著者 植西 聡
第五章
「どうにかなるさ」と楽観的でいる
目次
第六章 「人は人、自分は自分」の関係で人とつきあう
第七章 成り行きに任せるほうが、いい結果が出る
第八章 こころを癒す方法を持っておくから持続力がつく
第九章 バランスよく生きることを心がける
・ゆっくり動作することで、気持ちが落ち着いてくる
・バランス感覚のいい人が上手くいく
・上と下の板挟みになった時こそ、自分自身の思いを一番大切にする
・イヤな相手を反面教師にすると、心が楽になっていく
・強すぎるプライドは、安らかな生き方をジヤマすることになる
・セクハラやパワハラは、第三者に相談して解決する
・慈善活動を「売名行為だ」と非難された時の対処法とは?
・セクハラやパワハラは、第三者に相談して解決する
・慈善活動を「売名行為だ」と非難された時の対処法とは?
◆笑顔を心がけていると、精神状態が安定する
こんな話を聞いたことがあります。
ある女性は、一時期、結婚した夫との関係が上手くいかなかったことがあるのです。
毎日のように夫婦ゲンカを繰り返していたそうです。
当時は、彼女も働いていたのですが、気持ちの乱れから職場へ行っても仕事に集中できませんでした。
ちょくちょく仕事でミスをして、上司から叱られる始末です。
そのためにいっそう気持ちがムシャクシャしてきて、家に帰ってからも夫に言わなくてもいいイヤミを言ったりして、また夫婦ゲンカを巻き起こしてしまうのです。
ある時、彼女は鏡に映る自分の顔を見てビックリしました。
その顔はとても醜(みにく)い顔だったのです。
彼女は、「自分の乱れた心が人相にも表れてしまっている」と考えました。
「このままではいけない」と彼女は、それ以来、おだやかな笑顔を心がけるようになりました。
朝の洗顔の時はもちろん、日中も時々鏡を見ては、鏡に映る自分自身に向かっておだやかにほほ笑むように心がけました。
もちろん会社の人たちに対しても、夫に対しても、おだやかな表情で接するように心がけました。
そのうちに、精神的にもおちついていき、夫に対して感情を荒立てることなく、平常心で接することが出来るようになりました。
現在は夫婦関係は円満であるといいます。
確かに、心の状態は顔に表れます。と同時に、顔の表情によって、心の状態をコントロールすることもできると思います。この彼女のように、おだやかな表情を心がけることで、精神的にも安定すると言います。
「ねばならない」という意識で、自分自身を縛らない
◆「何が何でも」と考えない
「何が何でも〜ねばならない」という意識で自分を縛り付けてしまうと、平常心を失って実力を発揮できなくなるケースが多いようです。
たとえば、「前評判では「金メダルは間違いない」と言われていたオリンピック選手が本番でまったく実力を発揮できずに惨敗(ざんぱい)してしまう、というケースが多くあります。
このようなケースでは、本人が「大勢の人の期待にこたえるために、何がなんでも金メダルを取らなければならない」と自分自身にプレッシャーをかけすぎてしまって、そのために実力を発揮できずに終わる、ということになることが多いようです。
一方で、まったく注目されていなかった選手が好成績を残して、世間をアッと驚かせることもあります。
この場合は、反対に、注目されていなかった分「なにが何でも〜ねばならない」という意識が自らにプレッシャーをかけることなく済んだのが勝因となることが多いようです。
人は、楽な気持ちで本番に臨むほうが、自分が持っている実力を十分に発揮できるのです。
また、場合によって、実力以上の力を出すこともできるのです。
仕事や実生活の場面でも〜ねばならない」という意識で自分を縛り付けてしまうことも多くなります。
しかし、そうなると平常心を失って実力を発揮できなくなる危険も高まるのです。
ですか、この「何がなんでも〜ねばならない」という意識を捨て、「しっかり努力をして、結果はその時の運しだいだ。その時の神様のご機嫌に任せよう」といったように、気持ちを楽にして本番に臨む方がいいと思います。
楽な気持ちでいることで平常心が保たれ、本来の実力を発揮できます。
「昨日のことは昨日のこと。今日今日の風が吹く」と考えるのがいい
◆今日の今だけのことを考える
ある女性は、朝目覚めると、いつも同じ感情にとらわれてしまうと言います。
それは、「今日は会社に行きたくない」という思いです。
そういうネガティブな気持ちになってしまうのは、前日の職場での出来事に原因があります。
「上司に怒られた」
「同僚にバカにされた」
前日にこのようなイヤな思いを経験したために、「今日も同じようなことでイヤな思いをしなければならないのか」という予感が働いてしまうのです。
こうなると心がかき乱されて、「今日も一日がんばろう」という前向きな気持ちにはなれなくなります。
「会社に行きたくない」と、いつまでもベッドから起き上がれなくいことになるのです。
性格的に「昨日のことを今日まで引きずってしまう」というタイプの人は、この女性のように、「気持ちのいい朝を迎えられない。目覚めと共にイヤな気持ちに捕らわれて心をかき乱される」という人が多いようです。
しかし、このような気持ちで毎日朝を迎えるのでは、これからの人生全体についても後ろ向きな考えにとらわれてしまうことになるのではないでしょうか。
禅(ぜん)の言葉に「生而今(せいにこん)」というものがあります。
これは、「過去のことは過ぎ去ったこととしてすべて忘れ、今この時に集中して生きていくというのがいい。そうすれば明るい希望が開けていく」という意味を表しています。
昨日のとは昨日の事です。たとえイヤな思いをする出来事があったとしても、過去のことを引きずらないよう心がけるのがいいと思います。
心から「イヤなことは忘れる」と念じれば、本当にケロッと忘れられるようになります。そして、「今に集中して生きる」ことを心がけることで、毎朝、平常心で起床できるようになると思います。
人は人、自分は自分」で生きていくほうが、人生に満足できる。
◆人と自分を比較しない
他人と自分とを無暗(むやみ)に比べないほうがいいと思います。
自分自身への不満が噴出して、心が静まる時がなくなってしまう場合が多いからです。
他人と自分を比べると、往々にして、自分の劣っている部分だけが気になってきます。
「あの人はどんどん収入を増やしているのに、どうして私の収入はこの何年か変わらないのか」
「あの人はみんなから好かれるのに、どうして僕は周りの人たちから敬遠されやすいのだろう」
「あの人は才能に恵まれているのに、私には何の才能もない。自分の親を怨みたい気持ちになってしまう」
このように思えてきて、なにか自分だけが不幸な運命に見舞われてばかりいるように思えてくるのです。
その結果、「自分がどんなに頑張っても、しょせん幸せにはなれないんだ」と、投げやりな気持ちになってしまいます。
また、自分自身の人生に対する怒りの感情にとらわれてしまって、ちょっとしたことでキレてしまいそうになります。
しかし、そんなふうに感じる自分自身にも、実際にはいいところがたくさんあるのです。しかし、他人と自分と比べてばかりいると、そんないいところが見えなくなってしまいがちなのです。
他人と自分を無暗に比べるのではなく「自分は自分、人は人」という割り切った気持ちで生きていく方が楽だと思います。
そのほうが「自分のよさ」を見つけ出しやすいのです。そして落ち着いた気持で自分の人生を歩んでいくことができます。
バイオリズムが最低の時はジタバタしないほうがいい
◆運勢が悪い時は、じっとしている
人の生活には、浮き沈みがあります。
調子がいい時があれば、調子の悪い時もあります。幸運に恵まれる時があれば、運から見放されてしまう時もあります。あがったり、沈んだりという波があるのです。
バイオリズムと言っていいかもしれません。
調子がいい時、何の問題もありません。何をやっても上手くいきます。精神的にも安定した状態でいられるでしょう。
問題なのは、調子が悪い時、バイオリズムの波がそこに向かって落ちていく時です。
このような状況のいる時、人は動揺します。
「このままじゃいけない。どうしょう」と慌てふためき、「とにかく何か対処策を講じなければ」とバタバタ走り回ります。
しかし、調子が悪い時というのは、色々な対処策を実行に移しても、裏目裏目の結果になってしまうことが多いのです。
そのためにいっそう平常心を失ってしまって、ふだんであれば絶対しないような判断ミスをしてしまう場合が多いのです。
その結果、皮肉にも、調子の悪い状況が長く続いてしまうこともあります。
たとえば、体調を崩して病気になったとき、「早く職場に復帰したい」という焦りから、自己判断で間違った治療法を試したりして、かえって病状を悪化させてしまう、とてった人がよくいます。
調子が悪い時は、結局、何をやっても上手くいかないのです。
こういう状況では、むしろ「ジタバタしない」というのも一つの方法です。
心静かに、たんたんと日常生活を過ごすのです。そのほうが平常心を失って間違ったことをする危険は少ないでしょう。
何もしないでも、そのうち必ず運勢が上向いてくるときは来ますから、心配することは無いと思います。
「ショッキングな体験は、いい話のネタになる」と知っておく
◆イヤな経験をたくさんしている人ほど、話のネタは多い
ある男性は、次のような経験をしました。
電車の中で、見知らぬ相手から突然怒鳴りつけられたのです。
自分に対して何か怒っている様子なのですが、わめき散らかすばかりで何を言っているのか理解できませんでした。
得てして、怒っている人は、感情に任せてものをしゃべっているので、何を言っているのかわからないことになりやすいものです。
その男性の場合も、相手が怒っている理由がさっぱり理解できません。
自分が何か、人に迷惑をかけているようなことをした覚えもありません。
しかし、あんまり激しく怒るので、とにかく「すいません」と平謝りして、次の停車駅で電車を降りてしまったそうです。
後になって「何も悪いことをしていないのに、どうして怒鳴らなければならいのか」と、腹も立ってきます。
彼はその日の夜は、悔しい思いから夜も眠れなかったと言います。
次の日に、友人たちの集まりで、電車の中で怒鳴られた体験談をしました。
すると友人たちは非常に興味を持ってくれて、彼を中心にして話は非常に盛り上がったといいます。
自分の体験談がみんなから思わぬ反響を呼んだ様子を見て、彼はイヤな思いがスッと晴れたと言います。その時、彼は気づいたそうです。
