ダーウィンの同時代人であるレディ・アシュレーは、人間が類人猿の子孫だと主張するこの理論を耳にしたとき、次のように述べている。「どうか、それは本当でありませんように。そして、もしそれが本当なら、あまり広く知られることがありませんようにトップ画像

性行動の理解をはばむもの

本表紙
デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之

性行動の理解をはばむもの

ダーウィンが生命の創造と発展を説明するために、1859年にはじめて進化論を提唱して以来、この理論は人々を動揺させ、不安にさせてきた。ダーウィンの同時代人であるレディ・アシュレーは、人間が類人猿の子孫だと主張するこの理論を耳にしたとき、次のように述べている。「どうか、それは本当でありませんように。そして、もしそれが本当なら、あまり広く知られることがありませんように」

 こうした激しい抵抗は、げんざいでもなお存在している。とはいえ、もしわれわれが、自分たちの性行動について正しく知ることが出来れば、人間の本性の理解をはばむ障壁は取り除かれるに違いない。

 障壁のひとつは、知覚の問題である。われわれの認識・知覚メカニズムは、比較的限られた時間内に起こったできごとのみを知覚し、思考の対象とするように、自然淘汰によって形づくられている。その時間の幅は、あるときには数秒間であり、またあるときには数時間、数日間になる。

 ときには数ヶ月間、場合によっては数年間も及ぶこともあるが、それは例外的でしかない。われわれの祖先は、ほとんどの時間を、目の前にある問題を解決するのに費やしていた。食べ物を見つける、隠れ家を確保する、暖を取る、配偶者を選び、ライバルを蹴落として獲得する。子供を保護する、他の部族と同盟を結ぶ、集団内で地位を得る、襲撃者を撃退する、といったことである。

 その結果、彼らは短期的な物事だけを考えるように淘汰圧がはたらいた。だが、それとは対照的に、進化という現象は、直接には観察できないほど小さな変化の積み重ねとして何千世帯にわたって徐々に進行する。

これほど長い時間をかけて起こるできごとを理解するためには、イマジネーションの大きな飛躍が必要だ。ちょうど、物理学者たちが、ブラックホールや一一次元空間といった目に見えない事象を理論化するという。認識の離れ業をやってのけたように。

配偶行動の進化心理学の理解をはばむものもうひとつの障壁は、イデオロギー的なものである。スペインサーが社会ダーウィニズム理論を唱えて以来、生物学理論が政治的に援用されるようになった。人種的・性的な優越性を強調して抑圧を正当化するために、生物学理論が利用されたのである。

しかし、人間の行動の生物学的説明が過去に悪用されたからといって、生命に関して知られているもっとも強力な理論である進化論を無視していいことにはならない。人間の配偶行動を理解するためには、進化がもたらした遺産を直視し、われわれがそうした遺産の賜物であることを認識する必要がある。

進化心理学に対する抵抗を生み出しているもうひとつの基盤は、自然界に存在するものは何であれ消滅させてはならないとする、“自然論的誤謬(ごびゅう)”である。自然的誤謬は、人間の行動の科学的な説明を、行動の道徳的規範と混同してしまう。

しかし、自然界には、病気や伝染病、寄生虫、幼児を襲う疾病といったものが数多く存在しており、われわれはそれを根絶するか、被害を減らそうと努力している。そうしたものが自然界に存在しているからといって、この先も存在しつづけるべきだということにはならない。

 同じことが、男性の性的な嫉妬についても言える。もともと男性の嫉妬心は、子供の父親たる地位を確保するための心理的戦略として進化してきたものだった。しかし現在では世界中で、嫉妬にかられた男性が女性を虐待し、殴ったり殺したりしている事実が報告されている。

て下さるべきであり、かがくや 社会的見地から見れば、われわれはなんとかして、男性の性的な嫉妬をやわらげ、その危険な暴発を抑えるような方法を編みださなくてはならないだろう。

男性の性的嫉妬心が、人類の進化の過程で生み出されたからといって、それを大目に見たり擁護したりする必要はない。何が存在すべきかの判断は、人々の価値体系によって下さるべきであり、科学や、いま現実に何が存在しているかとは関係ない。

 自然論的誤謬のちょうど対極にあるのが、反自然論的誤謬(ごびゅう)である。一部の人々は、「人間である」というのはどういうことかについて、高遇なヴィジョンを描きたがる。彼らの見方によれば、「本来の」人間は自然に溶け込んでいる存在であり、植物や動物と、そして人間はどうしとも平和的に共存できる。

 戦争や暴力、競争といったものは、もともと平和的であった人間の本性が、家父長制度や資本主義などの現在の社会状況によって歪曲されて生じたものである、というのだ。どんな反証をつきつけられても、こうした幻想にすがる人々は後を絶たない。

