デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
進化がつくりだした男の要求
オスが、メスの外見をきわめて重視するのは、動物界における不変の生物学的原則というわけではない。実際、クジヤクを初めとする多くの種では、配偶者の外見を重視するのはオスではなくメスのほうである。また、オスが若い配偶者を好む現象も、動物界では普遍的に見られるものではない。
オラウータン、チンパンジー、ニホンザルなどのけ霊長類では、すでに出産を経験し、繁殖能力を持つことを立証されている年長のメスのほうが、配偶者としては好まれる。これらの霊長類のオスは、若いメスにはあまり性的関心を示さない。若いメスは、まだ成熟していないため繁殖能力が低いからである。
しかし、人間の男性は、数々の特殊な適応的課題に直面してきたために、性に関する独自の心理メカニズムを進化させた。人間の配偶行動では結婚が中心的な役割を占めているために、男性は若い妻を求めるようになった。
彼らの欲求もまた変化し、いま妊娠可能な状態にあるかどうかだけでなく、将来にわたって繁殖能力を維持できるかどうかによって、女性を評価するようになった。未来の配偶者の繁殖能力を予測する際には、その容姿が重要な手掛かりとなるため、男性は女性の容姿を重視するようになった。
男性が、魅力的な肉体をもち、若く、性的に貞淑で、死ぬまで夫に忠実である妻を求めるのは、万国共通の傾向である。西欧文化や資本主義に特有のものでなければ、アングロサクソン系白人の偏狭さやマスコミが作り出したものでもなく、広告産業の絶え間ない洗脳の結果でもない。
この傾向は、世界のあらゆる文化に観察でき、例外は存在しないのだ。それは、進化が作り出し、人類の精神に深く埋め込めこんだ心理メカニズムであり、われわれの配偶者選択を決定づけているのと同じょうに。
この心理メカニズムの奥深さを示す証拠のひとつは、皮肉なことだが、同性愛の男性がパートナーを選ぶ際には、身体的魅力を重視する。また、彼らの美の基準では、若さがきわめて重要な要素とされる。この二つの事実は、たとえ性的関心の方向は違っても、パートナー選択の基本的なメカニズムは不変であることをしめしている。
人間の配偶者選択がこうした状況のもとに行われていることに、ショックを感じている人々もいるかもしれない。それは、フェアではないように見えるからだ。われわれは自分の身体的魅力を、ごく限られた範囲でしか変えることができない。
そのうえ、一部の人々は生まれつき他の人々より美しい容姿を授かっている。美は、あらゆる人間に平等に配分されているわけではないのだ。また、女性は自分の年齢を自由に変えられるわけでもないのに、その繁殖的価値だけは、年を取るにつれて男性よりもはるかに急激に低下してしまう。この点では、進化は女性に対して冷酷である。
そのため女性たちは、化粧品や整形手術、エアロビクスなどの助けを借りて、迫りくる老いと戦おうとする。こうした風潮に応えて、アメリカには年商八〇億ドルの美容産業が出現したのだ。
かつて私は、配偶者選択における性差の問題について講義を行ったが、そのとき、ひとりの女性から忠告を受けたことがある。私が発見した事実は、女性に大きな不利益をもたらしかねないとので公表すべではない、と言うのである。
科学者たちから、配偶をめぐる問題は男性が進化させてきた心理メカニズムに起因しているとわざわざ指摘してもらわなくも、すでに女性たちは、この男性優位社会で十分すぎるほど難題を背負い込んでいる。というのがその女性の主張だった。
だが、これらの真実を公表しないことが有意義だとは私には思えない。ちょうど、瑞々しく熟した果実を好む傾向が進化してきたという事実を隠蔽したところで、人間の味覚を変えることはできないのと同じことだ。
女性の容姿や若さ、繁殖能力だけを重視するという理由で男性を非難するのは、動物性たんぱく質を好むという理由で非菜食主義者を批判するのに等しい。若さや健康などに惑わされるなと男性に告げるのは、砂糖は甘くないと思えと言っているのと同じである。
多くの人々は、美の基準は恣意的なものにすぎないという観念を抱いてる。美などといものは皮相的でしかなく、文化が異なれば、容姿の重要性などは大きく変化する。
しょせん西欧的な美の基準などは、メディアや両親、文化などといった社会性の媒介者によって植え付けられたものでしかない、というのだ。しかし、何が魅力的であるのかの基準は、けっして恣意的ではない。それは、若さと健康、さらに言えば繁殖価値を反映したものなのだ。
美もまた、たんに皮相的なものでもなく、目に見えない?殖力を示すものである。現在では、医療技術が進歩し、昔に比べてより幅広い年齢層の女性が妊娠し、出産できるようになってきているが、それでもなお、男性が繁殖能力を確実に持っていそうな女性を好む傾向は生き続けている。
そうした心理メカニズムが、いまは過去のものとなった先史時代に形成されたのだという事実も、この傾向を押しとどめることはできない。
その一方で、文化的状況や経済的事情、技術的進歩は、男性が貞操というものの価値を判断する際には、中心的な役割を果たした。スウェーデンのような、女性が経済的な面で男性にあまり依存していない社会では、セックスがかなり自由に行われており、男性は未来の妻に性的な純潔を期待しないし、要求もしない。
こうした変化は、配偶者選択の基準の一部が、文化や社会的状況の特性に応じて変化しうることを明確に示している。
しかし、社会によってかなりの差異が見られるとはいえ、男性が永続的な配偶者に求める条件のなかで、処女の妻をめとることなど事実上不可能であるにもかかわらず、彼らは性的な純潔というものにこだわりつづけている。
自分が子どもの父親であることを確実にするために、性的に貞淑な配偶者を求めるという心理メカニズムは、避妊技術の進歩によってもはや不要なものとなっている。だが、貞淑な配偶者を好む傾向だけはそのまま受け継がれているのである。
男性は、たとえ妻が避妊用ピルを服用していると分かっていても、それだけでは妻に貞淑さを求める欲求を抑えることはできない。こうした普遍性は、われわれが進化させてきた性に関する心理メカニズムの重要性を明示している。
このメカニズムは、もともと遠い祖先の時代に、子孫を残すうえで重要な指標に合わせて形成されたものだが、現在の配偶行動には、結婚以外の行為も含まれる。かりに、われわれの祖先の男女が、お互いに対して常に貞節を守りつづけていたとしたら、貞淑さへの強い欲求を生み出すような淘汰圧はかからなかったはずだ。
そうした欲求が存在する以上、男女どちらも、短期的な情事や、その場限りのセックスを行っていたに違いない。次章では、人間の性行動における、この隠された領域に目を向けることにしよう。
つづく
4、その場限りの情事