デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
暴力的な戦術
配偶者を繋ぎとめる最後の手段は、非難や脅迫、暴力などによって、ライバルや配偶者に多大なコストを課すことである。こうした戦術は、資源を提供したり、愛情や優しさを示すといった、利益をもたらす戦術の対極に位置する。暴力的な戦術は、ライバルに配偶者への接近を断念させ、配偶者に逃げ出すのをあきらめさせるという二つの点で効力を発揮する。
暴力的な戦術のうち、一部のものは潜在的なライバルに向けられる。そのもっとも穏健なかたちは言葉による侮辱だろう。配偶者がライバルに惹かれるのを妨げるためには、男女どちらも、ライバルの容姿や知性をけなしたり、ライバルについて悪い噂を流したりする。パートナーと首尾よく結婚できた後も、ライバルの誹謗はつづけられる。
いつなんどき、配偶者がライバルに乗り換えるかわからないからだ。こうした戦術は、節度を持って用いれば、ライバルの魅力を減殺し、配偶者が裏切る可能性を低くし、カップルが長続きする公算を高める上で有効な方法となる。
言葉による脅しや誹謗にもライバルが屈しない場合には、よりコストのかかる戦術が必要とされる。チンパンジーのオスは歯をむき出してライバルを脅し、メスのそばから追い払う。同じように、新婚の男性は、妻に物欲しげな視線を送る注ぐライバルたちを怒鳴りつけたり、脅したり、冷たい視線で応じたりする。
こうした暴力的な戦術は、ほぼ男性のみが用いるものだ。配偶者確保に関する調査によれば、このタイプの戦術はそう頻繁に用いられるものではないが、それでも既婚男性の四六パーセントは、過去に何らかの形で競争者を脅したことがあると回答している。
それにたいし、既婚女性で同じように、答えたのは、わずか一一パーセントでしかなかった。この戦術の機能は、他の男性たちに対し、もし自分の配偶者に関心を示したら、高いコスト支払わせるはめになるぞと警告するのである。
男性は、ライバルにさらに高いコストを支払わせることもできる。既婚の男性には妻にちょっかいを出す男に暴力を振るったり、あるいは友人を使って襲わせたりする。あるいは妻に必要以上の関心を抱いていそうな男を殴ったり、その男の財産に損害を与えたりすることもある。このような行動は、配偶者の確保という目的のために、他の男性に肉体的な損傷――まれには死――という、きわめて大きなコストを課すことになる。
そして、下手にちょっかいを出すとひどい目に遭うという評判は、他の男性に対する抑止力としてはたらく。大部分の男性は、気性が激しかったり、体格が良かったり、乱暴そうな男を配偶者に持つ女性にたいしては、手を出すのを躊躇するからだ。
暴力的な戦術は、必ずしもライバルだけに向けられるとは限らない。配偶者が逃げ出すのを阻止するために使われる場合が多いのだ。ヒヒをはじめとする霊長類のオスは、他のオスと交尾したメスに文字どおり体罰を与える。同じょうに既婚の男女は、配偶者が浮気すれば激怒するし、他の異性に興味を示しただけでも大騒ぎする。
一度でも浮気をすれば離婚とすると脅したり、二度と口を利かないと宣言したり、ときにはパートナーに暴力を振るうこともある。決まった恋人や妻がいる男性は、女性と一時的な関係しか持たない男性に比べ、そうしたコストを二倍近く課す傾向がある。
他の異性に興味を示した配偶者を罰する行為には
他の異性に興味を示した配偶者を罰する行為には、浮気をすれば大きなコストがかかると脅すことによる抑止力的な効果がある。そうしたコストは、たとえば打撲傷などの身体的なものであったり、非難や罵倒により自尊心を傷付けられるといった心理的なものであったりする。
なかでももっともコストが大きいのは、配偶者そのものを終わらせるという脅しだろう。配偶関係の破綻は、それまで配偶者の選択、誘惑、求愛に費やしてきた努力のすべてが無になることを意味するからだ。