「イヤな思いをする体験ほど、友人たちと集まる時のいい話はネタになる」と。
それ以来、イヤな体験することが何度かありましたが、「これで話のネタができたぞ」と思うと、それほど自分の感情に荒立てることも無くなったと言います。
彼のような価値観を持てば、確かにどんな経験をしても平常心でいられるでしょう。
それどころか、イヤな経験するほど楽しみになるかもしれません。
試練を味わうことで、平常心の力が強くなっていく
◆一度試練を経験しておけば、後が楽になる
一度試練を味わった人は、同じような試練に見舞われた時、それほど慌てないで済みます。その試練を乗り越える要領といったものを心得ているので、平常心で事に当たれるのです。
また、最初の試練を乗り越えることができたことが、自分自身の大きな自信となって、次の試練に見舞われた時に動揺せずに済むのでしょう。
ある男性は、業績をバンバン伸ばす、やり手の若手ビジネスマンでしたが、ある仕事で失敗して地方へ飛ばされてしまった経験があるそうです。いわゆる左遷です。
地方では、やりがいのある仕事はできず、人間関係の苦労も多かったと言います。
その後、東京にある本社へ呼び戻されて、今は会社の最先端で活躍していますが、「地方へ飛ばされた時の試練を思えば、少々辛い試練をするようなことがあってもヘッチャラです。どんなトラブルにも動揺することなく、落ち着いて冷静に対処できます」と言っていました。
その意味では、何か始める時には、初めのうちにたくさんの試練を経験しておく方がいいのかもしれません。
試練を経験すればするほど、心が強くなっていきます。
ちょっとやそっとの事では、平常心を失って大騒ぎすることも無くなります。
ただし、「与えられた試練を、自分で乗り越えた」という経験でなければ、それは自分の力にはならないでしょう。
最初の試練を受けた時に、簡単にあきらめてしまったり、すぐに誰かに甘えて助けを求めるようでは、自分の心が強くなっていきません。
そこで試練を自分で乗り越えてこそ、大きな自信が生まれます。
試練を乗り越えて一回りも大きく成長する自分自身を楽しみにしていれば、楽に試練を乗り越えることが出来ます。
元気な人を見ていると気持ちが落ち込んでくるという時が危ない
◆愛する人と癒しの時間を持つ
人生が自分の思うようにいかず気持ちが落ち込んでいる時は、人は誰でも次のような心境になってしまうのです。
「私はちっとも世に出るような活躍ができないのに、友だちが私よりもずっとえらくなっているように見える」
「周りの人たちは、私よりずっと人生を楽しんでいるように見える。なのに私はちっとも人生を楽しめない」
「私は落ち込んでばかりいるのに、友人たちが自分の夢に向かってイキイキとがんばっているように見える」
このような心境です。回りの人たちに比べて、自分だけがミジメな人生を歩んでいるように思えてくるのです。では、このような心境になってきたとき、心の平安をいかにして取り戻せばいいのでしょうか。
その方法の一つは、自分が精一杯頑張って生きていることをよく知っている家族や友人と「癒しの時間を持つ」と言うことだと思います。
それは「愛する人と癒しの時間を持つ」ということです。
家族や友人や恋人と一緒に音楽を聞いたり、映画を観たりして、ゆっくりした癒しの時間を持つのもいいでしょう。
愛する人と共通する趣味を一緒に楽しむ時間を持つのもいいと思います。愛する人と二人で自然豊かな場所をブラブラ散歩して心をいやすもいいと思います。
そのような「愛する人との癒し時間」を持つことが、心の落ち込みから自分自身を救い、どのような事態になろうとも平静を保って生きていくコッなります。
人生は、誰であっても「思うようにならないこと」の連続です。「自分よりもえらく見える友人」も「自分より楽しそうな周りの人」も「自分よりイキイキしている友人」も、実際には思うようにならない苦しみを抱えながら生きています。
しかしながら、落ち込む気持ちを上手に癒しながら、元気に生きていると思います。
第六章
「人は人、自分は自分」という関係で人とつきあう相手によって距離感を変えながら、つきあっていくのがいい
◆上手に距離感を保ちながら、人とつきあう
人には相性というものがあります。
相性が合う相手とは一緒にいても気持ちが落ちつきます。
しかし、相性が合わない相手と一緒にいるのは、何となく気持ちが落ちつかないものです。
その相手が職場の同僚だったとすれば、仕事仲間として仲良くやっていかなければならないと思います。しかし、仲よくしなければならないと思えば思うほど、相手と相性が合わない部分が強く意識されて心が乱れてしまうのです。
そのために、ついきついことを言ってしまったり、不機嫌な態度を示したりしまいます。そして、相性の悪い相手と険悪な関係になっていく、というケースもよくあるようです。
相性の悪い相手とは、無理に「仲よくしなければ」と考えることは無いのです。
もちろん、意図的に意地悪なことをして関係を悪化をさせることはありませんが、だからと言って無理に仲良くすることもないと思います。
相性のいい相手と仲よくするのと同じように、無理して相性の悪い相手とも仲よくすることはありません。
ある程度距離を保ちながら、事務的に付き合っていく方が上手くいくと思います。
相性のいい相手とは近い距離感で、一方で相性の合わない相手とはちょっと離れた距離感でつきあっていくというのが、平常心で人とつきあっていくコツになると思います。
ということです。
ちょっと離れた距離感でつきあっていったとしても、相手に不愉快に思わせたり、相手に失礼なことを言ったりしない限り、人間関係はうまくいきます。信頼関係も生まれます。
必ずしも「距離感をもつたつきあい」=「冷たい関係」ではないのです。
「他人は自分のことを分かってくれないもの」という前提に立っておく
◆人から理解してもらえなくても心配しない
自分の気持ちが上手く伝わっていかないとき、人はついイライラしてしまいます。
「私の気持ちを、どうしてわかってくれないのだろう。ちょっと想像力を働かせば、すぐにわかってくれそうなものなのに」と、悲しい気持ちにさせられます。
人によっては、悲しみを通り越して、「ちょっと、あなた、どうしてそんなに鈍感なのよ」と、怒りの感情を爆発させてしまうかもしれません。
しかし、ここで覚えていた方がいいことが一つあると思います。
「どうしてわかってくれないのか」というのは自分の勝手な願いなのであって、他人はそもそも初めから自分の考えや気持ちなどわかってくれないものなのです。
他人それぞれ、自分の事で精一杯で暮らしています。
友人は友人で、自分のやらなければならないことで精一杯なのです。
会社の同僚は同僚で、上司は上司で、自分の事で精一杯です。
恋人や家族であろうとも、それぞれ自分の事で精一杯の状態で暮らしているのです。
そのために、他人の事を思いやる心のゆとりをなかなか持てません。
そんな人を相手に、「どうして私の事をわかってくれないのだろうか」とイライラすることは、自分で自分の心を乱す結果になるだけです。
最初から「他人は自分の事をすぐにはわかってくれない」という前提に立って、人とつき合っていく方がいいと思います。
その方がイライラしないで済みます。
ただし、あきらめることはありません。
時間をかけて、あせらずに慌てず、じっくりと自分の気持ちや考えを説明していけば、必ず相手は「あなたの言うことがよく分かりました」と言う時が来るでしょう。
希望を持って、その時がやってくるとを信じることが、平常心を保つコツです。
幅のある人間関係を作ることで、心が安定する
◆色々な人とつきあっていく
仕事の関係者だけとつき合うのではなく、オフの時間を使って友人と会ったり、趣味や勉強の会に参加して幅広い人間関係を作っていくほうが、精神的に安定します。
また、ある特定の友人ばかりつき合うのではなく、色々な知識や経験を持つ友人や知人たちと幅広くつき合っていく方が、平常心が保てます。
人間関係では様々なトラブルが生じます。
ちょっとしたことで、相手とイヤな思いをさせられることもあります。
そんな時に、幅広い人間関係を持っている人の方が、イヤな思いから立ち直って平常心に戻るのが早いのです。
たとえば、職場の人間関係でイヤな思いをしたとしましょう。そのような時に、幅広い人間関係を持つ人であれば、仕事とは関係のない友人と会って楽しいおしゃべりをしたり、悩みごとの相談に乗ってもらったりして、気分転換を図ることもできます。
気分転換できて気持ちがスッキリすれば、また気持ちを新たにして職場の人たちと接することが出来るようになります。
しかし、人間関係の幅が狭く、仕事の付き合いしかないという人は、職場の人間関係でイヤな思いをした時に、そのイヤな思いのはけ口がありません。
ですから、イヤな思いをそのまま引きずってしまうことになりやすいのです。
友人とケンカをしてしまったときも同様です。
人間関係の幅の広い人は、ケンカをした友人とはまた別のグループの友人に会って、気持ちをリフレッシュすることができます。
気持ちが入れ替えれば、ケンカをした友人とも簡単に仲直りが出来ます。
しかし、人間関係の幅の狭い人は、ケンカした友人への怒りや怨みの感情にいつまでも振り回されてしまいがちなのです。
ですから、色々な生活環境を持ち、様々な価値観を持つ人たちと幅広くつき合っていくように心がけるのが平常心を保つのにはいいと思います。
「いい人」になりすぎると、キレやすくなる
◆いい人になんてならなくていい
精神医学や心理学では「ふだんは優しい人ほど、ある日突然キレやすい傾向にある」と、よく言われています。
性格的に優しい人は、じつは、ストレスを溜めやすいという特徴があるのです。
しかし、自分の中にストレスが溜まっていることを、ふだんは周りの人たちに見せようとはしません。「周りの人に余計な心配をかけたら申し訳ない」と言う気持ちが働いて、ストレスが溜まっている様子を意識的に隠してしまうのです。
しかし、本人の心の中ではストレスがどんどん溜まっていきます。つまり、キレてしまうのです。
では、なぜ性格的に優しい人は、ストレスを溜めやすいのでしょう。
それは多くの場合、周りの人たちの言いなりになってしまうことに原因があるように思われます。
たとえば、やしい性格の人は、人からの頼みごとを断れません。内心は「断りたい」と思っていても、「いいですよ」と笑顔で引き受けてしまいがちです。
そのために、イヤなことばかり押し付けられてしまうことが多いのです。
