デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
カジュアル・セックスに適した状況
誰もが知っているように、この世界には女たらしの男もいれば、決して浮気をしない男もいる。
カジュアル・セックスを楽しむ女もいれば、決まった相手以外とのセックスなど愉快に思わない女もいる。カジュアル・セックスにたいしてどれだけ積極的かは人によって異なるし、その態度は時間とともに変化したり、状況によって変わったりする。
こうした性戦略のバリエーションは、社会的、文化的、あるいは環境的な条件に左右される。
子供時代に資源を投資してくれる父親がいなかったことは、カジュアル・セックスを促進する条件の一つとなる。例えば両親が離婚した女性は、家族の結束がかたかった女性よりも男性関係が多くなりやすい。父親不在が、男性からの投資などは頼りにならないという考えを女性に植え付け、そうした女性は、だれかひとりの男性から継続的な投資を確保しようとするよりは、数多くの短期的なパートナーから、その場その場で資源を引き出す戦略を取ろうとするのかもしれない。
カジュアル・セックスは、人生における成長の段階とも関係している。多くの社会で、思春期の男女は、配偶市場における自分の価値を調べたり、違った性戦略を試してみたり、異性を惹きつける魅力を磨いたり、自分の好みをはっきりと確認したりする手段として、一過性の男女関係を結びたがる。
そうした段階を経て結婚への準備をととのえるのだ。アマゾン流域のメヒナク族などいくつかの社会では、結婚前の若い男女がセックスを経験してみることを、黙認どころか奨励しているという事実からも、短期的の性関係が性関係を成長段階と関連していることが読み取れる。
ある配偶関係から次の配偶関係へ移行する時期も、カジュアル・セックスを行う機会となる。たとえば離婚する際には、自分が現在の配偶市場でどれだけの価値があるかを知る必要がある。
結婚で子どもができていた場合には、配偶市場での価値は下がるのが普通だが、一方でキャリアを積んで社会的地位が上がっていれば、市場での評価も上がるだろう。そうした状況の変化すべてが、個人の評価にどんな影響を与えたかを正確に知る最良の手段として、短期的な情事がある。情事によって、いま自分の価値がどれくらいかを正確に判断することができ、これからどんな方針で配偶者を探せばいいのかを決められるからだ。
短期的な男女関係から生じやすいもうひとつの状況は
適齢期の女性の数にたいして、適齢期の男性が多すぎるか少なすぎる場合である。こうした男女不均衡が生じるのにはさまざまな要因がある。
たとえば、戦争で女性よりも男性が多く犠牲になった場合や、喧嘩や抗争といった男性が命を落としやすい危険な行為の影響もある。故意の殺人による犠牲者は、男性が女性の七倍近く昇っている。
さらに、年齢によって男女の再婚率の差も影響している。年を取るにつれ、女性は男性よりも再婚率が下がることが多い。もし男女比が女性過剰で女性とセックスする機会が得やすくなれば、男性は短期的な情事に走って多くのセックス・パートナーを求める欲求を満足させられるだろう。
一例を上げれば、アチェ族の男性は非常に多くの女性と関係するが、それは女性のほうが男性よりも五〇パーセントも多いからだ。結婚して資源を引きだせる男性が不足していたり、あるいは結婚しても利益が期待できない場合には、女性もカジュアル・セックスに移行することになる。
ある種の地域社会の内部、特に都市のスラム街では、女性が永続的な配偶者に求めるだけの資源を、男性が持ちあわせていないことが多い。男性が資源を持たない以上、女性も一人の男だけと配偶関係を築く必要性が少なくなる。
また、女性が夫からよりも親族から多くの資源を得られる場合にも、同じ理由で婚外セックスに傾きがちになるだろう。こうした状況にある女性は、機会あるごとにさまざまな男と交わることで、自分自身や子どもたちのためにより大きな利益を得ようとする。
食物が平等に分配されるように社会では、女性にとって結婚のメリットが少ないため、一時的なセックス・パートナーを求めることが多い。たとえばアチェ族では、大がかりな狩りで得られた獲物は平等に分配される。腕のいいハンターが、技術の劣るハンターよりも肉の分け前を多く受け取るわけではない。
女性もまた、夫がいようがいまいと、また夫の狩の技術がどうだろと関係なく、同じだけの食料を手に入れることが出来る。そのためアチェ族の女性にとって、ひとりの男と配偶関係を続けることはさほど利益にならず、七五パーセントの女性は短期的な性関係を次々と繰り返すことを好む。
もう一つ、似た例を提供してくれるのが、スウェーデンの充実した社会保障制度だ。食料をはじめとする必要な資源があらゆる人々に提供されるため、女性に結婚をうながす誘因はあまりない。その結果スウェーデンでは、一緒に暮らしているカップルのうち結婚しているのは半数にすぎず、男女双方が一時的な関係を結んでいる。
人間を一過性の情事に向かわせるもう一つの原因は
自分が将来、どれだけの価値を持つかという点である。ただしこれは、男性と女性とでは事情が異なる。将来のキャリアは約束されているが現在はまだ修行中の男性は、当面は短期的な情事だけを追求するだろう。
自分のキャリアが頂点に近づくにつれ、理想的な伴侶を得る可能性が高くなるからだ。一方、現在の段階で配偶者としての価値があまり高くない女性は、自分の望むような夫を得ることは難しいと判断し、次善の策として、その場限りの関係を気楽に結ぶかもしれない。
法的・社会的・文化的な寛容さが、情事を促進することもある。ローマの皇帝たちは数百人の愛妾をもつことをゆるされており、さらにその愛妾たちは三〇歳になるとハーレムを追われ、新しい女性にとってかわられた。
またスペインやフランスでは、男性が愛人を別宅に囲い、結婚の束縛から離れて短い逢瀬を楽しむことが、文化的伝統として容認されていた。一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて盛んに見られたコミューンや生活共同体などでは、短期的な男女関係によって性体験を重ねることが、イデオロギー的に推奨された。
最後に、他の人々の性戦略が、カジュアル・セックスを促す場合がある。一九九〇年代のロシアのように、多くの男性が一過性の男女関係を望んでいるような状況下では、そもそも結婚しようとする男性の数が少ないので、女性は事実上カジュアル・セックスを強要されることになる。また、カップルのどちらかが不倫に走った場合、裏切られた方は腹いせに浮気をしようと思うだろう。
人間は、なんの理由もなくカジュアル・セックスをするわけではない。それは、成長段階や個人の魅力、人口の男女比や文化的伝統、法律の寛容さ、他の人々の性戦略といった要素に関係している。そうした条件すべてが相まって、ある人間が、数多くの性戦略の中からカジュアル・セックスという選択肢を選び取るかどうかが決まるのである。
つづく
力の源泉としてのセックス