純潔と貞節

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

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デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之

純潔と貞節

哺乳類のメスは、ふつう一定の間隔を置いて発情期を迎える。発情期になると、はっきりと目に見える兆候があらわれたり強い匂いが分泌されたりして、オスを惹きつける。交尾の大部分は、この限定された期間内に行われる。

ところが人間の女性は、排卵期にある時でも何一つ性的ディスプレィを行わないし、はっきりした嗅覚的なサインを分泌するわけでもない。実際、人間の女性は、だれにもわかるように排卵を行うという特異な適応をとげた点で、哺乳類の中でも例外的な存在なのだ。
このような「隠された排卵」は、女性が妊娠可能な状態にあるかどうか判断をむずかしくする。

 排卵が隠されているために、人間の配偶行動の基本ルールは根底から変わってしまった。女性は排卵期間だけではなく、月経周期の全期間を通じて男性を惹きつけることができるようになった。

 一方「隠された排卵」は、男性たちにある特別な適応上の課題を投げかけた。女性がいつ排卵するかの判断できないために、生まれてくる子どもが、はたして本当に自分の子どもであるか怪しくなるのである。ふつう哺乳類のオスは、発情期という短い期間だけメスを独占し、生まれてくる子どもの父親は自分だと確信することが出来る。

 交尾し、メスを守らなければならない期間ははっきりと限定されているので、発情期の前後には、オスはメスを寝取られる心配をする必要がなく、安心してほかの事に没頭できる。

 われわれの祖先の男性は、これほど恵まれてはいなかった。彼らには、女性がいつ排卵するのか全く分からなかった。かといって、女性を四六時中監視しつづけることは不可能だった。配偶行動だけに専念していては、生き延びることも子孫を残すこともできないからだ。

 男性が配偶者を守ることに時間を費やするほど、他の重要な適応上の課題に取り組む時間は少なくなる。そのため、われわれ祖先の男性は、他の哺乳類のオスが経験しなかった特異な課題に直面することになった。
つまり、生まれてくる子どもの父親が自分であることをいかに確認するか、という問題である。

結婚は、その一つの解決策を提供してくれた。結婚している男性は、他の男性に比べ、自分が子どもの父親である可能性が高いという点で、適応上有利な立場を確保できた。排卵期のあいだ何度も性交を繰り返すことで、生まれてくる子どもが自分の子である確率が高まるからだ。

また、結婚という社会的慣習は、そのカップルをめぐる公的な絆として機能する。そのため、夫婦間の貞操は親族たちによって強化されることになる。さらに、結婚することで配偶者の人間性をより細かく知ることができ、そのため妻が不倫を隠しとおすのは困難になる。このように結婚は、少なくともある状況のもとでは、他の性交渉の機会を放棄するに足りるだけの利益を、先史時代の独身男性にもたらした。

結婚によって繁殖上の利益

結婚によって繁殖上の利益を得ようとする男性は、妻が性的に貞淑であるという確実な補償を得なくてはならなかった。補償を得られない男性は。妻の行動を探ったり、機嫌を取ったり、他の男を寄せ付けないようにするのに時間と資源を費やさせねばならず、子孫を残す上で不利な立場に置かれた。

妻の不貞に気づかなければ、実は何年にわたって、他の男の子どもを育てるために投資を続けていたことになりかねない。これは、自分の労力を自分の他の男の遺伝子のためにつぎ込んでいるのと同じことだ。

この人類に特有の適応上の課題を解決するために、われわれ祖先たちは、まちがいなく自分の子どもを産んでくれそうな配偶者を探すという方法を取った。そのために男性は、少なくとも二つの資質を配偶者に求めた。ひとつは結婚前の純潔であり、もうひとつは結婚後の性的な貞操である。

近代的な避妊法が開発される以前の時代には、純潔性は、将来自分の子どもを確実に産んでくれることを示す指標となった。女性の性的な潔癖さを生みだす気質が、年を経ても変わらないものだと仮定すれば、結婚前の純潔性は、将来の貞節を示すものだと考えてもいい。
処女の花嫁を選ばなかった男は、妻がいずれ不貞を働く危険を甘受しなくてはならなかった。

