煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。トップ画像

男はなぜ新しい女が好きなのか? 男と女欲望の解剖学 サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳

本表紙男と女欲望の解  剖学 =サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳

ピンクバラ男と女欲望・男たち

 200年ほど遡る1790年、人の住まないこの島で新たな生活をつかもうと、15人の男と13人の女がやってきた。
最初に事を起こしたのは、バウンディ号の鍛冶屋のジャック・ウィリアムだった。
 鳥の卵を集めている途中崖から落ちて死んだ妻の埋め合わせをするため、ポリネシア人のタラロという男の恋人をさらったのだ。これを受けて、6人のポリネシア人の男たちが反撃に向かった。

 最初の反撃は失敗に終わり、ポリネシア人2人が死んだ。だが2度目の襲撃は、かなりの成果をもたらした。ポリネシア人たちは船乗りの4人の頭の皮をはぎ、その結果として、彼らの4人の女が手に入ることになったのだ。だがポリネシア人たちは、その中のテラウラという女をめぐって争う。

生命の誕生

紀元前4004年に白い髭をたくわえた老人があらゆる種に命を与え最後にそれをみな司るための人類を作ったという説が広く信じられていた。そのためダーウィンの説は、異端の烙印を押されることになった。

「ああ、そんなことどうぞ真実ではありませんように」ウースターの司祭の妻が呟いたという。「たとえ真実だとしても、広く知れ渡りませんように」。ところがダーウィンの説は事実であり、しかも広く知れ渡ることになった。

 世界は6日間で生まれたとか、あばら骨とかリンゴうんぬんを信じる彼女のような人々にとっては実に残念なことだった。とはいえ、生命誕生のプロセスがわかってきたのは最近のことで、しかもその時の状況はまだ十分に解明されていない。
 それでもダーウィンの説を受け入れるのなら、ピトケアン島で起きた出来事にも納得できるのである。

デビィツド・M・バス訳=狩野秀之目次


本表紙
デビィツド・M・バス 訳=狩野秀之

ピンクバラ配偶行動を構成する女と男の性戦略

人間の配偶行動き、われわれを喜ばせ、楽しませ、ゴシップの格好の種となっている。だが、それはまた、われわれをひどく困惑させるものでもある。

人間の行動のうちで、これほどさまざまな議論と、多くの規則と、複雑な儀式を生み出してきた分野は他にはほとんどなく、しかもそれはあらゆる文化に共通して言えることなのだ。

 配偶行動を構成する要素ひとつひとつ取って見ても、理解に苦しむことだらけだ。たとえば、女性・男性を問わず、自分を心理的・身体的に虐待するような相手を配偶者として選んでしまったケースによく見られる。また、配偶者を惹きつけようとする努力は、ときとしてバックファイヤーを起こす。

 カップルの間にはいさかいが生じ、相手に対する非難と幻滅だけがエスカレートしていく。たとえ一生添い遂げることを望み、誓いを立てたとしても、結婚したカップルの半数は、結局離婚することになるのである。

 こうした苦痛、裏切り、喪失感というものは、ふつう人々が「愛」というものに抱いているロマンティックな概念とは、真っ向から対立するものだ。われわれは「真実の愛」というものを信じて育ち、いずれ「唯一無二の伴侶」を見つけられることを疑わない。そして、ひとたび理想の相手とめぐりあえば、祝福のうちに結婚し、幸福に暮らせると思い込んでいる。

 しかし、そうした思い込みが実現することはきわめて少ない。浮気や嫉妬が数え切れないほどの夫婦生活を破綻させ、離婚率が30〜50パーセントにも達しているという事実を考えただけで、こうした幻想に終止符を打つには十分だろ。

 夫婦間に不和や幻滅が存在することは、ふつうは結婚の破綻を示すものとされる、結婚生活の「正常な状態」からの逸脱だと見なされるのだ。それはまた、人間的な欠陥や未熟、神経症や意志薄弱を示していると解釈されたり、あるいはただたんに結婚相手の選択を間違えたせいだと言われることもある。

