デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
だましの行為
セックスの機会や感情的な献身、資源の投資をめぐる男女間の軋轢は、一方が他方を騙そうとした場合に、さらにエスカレートしていく。このような騙しの事例は、植物や動物の世界ては数多くみられる。たとえば、ある種の欄は、狩りバチの一種スコリア・キリアタのメスに色や形、匂いを似せた、色鮮やかな唇弁をもつ。
その色と匂いに、狩りバチのオスは強力に惹きつけられ、交尾のときメスの背中に乗るのと同じように、この欄の唇弁に舞い降りる。そこで偽似交接と呼ばれる現象が起こる。
オスの狩りバチは、唇弁の上面に生えている硬い毛(これはメスの腹部に生えている毛を模している)の上を慌ただしく動き回り、メスの生殖器にあたる部分を探す。その過程で、オスの身体には花粉が付着する。このようにして蘭はオスの狩りバチをだまし、他家受粉のために利用している。
人間の男女も、ときとして他人をだまし、相手の所有する資源を手に入れようとする。性的な騙しの一例として、私の同僚の女性が行っていたこんな行動がある。彼女は高級なバーに通い、男性をひっかけて食事に連れて行ってもらう。食事のあいだは、いかにも親しげに、挑発的にふるまい、セクシーで誘うようなそぶりを見せる。だが食事が終わりに近づくと、トイレに行くと言って席を立ち、そのまま裏口から姿を消してしまうのだ。
彼女はこれを、ひとりでやることもあれば、女友だちと一緒にすることもあった。ターゲットにするのは、二度と会う心配のない、他の街から来たビジネスマンであることが多かった。彼女は嘘をついたわけじゃないが、性的な詐欺行為を行っていたと言える。男性にセックスできそうだと信じ込ませ、性的なサインを送って資源を引き出しながら、セックスを提供することなく逃げ出したからだ。
この事例はかなり特殊で、マキャベリズムに近いものさえ思われるかもしれない。しかし、そこに潜んでいるテーマは、日常生活において、さまざまな形で見られるものである。女性は明らかに、自分が男性に対して性的な影響力を及ばせることを自覚している。ある調査では、女子大学生一〇四人に次のような質問をした。あなたは、最初からセックスする気がないにもかかわらず、何か欲しいもの――好意や特別な扱いなど――を得るために、男性に媚を売るといった行動を、どれくらいの頻度で行っているか?
解答は点数で答えてもらったが(四点が最高で「頻繁に」、三点が「ときどき」)、平均して三点の頻度だった。
一方、同じ質問を男子学生にしたときには、回答の平均は二点に過ぎなかった。また、セックスする気がないにもかかわらず、好意や関心を受けるために性的なほのめかしを用いたことがあるかという問いに対しても、女性は同じような回答を示している。女性は、ときとして性的な詐欺行為を行っていることを、自ら認めているのだ。
女性はセックスを餌に相手を騙すことが多いが、それに対し男性は、献身的な振りをして騙す戦術を多用する。次に引用するのは、三三歳の男性が、献身についてどんなことをほのめかしているかを語ったものである。
女性を喜ばせ、誘惑するために、わざわざ「愛している」と言うなんて、時代遅れで不必要なことに思えるかもしれない。でもそれはまちがいだ。
この短い台詞は、劇的な効果を発揮するものなんだ。私はいつも、情熱に駆られると、愛情をストレートに告白する。もちろん、いつも信じてもらえるわけじゃないが、そう言ってみることで、私にとって相手にとってもチャンスが広がることになる。わたしの側には嘘をついているという意識はない。私は相手の女性に何かを感じているからだ。それに、まあ何と言うか、そういうときはいつも、「愛している」と言うのが正しいことだと思えてしまうんだ。
しかし実際には、感情的献身という点に関して、女性を意図的に欺いていることを男性自身が認めている。男子学生一一二人に、「セックスをしたいために、女性への愛情を過大に表現したことがあるか」と訊ねてみたところ、七一パーセントがそうした経験があると答えた。
ところが同種の質問を女性にしてみると、イエスと答えたのはわずか三九パーセントにすぎなかった。次に、今度は女性はに、「セックス目当ての男性に、大袈裟に愛情を表現されると騙されたことはあるか」と訊ねたところ、なんと九七パーセントが、男性のそうした戦術に騙されたた経験をもっていた。
一方、同種の質問を男性にしてみると、女性にその戦術を使われたことがあると答えたのは五九パーセントにとどまった。
既婚の男女のあいだでは、献身の度合いをめぐる欺瞞は、性的な不貞というかたちで存続する。男性が浮気する動機は明快である。われわれの祖先うち、妻以外の女性と関係を持っていた男性は、浮気をしない男よりも子孫を多く残す可能性があり、その分だけ繁殖上で有利になった。