現代においても、女性は花婿が童貞であることに価値を見出さないのにたいし、男性は花嫁が処女であることを高く評価する。アメリカで行われた、配偶者選択に関する世代間比較調査では、男性が女性よりも、未来の配偶者の純潔性を重視する傾向がはっきり見られた。

とはいえ、男性が配偶者の処女性に見出す価値は、この半世紀の間に減少してきている。この評価の下落は、避妊法の確実性が高まったことと軌を一にしており、おそらくはこの文化的変革の結果だと解釈することができる。1930年代には、男性は花嫁の処女性を、ほとんど「必要不可欠」と評価していた。

しかし最近の二〇年間では、「望ましいが特に重要ではない」としかみなされない。調査の対象となった一八種類の資質のうち、処女性は、1939年には第一〇位にランクされていたが、八〇年代後半には一七位にまで転落している。また、あらゆるアメリカ人男性が処女性をおなじように評価しているわけでなく、地域によってかなりの差が見られる。

たとえば、テキサスの大学生は、花嫁の処女性を三・〇〇満点で一・一三に評価しているが、カリフォルニアの大学生は〇・七三点しか与えなかった。このように、二〇世紀に入ってから純潔性の価値は低下しつつあり、また地域によって価値観は異なっているが、それでもなお、男女間での評価の差は歴然と存在している。
未来の配偶者を選ぶ際に、男性は女性よりも、相手の純潔性を重視するのである。

男性が女性よりも、純潔性を尊ぶ傾向は世界的に見られるが、どれくらいの価値をおくかは文化によって大きく異なっている。まず、中国、インド、インドネシア、イラン、台湾、イスラエルのパレスチナ人居住区といた地域の人々は、未来の配偶者の純潔性をきわめて重要視する。

一方、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、オランダ、西ドイツ、フランスなどの人々はその対極に位置し、未来の配偶者が処女であるかどうかなどはほとんど気にしていないか、少なくとも重要でないと考えている。男性が女性よりも、配偶者の若さや容姿を重視することは、世界的に共通の現象だった。

だが配偶者の純潔性について、男女で明確な価値観の違いが認められた事例は、国際調査の対象とした文化圏のうち六二パーセントに過ぎなかった。とはいえ、純潔性の価値についてなんらかの性差が見られた。事例では、例外なく男性のほうが女性よりも純潔性を高く価値していた。女性が男性よりも配偶者の純潔性を重視ていた例はひとつも見られなかった。

純潔性に関する男女それぞれの評価が、文化によって大きく異なっていることには、さまざまな要因が考えられる。婚前交渉がどの程度行われているか、結婚相手に純潔がどれくらい求められているか、女性の経済的自立の度合い、純潔性を立証できる確実な指標が存在するかどうか、などである。

純潔性という要素は

直接目に見えるものではないという点で、たとえば容貌などとは性質が異なる。女性が処女かどうかを知るために身体検査を行ったとしても、処女膜の形状は千差万別であり、性交以外の原因で破れることもあれば、人為的に修復されることもあるので、判断がつきにくい。

例えば日本では、外科的に処女膜を修復する「処女膜再生手術」がひとつの医学的ビジネスになっている。日本人男性がいまもなお花嫁が処女であることを重要視しており、三・〇〇満点で一・四二という高い評価を与えているためである。
ちなみに、アメリカ人男性にいたってはわずか〇・三四点しか与えていない。

 性的な純潔に対する評価の差は、女性の経済的自立の程度や、セックスに関する能動性の差からも生じると考えられる。たとえばスウェーデンのような国では、婚前交渉は非難されず、女性が処女のまま結婚することなど事実上ない。そうなった理由の一つは、スウェーデンの女性は他の国々の女性にくらべて、男性への経済的な依存が極めて少ないからだ。

