一九六〇年代生まれの男女の「今」を訪ねた。結婚を信じられなくなった最初の世代、しかしまだ結婚に未練たっぷりの世代。中途半端な過渡期の同世代を知ることで、「今」の日本の男女がなぜすれ違ってしまうのか 

男イラスト

結婚したくてもできない男

本表紙著者=白河 桃子

結婚したくてもできない男・空前の未婚時代へ

いつか「運命の人」と巡り合い、結ばれる。そして子供が生まれて温かい家庭を築いて、いつかその子供たちがまた誰かと巡り合い・・・・。
 
 世界はそんなふうに続いていくと誰もが思っていた時代もたしかにあった。男も女も誰もがそんな物語を胸に秘めていた。幸福な家庭で育った人にも、そうでない家庭で育った人にもそんな「家族の物語」は刷り込まれている。

 ところがいま私たちは、その物語を創れなくなってしまった。男と女は出会えなくなってしまった。物語の初めの一章となるはずの「結婚」に異変が起きている。

 日本の男女が結婚しなくなった。日本は今まで経験したことのない空前のシングル時代に突入しようとしている。

 日本はずっと95%の人が50才までに結婚するのが当たり前という、結婚の優等生国家だった。それが「2050年の将来人口推計」(国立社会保障・人口問題研究所、以下「社人研」)によれば、1985年生まれの女性の生涯未婚率(50才まで未婚でいる確率)は、16.8%まで進むといわれている。

 約6人に1人。ここで驚いてはいけない。この数字はあくまで中位推計であり、最悪の場合22.6%、つまり約4・4人に1人が独身と予測されている。男性の人口は女性の数よりも100対105ぐらいの割合で多いわけだから、男性にとっては空前の結婚難となっても不思議ではない。その頃の日本の男性に「結婚したい」という気持ちがあるかどうかは解らないが…。

 そうはいっても、私たちは結婚をしたくないわけではない。まだまだ結婚や家族には未練たらたらなのだ。調査すれば未婚の男女ともに8割以上が「結婚はしたい」と答える。

 結婚したくないどころか。女性たちの中には、キャリアを積んでいても、自分が納得できる相手に巡り合いさえすれば、自分のすべてを投げうって「尽くしたい」と、手ぐすねを引いて待っている人もいるのだ。

 女性問題の第一線にいる三十代前半のある女性編集者も「寿退社が夢。三人子供が欲しい。仕事を辞めて育てたい」と真顔で語っていた。

 ただ「運命の出会い」「納得できる相手」を待っているだけなのに、それが日本をこんな縮みゆく未来に導いていくとは・・・・。

 晩婚だ、非婚だ、パラサイトシングルが悪い。空前の未婚時代だと騒いでいるうちに、少子化はどんどん進んでいく。少子化の原因には「結婚力」の低下と「出産力」の低下があるのだが、今の日本では婚外子は全体の二%以下なので、結婚力の低下にダイレクトにつながる。

 ついに日本の人口が減少に転じることは目前となった。最新の発表では二〇〇六からといわれている。少子化は先進国では共通の問題だが、このままいけば、先進国の中では、日本がいちばん先に最高年齢国となるので、世界は固唾をのんで日本の行く末を見守っているということだ。

 最高齢国と言われてもピンとこないかもしれない。人口が減るなら、住宅問題も解消して住みやすくなる。ひょっとしたら自分の子どもが受験で苦労しないかも。そんな明るい未来を描く人もいるかも知れないが、高齢者社会とは働く人と、働く人に支えられる高齢者の割合が逆転するということだ。

頭でっかちの人口ピラミッド。働く人たちの負担が重くなり。あした、あさって、しあさってと、どんどん貧しくなるということだ。

さあ、誰が悪いの、ということになると、子供を産むのは女である。
「いい男がいない「出会いがない」と嘆いている間に、日本の未来はどんどん縮んでいて。こんなことにいちばん驚いているのは、当の女たちである。

一九六〇年代という病

晩婚化・非婚化の主役たちは、おもに一九六〇年代生まれだといわれている。
一九六〇年代、一九九〇年代の晩婚化傾向の先頭を切った集団だ。二〇〇〇年の国税調査では、三〇代前半、つまり一九六〇年代前半生まれの男性の未婚率が四割を超えたと注目された。
二〇〇二年一月の「日本の将来推計人口」(社人研)の報道発表では、「一九六〇年代生まれの妻たちが子供を産まない傾向」が晩婚化以外の要因として指摘されている。若くして結婚しても子供を産まない妻たち。またしても一九六〇年代生まれだ。

一九六〇年代生まれは繁殖できない世代のだろうか?
私も一九六〇年代の最初の生まれだ。バブルの時代に一般職OLとして就職した。外資系に転職して三社目に勤める最中に遅い結婚をした。子供はいない。典型的な晩婚、少子化の犯人像である。

ふと周りを見ても、同世代の友人たちの「女の道」はバラエティに富んでいる。男女雇用均等法施行(一九八七年)後の世代でも、一九六〇年代前半の女性たちの職業人としてのスタートは、ほとんどが普通のOL。最初から男性に伍(ご)してキャリアを積もうという崇高な志があったわけではないのに、社会に出てからの道は様々だ。

仲のいい友人は仕事をしている独身女性が多い。三十五才過ぎて結婚する人もいれば、三十五才過ぎての高齢出産も珍しくない。不倫あり、離婚あり、事実婚、国際結婚、夫婦そろっての海外移住と、友達を見渡しただけでも、最近の女性の道の多彩なことに驚かされる。

パートナーとなる男性たちもさまざまだ。早く結婚した人は同年、遅くした人には年下が目立ち、若いうちに一回り以上の男性と結婚し、離婚。年下の男性とまた結婚という、二度おいしい人生を楽しむ達人もいる。

人口動態が話題になる時に、常に二十代後半の女性と三十代前半の男性の未婚率が比較にあがるのだが、「男性が年上、女性が年下」という、日本ではいちばん普通とされた結婚の形も、もう当てはまらない。

「サラリーマンの夫に専業主婦の妻、子供二人」という日本の標準世帯モデルとされてきた家族から生まれた私たちは、もうその形を再生産できないのだ。

 止まらない晩婚、少子化のただ中にいる同世代の男女の現実を知れば知るほど、どうしようもない「すれ違い」にもどかし思いがする。

 それでも、私たちは出会いたい。誰かとつながりたい。「運命の人」といつか巡り会うという「永遠の対」の物語を捨てられない。
 私たちが出会い、つながるためには、新しい物語が必要なはずだ。

 一九六〇年代生まれの男女の「今」を訪ねた。結婚を信じられなくなった最初の世代、しかしまだ結婚に未練たっぷりの世代。中途半端な過渡期の同世代を知ることで、「今」の日本の男女がなぜすれ違ってしまうのか、これからの男女の物語がどうなっていくのかを知る手がかりになるだろう。

 私たちは新しい物語を、もどかしい手探りで求めている。

思う人には思われず、思わぬ人から思われる

「結婚したいです。今すぐでもいい」

この結婚しない時代に、こんなセリフを素直に口に出せる男性たちもいる。結婚に関する温度は今、微妙のひと言だ。

女性たちに同じ質問をしたら、年齢が上がれば上がるほど、
「う〜ん、したいけどねえ。いい人がいればね」
 という歯切れの悪い答えが返ってくるにちがいない。王子様とお姫様は結婚しました。めでたし、めでたし、と結ばれる童話を読んで育った女性たちすら、もう結婚が「めでたし、めでたし」でくくられるほど、甘い砂糖菓子でできているわけでないことをよく知っている。

 しかも30代後半、四〇代になろうとする男性が口にする「結婚したい」は、女性の目からすれば、ちょっと素直には信じられないものがある。しかもその男性が見るからに、女性に縁がなさそうというタイプでなければなおさらだ。そこには当然、

「そんなに結婚したいのなら、何で今までしなかったの?」
 という疑問がわいてくる。その疑問をぶつけてみると大概の男性が、
「いや、相手がいないから」
 と答える。そうしてちょっと気弱そうに笑ってみせる。そういうタイプは総じて「いい人」系が多い。それだけによけいに裏を観たがるのが、女の悪い癖だ。

 もしかしたら、すごいマザコンかも・・・・。
 まさかすごくヘンな趣味があるとか・・・・。
 相手にこれといった欠点が見えなければ見えないほど、女は疑う。
 彼らは結婚したいのに、世間では「もういい年だしねえ」と言われる年齢まで結婚しない。どうして彼らは「結婚したい」のに「結婚できない」のだろう?

CASE1 「鏡を見ない男」

谷口俊夫さん(仮名 三十九才 家電メーカー システムエンジニア)
 男は平均、日に何度くらい鏡を見るだろう。谷口さんの部署の二十代の部下たちはけっこうおしゃれだ。打ち合わせ中も喫茶店のガラス窓などに、ちらりと目をやって髪形を確認したりしている。

 谷口さんはめったに鏡を見ない。二十代の頃はそうオシャレでもなかったし、ほうっておいてもそこそこの外見は保てた。不規則な仕事のせいもあり、体重は増減が激しいほうで、身長もあるガッシリ固太りタイプという感じだった。

 最近は固太りどころか、ショーウィンドウに映る自分はただの太った男に見える。慌てて目をそらす。髪もだんだん心もとなくなってきた。
「女の人にイヤがられるかも・・・」
 そう思うと、ますます鏡を見るのが怖くなる。
 仕事場から寮に戻る暇がなくて、風呂にも入れない。断じて風呂嫌いではないのだが、物理的に余裕がない。オシャレしてどこかに行くヒマもない。たまにプライベートで遊ぶのは気のおけない男友達だけだ。

「女の人は男を厳しくチェックしているでしょう。そういう女性から見るといったい自分なんかどう見えるのか。今の部署は男ばかりだからいいけど、急に本社の飲み会に呼ばれて女性が混じっていると焦ります」

 ああ、しまった。もっとマシな格好でくればよかった、と慌てても後の祭りだ。
 谷口さん自身は年取っているという自覚はまったくないのだが、鏡を見ると見たくない現実と向き合わざるをえない。

 鏡の代わりに、向き合える人がいればいちばんいいのだ。その人の目に自分がどう映るか考えることができる。もう少し外見をかまうようになる。しかし仕事柄、都心から離れた研究室に籠っているので、人に会う機会は少ないし、自分から積極的に出会いの場に出てくるタイプでもない。
 昔から「守り」の姿勢なのだ。好きな女性に告白するときも、「いける」という確信がなければ、絶対に「付き合ってください」とは言えない。
 彼女いない歴は、すでに3年に及ぶ。

◆欲しいのは人生の壁打ちパートナー

紹介者の友人の話では「ムサくて女性に嫌われるタイプだと自分で思い込んでいる」とのことだったが、現れた谷口さんをひと目見て「ああ、この人はクマさん系が好きな女性にはすごくモテるだろう」と思った。

