デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之
外見の重要性
女性の外見は数多くの指標を提供してくれ、また男性の抱いている美の基準はそうした指標に合わせて進化してきた。そのため男性は、配偶者選択の際に、女性の外見と身体的魅力を高く評価するようになった。
1950年代、アメリカの五〇〇〇人の大学生を対象に、未来の妻もしくは夫にどんな資質を望むかを尋ねてみた調査では、男性は女性に比べ、「身体的魅力」をあげる頻度が高かった。
その回答に使われた言葉の種類の多さは、身体的魅力がいかに重要視されているかをはからずも示している。男性たちは、「可愛く、魅力的で、美しく、ゴージャスで、目鼻立ちが整い、愛らしく、人目を惹き、グラマーな」妻を望んでいるのだ。一方、少なくとも当時の女子学生は、理想の夫の条件として「身体的魅力」を第一に挙げることはほとんどなかった。
1939年から89年まで50年間にわたって行われた、配偶者選択に関する世代間比較調査では、配偶相手のさまざまな特徴を男女がそれぞれどう評価しているかを調べた。同じ一八種類の資質に対する評価を約一〇年おきに調べることで、アメリカ人の配偶者選択の好みが時代とともにどう変化してきたかを探ろうとしたのである。
だが、どの時点の調査でも、男性が女性よりも、未来の配偶者の身体的魅力や容貌を高く評価し、重要視していることには変わりなかった。男性の多くは、配偶者の身体的魅力を「重要である」と評価していたが、女性は「望ましいが特に重要ではない」と評価していた。
身体的魅力の評価が男女によって異なる傾向は、世代から世代へと変わることなく受け継がれており、その評価の差も五〇年間ほとんど変わらなかった。男性が女性にくらべ、配偶者の身体的魅力を重視することは、これまで知られているかぎり、もっと恒常的見られる心理的性差のひとつである。
とはいえ、身体的魅力をどれだけ重視するかが、遺伝子によって恒久的に固定されるというわけではない。それどころかアメリカでは、二〇世紀に入ってから、身体的魅力の重要度が飛躍的に増大しているのである。
一九三〇年以降、世代を経るにつれ、男女を問わず容貌の美しさがますます重視されるようになってきている。この傾向は、テレビやファッション雑誌、広告など、魅力的なモデルを起用するメディアの興隆と関係している。具体的例をあげれば、結婚相手の容貌をどれだけ重視するかを三・〇〇満点で評価させて調査結果を比較したところ、一九三〇年と一九八九年では、男性で平均一・五〇から二・一一へ、女性で〇・九四から一・五七へという大幅な増加が見られた。こうした変化は、時代によって配偶者選択の好みもかわりうるのだということを示している。
こうした変化は、時代によって配偶者選択の好みも変わりつつあるのだということを示している。ただ、男性が女性よりも配偶者の身体的魅力を重視するという性差が存在することに変わりはない。男性と女性のあいだの評価の差は、一九三〇年以来ほとんど不変だからだ。
このような心理的性差は、アメリカや西欧諸国だけに限られたものではない。前述の国際調査によれば、地理的条件や環境、婚姻システム、文化、生活習慣の差異にかかわりなく、あらゆる文化圏で、男性は女性よりも未来の配偶者の身体的魅力を重視していることがわかっている。
中国はその平均的な例であり、美しさの重要度を三・〇〇満点で評価させたとき、男性が二・〇六点を与えているのにたいし、女性は一・五九にしか評価していない。この性差は、階級制度や言語、人種、民族、宗教、地理条件、政治システム、婚姻システムなどの違いを超えてた、ヒトという種の共通の心理メカニズムなのである。
つづく
男の地位と女の美しさ