女性が男性の浮気に激怒するのは、それが、男性が他の女性に資源を振り向けるつもりか、あるいは現在の配偶関係を解消するつもりさえあることを意味するからである。そうなれば女性は、結婚によって確保したはずの資源のすべてを失う危機にさらされる。
この観点らすると、女性は一過性の浮気よりも、相手とのあいだに感情的なつながりのある情事に対してより強い怒りを覚えるはずだ。
夫と浮気相手とのあいだに感情的な結びつきがある場合
夫と浮気相手とのあいだに感情的な結びつきがある場合、資源のごく一部の損失でなく、配偶関係の完全な破綻に至ることが多いからだ。この推論が正しいことは、夫の浮気に感情的な絆がない場合には、女性は比較的寛容で、極端な怒りを表さないという事実からも明らかだろう。
そしてこのことは、男性も熟知しているように思われる。というのも、男性は浮気がばれたとき、相手のことを「何とも思っていない」と言って弁明するすることが多いからだ。
人間の恋愛においては、配偶者候補が資源や献身に関して嘘をついていた場合に、より多くのコストを背負わされるのは女性の側である。われわれの祖先の男性が、だまされてセックス・パートナーを選んでしまった場合、嫉妬に狂った夫や過保護な父親の怒りを買う危険はあるものの、それによって被る時間やエネルギー、資源の損失はごく小さい。しかし、女性がセックス相手の選択を誤り、長期的な配偶関係を持つ気がないとか資源の提供を行う気のない男性に騙された場合には、誰の助けもない状態で妊娠・出産。育児を行うというリスクを背負うことになる。
騙された場合の損失が巨大なものになりかねないので、欺瞞を察知し、騙されないようにする心理的な警戒機能は、大きな淘汰圧を受けて進化してきたに違いない。現代に生きるわれわれの世代は、一方の性が詐欺を仕掛け,他方がそれを察知しようとする進化上の競争の終わりなき螺旋(らせん)を、さらにのぼっているにすぎない。騙しの戦術が手に込んだもとなるほど、それを見破る手段また精微なものになっていく。
女性は、騙しという落とし穴から身を護るための戦略を進化させてきた
女性が安定した配偶関係を求めている場合、最初の防衛ラインとなるのが、セックスを許す前により多くの時間やエネルギー、献身を要求して、相手に恋愛コストを支払わせることである。
多くの時間をかければ、それだけ正確な評価が可能になる。相手の男性を値踏みし、自分に対してどの程度献身的か、他に女や子供を抱えているかどうかを判断する機会を与えられる。最終的な目的を隠し、女性は欺こうとしている男性は、求愛期間が長引くとうんざりしてしまい、もっと簡単にセックスできそうな相手を求めほかへ行ってしまう。
また女性は騙されないようにするため、ときには自分の友人に相談を持ち掛ける。配偶者もしくは配偶者候補とのやり取りについて、長い時間をかけ、細部に渡るまで検討するのである。パートナーとの会話のひとつひとつが列挙され、吟味される。
たとえば、「つきあっている相手の本心がどこにあるのかついて友だちに相談するか」ときかれれば、ほとんどの女性は「する」とこたえるだろう。対照的に、男性は相手の女性の本心を探ることにほとんど労力を傾けうとしない。
女性はカジュアル・セックスを求めている男性と結婚を望んでいる男性をより分けなくてはならない。しかし先祖の男性たちは、パートナー候補が長期的な配偶関係を結ぶ気があるかどうかを知るのに時間と労力を割く必要が、女性比べると少なかった。
女性は、男性の嘘を見抜くための戦略を発達させてきた
女性は、男性の嘘を見抜くための戦略を発達させてきたが、一方男性も、女性がつく嘘を無視できるわけではない。妻を求めている場合には特にそうで、女性の繁殖上の価値や資源、親族や人脈、どれだけ貞節を守れるかなどを正確に把握することが重要になる。
男性は、配偶者の容貌や性的な貞淑さを非常に重視するので、女性が年齢や過去の男性経験を偽ることに対してきわめて敏感であり、その女性の性的な評判がどんなものかを知ろうとする。
こうした心理的警戒機能が、女性の嘘、とりわけ永続的な配偶者を求める男性にとって子孫を残すうえでもっとも重要な二つの点――女性の持つ繁殖的価値と、その価値を独占できる見込み――に関する虚偽から身を護る機能を果たす。
男女どちらも、異性がつく嘘にたいては敏感に反応するが、どんな嘘を特に警戒するかは、男性と女性とでは異なる。異性に騙されることによって被るコストが、男女によって違うからである。そうしたコストを規定しているのは、人間の繁殖戦略の基盤となっている心理メカニズムにほかならない。異性の、ある特定の種類の嘘に特に大きな怒りを感じることは、男女によって分化した性戦略の性質を知る手がかかりになる。
不幸なことに、男女間の軋轢は、セックスをめぐる駆け引きや献身もしくは投資をめぐる不一致、双方のダマし合いだけでは終わらない。ときには、もっと暴力的なかたちで噴出することもある。
つづく
虐待