浮気の抑止策として、文化的に是認されたかたちで暴力が行使されることがある。北および中央アフリカ、アラビア、インドネシア、マレーシアの数多くの部族では、さまざまな方法で性器を損傷させることにより、婚外セックスを防止する慣習が発達していた。クリトリスの割礼、すなわち女性が性的快感を得られないように、クリトリスを外科的に切除することは、現在でも数百万人のアフリカ人女性に施されている。
アフリカで一般的に見られるもうひとつの慣習は、大陰唇を縫い合わせる鎖陰(インフィビュレーション)である。ある推定によれば、現在でも北および中央アフリカの二三カ国で、合計六五〇〇万人の女性が、鎖陰によって性器を損傷させられているという。
鎖陰は、性交渉を妨げるという点では効果的である。未来の花婿に対して純潔性を保証するために、親族によって鎖陰が施される場合もある。そうやって鎖陰された女性は結婚後に縫合をとかれ、性交が可能となる。そして夫がしばらくの間家を空けるときには、ふたたび大陰唇が縫い合わされることもある。
スーダンでは、子供を産んだ女性はクリトリスを鎖陰され、縫合が解かれるまで性交することができない。ふつう、女性に鎖陰を施すかどうかは決めるのは夫だが、なかには女性が出産したあと、みずから進んで大陰唇を縫い縮めるように求める場合もある。そうした方が夫により強い性的快感を与えられると信じての事だ。スーダンの女性の場合、もし夫に快楽を与えられなければ、離縁され、子供や資源を失い、自分の親族全員に不名誉をもたらすことになりかねない。
男性は、女性を繋ぎとめるために、その女性に過大なコストを課すことがある。インドのバイガ族に関する比較文化的な調査では、他の男と浮気した罰として火のついた木材で妻を殴った男たちの事例を報告されているが、これは嫉妬が原因の女性に対する暴力である。
また、カナダで虐待されている女性に関する調査によれば、五五パーセントの女性が、夫が暴力を振るう理由の一つは嫉妬であると答えており、そう答えた女性の内半数は、自分の不貞が夫の暴力を誘発したことを認めている。
男性が性的な嫉妬を感じない文化は存在しない。インセスト・タブー(近親相姦)の禁止以外に性的な忌避が存在せず、嫉妬という現象が存在しないと思われた文化にさえ、性的な嫉妬が見られるという証拠が最近になって見つかっている。たとえば、長い間、マルケサス島民のあいだでは密通は禁じられていないと考えられてきた。しかし、この固定観念は、民族学者の次のような報告によって覆されることになった。
「女性がひとりの男性と暮らし始めると、彼女はその男性の支配下におかれる。もし許可なしに他の男性のもとへ走ったりすれば、暴力を振るわれるか、男性の嫉妬の激しい場合にはころされることさえある」
性的な嫉妬が存在しないと考えられてきたもう一つの事例は、妻を共有する習慣をもつイヌイットの男性の場合である。しかし、通念に反して、イヌイットのあいだで起こる配偶者殺人の主要な原因は男性の性的嫉妬であり、しかもイヌイットではこうした殺人が起こる率が驚くほど高い、
イヌイット男性が妻を共有するのは、双方に何らかの利益が期待できるという、きわめて限定された状況のものに限られる。こうした発見から、性的に解放された人々が配偶者を自由に共有し、嫉妬など抱かずに暮らしているようなパラダイスは、この世には存在しないことがわかる。
いくつかの社会では、他人の妻と密通している現場を見つけられた男性は、その夫になんらかの賠償を支払わなくてはならない。アメリカにおいても、「第三者による夫婦の難問」が生じた場合、夫は妻の愛人に慰謝料を請求できる。
たとえばノースカロライナ州では、ある眼科医が、知人の女性が夫と別れる原因を作ったという理由で、その女性の前夫にたいし二〇万ドルを支払うよう命じられたケースもある。
このような法律上の規定は、進化が生みだした人間の心理にたいする直感的な理解を反映したものと言えるだろう。すなわち、他人の妻を寝取ることは、他人の資源を不法に盗む事に等しいのだ。
世界のあらゆる社会で、自分の財産を盗み、破壊の痕跡残していく泥棒と同じように対処する。
つづく
利害の一致