デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
性的嫌がらせ
セックスを許すかどうかをめぐる軋轢は、恋愛関係や婚姻関係にある男女の間だけではなく、職場においても生じる。職場でも、カジュアル・セックスや結婚の相手を求める場合があるからだ。
その求愛がある一線を越えると、性的嫌がらせ(セクシュアル・ハラスメント)すなわち「職場の人間から向けられる、望ましくない不快な性的関心」となる。性的嫌がらせには、いやらしい視線を向けられたり性的にからかわれるといった比較的おとなしいものから、バストやヒップ、あるいは股間を触られるといった身体的な暴行までさまざまな形態があるが、いずれも明確に男女のあいだに軋轢をひきおこす。
この行動の背景にどんな心理メカニズムが存在し、どんな状況がそのメカニズムを起動させるのかを特定するうえで、進化心理学は手がかりを提供してくれる。
進化心理学が教えてくれるのは、性的嫌がらせが生物学的に決定された、不可避のかつ必然の現象だということではない。むしろ、性的嫌がらせを引き起こす鍵となる条件を明らかにすることで、それをより深く理解し、防止する方策を示してくれるのだ。
性的嫌がらせの動機として最もよく見られるのは、短期的な性関係への要求だが、それ以外にも、権力を行使したり、長期的な恋愛関係を結びたいという欲求が動機となることもある。
性的嫌がらせもまた、男性と女性が進化させてきた性戦略の産物であるという見方は、嫌がらせの犠牲者に多く見られる特徴――性別、年齢、結婚経験の有無、身体的な魅力、不快な性的アプローチに対してどんな反応を示すか、嫌がらせを受けた状況など――によって裏づけられている。
嫌がらせの犠牲者は、どちらの性にも同じように存在するわけではない。イリノイ州人権局に二年間の間に寄せられた訴えを分析した調査によれば、セクハラを受けたと訴えてきた被害者の性別は、女性七六人にたいし、男性はわずか五人にすぎなかった。
連邦政府の職員一万六四四人を対象にした調査
連邦政府の職員一万六四四人を対象にした調査でも、その職歴のどこかの時点で性的嫌がらせを受けたことがあると答えたのは、女性では四二パーセントだったのにたいし、男性では一五パーセントでしかなかった。
カナダの人権問題担当部局に寄せられた訴えを見ても、女性からの訴えが九三件あったのに対し、男性からのものはたった二件きりだった。そして男性被害者となった二件も、性的嫌がらせを行ったのは女性ではなく男性だったのである。以上から、一般に性的嫌がらせの被害者となるのはほとんどが女性であり、嫌がらせを加えるのは男性であることが明白に見て取れる。
とはいえ、積極的もしくは攻撃的な性的行動に対し、女性はより大きな不快感を抱くという事実を考慮すれば、次のような解釈もまた可能かも知れない。すなわち、同じ性的嫌がらせを受けても、男性よりも女性の方がより神経をとがらせやすく、そのために公の場へ訴える率が高くなるのだろう。
どんな女性も、セクハラの標的になる可能性がある。しかし、犠牲者の大多数は、若く、肉体的魅力を備えた独身の女性である。四五歳よりも上の女性は、それより若い女性にくらべ、どんなタイプの嫌がらせも受ける率がきわめて小さくなる。
ある研究によれば、セクハラの被害者のうち、二〇歳から三五歳までの女性が七二パーセントを占めているが、この年代が人口に占める割合は四三パーセントにすぎない。
一方、労働人口の二八パーセントを占める四五歳以上の年齢層は、セクハラの被害者のうちわずか五パーセントでしかないのである。性的嫌がらせに関するどの研究をみても、年かさの女性も若い女性と同じくらいの危険にさらされているという指摘は見られなかった。性的嫌がらせの標的にされるのは、一般に男性が性的関心を向けやすい若い女性であることが極めて多いのである。
既婚女性に比べ、独身もしくは離婚した女性の方が、性的嫌がらせを受けることが多い。こうした傾向が生じる理由はいくつか考えられる。まず、標的が独身ならば、怒り狂った夫のためにコストを支払わせる危険性がない。また、独身女性は既婚女性にくらべ、セックスの誘いに応じやすいと考えられる。
さらに、既婚女性は、いま夫から得ている資源や助力を失う危険を冒したくないので、独身女性に比べるとセックスの誘いを拒みがちだろう。独身の女性が標的にされやすくなるのは、このような理由による。
性的嫌がらせに対する反応
性的嫌がらせに対する反応もまた、進化心理学の論理に従う傾向が見られる。もし異性の同僚からセックスに誘われたらどう感じるかという問いにたいし、女性では六三パーセントが「侮辱されたと感じる」と答え、「嬉しく思う」と答えたのは一七パーセントにすぎなかった。