 しかし、こうした見方はまったく誤っている。夫婦間に軋轢(あつれき)が見られるのは、ごく正常なことであって、けっして例外的の事ではない。夫婦の間には、妻にないがしろにされた夫が怒りから、家事を手伝おうとしない夫に対する妻の不満まで、さまざまな軋轢が存在する。そこに共通してみられるパターンを説明するのは容易ではない。
 夫婦間の軋轢は人間の本性そのものに深くかかわっており、それはいまだに完全に理解できたとは言えないからだ。

 さらに問題を複雑にしているのは、愛情というものが、人間の生活のなかで中心的な役割を果たしていることだろう。恋愛という感情を体験しているとき、人間はその虜になってしまう。また、愛情を向ける対象が存在していないときには、恋愛の空想が頭のなかを占めてしまう。愛ゆえの苦悩は、おそらく他のどんなテーマにもまして、詩や音楽、文学、メロドラマや小説などの大きな主題になっている。

 とはいえ、ふつう思われているのとは異なり、恋愛は西欧の有閑階級が近代になって「発明」した感情ではない。恋愛はあらゆる文化において見られ、この感情を言表すための特別な単語が、どの文化にも存在している。こうした普遍性は、愛情――およびその主要な構成要素である相手への貢献、優しさ、情熱といったもの――が人間の感情に不可欠な部分であり、すべての人間が体験するものであることを示している。

 人間の配偶者行動の本質、とくにそのバンドラックスを理解せずにいることは、科学的な意味でも社会的な意味でも大きな損失をもたらす。科学的な側面で言えば、配偶行動に関する知識の欠如は、人間の生活におけるもっとも複雑な問題のいくつかを、未解決のまま残してしまうことになる。

 たとえば、なぜわれわれは、愛情を求め、恋愛関係を築くために、人生のうち何年もの時間を費やすのか、といった問題だ。さらに、社会的なマイナスもある。たとえば職場での恋愛が破綻したり、デートが失敗に終わったり、夫婦関係がうまくいかなくなったりして気分が落ち込んだとき、配偶行動の本質に無知なままでは、ただ不満が募るばかりでなんの救いも得られないだろう。

 必要なのは、われわれ人間が追い求めてやまない深い愛情と、どんな親密な関係にも必ず生じる葛藤とを、うまく折り合わせることである。恋愛という夢想を、現実に合わせて修正しなくてはならないのだ。この二つの間に横たわる複雑な矛盾を理解するには、人類が過去に辿ってきた進化の道筋に目を向ける必要がある。われわれの精神は、身体的構造と同じように、そうした進化の道筋によってかたちづくられてきた。
 そして、配偶者選びの戦略もまた、生存のための戦略と同じく、進化が生み出してきたものである。

赤バラ隠れた心理性・淘汰理論

ダーウィンの性淘汰理論は、配偶者の選別および配偶者になることの競争という、二つの鍵となるプロセスに着目することによって、配偶行動を解明する道を開いた。しかしこの理論は、一世紀以上にもわたって、男性学者たちから激しい批判を浴びた。それはひとつには、メスが積極的に配偶者相手を選ぶという理論が、メスにきわめて大きな力を付与するように見えたせいだろう(ダーウィン以前は、メスは配偶者行動において受動的な役割しか果たさないと考えられていた)。 性淘汰理論はまた、主流派の社会学者たちの反発を招いた。
 この理論が描き出す人間の本性は、本能的な行動に大きく依存しており、人間の持つ特殊性や行動のフレキシビリティを過小評価しているように見えたからだ。当時は、人間は文化や精神といったものおかげで、進化の圧力から解き放されていると信じられていたのだ。

性戦略という心理メカニズム

それぞれの性戦略は、適応上のある特定の問題――いかに好ましい異性を見定めるかとか、異性を惹きつける際にいかに競争相手を出し抜くかといったこと――に合わせて編みだされている。そうした個々の性戦略の背後には、心理メカニズムが存在している。それは例えば、異性の選り好みであったり、恋愛感情であったり、あるいは性欲や嫉妬であったりする。そして、個々の心理メカニズムは、身体的特徴や性的関心のサイン、あるいは不倫願望のあらわれといった、外部からの情報もしくは刺激に反応する。

賢い配偶者を選ぶ

そんな状況のもとで、ろくに食料も集められず、狩の技術ももたず、浮気者で怠慢で、身内に暴力をふるう人間を配偶者に選んだりしたら、いったいどうなるだろう。たちまち生存は脅かされる、子孫を残せなくなるに違いない。逆に、食料をたくさん調達することができ、家族を保護し、家族のための時間とエネルギーを注ぎこむような配偶者は、大きな価値を持つ。
 かくして、われわれの祖先のうち、賢い配偶者の選択をした者だけがうまく生き残り、多くの子孫を残すことが出来た。その結果、どのような配偶者が望ましいかという明確な欲求が進化していった。彼らの子孫であるわれわれは、現在、そうした欲求を受け継いでいるのだ。

派手で目立ちやすい色彩で配偶者を惹きつける

動物全体を通じて、メスよりもオスのほうが配偶相手を求めて激しい競争を繰り広げることが多い。かなりの生物種では、オスは競争に勝利するために
派手で目立ちやすい色彩を身にまとっている。ライバルのメスが交尾に成功するのを妨害しようと嫌がらせをすることもある。また、野生のアカゲザルのメスは、他のメスがオスと交尾しようとしているところを攻撃し、ときにはオスを奪い取って自分の配偶者にしてしまうことさえもある。
 人間の場合、女性どうしの競争は、一般に男性間の競争ほど激しくないが、それでも配偶システムのなかに深く組み込まれている。作家H・L・メンケンの言葉を引用すれば、「女性同士が挨拶がわりにキスをする姿は、プロボクサーが試合前に握手をかわすのを連想させずにおかない」のだ。本書では、異性を獲得するために、男性・女性それぞれのあいだで、どんな競争が繰り広げられているかを明らかにする。

長期的に配偶者をつなぎとめる

他の生物は、同じ問題を、これとは違った方法で解決している。たとえば人間は、数日間も性交を続けたりはしない。しかし、配偶者をつなぎ止めておくには。長期的な配偶関係を望むだれもが直面する問題である。進化の歴史をさかのぼれば、人類の祖先のうち配偶者の浮気に無関心だった男たちは、自らの遺伝子の存続を危険にさらすことになつた。自分の血を引いていない子供を育てるために、時間とエネルギーと労力を注ぐ込む羽目になりかねなかったのである。
 嫉妬心の感情は、配偶者の危機に反応して、さまざまな行動を引き起こす。たとえば性的な嫉妬は、猜疑心と暴力という二つのまったく異なった反応を誘発する、ある場合には、嫉妬に駆られた夫が、妻が出かけるとその後をつけたり、言ったとおりの場所に本当にいるかどうか確認しようと不意に電話をかけたり、パーティの席上で目を離さなかったり、妻宛ての手紙を開封したりする。こうした行動は猜疑心を示すものだ。

普遍的に見られる配偶者を取り替える

われわれは、よい配偶者を選び、惹きつけ、繋ぎとめるために、さまざまな性戦略を進化させてきた。同じように、悪い配偶者を切り捨てるための戦略もまた、進化を遂げてきている。離婚は人類に
普遍的に見られる現象であり、あらゆる文化に存在しているのだ。そして配偶者を切り捨ての戦略には多様な心理メカニズムが含まれる。まずわれわれは、現在の配偶者から得られる利益が、配偶者のために強いられるコストに見合うものかどうかを判断する。
それから、配偶者となりうるち他の異性をうまく獲得できる確率を計算して、現在の配偶関係を解消することが、自分自身や子供たち、あるいは親族にどれだけの損害をもたらすかを予測する。そうして情報をすべて総合し、いまの配偶者の元に留まるのか、別れるかを決定する。

根本的な対立、男女間の摩擦

たとえば男性は、見知らぬ女性であっても魅力的でさえあればセックスしたいと思い、そうした欲求を表面に出すことが多い。一方女性は、ほぼ例外なく、通りすがりの男性に身体を許そうとせず、何らかの誠意を求めようとする。
 この二つの性戦略のあいだには根本的な対立がある男性が短期的な希望を実現しようとすれば、女性の長期的な目標の達成をさまたげざるをえない。その場限りのセックスを強要することは、時間をかけた求愛という女性の要求を退けることになる。また、こうした干渉は、逆の方向にも起こりうる。求愛に長い時間をかけさせることは、手っ取り早いセックスという男性側の目標達成を妨害するものだからだ。一方の性が採用した戦略が、もう一方の戦略と抵触する場合、こうした摩擦が必ず生じることになる。