 法律学者リチャード・ポスナーの指摘によれば、スウェーデンの社会福祉制度では、子供の保育施設や長期にわたる有給の出産休暇など、出産・育児の助けとなるさまざまなシステムが完備している。スウェーデンの納税者は、以前なら夫が提供するはずだったものを惜しみなく女性に提供することで、男性への経済的依存から女性を解放したのである。

 経済的に自立したおかげで、女性たちは何ら犠牲を払うことなく、結婚前に自由で活発なセックスを楽しめるようになり、あるいは結婚せずに生きることも選べるようになった。かくして、処女のまま結婚するスウェーデン人女性はほぼ皆無となり、スウェーデンの男性が結婚相手の処女性に与える評価かも、〇・二五という世界最低の水準まで低下した。

 こうした大きな文化的差異は、女性の経済的自立度や、どれだけの利益を夫から得られるか、夫を得るための競争の熾烈さといったものの違いから生じている。女性が結婚で大きな利益を得たり、夫を獲得するための競争が激しい社会では、女性は自分の純潔性をアピールしようとし、その結果、婚前交渉が行われる割合は低下する。

 一方、女性が経済的に自立しており、男性の経済力への依存が少なく、夫を得るための激しい競争もない社会では、女性は男性の好みに合わせて行動しなくてもいいので、婚前交渉率も高くなる。

どの文化圏の男性も

できることなら処女の花嫁を娶る方が望ましいと考えているかもしれないが、一部の文化圏では、それを望んでも無駄なのだ。

 男性が子孫を残すという見地からすると、まちがいなく自分の子どもを産ませるために重要なのは、純潔性そのものよりも、むしろ結婚してから貞操を望むことはできる。配偶関係に関するある研究によれば、アメリカ人男性は、配偶者がセックスの経験を欠いているほうが望ましいと考えている。

 さらに、永続的なパートナーが性的に奔放であることは「きわめて望ましいない」と見なされており、最低をマイナス三・〇〇、最高をプラス三・〇〇としたとき、マイナス二・〇七という否定的な評価を与えられている。われわれの祖先の男性にとって、未来の配偶者がどれくらいの性体験をもっているかは、処女性などよりも、自分の子どもを確実産ませるという適応上の課題を解決するための有効な手掛かりとなった。

 事実、最近行われた調査でも、不倫の有無を予測する唯一最良の指標は、結婚前のセックスに対する姿勢であることが明らかにされている。結婚前に多くの相手と性交渉をもっていた人々は、セックスの体験の少ない人よりも、不倫に走る割合が高かったのである。

 現代の男性は、貞操というものに大きな価値を認めている。先ほど言及した配偶関係に関する調査では、アメリカ人男性に、パートナーの資質として六七項目を示し、それぞれが配偶者関係においてどのくらい望ましいかを、最低をマイナス三・〇〇、最高を三・〇〇として評価させた。その結果、貞操および身持ちの固さは、最も望ましい資質と見なされたのである。すべての男性がこれらの資質に最高の評価を与えており、プラス二・八五という高い平均点となっている。

 逆に、貞操観念の欠如は、もっとも望ましくない資質としてマイナス二・九三に評価されているが、これは、男性が女性の貞操をいか重視しているかを反映したものだろう。男性は、妻が性的に奔放であることに強い拒否反応を示す。妻の浮気は、他のどんな苦痛にまして、男性を動揺させることも分っている。女性もまた、夫の浮気によって激しく動揺するが、その苦痛は夫からくわえられるその他の苦しみ――たとえば性的虐待にくらべれば、まだ小さいものだ。

 一九六〇年代から七〇年代にかけて起こった性革命は、束縛からの解放と自由なセックスを標榜し、男性が女性に性的な貞操を求める傾向を、ある程度まで押しとどめた。しかし、女性の貞操は、いまもなお、その女性が自分の繁殖資源をすべて夫だけに費やすことの表明と見なされている。

 女性が将来セックスについてどんな姿勢を取るかは、男性が結婚を決断するうえで大きな要素でありつづけているのである。
つづく 進化がつくりだした男の要求