デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
資源の投資
男性と女性は、感情的な献身の度合いだけでなく、時間やエネルギー、資源の投資そのものをめぐって争うこともある。無関心や無責任の態度は、投資をめぐる軋轢のあられわれて言える。
恋愛中のおよび既婚の女性のち、三分の一以上が、パートナーが自分を無視し、無責任な態度で接していると非難している。そうした女性たちに共通する不満としては、男性が自分のために時間を割いてくれない、後で電話するといっておきながらかけてこない、デートや他の約束を土壇場でキャンセルする、などがある。
こうしたことに不満を抱く女性が男性の二倍近くいるという事実は、それが男性から女性に課されるなんらかのコストがあることを意味している。
無関心や無責任な言動に対する怒りは、時間と労力の投資をめぐる軋轢を反映している。たとえば約束の時間を守ることはなにがしかの労力を必要とする。責任ある行動は、他の目的に注ぎこめる資源の消費につながるのだ。一方、無関心は投資の少なさの表れであり、男性の献身の度合いが低くて、女性の利益のために最小限のコストを支払う気がないことを示している。
無関心と無責任な言動に対する不満は、結婚後も消えることはない。資源をめぐる争いは続くからだ。男女は、相手がどれだけのコストを背負う気があるかを判断するために、定期的におたがいをテストし続ける。そうした駆け引きの背後には、もしどちらかが満足できなくなった場合、配偶関係の解消という手段に訴える可能性がつねに潜んでいる。
結婚が投資をめぐる軋轢に終止符を打つわけではない。実際には、結婚して四年間が過ぎても、夫の無関心と無責任に対する妻の不満はまつたく解消されない。新婚女性の四一パーセント、および結婚四年目の女性の四五パーセントが、夫と過ごせる時間が少なすぎると不満を訴えている。
一方、同じ不満を抱いている男性は、新婚の場合でわずか四パーセント、結婚四年目でも一二パーセントにすぎなかった。
こうした無関心と表裏の関係にあるのが、依存と独占欲である。男女のどちらか一方が、パートナーのエネルギーをあまりにも多く奪い取り、結果として相手の自由を拘束してしまうような場合に、軋轢が発生する。
自分の時間とエネルギー
自分の時間とエネルギーがパートナーのために浪費されているという不満は、既婚男性によく見られるものであり、その割合は女性にくらべて極端に多い。
たとえば、既婚男性の三六パーセントは、妻のために余りに多くの時間を取られていると感じているが、夫に不満を抱いている既婚女性はわずか七パーセントにすぎない。また、既婚男性の二九パーセントは、妻がもっと自分に関心を向けるよう強要するのに閉口しているが、同じ悩みを持つ既婚女性はたった八パーセントである。
このような、時間と関心の要求に見られる性差は、投資をめぐる軋轢が解消されていないことを表している。女性は夫の投資をすべて自分に向けさせようと努力するが、一部の男性は妻による資源の独占に抵抗し、労力の一部を社会的地位の向上や、別な配偶者の獲得といった目的に振り向けようとする。
独占欲に対して
独占欲に対して、女性の三倍以上の男性が不満を示す背景には、余剰資源を新たな配偶相手の獲得や配偶の機会を広げる社会的地位の向上注ぎ込むことで得られる利益が、男性と女性では大きく異なっているという事実がある。
男性の場合、歴史的に見て、そうした投資から得られる繁殖上の利益は大きく、また直接的である。一方女性は、わずかな間接的利益しか得ることができず、それどころか多くの場合は、現在の配偶者からの時間や資源を失う恐れがあるために、むしろコストを背負いかねない。既婚女性の独占欲が強く、要求が多いのは、夫の資源が他の目的に振り向けられることを防ぐためなのだ。
投資をめぐる軋轢のもうひとつの表れは、パートナーが利己的過ぎるという不満だ。既婚のカップルを対象にした調査によれば、男性の三八パーセント、女性の三九パーセントが、パートナーが自分勝手に振る舞いすぎるという不満を述べている。同じように、女性では三七パーセント、男性では三一パーセントが、パートナーが自己中心的であると非難している。