自分の事よりも周りの人たちの事情を優先して考えて行動するために、周りの人たちに振り回されて苦労することもよくあります。また、そのようにして他人のために尽くしているわりには、周りの人たちから軽く扱われてしまうこともあります。
このような状況のためにストレスを溜めやすいのです。
その意味では、平常心を保ちながら安らかに生きていくためには、いい意味で自分を大切にすることも必要ではないかと思います。
イヤなことを「イヤです」と言ったり、周囲の人たちがどのような状況であろうとも、まずは自分がすべきことを優先して考える、といったことです。
そうすればストレスを溜めることがないのでキレることもなく、平常心を保っていけると思います。
どんな相手であれ、言いたいことは言う方がいい
◆礼儀正しく、言いたいことを言う
「言いたいことが、言えない」と言う状況では、欲求不満が溜まります。
そのためにイライラが募り、心の平静も乱れていきます。
親しい友人であれば「言いたいことが、言えない」と言う状況が生まれることはあまりないでしょう。
言いたいことを素直に言い合える相手だからこそ、いい友人でいられます。
しかし、相手が仕事の取引先であったり、おそれ多いほどの偉い人であったりすると、どうしても「言いたいことが、言えない」という状況生まれてしまいます。
「もしこんなことを言ってしまったら、相手を不愉快な思いにさせてしまうのではないか」「失礼なことを言って、相手を怒らせてしまったら大変だ」という気持ちが働いて、「言いたいこと」にブレーキをかけてしまうのです。
しかし、言いたいことを言えずに欲求不満を溜めてしまうよりも、言いたいことを言ってしまう方がいい場合もあると思います。そのコツは「話し方」でしょう。
上手な話し方をすれば、言いたいことをはっきり言ったとしても、相手を不愉快にさせることはありません。
また、相手を怒らせることはありません。
・相手の話をよく聞いてから、自分の意見を言う。
・押し付け的な話し方ではなく、「私はこう思うのですが、どうでしょうか」と提案型の話し方をする。
・熱心に、しかしながら礼儀正しい話し方をする。
・自分の都合や利益ばかりを主張しない。相手の立場を気づかいながら、言いたいことを言う。
このようなことが、相手を怒らせないで言いたいことを言う話し方のコツになると思います。
「好意が、ありがた迷惑になることもある」と心得ておく
◆「親切にしないほうが親切」という場合もある
相手にとって良かれと思ったことが、相手から迷惑がられてしまうこともあります。そうなると本人にとってはひどくショックな出来事で、心がかき乱されてしまいます。
ある若い男性が恋人の誕生日にネックレスをプレゼントしました。
彼とすれば、「このネックレスならば、きっと彼女に喜んでもらえるにちがいない」と信じて選んだネックレスだったのです。
しかし、プレゼントを受け取った彼女から、ひどく迷惑そうな表情で、「これは私の趣味じゃない。こんなものもらっても、私には身に着けられない」と言われたと言います。
この出来事は、彼に強いショックを与えました。
それ以降も彼は彼女とつき合っていますが、ただし彼は「気持ちが揺れてしまって、彼女と今後上手くやっていけるか自信がなくなってしまう時がある」と言うのです。
人間関係では、このように好意でしたことが相手にとって「ありがた迷惑」になってしまうケースがよくあります。
彼のように、ここでショックを受けてしまう人は、おそらく純粋に「好意ですることは必ず相手に喜ばれる」と信じている人なのでしょう。
そのように信じることは、ある意味、素直な精神の持ち主である証しであるでしょう。
しかし、「現実には「好意でしたことが、相手に迷惑になることもある」ということを人生の予備知識として持っておく方がいいと思います。
そうすれば、もし相手に迷惑そうな態度を取られた時も、それほど動揺せずに済むのではないでしょうか。
また、自分で勝手に判断するのではなく、事前に相手の好みを聞いてからプレゼントを選んだ方がいいという知恵も浮かぶのです。
ライバル意識には、いいものと悪いものがある
◆ライバルを励みにする。嫉妬はしない
偉人と呼ばれるような歴史上の人物には、良きライバルがいたケースが多いようです。
たとえば、明治の文豪(ぶんごう)である森?外(もりおうがい)には、夏目漱石(なつめそうせき)というライバルがいました。
二人はお互いを意識しながら、小説を書く励みにしていたと言われています。
戦国時代の武将である徳川家康には、織田信長や豊臣秀吉というライバルがいました。徳川家康は、織田信長や豊臣秀吉の活躍する様子を見ながら、「私も負けずにがんばらなくては」と発奮材料にしていたとも言われています。
その意味で、良きライバルを持つことは、夢を実現するための努力を維持していくための有益であると言えるでしょう。
しかし、一方で、ライバルへの嫉妬心から心を乱し、自ら滅亡の道をたどってしまう人もいます。
ライバルへの嫉妬心や闘争心から、「相手を滅ぼしてまで、自分が上に立ちたい」と言う気持ちが生まれ、平常心を失ってしまうのです。
そのために、普通であればしないような危険な行動へ走ってしまうことが多くなるのです。
たとえば、自分よりも数倍実力がある相手に無謀な挑戦をして、かえって自分のほうが負かされてしまうこともあります。
つまり、ひと口にライバルとは言っても、いい意味でのライバル意識もあれば、悪意味でのライバル意識もあるということです。
ライバルへの嫉妬心や闘争心があまり強くなりすぎた場合には注意しましょう。
その時は敢えてライバルから意識を遠ざけ、あえて張り合おうと思うのを止めるほうが得策でしょう。
後味の悪い勝利というものがある
◆正しく生きてこそ、爽快感がある
望んでいた通りの結果にもかかわらず、いつまでも心が乱れる、という場合があります。
人をだましたり。ズルいことをして望みをかなえた場合です。
たとえば、好きな男性を自分だけの恋人にしたいと思う時、恋愛のライバルの印象を悪くするために、彼にライバルの悪口を言いふらします。
また、ライバルたちには、「彼は、「あなたのことになんて興味がないって言っていた」といったようなウソを言って、諦めさせたりもします。
もしそれで恋愛のライバル争いに打ち勝って、その相手を自分の恋人にできたとしても、後味は悪いものになるでしょう。
好きな相手と結ばれたことを心から喜ぶことが出来ず、「け落としたライバルたちに、この後復讐されることになるのではないか」といった不安感に心をかき乱されることになるでしょう。
そして、安らかな気持ちで好きな相手と向かい合うことができなくなります。
そのために、せっかく恋人同士となれた彼氏から違和感を覚えられ、結局はすぐに別れることになるかもしれません。
ですから、もし夢が叶えたいと思うなら、真っ当で正しい方法でするのがいいと思います。
誰からも後ろ指をさされたり、お天道さまに顔向けできないような方法でなく、正直で清い方法で夢をかなえるのがいいのです。
それが夢をかなえた後、平常心で生きていくコツになると思います。
夢は叶えらればそれでいい、というものではありません。
どういう方法で夢を叶えるかということも、人の人生の幸福感には重要な意味を持ってくると思います。
正しい方法で夢を叶えてこそ、安らかな幸福感があるのです。
他人の様子に、自分の心の姿が現れている
◆人のふり見て、我がふり直せ
心乱れることがあってイライラしたり、怒ったりしている時、人は自分がそのような心の状況にあるとはっきり意識しているわけではありません。
「自分は今、イラだっているな」「今、怒りに心が捕らわれてカリカリしている」といったことを自覚できれば、そんな自分の状況を反省して心を落ち着かせるような工夫もできるでしょう。
しかし、意識できないために、周りにいる人たちについ当たり散らかしたり、大声を出したりしてしまうのです。
自分の心の状態を知るために、いい方法があります。
「他人を自分に映し出す鏡」と、よく言われます。
「自分の心の状態が、相手の態度に映し出されるように現れる」という意味です。
たとえば、自分がイライラしていると、周りにいる人もイライラした態度で自分に接してくる場合があります。
自分が怒っている時に、相手も怒った口調で自分に話しかけてくることもあります。
ですから、相手の態度をよく観察しておくことが、今自分がどのような心の状態にあるか知る手掛かりになります。
周りにいる人がイライラした態度でいる時は、「もしかしたら自分自身がイライラしているから、周りの人たちまでイライラしてくるのかもしれない」と反省してみるのがいいと思います。
相手が怒っている様子でいる時は、「私が怒っているから、私の怒りの感情が伝染して、相手もカリカリしているのかもしれない」と考えてみるのがいいと思います。
そして、まずは自分自身の気持ちを落ち着けて、穏やかな態度で周りの人に接するように意識して心がけるのがいいでしょう。
そうすれば相手も、周りの人たちの態度も自然に穏やかなものなっていくのではないでしょうか。
穏やかな雰囲気の中では、平常心を保てます。
第七章
成り行きに任せるほうが、いい結果が出る。人生を思い通りにしようと思わないほうが、平常心を保てる
◆「思い通りにならないのが人生」と知っておく
人生は「思い通りならないこと」ばかりです。
仕事で大活躍したいと思っても、簡単にそうはいきません。
好きな人と結ばれたいと願っていても、そのチャンスをなかなかつかむことはできません。
もっとお金を欲しいと考えても、お金の成る木などどこにもありません。楽をしてお金を得る手段などないのです。
職場の上司から気にいられたいと思っても、反対に叱られてばかりいる毎日だという人もいるでしょう。
このような「思い通りにならない現実」に直面した時、人はイライラします。平常心を保って、身近な人につい「お前が悪いから、いつまでもオレは幸せもつかめないんだ」などと八つ当たりしてしまいます。
このようにイライラした毎日を送り、誰かに八つ当たりばかりしている人生を送るのは、その本人とって不幸なことだと思います。
では、どうすればいいのでしょうか。
心穏やかに生きている人は、そもそも「自分の人生を何が何でも思い通りにしたい」という強い欲望を持ちません。
「思い通りにしたい」と言う気持ちが強すぎるから、「思い通りにならない現実」に直面した時に感情を乱してしまうのです。
ならば初めから「人生とは思い通りにならないものだ」という認識に立って出発する方がいいと思います。
