を受ける人もいれば、転職によるステップアップをする人も多かった。当時のOLたちは、男性よりも先に欧米流のジョブホッピングを実践していた。友人は二十九才で外資系秘書から海外留学、その後、夢だったグラフィックデザイナーとなり、アメリカに就職している。
結局、私の会社勤めは、新卒のときから四社を転職して、十四年間に及んだ。同期たちや、当時の秘書仲間と話す時にいつも言い合うのだが、新卒で社会に出たときには、誰もがこんなに長く続くとは夢にも思わなかったのだ。
バブルの時代は、「腰かけOL」を「働く女」にした時代でもあった。やりがいのある仕事を得た人もいる。安定した収入が最優先という人もいる。当時の友人は、まだまだ企業社会の一角でがんばっている。結婚しても子供ができても働いている人もいる。仕事の満足度、自己実現の度合いきさまざまで、本当に好きな道で充分な収入を得ている人は少数派だ。
仕事さえあれば結婚がなくても生きていける。ということを、私たちは社会に出てから知っていったのだ。
十九人の同期たちは、独身女性が三人、子供のいない既婚者が二人、晩婚あり、晩産あり、こんな小さな集団をとっただけでも、私たちの時代の「ただのOL」は、その後バラエティに富んだ道を進んでいる。
私は「腰かけ」意識で社会に出た普通のOLだったし、「結婚願望」も強かった。他の人も似たり寄ったりだった。たぶんいちばん保守的な層すら、もう「○○才までに結婚して専業主婦。子供は二人」が当たり前ではない。私たちはそんな世代だった。
hanakoさんこそ、すべての先導者だった
私たちがOLだった時代、都会のワーキングガール向けの情報誌『Hanako』がマガジンハウスから創刊された。
一九八〇年代後半から一九九〇年代初めにかけて「Hanako族」と呼ばれるOLたちがいた。『Hanako』の創刊が一九八八年。当時、この雑誌の提供する情報(ブランド、グルメ、海外旅行、エステ、カルチャスクールなど)を先頭に立ってエンジョイし、ことさらキャリア志向ではないが、結婚願望も当面ない、二十代の働く女性たちは「Hanakoさん」と呼ばれた。
「クロワッサン症候群」に登場した女性たちのような特別なキャリア志向はなく、クロワッサン世代のプチ妹分といった世代だ。自分の満足や自分磨きに惜しげもなくお金を使う彼女たちは、消費層のスターだった。
香港の福臨門のフカヒレを味わい、シンガポールのヒルトンホテルでハイティーを楽しみ、ハワイでパラセーリングをし、日本では高級ブランドのブルーノマリがミラノではワシントン靴店並みのお店であることを知る最初の世代。ケリーバッグに内縫いと、外縫いがあり、ヨーロッパの一月のバーゲンが始まる日を、みんなが知るようになった最初の世代だ。お嫁さんになるよりも、世の中には楽しいこと、おもしろいことがたくさんある。と知った最初の世代でもある。
Hanakoさんたちが社会に出たのは、1980年代半ば。その頃から一九八九年のピーク(十二月の最終日、日経平均株価三万八九十五円の最高値をつけた)まで、日本はバブルの道をひた走り、キャリアウーマン未満の普通のOLでも、妙に契機のいい時代だった。
機会均等法で、女が働く場もチャンスが広がり、今のブランドブームも、海外留学・就職志向も、ワインブームも、みなHanakoさんという先輩たちがエンジョイしたもの。それ以前の世代では「特別」な女性しか味わえなかった人生を「並」の女でも知ってしまった最初の世代でもある。
一九九〇年代初めに二十代だったHanakoさんも、今や三十代後半から四十代に突入。未婚、非婚、キャリア、共働き、お受験ママ、Hanakoさんたちのライフステージは多様だ。
一九七〇年代から始まり、一九八〇年から急速に進む晩婚化、少子化も、Hanakoさん世代が引っ張ったもの。急増する二十代のパラサイトシングルのライフスタイルも、かつてはHanakoさんがエンジョイしたものを踏襲している。
Hanakoさん世代は基本的に「自分本位」である。仕事も遊びも、キーワードは「自分探し」「自分癒し」。「自立」の文字は見当たらない。後進の女性のたちのために、ということも考えた事すらない。
むしろ高度成長期を担った親世代の豊かさをバックグランドに、思い切り羽ばたいてしまったのが、この世代だ。言い訳のない欲望を全開にした経験があるだけに、妻になってもあきらめない「Hanakoサーティーズ」と呼ばれ『VERY』(光文社)という奥さま雑誌の成功も、この世代の結婚後の欲望を思い切り煽った作りだったからだ。
『VERY』には、白金に住み、ドイツ車に乗り、子供を自分もブランドで身を固め、ときには夫ともに恋人同士のようなデートをする妻たちが繰り返し登場する。妻たちはエルメスのバッグを片手に学生時代の友人とブランチを楽しみ、古伊万里をおしゃれにセッティングしてホームパーティを開き、ときには「趣味が高じて」お稽古ごとサロンの主催者になったりする。
女たちの人生すごろくの上りは、本音のところでは「リッチな専業主婦」であることを、この雑誌が化け物と呼ばれるほどのヒットを飛ばしたことを教えてくれる。
創刊時は一九六〇年代うまれの三〇代主婦層をターゲットにしていた『VERY』だが、現在はもっと年齢層が低くなり、20代後半からの読者モデルが登場している。つまり1970年代生まれのパラサイトシングルたちの結婚後の姿だ。
リッチな結婚をするというのは、夫となる人がリッチであっても、夫の親たちがリッチであっても、自分の親がリッチであっていいのだ。ここに登場する優雅な妻たちの中には、実家の二世帯住宅に住んだり、結婚後も親のダイナースカードを使う特権を手放さない人がいるに違いない。
結婚後の生活も支えてもらえるほどの余裕のあるパラサイトならいいが、そうでない場合、パラサイトシングルたちは「貧乏の引き金」をひくような結婚には消極的なのだ。
実家のレベルより落ちる結婚はしたくない
一方、主婦向けの雑誌といえば、相変わらず節約路線、「破けてしまったパンティストッキングで作るはたき」とか「○○のお惣菜」などで頑張る『すてきな奥さん』(主婦と生活社)のような雑誌もある。これらのご時世、そちらのほうが多数派になるだろう。
上野千鶴子のセミナーで「これからは単一のインカムで生活できる専業主婦は、一部の特権階級のものになる」という話を聞き、「ほー」と思ったのは十年以上前の話。それはすでに現実になってきている。
マイナス成長時代になり、妻たちの階層分化はさらにすすんでいく。ホワイトカラーの妻で一億総中流という日本独特の幻想は、もう幻想でしかない。世界のどの国にいっても階層はある。その意味でも日本もやっと普通になったのだ。
日本では階層分化が起きることは脅威だ。なぜなら世界中どこの国に行っても、お金がなくてもそれなりに楽しい生活があるのに、日本には一定の幸せの基準しかない。しかもそれはお金がかかる。
集団主義で突っ走るうちになくしてしまったものは「想像力」だ。画一的な価値観の外のものは受け入れられないし、想像することすらできないのが「日本病」だ。
みなが同じように、いつかはエルメスのバッグを変えると信じてきた日本の女性たちにとって、「あなたはエルメスのバッグを一生買えない階層です」と宣告されるのは辛いものがある。
しかし女性たちにはまだ奥の手がある。選択しないことだ。夫を選択すれば、女性にとって「夫のレベル」が「自分のレベル」になるのは目に見えている。働きつづければ別かも知れないが、出産などで退職してしまえば「妻」でしかない。特にリッチなパラサイトシングル層は、実家のレベルよりも落ちる結婚なら「しないほうがまし」と考えているわけだ。
千九百八十年代から目立ってきた晩婚、非婚化の背景にはこんな女性たちの気持ちが大きく働いている。
『JJ』(光文社)を読み、「Hanako」で遊び、恋も仕事も結婚もあきらめきれない、いちばん欲張りな世代。しかも肩肘はった欲張りではなく、自然体でそれを押し通してきた世代。こんなわがままの魂みたいな私たちの世代は、さらにバリバリの恋愛至上主義でもある。少女漫画とトレンディドラマで刷り込まれた恋愛を、バブルの時代に実体験もしている。
今にして思えば顔から火が出るほどベタで恥かしいが、「クリスマスの夜はラグジュアリーホテルで。プレゼントは十万台ならティファニーがおすすめ」という雑誌のコピーを真剣に受け止める文化があった。
今のように値崩レする前の一流ホテルの部屋が、クリスマスにはフルブッキングで、イブの夜は西麻布の交差点でタクシーを捕まえるのは、百%不可能だった。二人のクリスマスが実現できないまでも、赤プリ(赤坂プリンスホテル)のスウィートルームの貸し切りパーティというのは、当時相手が見つからなくても惨めにならないクリスマスの過ごし方だった。
拘束を通るずらりと縦に並んだ角部屋(そこがスウィート)にクリスマスツリーのイルミネーションがぽつりぽつりと見える。二人の部屋にツリーを持ち込む勘違いなカレシは別として、貸し切りパーティのお約束で、まめな幹事が持ち込んだものだったのだろう。
女子大生モデルだった友達は当時を回想して
「そういえば、ブランドもんって自分で買ったこと一度もなかった」
と言う。私たちの世代にとって「恋愛」とは、タクシーが拾えない寒い外苑東通りでつないだ手の温もりや、キャンティのカウンターで飲んだシャンパングラスの泡のような、キラキラした、わくわくするようなものではなくてはならない。そして結婚してもそれがずっと続かなくてはならない。
「別々の家に住んでくれる人と結婚したい。たとえばアパートの隣同士とか」
と友だちは言う。海外コンサルタント会社を起業している三十代独身女性だ。
「一緒の家に住むと、恋愛じゃなくなるような気がする」
こんなふうに、私たちの世代は筋金入りの恋愛至上主義者で、独身のうちは恋愛と結婚が相反するものであることを、まだ気づいてもいないのだ。
2、家族神話という刷り込みから逃れられない
ハンサムウーマンたちの結婚願望
ハンサムウーマンが増えている。仕事ができ、きっぷのいい侠男(おとこぎ)のある女性たちである。しかし彼女たちとて、結婚願望とは無縁でいられない。
由美(仮名 一九六八年生まれ)は女性向け月刊誌の編集者だ。環境問題や女性問題の記事を載せる硬派な女性誌。特に晩婚・少子化に伴う年金問題、専業主婦論争など、時代の先端をいく女性関連の分野を任されていることが多い。
現在の晩婚、非婚、少子化、お受験など、結婚は甘いものではないと、イヤというほど知らされてしまう取材ばかりが多いのだが、彼女は言う。
「こんな仕事していてなんですけど、私、子供を三人もつのが夢なんですよね」
「あなたの世代(一九六〇年後半)でもそうなの?」
彼女は一九六〇年代もいちばんしっぽのほうだ。十年のサイクルも後ろの方はかなり頭が柔らかくなるはず。しかも仕事柄、今の日本の男女の現実をたっぷり知っている女性だ。
「だって、私たちって親からたっぷり『家族神話』を刷り込まれているんですもん」
由美は最近、失恋した。長年付き合ってきたカレシと別れて、自己啓発本を四十冊読んだ。イギリスのキャリアウーマンの日常を描いた『ブリジット・ジョーンズの日記』(ソニー・マガジン)のようだ。日本のブリジットたちも、恋に結婚に悩みつつ仕事をしている。
「今一生懸命仕事を頑張っているのも、子供ができたらきっぱりやめて育てたいから。だからこそ、今悔いを残さないように必死にやっている」
女性たちが「上」へ行きすぎてしまった
一九六〇年代後半生まれの和製ブリジットたちも「家族神話」の刷り込みから逃れられない世代だという。「自分の子供、家族を持つ」ことはあきらめきれない。
しかし、和製ブリジットたちには大きな悩みがある。彼女たちの伴侶として納得するような男性は、自分より学歴も年収も下の女性を求めるからだ。彼女たちは同格またはそれ以上の男性を必要としていても、男性サイドは彼女たちを必要としていない。日本では「大人のカッコイイ女」になるほど損をする。
友人のハンサムウーマンたちを見ていても思う。仕事ができる。きっぷがいい。かっこいい。包容力がある。私が嫁になりたいぐらいだ。そのうえけっこう美人でセンスもよかったりする。仕事の傍ら趣味も怠りなく、さりげなくソムリエの資格などを持っている人もいる。ワインならまだかわいげがあるが、日本酒の蔵元にも詳しかったりする。
そんな彼女のたちの上を行く独身男性なんて、この日本のどこを探せば存在するのか? いてもすでに人の夫だ。
「年下はどう? 年下いいよ」