 たとえば、人類学者ナポレオン・シャノンき、ブラジルのヤノマミ族を調査し、成人男子の実に二五パーセントが、同じヤノマミ族の男の手で殺されていることが明らかにした。しかしシャノンの研究は、ヤノマミ族が平和的に暮らしいると信じて疑わない人々によって激しく攻撃された。

 われわれが自分の望ましい姿を思い描き、そのユートピア的幻想のレンズを通して自分自身の姿を見るときに、そこに反自然論的誤謬が生じる。

 進化心理学が内包しているように見える「変化」についての観念もまた、反発を呼び起こすもののひとつだ。配偶戦略が進化の過程で生み出されたとすれば、それは一見、変えることのできないもののように思える。われわれは盲目で思考能力のないロボットのように、ただひたすら生物学的な指令にとたがって行動するように宿命づけられている、というわけだ。しかし、こうした考え方は、人間の行動を二つに切り離されたカテゴリー、生物学的に決定された行動と、環境要因によって決定された行動のどちらかに分類するという過ちを犯している。

 実際には、人間の行動は、この両者が混合されたものにほかならない。DNAのどの塩基配列も、なんらかの環境的・文化的条件のもとで、はじめて形質として発現される。個人個人が生きていくなかで、さまざまな社会的・物質的な環境要因が、進化によってつくりだされた心理メカニズムのなかにインプットされていく。

 人間の個々の行動はすべて、生得的なメカニズムと環境からの影響と混好物である。進化心理学は、そうした相互作用にたいする正しい見方を提供してくれる。人間の心理を形成し、そして現在でも指針となっている歴史的、発生的、文化的、環境的特性を明らかにしてくれるのだ。

 あらわる行動パターンは、原則的には環境からの影響によって変化しうる。われわれに改変できる行動パターンと改変できない行動パターン
が存在するのは、たんに知識と技術が不足しているからに過ぎない。もし行動パターンの変化が必要とされるなら、知識の進歩がその新たな可能性をもたらしてくれるだろう。

 人間は、環境の変化に対して極めて柔軟に対応できる能力をそなえている。自然淘汰が人間に与えたのは、状況に関係なく発揮される硬直した本能ではなかった。配偶行動が進化の過程でどの様に形成されてきたかを知ることは、われわれを避けられない運命に縛りつけることでは決してない。

 進化心理学に対するもう一つの抵抗は、フェミニズム運動から生じている。フェミニストたちの多くは、人間の行動を進化という視点から説明することが、男女間の不平等の是認につながるのではないかと危惧を抱いている。

本来ならば男女どちらでも担えるはずの役割を一方だけに限定し、性に対するステレオタイプな観念を強化し、女性を権力や経済力からさらに遠ざけ、現状を変革しようとする意欲を失わせるのではないかと恐れているのだ。こうした理由から、フェミニストたちは進化論的な説明を排斥しようとしがちだ。

  だが、進化心理学は人間の配偶行動に関して、フェミニストたちが危惧するような結論をもたらしはしない。進化的な観点から言えば、男性と女性は、多くの、あるいは大部分の点で同等の存在である。男女間の差異は、ごく限られた領域――進化の歴史のなかで、男女それぞれ異なった適応上の課題にくりかえし直面した領域――にのみ存在するにすぎない。
 しかし、多種多様な性戦略を実行に移す能力の点で、男女間に違いがあるわけではない。
 
 進化心理学は、男性と女性の配偶行動が、それぞれどのように進化してきたかを解明しようとするのであって、男と女がどうあるべきか、どうあらねばならないかを規定するものではないし、それぞれの性の正しい役割について提言するものでもない。進化心理学に、政治的な意図は存在しない。

 もしこの理論に何らかの政治的スタンスが存在するとすれば、それは、性や人種、あるいはどんな性戦略に従っているにかかわりなく、あらゆる人々が平等であるべきだという希望であり、人間の性行動の多様さを受け入れるだけの寛容だ。そして、進化論を、遺伝子的な決定論と混同したり、環境の影響を否定する理論だと誤って解釈してはならないという信念である。

 最後にもう一つ、進化心理学への抵抗を生み出したているものを指摘しておこう。それは、男女間のロマンスや性的な調和、生涯変わらぬ愛情といった、だれもが抱き続けている理想である。私自身、こうした見方を捨てきれずにいるし、愛情こそ人間の性心理学の核心となるものだと信じている。

 配偶者との結びつきは、人生においてもっとも深い満足感をもたらしてくれるし、それを欠いた人生はひどく空虚なものに思えるだろう。結局のところ、ひとりの配偶者とうまく幸福に暮らしていける人々は少なからず存在するのだ。しかし、われわれはあまりに長いあいだ、人間の配偶行動の真実から目をそらしつづけてきた
 
 不和や競争、そして駆け引きといっても、配偶行動において普遍的に見られる要素なのである。もし、男女関係という人生でもっとも魅惑的なものを真に理解しようとするなら、勇気を持ってそうした要素を直視しなければならない。
 つづく  女が望むもの

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます