デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
虐待
虐待にはさまざまな形態がある。ひとつは心理的な虐待であり、これを受けると、自分は配偶関係において価値が低いと感じ、自分を卑下して、パートナーがいるだけで幸運と思い、もし別れても配偶市場で新しい相手を見つける見込みは薄いだろうと思うようになる。配偶者に対する圧迫もしくは侮辱は、酷い行為に見えるが、こうした目的を達成するための戦術の一環なのである。
不幸にも、女性は圧迫を初めとする心理的虐待の犠牲者となることが多く、虐待する側には男性が多い。
圧迫は、さまざまな形で行われる。ある場合には、夫が、男であるというだけの理由で自分の意見を妻の意見よりも優先させる。また別の場合には、夫が妻のことを、頭が鈍く、劣った存在のように扱う。新婚の男性は、女性にくらべて約二倍の頻度で、配偶者に対する圧迫を行っていることが明らかになっている。
こうした行為は、妻が、夫に比べて自分を低く評価するように仕向ける効果を持つ。つまるところ、虐待の機能とは、配偶関係の維持のために犠牲者の投資と献身を増大させ、そのエネルギーを虐待する側の目的のために注ぎこませることにあるのだろう。
犠牲者は多くの場合、別の配偶者を見つけられる可能性は薄いと思いこみ、現在の配偶者への投資を増やして何とか機嫌を取らなくてはならない、と考えてしまう。また、それ以上の怒りを買うのを避けようとして、配偶者に対しより多くの労力を注ぎ、懐柔しようとする。
男性が女性を肉体的に虐待する動機
男性が女性を肉体的に虐待する動機は、女性を威圧してコントロールすることである。ある研究者は、夫が妻に暴力を振るったとして告訴されているカナダ人夫婦一〇〇組の公判を傍聴し、定量的な分析は行わなかったが、次のような結論を下している。
すなわち、ほとんどすべての事例において、暴力の原因となっているのは妻をコントロールできないことに対する夫の側のいらだちであり、妻は身持ちが悪いとか、他の男とセックスをしていたという非難を伴うことが多かった。
夫から虐待されているアメリカ人女性三一人を対象としたより本格的な調査でも、全体の五二パーセントの事例で、暴力を振るわれる直前に嫉妬が原因で口論がなされていることがわかっており、また実に九四パーセントの事例で、暴力の最大の理由として夫の嫉妬が挙げられていた。
また、夫に虐待され、ノースカロライナのある病院に助けを求めてきた女性六〇人を対象とした調査でも、そのうち九五パートナーが、夫の「病的な嫉妬」――たとえば、妻が何らかの理由で家を留守にしたり、男女を問わず他人と仲良くしたりするだけでも引き起こされる嫉妬――が暴力の引き金となっていることが明らかになっている。
肉体的な虐待の大部分の背後には、女性を、特に性的な面で威圧的に支配しようとする意図が存在しているのだ。
明らかに、配偶者虐待は危険なゲームである。虐待する側は、そうすることで結びつきを強め、多くの投資を引き出すつもりなのだろうが、戦術が逆効果となり、配偶者の裏切りの気配を感じたときに、コストを課することによって配偶者を繋ぎとめる最後の手段としてもちいられることが多い。
その意味では、虐待する側の男性は薄氷を踏んでいるのである。犠牲者となる女性が、配偶関係の維持はあまりにコストがかかりすぎ、よそでよりよい配偶者を探す方が賢明だと決断する恐れがつねに存在するからだ。
虐待者が、多くの場合、虐待を加えた後で謝罪の行動をとり、泣いたり、弁解したり、もう二度とこんな目に合わせないと約束するのは、おそらくこうした理由による。配偶者をコントロールする戦術としての虐待が引き起こしがちな、離反を防ごうとする努力なのだろう。
妻への虐待は、西欧文化だけの副産物ではなく
さまざまな文化に存在している。たとえば、ヤノマミ族では、お茶を出すのが遅いといった些細な理由で、夫が妻を棒で殴ったりすることが日常的に見られる。ここで興味深いのは、ヤノマミ族の女性は、しばしば夫の暴力を愛情の深さの表れだと見なすことだ。
現代のアメリカではまず見られない解釈だろう。だが、解釈がどうあれ、ヤノマミ族の女性が、暴力によって夫に従属させられていることには変わりない。
男性が妻に対して加えるもうひとつのタイプの虐待は、容姿を侮辱することである。このような虐待を妻に加える男性は、新婚では五パーセントにすぎないが、結婚四年目になると三倍に増加する。きわめて対照的に、女性が夫の容姿を侮辱するのは新婚ではわずか一パーセント、結婚四年目でも五パーセントでしかなかった。
女性の場合、容姿が配偶者としての価値のかなりの部分を占めているため、容姿をけなされることは女性にとって大きな苦痛となる。おそらく男性は、女性の自己評価を低くさせる手段として、容姿を侮辱する方法を用いているのだろう。そうすることで、夫婦間の力のバランスを、より望ましい方向へ持って行けるからだ。
他の暴力的な性癖の場合と同じように、虐待という手段に適応上の理由があるからといって、われわれにはそれが必要なのだとか、それを容認すべきものだということにはならない。逆に、虐待のような戦術の背後に存在する理論をより深く理解し、虐待が生じる状況についてよりよく知れば、虐待の軽減もしくは撲滅のための効果的な方法を見つけることができるだろう。
虐待という行動が、男性の持つ普遍的で変えることのできない特質でなく、ある特別の状況下で生じる反応に過ぎないことを認識してはじめて、虐待をなくするための方策が見えてくるかもしれない。たとえば、新婚の男性のうち、ある種の人格的傾向――他人を信用できなくなったり、感情的に不安定だったりする傾向―――を持つ人間は、そうでない人々に比べ、約四倍の割合で妻に虐待している。
さらに、夫に比べて妻の方が配偶者としての価値が高いため、夫が妻を失うことをつねに恐れているといった事情や、妻と親族との親密さ、あるいは虐待に対する法的な規則や存在するかどうかといった諸条件があいまって、妻への虐待が生じるかどうかが決まるのである。こうした状況を正しく把握することが、虐待という問題を解決するうえで不可欠だろう。
つづく
性的嫌がらせ(セクシュアル・ハラスメント)