 理想の男性を聞かれて「クマさんみたいなタイプ」と答える女性は多い。ちょっとむさ苦しくて、キムタクみたいな髪型にはほど遠いけれど、あったかくて、包容力があって、不器用なクマさん。こういうタイプは決してモテなくはないはずだ。
「いや、そんなこともないですよ。汚いから」とつるりと顔をなでた。

 徹夜続きのときは「顔も洗わないこともあるし、洗濯物が溜まりすぎて、コンビニで次々買ってしまうので、靴下が山のようにある」という。

 そんなところが、隙のない男よりも母性本能をくすぐるものなのだということを、以外に男サイドは知らないものなのかもしれない。

 突っ込んで聞くと、たしかにモテないわけではない。三十才のときに転職して今の会社変わったのだが、前の会社はIT関連企業で、若い女性も同じオフィスに多かった。バブル崩壊の直撃をくらった業界で、華やかな分、社員の入れ替わりも激しかった。

 転職して研究室勤務の男性ばかりの今の職場に移ってからは、出会いがめっきり減った。転職前は周りに女性がたくさんいたような錯覚があったが、結局は会社の同僚という関係に過ぎない。女友達として今もつきあっている女性はいない。

「人生の節目節目に女性がいたら、何かと相談してしまって、転職することも挫けていたかもしれない。基本的には自分から動かない、守りのタイプの人間なんで・・・・。 でも、相談しても気持ちは変わらないかもしれない。ただテニスの壁打ちみたいに、相手がいれば自分の意見をぶつけて、自分の本音が解るみたいなところがあるでしょ」
 欲しいのはそんな人生のパートナーだという。

 なぜ今まで人生のパートナーに巡り会えなかったのだろ? 原因はもちろん、ムサいからなどという理由ではない。やはり「思う人には思われず、思わぬ人から思われる」ということに尽きると思う。

 まったく好みじゃない派手目な女性に、突然「付き合って」と告白されることがある。残念ながら谷口さんの好みは、青山のオフィスでかっこよく働く業界の女性でなく、大手町の銀行のオフィスなどで事務職として勤めあげる、しっかり者のOLなのだそうだ。
「三十才過ぎてから、結婚の対象になる人としか付き合いたくない。自分をすごく好きでいてくれる人と結婚したいです」

 結婚まで考えた人は、あえて言えば「たった一人だけ」という。
 三十才の頃、一年ほどつき合った三つ年下の女性。堅い企業勤めでしっかり者。いつも惹かれるのはそのタイプだ。インテリで倫理観の強い女性に弱い。共働きで家事の手抜きもいっさいしなかった母親の影響かもしれない。

「男ってマザコンみたいな部分があるでしょ。働き者の女性が好き。一生懸命じゃない人にはがっかりする。たとえばゴミをダンナさんに捨てさせて寝坊しているような人はダメ。自分もキャンプに行ったりするとまめなほうだから、人に命令されたら動く。マジンガーZみたいに操縦してくれる人なら大丈夫」

 しかし、そういったタイプの女性は総じて手堅い。その「結婚まで考えた女性」とも転職の件でぎくしゃくして別れてしまった。やはり谷口さんの世代は、バブル崩壊をどう乗り切るかで、結婚や恋愛もかなり左右される。つらいときも分かち合えるほどの関係にはなっていなかったのだろうと、今なら思える。「早めに分かれて正解だった」と言いながら、どうしても出会う女性たちを、その彼女と比べてしまう。

「心の底では、彼女以上の人でなければ結婚できないと思っているのかもしれない」
 結婚しない男の胸には、実は長く尾を引くただひとりの女性が存在したりする。失恋を長く引きずるのは女性よりも男性のほうだ。

「女の人って、何かと忙しいでしょう。食事をしようと思っても、スケージュールがいっぱいで三週間後、とか言われると引いてしまう」
 付き合いたいと思う女性たちは、だいたいがびっしりと手帳にスケージュールを書き込んでいるタイプが多い。

 お稽古事を十年単位で続けて、週に三つも四つも抱え込んでいる。友人にもそんなタイプがいるが、彼女たちのスケージュールにフレシキブルの文字はない。仕事もプライベートも、ガッチリ予定を立てている。

 私の前の会社の同僚で、外資系企業に秘書として転職し、頑張っている友人がいる。手堅くて、世話好きで、まめで、掃除も趣味の内。谷口さんに是非紹介したいと思ったが、次のセリフを聞いて思いとどまってしまった。
「二八才から三十才前後の人がいい」

彼らのターゲットは、軽く自分より十才は若いのだ。同世代と思っても、これだから独身の女性と男性は「同志」にはなれない。私の友人の独身女性軍団はみな、年齢的にすでにターゲット外なのだから。

 こんなところにまず、大きなズレがある。しかも絶対に埋められないズレだ。
「子供は絶対に欲しい。そう思うと、どうしても年下になっちゃう」
 女には残酷なセリフだが、切実な問題。それを言い切る独身男の残酷さ、無邪気さを見せつけられる。

「男らしくありたいとは思うんだけど、自分はポロリと弱音を吐いたり、相談なんかしちゃうタイプですね、聞き役よりは聞いてほしい。甘えさせるより、甘えたいタイプ。本当はそういうことを許してくれる女の人の希望です」
 十歳下で、母のような包容力のある人が理想ということだ。女の理想も相当に身勝手なものだが、男の理想も、得てしてこんなものだろう。

お堅い企業勤めの女性たちに聞きいてみると、こんな時代になって、彼女たちの守りの姿勢はますます強固になっている。どんな立派な会社の男性と結婚しても、いつ倒産やリストラが来るかもしれない。それゆえに、より確実な方向に目が向いてしまうのだ。

 三十才前後の女性たちはすでにターゲットを同年から年下に定めているという。
「だって四十才過ぎると、もうリストラが怖いじゃないですか」
 こんなふうに、結婚したい男と女はすれ違っている。

 谷口さんのようなタイプは逆に、「ぜんぜん好みじゃないハデハデな女性」に無理やり押し倒されたりすると、結婚に至るかもしれないが、たぶんそれはあり得ない。

 彼は女性に甘いようで、絶対に寄り切られたりしない。女につけ込まれたり、押し切られたりする「守りの甘い」男性は、とっくの昔に結婚しているはずだから。 

2 本気で恋愛したことがない
CASE2「恋愛筋不足の男」

今井孝之さん(仮名 三七才 都銀系シンクタンク勤務)
「お前は理想が高すぎるんだよ、っていつも言われますね」
 そういう今井さんは昨年、三年間の海外勤務から東京に戻ってきた。

「東京に戻ってきたら浦島太郎ですよ。同期のほとんどが結婚していて、本社じゃ、独身は二人しかいなかった。そいつから見るからにオタクっぽい変わり者。歩き方から普通じゃない。そういうふうに見られたくないと思いますけれど」

 自分でも「結婚できない男」とは一線を画したいと思っている。
「社内の子は、ちょっとかわいなあと思っても年齢が離れすぎるし、紹介してもらっても、今いちピンとこなくて。彼女いない歴七年ですね。次の転勤までは決めたいねえ」
 友達からは「選り好みしすぎ」と言われ、親にはせっつかれる。姉がいてすでに結婚している。自分が結婚することには疑問もないし、結婚はすごく「したい」。

 大企業には、お嫁さん候補としてセレクションした女子社員を、毎年大量に供給してくれるシステムがあった。しかしこの不景気で採用も減り、派遣社員ばかりが目立つ。

 一見派手に見えても、しょせんは堅い業界だ。みな結婚も早い。広告代理店やテレビ局のような、浮いた業界とは違う。もともと理系で男ばかりの大学だったから、同級生もほとんどが堅い就職先だ。入社して五年目ぐらいから、子供の写真付きの年賀状が、絶対に同級生のものではない、きれいな女文字の表書きで来るようになった。

 海外にいた三年間に、かなりの結婚式に不義理をしている。転勤から帰った当初は焦ったが、今はそんな気持ちも無くなってしまった。
 今のところ、何ひとつ不自由はないのだ。

 独身寮は、新宿の勤め先のそば。都心の生活は便利で、食事はほとんどが外食だが、どうしてもの場合は寮の食堂がある。自分ではコーヒーを沸かすぐらいしか家事をしない生活だが、別に不自由はない。大学時代からずっと親元を離れているので、特に家庭的なものが恋しいとも思わない。

 休みの日は、一日は寝ているが、もう一日は必ずスポーツクラブに行く。大学時代は理工学部の体育会テニス部だった。昔からスリムなほうで、マッチョな体になりたいわけじゃないが、今はすっかりオヤジ化した同級生のようにお腹がたるんだ体形になるのが怖い。

 実験室のマウスのように、ランニングマシンで走るのは強迫観念のようなものだ。筋肉を使えば少しでも「オヤジ化」から遠ざかるような気がするが、それでも二十代前半の社内テニス部の新入部員からすれば、自分はそろそろ現役最長老のオヤジなのだ。

 実は先週、見合いをした。相手は地元の親戚の紹介で、東京の人だ。故郷でも、二、三回見合いをさせられたことがあるが、いかんせん、付き合うにも距離が遠すぎだ。

 今回は、同じような一部上場企業に勤める一般職の女性。感じもいいし、常識もある。ルックスは・・‥特に美人というわけでもないが、おとなしげで清楚に装っているのが好感を持てた。向こうは、お付き合いをしたいと返事をくれた。だが、断った。

 「もう少し若い子でもいいんじゃないかなあ」と思ったから。彼女は三十二才だった。
 正直に電話口でそう言うと、母親は「しかたないねえ」とため息をつき、実家の同じ敷地に住んでいる嫁いだ姉は「自分のこと、いくつだと思ってんの? 今どき東京の若い子が見合いなんかに来るわけないじゃない」ときつい意見をくれた。

「だいたい見合いって、ちょっとかっこ悪いじゃないですか。いかにもじぶんでみつけられなかったみたいで」
 ひと昔前の親の世代とは違う。話が来ても何となく乗り気にならない。普通に出会って普通に恋愛して、その先に結婚があるのがいちばんいい。
 かといって「独身のお前が羨ましいよ」とくだを巻く同期のような羽目には陥りたくないと思っている。同期の友人には好きな女性がいた。合コンで知り合った某航空会社のスチュワーデス。

 惰性でつき合っていた社内の彼女と、別れ話のついでの「できちゃった」である。それで泣く泣く結婚した裏事情をよく知っている。うまく「つかまった」わけだ。それですでに二人の子持ちだ。
 自分は「できちゃった」で結婚するようなヘマはしないと思う。