幅が広いさまざまな状況

人間が他の動物種よりも目立って優れている点のひとつは、配偶戦略の選択の幅が広く、状況に応じて柔軟に対応できることだ。不幸な結婚生活を送っている男女が、離婚を決意するまでを考えてみよう。この決定には、多くの複雑な要素が関わってくる。
夫婦間の軋轢の程度、それぞれの浮気、双方の親族からの圧力、子供の有無、子供の年齢や育児にどれだけ手がかかるか、離婚した後の新しい配偶者を得られる見込みがどのくらいあるか、などである。 そのため人間は、自分が置かれている状況がどんなものかを読み取り、コストと利益を計算する心理的メカニズムを進化させた。

性行動の理解をはばむもの誤謬

男性の性的嫉妬心が、人類の進化の過程で生み出されたからといって、それを大目に見たり擁護したりする必要はない。何が存在すべきかの判断は、人々の価値体系によって下さるべきであり、科学や、いま現実に何が存在しているかとは関係ない。
 自然論的誤謬のちょうど対極にあるのが、反自然論的誤謬(ごびゅう)である。一部の人々は、「人間である」というのはどういうことかについて、高遇なヴィジョンを描きたがる。彼らの見方によれば、「本来の」人間は自然に溶け込んでいる存在であり、植物や動物と、そして人間はどうしとも平和的に共存できる。

女が望むもの子どもを残すという

相手を軽率に選んでしまった女性たちは、過酷なコストに苦しみ、子どもを残すという点では成功を得られなかった。子どもが生まれたとしても、性交できる年齢まで無事に成長した者は少なかっただろう。一方われわれの先祖の男性たちは、ゆきずりの相手とセックスしても、わずか二、三時間を費やすだけで、すぐに立ち去ることができた。

何を好むか資質を備えた男

 利益をもたらしてくる資質を備えた男性を好み、反対にコストを強いられるような資質の持ち主を嫌うタイプの女性たちに、進化は有利に働いてきた。そうした資質のひとつひとつが、ある男性が配偶者としてどれだけの価値を持つかを決める要素となる。そして、その要素ごとに、それぞれ女性の好みが進化していく。

配偶者の経済力

現在の女性たちがどんなタイプの配偶者を好んでいるかは、人類の過去の配偶行動を知るための入口を提供してくれる。われわれが蛇や高い所を恐れるという事実が、祖先が遭遇した危険を教えてくれるのと同じことだ。多くの研究が示すところによれば、現代のアメリカ人女性は、男性よりもはるかに配偶者の経済力を問題にする。一例として、1939年に行われたある調査をあげてみよう。
この調査はアメリカ人男女を対象に、恋人もしくは結婚相手のどんな資質が望ましいと考えるか、18の項目について「関係ない」から「必要不可欠」までの段階でランクづけさせたものである。相手の「経済に有望な見込み」については、女性は、「必要不可欠」とは見なさなかったが「重要」という評価を与えた。

特別な資質・社会的地位

対象にしたのはミシガン大学の男女学生で、この集団は一時的な男女関係、婚姻関係のどちらかについて適切な調査対象だった。われわれは数百人の学生に、配偶者の資質として六七項目を提示し、短期的な関係・長期的な関係それぞれの場合に、どれが望ましく、どれが望ましくないかを判定させた。
デヴィド・シュミットと私は、一時的な男女関係と永続的な配偶者関係の違いについての調査を行ったことがある。調査の目的は、人々が配偶者候補にどんな特別な資質を求めているかを知り、それを一時的なセックス相手に求められる資質と比較することにあった。

自由にできる資源の量・年齢

なぜ女性が年上の男を求めるかを理解するには、年齢を重ねることで生じるさまざまな変化に目をける必要がある。もっとも根本的な変化の一つは、自由にできる資源の量である。現在の先進諸国では、年齢が上がるにしたがって収入が増えていくのがふつうだ。たとえばアメリカの場合、三〇歳の男性は二〇歳の男性にくらべて、平均して1万4千ドルほど収入が多い。さらに40歳になると、収入は30歳の場合より、7千ドル増える。この傾向は、先進諸国だけに限らない。