と言っても、ハンサムウーマンたちはなかなか頷かない。男の好みに関しては、けっこう保守的なのだ。
日本人の男は「かわいい年下の女性=男である自分を傷つける必要のない女性」を求め、女は「自分より年上の経済力のある男性=すべての面で自分よりも上手と感じさせてくれる男性」を求めるという構造は変わっていない。
山田昌弘東京学芸大助教授によれば、それはどんな異性に性的魅力を感じるかというメカニズムに組み込まれているそうだ。それは何かの刷り込みではなく、男が獲物を取ってきたころからの本能に近いものだろう。
好きな異性に会うと胸がキュンとなる「ときめき」の正体にも、実はこんなメカニズムが組み込まれているらしい。そうやって、女は安全な巣と優秀な遺伝子を得て、繁殖してきたのだ。
変わったのは、女性たちが上に行き過ぎてしまったことだけだ。結婚難は「親の経済力の高い専業主婦願望の女性」「高学歴高収入の女性」と、「低収入の男性」にのみ起きている現象だという。
最近のアニメーションは、女の子男の子ものの区別がなく、女の子も変身して悪と戦うヒロインになる。岡田斗司夫氏は、
「王子様を待ち続けて、自分が王子様になってしまった女の子」
と、最近の三十代独身女性をアニメの主人公になぞらえている。まさしくハンサムウーマンたちは、自分が王子様になってしまった女性たちだ。王子様が王子様と結婚するのは、最近流行のボーイズラブの世界だけだ。
「父の娘」永遠のライバルは母
ハンサムウーマンたちは、実はファザコンであることも多い。高学歴な彼女たちの家庭には、今どき珍しい「尊敬できる父親」がでんといたりする。なまじ小さい頃から頭がよいので、父親に「男だったら俺の跡継ぎにするのに」と言われて育つ。一卵性母娘と呼ばれ、一緒に玉川高島屋に買い物に行くタイプを「母の娘」とするなら、こちらは紛れもなく「父の娘」だ。
ところが年頃になると、理解の深かった父親は、母親と結託して「結婚こそが幸せ』などと言い出す。しかも父親が用意するのは、自分のような一代で財を成した破天荒なタイプではなく、娘の一生を保障してくれる安全パイ的な男性。しかし彼女たちは、父親タイプか、父親を超える存在の男性にしか心が動かない。
加奈子(仮名 一九五九年生まれ)は、意地になって自分で会社を作って、社長になってしまった。父親は彼女を跡継ぎにはしてくれず、自分より出来の悪い弟に、自分の商売を譲ってしまった。三〇代で見合いばかりさせられたころは、いつも相手の男性を父親に比べていた。というよりも、専業主婦の母親と、カード遊びのように見合い写真で勝負をしているような気がする。
自分のカードは見合い相手「私立大学出のAさん」。母親のカードは「国立のナンバースクール出身の夫」。Aさんを夫にすれば、母親は負けてしまうのだ。ファザコン娘にとって、母親は永遠のライバルでもある。
加奈子は、父親のような夫の妻になるかわりに、自分が父親のような経営者になってしまった。最近の加奈子の楽しみは、親友の小学一年生になる娘を猫かわいがりすることだ。利発でかわいらしく、将来母親似の美人になるにちがいない。
「すごいお嬢様学校に入れて、将来はびっくりするようなお金持ちに嫁がせる」という加奈子に、母である親友は「そんなにうまくいかないわよ」と笑う。
実は私も、親友の娘に同じ気持ちを持っているのだ。まだ幼稚園だが、ハーフの美人で四か国語離せる。「美しくかしこく育って、金持ちの男をたくさん騙すのだよ」と、会うたびに心の中で思っている。
私たちは、どんな女が得しているのか、心の底ではとっくに知っているのだ。
3 熟女限定「SMAP症候群」が女を縁遠くする
現実の男は面倒くさい
独身の友人たちに「結婚前にハマっちゃいけないのは、SMAPと宝塚。結婚したいなら、絶対にハマっちゃいけないよ」といつも言っているのだが、時すでに遅しで、高校時代の同級生で、まだ独身で金か暇のある連中は「どちらか」または「どっちにも」ハマっている。
世間一般では、「アイドルにキャーキャーいうのは若い女の子」という誤った認識があるが、実はSMAPファンは「大人でものわかりがいい三十代、四十代の女性が大半」というのは、間違っていないはずだ。プロフェッショナルな仕事を持っている人も多く、これだけ財力のある年上のファンに支えられてるアイドルという存在も珍しいかもしれない。
二〇〇年秋にSMAPファンを揺るがす大事件、木村拓哉の「できちゃった結婚」があったとき、木村ファンの女性たちは健気のひと言に尽きる。「彼の選んだ女性だし、こうなったらもう応援するしかない」というのは、まさに気にいらない息子の嫁を認める母親の心境に近いものがある。
俵万智さんが『週刊朝日』でSMAPファンであることをカミングアウトしていたが、彼女もコンサートに来てウチワ(応援グッズアイテム)やペンライトを振っていたかと思う。
ここまで書けば隠しようもないが、私もここ二年ほどハマっていて、コンサートにも欠かさず足を運んでいて「実は‥‥」とカミングアウトすると、「私も‥‥」と言い出す人も必ず現れる。「働く女性なら、ジャニーズ系のお気に入りが一人は入るのが当たり前」と豪語する、外資系証券のプロフェッショナル女性にもあったことがある。
結婚して子どもができたとたん、宝塚にハマった友人がいる。結婚前は、それは華やかな恋愛遍歴の女性だった。「今はこれでちょうどいいの」と宝塚の追っかけをしている。現実の恋愛が可能な環境になれば、あっという間に冷めてしまうかもしれない。作家の山本文緒さんも、エッセイの中で「結婚している間あるバンドにハマって、離婚した途端熱が冷めた」と書いている。
最近、朝日新聞などのメディアでも言及された「NN病」も「SMAP症候群」の一種だと思う。心理学系の雑誌「PSIKO」での下河辺美知子成蹊大学教授(文学評論専攻)の連載が発信源だが、SMAPの中居正広主演ドラマ『白い影』(TBS二〇〇一年一月〜三月)のファンが、ドラマ終了後一年を経てもネット上に集い、ドラマの面影を追いかける現象を、そう呼ぶそうだ。
ドラマのビデオを再生しては涙する妻を見た夫が「NN病じゃないの?」(主人公・直江庸介と主演・中居正広の頭文字Nを重ねて「NN病」と名付けられた。公式ホームページBBS内で使われ出した言葉)と言ったことから始まったという。連載を見る限り。まさしく下河辺美智子教授自身が、重症の患者である。
結婚している女性がジャニーズにハマるのは、テレクラやホストにハマるよりは、まあマシというところだ。しかし、30代独身女性がジャニーズおよび宝塚にハマるのは、かなりまずい。忙しい女性ほどまずい。バーチャルな恋愛の快適さを知ってしまえば、面倒な現実の男と再び向き合う気が失せてしまうからだ。
この年頃でちゃんとした仕事を持つ女性は、もうかなり忙しい立場にいるはずだ。年齢的に相手となる男性サイドも同じ状況だろう。生身の男との恋愛は、時間も気力も体力もいる。
仕事にもプライベートにも同じだけを注ぐのは、かなりハードだ。その点、テレビの中の彼らならば、そんなものは要求しない。ビデオのスイッチを押せば、いつでも会うことができるのだ。
さらにディープにハマっているファンを見れば、現実の男に割く時間などないというのもよくわかる。仕事をし、飲み会に行き、録画予約したビデオを見て、ファンサイトに日々書き込みをする。ファンの日々は忙しい。危険なのは、SMAPと宝塚だけではない。
友恵(仮名 一九六四年生まれ 派遣社員)は、海外追っかけに熱を挙げている。香港スターの追っかけだ。アジアのアイドルたちも進化して、現在は新鮮なアイドルを求めて韓国方面まで進出している。
一九九〇年代にまずレスリー・チェンに始まり、アンディ・ラウに移行。香港スターのファンクラブは日本でも集いを開いているが、お誕生日会に香港まで出向くのは当たり前。さすがは中国のスターシステムで、コンサートでも高いチケットなら必ず握手ができる。ファンの集いでもツーショット写真は当たり前と、サービス満点なのだ。
「ワーチャイはもう私にとって家族みたいなもの」
ワーチャイとは、アンディ・ラウの通な呼び方だ。
香港映画も最近では定着したが、まだ一九九〇年代には恵まれなかった。映画祭で見たい映画がかかると、始発で行って夕方六時半の回のために並ぶことを、毎日くたくたになるまで繰り返した。
「それがあるから頑張れる。ホストにハマるよりもずっと健全です」
さらにすごい女性を発見した。F1のスター、ミカ・ハッキネンに会いに、イギリスまで詣でる。
イギリスグランプリには必ず行き、諸経費込みで五十万円ぐらいは費やす。鈴鹿の日本グランプリはもちろん高いパドックパスを買う。一日の「テスト走行」のためにだけにイギリスに飛んだときは、自分でもその情熱にひいてしまったという。そのときは「最も熱心なファン」としてイギリスのジャーナリストに紹介された。
忙しい専門職である彼女がイギリス詣でを可能にするには「普段から職場でカミングアウトすると」が大切だ。あまり彼女がミカに貢ぐので、ある事務職の女性に言われたことがある。
「そこまでして、いったい彼が貴女に何をしてくれるでしょう?」
四十才前後で寂しさに音をあげる男性シングルたちと、このパワーあふれる女性シングルたちでは、どちらがシングル生活を謳歌しているか、一目瞭然である。
「これはと思った人しか恋愛したくない。恋愛しなくても楽しいことはたくさんあるから」
と、ある二十代のSMAPファンは言う。恋愛にすごく重きを置いていた私たち世代に比べると、次の世代はさらに身軽だ。
一九九〇年代の女性がもっとも見たかった夢
あるとき、SMAP解散の噂が出た。それを聞いたある友人は、
「SMAPが解散したら、真剣に結婚を考える。心の支えがなくなるから」
と言った。晩婚化を嘆く行政サイドから、パラサイトシングルに税金をかけるという案も出ているらしいが、それよりSMAP解散したほうが効果があるかもしれない。
コンサートの前に秋葉原へ行ったら、自分の前だけ見つめて、大きな紙袋を手に歩く男、男、男ばかり。そして、すぐ近くの水道橋の駅には、コンサート会場に向かう女、女、女の群れ。男と女はお互いを見ないで黙々とすれ違う。
木村拓哉は、たしかに「できちゃった婚」の「当たり前感」に貢献している。しかし、ふたりにあこがれ、世の中の女性の志向が結婚や出産に傾くかというと、そういうわけにはいかない。しょせん現実に木村拓のような男が現れわるわけではないのだから。少なくとも、できちゃった責任逃れするより、潔く結婚した方がカッコイイと思ってくれる男性が増えればいいと思う。
考えれば、SMAPがアイドルの頂点に君臨する一九九〇年代は、バブルがはじけ、女性たちがその名の通り、泡のように膨らんだ夢から覚めることを余儀なくされた時代である。そしていまの晩婚化の主役ともいえる30代の女性たちは、グリム童話やディズニー映画に出てくるような王子様ではなく、少女漫画によって「いつか王子様が…」と徹底的に刷り込まれた世代である。
木村拓哉を見ていると、昔の少女漫画に出てくる美青年の顔を思い出す。さらに、木村拓哉の代表作ドラマ『ロングバケーション』(一九九六年)は今考えると、ヒロインの設定が絶妙であることがわかる。
バブルの時代に華やかな生活を送り、バブルが去って舞台から降ろされた落ち目のモデルがヒロインである。そこに少女漫画に出てくるようなかっこいい年下の男性が登場し、ヒロインに恋をする。ヒロインはバブルの間につかみ損ねた幸せを、結婚と海外移住でダブルに手に入れる。
これこそ、一九九〇年代に女性たちが最も見たかった夢ではないか?
コンサートが終わったとき、隣の女性が呟いた。
「ああ、これでまた一年がんばれる」
コンサートの会場で夢中になってペンライトを振る私も彼女も、そして俵万智さんでさえ、きっと人に見せられないアホ面をさらしているに違いない。
生身の男性から、そして男性と向かい合う関係から、どうして私たちはこんなパワーを貰えなくなってしまつたのだろう。
アイドルとはかくなる存在なのだ。
SMAP症候群からの脱却する4ステップ
友人弘子(仮名 一九六三年生まれ 研究職)から「結婚することになった」という電話をもらった。おめでとうよりも何よりも、まず驚いた。彼女は「SMAPが解散したら結婚する」という名セリフを吐いた張本人だから。まだSMAPが解散していないのに、あれほど香取慎吾にハマっていたのに、どうやってこの熟女は、SMAP症候群から脱却したのか?
まさか、慎吾君そっくりの十才以上年下の彼を見つけたとでもいうのか?
