デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
セックスの機会
セックスの機会をめぐる不一致が、男女間でもっとも見られる軋轢の原因だ。一二一人の大学生に、自分の男女交際について四週間にわたって
日記をつけさせた調査によれば、そのうち四七パーセントが、性的な接触の度合いにつて、交際相手とのあいだに一度もしくはそれ以上の意見の不一致があったことを認めている。男性は一般に、最小限の投資でセックスの機会を得ようとする。
自分の資源に関して吝嗇(りんしょく「意味・物惜しみ・けち)であり、だれに投資するかの選択は非常に慎重である。永続的な配偶者や数多くの一時的なセックス・パートナーのために資源を取っておく必要があるので、節約しなければならないのだ。
一方、女性の性戦略のレパートリーにおいては、長期的な配偶戦略が大きな部分を占めている。だから女性は、セックスを許す前に、男性から投資を受けようとしたり、投資する意志があるというシグナルを読み取ろうとすることが多い。
そうやって女性が手に入れようとする資源は、男性が必死に守ろうとするものにほかならない。そして男性が求めているセックスという資源は、女性がきわめて慎重に相手を選び、与えるものなのである。
男女間の軋轢は、まず、配偶者としての評判の食い違いから起こることが多い。その場合、相手が自分を配偶者候補として見なしてくれないことに憤りを感じるだろう。一般に、配偶者としての価値が高い人々は、提供できる資源をより多く持っているため、同じように価値の高い相手を惹きつけることができる。
価値の低い人々は、やはり価値の低い相手とくっつくことになる。だが時として、自分では配偶者として価値が高いと信じているのに、まわりの人々はそれを認めないという場合がある。
その典型例は、あるシングルズ・バーの常連の女性だ。彼女は、いかつい顔をしたトラックの運転手や建設作業員に、何度か踊ろうと誘われたことがある。男たちはみなTシャツと野球帽という格好で、ビールをがぶ飲みしていた。彼女はそのたびに断ったが、するとこんな罵声を浴びせられたという。「お高くとまんなよ。おれじゃ役不足だって言うのか?」たとえ彼女が背を向けただけでも、そう考えていることは誰の目にも明白だったのだろう――あなたたちは私にふさわしくない、と。
口には出さなかったが、彼女が伝えたがっていたメッセージは「自分の価値からすれば、もっと理想的な男性が手に入るはずだ」ということであり、このメッセージが、誘いを撥ねつけられた男たちを激昂させたのだ。配偶者としての価値の判断が食い違っていることが、このような軋轢を生む。
こうした軋轢を生じさせる大きな心理的要因として、男性は、女性の側に性的関心がない場合でも、それがあるかのように思い込んでしまいがちだという事実がある。この事実は、実験によって裏づけられている。
ある研究では、中西部の大学に通う男子九八人、女子一〇二人の学生を対象に、男性の教授と女子学生の会話を録画した一〇分間のビデオを見せた。女子学生が教授の部屋を訪れ、学期末のレポートの提出期限を延ばしてくれるよう頼むという内容で、演劇専攻の女子学生と演劇科の教授がそれぞれの役を演じていた。
女子学生と教授は、親しげにふるまうように指示されてはいたが、誘惑したり思わせぶりなしぐさはしない。さて、ビデオを見せた後、被験者たちに、女子学生の意図を七点満点で採点させたところ、女性の被験者の多くは、「女子学生は友好的に振舞おうとしていた」を選び、六・四五点という評価を与えた。
一方、「セクシーに振舞おうとしていた」には二・〇〇点、「誘惑しようとしていた」には一・八九点しか与えなかった。それに対し、男性被験者の場合は、「友好的」にも六・〇九の評価を与えているが、「誘惑」に三・三八、「セクシー」に三・八と、この二つを女性よりもかなり強調する傾向が見られた。
同じような結果は、大学生二四人を対象とした別の調査からも得られている。この調査では、男性と女性がいっしょに勉強している写真を見せ、女性がどんな意図を持っているかを判定させた。
男性の被験者は、写真の女性が「セクシーに振舞おうとしている」に四・八七、「誘惑しようとしている」に四・〇八と、比較的高い点をつけた。一方、同じ写真を見た女性被験者は、「セクシー」に三・一一、「誘惑」に二・六一と、男性に比べかなり低い点しかつけていない。