野心と勤勉さ重視しており

野心と勤勉さをなえた男性が女性に好まれる傾向は、アメリカや西洋諸国に限られたものではない。ほとんど全ての文化で、女性は男性に比べ、配偶者の向上心や勤勉さを重視しており、平均すると「重要」と「必要不可欠」の中間という高い評価を与えている。
 たとえば台湾では、女性は男性に比べ、向上心や勤勉さを二六パーセント以上重要視しており、この数字はブルガリアでは二九パーセント、ブラジルでは三〇パーセントに達する。

配偶者の頼りがいと安定性

ミシガン州の大規模な郡で、ここ六カ月以内に婚姻届け出したカップルの中から、無作為に一〇四組を抽出して協力を求めた。選ばれたカップルは、六時間にわたる性格テスト、結婚生活についての自己評価、配偶者の性格に対する評価を行ったあと、それぞれ男女ひとりずつのインタビュアーによる面接調査を受けた。
 この調査の一環として、それまでの一年間に、自分のパートナーのためにどのようなコストを払わされたかを一四七の項目から選んでもらった。その結果、感情的に不安定な男性――自分でそう認めている場合もあれば、配偶者もしくはインタビュアーからそう判断された場合もある――は、特に多くのコストを女性に強いていることが分かった。

知性の優れた配偶者を選んたがる

知性の高さは将来得られるだろう数多くの利益を示している。そのなかには、すぐれた子育ての方法や深い文化的知識をなども含まれる。さらに知性は弁舌の才能や、集団内の他の成員にたいする影響力、危険をあらかじめ察知したり、病気になったとき適切な治療をほどこしたりする能力とも関係している。知性の優れた配偶者を選んだ女性は、そうした重要な資源の受益者となる確率が高くなるのだ。
マイク・ボトウィンと私は、知性の高さとはどんな行動から判断されるかを明らかにするために、一四〇人の男女にアンケートを試みた。自分の知人のうち最も頭の良い人々を思い浮かべ、彼らの知性の高さを示していると思われる行動を五つあげてもらったのだ。そこで回答された行動はすべて、その知的な人物と幸運にも結婚した配偶者に、なんらかの利益をもたらすものだった。

個人の性質ともっともうまく調和できる協調性

配偶者との協調には、もうひとつ別のかたちも存在する。それは、ある個人の性質ともっともうまく調和できる人間、すなわちもっとも性質の似た人間を配偶者にすることだ。男女の間に、価値観、興味、性格の大きな違いが存在すれば、軋轢と不和が生じる。
 心理学者ジック・ルービンとその共同研究者たちは、202組の男女を数年にわたって観察し、どのカップルが関係を維持し、どのカップルが別れたかを調査した。その結果、価値観、興味、性格などに不一致が見られるカップルは、一致しているカップルよりも破局を迎えやすいことが明らかになった。

配偶者の体格と体力・健康

そして繁殖シーズンになると、メスは自分の「友人」に優先的に交尾を許すのである。つまり、ヒヒのメスは、セックスと引き替えにオスによる保護を手に入れているのだ。
 霊長類学者バーバラ・スマッツは、アフリカのサバンナに棲むヒヒの群れを身近で観察し、その交尾パターンを研究した。スマッツは、ヒヒのメスたちの多くが、オスと「特別な友情」を結び、自分や子どもたちを身体的に保護してもらうことを発見した。

愛と献身とどのように関係しているか

わたしは、愛とは何か、愛は献身とどのように関係しているかを正確に知るために、恋愛という行為を研究したことがある。まず、カリフォルニア大学とミシガン大学の学生五〇人ずつ選び、自分のまわりにいる恋愛中の男女の事を思い浮かべて、彼らのどんな行動にその愛情が反映されているかを答えてもらった。次に、愛情を示す典型的なものとしてあげられた一一五の行為について、別の男女各四〇人のグループにその重要性をランクづけさせた。
相手への誠意と献身を示す行為は、男女どちらのリストでもトップに置かれており、愛の中核を成すものと見なされていた。具体的にあげられた例としては、他の異性との関係を断つ、結婚を申し込む、子どもを作りたいと希望する、などがあった。男性がこうした行為を見せたとき、それはひとりの女性とその子供たちに自分の資源を提供する意志を示していることになる。