「彼って、慎吾君似?」
「ううん。全然」
「彼って、年下?」
「いや、六才年上」
ますます謎は深まる。前年のコンサートでウチワを振っていた彼女には、そんな気配は微塵も感じられなかった。結束の固い彼女の地元SMAP仲間(四人組。独身三、既婚一、全員専門職をもつキャリア女性)も驚愕した突然のニュース。
アイドルはアイドル、あくまで現実とは違う。「追っかけの人でもカレシぐらいいるでしょう? と思うのは、そこまでハマったことのない人の浅はかさ。生身の男に目が行くような程度のハマり方なら、私は彼女を「症候群」とは診断しなかった。
以下は彼女がいかにバーチャルな恋人の呪縛から逃れ、生身の結婚相手に移行していったのかを追うレポートである。
[ステップ1]
弘子のカレシいない歴がかれこれ三年になろうとしている。今の恋人はテレビの中のアイドル、SMAPの香取慎吾君。十才下だが、大学院卒の自分が社会に出た年と、慎吾君がSMAPとしてデビューしたのは同じ年。社会人歴が同じ年数なだけに、成長していく彼の姿を追うのは自分の励みでもあった。
薬学部系の研究職に勤める弘子、今が最も脂が乗った忙しい時期。プライベートな時間も惜しんで仕事に励む彼女の大切なひと時は、忙しくてとてもリアルタイム出は見られない彼の姿をビデオで見ることと、年に一度、生身の彼に会えるコンサート。最初は地元の会場だけに行っていたのが、暇はないがお金の余裕はあるキャリア職だ。できるだけ出張などの予定と合わせて、夏のコンサートは全国に飛ぶようになる。
「ただいま」
冷蔵庫の前に貼ってある大きなポスターに、今日もニッコリと挨拶。屈託のない笑顔に癒されて、残業の疲れも吹っ飛びひと時。ときにはキスなんかもしちゃう。
「チュッ」
そのとき、ポスターの中の彼と目が会うような気がした。見つめられている。しばらくボーッと彼と視線を交わした(ように思った)。心が通じ合っている(と思った)。そしてふと我に返った。
「ひょっとして、あたしってやばい所まで来ているかも」
この日から脱却に向けてのステップが開始されたのだ。
【ステップ2】
「ねえ、あんた、自分の今の部屋、男連れ込める?」
そう聞いてきたのは職場の女性の先輩だ。弘子はドキッとした。SMAPのポスターがところ狭しと張られたマンション。同じ歳の女性と比べてかなり早く買ったものだが、お気に入りの白い壁はもう隙間もないほどポスターやグラビアの切り抜きだらけ。
フローリングの床は見終わったビデオと見ていないビデオの山が、そこここに土砂崩れを起こしている。切り抜きをしていないアイドル誌も仕事の資料と一緒に山積みだ。
「男が来て、ひくような部屋じゃないの?」
先輩は離婚歴があって、一児の母。こんな堅い職場には珍しい、ちょっと色っぽい噂もある女性である。どう考えても自分より場数を踏んでいる先輩の忠告は、ありがたく聞くことにした。その夜から弘子はポスターをはがし、ビデオや雑誌類は段ボール箱にしまい(決して捨ててしまったわけではない)、男を連れ込める環境を整備することになった。そして職場ではプロジェクトを任され、溜まったビデオをチェックする暇すらない多忙な日々が続いた。
【ステップ3】
弘子の中でSMAPの慎吾君への長年の情熱が少し薄らいできたころ、SMAPファンには激震ともいうべき事件が起こった。いわずと知れた木村拓哉のできちゃった婚である。
前々から木村拓哉ファンには神経をひっかかれるような報道が続いてはいたが、決定的なすっぱ抜きがなされたのは、ファン全員が年に一度の逢瀬として楽しみにしているコンサートトップツアーの真っ最中。その日のファンサイトは悲惨だった。いつもは活発に書き込まれるチャットやBBSはすべて沈黙。いくら現実を見ないようにしても、コンサート会場で「俺、結婚します」と目の前で宣告されては、もうお手上げだ。ガラスのようにもろいバーチャルな世界は、圧倒的な現実の前に粉々に砕かれようとしている。木村ファンではなくとも、「解散?」という文字が躍るスポーツ紙を見るたびに胃が縮むような思いがした。
「SMAPが解散したら、真剣に結婚を考える。心の支えがなくなるから」と弱音を吐いたのは、この頃だ。普通のアイドルのように消えていかず、前代未聞の長持ちアイドルとして君臨する彼らも人の子。彼らがいなくなった、その姿をテレビで見ることが出来なくなったら、簡単に他のアイドルに心変わりすることがあるだろうか?
長年のSMAPファンから、今はジャニーズジュニアにハマっているある先輩を思い出す。有能を絵に描いたようなバリバリの営業職の女性。システム手帳にはさんだ写真を見られた取引先の部長に「息子さんですか?」と真顔で聞かれたといっていました。そこまでいくと、
「あたし、やばい‥‥」
【ステッブ4】
毎年SMAPのコンサートが終わるのが暦の変わり目。一年を戦い抜ける勇気と元気をもらって、さあ、来年また彼らに会えるまで頑張ろうと思う。でもその年のコンサートのあとは、弘子もファン仲間もみな気が抜けたようになってしまった。
そんなときひとつの出会いがあった。同じ職場に転勤してきた男性。慎吾君には似ても似つかないが、もともと弘子の好みは「サンダーバードに出てきたブレイズ君」のような学研肌タイプ。久しぶりに自分からモーションをかけた人に会った。
年上、年下と今までの恋の経験は結構バラエティに富んでいる。しかしこの三年は、SMAP一筋の清く正しい生活だ。禊は済んだ。今や行動の時だ。
ちょこちょこモーションをかけた、堅物の彼とやっとコンピュータのバージョンアップなどにかこつけてデートするまでになる。相手は相当色恋には鈍いタイプ。そうでなければ、温厚でさして問題のなさそうな男がこの歳まで一人でいるはずがない。
昔は電気関係の修理を口実に男を部屋に上げたと聞くが、今はコンピュータがある。初めて家に連れ込んだのも、それが口実だ。気合を入れてご飯を作って、何だかんだと遅くまで引き留めたのに、どうも先に進まない。マンションの外まで行ってから、珍しく「バス停まで送ります」と殊勝なことを言ったのは、何かきっかけが欲しかったから。
しかし、ニブチンの相手はかたくなに「ここでいいです」という。なんて女心のわからない奴なんだ。ムカッときて。くるりと背を向けた。
「弘子さん」
呼び止められる。
「明日。遅れないようにね」
もっとムカついた。
「弘子さん」
今度は足音が迫ってきた。
「結婚してください!」
ドラマのように急展直下。嬉しさと驚きで足が震えた。
「どういうつもり?」
とつい詰問口調になる。まだ付き合ってもいないのに。
「好きとか嫌いとか、まずあるでしょう?」
「好きだけど…・そんなこと言えないじゃないですか‥‥」
年上の男は、今どきやぼったいフレームの眼鏡を引き上げながら、小さくつぶやいた。
その後ふたりは甘い夜を過ごしました…・とはならない。不器用な大人同士のカップルだ。
とりあえず部屋に戻って口の重い彼から少しずつ言葉を引き出した。その日からふたりの大人は、結婚という古風で現実的な目的に向かって動き始める。
実は、そのご交換したふたりのメールで、彼のプロポーズまでの気持ちを綴ったものがある。
傑作である。ここで全部公開するわけにはいかない。内緒で見せてもらったものだから。しかもその中には、いつかドラマでも書くときまで大事にしまっておきたいと思うようなすごい名セリフがあるのだ。二人の許しを得て、ちょっとだけ公開する。
「話は変わり、君に向かってなぜあのとき『結婚してください』という言葉が出たのか、やっと思い出させました。『ここでいいです』といって別れようとしたとき、君が変な顔をして何か言いたげに黙ってしまったからです。その後、君が踵(ぎびす)を返して少し足早になりかけたとき、僕は君がもう帰ってこない、君が僕のことをその瞬間に優柔不断な人なのだと判断してしまったのではないか、そんな思いが脳裡をかすめたからです。
『そうじゃないんだ』と僕は言いかけてやめました。ここで、君にそんな言葉をかけたところで、それは取り繕いにしかならない。おそらくこれまでの自分だったら、そう言っていたでしょう。結論を出せ。結論を出せと、あのときの僕は自分自身に言い聞かせていたのだと思います。言葉を発したとき、僕の自分自身と長い戦いは終わったのです。勝ったとか負けたとかではなく、とにかく終わったのです」
いいメールでしょう? 最後のセリフなんて、大盛り上がりの大団円のときに、声のいい俳優のモノローグでかぶせたいものである。
こんなメールを書いてくれる男と結婚せずにおられようか。
●すれ違う群れの中から出会えるふたり
弘子は「私たちはすごく今っぽいカップル」だという。
三十八歳と四十四歳という晩婚カップルであること、彼女は大学院卒の専門職で、彼は経理部門。同じ職場であるが、彼女の方が専門性の高い逆転カップルであること。
弘子の研究仲間、海外の友人は、
「男女間のスティタスの逆転にこだわらない彼のようなタイプは貴重。大切に」
というメッセージをくれた。
前項で書いた、SMAPのコンサートに詰めかける女たちと、秋葉原を前だけを向いて歩く男たち。いわばすれ違うだけで決して顔を見ない、この二つの群れから誕生したカップルである。彼は、ふたりでコンピュータ談義をしながら秋葉原をデートするのが憧れだったそうだ。
この物語は、キャリア女性のバーチャルな恋人を吹っ切って生身の男性と結ばれるまでの物語だが、同時にシャイマンである自分を克服した男性の物語でもある。シャイすぎて、仕事はともかく女の子と話もできない。こんな男性の存在がクローズアップされたのは、自己を強く主張することが求められるアメリカからだ。
日本では「男は黙って‥‥」という言葉があるように男性が寡黙であることや、女性が恥じらったりすることは美徳とされてきた。だからこそ日本でのシャイマンは見えにくかったのだが、こんなふうに恋愛が異種格闘技の様相を見せてくると、シャイマンたちは相手を見つけられなくなってくる。以前はシャイマンたちを救ってくれたお見合いでも、はっきりしない男を結婚させてしまうほどの強制力はなくなった。
「あなたは僕の鍵だ」と彼は弘子に言ったことがある。職場では普通にしていても、実は「他人と入ると疲れる」と、彼はいつも思っていた。それなのに弘子は、鍵をかけても掛けても、どんどん開けて中に踏み込んでくる。弘子と一緒に居ると「ああ、こんな自分もいるんだ」という新鮮な発見がある。そんな彼女を好きになったからこそ、彼は今まで不器用で優柔不断な自分に打ち勝つことができたのだ。
「愛しているよ」でもなく、「好きです」でもなく、絞り出すようにいえた言葉が「結婚してください」であったことに、私は勘当した。結婚がこんな形で必要とされることに安心した。
いくら家族や結婚がその価値を失い、役目を終えたとしても、結婚という形でなければ異性とつながることのできない人たちには、決して少数派ではないはずだ。恋愛経験がある女性から見たら、恋愛経験のない男性は物足りないのが普通だろう。弘子はそうはとらなかった。
「四十四歳で今まで女の子とろくに付き合ったこともない人が言ってくれた『結婚』は、二十七、八歳の人の『結婚』とは重みが違う」
今、弘子は「夢なら覚めないで」と思うほど、幸せの真っ盛りである。フレックスタイムなので彼は朝食を用意して弘子を送り出してくれる。夕食はふたりで買い物に行って、七割は弘子が、三割は彼が作る。おとな二人の遅いディナーは十時を過ぎることもある。四十四歳まで実家にいて、できた母親に全て世話されてきたのに、彼は家事や料理を妻に教わることにまったくこだわりがない。「違う自分」になることを楽しんでいる。
「あそこまで結婚ががらりと違う生活に入った彼はえらい」
結婚で生活をリセットしたのは、昔は女だった。今はリセットしたい方がすればいいのだ。
この前ふたりで買い物に行ったら、欲しいスーツがあった。着てみたら、なかなかいい。けっこう高額な買い物だったが、彼はさらりと「似合うから僕が買うよ」と支払った。
「僕の奥さんは、世界一スーツが似合うでしょう?」
彼が店員にこんなセリフを言っているのを聞いて、試着室の中で弘子は赤面する。
長期出張で家を空けることも多い弘子だが、彼は、好きな仕事の道を着々と進んでいく弘子を完全にサポートする体制だ。こんな彼への愛情の印として、弘子は結婚してすぐに性を変えた。職場もメールアドレスの名前もすべてだ。夫婦別性はまだ導入されていないが、弘子のようなキャリア女性は、結婚後も通称で旧姓を使うことがほとんど。職場で名前を変える宣言をしたときも、「え、どうして?」と誰もが驚いた。今はそんな時代なのだ。
さて、今回のコンサートに人妻となった弘子は来るだろうか? 彼女の中のSMAPへの思いは、現実の男を手に入れて終わったのだろうか?
いやいや、そんな甘いものではありません。人妻となった彼女は、私の隣でしっかりウチワを振っていた。
そして、今やパパになった木村拓哉のファンはどうしているのか? 離れていったファンは多いだろう。コンサートに気合を入れて装うってくる「マジ木村拓哉のお嫁さん志望」は消え、会場全体の雰囲気がちょっと地味になったような気がする。それからさらに平均年齢がアップしたような気もする。
だが、木村ファンは健在である。木村さん宅の美しい奥さんも可愛い子供も「なかったこと」として、今日もバーチャルな現実を。、元気に生きているのだ。
4 結婚しない時代のやめられないお見合い
女性から見た「おみー君現象」
お見合結婚と恋愛結婚の比率が逆転したのは、一九六〇年代。それまで「家」を中心にした結婚から近代的な「愛をもとにした家族」の時代へ。誰もが自由恋愛で結婚するのが当たり前になった。恋愛と結婚の蜜月は20年しか続かなかった。一九八〇年代から以降、日本人の「結婚力」は低下している。
女性は、結婚したくないわけではない。結婚願望は衰えていないけれど、今の二十代の三十代は、不倫を含む恋愛や、仕事や、また国内外のアイドルの追っかけなどで忙しく、気に染まない結婚するほどの余裕がないのだ。
それでは、真剣に結婚したい人々は何処にいるのか?