明らかに男性は、女性がただ親しげに振る舞ったり、笑いかけたりするだけで、何らかの性的関心を示すものと解釈するのだ。実際に女性が性的関心を持っていようといまいと、それは変わらない。
女性の意図が良く解らない場合、まず性的関心があるものと考えがちのようだ
男性は、女性の意図が良く解らない場合、まず性的関心があるものと考えがちのようだ。彼らはその推測にしたがって行動し、ときにはただちにセックスを行おとする。進化の歴史を通じて、こうした男性の誤解が現実にセックスへと結びついた例がわずかでもあれば、男性が女性の意図をすぐ性的に解釈しがちな傾向を進化させてきたとしても不思議ではない。
他人がどんな意図や関心を抱いているのかを正確に知ることは不可能である以上、男性が女性の性的関心を誤って解釈していると断定することはできない。しかし、女性が性的関心を抱いていると男性が判断する基準が、きわめて甘いものであるということだけは、確実に言えるだろう。
こうした男性の心理メカニズムがいったんできあがると、今度はそれを操作することが可能になる。女性はその操作の戦術として、自分の性的魅力を利用する。大学生二〇〇人を対象とした調査によれば、女性は男性に比べ、異性からちやほやされるための手段として、笑いかけたりしていちゃついて見せたりすることが多い。たとえ相手の男とセックスする気がなくても、そうするのである。
男性が女性の中に性的な関心を見出そうとする傾向と、女性が意図的にその心理メカニズムを利用しようとする傾向の結びつきは、潜在的に不安定なものになる。この二つの性戦略は、どの程度の性的な関係を望むかで食い違いが生じたり、女性に主導権を握られていることが男性が不満に思ったり、男性が性的な面で強引過ぎて女性を怒らせたりと、さまざまな軋轢をひきおこす。
男性が強気にセックスを求めることは、ゆきすぎると性的な攻撃につながる。女性が拒んだり抵抗しているにもかかわらず、性的接触を強いるのである。性的攻撃は、男性がセックスのためのコストを最小限に抑える戦略のひとつだ。
この戦略は、報復を受けたり、評判を落とすといった、別のコストを背負い込む可能性がある。「性的な攻撃行為」とは、たとえば、男性が相手の同意を得ることなく性的関係を要求あるいは強要したり、許しもしないのに女性の身体に触れることを指す。われわれが行ったある調査では、女性の怒りを買いそうな一四七種類の行為を示し、その不快度を女性にランク付けさせた。不快度は七・〇〇満点で採点してもらったが、「性的攻撃」は平均して六・五〇点と、最高に近い点数を与えられている。言葉による嫌がらせや性的でない身体的虐待なども含めて、男性が行ういかなる行為も、性的攻撃ほど不快だとは見なされなかった。
一部の男性が信じ込んでいるのと違って、女性は強引にセックスに誘われることなど望んでいないのである。なかには、裕福でハンサムな男性に強引にベッドに連れ込まれるといった空想を抱く女性もおり、そうしたテーマはロマンス小説の定番となっている。しかしそれは、女性が現実に強引な誘いや、同意抜きのセックスを望んでいることを意味しない。
まったく対照的に、男性は、女性がセックスの面で攻撃的であることをほとんど気にしていない。他の不快な行為に比べれば、比較的無害なことと見なしているのだ。女性による一連の性的攻撃行為の不快度を、男性にやはり七点満点で採点させたところ、わずか三・〇二点、すなわち「少し不快な」行為としか判定されなかった。それどころか、数人の男性は自発的に、回答用紙の余白にこんな書き込みをしてきた――「もし女性がそういう行為をしたら、自分は性的に興奮するだろう」。
男性にとって、配偶者の浮気や、精神的もしくは身体的な嫌がらせといった他の要因――ちなみに前者は六・〇四点、後者は五・五五点をつけられた――のほうが、女性の性的攻撃行為よりもはるかに不快に感じられるのである。
性的攻撃が女性に与える不快感
性的攻撃が女性に与える不快感を、男性が過少に見なしたがる傾向は、男女間に横たわる大きな溝のひとつといえる。性的攻撃が女性にどれくらいネガティブ影響をもたらすかを男性に判定させたところ、七点満点で五・八〇しか与えられなかった。
これは、女性自身が判定させたときの六・五〇点に比べると、著しく低い。この差異が、男女間の軋轢の注目すべき源泉となっている。というのは、この差異の存在が示唆するのは、一部の男性は、自分の行為がどれほど女性に不快感をもたらすかを自覚できないために、攻撃的な性行動に走りやすい、ということだからだ。