 今井さんは昔から、別れる切れるの修羅場になるほど女性にハマったことはない。かといって合コンで「お持ち帰り」した女性の数を誇るような「悪い男」というわけでもない。彼女がいなくても別に寂しいとは思わないし、女に泣かれたり、追われたりの煩わしい思いをするよりは、体育会で一緒だった先輩後輩や会社の気のおけない同期の男たちとつるんでいるほうがずっと楽だ。
女の涙は苦手だ。見たくないし、むしろ怖い。

それでも、同じようにつるんでいた男友達も、みな次々に相応しい相手を見つけて結婚していく。正直、自分よりもずっと女に縁がなさそうな男も結婚している。自分だって、焦って妥協したり、見合いに走らなくても、いつかは必ず結婚するはずだ。そうしたら、独身の後輩に「お前、結婚なんかするんじゃねえぞ」と酔ってぐだを巻くような必要のない家庭をつくるはずだ。

優しくて清楚な女の子を妻にして、子供は一人か二人。自分の想像する家庭の像はごくごく平凡で、日本人の男なら誰もが持っているようなものだと思う。いつもそういう場所に収まっている自分を想像すると、隣にいるエプロンをかけた女性の顔はまだ見えない。しかし、いつかきっと、そこにぴたりとはまる女性が出てくるはずなのだ。

◆傷つくのが怖い

堅めの大企業には、こういう独身男性がフロアに一人はいるものだ。いい大学を出ていて、スポーツもできる。「○○さん、何で独身なんだろうねえ」と秘かに女性たちに噂される。もちろんその対極に「独身でも不思議ない」と称される男性もいるわけだが。

もちろん、身持ちが悪くて独身というわけではない。彼らから悪い男の匂いはしない。色事の匂いもあまりしない。いくつになっても「爽やか」なのだ。
そんな男性が結婚したいとなったら、相手はいくらでもいそうなものなのだが、何が結婚を妨げているのだろうか? 
実は、彼らは「恋愛をしない」のだ。

「いちばん長く付き合った人で半年」「昔から、相手から告白される方が多い」と今井さんは言う。付き合うことになっても、短期間で何となくフェイドアウトしてしまう。
「付き合った人の数も少ないですね。もともと自分から好きになって付き合ったわけじゃないから、別れても引きずらない。あっさり過ぎていると、逆に責められる」

 そのかわり大きなもめ事もないのは、身持ちが硬いせいだ。
 好きじゃない子とは、たとえ迫られても、そういう関係にはならないかなあ。ただこっちからいいなあと思う女の子には『カレシいます』なんて言われて、フラれてしまうんですね。姉からは『自分から積極的にいっていないから結婚できないんだ』と責められる」

大恋愛の経験はない。恋の修羅場を避けてきた。そんな三十七才の理想のタイプはどんな女性なのか?
「かわいくて優しい人がいい」という、至ってシンプル。イケイケな女性は好みじゃないというが、結婚したら少しは拘束されるのは仕方ないと思っている。家事は、洗濯くらいは苦にならないが、基本的には奥さんにやって欲しい。

まあ、普通である。理想のタイプだという「石田ゆり」のルックスのレベルをどれだけ求めるかは別として、いたって普通の日本男児の考え方だ。姉がいるので、女の実態を知らないわけじゃない。

「でも姉はあくまでも姉。こっちとしては、勝手に夢見ていたいと思うところがあるじゃないですか」
 ひとつ譲れない条件を加えれば、
「今仕事が忙しくて、夜中の一時二時は当たり前。だから文句を言わぬ人がいい。じっと待っていられると困る」

 それではキャリアウーマンがいいのかというと、
「そういう女性はちょっと。適当に働いていて寂しがらない人」
 彼らの理想を聞いてくると、血の通っている女性のようには思えない。妻になる人は泣いたり怒ったりすることもあるナマモノなのに。

 恋愛することで鍛えられるのは、「人と向き合う力」だと思う。恋の筋肉も鍛えなければ衰えるもの。短距離しか走ったことのないひとが、いきなりフルマラソンに挑戦するのは、ちょっと大変すぎる。恋愛未満、初心者の人が、いきなり結婚を山場とする、長い長い人間関係に突入するのは、ちょっと怖い気がする。

 短距離は苦手でも、長距離にはがぜん才能を発揮する人もいるのだが、こればかりは解らない。先の見えない恋愛にはヘマばかりやってしまっても、結婚というフィックスした関係になると、自信をもって安定した恋愛ができることもある。女性には、けっこうそういう人が多い。

 使う筋肉が違うのだ。恋愛は「瞬発力」。結婚は「持続力」。こう考えれば、恋愛結婚とは、その両方を備えたものということ。ますます両方の力を鍛えておかなければいけないはずだ。

 もっと恋愛すればいいのに、彼らは恋愛を出し惜しみしている。その裏返しは、「傷つきたくない」という本音だ。

 まず、女友達をつくるところから始めてはどうだろうか? 女きょうだいはいても、女友だちはいないという人が多い。一緒に遊ぶのは男だけ。世の中、男と女しかいないのにもったいないことだ。もちろん食事をしたりする機会はあっても、友だちというよりは女として意識してしまう。

 男友達とは違う視点からいろいろ言ってくれる女友達、たとえば結婚している人だったりすると、もっといいかもしれない。
「十才年下の女がいい? あんた、それって贅沢ってもんよ」とか、
「ちょっと外見派手かもしれないけど、案外しっかりしてるよ。向こうから来てんなら、付き合っちゃえ」とか、そんなことを言ってくれる女友達。

 女友達のいない男性は、女性を上から下かにしかとらえられない。結婚しても女性をお母さんかお手伝いさんにしてしまう男を、女性は敏感に察知するものなのだ。

3 仕事も女も、絞り切れない

申し訳ないが、同世代の男性に「十才ぐらい年下の女性がいい」と言われた時点で、女は敵に回ってしまう。男性は不用意に本音を吐かない方がいい。
「だってさあ、魅力的じゃないもの。今の同じ年くらいの女の人って」

 こんなふうにきちんと批判してくれる方がまだいいのだ。とはいえ、のっけからそんな重いブローをかましてくれたのは三谷了さん。都内一戸建てに母親つきの独身。「都内在住親つき男独身説」に当てはまる。

バブルの時期を浮かれて過ごした世代には、今の世間の風はことさらに冷たく感じられる。しかし同じ冷たさを感じているのに、同世代の男女は温め合うことができない。

CASE3「バブル残党の男」

三谷 了さん(仮名 三十九才 飲食店コーディネーター)
「表面をガチガチにガード固めて、バリアーばかり張っている。今の三十代後半から四十代の女の人たちは」

彼の口から出る言葉は、どれも女性誌の見出しにしたいほど立っている。仕事柄、言葉は武器だ。無意識に相手をひっかかってくるキーワードをちりばめる。このご時世、めっきり財布の紐が固くなったクライアントをひっかけるのは至難の業だ。

バブル後に、一部上場の食品メーカーの社員から独立した。バブルがはじけたあとも、昔ほど派手さはないが、仕事はある。仕事柄、新しいレストランのオープニングには必ず招かれ、華やかな女性たちとも出会う。サラリーマン時代の友人たちからは、羨ましがられる立場である。

「結婚以外の自分の欲望に、今までも忠実できたわけじゃない。ほんとだったら今頃、小学生ぐらいの子供がいて、課長ぐらいのオーソドックスなサラリーマン人生だよね。ハイリスク、ハイリターンな人生でいいと思ってきたけれど、今はリスクが大きすぎて、すごく緊張を強いられる。ふとオーソドックスなほうがよかったかなあ、なんて思うと、もうくずれちゃう。やっていられないね」

オーソドックスなサラリーマン人生を自ら降りたのは、バブルも終わる頃。父親は職人で、ワイシャツ、ネクタイに縁のない人生だった。自分はいい大学から一流企業に入ってワイシャツ、ネクタイの人生を送るはずだった。しかしバブルの時期に、普通のサラリーマン人生の枠を少しはみ出してしまった。

きっかけは、社内公募の新規ビジネスが成功し、派手に雑誌に取り上げられたこと。好奇心も向上心も旺盛で、人脈もたくさんつくった。内緒の副業からの収入は、年収を超えた。

「月から金までぜんぶ約束入っていたし、セミナーの講師なんかもやっていたから、普通じゃ会えないような人たちにもたくさん会った。銀座で飲み食いしたり、個人事業主の気分を疑似体験しちゃった。もうスタンダードには戻れないし、戻してくれるような女性とも出会わなかった。お金は女の子じゃなくて、人脈や他の遊びに使っちゃったね」

 結局ワイシャツ、ネクタイ人生もそうかっこいいものとは思えなかった。一流企業を辞めて独立したコンサルタントとして、企業と契約するようになる。

「かっこ悪いと思うものは全部切り捨ててきた。選択肢がたくさんあって、たくさんの選択肢を持つことが幸せだと思ってきたけれど、本当にそれがよかったのかと思う。女性にしても仕事にしても、人生を絞りきれない。モラトリアムなのかなあ、結局‥‥。

 バブルが終わって残ったのは「人」だ。A社の○○ではなく、ブランドを捨ててからも変わらず付き合ってくれた人間関係が財産のすべてだ。今はいい人間関係の中にいる、自分のベースは人間関係だと言い切ることができる。

 今知り合いのマーケティング関連のオフィスに席がある。しかし雇われ社員とは違う。個人が独立採算制で勝手に動くような集団だ。いつも泳いでいないと溺れてしまう。一流企業に背を向けてからずっとそんな日々が続いている。

「世の中厳しくなってきて、年々もっときつくなる。人生のパートナーは欲しいと思っても、今は正念場。これからももうひと勝負しなけりゃいけない時期で、ますます女房や子どもとか背負う余裕もなくなっちゃった」

 ひとりで三谷さんはどんどん話を勧めて、どんどん結論に持って行こうとしている。いつも喋っていないといられない都会人を演じる映画の中のウディ・アレンを思い出す。

「正直、この歳になっても結婚ってわからないなあ。相手を結婚とか子供って枠でつかまえるというのなら、わかる。源氏物語の世界は男の夢だね。男は好きな女を固定したい。風にも当てないように。ただそういうことしたくても、若い子って『出会えてよかったです』って去っていく。

できれば1+1=3になるような女性がいい。すごくプラスアルファのある女性。こっちが影響されて変わらざるを得ないような人」
 魅力的だと思う子はいつも「ING(進行形)」のある人。ただそういう人はなかなか「固定」できない。
 
「最近は年相応に疲れて、DNAが発露しにくく、狂おしく女性のお尻を追っかけるということがめっきり少なくなりました」
 最近、そんなメールをくれた。

◆キリギリスのお手本はなくなった

 彼の話を聞いていると、イソップ童話「アリとキリギリス」を思い出す。
 キリギリスの人生でいいと思ってきたけれど、勤勉なアリのほうが実はよかったんじゃないかと揺らいでいる。しかし、アリもキリギリスも今は一緒くたに大水が出て流されそうな状態だ。