少なくとも、そういう人々が大量に出現する場、それがお見合い市場である。お見合いといっても、最近はネットでお見合い、小見宇井パーティなど、さまざまな形に進化を遂げているが、釣書(身上書)と写真を交換し、お見合おばさまにしきられる。古風なお見合いも健在である。
たぶん、世の中の大半の人にとって、お見合いは未知の世界にちがいない。男性なら、
「田舎のおふくろ写真を送って来てさあ、断ったけど、ちょっとかわいくて。もったいないことしたかな」
と言う程度の記憶が片隅にあるぐらいだろう。
それでは、どういう人がお見合いをするのか? 女性サイドに限っていえば、お見合い体験の数を誇るのは、圧倒的に今が旬のパラサイトシングル女性だ。
そして、なぜお見合いをするのかといえば「お見合いしなくちゃいけないんです!」という答えが返ってくる。それはほとんど、振り絞るような叫びに近い。
私が二十代から三十代前半で、けっこうお見合いをしていたころ、同じくかなりの数のお見合いこなしている友人たちとの間で、その週にお見合いの話をすると、以上に盛り上がった。ハゲだった。チビだった、ダサかった、などという話はさておき、
「喫茶店で自分のビール代すら割り勘にしようとするほどケチで、喫茶店のお兄さんに『自分のビール代くらい出しなさいよ』と説教された」
「デパートの食堂で、お子さまランチを頼んだ」
「お母さんの書いた質問事項の紙を読み上げた」
など、盛り上がること、盛り上がること。
今まで学校で、会社で、見たことのないタイプ、もし身近にいても絶対にお友達にならないタイプの、奇妙な、珍妙な男が、お見合いに次々とやってくる。私はこの男性たちに「おみー君」と名をつけ、月刊「SAY」に「平静お見合い事情レポート、おみー君日記」という連載を始めた。
パラサイトシングルのつまづき
親元にいつまでも寄生して、リッチな生活を楽しむ不況知らずの二十代,三十代たちを「パラサイトシングル」と呼び、こんな人たちが一千万人もいるというのは、世界の中でも日本だけの現象らしい。アジアの発展途上国で家族が一緒に住むのは「生きる」ためで、日本はもうそれが必要ないほどリッチだ。しかし北米や北欧のように、子供たちは家から巣立って独立していかない。
パラサイトにもいろいろと種類があって、東京とその近郊出身の男パラ(男パラサイト)は、なかなか結婚しない。家事をしてくれる母親がいて家賃を払わなくていいという、現実的な理由でパラサイトしている。キャリパラ(キャリア女性パラサイト)は、いちばん腹が立つとノンパラ(ノンパラサイト)たちは言う。
同じ働く女性でも、家賃を払い、自分で家事をするノンパラたちは、「母親」という「妻」に、仕事以外のいっさいを面倒みてもらえるキャリパラが大きな顔でのさばるのが許せないそうだ。しかも、社会的に華々しく成功している女性に限って、このタイプが多い。
楽しいことしかやらない、といわれているパラサイトシングルだが、楽しいはずのパラサイト暮らしが苦痛に変わるのは、こんな場合である。
世の中には「結婚は、お見合いするもの」と親に刷り込まれている女性たちがいる。その家族は結束が固く、特に専業主婦である母親と娘は仲良し家族で育ったお嬢さまで、結婚は人生のリセットではなく、仲良し家族を存続させていくための不可欠な要素だ。
良妻賢母になるために育てられ、キャリアウーマンではなく、よき妻、よき母になることが至上の使命である。そういった家族の場合、結婚後も婿であるよそ様の家の息子さんまで巻き込んで、さらに仲良し家族が拡大していくことが多い。
この家族が殺伐としている世の中、ずっと幸せできた彼女たちは、年頃になっても親の望むような結婚が出来ないことでつまずく。そこでハマるのは、果てしないお見合いの連鎖だ。
「おみー君」がまとまって本になるときに(『噂の「おみー君」劇場――平成お見合新事情』マガジンハウス)、元ネタを提供してくれた友人たちに久々に会ったが、三年前の連載なので、三十代前半は三十代後半に、二十代後半は三十代前半にシフトしている。お見合いでなく結婚した人いたが、あれだけのお見合いをこなしきて、お見合い結婚した人は一人もいなかった。
お見合五十回でも結婚できないその事情
薫子さん(仮名 一九六七年生まれ ピアノ教師)は「ついに五十回超えました」と、泣き笑いの顔で報告してくれた。結婚の決まらない娘にキレた両親がお見合クラブに登録し、今や毎土日をお見合で過ごす。三年前のインタビュー時より、さらにご両親のテンションは高い。
「私じゃなくて、親がお見合いを止められないんです」
彼女は癒し系で、おとなしめのお嬢さんタイプ。服装は品よく、家は港区だが、ブランド物など見せびらかさない清楚な女性だ。お見合いを繰り返す女性は、今どきのパラサイトシングルというよりも、古風なイメージの人が圧倒的だ。こういった女性が五十回もお見合いをして結婚できないというのは、「よほど理想が高いのでは」と思われがちだ。しかし彼女のところには、この世のものとは思えないほどユニークかつ頭にくる男性が、お見合い相手としてやってくる。
先週のお見合いには「ヤザワー」が来たそうだ。リーゼントの頭にペイズリー模様のシルクのテロテロシャツ。「あの人じゃありませんように」と思わず神様に心の中で手を合わせる薫子さんの前に、その人は立った。
「もしかして矢沢、お好きなんですか?」
また、よせばいいのに、ネタを振ってしまった。ネタを振りたくなるのは、長年のお見合いで培った条件反射である。
「わかるぅ? やっぱ」
急に足が高く組み換えられ、口調もがらりと変わる。彼はヤザワーなおみー君だったのだ。
その前は、さる名家の御曹司が来た。四十歳をとうに超えたその方はいきなり、
「家が絶えると困るので、五人子供が産めますか?」
と質問なさった。やんごとない方は罪がないだけに怖い。皇室じゃないんだから、と突っ込みを入れたくなる。ちなみに、彼のネクタイは家紋入りのオリジナルだった。
ある弁護士さんとは二回目のデートで「芝の上で野外ランチ」という、乙女チックなリクエストされた。サンドイッチを用意していったが、ワインのコルクも抜けない相手で、「何とかしてください」と、ワインを渡されて困った。結局、芝にいたのは十分ほど。花粉症の相手は鼻血を出してしまって、慌てて近所のレストランに駆け込む羽目に。初対面に近いのに、お母さんのように一から十まで平気で面倒をみさせる子供っぽさに、あきれた。
彼女が特別にヘンな人たちに好かれるわけではない。お見合いの世界では、こんな話は珍しくもないのだ。極端なコミュニケーション不全、またはコンプレックスの裏返しで妙に攻撃的だったりする人も多い。まともに会話のキャッチボールができる人にあたるだけでホッとするのが、お見合いの世界だ。
断ろうとすると、母親とバトルになる。
「付き合えばいい人かもしれない」「話なんか合わなくても夫婦になれば愛情がわく」というのは母親の決まり文句。しかし、しょせんは人ごとなのだ。ある日、テレビドラマを見ながら母親が何気なくいった言葉に?然とした。
「最近の男の子はきれいなったわねえ。私の若い頃なんて、パパなんかハンサムなほうだったのよ」
先週のお見合い相手へのコメントは「三日で慣れる」だったのに。叔母は「お母さんがお見合いしてたころは、面食いで大変だったのよ」という。自分は見合いでハンサムな父親を手に入れて、娘には「我慢しろ」と言う。
「あなたなんか、仕事だって半端だし、お嫁に行って子供を産むしかないのよ!」
と母親は言うのだ
「本当に、そうなんですけどる江」
とため息をつく彼女。
親の着せた、きれいだけども堅い鎧にがんじがらめの彼女。年齢とともに、どんどん自分の価値がすり減っていくと思う彼女。それを思い知らせてくれるのは、母親とお見合い相手の男性たちだ。
「もうこうなったら、帰って来てもいいから、結婚だけして。婚約破棄でもいいから、婚約までして」
と、母親は薫子さんをかき口説く。このセリフはどこの家庭でも聞く。
「母親は、私が結婚しないことが許せない。子育ての失敗になるから」
というのは、やはり同じようにお見合いを繰り返していた友人のセリフである。
恋愛すれば、というアドバイスも、事ここに至れば。むなしい。この状態ではそんな心の余裕はとてもない。真綿にくるむように育てられ、彼女は窒息しそうだ。
お見合界はマイナスポイント制
「いや、もうホント、こんな人とマジにご飯一緒に食べるの? 気の毒って感じなんです」
早苗さん(仮名 一九六一年生まれ、インテリアデザイン事務所勤務)の友人のミドリさんは言う。ミドリさんはバリバリの女編集者で、おっとりしたお嬢さん風の早苗さんとは飲み仲間、食べ仲間。
お見合いの後、早苗さんが「もう、イヤっ」とストレスを発散するのは散々付き合わされてきた。早苗さんはお見合い歴五十回以上。お見合い経験ゼロのミドリさんが、好奇心満々で待ち合わせの銀座某デパート前をチェックしたところ、
「えーっ、子泣き爺やん」
と、仰天。見合い建研豊富な年上の友人のおかげで、少なくとも、ミドリさんには「お見合いを最後の砦にしょう」とか「ひょっとしたらいい男が来るかも」という甘い気持ちはなくなった。
正直、ミドリさんから見れば、早苗さんの言動には「ちょっとぉ、お嬢さんなんだから」とカチンとくることもある。しかし、実際に早苗さんの見合を物陰から観察し、早苗さんの頭にきたお見合い宛ての話を聞き、「結婚するのには、こんな思いまでしなくてはならないのか?」と愕然とすることが多い。
回を重ねるごとに、果てしない迷宮に入っていくような早苗さんのお見合い会談は、本人には怒りと涙の悲劇なのに、他人から見れば喜劇なのだ。
お見合いは条件と条件の戦いだ。大切なのは釣り合い。身長一四五センチのお嬢さんなら、一六〇センチのお坊ちゃまでもいいはず。女性の方がもう年が年だから、一流よりちょっと下の企業でも満足するでしょう。そんなふうに、勝手に判断されてしまう釣り合いだ。
女サイドの条件は家柄、容姿、学歴、年齢。男サイドの条件は学歴、仕事、家柄、年齢。女性サイドで仕事が重要視されないように、男子サイドではルックスは問題にされない。
「やばいやつは、お見合いオバサンが写真を寄こさない。確信犯です」
早苗さんも何度かそういう目にあっている。相手は自分の写真を見ているのに、こちらはひょっとしたら生涯の伴侶になるかもしれない人と会うのに、事前に顔を見ることもできない。
「殿方はいいのよ」とあっさり言われる。
お見合いの世界はいまだに男尊女卑、「女は三界に家なし」の世界だ。本人がいくら人生経験を積んでも女を磨いたつもりでも、年齢とともに条件は下がる。毎日きちんと生きているつもりだ。積み重ねているものはあるはずだ。それなのに、履歴書の上の自分の価値がじわじわ下降していくことを、周囲は寄ってたかって思い知らせようとする。
「この前の相手は歯が立たなかった。前歯が三本。急な話だったから歯医者に行く暇がなかったのかなあと思ったけど、三週間後に会ってもやっぱりないの」
お金がないわけでもない。むしろ地主で普通よりはある。
歯のない顔で会ってもいいと思うほど、相手にとって自分はどうでもいい存在なのだろうかと悩む。かといって一回で断ってくるわけではないのだ。歯のない顔で会ってもいい女と、本気で結婚したいのだろうか?
最近は、いいと思うような人もいない。それでもお見合いは断らない。こうなると、我慢比べだ。どこまで自分が相手に我慢できるか、確かめていくのが毎回のデートの作業だ。ポイントを加算して行くのではなく、マイナスを引いていく。
第一印象は、後ろ姿だ。お見合いオバサンが同席する場合。初めからじろじろ相手を観察するわけではない。女は控えめするべしと言うのが染みついている。待つ合わせの場から立つときにやっと、先に立つ相手の後ろ姿を見る。その後ろ姿の隣に自分を置いてみる。並んで歩けるような人だろうか?
髪もある。歯もある。とりあえずOK。でも、職場の側から早く離れたい。誰か知り合いに並んで歩いているところを見られたくないからだ。
二人になる。ここからは相手のエスコートだ。夕食の場所が決められず、うろうろする人も多い。またこれしかないと言うように、手慣れた(毎週の)コースに、さっさと案内されることもある。お腹の具合も、食べたいものも聞いてくれることもない。
相手が選んだのは「○○寿司」と看板はあるものの、テイクアウトの弁当屋だ。美味しいお寿司を食べる場所じゃない。ここで一点マイナス。
相手は酒を飲めない。「いい年してビールも頼まない」から、またマイナス。こちらはかわいく「ビールいいですか?」と好きなん銘柄を頼む。もう我慢しない。
会話が弾まない。これは珍しいことじゃない。まずい幕の内をぼそぼそと食べる。はやく帰りたい気持ちを我慢して、一生懸命会話する。相手が無口なので、ほとんどしゃべりっぱなしで、やたらとのどが渇いて、手酌でビールを飲んでしまう。
お金を払う段になっても、相手はレシートを持ってこない。二人で三千円のディナー。さっきの喫茶店も割り勘だったから、おごるつもりはないのだろう。惨めな気持ちになるのはこんなときだ。女のために三千円も使ってくれない人と、本当に結婚できるのだろうか?
