デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
閉経
女性の一生における性的活動の変遷のなかで、決定的な変化の一つは子供を生む能力の喪失である。女性の繁殖能力は、閉経時にゼロになる。女性の一生で注目すべきことのひとつは、生命そのものが失われるはるか以前に閉経が起こるという事実だ。大部分の女性は、七〇歳以上まで生きるにもかかわらず、五〇歳の時点でほぼ繁殖を終えてしまうのである。
これは、他のいかなる霊長類と比べても、際立って特異な性質だ。寿命が長い哺乳類でも、メスが繁殖能力を失ったあと生き続ける時期は、平均寿命の一〇パーセントかそれ以下でしかない。ゾウを例にとると、五五歳まで生きる個体は全体のわずか五パーセントにすぎないが、メスはその年齢に達しても、ピーク時の五〇パーセントほとの繁殖能力を維持している。
女性の身体的機能は、年齢とともに徐々に衰えていく。心臓や肺の効率は、二〇代前半ほぼ一〇〇パーセントに達するが、五〇歳になっても八〇パーセントまでしか低下しない。対照的に、繁殖能力は二〇代前半で頂点に達しながら、五〇歳になるとほとんどゼロになってしまう。女性の繁殖能力は、他のどんな身体的機能とくらべても、きわめて急速に低下するのだ。それには、何か理由があるに違いない。
過去の時代には、閉経が起こるのは、「贅沢から不摂生や、気まぐれな情熱のため」であり、その女性本人が悪いのだとみなされたこともあった。
現在では、この謎めいた現象を説明する理論の一つとして、女性の閉経後の期間は、栄養状態や健康管理の向上の結果、人為的に引き延ばされたのではないかという説がある。
この考え方によれば、もともと人間の祖先は、たとえ無事に閉経を迎えたとしても、その後長生きするのはまれだったと言うのである。しかし、この説明には大きな難点がある。というのは、人間の平均寿命が伸びたのは、主として乳幼児死亡率が低下したからなのだ。
われわれ祖先のうち、二〇歳まで生きながらえられたことのできた人々は、現在の寿命に近い七〇歳ないし八〇歳近くまで生きるのがふつうだった。実のところ、医療技術の進歩が人間の最長寿命を延ばしたという証拠はまったく存在しないのである。
さらに言えば、閉経が寿命延長の予期せぬ副産物だという理論では、女性の他のすべての生命機能は、長い寿命に合わせるかのように緩慢にしか低下しないのに、繁殖能力だけが急速に失われる理由を説明できない。
もし人類の祖先が五〇年以上は生きることがなかったのなら、五〇代・六〇代になっても十分にはたらくような身体機能が自然淘汰から生み出されるわけがない。また、寿命延長論は、繁殖能力は徐々にしか低下しないのに女性の繁殖能力だけが一気に失われる理由を説明できない。
閉経後の期間が長いことにたいする、より説得力のある説明
女性の閉経後の期間が長いことにたいする、より説得力のある説明として、次のような説がある。閉経とは、女性の役割を、配偶行動や直接の繁殖活動から、子供や孫の世話といった親族に対する投資へと変えさせるための適応だというものだ。「祖母仮説」と呼ばれるこの説明は、あるひとつの仮定に立脚している。
われわれの祖先の女性たちにとって、子供を産み続けることは、すでにいる子供やその他の血族に投資することに比べ、繁殖成功度という点では不利にはたらいたにちがいない、という仮定もある。さらにもうひとつ、年を取った女性は、健康法や親族関係、ストレスの緩和といった事に関して、若い女性にはない知恵や知識を身に着けていることが多い。
また、資源の管理や、他の人々を説得する能力といった点でもすぐれている。彼女たちが蓄積してきた力や技術は、子供や孫、そして親族のネットワーク全体のために役立てられるだろう。
この祖母仮説にたいする反証としては、アチェ族の事例があげられる。アチェ族の社会では、繁殖活動から祖母としての投資へ移行することによって得られる繁殖上のコストを上回るほど大きくないのである。
とはいうものの、祖母仮説は、女性が年を取るにつれて親族への投資を増やすようになるという。一般的な観察される傾向と合致しており、この仮説が正しい可能性は十分に残っている。今後、さらに総合的な検証が待たれるところだ。
女性の閉経に関するもうひとつの仮説は、人生の比較的初期における迅速な繁殖と、一生を通じた長期にわたる繁殖は、互いに両立しないというものである。若いうちにすぐれた子供をたくさん産むと、女性の繁殖メカニズムはそれだけ疲弊してしまう。
したがって閉経は適応の結果などではなく、早期の迅速な繁殖活動の付随的な副産物にすぎない。この見方に従えば、重要なのは、祖先の女性たちに早期の迅速な繁殖を促した環境条件が何かを突き止めることなのだ。
人生の早い段階に、短い間隔――平均して三年ないし四年ごと――出産が行われたのは、祖先の女性たちが、配偶が投資してくれる食物や保護に依存できたという理由による。男性が子どもや配偶者に注ぎ込んだ潤沢な資源は、早期の迅速な繁殖に適した生活環境をつくりだした。
それに比べて、チンパンジーやゴリラのメスは、食糧をすべて自分で確保しなければならないので、そう短い間隔で子供を産むことはできない。そのため、五年ないし六年に一頭ずつ子供を産むことで、繁殖期間を、成熟してから死ぬまでの期間全体にまで引き延ばすのだ。したがって、女性の一生において、直接の繁殖活動の停止と親族に対する投資への移行という変化が生じたのは、男性からハイレベルの投資が行われたためだということになる。
さらに、そうしたハイレベルの投資は、女性が、投資する能力と意志のある男性を優先的に配偶者として選んできたために生じたものにほかならない。女性の一生に生じる繁殖的変化は、男女間の配偶関係と密接に結びついているのである。
つづく
男の価値の変化 n