築き上げたアリの巣もどんどん水が入って来て崩れそうだ。一方、木の葉の上にしがみついて流されるキリギリスも、いったいどこに行くのか、先は見えない。

「本当はね。鎧とかバリアーとか、ぜんぶ外して向き合いたい。それができないもどかしさ…かなあ。境目だね、ここ一、二年が。結婚も仕事も何もかも昔どおりじゃダメなんだよね」
 ずっと定石を嫌ってきた。結婚も人生の中の定石のひとつとして無意識に目を背向けてきたのかもしれない。今、少しだけ定石の人生が羨ましい。余裕も時間も恋に踏み込む勢いも少なくなってきた今だからこそ。ひとりで引いてきた人生の設計図を実現するためのパートナーが欲しいと思う。

「いろんなものをそぎ落として、シンプルになって、ポンと燃焼するような恋に落ちるしかないでしょ。でも別に誰でもいいから結婚したいわけじゃないから」
 別れ際に。こう言った。

「でもさあ、理性と本能は違うからね。突然めちゃくちゃ年の離れた子とかと結婚して、六十才ぐらいになってから、奥さんと年の差で苦労するかもね」
 理性と本能、その境目で踏み惑うことこそ、結婚できない男の本音なのかもしれない。

4 女には不自由したことがない
 モテるというのは、

男の人の人生においてどの程度意味があることなんだろう。
男性誌の特集などを見ると「いかに多くの女性をゲットするか」がメインで、それに比べると女性誌は「いかに一人の人のハートをつかむか」のピンポイントが重要。つまり男性はより多くの女性とおつき合いしたい、平たく言えば「エッチしたい」わけで、女性は選びに選んだただ一人の男性を「ゲットしたい」わけだ。
 
 人間は欲張りで、たくさんのことを望む。お金が欲しいとか、いい家に住みたいとか、カレシ、カノジョが欲しいとか。モテる男というのは、男の願望のかなりの部分をもう達成しているのだと思う。モテる女というのは、意外にそれを素直に喜んでばかりもいられない。友だちで呆れるほどモテる女性がいたが、彼女はただ一人の男性を待って、今だし独身だ。

CASE4「モテる男」

竹内 和人さん(仮名 四十才 テレビ局営業)
 知っている男性の中でいちばんモテる男といったら、ダントツ彼だろう。バブル華やかなころ、よく一緒にカラオケで騒いだり遊び仲間だが、とにかく彼はモテた。久々に会った彼は、もちろん年相応に落ち着いて渋くなっていて、さらにかっこよくなっていた。相変わらず、付き合う女には不自由していないだろう。

 当時の仲間たちは、女性は結婚していない人が多い。男性はほとんどがさまざまな形で年貢を納めているのに、彼だけが独身で残っている。女に不自由しない男性というのは、けっこう早いうちに家庭をしっかり守る女性と結婚し、外では相変わらず遊んでいる。結婚したからといって、女性に縁がなくなるわけじゃない。

「何でまだ結婚していないの?」というシンプルな問いかけに返ってきたのは、もちろん「モテすぎて決められない」といった答えではなかった。

「あのね。すごく遊んでいると思っているでしょ、俺のこと。俺は昔から遊ぶ子とちゃんと付き合う子はきちんと分けるタイプなの。彼女にする子がちゃんとしてないなんて、ありえないよ」

 そう言われても、あの頃のあなたときたら、絵に描いたような派手な独身だったじゃないですか。当然華やかな噂もたくさんあり、仕事柄女優と付き合っている話もあり、当時住んでいた南青山の高級マンションは、年上の女性の持ち物という噂もあった。

「まあ、やっぱり楽だからかな。ひとりでいるのが楽。この十年で引っ越し三回したけれど、会社に近くて便利な場所ばかり、住むところ一つにしたって、これが結婚して住む場所となると、そうはいかないよね。掃除、洗濯は自分でやればいいし、食事は外食だしね」

 コーヒーメーカーしか使わないという生活は変わっていないようだ。コンビニの明るすぎる照明が二十四時間灯るようになってから、都会の独身者にはほとんど不自由がなくなった。都市が空っぽになってしまう欧米の年末に比べて、東京にひとりであることの寂しさを感じさせる季節は、もはやほとんどなくなってしまった。

「彼女がいるときは、家事をやってくれる人もいるし、やらなくても文句は言わない」
 結婚を考えたことは、四回ぐらいはあるという。二十代で一回。三十代で三回。つき合えば三年くらいは続く。結婚を言い出すのは、どっちが先というわけでもない。何となく「結婚しようか」という空気になる。

 正直、彼のような男性と結婚まで考えて、今まで女性につかまらなかったというのは不思議な話だ。
「フラれることもあるし、こちらからやめるときもある」
 何が問題なのだろうか?

「いざ結婚となると、見方が違っている。些細なことでも、相手も自分も見逃せなくなるでしょ。たとえば、さっきの住む場所。自分は便利な場所なら多少狭くてもいい。相手は子育てとかあるから環境のいいところがいいとか。子供は二人欲しいとか、一人でいいとか」
 けっこう細かくシミュレーションするタイプだ。脇の甘さはない。

 派手な業界だけに、社内でも離婚経験者は多い。表面しか知らなかった彼の慎重な一面がのぞく。
 実は今年、来年には結婚したいという。

「それを過ぎると、またひとりがいいやと思うんじゃないかな。あと、会社が厳しくなるのも事実だし、ウチも絶対にリストラはあるしね」
 今まで楽しかったこと、例えば仕事柄、山ほどある合コンとか、銀座のクラブとか、もう何をしてもまったく楽しくないのだ。贅沢な悩みだが。

「結婚して、奥さんは奥さんで外で遊ぶっていうのも効率が悪いしね、そういうパワーがあるなら、子供と遊びたい」
 占いでは必ず「家庭的な人」と言われるのだと、タバコの火を付けながら笑う。灰皿は相手に煙がかからないところにきちんとずらしてから。

 自分でもすごくムラのあるやつだと思う。メチャメチャ遊ぶと、トライアスロンとか、勉強とか、ストイックなことがやりたくなる。生来器用で、どちらもこなせる。ストイックな自分に飽きて目標を達成すると、またチャラチャラしたくなる。その繰り返しだ。

「結婚は修行だと思うんだよね。人として通らなきゃいけない道というか、三十五、六才ぐらいから、そう思うようになった。人類が登場してからが一メートルぐらいだとすると、日本に結婚制度が入ってからは、その中の数ミクロンぐらいじゃない。だから『何でしなくちゃいけないのか?』と。男と女って当然DNAからして違う。そのふたりが同じ屋根の下で暮らしていく。苦しいときも病めるときも。どうやって乗り切っていくか、けっこう試練でしょう」

 ひとり寂しいとか、本音で語れる人が欲しいとか、そういうことで結婚する女の人がいるけれど、それは違うと思う。ひとりの心地よさに勝るものはないけれど、「人としてそれでいいのか」と、そんなことを思うようになったのだ。

「一生安楽な人生を送って、老後もひとりでもそこそこ金があって、そんな人生でいいのかな。要領のいいタイプだから、ひとりでもそこそこ幸せで終わるかも知れない。だからあえて修行の道ってわけですか」

 一緒に遊んでいたころ、お互い男と女として意識していたころは、こんな話はできなかった。お互い年を取ったということか、いつまでも大人になれきれないバブル世代も、少しは大人になったということなのか。

 ところで「いま付き合っている人いる?」という核心にふれると、急に歯切れが悪くなった。とりあえずこの人の周りには女性が切れることは無いだろう。
「うーん、いるっちゃあ、いる。いないちゃいない」

 この手の独身男性は、だいたい同じ反応をする。きっぱり「います」と言い切る人は皆無だ。彼らは恋人とすごく微妙な距離にいる。
「いや、実は中断中なんだよね」
 結婚しようと思っている人がいた。しかし彼女は、今は結婚したくないという。結論が出ないので、一時冷却期間をおいてみようという最中なのだ。しかしその間も彼の場合、まったく独り身と言うことはあり得ないので、歯切れも悪いわけだ。

「彼女、いくつ?」
 と聞くと、十二才以上年下の彼女をしっかりとゲットしているあたり、さすがはモテる男。しかし、これだけの女性経験を経ても、やはり最終的にいきつくのは若い女というわけだ。
「年齢が違うと、人生のステージが違う。いま彼女、留学したいって言っているんだよね」
 専業主婦志望で子供は二人欲しいという彼女なのだが、独身の内にどうしても念願の留学をしたいという。
「それって、いいとこ取りじゃない?」

 多少のやっかみもあるが、「けっこう、女のわがままに振り回されてるんじゃないか」と言ってみる。
「いや、すごく真面目な子なんだよ。彼女というより妹みたいで、俺もこんな恋愛をする年になったなあと思うけど。結婚してから留学してもいいし、俺は二年待つって言っているんだけどね」
 
 心の中で「モテ男、十二才の女性にハマる」と、秘かにタイトルをふる。
「まあ、実際に二年したらお互い状況も変わるだろうし、こっちだって二年待てるかってとこだよね」

 たぶんその二年の間、また微妙なスタンスでさまざま女性とかかわるだろうというのは、自分でもよく解っている。
「俺もさ、『結婚していない奴は半人前』って、思えるようになったということだよね」
 時間が来て、スマートに伝票をつかんで、去り際にそういいおいて出て行った。

◆「ひとり」を極めて、あえて選ぶ「ふたり」

「結婚とは試練」「結婚は通らなきゃいけない道」とは、ずいぶん夢のない言い方だ。いろいろな女と様々な場数を踏んでいる人だからこそ、独身なのにさすが、わかっていらっしゃる。女たちの結婚に対する現実的な認識に、彼は近い所にいる。

 しかし、今の時代、結婚とはわざわざ買ってまでする苦労だろうか?
 いい年まで独身で、しかも自分の事しか考えないできてしまった人間には、結婚は「試練」であり、前向きな言い方をすれば「新鮮な未知の体験」のチャンスだ。赤の他人だった人と、来る日も来る夜も同じ屋根の下で過ごす。事実婚ではなく、同じ戸籍に入る。オーソドックスな日本の結婚スタイル。これはすごいことだ。これほど自分以外の人と真剣に拘わる機会はそうは無いと思う。恋愛とはまた違った意味で。

 私自身、結婚してすごく成長したことは口が裂けても言えないけれども、この道の体験をしただけで充分、結婚してよかったと思っている。
 トライアスロンより挑戦のしがいのある、人生の耐久レース。それが竹内さんの見つけた「結婚」なのかもしれない。
 