やっとお開きだ。ぐったりと疲れている。
「どうしますか?」
できれば帰りたい。でも女が決めることじゃない。相手はあっさりと「帰ります』という。駅まで一緒に行こうとしたら、
「僕、自転車できているんで」
と、近くに止めてあった自転車をこいで帰っていった。唖然とする。
友達に電話して、頭を冷やさないと家に帰れないのは、こんなときだ。呼び出して夕食のやり直しをし、お酒を飲んで戻る。家に戻ると「おつき合いしたい」と相手の伝言が残っている。
胃が重くなる。初対面であんな態度を取っておいても、決して早苗さんが気にいらないというわけではないのだ。
どの程度のマイナスまで、自分が許容できるか。若い頃なら許せなかったことも、「相手に悪気はないから」と思えるようになった。
すでに「修行」の領域かもしれない。お互いに値踏みし合うお見合いは、人の手によって簡単に始まるわりに、精神的にはハードだ。短期間で断り、また断られる。見も知らぬ、しかも自分の眼中にないと思っている男に「あなたはダメ」と決めつけられる傷は深い。
親が気に入らない相手とは結婚できない
早苗さんは立派な社会人だ。インテリアデザイン事務所は知り合いのコネで、結婚までの腰掛のつもりで就職した。そのうち仕事自体に興味がわき、会社に行きながらインテリアコーディネーターの学校に通い勉強した。
今では会社に依頼されるマンションのモデルルームを丸ごと任されるまでになった。あたりが柔らなので接客もいまいし、顧客に信頼されている。いい仲も沢山いる。インテリア雑誌の編集者の女友達、モデルルームのために買い付けて仲良くなったら焼き物の作家たち。笑って楽しくご飯を食べたり、お酒を飲んだりできる。今の仕事も好きな道だ。
早苗さんはすごく恵まれた人のように見える。結婚という一点を除いては。そんな彼女がなぜ、ここまで傷つきながらお見合いを止められないのか?
それは「家族」のせいだ。三世代同居の仲良し家族。おばあ様はぬか漬けの名人で、彼女はお客様へのお茶請けがわりにと、いつもオフィスに持参している。
向田邦子のエッセイに出てくるような、古き良き家庭が伺われる。編集者のミドリさんは早苗さん家にご飯を食べに行くと、忙しくささくれ立った心が「ホッと和む」という。家族たちは早苗さんが幸せな結婚をしてくれることを望んでいる。
「女子高、女子大の間も、親が気に入らないと思った相手を好きになったことがないんです」
だからといって、親がうるさく干渉してくることもない。無意識に自分で「親に対していい子」の行動をとってしまう。いい家族なのだ。悲しませたくない。お見合いの数を重ねている女性たちは、すごく家族の仲がいい。
「自分が恋愛を見つけられないってわかっているから。親にとっても自分にとってもいいという結婚相手を恋愛で見つけられるなんて、そんなに甘い物じゃないと思う」
家族の大切さ、よさがわかっているからこそ、結婚して家族をつくりたい気持ちは強い。
好みの男性は学者タイプで、何か夢中になれるものを持っている人。恐竜の卵を探しているような人がいい。
「あたしがいいと思ってくれる人と結婚したい。でも恐竜の卵の次でいいんです」
日本の伝統的な家庭で愛されて育った人たちが、自分の育った家庭を再生産できない時代に、日本は突入している。
お見合い男は無邪気なジェンダーを振りかざす。セクハラですら自覚がない。一方、跳べない女であることを受け入れ、お見合いを望む女性のほとんどは、保守的なタイプ。リードしてくれる男性、頼りがいのある男性を求めている。裏を返せば、対等ではないことを受け入れているのだ。しかし、お見合いに来る男性はリードどころか、まともなエスコート、会話すらできない人が多い。
早苗さんは都庁に三回も上ったことがある。お見合い相手だ。相手の提示したコースを「もう行きました」と断ったら、「どうしよう、どうしよう」とうろたえられて困ったことがあった。その後は面倒くさいので、どこに行くときも初めてのような顔をすることにしたそうだ。
王子様はもういない
彼女たちが結婚できないのは、母親の時代はいた「お見合い界のいい男」が絶滅寸前であることも大きな理由だが、本当の理由は他にある。対決しなくてはいけないのは、母親と、母親に刷り込まれた「あるべき自分の姿」だ。
ある友人の母親は、すごく支配力の強い人だ。兄や弟は大学在学中に結婚して、早々と家を出て行った。残った彼女は、無意識に母親の望むような相手を選ぼうとしてきた。二十代から三十代初めにしてきたお見合いは、すべては思い出せないが五十回を越える。不倫ならうまくいくのに、結婚を考えると恋愛は上手くいかない。
「不倫の彼なら、結婚を前提としなくすむ。どんなに好きでも、ママに紹介したら大学名とか、家柄とか、ここでチェックが入るなあ、とわかるから」
五年ほどカウンセリングに通い、自分と向き合った。お見合いに行くと不安定になる。女性からは断ってはいけないという地方の風習がある。相手の電話が怖くて電話線を引っこ抜いたこともある。
「自分の被っていた殻みたいなものを、バリバリ突き破ってきた。何歳までに、こういう結婚をしなくてはとか、こう言う人を好きになったらいけないとか。今はやっと母にお見合いはイヤと言えるようになった」
カウンセリングによれば、「結婚したくなかった私」は「結婚に向かない相手」ばかりを無意識に選んできたのだという。
「結婚したくなかった理由はいろいろあるにせよ、精神的な自立が出来ていなかったことに尽きると思う。土台がぐらぐらしているところに家を建てても壊れるもの。今後何かあっても『私の人生どうしてくれるの?』っていうセリフは言いたくないな。母もあきらめたのか、やっと、ほうっておいてもらえるようになった」
私が「MSMジャーナル」にお見合いに関する記事を書いたときも、お見合いを強制する親のプレッシャーに耐えきれず、アメリカに留学しているという女性からメールをもらった。そんなに遠くまで逃げなくてはいけないほど、親の呪縛が強力だったのだ。他にもコンタクトを取ったら、「結婚はしてはいないけど、家を出ました」と、しっかりした明るい声で報告してくれた人も何人かいた。
母と同じ物語を紡げなくなってきた娘たちは、家を出る。もう「王子様」はいないのだと気づいたときから、自分なりの道を探さなくてはいけないからだ。
「王子様」がもういないことに、母親たちはまだ気づいていない。
5 結婚したくない現実的な理由
日本女性の強固な「家事」の刷り込み
NHKで高校生たちがテーマに沿ってフリートークをする『真剣10代しゃべり場』という番組がある。その中である女子高生が、
「50才ぐらいになるまで結婚はいい。仕事したいんだよね」
と言っていた。彼女の夢は政治家で「バリバリ仕事したい」のだそうだ。これを聞いていて「なるほど」と思った。結婚は女の仕事の妨げになると、彼女はきちんとわかっているのだ。
私たちの世代は意外にこのヘンに夢をもってしまって、「一緒に頑張れる男性」「女の仕事を応援してくれるような男性」がいるのではないか、と思ってしまう。それは幻想なのだと、今どきは高校生も知っている。
男にとってバリバリ仕事をするのに、家庭は邪魔ではない。むしろ、仕事以外のことをすべて面倒見てくれる妻の存在は都合がいい。仕事をしたい女にとっては、いくら精神的なサポートをしてくれても、「自分の茶碗を自分で洗わない男」は、現実的に必要ないのかもしれない。
日本女性ほど「家事」の刷り込みの強い人種を他に知らない。アジアの駐在地に行った二十代の主婦が嘆いていたのを聞いて、驚いた。
「メイドさんがいて、何もかもやってくれる。いったい私は必要があるのかしら」
若いのになんて殊勝な心がけだろう、と感激した。しかし、日本女性たちが家事が大好きかというと、そういうわけでもない。ただ「家事の手を抜いている」「家事が下手」と思われるのは大きなNGなのだ。実は、家事が嫌いな人、やらない人ほど、対外的な評価に敏感だ。
ある友人は、家事なんて大嫌いの「てきれば妻が欲しい」ほどの働く女性だが、彼女には「手作りのゆずマーマレード」という必殺技がある。
「一族総出で作るの。今は一人暮らしだけど、習慣になっちゃって」
と、実際は祖母の手製のビン詰めを差し出す。たいていの男は「何て家庭的な女性なんだ」と目を潤ませてる。種を明かせば、「母親の使った手」なのだ。
大家族同居の地方の大きな家に嫁いだ母親は、代々お手伝いさんや同居の小姑などの人手があるので、子育ても家事もしない人だった。それでも「地域のボランティアに貢献し、三世代同居なのに、ケーキやクッキー、ジャムは手作り」と、近所の主婦たちから尊敬のまなざしで見られていた。嘘はついていない。
しかしケーキ、クッキー、ジャム以外の母の料理は、実は食べた覚えがないのだ。彼女もきょうだいも、母親の手で育ったとは思っていない。
「子供は母親の手ではなくても育つ。家事は外部委託できる」といのが、彼女の経験からの信念だが、日本ではその理論をかざすと、大バッシング大会となる。
なぜ「家事つき手抜き」「外部委託」はいけないのか? 家事論争は女と女の戦いだ。男は味噌汁のだしがカツオと昆布でとられたものか、インスタントかの判断もできない。家がきちんとなってさえいれば、「誰が」掃除していてもきっとわからないだろう。しかし、女性は敏感だ。家事は「誰もがやらねばいけないもの」なので、そこから上手く逃れている女性は、許されない大罪を犯していることになる。
外資系証券会社に勤める共働きの同級生が、同窓会の席で何気なく「うちはフィリピン人のハウスキーパーを入れる」と言ったとき、はっきりと座が白けたのを覚えている。彼女はタブーに触れてしまったのだ。
家事も子育てもすべては女の領分、という考えは、実は当の女性たちをとらえて離さない。夫は外で稼ぎ、妻は黙々と日々の家事をすることで繋がる日本の夫婦の形は、まだまだ健在だ。
「家事を頑張ってこそ、自分の存在感がある」という妻と、「そんな妻の姿に愛情をおぼえる」夫の組み合わせ。日本の女性は、家事育児のプレッシャーを常に感じている。不思議なもので、家事嫌いな私でさえ、何日も夫のために夕食を作る必要がないと、愛情が薄れていくような気がするのだ。
日本では、男は「お金をかけた分だけ」、女は「手間暇かけた分だけ」愛情に変換されるのかもしれない。
「家事能力ゼロ男」とは好きでも結婚しない
「これはコレクションなのかしら?」
男の部屋の本格的に掃除に着手すると、旗と考え込むものが大量に出てくる。
千香子(仮名 1965年生まれ 百貨店バイヤー)は、一年付き合った男(四十歳 証券会社勤務)との週末同棲に踏み切った。今まであまり長く時間を過ごしたことのない男マンションを、居心地よくきれいにしようとすると、ぎょっとするような目に遭う。賞味期限が昭和までさかのぼれる缶詰は、ゴミ袋二杯分になった。
各航空会社の毛布やビジネスクラスのキットが、押し入れの一角を丸ごと占領していた。クラブとおぼしき店のマッチと使い捨てライターの膨大な数。料理を全くしないのが救いだが、冷凍庫には土産物らしい凍りついたUSビーフやキャビア。考古学者が発掘作業を行っているような気がする。
引っ越し以来、手つかずの開かずのベランダ、真っ黒なキッチンのカーテン、フローリングの床も、これまで十回も掃除機をかけてはいないだろう。米びつらしき場所に、見たことのない茶色い虫の死骸を大量に発見したときはショックだった。
前向きな関係になろうとしたものの、掃除だけで疲れ果てた。しかも、相手はたいしてありがたがってもいない。心地よく過ごしたいのは千香子のわがままで、男は今のままでも不自由はないのだと思い知らされる。お互い若い頃なら変わることも期待するが、今さらこの家事能力ゼロの男と結婚するのがいかにしんどいことか。
千香子は仕事を続けるつもりだし、長年のひとり暮らしで一人分の家事はなれている。完璧主婦だった母親の影響で、キッチリしないと気が済まない。自分の分だけならできるが、人の分までやろうと思うほど家事は好きじゃない。
自分の北欧風のインテリアで統一した快適なマンションの一室。そこにもう一人が加わり好き勝手に散らかすことには、我慢できない。これで子供でもできたら、いっさいの男は協力は当てにはならない。
世の中の女性がみな、それを承知で結婚していくのに、自分は何故できないのか。「専業主婦で家族第一」の母親に育てられた自分は、「あそこまで自分を捨てて家族に尽くせるのか?」と、いつも結婚や出産に二の足を踏んでしまう。
結局、子供さえいなければ、このまま二軒の家に住みつづけるのも悪くない、という結論に達した。自分で自分を養えるいい大人が、自分で面倒ぐらい見られないのはおかしいと思う。どっちが養って、どちらかが面倒を見るという機能がなければ、結婚とは何のためのものなのか? もう結婚には子育てという機能しかないのなら、子供ができない限り、今のままの関係でいいと思っている。
しかし、その考えを母親に言ったら、千香子は笑い飛ばされた。
「オトコなんて、すぐに若い子のほうに行くわよ。本当に夢みたいなことを考えているんだから」
結婚という絆は、母親たちの世代にとっては「契約」であり「生きる糧」だったのだ。子供を産み育て、家事をして一生男をつなぎとめて養わせる。その前に私たちの世代の持つ「パートナーシップ」や「愛」というあやふやな概念は崩れ去る。
そして仕事は出来るのに、「生活する」事に関しては未熟というよりも興味がない男。父親世代もそうだし、今でもそういった男性は多い。熟年離婚する夫婦の夫は、きっとそんな男なんだろう。子育て機能が終わったら、もう家族は解散してもいいと妻が思う。その時が離婚のときなのだ。
欧米では家事の家族分担はもっと進んでいる。日本に比べてはるかに家事のレベルは低い。イギリスに住んでいる友人が「巨大な生ゴミの袋を出すのは日本人家族だけ」と言っていた。料理に手を掛けないから生ゴミも出ない。グルメの国フランスですら、パーティは高級食材屋のお惣菜で充分。ふだん家庭で食べるものは質素だ。
東南アジアの発展途上国では、普通の階級でも掃除、洗濯、料理をせず一生を終える女性は山ほどいる。安価にメードを雇えるので、外で出て稼いだ方が、家事をするよりもはるかに家族に貢献できるのだからだ。
もともとアジアは外食文化で、シンガポールで働く日本女性によれば、「同僚の女の子たちに『料理をする?』と聞いたら、ほとんどの子がしないと答えるだろう」ということだ。そのかわり、家族や夫婦で過ごす時間はふだんにかけ、クリスマスや正月などのイベントには命をかけける。日本の家族の絆は、「日々の家事や平常点」という、最もつらくて長い道のりでしか、表せないようだ。
家事の外部委託やベビーシッターで、夫婦や家族の時間が増えるのかといえば、日本の家庭の場合、なかなかそうはいかない。安価にメイドを雇える駐在地の日本人家庭を見ていると、妻が家内スタッフ(メイドやベビーシッター)をうまく使いこなすと、妻と子供と家内スタッフだけでまるで家族のようにまとまり、夫は「手伝ってよ」と怒られることもなく、堂々と家庭外の仕事やつき合いに精を出せる。
日本人夫婦の場合、家事を外部委託しても、ふたりの時間が増えるわけではないのだ。
家事分担より、家事奴隷募集中?