男性の場合は、まったく対照的に、「侮辱された」が一五パーセントしかおらず、「嬉しい」が実に六七パーセントに達したという。こうした反応は、人間の配偶行動の進化的な理論と見事に一致している。男性はカジュアル・セックスの相手として選ばれたことに肯定的な反応を示し、一方女性は、たんなる性的な対象として扱われることに否定的な反応を示す。
しかしながら、セックスの要求に対して女性が示す反撥の度合いは、ある程度までは、嫌がらせをする側の社会的地位によって左右されることが解ってきている。ジェニファー・センメルロースと私は、女子学生一〇九人を対象に、よく知らない男性から、何度断っても執拗にデートに誘われた場合に――これは性的嫌がらせのもっとも穏やかかたちのひとつだが――どう感じるかを、相手の社会的地位に変化をもたせて答えてもらった。
女性が迷惑に感じる度合いを採点させたところ、相手がいわゆるブルーカラーの場合は点数が高く、反対に医学部進学課程の学生や有名ロック・スターの場合は低かった。また、別の女性一〇四人に、男性から正面切ってセックスを求められたらどの程度うれしいかを、男性の職業別に答えてもらったところ、やはり同じような結果が得られた。
男性から同じセクハラ行為を受けても、その男性の社会的地位によって、女性が受ける不快感は同一ではないのだ。
性的嫌がらせに対する女性の反応はまた、嫌がらせをする側の意図がたんにセックスだけを求めるものか、それとも恋愛関係を求めているかによっても大きく異なってくる。利益や昇進をちらつかせてセックスを要求するといった、その人物がカジュアル・セックスにしか興味がないことを示す行為は、性的でない接触や称賛の表情、いちゃつきなどの、セックスにとどまらない関心を暗示する行為に比べ、嫌がらせというレッテルを貼られることが多い。
女子学生一一〇人に、さまざまな行為の「セクハラ度」を七点満点で採点させてもらったところ、「同僚の男性に股間を触られる」が六・八一点、「周りに誰もいないときに、力ずくで迫られる」が六・〇三点と、最も嫌がらせの度合いが高いと判定された。
一方、「同僚から真剣に好きだと打ち明けられる」「仕事の後にコーヒーを飲もうと誘われる」といった行為は一・五〇点、すなわちセクハラ度はゼロを示す一・〇〇点に近いものと判断されている。
明らかに、短期的なセックスだけを求める威嚇的な行為は、真摯な恋愛感情にもとづいた行為よりも、嫌がらせの度合いが高いのである。
とはいえ、たとえ威嚇的であっても、あらゆる女性が嫌がらせであると見なすわけではない。たとえば、職場でのセクハラに関するある調査によれば、性的な意図で女性の身体を触る行為でさえ、約一七パーセントの女性は迷惑でないと感じているという。
おそらく女性の進化させてきた性戦略は、男性の性的なアプローチから利益を得たり、あるいは逆に利用したりすることが可能な場合には、それに応じて変化しうるものなのだろう。
女性が男性と同じように、職場において恋愛もしくは性的関係を求めることもあることがあるのは明白な事実だ。一部の女性は、仕事での有利な立場や地位を得るために、セックスを餌にすることさえある。ある女性は、上司が彼女とセックスすることを期待していたとしても別にセクハラだとは思わない、なぜなら「女性はみんなそう思われている」のだし、またセックスに応じることで「いい仕事」がもらえるからだ、と述べている。
場合によっては、女性は職場内でのカジュアル・セックスから利益を得られるが、それは、仕事とは関係ない人間とのカジュアル・セックスでも物質的利益を得られる場合があるのと同じことだ。
これまで述べてきたような、セクハラの被害者によく見られる特徴、セクハラ行為への反応の男女による違い、嫌がらせをする側の社会的地位の重要性といったことは、人間の配偶戦略を決定している進化的な理論によって説明できる。
男性は、献身を提供することなくカジュアル・セックスを求めたり、性的な心理メカニズムは、あらゆる社会的な場ではたらいており、職場でもその例外ではないのだ。
こうした見方は、性的嫌がらせを肯定するわけでもなければ、その悪影響を無視するわけでもない。そうではなく、セクハラの主要な原因とその背後にある心理的法則を明らかにすることで、この恥ずべき好意を無くするために必要不可欠な指針を与えてくれる。
つづく
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