欲張りな気持ちを捨て、現状に満足する気持ちを持つことです。
「今の人生の中でも、探してみれば生きがいや幸福の種になるものがたくさん見つかる」ということに気づけば、「思い通りにならない現実」の中でも、心穏やかに暮らしていけるのではないでしょうか。
「批判されてもいい」という気持ちで、自分の気持ちを正直に語る
◆人は批判されながら成長していく
最近の若い人に意見を求めると、「私も○○さんと同じ意見です」という答え方をする人が多い、という話を聞いたことがあります。
そんな答え方をする心理的背景にあるのは、「批判されたくない」という思いのようです。
自分は自分で独自の意見があって、それを言ってしまうと周りの人たちから「くだらない」「わかっていない」はずれている」といった批判を受けるかもしれません。
それが怖いので、誰かの意見を引き合いに出して「○○さんと同じ意見」と述べてしまうのです。
そうすれば自分が直接批判の的にされることはないでしょう。
そのような最近の若い人には、自分の意見を批判されて精神的ショックを受けたり、心を傷つけられることに強い恐怖心を持っている人が多いようです。
ですから、職場の会議では、「私も課長の意見と同じです」といった言い方をします。
友人同士の付き合いでは、「みんながそれでいいなら、私もそれがいいと思う」といった言い方をします。
そのようにして「自分の意見」を出さないのです。
しかし、そのようにして自分の意見を言うことにビクビクしているような生き方は、本人にとってけっして幸福なものではないと思います。
時には自分の意に沿わないことを無理強いされることになるでしょう。また、存在感を示すこともできませんし、自分自身の人間的成長もないのではないでしょうか。
そういう場合は、「批判されたくない」的な思考を、「批判されてもいい」的な思考に変えるのがいいと思います。
「批判を受けたとしても、命を取られるわけではない」と開き直ってしまえば、心を乱すことなく勇気をもって自分の意見を言えるようにもなるのではないでしょうか。
今やるべきことに集中していれば、いい結果はおのずとやって来る
◆たんたんと努力して、夢を叶えるのがいい
仏教に次のようなエピソードがあります。
夏の暑い日には、お百姓さんが畑仕事に精を出していました。
それでなくても暑いのに、土をたがやす重労働なのですが、汗が噴き出してきてしょうがありません。空を見上げると、夏の太陽がカンカに照りつけています。
ふと、お百姓さんは、向こうに白い雲が浮かんでいるのが目に入りました。
風向きで、こちらに向かって流れている様子です。
「あの雲が自分の頭の上に来てくれたら、太陽の光をさえぎってくれて涼しくなるだろう」と考えました。
そして、「雲よ、早くこっちへ来い」と、祈るような気持で雲を眺めていました。
しかし、雲はなかなか近づいて来ません。
お百姓さんは、イライラしてきました。しかし、結局はあきらめて、畑を耕す仕事に戻りました。
我を忘れて仕事に没頭していると、いつの間にかに先ほどの雲が頭の上にやってきているのに気づきました。
このエピソードは、あらゆる人が自分の人生を考える上で参考になると思います。
人は人生に「こうなってほしい」という夢を抱きます。
しかし、「夢が早く叶ってほしい」といくら念じても、夢が実現する時はなかなかやって来ません。気持ちもイライラしてきます。
この仏教のエピソードは、「夢を持つのもいいが、その夢を早く実現したと気持ちを急かすことはしないほうがいい。
心が乱れるだけだ。むしろ、今やるべきことに平常心で一生懸命従事するがいい。そうすれば。気づいた時には夢が叶っているものだ」ということを語っているのです。
平常心でたんたんと努力していくことが、夢を叶える最もいい方法だということなのでしょう。
「〜たくない」思考から「〜たっていい」思考で生きていく
人の心を乱す心理的な要因の一つに「〜たくない」思考があります。
たとえば、「人に嫌われたくない」という思いです。
この思いから、ある人は「言いたいことを言わずに、がまんする」ようにします。
「自分の気持ちを殺して、相手に合わせる」という人もいるでしょう。
「行きたくない場所へも、付き合いでついて行く」という人もいるでしょう。
「一人になりたい時でも、いつもみんなと一緒にいる」という人もいると思います。
しかし、このような人に嫌われたくないためにする行為は、その本人に強いストレスをもたらします。
人に気づかうあまり、そのストレスから心が疲れ切って、さらにいっそう心が乱れていきます。
ストレスから、追い詰められたような気持になっていくのです。
時々、ヤケを起こして周りの人に八つ当たりしたりします。
この「〜たくない」思考は、その人の素直で正直な気持ちを、がんじがらめに縛りつけてしまうのです。
ですから、この「〜たくない」思考にはまった人は心が苦しくなり、またストレスから心が乱れます。
この「〜たくない」思考を、「〜たっていい」思考に切り替えてしまうという方法があると思います。
「嫌われたっていい」と、開き直ってしまうのです。
そうすることで、がんじがらめになっていた心が束縛から解放され、楽な気持ちで人とつき合っていけると思います。
楽な気持ちで人とつきあうほうが、結局は、人間関係は上手くいくのではないでしょうか。
「自力」で生きるよりも、「他力」で生きるほうが、心が安らぐ
◆他人に上手に頼っていく
「他力本願」という言葉があります。
一般的には、あまりいい意味では理解されていないようです。
「自分の希望を叶えるために、自分では何も努力しないで、他人に頼ってばかりいる」といつたイメージを、この言葉に持っている人も多いようです。
しかし、この言葉の本来の意味は、そういうものではありません。
「他力本願」とは、本来は仏教の言葉です。
「『仏は自分たちを救ってくださる』ということを心から信じていく」ということを表す言葉です。
そのように信じることで、深い意味での心の平安が得られると考えているのが、この「他力本願」の意味なのです。
日本の仏教宗派は浄土宗や浄土真宗が、この「他力本願」の考え方を大切にしています。
他人を頼ることなく、自分の力だけを頼りにして、自分の念願を叶えようとする人もいるでしょう。しかし、人生や世の中というものは、なかなか自分が念願する通りにはなってくれません。
そんな時に、自分の力だけを頼りに生きている人は、往々にして、「こんなに努力しているのに、どうして念願が叶えられないのだ」という怒りや悲しみの感情にとらわれて、心の平安を乱してしまうことになるのです。
ですから、「いっそうのこと念願する通りにならない人生や世の中を受け入れて、『信じてさえいればそのうちに仏様が救ってくださるだろう』と、大らかな気持ちになって、成り行きに任せていく方が、何があっても平常心でいられるでしょう」というように考えるのが、この「他力本願」という言葉が表す意味だと思います。
挫折や失敗を経験して落ち込んでいる時には、この「他力本願」という言葉の意味に従うのもいいでしょう。
「まあまあ上手くいった」ことに満足しながら生きていく
◆完璧を目指さない
完璧主義的な性格の強い人は、とかく平常心を失いやすい傾向があります。
たとえば、百点満点のテストで九十点だったとしましょう。
一般的にみれば、優秀なレベルなのですが、完璧主義の人はちょっとしたミスで百点を取れなかっただけでも心を乱し、「私はダメだ。私ほど愚かな人間はいない」と深く落ち込んでしまいます。
仕事にしても、人間関係にしても、万事この調子です。
百点満点の結果を出さなければ満足できず、ちょっとした問題が生じただけでも、「私みたいなダメ人間は、この先もうやっていけない」と絶望的な気持ちになってしまいがちなのです。
しかし、テストにしても、仕事にしても、人間関係にして「完璧に上手くいく」ということはほとんどないのではないでしょうか。
どこかしら、「もっとこうしたほうが、仕事は上手くいったのではないか」といった後悔や、「良かれと思ってしたことだけど、かえって相手に迷惑をかけてしまったのではないか」といった反省点が生じてしまうものです。
しかし、考え方によっては、そのような後悔や反省があるからこそ、「次にはこのような点を注意して、もっといい仕事をしよう」「今度は、こういうことをすれば相手に喜んでもらえるかもしれない」という前向きな意欲が生まれるのではないでしょうか。
ですから、多少「上手くいかないこと」があったとしても、あまり気にしないほうがいいと思います。
そして、そのためには完璧主義を捨てることです。
たとえ百点満点ではなくても、「まあまあ上手くいった」ということであればそれに満足し、「上手くいかなかっこと」は次の励みになると考えるようにすればいいと思います。
そうすれば安定した精神状態で前進していけるでしょう。
日常の業務を淡々とこなしていくことで、心が静まっていく
◆淡々とやるべきことをこなす
「平常心」は、一般的に使われる言葉です。
「平常心で事に当たる」とか、「こういう時こそ、平常心でいよう」などとよく言います。
この場合、「平常心」という言葉には「ふだんと変わらない心」「乱れのない心理状態」といった意味があるのでしょう。
ところで、この「平常心」という言葉の語源は、禅にあります。
禅の修行をしていた僧侶が、禅の師匠に、
「禅の修行の本質とは、どのようなものですか」
と問いかけました。
師匠は、「平常心を保つことこそ、禅の修行の本質です」と答えました。
禅の世界では、朝起きてから夜寝るまで、人が生活していくための業務を淡々とこなしていくことで、平常心が保たれると考えます。
それは「家を掃除すること」であり「食事をすること」です。また「庭の手入れをすること」であり「お風呂に入ること」です。
また「座禅をすること」であり「食物を育てるために畑を耕すこと」です。
そのような日常業務を心からこめながら、淡々とこなしていくことで平常心が保たれると考えるのです。つまり、乱れのない、平静さに満ちた精神状態を得られるということです。
この禅の考え方は、一般の人にも非常に参考になると思います。
たとえば、愛する人と死別したり、気持ちのすれ違いから別離するような運命に見舞われた時、その人の心は烈しく動揺します。絶望的な気持ちになる人もいます。
このような時に、普段やっていた「掃除」「料理」「食事」「仕事」「入浴」といった日常の業務を無心になって、淡々とこなしていくように努力してみます。