 自分の中に欠けたもの、埋まらないものを誰かに埋めてもらうために結婚するのは、もう甘いものだろうか。少なくとも危険なことだ。
「ひとりが寂しいとか、わかってもらえるとか、そういうことで結婚するのは違うと思う」

 という彼の言葉に、女の持つ「誰かに自分を預けたい」という願望を見透かされたようで、ドキリとした。
 モテる男、竹内さんは「ひとりほど心地よいものはない」と知ったうえで、あえて結婚に踏み込もうとしている。

 江國香織さんのエッセイの中に「家族も友達もいて、その中で孤独が好きというのは贅沢ごと」というフレーズがあった。
 結婚しても「ひとり」の心地よさ知っている。それは手放さない。それは究極の贅沢さかもしれない。

 「ひとり」と「ひとり」が結婚して「ふたり」となる。「ひとり」としてそれを選ぶ。「ひとり」の心地よさを知ってしまった人は結婚しても「ひとり」の領域を必ず持っている。そして「ひとり」を知った後に気づくのは、現実には人間は決して「ひとり」では生きていけないことだ。
 心も体も人と関わらずに生きていくことはできない。

「ひとり」を知って初めて「人とのかかわり」が煩わしく、そして、いとおしいものと思える。そんなターニングポイントが、きっと私たちの世代では四十才前後なのかもしれない。40才はもう「不惑」どころではない。

5 一生を添い遂げるものと思っていたのに…・

お見合いを繰り返している友達が、あるときこう言った。
「バツイチの人の方がいいなあ。だって少なくともひとりの女の人が、その男の人と結婚したいと思ったことがあるわけでしょ」
 娘がそんなことを思っている子は露知らず、親の方は「初婚の娘にバツイチの方のお話をもってくるなんて」と断ったりしているわけだ。

今、日本の離婚率は十組に三組。アメリカの五割には及ばないものの、離婚は確実に市民権を得ている。好きになった男が離婚経験者だったりすることも当然あるわけだし、独身女性のターゲットの中には、多数の離婚経験者も含まれている。

 離婚した男性にとって、次の結婚と言うのはどういうものなのだろうか? もう結婚にはコリゴリという話はあまり聞かれないから、また結婚する気のある人は多いはず。一度結婚している男の人の方が、結婚歴のない男性よりも次の結婚も素早かったりする。

 どちらにしても、離婚歴のある男というのは、女にとってはなかなか魅力的な気になる存在なのだ。

CASE5「バツイチの優柔不断なイイ男」

坂下圭吾さん(仮名 四十才 広告代理店勤務)
 ミステリアスなのも、バツイチ男の魅力のうちだ。
 坂下さんはエリートで、実はかなりのお坊ちゃまらしいのだが、いつも控えめで人当たりが優しい。かなりモテるだろうし、女性に放っておかれないようなところがある。落ち着いているのは決まってた女性がいるせいだと思っていたが、バツイチというのを聞いて納得した。

 女性に対してがっつかないというか、一歩引いたところがある。というより、彼が熱くなって女性を追い回したり、顔色を変えて怒ったりするところは、なぜか想像することすらできないのだ。

 坂下さんは二十六才から三十三才まで、七年間結婚していた。
「家を出たのは二月の寒い冬の日でした(実は日付もしっかりと言ってくれた。離婚した男性は必ずその日付を覚えている)。彼女が海外に行っている間に引っ越しして、離婚届けも自分で出した。それ以来、一度も会っていません」

 子供のいない夫婦だからそんなものなのかもしれないが、一度も会っていなくて、友人を通じての消息も知らないというのは、ちょっと驚いた。感情を剥き出しにするなど想像もできない坂下さんの、知らない一面を見たような気がした。

 絵に描いたようなDINKS生活。お互い都会育ちの仲間内で、出会いから夢中になってスムーズに結婚した。
「女は決めると強い。説得したけれど、てこでも動かなかった。離婚が切り出されてから一ヶ月もたなかったね。いや、自分が離婚するなんて、夢にも思わなかった。結婚したら添い遂げるとものと思っていたから」

 離婚の原因は、今でも驚くようなことではない。新婚旅行から帰ってからは、惚れて結婚したはずの美人の妻とできなくなってしまった。当時はED(勃起不全)という言葉すらなかったし、仲の良い友達にも誰にも相談できなかった。

「たぶん彼女は、俺に好きな人ができたと思ったのかもしれない」
 女の立場からすれば、何となくは推測できる。女性は心と体を切り離して考えるのが苦手だ。
 実際の夫婦生活がなくても、日本の男性が最も不得意な愛情を示す言葉やしぐさ、特にスキンタッチがあればまだいい。
 しかし実際にこういう問題が起きると、話し合うことすらできないのが日本の夫婦である。

ましてや夫婦そろってのカウンセリングなど、夢のまた夢。親しい男友達にすら相談できなかったという坂下さんのジレンマも、不思議ではない。
「相手を思いやるポイントが違った」
 と彼は言う。多少我慢しても「続けていくもの」と思っていた男と、それなら「別の人と」と思った女のすれ違いだ。
「終わって見れば、夫婦生活をしたようなしないような。典型的なバブルのDINKS夫婦だった」

 セックスしないことを面と向かって責められることもなく、お金や子供のもめごともなく、年に二、三回は海外旅行にも行く、傍から見れば羨ましいようなカップルだったのだろう。離婚後は都心の実家に戻って、今は母親が家事をしてくれる生活だが、それはそれで何の不自由もない。

「どうせ独身になったんだからと、離婚してから三、四年はいっさい結婚しようと考えなかった。合コンデビューも離婚後です」

◆子供ができなければ決断できない

ところで本題に入って、今の結婚に対する心境や彼女について聞いてみると、これがまた微妙のひと言だ。
 知り合って一年弱の女性がいる。彼女ですかと聞くと、首をかしげる。月に一、二回は会う。何回かためらったあげく、
「やっぱりステディですね」と言った。

 この年代の独身男性は、竹内さんのところでもふれたが、だいたいそうだ。「彼女いる?」と聞くと、「いるようないないような」という曖昧な答え方をする。付き合いの感じを聞くと、「あなた、それは彼女のほうはあなたのこと、カレシだと思っているでしょ」と一喝したくなるようなこともしばしばだ。

 実は、彼は最近、父親を亡くした。生まれてからずっと同じ家族構成だったのに、初めて変化があった。家族の大切さ、先行きのことなど、向き合って考えるようになった。

「彼女、結婚相手としてはいい子なんです。年齢もそんなに変わらないし、仕事もきちんとやって、しっかりしている。でも本当に好きなのかなあとも思う。すごく結婚とか家族とかのことを考えている時期にあった人だから、自然と結婚を考えられる相手だった。でも何か引っかかる気持ちがある」

 いつもの恋愛パータンとはちょっと違う。普通はもっと燃え上がるほうだ。そのかわり刺激的なつき合いは、もって半年。毎日でも押し倒してエッチしたいかというと、今の彼女はそういうタイプとは違うように思う。父親が死んでから半年ぐらいは前向きに結婚を考えていたが、今はその気持ちが萎えてしまった。

 束縛のない今の生活は捨てがたい。しかし一方、このままではいつかひとりぼっちになってしまうことも考える。今は元気な母親も、やがては面倒を看なければいけない立場となる。

「あと、問題は子どもだけかなあ。子供の事がなければ、結婚届をきちんと出す形態だけが人生のすべてじゃないと今は思っています。ただ子供が欲しいかどうかというと、いてもいいし、いなくてもいい」

 長男なので、代々守ってきたお墓がなくなるという可能性はちょっと考える。子持ちの女性と再婚して、血のつながらない子供ができてもいいかも知れないとも思う。自分でも今ではそんなことを考えたこともなかった。許容できることに驚いた。

「結局、決断しない男なんですよね。切羽詰まった状況、たとえば、大震災とかサリン事件とか、そういう大事がないと、気持ちに踏ん切りがつかない。今の彼女とは『できちゃった』もありかなと思うけれど、向うの方がイヤみたいだし」

 坂下さんの彼女が友達だったら、「子供つくちゃいな。それ以外この人、決断できないよ」とアドバイスしたいところだ。

 彼は昇進して、あるプロジェクトのリーダーになったばかりだ。厳しい環境に責任者としてのプレッシャーで、落ち着いて結婚を考えるどころではないというのが今の現状だ。結局、彼女との結婚もうやむやのままだ。

「一度経験して大変さがわかるだけに、こんなプレッシャーの中で、結婚のことを考える心の余裕がない」
 時間も精神的にも余裕がない。今の時代、三十才を過ぎると物理的にも結婚は遠のく、といのも事実のようだ。

「しかし今結婚したら、それで出会いは終わりなわけじゃないですか」
 真顔でそう言うところを見ると、たぶんいい夫になるタイプなのだろう。長い独身にはなぜか、結婚したら妻ひと筋タイプが多い。
 ちょっと意地悪な気持ちで聞いてみた。
「すごーくタイプで子持ちの女性と、結婚向きで初婚で何の問題もないけれど、燃えないタイプの女性だったらどっちにします?」
「うーん、それって究極の選択だなあ。答えられないなあ」
 坂下さんは本当に困った顔で、品よく微笑んだ。

CASE6「結婚しているのかしていないのか、わからない男

大竹司朗さん(仮名 四十五才 編集者)
 「実は今、結婚しているかいないか、本当にわからないんだよね」
 と言われて、驚いた。自分が恋人だったり、これからおつき合いしましょうという局面だったら、こんなことを言われたら驚くどころか、キレてしまうかも。

 大竹さんは、二十四才から十九年間の結婚生活を送った同い年の奥さんに、印鑑をついた離婚届を渡してある。しかし、それが提出されたかどうかは確認していない。

 そんな馬鹿な‥‥と思うが、本当なのだ。今年の一月にパスポートを取るために謄本を取った。その時点では、自分はまだ既婚者だった。だから正確にはバツイチとはいえない。

 前の坂下さん同様、大竹さんも奥さんから離婚を切り出された日付はきちんと覚えている。男サイドには、それだけ衝撃的な、思いもよらない出来事だったのだ。しかし奥さんにしてみれば、何回も考え、努力した挙句の決意だったのだろう。女サイドが離婚を切り出したときは、もうそれは覆らない決定事項ということだ。

「女房が出て行った理由は解らない。でも女と別れるときには、畳の目一つずつ分かれていくというでしょう。一ミリずつでも十九年かかって離れて行ったのでしょう」

 お互い束縛しないかっこいい夫婦をやっているつもりだった。二十九才でマンションを買い、バブルの頃は金もあったし、フローリングの床に観葉植物を置いてジャズをかけるような家。大竹さんは出版社を辞めてフリーになり、奥さんは手堅い公務員でバリバリ働くというバランスのいい夫婦だったはずだ。

