デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
10 調和をもたらす鍵
人間の性戦略から読みとれる中心的なメッセージは、配偶行動は社会的状況に応じて変化する。きわけて融通性に富んだものだということだ。進化の長い歴史が生み出した、われわれの人間の複雑な心理メカニズムは、配偶という適応上の課題を解決するための多種多様な行動のレパートリーをもたらした。
このレパートリーによって、われわれは自分の個人的状況に応じた配偶者の選択を行ない。繁殖という欲求を満たすことができる。このように繁殖行動という場においては、不可避的だったり、遺伝的に決定されていたりする行動は何一つ存在しない。
乱婚、一夫一妻制、配偶者への暴力、性的な充足、嫉妬に駆られて
乱婚、一夫一妻制、配偶者への暴力、性的な充足、嫉妬に駆られて配偶者をガードしたり、反対に配偶者に関心を抱かなかったりすることは、どれも必然的なものではない。男性は、さまざまな相手とのセックスを求める抑えがたい欲求のために、浮気に走るよう宿命づけられているわけじゃない。
女性もまた、誠意を見せない男性をののしるよう決定されているわけではない。われわれは、進化が押し付けた性的な役割に従うだけの奴隷ではないのだ。さまざまな配偶戦略がそれぞれどんな条件下で友好に働くかを知ることで、どの戦略を採用し、どれを使わずにおくかを選び取ることができるのである。
さまざまな性戦略がなぜ発達してきたか、その本来の機能は何であったか理解することは、行動を変化させるうえで有用な指針を提供してくれる。それは、ある生理的メカニズムの適応的機能の理解が、変化に対する洞察をもたらすのに似ている。
一例をあげれば、人類は、皮膚をくりかえし強くこすられると皮膚の肥厚が生じる生理的メカニズムを発達させてきたが、だからといって、人間には必ず皮膚肥厚が生じるというわけじゃない。肥厚によって守られれば、皮膚への摩擦を避けられるというだけの事である。
同じように、嫉妬の機能が、男性によっては自分が子どもの父親であるのを確実にすることであり、女性にとって夫の献身を確保することだと理解すれば、男女それぞれにおいて、どんな状況がもっとも嫉妬しやすいか――それは男性の場合には性的な裏切りであり、女性の場合には感情的な裏切りである――が解るようになる。
皮膚への摩擦を最小限に抑えるような環境を作れるのと同じ原理で、嫉妬を最小限に抑える関係を築くことができるのだ。
私はこの本全体を通じて、人間の配偶行動に関するさまざまな実証的研究を、性行動の理論を組み立てるためのブロックとして用いてきた。思弁的な推論をことさら避けたわけではないが、これまでの議論は事実に立脚して行ってきた、この章では、そうした発見からさらに論を進め、それが社会的な相互作用全般にとって、および男女個人にとってどんな意味をもつものかについて、私の考えを述べることにしたい。
男女間の差異
男性と女性の関係についての洞察は、男女間の同一と差異をともに説明するものではなくてはならない。進化の歴史を通じて、男性と女性は同じ課題に直面することが多かったので、多くの適応的解決策を共有している。どちらも体温を調節するために発汗したり身震いしたりする。
どちらも永続的な配偶者の資質として、知性と頼りがいを高く評価している。協調性があり、信頼がおけ、忠実で、自分に莫大なコストを背負わせることのない配偶者を求める点も同じだ。われわれは皆一つの生き物種に属しており、同じ心理的・生物学的特性を共有している。それを認識することが、男性と女性の調和を実現するための第一歩なのだ。
こうした共通の適応に対して、男女間の差異ははっきりと対照をなしており、なんらの説明を必要とする。男性と女性が配偶心理において異なるのは、ある特定の部分だけに限られる。その部部においては、進化の過程で男女がそれぞれ異なった適応上の課題に直面していたのだ。
たとえば哺乳類のメスは、子供に栄養を与えなければならなかったために、オスにはない授乳用の乳房を持つことになった。また受精が女性の体内で行われるために、われわれの祖先の男性は、子供の父親がほんとうに自分のかどうかわからないという適応上の難問に直面した。
その結果、男性は、身持ちの固い女性を配偶者として選びたがる傾向や、性的な不貞にたいする嫉妬のメカニズム、妻を寝取られた場合には配偶関係を解消したがる心理など、女性の適応のメカニズムとは異質な要素を進化させることになった。
こうした男女間の差異のいくつかは、あまり望ましくないものである。女性は一般に、たんなるセックスの対象として扱われたり、若さや美しさといつた自分ではコントロールできない資質だけを評価されるのをいやがる。男性は男性で、成功の道具としてみなされたり、財布の厚さや競争社会において勝ち取った地位の高さだけで評価されるのを好まない。
さまざまな相手とセックスしたいという欲求が強く、浮気を繰り返すような男との結婚は不幸だし、感情的な依存を求めて他の男と親密になるような女性との結婚も不幸だ。配偶者として望ましい資質を備えていないという理由だけで疎(うと)んじられるのは、男女どちらも苦痛をもたらす。
従来の社会科学では、男性と女性の心理を同一視するのが一般的だったが、この見方は、人間が進化させてきた性的心理について現在わかっている事実に反している。性淘汰の力のもとで、男女どちらも、より望ましい異性を獲得しようとしのぎを削っている。
繁殖という面で、数百万年にわたってそれぞれ異なった課題に直面していながら、男女の心理がまったく同一だとしたら、それこそ驚くべきことだろう。現在の時点では、男性と女性とで配偶者の好みが違うことに疑いをさしはさむ余地はない。
男性は主に若さや身体的な魅力を重視し、女性は地位や成熟したい度、経済的資源の量などを重視する。男性と女性では感情的なつながりを伴わないカジュアル・セックスへの姿勢や、さまざまな相手とセックスという欲求、性的な空想の質などについて異なっている。
また、自分が望む性行動をとろとするとき受けやすい妨害の種類も異なるため、どんなんできごとが怒りや嫉妬といった強い感情を呼び起こすかも違ってくる。配偶者を惹きつけ、確保し、あるいは取り換えるための戦術も別物だ。こうした男女間の差異は、人類が進化させてきた人格の普遍的な特徴であり、それが男女の関係を規定している。
一部の人々は、こうした差異があることを受け入れようとせず、その存在を否定したり、消滅に向かうことを願ったりする。しかし、いくら否定したり消滅を願ったりしても、心理的な性差を消し去ることはできない。
男性に髭が生えないようにしたり、女性の乳房が膨らまないようにするのが不可能なのと同じことだ。そうした否定的な態度を一掃し、男女それぞれの欲求が違うことを正面から見据えることによってのみ、男性と女性との調和へと到達できるのである。
つづく
フェミニストの見方