そうすることで、少しずつ心の乱れが収まって、絶望から抜け出し前向きに考えていけるようなきっかけをつかめるのです。
お金は他人の幸福のために使ったほうが、気持ちが楽でいられる
◆お金は「いいこと」に使う
お金も人の心に影響を与えます。
ただし不思議なことに、あまりお金がない人でも心安らかに暮らしている人もいます。
一方で、お金持ちにもかかわらず、平常心を失って毎日キリキリした気持ちで暮らしている人もいます。
お金をたくさん持っているとか、あまり持っていない、ということが関係あるのではないようです。
お金に対する心構えが問題なのではないでしょうか。
仏教に次のような話があります。
昔、とても金持ちの商人がいました。
その商人は、「たくさんのお金を手元に置いておくと、ドロボウに盗まれてしまうのではないか」と心配になりました。
そこで頑丈な蔵を立てて、そこにお金を保管しておこうと考えました。
しかし今度は、「もし蔵が火事で焼けてしまったら、お金も一緒に灰になってしまう」と心配になってきました。
そこでお金を土の中に埋めてしまうことにしました。しかし今度は「もしネズミにかじられてしまつたら、どうしょう」と心配になってきました。
結局その商人は毎日毎日お金の保管場所のことで心配し。心休まる時がなくなって病気になってしまいました。
その時、あるお坊さんが来て、「お金を失いたくないという気持ちが強すぎるから、心が乱れるのです。
いっそのこと世の中のため、恵まれない人のために使ってしまいなさい」と提案しました。
その商人は言われた通りにすると、「自分はいいことをした」という悦びから、心に安らぎをもたらされました。
お金に対して利己的な心構えでいると、この話の商人のように心休まる時がなくなってしまうかもしれません。
自分の得たお金を世のため人のために役立てようと考えることで、心が休まるのかもしれません。
十分に時間をかけて決断し行動するほうがいい時もある
◆「迅速な決断行動が裏目にでることもある」と知っておく
「仕事が出来る人ほど決断も行動も早い」と、よく言われます。
確かに一理あるのでしょう。とくに現代のビジネスは変化のスピードが速いですから、グズグスしていたらアッという間に時代の流れに取り残されてしまう危険性があります。
その意味では、即断し、素早く行動する必要があるでしょう。
しかし、人の心には時に迷いや、ためらいが生じることがあるのも事実です。
たとえば「イヤな予感がする」といった時です。
「早く決断して手を打たなければならないのは分かっているが、このまま突き進んでいくととんでもないことになりそうな気がしてしょうがない」といった時です。
このような時には、決断や行動を少し先延ばしすることも一つの方法だと思います。
というのも「イヤな予感」を引きずりながら決断したとしても、集中力を持って先へ突き進んでいくことは往々にしてできません。
決断した後も、やはり、
「自分の決断は正しかったのだろうか」
「今ならまだ後戻り出来るのではないか」
といった迷いやためらいから出てくる心の乱れを、いつまでも引きずっていくことになりがちなのです。
そのような精神状態で行動しても、上手くいくものも上手くはいかないでしょう。
ですから、「イヤな予感がする」と言う時には、しばらく時間を置いて、イヤな予感が晴れるまで待つという方法もあると思います。
人の「イヤな予感がする」というものは、意外によく当たります。
ですから、そのような場合には、ある程度じっくり時間をかけていくほうが平常心を失う時代に直面しないで済むと思います。
「時には、逃げ出してしまうのも悪くない」と考える
◆逃げ出したくなった時は、逃げ出すのがいい
人には時々、「今日はどうしても気分が乗らない。この場所から逃げ出したい」という時があるものです。
たとえば、職場で仕事をしている時です。
これといった病気でないのですが、「どうしても体が重く、思考力も働かず、仕事に集中できない」と感じられる時が、誰にもあるのではないでしょうか。
「同僚たちの話し声や、電話の音、上司の存在など、すべてのものがわずらわしく思えて来てしょうがない。
この場から逃げ出したい」といった感情に強く揺さぶられる気持ちにもさせられます。
「しかし、仕事で会社に来ている以上、就業時間内に職場から離れるわけにはいかない」と、がまんします。
しかし、がまんすればがまんするほど、イライラした気分が高まっていくのです。
このような状況の時は、ちょっと職場から離れてみるほうがいいかもしれません。
もちろん、会議をすっぽかしたり、仕事に大きな支障が出る場合は無理でしょうが、もし問題なければ「就業時間内だから…」とあまり堅苦しいことは考えずに、ちょっと職場を離れてもいいのではないでしょうか。
外へ出て五分ぐらい、近所を散歩してくる、というのも良いのです。
時間が余裕ある時は、コーヒーを一杯飲んできてもいいでしょう。
時間がない時には、トイレに行ってしばし一人になる時間を作る、といった程度でもいいでしょう。
屋上で深呼吸してくる、というぐらいでもいいと思います。
「ここにいたくない」という場からちょっとの時間は離れるだけでも、気持ちがスッキリし、職場に戻って来たときには平常心で仕事が続けられるようになるものです。
しょっちゅう職場から逃げ出してばかりいるのは困りますが、時にこのようなプチ逃避を試みてみることは心の平静を保っていくために役立つと思います。
異なったアドバイスに混乱した時は、自分のカンを信じてみる
◆人の意見は参考程度に、最後は自分の信じる道を行く
何か人に相談事をした場合、人から様々な意見を与えられます。
時には、「ある人からはこうアドバイスされたが、またある人からはまったく異なったことを言われた」ということもあると思います。
そんな時、当事者としては、「いったい誰の言葉を信じればいいのか」と大いに心を迷わされることになります。
もし迷いに迷って答えを見つけられないという時には、自分を信じて行動するしかないのではないでしょうか。
ある男性には夢がありました。そりは今勤めている会社を定年前に退職して、居酒屋を始めることでした。
そんな夢を実行に移すに当たって、彼はたくさんの人に相談したと言います。
ちなみに彼は大手機械メーカーのエンジニアで、居酒屋経営とはまったく縁のない世界に生きてきた人でした。
ある人からは、そのことを指摘され、「あなたみたいな素人が居酒屋を始めたって上手くいくはずがない」と反対されました。
しかし、ある人は、「あなたは酒のことに詳しいから、きっと上手くいく」と言ってくれました。
またある人は「自分で商売を始めるなら、なるべく若いうちに始めるほうがいい」と言い、また、ある人は「今は景気が悪いから、景気が回復するのを待って始めたらどうか」という意見でした。
人それぞれいうことが違いますが、それぞれの意見には説得力があり、いったい誰の意見に従えばいいのか彼は分からなくなってしまいました。
たくさんの人にアドバイスを求めると、よくこんなケースになりがちです。
ひとに意見を聞いたために、かえって迷いが生じてしまうのです。
このような場合には、最後には、もう一度自分自身に問い掛けてみて、自分自身が信じる道を突き進むしかないと思います。自分を信じることで、心が動じることなく生きていけると思います。
第八章
こころを癒す方法を持っておくから持続力がつく
◆適度に休息して、体調を整える
忙しい仕事に追われたり、人間関係で悩んだりしてストレス過剰になってくると、平常心が失われて心が乱れやすくなります。
仕事でちょっと思い通りにいかないことがあっただけでも、やる気を失って投げやりなきもちになってしまいます。
また、誰かに言われたらちょっとしたひと言に過敏に反応し、「もうあんな人とつき合っていけない」といった気持ちにさせられることもあるでしょう。
つまり、落ち込み、怒り、悲しみといった感情に振り回されやすくなるのです。
その意味では、ストレス過剰の状態にならないように日頃から注意しておくほうがいいと思います。
仕事や人間関係でストレスを受けることが多い毎日を送っている人であっても、そのストレスを上手に対処していけば、ストレス過剰にならずに済みます。
たとえば、次のような方法が溜まったストレスを上手に解消することに役立つと思います。
・リラックスタイムを作る。
・心から楽しめる趣味を持つ。
・時々、環境を変える。
・体を動かす習慣を持つ。
瞑想によって心身をリラックスさせたり、また趣味に没頭することで心にたまったストレスを解消することが出来ると思います。
また、行った事のない街をブラブラ散歩して環境を変えたり、軽い運動で汗を流すことも心をリフレッシュさせてくれます。
ストレスを上手に解消されれば、心が安定します。何事にも動じず、どんな事にも淡々と対処できるようになるでしょう。
忙しい人ほど、一人になれる時間を大切にするほうがいい
◆時々、一人きりになる
日々、たくさんの人と会い、たくさんの人と話をし、たくさんの人の間を忙しく駆け回っているような人ほど、「一人になる時間」を大切にするほうがいいと思います。
静かに自分と向きあう時間が、健全な平常心をとり戻すことに役立つからです。
人と会って話をすることは楽しいことです。
多くの刺激を受けますし、勉強にもなります。
また、仕事など大きな事を成し遂げようと思えば、多くの協力者とコミュニケーションを取っていく必要も生まれてくるでしょう。
そんな時、たくさんの人と一体となって力を合わせることは、自分自身の生きる喜びにもなります。
しかし、日美たくさんの人と会っていると、だんだん心が疲れてきます。
人と会って話をすることは、案外多くのエネルギーを消費するものなのです。
こころが疲れてくると、ちょっとした怒りや落ち込みといった感情に振り回されやすくなります。
また、精神が乱れて、集中力や気力といったものも弱まります。
そんな心の疲れを癒し、乱れを整えてくれるのが「一人の時間」だと言えます。
夜寝る前に一人になる時間を作って、瞑想(めいそう)したり、音楽を聴くのもいいでしょう。
日記を書いて、自分の生活を見つめ直すのもいいと思います。
お昼の休憩時間に、一人で公園をブラブラ散歩してみるのもいいと思います。
空いた時間を利用して、カフェで一人になる時間を作るのもいいのではないでしょうか。
いつも多くの人と接している人は、忙しいスケジュールの合間を使って、このように一人になる時間を持つことが大切です。
疲れた心が癒されることで、安らかな気持ちを持続できます。
ゆとりある時間の使い方をするためのコツとは?
◆時間の使い方を工夫して、心にゆとりを作る
いつも「もう時間がないっていうのに、まだやるべきことが山のように残っている」と叫び声をあげながら暮らしている人がいます。
時間に追われて、一日中バタバタと駆け回っているのです。
このような状況は、もちろん精神的にもよくありません。
気持ちの落ち着きがなくなって、ふだん平常心である時には絶対しないような、そそっかしい失敗をしたりします。
そして、その失敗を処理するためにまた時間を奪われて、ますます忙しく走り回らないといけない状況に追い込まれていく、という悪循環におちいってしまうことになるのではないでしょうか。
さらにストレスが溜まって、体の調子も悪くなってくるでしょう。
体の調子が悪くなると、物事を進めるスピードがダウンしたり、すぐやらなければならないことを後回しにしがちになります。
そのために、やるべきことが詰まってしまって、ますます気持ちがイラ立っていくという悪循環にはまります。
決められた時間の中で、ゆとりある平常心で物事を進めていくためには、ちょっとしたコツが必要になって来ると思います。
・物事を計画的に進める。思い付きで物事を進めない。
・やることを抱え込まない。出来ること、出来ないことを区別する。
・他人の手伝いよりも、まずは自分がすべきことに集中する。
・今やるべきことを後回しにしない。
このようなことを心がけていけば時間の使い方が上手になり、ゆとりある心で慌てることなく生活していけるようになると思います。
時間の使い方が上手い人は、平常心を保っていくのも上手い、と言えるのではないでしょうか。
ちゃんとした仕事と収入があってこそ、いつも平常心でいられる
◆慎(つつ)ましく生活できるだけの収入を得る
古代中国の思想家、孟子(もうし)の言葉に、
「恒産(こうさん)なくして恒心(こうしん)なし」というものがあります。
「安定した収入を得られる仕事なしに、揺らぐことのない安定した心の状態は得られない」という意味です。
確かにお金は、人が健全に暮らしていくために絶対必要なものです。
お金がなければ食べることも、住む場所も得られません。
「収入が不安定で、明日には食べるものを買うお金が無くなってしまうかもしれない。
今暮らしている家から追い出されてしまうかもしれない」といった状況では、心安らかではいられないでしょう。
ですから、「安定した収入を得られる仕事」を持つことは、とても大切なこと思います。
この孟子の言葉は必ずしも「どんどんお金儲けをしなさい」という意味ではないと思います。
また、「できるだけ大きな有名企業に就職しなさい」という教えでもないと思います。
むしろ、孟子の言葉は「わずかな収入であっても、その中で慎(つつ)ましい生活を平和に送っていけるのであれば、それに満足するのがいい。そして、その収入源になる仕事を大切にしていくこと」という意味を表しているのではないでしょうか。
また、「今いる会社がたとえ小さな会社であろうとも、与えられている仕事がどんなものであろうとも、そこで得られる収入で平和に暮らしていけるなら、与えられた仕事に感謝して、まじめにコツコツ働いていくのがいい」という意味を述べているのではないかと思います。
コツコツと誠実に仕事に取り組んでいけば、平和に暮らしていけるだけの収入は得られると思います。そして精神的にも安定し、自分の夢や希望に向かって動じることなく進んで行くことが出来ると思います。
声を出しているうちに、心の乱れが整っていく
◆声を出して、精神を統一する
ある男性は、「最近、気持ちが落ち着かない。平常心を失っている」と感じるようになった時に、仏教の経典である『般若心経』(はんにゃしんぎょう)を声に出して読むそうです。
彼は特別信仰心が強いわけではありませんし、また「般若心経」に書かれている内容をちゃんと理解しているわけではありません。
しかし、大きな声を出して『般若心経』を唱(とな)えていると不思議に心が安らぎ、平常心が戻ってくると言うのです。
これは「声を出す」ことの効果ではないかと思います。
「声を出すことには、呼吸が深くなるので気持ちが落ち着ける効果があるようです。
その意味では、「お経を読む」のではなくてもいいと思います。
「本を朗読する」のでもいいでしょう。
「歌を歌う」のもいいと思います。
気持ちが乱れた時、そのような形で「声を出す」ことによって、気持ちを落ち着ける効果が期待できるのではないでしょうか。
スポーツ選手を見ていても、本番前に「声を出す」ことをしている人をよく見かけます。
たとえば、サッカーの国際試合で、大きな声で国歌を歌っている人もいます。
相撲やボクシングなどの格闘技の選手などで、土俵やリングに登って「あーっ」とか「よし」と大きな声で叫ぶ人もいます。
やはり「声を出す」ことによって心の乱れを整え、集中力を高めるようにしているのでしょう。
何かしら自分なりに、心の落ち着きを取り戻したい時の「声を出す」方法を作っておくのもいいかもしれません。
ケチケチ生きるよりも、大らかに生きるほうがいい
◆損をした時は「いい勉強になった」と考える
「損をしたくない」という感情は、誰にもあると思います。
また、この思いが「お金を大切にする」という心構えにもつながっていくのでしょう。
ただし、「損をしたくない」という思いを強く持ちすぎて、あまりにケチケチした生き方になってしまうと、それは心の平安を乱す原因にもなりがちです。
たとえば、レストランで食事をしたとしましょう。
そこでの食事は、代金は高かったわりに、それほど美味しくなかったとすると、
「ああ損した。お金を無駄に使った」と、たちまち心をかき乱されことになります。
映画館に入ったとしましょう。
その映画が、期待していたわりに面白くなかったりすると、
「せっかくお金を払って映画を観たのに、ガッカリだ。来るんじゃなかった」と、気持ちを荒立てしまいます。
お金を払って何かする度に、こういう有様なのですから、心が安らぐ時はありません。
お金を損をしないようにお金を大切に思う心は大切だと思います。
一方で「時に金を損することがあってもしょうがない。いい勉強をさせてもらったと考えればいい」と、大らかな気持ちでいるほうがいいのではないでしょうか。
お金は生活の必需品です。
人は毎日お金を使いながら暮らしています。
ですから、あまりケチケチした考えでいると、毎日心が切れてしまうでしょう。
お金に関してはあまりケチケチせずに、ある程度大らかでいるほうが、日々の安らかに暮らしていけると思います。
「人を頼りたくない」思考を捨て、「人を頼ってもいい」と考えるのがいい
◆人を頼ることに罪悪感を持たない
責任感の強い人は、なかなか人を頼ることができません。
どのような問題でも、「他人に迷惑はかけられない。自分一人で解決していくのだ」とがんばります。
そのように強い責任感を持つことは素晴らしいことだと思います。
しかし、そのような責任感が強すぎると、自分自身を苦しめ、また心を乱す原因になってしまうこともあります。
というのも、人生では、しばしば「一人の力ではどうすることもできない」という事態に見舞われます。
たとえば、病気です。軽い病気ならまだいいのですが、静養が必要になってくるような病状では、色々な意味で周りの人たちに頼りにしなければならなくなります。
職場での仕事は、誰か同僚に代わってやってもらわなければならなくなります。
日常的なことも、今まで自分でやっていたことが出来なくなることも多いと思います。やはりその時は誰かに頼らざるを得なくなるでしょう。
しかし、責任感が強すぎる人は往々にして、「他人に迷惑はかけられない」という思いから、体調が悪いのに無理して仕事をしようとします。
これまで自分がやっていたようにしようとします。
その結果、病状を悪化させてしまうことにもなるでしょう。
また、精神的にも、いつも以上の重圧を感じることになるでしょう。
「一人の力ではどうすることもできない」という事態に見舞われた時は、人に頼ってもいいと考えるほうがいいと思います。
それは悪いことではありません。責任を放棄することではありません。
世の中は、助け合いなのです。誰か困っている人がいた時は自分が助け、自分が困っている時は素直に他人の助けを受け入れられるようにするのがいいと思います。
時には人を頼り、人に助けられることが出来る人は、安らかに生きていけます。
「がんばっても、何の見返りも得られないこともある」と知っておく
◆「人生、見捨てたものではない」と信じる
「頑張ったらがんばった分だけ、その見返りが欲しい」というのは、人の自然な感情だと思います。
仕事で頑張った時は、その分報酬をアップしてもらいたいと思うでしょう。
誰かにがんばって尽くした時には、「ありがとう。お陰様で」というお礼の言葉を言って欲しいという気持ちになるでしょう。
また、「報酬をあげること」や「人に感謝されること」が、努力のモチベーションを支えているとう現状もあると思います。
しかしながら、世の中には「がんばったからといって、期待通りの見返りが得られるとは限らない」という厳しい現実があることも、心のどこかで覚えておいたほうがいいと思います。
そうしないと、もしがんばった見返りが得られなかった時、そこでモチベーションがプッリと切れてしまうことになります。
しかし、大切なのは、そこから先も長い人生を前進しなければならないということです。
言い換えれば、たとえ期待していた通りの見返りが得られないということがあったとしても、その先前向きに生きていこうとするモチベーションだけは失ってはいけないということです。
努力は続けていかなければいけないのです。
そのためには、「人生では、すべての期待が叶えられるわけがない。見返りが得られないこともある」と知っておく方がいいと思います。
ただし、その時は頑張った見返りが得られなかったとしても、さらに頑張って生きていけば、きっとその先期待していた以上の見返りが得られることになるだろうと思います。
そう信じれば、平常心で努力を維持できるのではないでしょうか。
サラリーマンの「伝家の宝刀」を隠し持つ
◆辞表を隠し持っておく
「仕事を自由にやらせてくれない」
「わからずやの上司に、うんざりさせられる」
「長時間労働のわりに賃金が安い」
「がんばっているのに認めてもらえない」
ある男性は若い頃、こんな不満に心を揺さぶられることが何度かあったと言います。
しかしながら、どうにかやる気を失うことなく、定年退職まで勤め上げることが出来たと言います。
それは彼なりの秘訣がありました。
それは「背広のポケットの中に、いつも辞表を隠し持っておく」ということでした。
「自分は何時でも会社を辞められるんだ。どうしても我慢ならない事態になったら、すぐ隠し持っている辞表を上司に叩きつけてやる」と考えることで、不満を感じることであっても心を乱されることなく、あくまでも平常心で対処できたと言います。
辞表はサラリーマンにとっての、いわば「伝家の宝刀」です。
いよいよという時に一発逆転を可能にする、ものすごい威力を持った武器です。
ふだんは会社や上司からやり込められている立場であっても、そのような強力な武器を持っていることが、彼に安心感を与えてくれていたのでしょう。
仕事というものは、どのような仕事であっても苦労の多いものだと思います。
会社で働くということは、誰にとっても大変だと思います。
風にあおられ、波に揺さぶられるような思いをすることも多いと思います。
そのような環境で、平常心を失わずがんばっていく一つの方法として、彼のように「辞表を隠し持つ」ということもいいのかもしれません。
「イヤな仕事や上司から逃げる道は何一つない」という思いでいると、心が苦しくなるばかりです。しかし、「最後の手段で、どうしようもなくなったらすぐ逃げ出すことができるんだ」という思いでいれば、心が少しは楽になるのではないでしょうか。
「イジメられた経験があるから、人に優しくなれた」と考えるのがいい
◆辛い経験をプラスに考え直す
ある女性は中学校に通っていた頃、苛めにった経験があると言います。
現在、彼女は社会人となってIT系の会社で働いているのですが、イジメにあった経験が今でもトラウマとなって残っていると言います。
職場で上司からちょっと大きな声で怒鳴られたり、同僚からちょっとしたイヤミを言われただけでも、中学生だった頃の記憶がよみがえり、「またあの時のように、社会人になってもイジメにあうのではないか」という恐怖心がわいてくるそうです。
友人関係でも同じです。
ちょっとした意見の食い違いから、友人が不機嫌そうな顔をすると、とたんに「またイジメに会うのでは」という恐怖を感じてしまうのです。
そのために、彼女は人間関係に臆病(おくびょう)になっています。
このようなトラウマの症状が強い場合には、専門家に相談する方法もありますが、それとは別の意味で、ここではものの考え方について一つ提案しておきたいと思います。
それは「イジメられた経験」をマイナスにとらえるのではなく、プラスに考え直すように、できる範囲で努力してみる、ということです。
「イジメられた経験をしたことで、自分自身はイジメにあっている人にやさしい気持ちを持つことができた」
「自分自身が傷つけられる経験をしたことで、他人の気持ちを理解することができるようになった」
このような、人を思いやることのできる能力があることは、その人の大きな徳だと思います。
「自分は徳のある人間になれた」と考えることで、少しは気持ちが楽になり、臆病になることなく人とつき合えるようになるのではないでしょうか。
第九章
バランスよく生きることを心がける
◆深呼吸でリラックスモードに入る
人間の身体は自律神経が働いています。
自律神経とは「自律」という言葉通り、意識しなくも自律的に働いている神経のことです。
たとえば心臓が動いたり、食べたものを消化したりするのは、この自律神経の働きによるものです。
自律神経には、交感神経と副交感神経の二つの働きがあります。
交感神経は、心身に緊張感をもたらす役割を担っています。仕事をしたり、体を動かすときに活発に働きます。
副交感神経は、心身を休息させる役割を担っています。夜、眠っている時に活発に働きます。
日中、仕事が忙しくなりすぎたり、ストレスが高まると、この交感神経が過剰なほど活発になりすぎてしまいます。
そうなるとイライラしてきたり、不安感に襲われたり、気持ちが落ち着かなくなります。平常心を失い、理性的な判断や行動ができなくなります。
このような時には、意識的に副交感神経の働きを活発化させるような方法を取るのが効果的です。
副交感神経の働きが活発化すると気持ちが落ちつき、平常心で物事を対処出来るようになります。
・深呼吸を何度か繰り返す。
・静かな場所で音楽を聴く。
・きれいな花や、空を眺める。
このような簡単な方法で、副交感神経の働きが活発化します。
特別な器具も必要ありませんし、それほど時間もかかりません。日常生活の中で心の乱れを感じた時は試してもいいと思います。
ゆっくり動作することで、気持ちが落ち着いてくる
◆急いでいる時ほど、ゆっくり動く
平常心を失った状態になった時、人はある特徴が表れます。
動作が慌ただしくなる、ということです。
たとえば、歩くのが早くなりがちです。
喋り方も早口になりがちです。
食事の仕方も、つい早食いになっていきます。
呼吸も早くなります。
周りの人たちにも、セカセカした態度で接するようになります。
これは、ある意味、心を占めているイライラ、焦り、不安、心配、恐怖といった感情から早く抜け出したいという意識の表れなのかもしれません。
しかし、慌ただしい動作は、かえってイライラ、焦りといった感情を倍増させるだけで、逆効果になってしまいます。
平常心を失った状態にある時は、むしろ意識的に、いつもよりゆっくりした動作を心がけるほうがいいでしょう。
ゆっくり歩き、ゆっくり動き、ゆっくり食べる、ゆっくり話し、ゆっくり呼吸することを心がけるのです。
ゆっくりしたペースで動くことで、自然に気持ちもゆったりと安らいでくる効果があります。
禅の修行でも、「ゆっくり動く」ということが行われます。
たとえば、座禅をする際には、非常にゆっくりした呼吸の仕方をするように心がけます。また食事も、ゆっくり食べるように心がけます。
「ゆっくり動く」ことで、心の煩悩(ぼんのう)で乱されることなく、深い安らぎに満ちていく、と禅では考えられているのです。
その意味では、一般人も、平常心を失った時だけではなく、普段から「ゆっくりしたペース」を心がけていく方がいいかもしれません。
時間のゆとりが、心の安心をもたらしてくれる
◆隙間を開けてスケジュールを立てる
スケジュールを立てる時のコツは、予定をギュウギュウ詰めにしないことです。
多少の時間のゆとりをもってスケジュールを立てるほうがいいでしょう。
時間的なゆとりがある方が、もしアクシデントに見舞われた時、そこで慌てないで済みます。
たとえば、「締め切りのある仕事を、いついつまで仕上げる」というスケジュールを立てるとしましょう。
その際に、睡眠と食事と入浴する時間以外すべてその仕事にあてるといった、ギュウギュウ詰めのスケジュールを立ててしまったらどうなるでしょう。
仕事の途中で、どんな事態が待ち受けているかもわからないのです。
途中でミスに気づいて、仕事をやり直さなければならない事態になるかもしれません。
体調を崩して、一日休息を取らないとならないことになるかもしれません。
アポなしの来訪者のために、時間を割かなければならなくなるケースもあるでしょう。
とかく仕事というものは、スケジュール通りにいかないものなのです。
ギュウギュウ詰めのスケジュールを立てていると、事前に立てたスケジュールが狂うような事態になった時に、平常心を失ってパニックになってしまいます。
時間的なゆとりをもってスケジュールを立てておけば、何か急な事態に見舞われたとしても、ゆとりある心で物事を対処できるでしょう。
「時間のゆとり」=「心のゆとり」なのです。
仕事ばかりでなく、旅行やイベントのスケジュールを立てる時も同様です。
時間的なゆとりを持ってスケジュールを立てるほうが平時用心を保てます。
バランス感覚のいい人が上手くいく
◆暖急のちょうどいいバランスを心得る
自動車を運転する時、スピードを出しすぎるのは勿論危険なことです。
しかし、だからと言って、極力スピードを落としてノロノロ運転をすれば安全かと言えば、そういうわけではありません。
後ろを走ってきた車に衝突されてしまう危険が高まるでしょう。
その道路の制限速度を守り、また周囲を走る車の速度に合わせながら、スピードを出しすぎず、抑え過ぎず、適度のスピードで走っていくのが最も安全な運転法になると思います。
人生も、これと同じではないでしょうか。
「早く夢を叶えたい」「人よりも一歩先に走って成功したい」という気持ちから、突っ走っていくような生き方は危険です。
イライラした気分が安らぐ時がなくなって、心身の健康に悪影響がもたらされることもあるでしょぅ。
ちょっとしたことで感情的になり、何かと周りの人たちとトラブルを起こすことも多くなると思います。
では、のんびり生きていく方がいいのかと言えば。それもまた危険です。