結婚して共働きの場合、夫が家事を分担してくれたら妻は満足かというと、そういうわけでもない。離婚したまついなつきさんが、「自分好みの家事システムを創り上げている人の唱える家事分担は、奴隷募集でしかない」と書いていた(『愛は面倒くさい』メディアワークス)。
家の中を自由にプロデュースしたい妻が望むのは、家事分担ではなく、言いなりに動いてくれるアシスタント的存在。仕事なら当たり前だ。現場に二人のプロデュースがいれば混乱するだけ。しかし、家庭で「あなた、私のやり方で家事をしてよ。奴隷になってよ」とはなかなか言えない。
有能な女性に限って家事ができないどころか、家事も有能で完璧主義なことが多いので、結局のところ、夫に家事を任せきれない。家庭の領分、好きなようにやりたいという女の巣作り本能のようなものが、結婚後の家事分担より大変にしいるのだ。まつきなつきさんは結局、自分の収入で「収入ゼロ」の夫を養っていた形になるのだが、夫の家事は「小学生のお手伝いさんレベル」だったという。
キャリアウーマンが「妻が欲しい」というように、仕事に全力投球したい女性には「妻がわりの癒し系男性」という組み合わせが新しいのではないか、と思ったことがある。ところが、まついなつきさんも、内田春菊さんも、妻の方がはるかに稼げるカップルは、次々離婚していく。内田春菊さんも忙しい仕事の合間を縫って家事をこなし(夫が家事の外部委託を嫌ったので)趣味の手芸をやろうとすると、「仕事でもないの」とイヤな顔をされたという。
そのくだりを読んで涙が出そうになった。最初は仕事に理解のある癒し系の夫も、結局は家事をせず、仕事もしない男になってしまう。どんなに稼いでも、「妻」をもつことのできる女性はいないということだ。
内田春菊さんは日本一「オトコマエの女性」だ、女の身で前夫に一億数千万も慰謝料を取られつつ、恋愛し、子供を産み、結婚し・‥と言うように、稼げる女があきらめてしまいがちな、女のフルコースをきっちりと納めている。
家族問題の専門家である斎藤学氏は、対談の中(『内田金玉』イースト・プレス)で、「(夫の)選び方がだんだん進歩してる。女の方がお互い対等だという感覚を持つと、そういう感覚を持った男が見えてくる」
と、春菊さんの夫選びを誉めている。
ダメ男を渡り歩く自分たちを『だめんず・うぉ〜か〜』(倉田真由美 扶桑社)と自ら笑い飛ばす女性たちも出てきている。面倒な恋愛を避けて、優雅なひとりを通す自立した女性と、ダメ男でもダメ男でもあきらめず恋愛して子供をつくる女性。どちらが「いい女」なのだろうか? 内田春菊さんのような女性が幸せになれないと、日本の女性の未来もかなり暗いような気がするのだ。
6 縮みゆく世界の結婚・恋愛
少子化の先頭を行く国で何が起きているのか
少子化、高齢化社会のデータを追っていくと、アジアの中では日本だけが突出して問題を抱えていることがよくわかる。ほとんど全ての先進国では人口を維持できる出生率二・一を割っており、二〇〇〇年の日本の特殊合計出生率は一・三六で、日本より少子化が進んでいるのはイタリアとドイツ。アメリカの出生率は二・一三で、先進国の中では最高だ。
イタリアといえば「アモーレ(愛)」の国。マフィアといえど、ママのつくったパスタを狭きキッチンでズルズルとすする血の結束の固さ。そんなイメージがあっただけに、これは意外だった。日本よりもはるかに恋愛力に優れていそうなイタリアでは、何が起きているのか?
イタリア人と結婚しているフリーライターの女性によると、
「イタリアはおっしゃるとおり、アモーレの国。若い頃からみな恋人がいて、恋愛している。でも結婚するのは遅くて、それは深刻な就職難と、物価に比べて収入が少なすぎるせい。若いうちは、ひとり暮らしもこんなんです。子育ての費用も大変なので、現実的に若いカップルが子供を持つのは苦しい」
という現状があるそうだ。経済が結婚や出産を圧迫する。いま日本でも、それは当てはまる。「何よりもイタリア人は、生活を楽しむことが大切。まずひとりで、結婚してからは夫婦で、子供はそれからということになると、四十才過ぎての初産も珍しくない。だいたいイタリアの人たちは、あまり先のことを考えないのです」
恋愛力に優れた国でも、それが結婚や出産にはむすびつかないらしい。鈴木透氏(社人研)は「離家」のタイミングに注目しており、日本の人口問題は、北欧や北米ではなく、スペイン、イタリアなどの南欧やドイツを含む東欧に似ていることを指摘している。
パラサイトシングルが日本にはたくさんいるように、南欧では「離家」のタイミングが日本のように遅いのだそうだ。イタリアでも「巣離れしない若者たち」は問題となっており、結婚しても親と同居しながら生活を楽しむカップルもいる。
北欧のスウェーデンなどでは、すでに生まれる子どもの半数が婚外子だ。女性がひとりでも子供を育てられる環境を整えれば、出生率が上がるとう結果はすでに出ている。女性の働ける環境を整えれば、結婚しなくても女性は子供を産むのだ。
しかし日本では、婚外子の率を上げて少子化を乗り切るという対応は現実的ではない。南欧や日本のように伝統的な家族主義が残る風土では、まだまだ難しいだろう。
最近、元官僚が未婚の母宣言をしたのだが、それをカミングアウトしたときの会社の男性たちの反応が見ものだった。「あ、順序が逆になっちゃったの?」と言って、できちゃった婚ではないとわかると、もう言葉にも出ない。
男性の場合、我が身に引き換えて複雑な思いを味わうらしいが、何よりも「頭がかちかちに保守的」なのだ。同世代の女性たちの反応は「それもあり」という度量の広いもので、意外にも祖母たちの世代は動じない。夫の妾に妻たちが盆暮れの付け届けをした時代は、そう昔ではないのだ。
アジアのシングルズの微妙
アジアはまだ伝統的な大家族主義が残るところで、それは美風ともとれるが、大家族は生活に必要な制度でもある。社会保障制度や、医療保険制度の薄い国では、子供は大切な老後の保障だ。家族が助け合わなければ生きていけないという厳しい事情がある。その分。絆は深い。
アジアを旅行するといつも思うのだが、レストランのテーブルの並びが日本とはまったく違う。日本のレストランなら四人テーブルが基本だが、それよりもはるかに大きな十人以上の円卓で食事をしている家族が多い。家族の風景がまったく違うのだ。
アジアの他の国が日本のような問題を抱えるのはまだ先だが、日本で一番近いところにいる韓国やシンガポールはどうなのか? ヨーロッパはすでに一九六〇年のデータでは韓国、シンガポール、香港に近年の急激な少子化傾向が見られる。合計特殊出生率三〜四という高い水準から二以下への急激な低下は、日本の推移とよく似ている。(「出生に関する統計の概況」人口動態統計特殊報告)。
韓国の女性たちはいつも感心するほど、スタイルや化粧など、自分の外見に気を使っている。男性の目を常に意識している。美醜にかなりのこだわりがあり、彼女たちは驚くほど大食いなのだが、きちんと運動してプローションを保つ努力は怠らない。日本人と韓国人が交じると、韓国人女性は休日でもフルメイクなので、すぐにわかる。整形も盛んだ。女性は美しさで一生が決まるという感覚が根強い。
韓国のキャリアウーマンと話すと、まず彼女たちの年齢差を気にする。儒教社会では、年長者に対するには言葉遣いから違うのだ。大勢で出かける場合。友人同士でも一座の年長者が必ずまとめて支払いをする習慣だ。つき合いは、まず年を言い合うことから始まる。私が年を聞いたら「韓国の? それともインターナショナル?」と言われた。韓国の数え年では西暦の年齢より二才上になる。
もう二十六才だからというのは、二十四才という意味だ。不思議なことに、日本の二十六才の感覚がそのまま韓国の二十四才の感覚に当てはまるような気がする。適齢期などの感覚もそうやって考えると、きっと日本よりも二年以上は早いのだろう。
「日本の男の人はキュートね。韓国の男性はマッチョだから」とある女性は、中学の頃好きだった日本のアイドルの名前を上げながらいう。韓国では二年間の徴兵があり、男性はみなそれを経験する。大学に行く人なら、入学してから学生の間に行く人が多く、徴兵に行くと、「どんなになよなよした男の子でも、まったく別人のように逞しくなる。人柄もがらりと変わるし、徴兵から帰ってきてしばらくは、話も通じないほどになる」という。
二年間は都会の駐屯地以外は、休暇で友だちに会うこともできない。恋人同士の場合、この二年を待つか待たないかに、大きなドラマがあるそうだ。
「韓国の男の人はマッチョで威張っている。韓国の女性は、結婚すると家にいるのが当たり前だったけど、最近は違う考えの人も出てきた」
理由は、アジアを襲った経済危機だ。いばっていた男性が簡単に失業してしまうのを目の当たりにし、韓国の女性たちも「頼ってばかりはいられない」と思うようになった。年上を敬い、夫を立てる儒教精神がなくなったわけではないが、結婚しても仕事を手放したくない高学歴女性は多いという。話をした女性たちは、英語も日本語もできる国際派のキャリアウーマンだったので、感覚も進んでいる。それでも「結婚は同国人と」と言う。
シンガポールでは、中国系の男性たちは「同じ中国系でも穏やかなマレーシアの女性がいい」と言いだしているそうだ。シンガポールは欧米流のビジネスを実践しているアジアのビジネス基地だ。ジョブホッピングは当たり前で、少しでもいい学歴をつけて、少しでも多く稼ぐのが「よいこと」だ。女性の職場進出は日本よりはるかに進んでいて、出産後も復帰し、男性と対等に定年まで働くのが当たり前。とにかく、
「中国系女性は有能で強い」
7 「やまとなでしこ」海外流出の実情
恋愛海外亡命時代がやってきた
一九九九年の調査によれば、ついに海外に滞在する日本人の数は、女性が男性を上回った。これは外務省が発表する「二〇〇〇年年度版海外在留邦人数調査統計」によるものだが、海外に三ヶ月以上滞在する日本人(永住者を含む)は七九五八百名で、女性は四十万人強、男性の三十九万人強を上回った。二〇〇〇年十月の調査では、海外在住邦人数は過去最高を更新する八十一万十七万七百十二人に達した。
女性の数が男性を上回る傾向は依然として続いている。
海外に滞在する女性というと、昔は駐在婦人が主だった。日本企業の駐在員といえば、まだ圧倒的に男性社員であり、単身赴任も多い。日本の本社から海外派遣という形でではなく、留学、現地採用など、自力で海外に居住する女性も増えているということである。
バブル期の一九八〇年代のOL留学から、日本女性の海外への流れは目立ってきた。語学習得だけでなく、MBAなど本格的な海外での就職を視野に入れた留学も増えてきた。バブルの時代が終わっても、優秀な女性が男女差別のないアメリカなどでキャリアを積む姿がメディアに華々しく紹介され、香港やシンガポールには日本の人材派遣会社が進出し、海外での人材斡旋を行っている。
マイナス成長時代に入れ、女性の就職戦線がますます悪化すると、大学卒業後、国連など勤務場所を日本と規定しない就職先を志向する女性も増えてきた。布教の続く中、事務職OLのリストラなど、女性の働く環境にはしわ寄せがきている。仕事の環境という意味で、女性の海外流出が起きるのは当然のことだった。
流出しているのは、仕事だけが理由ではない。恋愛もひとつの理由である。男性は、就職してすぐに社会に組み込まれて組織の一員となり、簡単に日本から外に出てはいけない。女性は、企業社会にとってまだまだ当てになる戦力とされていない分だけ、自由だ。一九九九年十二月三日の『AERA』に「恋愛亡命・ニッポンの男を棄てる女たち」という記事があったが、日本の女性たちが海外に出て行くために「恋」は充分な動機となるのだ。
海外にいる女性たちに聞くと、日本人男性は魅力的に映らないようだ。彼女たちに、独身の駐在員男性を紹介しても、なかなかうまくいかない。同じ海外生活とはいえ、会社に全てをお膳立てされた日本社会の出島に住む彼らと、独力で就労ビザを手に入れ、現地で地に足をつけて生活しているタフな彼女たちとは違い過ぎる。群れと一匹狼は相いれない。
「恋愛力」「コミュニケーション力」の衰えた受け身の日本人男性に比べ、ストレートに気持ちをぶつけてくる外国人男性たちは「強く求められたい」「きちんと向かい合いたい」という気持ちを持つ日本人女性たちの心を惹きつける。
経済力をつけ、国境を自由に越えていく日本人女性たちは、パートナー探しを日本に限定しない。自らの居場所を日本以外の場所に求める流れは、女性たとの主流に、さらに進んでいく。
女性が「女の子」になれる島
バリ島に嫁ぐ日本人女性、いわゆるバリ妻の存在がマスコミにクローズアップされるのは、一九九〇年の初頭からだ。一九九四年のJALの就航により、バリブームはさらに拡大し、二〇〇〇年には史上最高の三十七万人の日本人観光客がバリ島を訪れている。今治に在住する邦人は在留届のベースで約千人。その半数近い約四百人が永住者として届を出している。大半はバリで結婚している女性だ。
婚姻件数も、女性は一九九八年の四十件弱、一九九九年は五十件近くと、増加している。たいしてでありがたがってもいない。男性は一桁台だ。バリ妻ブームは一過性のものではない。今でもバリに嫁ぐ女性は多く、その二世たちを預かるサヌールの日本語補習校では、幼稚部、小、中合わせて約四百四十名のハーフの子供たちが学んでいる。
私にとって一番衝撃だったのは、その数字だ。もうこれだけの二世たちがいる。バリに嫁ぐ日本人女性たちの物語は、出会いの章だけではなく、新たな定着の章に入っているのだ。
バリ島デンパサールの国際空港で、日本便の発着時間に居合わせれば、別れを惜しむ日本人女性とインドネシア男性のカップルに出会う。または、カップルとベビーカーに載った幼いハーフの二世が、日本に帰る女性の両親を見送るシーンも見かける。
なぜ、日本では結婚に踏み切れない女性たちが、子供を産むことにためらう女性たちが、この島では結婚し、子供を産み、日本よりは物質的には圧倒的に不自由な、電話や洗濯機のない生活、公共の交通網という不便な足のない生活を選択するのだろうか?