「いまから思えば、女房から危機のサインはたくさん出ていた。でも俺は解らなかった」
 友人によれば、大竹さんは今でも離婚の理由は身にしみてわかっているはずだという。大酒を飲むのは止めた。草サッカーチームに入って、二十代のメンバーと一緒にボールを追う。昔の無頼な編集者だった時代とは、生活も体も目に見えて変わったという。

 一緒に食事をする程度の女性には不自由はしないけれど、それ以上は望まない。いいなと思うのは結局、前の女房と同じタイプの女性だ。「復縁はないし、再婚もしないよ」というけれど、たぶん大竹さんは、今でも奥さんが戻ってくれるのを待っているはずだ。

 彼女の引っ越し先は知らない。「教えようか」と言われたが断った。酔っぱらってつい行ってしまうかもしれないから。
「彼女とは一緒にいちばん楽しい時期を生きてきた。こうなったのは子供や親や先行きのことを全然考えなかった罰かも知れない」

 子供はつくらないとふたりで話し合って決めていた。
「彼女が再婚したり、死んだりしない限りバツイチを享受する。だって彼女は、もう子供もたないかもしれない。俺が子どもをつくってニコニコ老後を迎えることはできない」
離婚しているかいないか確かめないまま、すでに彼女が去ってから二年たつ。
「これから結婚してもリアルに老人問題が出てくる。一人で野垂れ死ぬ覚悟はしている。原点に戻って、体鍛えて、好きな仕事をして、淡々とやっていく。どっかで立ち直るでしょう」
一緒に喫茶店に入ってケーキを頼んだら、ウェイトレスが持ってくるとき倒してしまった。「取り換えます」と恐縮する彼女に「いいの、いいの、同じゃない。食べれば」と言って笑った。優しい人だと思った。
「女性と男性は、同じ独身でも、同じチームじゃない」
どこかで女性作家が書いているのを読んだことがある。問題は子どもだ。

女性と男性では、自分の子供をもてる年齢の限界が違う。もちろん、科学の進歩によるさまざまな技術革新はあるが、何よりも金銭的な問題で、庶民レベルでその年齢的な限界を引き上げるのは難しい。

 大竹さんは、きちんとそのことを知っていた。今までインタビューした男性で、女性の身体的な限界を思いやってくれたのは彼が初めてだ。いちばん楽しかった時代を同じチームでやってきたふたりだ。今さら実は違うチームだったんだよという顔はしたくないという。

 彼がどんなに悪い夫だったとしても、どんなに奥さんに辛い思いがあったとしても、このことだけで、許してあげることはできないのだろうか?
 今彼は畳の目を一ミリずつ、元に戻す努力をしている。

◆離婚を切り出されたときが最後

バツイチの男性たちは年齢にかかわらず、老後や子供、親の介護という問題を現実としてとらえている。やはり、結婚ということに付随するさまざまな生活の局面について経験があるということだ。離婚という経験があるからこそ、普通には見えないところまで、気がつくことが出来る。

 離婚した男性は、女性にとってはむしろ好ましい対照である。しかし離婚した女性は、男性にとっては「失敗した人」に見えるという。ただし、離婚経験者の男性はそうは見えない。
「むしろ、二人で生活するツボを知っていると思う」
 そのセリフは、かつて結婚を「生活」として捉えたことがある人にしか言えない。
 
仕事があっても、女性の視野には常に家庭の問題が入っている。男性は、結婚してればなおのこと、家庭を自分のフィールド外としてとらえがちだ。離婚という手痛い経験をして初めて、やっと仕事以外の人生の局面、自分以外の家族の問題に目がいくようになる。

取り上げた二人の男性とも、妻が離婚についてずっと考えている間、そのことに気づくことがなかった。妻が日々の危機のサインを見逃すことは、離婚届けの空欄を一字ずつ埋めるのと同じだ。できれば、妻が最後通牒を突きつける前に目を向けられればよかったのに。

その最後通牒がどんなに夫にとって思いがけないものであったかは、彼らが二人とも、その日付を細かく覚えていることからわかる。そして、今現在まで妻と全く交流のないことでも。

「野垂れ死ぬ」という言葉を使ったのは大竹さんだが、それは彼がインタビューした独身の中でいちばん年上だからだろうか?

 名著『シングル・ライフ』(中公文庫)で有名な確信犯的独身者、海老坂武氏は一九八六年に『シングル・ライフ』を出版した際、読者の反響はほとんど女性からのものだったと記している。たとえ既婚女性でも、夫に先立たれたあとのシングル・ライフを送ることをはっきりと自覚しているからだ。

 離婚という衝撃を突き付けられれば、大竹さんは、きっと「野垂れ死ぬ」ことなど考えもしなかっただろう。結婚さえすれば野垂れ死にしないと、男性は確信している。不思議なくらい素直に。もし生涯独身で過ごすとなれば、野垂れ死ぬ可能性の大きさに脅える。

 女性だって別に野垂れ死にしたいわけではないが、結婚しても、夫が自分の最期を看取ってくれるとは思っていない。これも不思議なくらい当たり前に自覚している。もし女性が頼りにできる所があるとしたら、夫ではなく、子供だろう。今の時代、それなり不確かなことだが。

 子供のいない私でも、きっとそうなるんだろうなあと、覚悟というほどではなくても、頭の片隅で思っている。できれば「SMAPのビデオゲームに囲まれて老婆孤独死」というのだけは避けたいものだと、思っているけれど。

6「結婚情報サービス」に集う男たち
 
選ぶ立場から選ばれる立場への転換

かつては、切実に結婚を必要としているのは女性の方だった。女性にとって結婚は、まだまだ「一生を養ってくれるもの」であり、「人生のリセット」のチャンスだった。一方、男性にとって「結婚」は、あくまで人生の一部だった。結婚で逆玉の輿に乗って妻の実家の跡取りなるために「寿退社」する男など、ごくまれなケースに過ぎない。

 結婚によって仕事や住む場所やライフスタイルの大きな転換を迫られることもない。年齢で結婚を焦るのは女性で、男性は悠然と構えていたはずだ。

 ところが、女性自身が就業機会を得て経済力をつけたこと、また高度成長を担った親世代の豊かな経済力をバックグランドに、女性は「とりあえず」のところ、焦って結婚する必要がなくなった。「売れ残りのクリスマスケーキ」と嘆いたのは、もう昔のこと。今の生活よりも水準の落ちる結婚をするよりも、理想の人が現れるまで結婚は「先延ばし」する。そんな余裕が見て取れる。

 余裕がなくなっているのは、どうも男性の方らしい。かつては「選ぶ立場」でいたはずの男性が「選ばれる立場」になる。それが一番はっきり見えるのが、商業ベースの「結婚情報サービス」という場ではないだろうか?

「ひとりが気楽」「束縛はイヤ」と結婚に対して足踏みしていた男性が、年貢を納めたいと切実に願うようになる。どうも「四十才」がそのターニングポイントであるらしい。結婚したいと思っても、以前のように周囲が世話を焼いてくれるわけではない。しかも恋愛結婚至上主義がはびこる今、「お見合い」は男性にとって「かっこ悪い」ものに映る。
 そこで登場するのが、現代の世話焼きおばさんである「結婚情報サービス」だ。

 これは大手の三社をはじめとする、出会いのない時代の男女の出会いを取り持つシステムだ。会員制度なので、紹介される男女の経歴は確かなもので、性格診断テストや条件など、データはかなり精密だ。

 とある結婚情報サービスにお試し登録した女性Sさんの体験談。
「コンピューターのブースに一人ひとり入って、自分の望む相手のプロフィールを入力すると、画面にポンって出てくるんです。その人が」
 そのあまりに即物的なところに引いてしまって、ついに会員にならなかった。お試しは二十六才のときにしたのだが、以降毎年、担当だった女性から誕生日のたびに入会を促す電話が入る。三十三才になった今でも。そして三十五才をリミットに、毎年十万円ずつスライド制でアップしていくとか。

 普通のお見合と、結婚情報サービスの利用者には、似ているようで違いがある。まず、かなりの会費を前納する。会費は親もちという女性も多いが、男性は自費がほとんど。自分でデータ入力など細かい作業を行わなくてはならないので、母親の代行は不可能。つまり、自分でもちゃんと結婚する気のある男性が入会しているということだ。普通のお見合いの場合、母親主導で、操り人形のように席に座るだけの男性も多い。

 会員になると、双方の希望がマッチした会員同士を会わせてくれる。一つでもデータが合致しないと絶対に会えないシステムになっているところもある。つまり、希望条件のほとんどすべてが合っても、三十才までの条件が三十一才であるだけで、もうダメなのだ。

 そのファジーな部分を救うために、パーティなど、データに頼らない出会いの場が設定されている。個人情報(名前、住所など)をふせたプロフィール紹介を載せた会報もある。就職情報誌のように文字データが詰まっているものもあれば、希望者にはかなり大きなサイズの写真入り、メッセージ入りのものもある。進化した現代のお見合いは、本当に結婚の救世主なのだろうか?

キーワードは「対等なパートナー」

大手結婚情報サービスのベテラン担当者に聞くと、入会者が望むのは「幅広い出会い」である。このサービスの会員数は全国で約四万人。男女別の内訳は六対四で男性が多い。年間千五百組以上がまとまるという。

「今は女性が選ぶ立場ですね、女性は三十五、六才になっても余裕があります。今の自由や生活を手放したくない。一方男性は、奥さんには家にいて欲しい。自分の条件を曲げない、話し合っていくという気持ちはゼロの男性は、なかなか決まらない。昔は男女ともに、結婚に関してもっと素直で純情でした。結婚はふたりで築いていくもの、という気持ちがあった。今は最初からイメージがあって、それに合わないとダメだという人が多い」

 会員同士が自分のデータに入れるメッセージがあるが、「ほがらかな家庭を築きたい」「たくさん子供を‥‥」と書く男性には、申し込みの返事が来ないのだそうだ。

「二世帯住宅を建てました」などというのは論外である。ここで男と女のミスマッチが明らかだ。旧来の家意識を捨てきれない男性と、結婚しても自分を楽しみを追求したい女性。電話で相談してくる人にはアドバイスをするのだが、もし私が男性会員の立場だったら、「対等の」「パートナー」という言葉をどこかに入れるだろう。今どきの女性の心をくすぐるには、絶対にこの二語ははずせない。

 デートの際のマナーでも、女性からこんな苦情がくる。
「男性が喫茶店から出るときに自分のお金だけ払っていって、続いて出ようとしたらレジで呼び止められて、恥をかいた」

 ワリカンでも、ひと言断ってくれたら恥をかかなかったのに、と怒っているのだ。そんな常識的なことすら、言わなければわからない人もいる。一方男性からも、ごちそうしても「ごちそうさま」のひと言すらない女性がいるという苦情が挙がっている。