また、性的攻撃が与える心理的苦痛を男性が正確に把握できないという現象は、異性観の関係に軋轢を生じさせるだけでなく、レイプの犠牲者に男性があまり同情を示さないという心理メカニズムの一部をかたちづくってもいる。
たとえばテキサス州のある政治家が、「もし女性がレイプから逃げられないなら、横になってセックスを楽しめばいいじゃないか」という心ない発言をしたことがある。これなどは、性的犠牲になった女性が受けるトラウマの深さを理解できない人間にしか吐けない台詞だろう。
逆に女性は、男性に対する性的攻撃が与える不快感を過大に考える傾向があり、五・一三点すなわち「中程度に不快」だと見なしている。しかし、前述したように男性の側は、女性からの性的攻撃の不快感度を三・〇二点にしか判定しない。男性と女性はどちらも、軋轢の原因である性的攻撃が異性にどの程度深刻な影響を与えているかを、正確に把握できずにいるのだ。
こうした男女間での認識の隔たりは、自分が性的攻撃を受けた時の反応に基づいて異性の心理を推測してしまうために生じていると思われる。つまり、男性は、女性が性的攻撃に対して男性と同じように反応すると思い込み、女性も男性と同じように反応すると思い込んでいる。
同じ出来事に対する認識が、男性と女性とでは違うという事実を広く知らしめることは、男女間の軋轢を解消するうえでの、小さいが重要な一歩だろう。
性的な攻撃性と対をなすのが、性的なガードの固さである。男性は、女性がセックスに関してガードがかたすぎるといういつも不満をいだいている。この場合の「ガードのかたさ」とは、性的に焦らしたり、セックスを拒否したり、男性を誘っておきながら、いざとなると撥ねつけることを指す。
性的なガードの固さがどれだけ不快かを、さきほど同じように七点満点で採点させたところ、男性は五・〇三点を与えたのに対し、女性の採点は四・二九にとどまった。異性の性的ガードの固さはいらだっているのだが、苛立ちの度合いは男性の方がはるかに大きい。
女性からすると、性的ガードを固くすることには、いくつかの利点がある。まず第一に、価値の高い男性――感情面では献身的に振る舞い、物質面では投資を惜しまない男性――を選び取る機会を温存できる。凡百の男たちにセックスを許さず、自分で選んだ相手のみ許すのである。
セックスの価値を高める
さらにガードを固くすれば、セックスの価値を高めることが出来る。言うなればセックスを希少な資源にするわけだ。希少価値があれば、男性にはより多くの代償を支払おうとする。沢山投資しなければセックスの機会が与えられないなら、男性はそれだけの投資をするだろう。
セックスが希少なものである状況下では、投資のできない男性は配偶者を得られなくなる。このような状況は、また別の種類の軋轢を男女間にひきおこす。性的なガードを固くしようとする女性の戦略が、なるべく感情的なつながりをもたずに手っ取り早くセックスしようとする男性の戦略を妨害することになるからだ。
ガードを固くすることのもう一つの効果は、自分の配偶者としての価値に対する男性側の評価を操作できるということだ。平均的な男性は、価値の高い女性とはなかなか性的な接触ができない。そこで、セックスを許さないことによって、男性の目から見た自分の価値を高めることも可能となるだろう。
最後に、性的なガードの固さは、男性が女性を一時的なセックス相手としてではなく、永続的な配偶者として見るように仕向ける役割を、少なくとも最初のうちは果たしている。
女性がすぐにセックスを許してしまうと、往々にして、その場限りの遊び相手としか見なされなくなる。男性はそうした女性を、多情ですぐにセックスに応じると信じ込んでしまうが、そのような資質は、永続的配偶者には望ましくないものとされているのだ。
男性は一般に、数多くの女性とカジュアル。セックスの関係を持ちながら、継続的な配偶相手は一人だけに限定しようとしている。女性が性的なガードを固めることは、この性戦略に抵触するため、軋轢を生む。ガードを固くすることで女性は男性にコストを強要し、男性の性戦略の構成要素である「低コストでセックスの機会を得る」という方針を頓挫させるからだ。
たしかに女性は、自分がいつ、どこで、だれとセックスするかを選ぶ権利を持っている。しかし、不幸なことに、そうした選択権の行使は、男性の心理に深く根付いた性戦略を妨害することになり、結果として男性に不満を抱かせ、男女間の軋轢をもたらす大きな原因の一つとなるのである。
つづく
感情的な献身