バリ島、そこには日本女性の求める何があるのだろうか?
東京大学の山下晋司教授の一九九五年の調査によれば、彼がインタビューした三十人のバリの妻たちは、
(1) 一九六〇年代前後の生まれ
(2) 大都市出身者
(3) 観光客としてやってきて、マリンスポーツや舞踊など文化的な動機で移住している。
という共通項があった(『バリ観光人類学者のレッスン』東京大学出版会)。またしても一九六〇年代は、この海外の島でも新しい動き方を見せている。
仕事や休暇でバリ島に行くたびに、そんな女性たちを訪ね歩いた。一九〇年生まれ、私と同世代のバリの妻たちは、子育ての真っ盛り。独身でバリに就職した女性もいる。日本では、ほとんどの女性が普通のOLだった。大学院卒の女性もいる。編集者など、第一線で活躍していた人も多い。彼女たちと話していて、バリの持つ光と影の両方の側面が垣間見える。
「なぜバリなのか?」という問いかけに、彼女たちは様々な答えをくれた。
バリで働く女性たちは、日本で働いていて感じるようなストレスとは無縁だという。
「人と競ってブランド物を買って、負けるのが我慢できなかった日本の自分が、嘘みたいに変わった」
「お金がなくても、ある人が払えばいいバリ。みじめじゃない。休みがあれば、海でボーッとしているのが楽しい」
そして、
「愛する人に出会った。運命の人に出会ったから」
というのもひとつの答えだ。
「国境を超えるという行為は、ひとつの恋愛物語をつくる、魅力的な装置です」
これは『悪の恋愛術』(福田和也 講談社現代新書)の中のフレーズだ。バリ島には恋愛物語を作り出す装置があるのだ。
バリには、たくさんの恋愛ドラマが生まれる。恋愛が多すぎる。それは一体なぜなのだろう。バリにはドラマを生みやすいハードとソフトがそろっているからだ。バリという、女性の一人旅にも最適な観光地。バックパッカーになるほどの度胸もなくても、バリのリピーターにはなれる。そこには日本人の心のふるさとに通じる風景と、優しい人々がいる。それがハードだ。
そしてソフトは、バリ人をはじめてする、バリに住むインドネシア男性の側にある。
「すごく自分が女の子だっていう気分にさせてくれる」
ここでは「女」でも「女性」でもなく、「女の子」というのがツボなのだ。
日本では男に敬遠されるほど「できる女」でも、心の底には「少女漫画のヒロイン」のような乙女がいる。「女の子」として大切に優しくされたい。そんな乙女心をくすぐるのがバリの男性は上手い。というより、日本人男性にそれがなさすぎる。西欧のレディファーストではなく、弱い女性を大切にする心が、アジアの男性には備わっている。子供の頃から母親や女きょうだい相手にしてきたことだから、身についている。
本当に単純なことなのだ。ちょっと手を貸してくれる。荷物は女性に持たせない。些細なことでも、ふだん頑張っている女性ほど、ぐっとくる。
「バリの男の人って本当に心の隙間にするりと入り込んで来るのが上手いのよね」
と語るのは、日本では二十四時間働いていたキャリアウーマン。今は仕事を捨て、バリの十二歳下の男性と結婚した。
自分の「三高」に気づかない女性たち
バリ島でスキンダラスに語られる日本女性たちの恋愛模様。それは観光地という特殊な事情故に、ゲスト(観光客)とホスト(迎える地元の人々)の双方でつくり出しているものだ。
バリに住んで長い日本女性たちはいずれも「バリの男性だけが悪いわけじゃない」と、バリ島の恋愛事情を語る。
恋愛がしたい日本の女の子たちと日本女性と付き合いたいバリの男の子。こり両方のニーズが一致し、「地上の楽園」という完璧な舞台背景を得て、初めてバリは「運命の恋」が生まれるにふさわしい「恋愛ワンダーランド」となるのだ。
巷で言われるようなセックスだけが目的の女性というのは、男性誌の幻想の中にしか存在しない。日本人女性たちがしたいのは、あくまで「恋愛」なのだ。女は、男ほど簡単には、心と体のリンクを切ることはできない。男より贅沢なのだ。体だけじゃ、満足しない。心も体も気持ち良くならなければ、イヤなのだ。
「お金目当て」といわれるバリの男性たちも存在するのは事実だが、そういう男性たちを増長させるのは、当の日本人女性たちが無防備にばら撒くお金の力だ。
日本で想像する以上に、この島は田舎で貧しい。大型ホテルやリゾートのほとんどは、ジャワ島など他の島や中国人の資本家のものだ。平均月収は、日本円に直すと四、五千円という。
毎日勤めに出て定収入のある人も少ない。ウブドの賑やかな通りの裏には農村が広がり、一族郎党が同じ敷地で暮らす。一人ひとりが稼がなくても、食べては行けるのだ。
そんな中、ボーイフレンドに気前よくおごり、恋仲になればウォークマンから車からプレゼントする日本人女性。決して手の届かないものが、日本の女性たちから通じてもたらされる。日本女性のガールフレンドをもつ友だちがいい思いをしていれば、われもわれもとなるのは当たり前だ。寝た子を起こしてしまう行為だ。かつて「三高」に憧れた日本人女性たちは、この島では自分たちが「三高」になっていることに気がつかない。
会ってすぐプポーズされるというのも、決して不思議な話ではない。もともとインドネシアの恋愛事情は、田舎に行けば行くほど純朴なものだ。
「恋愛=結婚」は当たり前のこと。むしろ「結婚しなくてもいい恋愛」を教えてくれたのは、外国人ではないか?
どちらが先と言うわけではない。恋愛ワンダーランドであるバリ島は、バリの男性たちと外国からの女性たちの両方が、つくり出したものなのだ。
自分の足で立つ、ということ
二〇〇二年四月、バリ島日本人たちの努力で「バリ島日本語補習校」は新たな校舎に移転した。幼稚部を合わせて二百名にもなろうとする子供たちを、前の寺子屋規模の校舎では収容しきれなくなったせいだ。バリ島に嫁いだ女性の二世は、続々と就学年齢を迎えている。
バリに向かう日本女性の流れが目立つようになって、もう十年以上の月日が流れる。バリで運命の出会いをし、バリに嫁いだ彼女たちにとって「なぜバリなのか?」という問いは、もう意味がない。
「どうやって生きるか?」
「どういうふうに子供を育てるか?」
彼女たちと話していると、必ず出てくるその問題だ。
いずれも日本ではない場所で結婚し、生活し、子育てすることに、真剣に向かい合っている女性たちだ。彼女たちと話すたびに、日本の結婚や子育て、今家族が足りない物はなになのか、何が問題なのか、鏡に映に浮かび上がってくる瞬間がある。
山下晋司教授は、
「かつての移民のような国を棄てるという意識は強くなく、文化と文化、国と国の狭間で折り合いをつけながらフレシキブルに生きる女性たち」
と、彼女たちを「狭間で生きる女たち』と呼んだ。近代移民史は男歴史だ。三分の二が船上死する危険な航海に女性を伴うことはできなかった。近年目立つのは、女性の移動の活発性だ。適応力に富んだ、日本女性による「新しいタイプの国境越え」がなされているという。
バリの妻たちは、日本国籍のままの人が多い。もともと、男性よりも国歌を背負うという意識が希薄な女性のほうが、適応力に富みフレキシブルに国境を越えていくことができるというとだ。
その折り合いの付け方は、人によりさまざまだ。バリの農村に溶け込むように大家族の娘として生活しているウブドの日本女性。伝統芸能の家と夫を守(も)り立てる人。土産物屋やレストランを開くのも、彼女たちの定番のビジネスだ。クタであった女性は、日本の観客と変わらない流行の装いだった。
もともと「平均」がないのが、アジアの発展途上国だ。あきれるほどの金持ちも、貧困も、隣り合わせである。そこに嫁げば、日本の生活はそう違わない日本女性たちといえど、バリの生活はさまざま。バリの妻の平均値はない。
山下晋司教授は著書の中で、場の妻たちを「現代の日本社会に対してある種の不適応症を経験している女性たち」と呼んだ。たしかに、日本で満たされないものを感じていたからこそのバリだったのかもしれない。きっかけはどうあれ、二一世紀の今、彼女たちはこの島で子供を産み、育て、愛し合い、生活することを堂々と選択している。
そして彼女たちは、自分の生き方を誰かのせいにも、まして社会のせいにすることも、もちろんしない。自分の効いた種は自分で戻ってくることを、よく知っている。人に寄らない潔さを感じる人が多い。
管理された、清潔で安全な国に育った私たちが海外で学ぶことは、この「自分の足で立つ」ということかもしれない。日本にいれば、誰かと同じことをしていれば、それですむ。周りに合わせなければ、生きにくい。そうやって、みなで同じ方向に進んでいるうちに、女性たちがその群れから外れ出した。
日本では、ある程度の年齢で結婚しない、子供を産まないことは、日本の制度の外に出てしまうことを意味する。日本の制度は戦後、夫婦二人と子供二人という標準世帯をモデルに作られたものだからだ。
バリの生き方にモデルはない。「自分で立たなくては住めない場所」だ。それでも日本から出て自由な生き方をする女性たちは、家族を作ることを選んでいる。そして夫や家族のために、古風ともいえる献身をしている女性も多い。バリに来る女性は、日本の社会には満たされないものを感じても、家族と言う関係には、まだ絶望してはいないのだろう。
子供をどう育てるのかを考えるときに、自分をあとにしてきた日本という母国に、もう一度向かい合う。日本語補習校にいる児童の数が、近いうちに二百名を超えるだろうと予想は、まだ新しい世代のバリの妻たちが、教育に関して日本を向いていることを示している。
友人は最近、子供を日本語補習校に行かせることを止めた。夫の教育方針の違いや、現地校の勉強が大変で、補習校まで手が回らないからだ。近々、国籍も変えるつもりだという。
「もう日本には住むつもりはないから」
何の気負いもなく、あっさりとそう言った。彼女は「狭間」から一歩踏み出したのかもしれない。
8 一九六〇年代症候群
?殖力に乏しい少子化の犯人たち
一九六〇年代生まれがおかしい。
結婚もしないし、しても子供を産まない。繁殖しない一九六〇年代生まれは、日本の未来を危うくするバグなのかもしれない。
二〇五〇年の「将来人口推計」が厚生労働省から発表されたが、止まらない少子・高齢化は急ピッチですすみ、二〇〇六年から人口減少となり、最終的に老齢人口は今の六割増になるという。
今は三・九人の働き手で一人の老人を支えているのだが。二〇三〇年には二人で一人、二〇五〇年には一・五人で一人と、負担はどんどん重くなり、生活は苦しくなる。それが老いていく社会の問題なのだ。
少子化の原因としては、一九六〇年代から目だった晩婚化の他に「一九六〇年代前半生まれの妻たちが、結婚しても子供を産んでいない、それまでの世代では見られない動き」をしていることが新たに指摘された。
少子化の犯人と指摘された一九六〇年代前半生まれの晩婚の妻、子供なし、まさしく私もそのひとりである。
早く結婚していても、一九六〇年代の妻たちは、前の世代に比べると子供を産んでいない。
その原因について専門家たちは「保育所が不充分」「バブルの崩壊が二人目のタイミングを直撃した」「セックスレス」などの要因をあげている。一九五五年生まれ前後までは結婚して二人前後の子供を出産しているのに、一九六〇年代生まれ以降になると「結婚しても必ず子供を持つ必要がない」という価値観が出て来ている。結婚しても、それが子供を持つことにつながらない。