 会員には電話やセミナーでアドバイスをする。パーティの際は積極的に動けず、固まってしまう男性を、アドバイザーが叱咤激励して、女性と話をさせるように飛び回る。
「決まるのは普通の人。決まった人同士は、やはりお似合いだと思うカップルが多い。結局、データだけじゃないんですよね」

 男性は結婚願望が強く、「誰でもいいからとりあえず会ってみたい」と切実だ。女性は「じゃあ、誰でもいいのね。私でなくてもいいのね」と断ってしまう。誰でもいいでは結婚できないのは確かなのだが、男性サイドにタイプを訊いても、なかなか言葉にならない人が多い。

ただ結婚したいというだけで、具体的なビジョンや女性の好みは、アドバイザーが辛抱強く引き出して、初めて明らかになる。というよりも、結婚そのものを、そこで初めて現実の存在ととらえる人が多いような気がする。男ばかりの職場で女性と付き合った経験が浅い人には特にそうだ。一方、女性会員たちは、かなり現実的でシビアだ。

アドバイザーは経験豊かな年配の女性だ。ときには母のような気持で会員たちを見守っている。彼女自身も未婚の二十代の娘がいるそうだ。最後に意地悪だとは思ったが、「お嬢さんを嫁がせたい男性はいますか?」と聞いたら、一瞬固まってしまった。

老後の不安を「妥協」で消そうとしても…・

今は結婚しているが、某結婚サービスに登録していた男性に話を聞いた。
「基本的に、ああいうところで見つけるのは無理です」
 彼は広告代理店勤務で、平均的サラリーマンの年収よりもかなり所得が高かった。月二人の紹介という基本ベースよりも、申し込まれてプラスアルファの分が来ることも多かった。

 会員でいられる期間の二年間、かなりの数の女性と会ったが、一回で断られることが多かったという。小太りで背が低い。汗で曇りがちな眼鏡をすぐに取って拭く癖がある。シャイなのだろう。

 なかなか話をしていても目が合わない。時間がたって打ち解けると、目も合うし、喋りもスムーズになる。ただし、短い初対面の制限時間の中では、なかなか彼の良さを解ってはもらえないかもしれない。

「女性はかなり厳しい目で見る。女性は『運命の人』だと思わない限り、決められないでしょう」
 一方、男性は「妥協する」のだという。妥協してでも結婚しようと、その場に出て来ているのだという。

 もう一人の四十才で別のサービスの登録している男性も、「妥協はしているつもりなのに決まらない」と嘆く。
 妥協とは、なんて寂しい言葉なのだろう。

「結婚は人生の一大イベントだ」として頑張っていたのは女のほうだ。男は、結婚してもそれはあくまで「人生の一部」と余裕があったのに、今そこまでして結婚したいのは何故か?
「ひとりが気楽と思っていたけれど、限界がある。三十代半ばから、精神的にひとりではいられないと思うようになってきた」
「このまま酒飲んで、車転がして、二十年後、三十年後、どうなるのか。自分の賞味期限が知らない間に切れているような恐怖感がある」

 いずれも「気楽なひとり」の限界を訴える。その切実さ、身を切るような恐怖感は、ジョセイナラダレデモオボエガあるだろう。「死ぬまで一人」の恐怖感は、長い独身の女性ならおなじみの、すでに飼いならしてしまったペットのようなものだ。「結婚したい女たち」は長い間をかけてその恐怖心と折り合う術を身につけた。それは「自分探し」や「自分癒し」という名で呼ばれ

「どうなるんでしょうねえ…・これから」
 と言う「結婚できない男性」たちのつぶやきをどこかで聞いたことがあると思った。それはバブルの頃の女たちの嘆きに似ている。あんなに楽しく忙しく毎日を過ごしていたのに、ふとした隙間に、
「何かいいことないかしら」
「どこかいい人いないかしら」
 といつも言い合っていた私たち。いつも誰かに何かを満たしてもらうことだけを考えていたころ。その頃の女たちに、彼らはとても似ているのだ。

7 お姫様を待たないで
 
普通の男性も結婚しない時代

結婚、そして家族の物語は変わろうとしている。まず女性たちが、自分たちの母親世代のつむいだ物語を受け継がなくなった。そして新しい物語を模索しはじめた。パートナーである男性たちは、新しい物語を求められていることに、まだ気づいていないのだ。

 何人かの男性にインタビューしてみていちばん感じたのは、「ああ、普通の男の人も結婚しない時代になった」ということだ。いまや四割以上となった三十代の独身男性も、大半はこういう人たちにちがいない。

結婚しない男性というのは、少し前までは「結婚できない男性」と「結婚しない男性」の二つのタイプ。女性に縁がありすぎてモテすぎて「あいつは結婚しないね」と苦笑交じりに語られるタイプ。

 そういった両極の男性たちではなく、いわゆる普通の男性たち。ほどほどに女性からもアプローチされ、きちんと収入があり、堅実な家庭に育ち、自分でも同じような家庭を持つのが当たり前と思っている保守的な男性たちも、結婚しなくなった。

 それは結婚が誰の人生にも組み込まれていた基本ソフトから、オプション程度のものへと、価値が下がったからだ。
「どうしても結婚しなくては」というプレッシャーが減った。どんなに堅い会社でも「独身だから」と出世が遅れたりすることもなく、上司や周りの人がしつこく「結婚の世話」を焼くこともなくなった。

 となると、何かに強く押されないと結婚しないタイプの男性は結婚しなくなった。
 強く推すのは自分の気持ちか、相手の気持ちしかない。または史上最強の「できちゃった」ぐらいかもしれない。

相手とぶつかり合えない男たち

 今の時代、恋愛結婚をしたいと誰もが言う。しかし、そのわりに恋愛の場数を踏んでいない男性が多いのも「結婚をしない男」の特徴だ。

 年齢とともに「恋愛力」は衰えていくようだ。
 相手の気持ちが見えなくなって葛藤するのは、若い頃ならいいが、今はもろに仕事に影響する。もともと独占欲が強くやきもち焼きで、奥さんが五十才になっても「外出して遅くなったりしたら、いてもたってもいられなくなる」という男性は、自分をよく知っている。だから恋の修羅場にはハマらないよう、できるだけ逃げてきた。

「できればこのまま誰かと幸せになって、六十才ぐらいになってから離婚されたり、娘や息子に足蹴にされたりすることなく、最後まで行きたい」
 と、ささやかな希望を述べる男性もいる。

「相手とぶつかり合うのが怖い」のだ。彼らが口にする「結婚したい」に、どうも相手の顔や実態が見えてこないのは、そのせいにちがいない。

 女性のほうは、たとえ恋愛経験者は少なくとも、恋愛や結婚に関してははるかにプロいえるほど、シミュレーションを積んでいる。トレンディドラマや少女漫画、恋愛小説、映画とテキストは山ほどあるのだ。

 いつの時代、男性たちのほうがよっぽど、結婚に関してはピュアなのだ。
 どんなに美人でもかわいくても、つけ入る隙を見せない女性は、男にとって近寄りがたい存在となってしまう。故に結婚が遅れるという法則がある。

 これは女に限ったことではない。つけ入る隙のない男と言うのは、やはりなかなか結婚しないものだということを、今回の取材で思い知った。

 モテるモテないとはまた別に、つけ入る隙のない男というものは結婚しない、またはできない。隙を見せるような可愛い男はとっくに誰かのものになってしまい、こと結婚に関しては難攻不落の処女のように身持ちの固い男が残る。

 かつて女たちがいつか好きな人に捧げるために自分を守ったように、男たちはまだ見ぬ運命の女たちのために大切に大切に妻の座を守っているのだ。

 男たちは結婚に対して、より乙女チックになった。会社や親、社会のプレッシャーで結婚する必要もないし、都会はひとり暮らしに優しい街になった。となれば、結婚に求めるのはロマンだけだ。ロマンは乙女のもの。
「自分からは積極的にいかない」
「結婚を前提にしたつき合いしかしたくない」
「傷つきたくない」
「添い遂げたい」
「結婚って何かわからない」
 取材ノートのどの頁を操っても、乙女チックな言葉が必ず飛び出す。

「身持ちが固く、受け身で、恋愛力の弱い乙女系の男子」が「結婚したいのに、結婚できない男」の正体らしい。
 「王子様 いつか迎えに いくからね」

 これはある女流俳人の俳句だ。今どきの王子様はただ待つだけのものじゃなく、女が迎えに行くものになった。そして今どきの女たちは、馬にまたがって王子様を追いかけるくらいの気概を持っている。

 なかなか「恋に落ちない」「守りの堅い」彼らが、生まれて初めて恋に身を焦がすほどの思いをするときが、結婚の時かもしれない。王子様たちは、そんな「運命の出会い」を待っている。

恋愛結婚至上主義が結婚を遠ざける

かつてはこういう背景で残っている男性は、周囲が無理やり誰かを紹介し、結婚させていた。近所のおばさんや上司などの「結婚相談所」は、非公式な形でどこにでも存在していのだ。

 どう見ても女の口説くことなど想像できない口下手な日本のお父さんたちが、しっかりと妻や子供をゲットできたのは、世話焼きな周囲や、結婚しなければ一人前ではないという社会のプレッシャーのせいだ。そして女性が結婚にすがらないと生きて行けなかった社会のシステムのおかげともいえる。

 生涯未婚率が長い間、男女とも五%前後で推移する「九五%の国民が五十才までに結婚する」日本は、結婚に関しては優等生国家だったのだ。

 お見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転したのは一九六〇年代。「パラサイトシングル」という言葉を世間に広めた山田昌弘東京学芸大学助教授は、戦後日本に定着した恋愛結婚制度をこう分析している(『家族のリストラクチュアリング』新曜社)。

 A 前近代社会・・・・家族は経済上の制度でしかなかった時代
 B 近代社会・・・・家族は経済上の制度であり、愛情の制度でもある時代
 C ポストモダン社会・・・夫婦は愛情のみの制度となる時代

 前近代社会ではお見合い結婚が主流で、近代社会になると、結婚は愛情にもとづくべきという「恋愛結婚イデオロギー」が普及してくる。山田昌弘助教授は、今の日本社会はBからCの移行期のひずみが出ているという。

 しかしBからCへの移行は、男性には意識されていない。女性にとって結婚はまだまだ「永久就職」「人生のリセット」であったBの時期に、男性にとっては、もう結婚は「ピュアな愛情」だけでできているものになっている。男性が「金目当て」「三高ねらい」という女性の態度に、極端なアレルギーを起こすのはそのせいだ。
 
 女性は結婚の中に「経済」の要素が入っていることを無意識に受け入れているのに、男性はそれをわざと見ないようにしている。不況で経済的に苦しくなるほど、鍋釜(なべかま)提げてもつてきてくれる、愛情のみで結ばれた女性を求めている。「愛し愛されて一生添い遂げる」という恋愛結婚、より結婚へのハードルを高くしている。

