デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
さまざまな状況
われわれが現在採用している配偶戦略は、先祖に作用していた淘汰圧によってつくりだされたものである。とはいえ、現在われわれがおかれている状況は、そうした戦略が進化した当時の状況とは異なっている。われわれの先祖は、自分で採取した野草を食べ、自分で捕まえた動物の肉を食べていた。
しかし現在われわれは、スパーマーケットやレストランで食物にありつくことができる。同じように、先祖たちがサバンナや安全な洞穴、焚火のまわりで配偶戦略を実行に移していたのに対し、現代の都市生活者たちはシングルズ・バーやパーティの席上、あるいはコンピューター・ネットワークやデート斡旋業者を利用して配偶者を得ようとする。
このように、現在の配偶者獲得の環境は祖先の時代とは大きく違ってきているが、にもかかわらず、同じ性戦略が盲目的に使われているのである。われわれが進化させてきた配偶行動の心理は、現在も生き残っている。それは、いまだに配偶行動を左右する唯一の心理メカニズムでありつづけ、現代の社会状況のなかでもそのまま機能している。
たとえば、ファーストフードのチェーン店で消費される莫大な量の食料を考えてみよう。われわれはマクドナルドのハンバーガーを好む遺伝子など進化させなかったが、マクドナルドでわれわれが食べ食物は、先祖が生き残るために編み出し、現在我々が受け継いでいる戦略を反映しているのだ。
ハンバーガーやシェイク、フライドポテト、ピザには、多量の脂肪、糖分、タンパク質、塩分が含まれている。ファーストフード・チェーンがこれほど隆盛を極めているのは、こうした栄養素を凝縮したかたちでていきょうしているからにほかならない。それは、食料の入手が困難だった先史時代に進化した食物の好みの反映なのだ。とはいえ、現在は、進化の歴史上でも例を見ないほど食料が豊富に存在しているので、われわれはそうした栄養素を過剰に摂取してしまっている。
古い生き残りの戦略が、いまでは健康をむしばんでいるわけだ。人間が、今と違う環境下で進化した食物の嗜好に拘泥しつづけているのは、進化のスピードが遅すぎて、ここ数百年間に人類が経験してきた急速な変化についていけないことに起因している。われわれはいまだに、先史時代の世界に合わせてデザインされた装置を持つ歩いているのだ。
われわれが配偶者獲得のために進化させてきた戦略もまた、生き残りのための戦略と同じく、現在でも生存と繁殖という目的にそぐわないものになりつつあるようだ。たとえば、エイズの出現によって、手当たり次第のセックスは、祖先が暮らしていた時代にくらべてはるかに危険なものになってしまった。
現在の行動様式を変えていくためには、人類が進化させてきた性戦略を理解し、それが何処から生じてきたのか、どんな状況に合わせて編みだされたのかを知らなくてはならない。
人間が他の動物種よりも目立って優れている点のひとつは、配偶戦略の選択の幅が広く、状況に応じて柔軟に対応できることだ。不幸な結婚生活を送っている男女が、離婚を決意するまでを考えてみよう。この決定には、多くの複雑な要素が関わってくる。
夫婦間の軋轢の程度、それぞれの浮気、双方の親族からの圧力、子供の有無、子供の年齢や育児にどれだけ手がかかるか、離婚した後の新しい配偶者を得られる見込みがどのくらいあるか、などである。 そのため人間は、自分が置かれている状況がどんなものかを読み取り、コストと利益を計算する心理的メカニズムを進化させた。
個人個人の状況だけでなく、それぞれの文化的な環境も多岐に渡っている。そうした文化的特性が、数多くの選択肢から、ある特定の性戦略を選び取るうえで大きな役割を果たしているのである。ひとりの男性が複数の妻を持つことが出来る一夫多妻制の配偶システムを採用している文化もあれば、逆に一妻多夫制の文化もある。
男女どちらもひとりの配偶者しかもつことのできない単婚制の文化もある。一方で、配偶者を次々に取り替える乱婚制の文化もある。そうした法的・文化的パターンに応じて、じつにさまざまな配偶戦略が進化してきた。たとえば、一夫多妻制の婚姻システムをもつ社会で暮らす男性は、一生独身で終わらないために、ライバルを蹴落として女性を獲得するよう両親から強い圧力をかけられるだろう。
一部の男性がそれぞれ複数の女性を独占するシステムでは、配偶者を得られない男性がどうしても出てくるからだ。一方、単婚制の社会では、独身の息子に両親がかける圧力はそう強くない。
もうひとつの重要な要素は、集団内の男女比、つまり結婚適齢期の男性と女性の数の割合である。もし女性の方が多すぎれば、パラグアイのアチェ族まように、男性ひとりの配偶者に執着せず、たくさんの異性と自由に関係を持つようになるだろう。逆に、男性の数が多すぎると、現在の中国の大都市やヴェネズエラのヒウィ族に見られるように、一夫一妻制が堅持され、離婚率は極めて低くなるはずだ。
男性の側の性戦略が変化していけば当然女性の側も変わっていくし、またその逆も成り立つ。このように、男女の性戦略は複雑な相互関係の下で共存しており、その関係は、少なくとも部分的には、男女比によって左右されているのである。
ある意味では、状況こそがすべてだと言ってもいい。進化の歴史の中で、くりかえし出現したさまざまな状況が、現在われわれが保持している多種多様な戦略をつくりだした。そして、現在の社会状況や文化環境に応じて、どの戦略を実行に移し、どれを眠ったままにさせておくかが決定される。
本書では、人間の性戦略をより深く理解するために、過去にどんな淘汰圧がくりかえし作用し、どんな適応上の課題が出現したのか、それらはどんな心理メカニズムや解決のための戦略を生み出したのかを探っていく。そして、現在の社会状況によって、その戦略が採用されているかを明らかにする。
つづく
性行動の理解をはばむもの