赤バラ女が力をもつとき

経済的にも成功していると判断された女性の多くは、年収五万ドル以上、なかには年収一〇万ドルを超える者もいた。そうした女性たちは高等教育を受け、大部分は専門的な資格をもっており、自分を高く評価していた。しかし、調査の結果明らかになったのは、経済的に成功した女性たちも、そうでない女性たちと全く同じように、専門的な資格と高い社会的地位、すぐれた知性をもち、背が高く、自立心旺盛で、自信に満ちたタイプの配偶者を好んでいるということだった。
何にもまして注目すべきことに、経済的に成功した女性たちは、そうでない女性たちにくらべ、高い収入の男性との結婚をより強く望んでいたのである。心理学者マイケル・ウィダーマンとエリザベス・オールジァーが行った別の調査でも、収入のいい仕事に尽きたいと望んでいる女子学生は、そうでもない女子学生にくらべ、未来の配偶者の経済力を重視する傾向が強いことがわかっている。

女の好みの多様さは永続的な配偶者に資源の提供を期待する

女性は永続的な配偶者に資源の提供を期待するが、必要な資源を持っている配偶者を選ぶという仕事は、極めて複雑なものとなる。まず、資源の有無はいつも目に見えるとはかぎらない。そこで女性たちは、資源を持っている、あるいは将来手に入れられそうであることを示すさまざまな資質に注目して配偶者を選ぶようになった。
事実、女性は財産そのものよりも、野心、地位、知性、年齢といった、資源の獲得につながる資質のほうを重視する傾向がある。そうした個人的資質には、その男性が将来どれくらい有望かが示されているので、女性たちは注意深く検討するのだ。

男は違うものを望んでいる

女性は、男性に長期にわたる献身を求めるのがふつうだし、多くの男性から望まれるような女性は自分の要求が通しやすい立場にあるからだ。逆に、大部分の女性は、男性に献身を要求せず、すすんで一時的なセックスに応じるほうが、より望ましい相手を得ることができる。
高い地位にある男性は、もし関係があくまで一時的なもので、深入りせずにすむならば、求める女性の水準をいくらか下げても、多くの女性たちとセックスしたいと望む傾向があるからだ。そうした男性は、永続的な配偶者については理想が高いのがふつうで、たいていの女性はその基準を満たすことができない。

男性が女性の若さにこだわる傾向

男性が女性の若さにこだわる傾向は、西欧文化圏だけに限られたものではない。人類学者ナポレオン・シャノンによれば、アマゾンのヤノマミ族の男たちは、どんな女性に最も性的魅力を感じるかという問いに対し、間髪入れずこう答えている。「それは『モコ・デューデ』な女たちだね」。「モコ」という単語は、果樹に対して使うときは「実をつける」という意味になり、女性に対して使うときは「子供を産める」という意味になる。
そして「モコ・デューデ」になると、果実の場合は「完熟した」をあらわし、女性の場合は、すでに陰毛が生えているがまだ子供を産んでいない女性、すなわちおよそ一五歳から一八歳までの少女を意味する。他の部族について同じことを調査した結果によれば、ヤノマミ族の男性のように少女を好むことは、特に珍しいケースではなかった。

身体的な美しさの基準

一例を上げれば、人類学者ブロニスラフ・マリノフスキーは、北西メラネシアのトロブリアンド諸島の住民を調査し、次のように報告している。「腫れ物、潰瘍、発疹などは、性的接触という観点からすると、きわめて忌むべきものと考えられている」。逆に、美しいとみなそれるための「必須条件」は、「健康、髪が豊かであること、歯がきれいなこと、肌がなめらかこと」である。
 とりわけ、生き生きとした目や、豊かな形のいい唇といった要素は、トロブリアンド島民によって大きな重要性を持っており、薄くしなびた唇よりもはるかに価値のあるものと見なされている。