のんびりし過ぎれば、気持ちが緩んでしまって、意欲を全く失ってしまうことあります。努力することが面倒くさくなってきます。
そのために周りの人に迷惑をかけることになったり、場合によっては会社を追い出されてしまうことにもなりかねません。
先を急ぐ生き方をする必要もありませんが、かと言ってのんびりし過ぎることもない、ちょうどいいスピード感で生きていくのがいいのです。
ちょうどいいスピード感で生きている時は、また、精神的にもっとも安定するのではないかと思います。
そうすれば、安らかな気持ちで健全な生活を営んでいけると思います。
上と下の板挟みになった時こそ、自分自身の思いを一番大切にする
◆自分が味方したいほうにつけばいい
企業の中間管理職は、「上と下との板挟みになって思い悩む」ということがよくあります。
部下がやる気満々で「この分野は必ず急成長します。他社に先駆けて打って出ましょう」と提案していた新規事業の企画案があるのですが、会社上層部は「こんなリスクの多い事業に資金と人材を割り当てるわけにはいかない」と消極的な場合です。
下からは突き上げられ、上からは抑え込まれる形で、中間管理職としてはどちらの味方に立てばいいのかわからなくなって混乱します。
部下の立場に立って積極的に企画を押し通せば、幹部に反感を持たれることになりかねません。
しかし、上層部の側に立って、部下を抑え込もうとすれば、今度は部下の反感を買ってしまうことにもなりかねません。
下の意見を取るか、上層部の立場に立つか、まさに、「あちらを立てばこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず」と言った状態にはまり込んで、中間管理職の心が揺れ動くことになるのです。
こういう時こそ大事なのは「自分の思い」ではないでしょうか。
部下が提案してきた企画を「自分自身はどう思うか」ということです。
結局、このようなケースでは、自分自身の判断を優先するしかないと思います。
もし自分自身が「これはいける」と思えた時には、上層部に十分説明し、納得が得られれば部下と一緒になって積極的に動くのがいいでしょう。
もし自分自身が「これはリスクが多すぎる」と感じられた時には、上層部に相談するまでもなく、部下に再考を促せばいいでしょう。
自分の意見がないまま上と下との板挟みになるから、心が揺れ動きます。
自分自身の思いに従えば、おのずからどちら側に立てばいいか、はっきりした方向性が見定められるのではないでしょうか。
イヤな相手を反面教師にすると、心が楽になっていく
◆「こんなイヤな人間にはなりたくない」と思うと、楽になる
たくさんの人とつき合っていると、「どうしてこんなにイヤな人なんだろう。こんなイヤな人が世の中にいるなんて信じられない」という相手に出会うものです。
たとえば、次のような人です。
「人の心を傷つけるようなことを平気でいう。人が傷つく様子を見て楽しんでいるかのように見える」
「人のやることをいちいジャマしてくる。人の足を引っ張ることを、自分の生きがいのようにしている」
「約束を守らない。平気でウソをつく。そのことで相手が迷惑をこうむろうとも、まったく気にしない」
「自分さえよければ、相手がどうなろうとなどうでもいい。
自己主張は強いが、相手の気持ちや立場への思いやりの気持ちが全くない」
このような相手が赤の他人であれば、つき合わなければいいだけです。
それほど問題はないでしょう。しかし、そんな相手が職場の上司や同僚であったり、あるいは結婚した相手の肉親であったりすると大変です。「つきあわない」というわけにはいきません。毎日顔を合わせたり、頻繁(ひんぱん)にコミュニケーションを取ったり、共同して一つの作業に当たらなければなりません。
そのたびに、心を引きちぎられるようなイヤな思いをさせられることになります。
このような相手とは平常心でつき合っていくのは難しいでしょうが、いくらかでも心を楽にする方法があると思います。
それは、「この人は私の反面教師だ」と考えることです。
相手のイヤな所を見て、「私はこんなイヤな人間にはならないように注意しよう」と考えることで、冷静さを失わずにすみます。また、そうすることで心理的な距離感を置いて、相手と向かい合えるようになります。
強すぎるプライドは、安らかな生き方をジヤマすることになる
◆プライドは強からず、弱からず
人にとって、プライドを持って生きることは大切なことだと思います。
苦難に陥ったり、人からバカにされたりした時、「私は、こんなことでダメになる人間ではない」というプライドがあってこそ、自分を支えていくことが出来ます。
平常心を失うことなく、自分を信じて前進していくことが出来るのです。
しかし、このプライドが強くなりすぎると、それが心の乱れを引き起こす原因になる場合もあります。
プライドが強すぎる人は、本当にちょっとしたことで心の動揺を引き起こします。
たとえば、「職場の同僚が上司にほめられたのに、私は何の言葉もかけてもらえなかった」というだけで、その強いプライドを傷つけられて「私は上司から見放されてしまったのだろうか」と激しく動揺してしまいます。
人によっては「上司に褒められた同僚」に烈しく嫉妬して、その人の足を引っ張るような真似までしてしまいます。
こうなると、人間関係のトラブルも加わって、ますます心が動揺していくばかりです。
このような「強すぎるプライド」は、心の平静を乱し、健やかに生きることのジャマになるばかりです。
ですから、あまりプライドが強くなりすぎないように心がけておく方がいいと思います。
バランスのいい、安定したプライドの持ち主であれば、同僚が上司に褒められた時には「おめでとう、よかったね」と心から祝福してあげることが出来るでしょう。
そして、いい仕事を評価された同僚を自分自身の励みにして、「私も負けずに、がんばろう」と考えることが出来ます。
もし同僚に嫉妬心を抱いていると気づいたら、その時は要注意です。乱れた心を静めて、同僚の活躍を共に喜べるように努力するのがいいと思います。
セクハラやパワハラは、第三者に相談して解決する
◆専門家に話を聞いてもらう
職場でパワハラを受けながら、相手が職場の上司であるために非難の声をあげられずに、一人で思い悩んでいる人も少なくない、という話よく聞きます。
しかし、このようなケースでは、一人で悩めば悩むほど心の苦しみは大きくなっていくばかりです。
ただし、相手が直属の上司となると、面と向かって相手を非難するのは、確かにやりにくいかもしれません。
また、会社の同僚や友人たちに相談することも、「何か、余計な誤解を受けることになるのではないか」という不安からためらってしまう人が多いようです。
このような場合には、問題を解決するために他の人に相談するのがいいでしょう。
ただし、ここでは、「平常心を保つ」という意味で話したいと思います。
心を取り乱したままでは、正常な判断力が混乱してしまい、どういう方法で解決すればいいか分からなくなってしまいがちです。
そこで、まずは心の平静さを保ちながら、冷静に問題を解決すボランティア活動を
その意味で、平常心を保つための方法となるものが、もっとも信頼できる友人や家族に話を聞いてもらうということです。
そうすることで自分自身の気持ちも落ち着きますし、また信頼できる人や家族がいい解決策をアドバイスしてくれることも期待できます。
相手のアドバイスに、「そうか、そうすればいいんだ」と納得することが出来れば、それも自分自身が冷静さを取り戻すきっかけになるでしょう。
職場でパワハラを経験している人は、精神的に過剰なストレスをこうむっています。
その意味で、心の安心感を得るということは、それだけでも大きな救いになるのではないでしょうか。
慈善活動を「売名行為だ」と非難された時の対処法とは?
◆「ありがとう」と言ってくれる人だけに意識を向ける
純粋な気持ちから世の中のために慈善活動を始めたり、恵まれない人のためにボランティア活動をやっている人が、周囲から「売名行為でしているだけで」「しょせん自己満足でやっているだけだ」「いい人ぶっている」などといった陰口を叩かれることがあります。
自分の行為を、そのように悪く考える人がいるということを知ることは、その本人にとっては辛いことだと思います。
とくに最近は、そのような根も葉もない悪口が、インターネットで本人の実名が載る形で広まってしまうというケースもあるようです。
そのようなことになれば、本人のショックはさらに大きくなり、
「このまま活動を続けていく方がいいのか、そのように思われているのなら、いっそやめてしまう方がいいのか」と、心も激しく動揺するのではないでしょうか。
思い悩んでしまって体調を崩し、仕方なくそれまでの活動を辞めざるを得なくなる、というケースもあるようです。
これは非常に残念なことだと思います。
まずは陰でそのような悪口を広げる人にそのようなことを止めるように強く求めた方がいいと思います。
一方で被害にあった人も何かしら心理的な対処策を持っておくほうがいいでしょう。
その一つの考え方は、そのような根も葉もない悪口を広める人間はごくごく一部にすぎないということです。しかも、その人間は自分がどのような活動をしているのかよく知らないで、悪口を広めているにすぎません。
自分がやっている活動をよく知っている人は、その活動に感謝してくれているはずです。評価もしてくれているはずです。悪口を言うたった一人に意識を奪われるのではなく、感謝し評価してくれている大多数の人のほうに意識を向けるように心がければ、少しは心が安らぐのではないでしょうか。
著者 植西 聡 発行所 (株)自由国民社