周りを見渡せば、三つの理由のどれもが当てはまりそうだ。働く女性たちは、この不景気の中、二人目はあきらめるという人が多い。収入は減り、子育てにはお金がかかる。自分も夫もいつリストラされるか解らない。働く母親はハードワークすぎる。
夫の協力も公共のサービスも、満足できるレベルには、ほど遠い。何よりも「自分は我慢しても子供を」という気持ちは、私たちの世代には希薄だ。二人目を生んで、自分たちの生活が貧しくなったり、子育て充分お金をかけられないぐらいなら、一人を大切に育てたい。
バブル崩壊も、もちろん影響している。終身雇用制の崩壊もそうだろう。上の世代がリストラされていくのを目の当たりにして、経済的な不安が子どもを持つことをためらわせる。友人の勤める企業で、三五歳以上で勤続一〇年以上にボーナスをつけて依願退職を促したら、辞めたのは三五才前後の女性が多く、翌年、彼女たちの出産ラッシュになったという。一千万ぐらいつけて仕事を辞めさせれば女性は子供を産むのだ、と友人は笑っていたが、必死に働いていたら三五才ぐらいになってしまったという女性は多い。経済的に余裕があり、きっかけがあれば、子供を産む人は多いはずだ。
セックスレス説は検証のしようがないのだが、社人研の鈴木透氏(「近年の結婚力と出産力の低下について」『季刊経済研究』第四号)によると、避妊実行率が下がっているのに妊娠が少ない。したがってセックスレスか不妊症が夫婦出生力の低下をもたらしていることになる。
日本人は世界でいちばんセックスの回数が少ない国民だというデータが、イギリスのコンドームメーカーの調査にある。いわく世界二七カ国を調査した結果、一位のアメリカの三日に一回のペースに比べ、日本は年平均三十七回、アメリカの三分の一で、ダントツ最下位だそうだ。
友人で不妊治療も珍しくない。私たちの世代は、確実に繁殖力が弱まっているようだ。
出産限界年齢を迎える一九六〇年代女性の選択
今や、子供は自然にできるものではない。子供が自然にできるのは。結婚前だけらしい。
一九六〇年代の初頭生まれは、すでに出産限界年齢に近い。選択を伸ばす時間はないのだ。新婚当初は夫婦二人暮らしを楽しむDIMKSをしていて、いざ子どもが欲しくなるとできない。そんな「なし崩し的に子供をもたない」夫婦も多いだろう。
欲しい人たちの努力は、記述の進歩とともに加速化していく。新しい技術が報道されるたびに「ああ、また諦められなくなった」と煩悩の種が増える女性たちもいる。
不妊治療最前線は恐ろしいほどの進歩を遂げ、つい最近も六〇才の出産や卵子若返りなど、妊娠の限界年齢を延ばす試みは盛んだ。技術は進歩していくが、「どこまでやるか?」が問題なのだ。
現実問題として、経済的な負担は大きい。熱心なのは女性のみで、男は最新の技術など知る由もないだろう。突き詰めれば、不妊治療とは「夫婦の子供」ではなく、「自分の子供」が欲しいという、女だけの欲望を叶えるものだからだ。
四〇歳以上の高齢出産も増え、出産タイムリミットが近づいた女性たちが、シングルでも子供を産むケースも増えている。最近、シングルマザーを宣言した元同僚は「単細胞生殖してもいいから、子供が欲しい時期があった」と言っている。
こうなってくると、出産と結婚の関係は、ますます希薄になっていく。
一方、うまく母親世代が頷くような安全な結婚をゲットし、今、子育て真っ盛りの「まっとうな主婦」となった同世代はどうしていのか?
彼女たちも、未知の子育てという正解のない道で迷っている。「腕白でもいい。逞しく育ってほしい」「他人の子供でも叱る」といった旧来の子育て論はいっさい通用しないのが、今の子育てだという。小さな子供を持っている母親たちのピリピリした様子は、痛々しいぐらいだ。それぐらい、今の子育てには余裕がないのだろう。
「音羽殺人事件」は、お受験中の母親たちにとって他人事とは思えないと、加害者である母親の方に多くの同情を集めた。閉塞した人間関係の中で、子供を持つ母親たちがいかに追い詰められているか。子供という人質を取られているのだから、合わない人と付き合わないではすまされない。フランスに住んでから「ベビーカートを押しているから、自分ではドアを開けたことがない」という友人は、日本に帰るたびに緊張する。子供に対する他人の目が冷たい。騒がせないように気を使うのだ。
「お受験」に奔走し、最近は小学校、中学校のうちからの海外留学もあるという。世間はそんな母親たちに「親のエゴ」と冷ややかな目を向けているが、実際にお受験戦線のただ中にいる同世代の話を聞いて、「いちばん現実的なのは彼女たちではないのか」と思うところもあった。
たとえば、エスカレーターで大学まで行ける有名女子大の付属に受かったとする。さらに大学受験をしなければならない別の私立に受かったとする。昔なら「女の子だから」と安全な道、エスカレーターで女子大まで行けるほうを選んだだろう。しかし今は違う。女の子でも、大学までいい環境で勉強させれば「医者や弁護士になるかも」「もっといい大学に行けるかも知れない」と、冒険する方を選ぶ。子供はまだ、小学校に上がるところなのだ。子供の意思は尊重されない。親たちは、リスクがあってもハイリターンなほうに賭けるのだ。
「腰かけOL」や「優雅な専業主婦」という道を、自分の子供の世代は、歩けないことがいちばんわかっているのだ。そして日本にも近い将来、貧富の差がくっきりと現れることも。もともと結婚に夢を見過ぎる未婚者たちよりも、彼女たちは現実的という意味では一日の長がある。今のところは「私立のお受験に専念する専業主婦」という地位にとどまっているが、次の世代は解らない。
「既得権益は子供の代にも受け継がせたい」「子供を高給の取れるプロフェッショナルにしたい」という母親たちの願望の裏にあるのは、すでに自分の夫である「サラリーマン」も信用できないということだ。お受験でも少しでもいい学校に、海外にと、せめて自分の子供だけでも「安全な未来」に逃したいという親の欲望を、私は愚かだと思わない。
たしかに彼女たちは、自分の子供の事しか考えていない。裏を返せば、二本などどうなっても、自分の子供だけが良ければいいのだ。今はそれだけ余裕のない時代だ。
今の時代、子供を持っている人は貴重だし、彼らは自分の子供の事で精一杯なのだから、子供のいない人こそ、社会全体のことを考えるしかないのだと思う。しかし、結婚していない男たちで、将来の日本についてのビジョンがある人は一人もいなかった。女性の方がまだ、「産む性」として、この国の未来について現実的な恐れを抱いている。
不機嫌な果実たちが求めているもの
繁殖しない一九六〇年代。いったい私たちは、どういう世代なのか?
豊かな高度成長期の日本に生まれ、男女とも高学歴になり、二十代のうちバブルを経験している。偏差値とお金が幸せを測る物差しで、みなが同じ欲望に向かって走っていた。そして欲望を全開にした経験がある世代だ。
私たちたちの世代は今、終身雇用制を失い、マイナス成長時代に入り、新しい価値観を見つけられないまま、相変わらず「物」と「金」を信奉している。企業社会の一員として落ちこぼれずに走って来たらそれでよしとされてきた男性たちの弱り方はすごい。女性たちは結婚や家族に関しても、母親世代の価値を引きずったまま、「恋愛」も「遣り甲斐のある仕事」も「優雅な専業主婦」も「子供」もあきらめきれない。過度期なのだ。だから、恋愛も結婚も子ども、上手く手に入れられない。
何よりも「満足できないこと」が、私たちの世代の特徴でもある。結婚しても、子供をもっても、明日が今日より幸せで豊かになれるという希望が見えない。そしてその幸せで豊かというのは、泡のように消えてしまったバブルの時代に信じていたものなのだ。
バブルの時代によく一緒に居た女友だちと、久しぶりに会った。香織(仮名 一九六一年生まれ)は晩婚で結婚して、子供はいない。トレードマークのゴージャスな巻き髪も流行りメイクも、今風になっているが、イメージはちっとも変わらない。
大学時代から当時のサブカルチャーの最先端を享受していた彼女のグループは、古き良き時代のナンバーで踊る密かなイベントを復活させているという。そんなシークレットな集まりが、都内のここかしこで開催されているらしい。
「何でそんなに優雅なの?」と聞くと、
「お金なんかかけないでも遊べるのよ。正直、洋服なんか、いったいいつの? って感じの人も来るもの。みんなもう病気よ。やめられない」
バブルの時代にいったい何が楽しかったのか、私たちは言葉にして語ることはできない。あんなこともあった、こんなこともあった、断片を語れば何をしていたというほどのこともないのだ。とにかくあっという間に過ぎてしまった、鮮やかで夢のような時代だった。
林真理子さんの『不機嫌な果実』(文春庫)という小説を読んで、香織は「これは私だ」と思ったという。一九九六年に発刊されたこの本は、三十代の人妻を主人公にすえた不倫小説は「いつも自分だけ損をしている」という満たされない思いを抱えている。不倫を成就させて若い新しい夫を得ても、不機嫌である。
「楽しいことなんかあまりないんだもの。最初楽しくて、いつだってすぐにつまらなくなってしまう」
と、嘆く彼女は、まぎれもなく私たちの世代の仲間だ。
「足るを知らない世代」なのだ。
足りないものがたくさんあっても、幸せは必ずあった。そんな時代はそう昔ではないのに、私たちはもう、すべてが満たされなければ満足できない。
男たちはとっくに希望を失い、到達すべきゴールを失い、繁殖することすら諦めかけている。女たちはまだ「足りない思い」を抱いてさまよっている。子供を産まないのも、そのせいではないのか?
子供を産んでしまったら、やり直しがきかない。消費するだけで生産しない一九六〇年代生まれは、淘汰されるべきバグなのか?
私たちはまさに「不機嫌な果実」をかじってしまったのだ。黄泉(よみ)の国の食べ物、七粒のザクロを口にしてしまった春の女神ペルセポネのように、完全に地上に戻ることが出来ない。いつまでも大人になれない。現実に立ち戻れない。
一九六〇年代生まれの私たちは、繁殖という面では、不良債権化している。間違った時計の上を歩いてしまった私たちの世代を、本当に「なかった」ことにするしか、日本はもう立ち直れないかもしれない。
「結婚できてもしない女」の特徴
♀ 今の生活の満足度は高いが、一生自分で自分を養うのはちょっときつい、と思っている
♀ かといって、結婚にすべてを預けられる時代じゃない、とも思っている
♀ 子供は欲しいし、自分の手で育てたいし、家事もこなさなければいけないと思っている
♀ 二十代のときに、バブルを経験している
♀ 自分磨き、自分癒しに熱心だ(トレンド、カルチャー、占い、留学、転職などの情報が豊富)
♀ 自分よりも上手で、尊敬できる男性が好みだ
♀ 結婚しても、恋愛はずっと持続させたいと思っている(フォーエバー・ラブ症候群)
♀ バーチャルな恋人にハマって、生身の男と付き合うのが億劫(おつくう)だ(熟女限定SMAP症候群)
♀ 強力な専業主婦の母親がいて、「いかず後家」「貰い手がない」という言葉に過剰反応してしまう
♀ 今どき珍しい立派な父親がいる
♀ 家族の中が親密で、今でも誕生会をやったりする
♀「ここまで待ったのだから、不本意な結婚はしたくない」と思っている
♀ いつか「白馬に乗った王子様」に出会えると思っている
つづく
第3章 新・晩婚時代