美の基準のうち、文化によって好む体形

美の基準のうち、文化によってもっとも差異が甚だしいものは、スリムな体形と豊満な体形のどちらを好むかという点だろう。この違いは、体形がどんな社会的地位を示しているかに関係している。
男の子は臀部と大腿部からは脂肪が落ち、一方女の子は、女性ホルモンが分泌されるためな、下半身、特に臀部と大腿の上部に脂肪がつく。そのため、成人女性の臀部と大腿部の体脂肪は、男性に比べ四〇パーセントも多くなる。

オーストラリアのアボリジニのような、食物が不足気味の社会では、太っていることは裕福さと健康、及び子供時代に十分な栄養を与えられていたことを意味している。一方、現在のアメリカや大部分の西欧諸国のように、食物が豊富に存在する社会では、肥満と社会的地位の関係は逆転する。

配偶者外見の重要性

1939年から89年まで50年間にわたって行われた、配偶者選択に関する世代間比較調査では、配偶相手のさまざまな特徴を男女がそれぞれどう評価しているかを調べた。同じ一八種類の資質に対する評価を約一〇年おきに調べることで、アメリカ人の配偶者選択の好みが時代とともにどう変化してきたかを探ろうとしたのである。
だが、どの時点の調査でも、男性が女性よりも、未来の配偶者の身体的魅力や容貌を高く評価し、重要視していることには変わりなかった。男性の多くは、配偶者の身体的魅力を「重要である」と評価していたが、女性は「望ましいが特に重要ではない」と評価していた。

人間の特権意識男の地位と女の美しさ

人間の特権意識について私自身が行った調査によれば、アメリカ人の男女は一般に次のように考えている。身体的魅力に富んだ異性とデートしたり、最初のデートの夜にセックスできたり、デートの際に高価な食事を振る舞ったりすることは、男女双方の地位や評判を少なからず高める行為である。
 ただ、男性が魅力的な肉体を持つ女性とデートすることは、その男性の地位を非常に高めるが、女性が魅力的な男性とデートしても、その女性の地位はいくらか上がるといった程度でしかない。

ホモセクシュアルはどんな配偶者を好むか

性科学者アルフレッド・キンゼイの推定によれば、男性の三分の一以上は、人生のある時期になんらかの同性愛的行為を行ったことがあり、特に思春期に経験することが多い。
 しかし、同性の相手だけに強く執着する人々は、それよりずっと数が少ない。一般的な推定によれば、男性では三ないし四パーセント、女性の場合にはわずか一パーセントにすぎないのである。このようにならかの同性愛行為を経験した人々の数と、同性のパートナーだけを強く求める人々の数に顕著な隔たりがあるという事実は、パートナー選びの心理的傾向と、実際の行動とのあいだには大きな違いがあることを示唆している。

美の基準はメディアが決める?

メディアが日頃からわれわれに押し付けているイメージは、潜在的に有害な影響をもたらしている。そのことを示す証拠として、次のよう研究がある。まず、男性の被験者グループのうち、一部には非常に魅力的な女性の写真を、残りの人々には平均的な容姿の女性の写真をそれぞれ見せ、そのあとで自分の現在のパートナーとの関係について訊ねてみたのである。
すると、当惑するような結果が出た。事前に魅力的な女性の写真を見せられた男性は、平均的な女性の写真を見せられた男性よりも、自分の現在のパートナーは魅力に乏しいと答えている率が高かった。

赤バラ文化的差異・純潔と貞節

 「隠された排卵」は、男性たちにある特別な適応上の課題を投げかけた。女性がいつ排卵するかの判断できないために、生まれてくる子どもが、はたして本当に自分の子どもであるか怪しくなるのである。ふつう哺乳類のオスは、発情期という短い期間だけメスを独占し、生まれてくる子どもの父親は自分だと確信することが出来る。
 交尾し、メスを守らなければならない期間ははっきりと限定されているので、発情期の前後には、オスはメスを寝取られる心配をする必要がなく、安心してほかの事に没頭できる。
 経済的に自立したおかげで、女性たちは何ら犠牲を払うことなく、結婚前に自由で活発なセックスを楽しめるようになり、あるいは結婚せずに生きることも選べるようになった。かくして、処女のまま結婚するスウェーデン人女性はほぼ皆無となり、スウェーデンの男性が結婚相手の処女性に与える評価かも、〇・二五という世界最低の水準まで低下した。