経済的な責任感がますます邪魔をする

男も女も、結婚に関して新しい価値や意味を見いだせず、立ち止まっていることは同じだ。違うのは男性の場合、女性のようには出産という明確なハードルがないので、いくらでも迷い、先延ばしすることができる点だ。

 しかし、ここで世の中は変わってしまった。現在の晩婚化の主役ともいえる三十代の男女は、高校生、大学生、または社会人になってすぐにバブルを経験している。保守的な価値観に従うこと、つまり就職して結婚して子どもをつくることを、ちょっとわきにおいたつまりできた私たちの世代は、いつの間にか袋小路に追い込まれようとしている。

 終身雇用制の崩壊は、日本の結婚の歴史に大きな変化をもたらした。それは女性にとって「永久就職」という就職先が崩壊したことを意味する。
 男性たちも、深刻だ。ちょっとよそ見をしたとはいえ、まだまだ伝統的な価値観の彼らは一応、「女房を養う、家族を養う」のは当たり前と思っている。失業率五%強、マイナス成長のただ中、結婚に踏み切るにはまず「やっていける経済力」だと、今の三十五才以降の男性ならまず考えるだろう。

 リストラや会社自体の存続に不安があれば、結婚は遠のく。転職や独立など大きな賭けに出る場合、養うべき家族を持つのは気が重い。または、会社の中で役職者として重責を担う時期でもある。「正直、仕事で一杯いっぱいで、結婚の事かをきちんと考えるひまもない」という現状は、彼らをますます縁遠くしている。

 そんな「結婚しない男たち」は、実はすごく結婚前向きな男性なのかもしれない。少なくとも、結婚したら「けっこう家庭的だし思う」「奥さんと楽しみたい』と真顔で言うくらいは、結婚生活に関して前向きだ。離婚など夢にも考えていない。

「別れてもいいというぐらいの気持ちなら、とっくに結婚している」

と、みな口をそろえて言う。責任感があるからこそ、めったなところで妥協はできなかった。

 だからといって「結婚前向き」だと面と向かって誉めてはいけない。猛反発を食らうこと確実だ。「結婚向きな女性」と言われれば、大概の女は、少なくとも悪い気はしない、しかし、男は違う。「結婚向きの男」と言われると、男は反発する。
 男は無意識のうちに「結婚」と「恋愛」が分けられることをよく知っているに違いない。

お姫様を待っている場合じゃない
 インタビューした男性たちは二つのカテゴリーになった。
 まず、具体的な相手のいない男性である。結婚したいというだけで、意志は明確だ。むしろ結婚を当たり前ととらえている。恋愛結婚したいが、恋愛経験は少ない。ナマモノの女性と正面から向き合う経験が少ないので、結婚後の生活に関してかなりロマンチックな、はっきりいえば「甘すぎる」見積もりを立てている。

 もうひとつは、具体的な相手がいても、結婚を前に立ち止まっている男性である。彼らは現実の女性たちと向かい合ってはいるのだが、それゆえ結婚の大変さもシミュレーションできる。ひとりの気楽さも捨てがたい。友人から入るのは、結婚に関するマイナスの情報ばかり。まして、これだけ先行きの不透明な時代の経済的な不安もある。そこまでして結婚する価値があるのか? 結婚の意味を見いだせなくなっている。

 どちらの「結婚しない男」にも共通するのは、彼らが結婚に関して筋金入りのロマンティストであるということだ。

男性たちの本音が「若くてピチピチしたかわいい女性がいい」というのは、どうしようもない日本の男の性(さが)だ。こればかりはもう本当にどうしょうもない。いつまでも「お子様」な文化の日本では、「成熟した女」に用はない。お互いに若いうちじゃないと出会えないのが、日本の男女の実態だ。

 理想の人を求めているうちに、年をくっていくのは自然の摂理だ。女性は自分を見つめるのが大好きなので、現実の年齢を重ねた「自分」にアジャストしていくのだが、男性はいつまでも「永遠の少年」である。三十代後半、四十の声を聞くようになっても、求める女性の年齢層は変わらないので、十才以上年下の女性たちがターゲットとなる。だが、その年齢の女性をゲットできるのは「金持ち」か「モテる男」だけ、という厳しい現実となる。

 同世代の女性をあっさり対象外として視野の外出してしまった彼らも、実はそろそろ、ターゲット年齢の女性たちにとって「オヤジ」でしかない年なのだ。
 終身雇用が確保されていた時代なら、永久就職という餌で釣ることもできたかもしれないが、終身雇用制の崩壊とともに本当の「生きる力」が問われる時代になってきた。

 結婚市場において男は、自分の魅力で勝負するしかないわけである。いい男をゲットするために「美しさ」「若さ」「キャラクター」という、身一つで勝負してきた女たちと、やっと同じ土俵に立ったわけだ。

 そこで「じゃあ、若くなくてもいいです。もう贅沢はいいません」と対象外にした女性に向き直っても、今度は女たちの方が「イエス」とは言わない。
「こんなところでよろしく」では絶対に結婚はできないのが、女たちなのだ。

 オタク評論家の岡田斗司夫氏が『独身女、どうよ!?』(現代書林)で傑作なことを書いている。「30独身女」とは、「女の生き方について迷ったり焦ったりしている女性たちのこと」と定義し、「女の子」から「大人の女」への変換を余儀なくされるグループの史上初の大量発生、と現在を説いている。

 たしかに日本では、結婚した女性は何時までも、「フリルやリボンが大好き女の子」でいられたので、みなが結婚した時代にはそういった意識改革は必要なかったわけだ。

「男たちが、いつかは女たちも妥協してこっちに来るだろうと浜辺でキャンプファイアーしてアニメの上映会をして待っているうちに、女たちは船出してしまった」岡田氏は、結婚できない男予備軍は七割と読んでいる。

 モテる男とモテない男の差が広がりつつあると誰もが感じている。一夫一妻制の結婚が必要とされなくなる大量シングル時代は「モテる男のひとり勝ち時代」になると、前出の森永卓郎氏は予測している。

 先進国で少子化を克服する試みを成功させたスウェーデンでは、生まれる子どもの半数が婚外子だ。女性を結婚させるのではなく、女性の就業率を上げて、ひとりでも子育てができるようにすれば出生率は上がる、というデータが出ている。

 もし日本もそういう道をたどるなら、女性たちは「好きな男」「優秀な遺伝子」をもつ男に殺到するだろう。「モテる男のひとり勝ち」とは、そんな社会のことだ。女にとってはちょっと魅力的なような気もする。が、男にとっては、
「もう悠長にお姫様を待っている場合じゃない」
 ということだ。

「しない」から「できない」へのターニングポイント

女性たちが、母親と同じ生き方に疑問を持ち、それでは女として自分はどうすればいいのかと模索し始めてから、すでに長い年月が経つ。男性たちも、マイホームパパになってみたり、趣味に生きる男になってみたり、それなりに頑張ってはきたのだが、いかんせん企業社会の中で「男は仕事、女は家庭」という男女の役割分担意識から離脱してはいない。恋人時代は気の利いたエスコートができても、結婚した途端、父親と同じような夫になってしまう。

 結婚や家庭の在り方についての男女の意識の違いは、すでに男性が周回遅れで十年分以上引き離されている。もちろん女性にも玉の輿や専業主婦願望は依然としてあるのだが、今の経済状況では、専業主婦は恵まれた一部の階層だけのものになりつつある。現実に結婚して働くのなら、いつまでも「若くてかわいい、歳も年収も学歴も自分より下の控えめな女性がいい」などと、寝ぼけたことを言っている男に用はないのだ。

 女性たちは、周回遅れの男性が追いつくのを待ってはいない。それがいまの晩婚化に繋がっている。

 結婚できない男たちは「いい人」が多かった。素早く結婚して都合のいい妻も愛人もゲットしている要領のいい男たちより、ずっと「いい人」だった。そして「家族のよさ」を信じている。結婚や家族が「愛情の器」であることを信じている。それは私も信じているし、信じたいことだ。

 問題なのは「変わらない事こと」「知ろうとしないこと」だ。だから取り残されてしまうのだ。
『結婚しないかもしれない症候群』(谷村志穂 現在は角川文庫)が発表されたのは1990年。女たちは、結婚しないかもしれない自分に向かい合ってきた。それは、ひとりの人間としての自分は何か、という問いかけだ。本に登場した女性たちは、その後ほとんど結婚した。

「自分とは何か」

「自分は何を望んでいるか」
「自分に向いているのはどんな人か」
 そんなことに真剣に向かい合ってきたことが、結局「結婚」につながるのではないか。

 お姫様を待つことをやめて、男である自分が女より上だという確認を、妻という名の女性に求めることをやめて、ひとりの自分に向き合う。それはとても恐ろしいことだ。ぞっとするような、逃げ出したくなるようなものが、ぞろぞろ出てくるかもしれない。それでも自分と、それから人と向き合う。そうやってしか、今の男と女は出逢っていけないのではないか。

 来るべきシングル社会が、男と女がひとりの人間として、責任をもって自由に恋愛できる時代ならいいが、今の日本の状況から考えれば、恋愛どころか、まともに人とぶつかることすらできない個にこもる男女が増える可能性がある。

 パンドラの箱を開けて、最後に残るもの。それを信じられなくなったら、本当に殺伐とした未婚社会がやってくるかもしれない。

「結婚したくてもできない男」の特徴

♂ 恋愛経験がうすく、恋の修羅場を避けてきた(恋愛筋力が不足している)
♂ 心の中に忘れない女性がいる(過去の恋愛を引きずっている)
♂ 「いい人」で終わってしまうケースが多い(恋愛関係になりにくい)
♂ 慎重、裏を返せば決断力が弱い(女性とフィックスした関係になるのをためらう)
♂ ひとりの心地よさを知ってしまった(気を使う生活は何かと面倒だと思う)
♂ 女友達がいない(女性を同等の仲間とは思えない)
♂ しっかり者で働き者の母親がいる(マザコン気味である)
♂ 守りが固く、受け身で、つけいる隙がない(女性から見て「手強い!」)
♂ 妻子を養うのは当たり前と思っている(ゆえに、経済的プレッシャーがある)
♂ 「結婚=子供=家庭と素直に思える(保守的な家庭で育っている)
♂ 「男は仕事、女は家庭」という意識が強い(家事は自分の領分じゃないと思っている)
♂ いい夫、いい父親になれる自信がある(自分の結婚だけは成功すると思っている)
♂ 若い女の子がどうしても好き(何事も自分より下の女性のほうが安心する)
♂ 結婚に対して、過剰な夢や期待がある(運命のお姫様が待っているロマンティストだ)

つづく 第2章
 結婚できてもしない女

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。