自己中心的な行動は、配偶者や子供を顧みず、もてる資源を自分自身のために使おうとすることを意味する。こうした自己中心性への不満は、結婚生活が長くなるにつれ、劇的に増大する。
結婚一年目では、パートナーが自己中心的だと不満を述べているのは、女性で一三パーセント、男性で一五パーセントにすぎないが、結婚四年目になると、その割合は二倍に増加する。
この不満の劇的な増加を理解するためには、求愛の段階において、投資を約束するシグナルが大きいな役割を果たしていたことを考える必要がある。未来の配偶者に対する効果的な求愛方法は、自分は利己的な人間ではなく、自分の利益よりもパートナーの利益を優先するか、少なくとも同等に考えていることを知らせることだ。
こうしたアピールは、配偶者を惹きつけるうえで友好な戦術であり、求愛の過程で派手にディスプレィされる。しかしひとたび婚姻関係が確立してしまうと、利己的でないことを強調する戦術が脇に追いやられる。
パートナーを惹きつけるというその第一の機能が、重要性を失ってしまうからだ。男女どちらも勝手な気ままに振舞うようになり、パートナーのためには労力を費やしなくなる。既婚者が「夫(もしくは妻)からないがしろにされる」と不満を訴えるのは、おそらくこした事情からなのだ。
私がこれまで述べてきたことは、あまり愉快な話ではない。しかし、われわれ人間は自然淘汰によって形成された存在であり、善意と結婚生活の幸福に安住するようにはできていなのだ。われわれは、自分自身が生き残り、遺伝子を子孫に伝えるという目的に合わせてかたちづくられている。この無慈悲な基準が生み出した心理メカニズムは、ときとして利己的なものになる。
投資をめぐる軋轢
投資をめぐる軋轢のもっとも極端な形態は、金銭の配分をめぐる争いだろう。金銭をめぐる夫婦間の争いは、他のいかなる争いに増して、一種の「定番(クリシエ)」と見なされているが、そこには少なからず真理が含まれている。
アメリカ人夫婦を対象にしたある調査によれば、夫婦間の争いの最も大きいな原因の一つは、実際に金銭問題なのである。七二パーセントの夫婦が少なくとも年に一度は金銭問題で争っており、そのうち一五パーセントは月に一度以上の頻度で喧嘩している。さらに興味深いことに、争いの原因は、自分たちが持っている金の多い少ないよりも、その金を何に使うかをめぐってであるケースが多い。
夫と妻の利害が一致することは稀であり、夫にとって最良の金の使い道が、妻にとって最良であるとは限らない。この不一致は、夫婦の共有の資源をどちらがどれだけ消費するのか、そしてどちらがどれだけ得るに値するかという点において、もっとも顕著となる。
妻が衣服に金を使い過ぎるという不満を抱いているアメリカ人男性は、同じ不満を夫に抱いているアメリカ人女性よりずっと多い。この不満を抱いている男性の割合は、結婚一年目では一二パーセントだが、結婚四年目になると二六パーセントに達する。対照的に、同じ不満を抱いている女性は、結婚一年目ではたった五パーセント、五年目でも七パーセントでしかない。
しかしながら、男女どちらも、自分の配偶者が全体としてお金を浪費しすぎるという不満を抱いている点では変わりがない。結婚四年目の男女の約三分の一が、パートナーがふたりの共有資源を浪費していると非難しているのである。
女性の多くは、自分が得てしかるべきお金を夫が与えてくれないこと、特に贈り物をしてくれないことに不満を抱いているが、男性ではこの不満はあまり見られない。結婚五年目女性の約三分の一がこうした不満を訴えているが、男性では似たような不満を述べているのは一〇パーセントにすぎない。
男女間の軋轢は、配偶者選択の初期段階における、男女それぞれの選り好みを強く反映している。女性は、配偶者を選択する基準の一部として、どれだけ物質的な資源を持っているかを問題にする。そして結婚してしまうと、その資源が充分供給されないことを、男性以上に不満に思うのだ。
つづく
だましの行為