 こうした大きな文化的差異は、女性の経済的自立度や、どれだけの利益を夫から得られるか、夫を得るための競争の熾烈さといったものの違いから生じている。女性が結婚で大きな利益を得たり、夫を獲得するための競争が激しい社会では、女性は自分の純潔性をアピールしようとし、その結果、婚前交渉が行われる割合は低下する。

進化がつくりだした男の要求

心理メカニズムの奥深さを示す証拠のひとつは、皮肉なことだが、同性愛の男性がパートナーを選ぶ際には、身体的魅力を重視する。また、彼らの美の基準では、若さがきわめて重要な要素とされる。この二つの事実は、たとえ性的関心の方向は違っても、パートナー選択の基本的なメカニズムは不変であることをしめしている。
 人間の配偶者選択がこうした状況のもとに行われていることに、ショックを感じている人々もいるかもしれない。それは、フェアではないように見えるからだ。われわれは自分の身体的魅力を、ごく限られた範囲でしか変えることができない。

4、その場限りの性戦略・情事

われわれが短期的な性戦略をとる人々に、放縦、淫乱、女たらしといったレッテルを貼って貶めようとするのは、われわれ、あるいは少なくともわれわれの一部が、カジュアル・セックスを抑圧しようと望んでいるからなのだ。カジュアル・セックスは、ひとつの忌避(タブー)なのである。
しかし、それは同時にわれわれを誘惑してやまない。だからこそ、カジュアル・セックスについてもっと詳しく知り、それが人間の配偶戦略において、なぜこれほど大きな部分を占めているかを解き明かさねばならない

体内に保持している生理学的証拠

女性が体内に保持している精子の数は、その女性が不倫を行っているかどうかにも左右される。女性は一般に、自分の夫に繁殖上の不利を与えるようなタイミングで浮気をする傾向がある。イギリスで行われた性生活調査では、対象となった三千六百七十九人の女性に、自分の月経周期と、いつ夫と性交したか、さらに不倫している場合にはいつ愛人と性交したかを、それぞれ記録してもらった。
その結果、不倫を行った女性は、排卵周期のうちもっとも排卵時に近い、つまりもっとも妊娠する可能性の高いときに合わせて情事を行っていることが明らかになった。
これは夫たちにとって不幸な事実だが、同時に以下のような事実を示唆してくれる。すなわち女性たちは、婚外セックスによって繁殖上の利益――おそらく社会的地位の高い愛人から優れた遺伝子を、夫からは日常的な投資を受けとるというかたちで――得るような戦略を進化させてきたのだ。

男性は、他の様々な好色さ

男性は、他の様々な点でも、一時的なパートナーの選択基準を緩和する傾向が見られる。前述の調査では、一時的なパートナーとして望ましい資質を六七項目についてアンケートを行ったが、そのうち四一項目で、男性は女性よりも明確に要求水準を下げていた。
 こと一時的な情事に関する限り、男性はパートナーに対し、魅力、体力、教育、寛容さ、貞節、独立心、優しさ、知性、信頼性、ユーモアセンス、社会性、資産、責任感、活発さ、協調性、感情的安定などの面であまり多くを要求しない。このような男性は、幅広い範囲で選択基準をゆるめることで、多数のセックス・パートナーを確保するという課題を解決しようとしているのである。

赤バラクーリッジ効果

 この名称は、次のような逸話に由来している。合衆国第三十代大統領カルヴィン・クーリッジとその夫人が、新たに建設された国営の農場を別々に見学した。鶏舎を通りかかったクーリッジ夫人き、オンドリがメンドリと交尾しているのを目にとめ、オスはどれくらいの回数その務めを果たすのかと訊ねた。

「一日に何十回もです」案内の係員がそう答えると、クーリッジ夫人は言った、「そのことを夫に教えてあげてちょうだい」。次にクーリッジが鶏舎を訪れたとき、係員がオンドリの精力絶倫ぶりを話して聞かせると、大統領はこう訊ねた。「それは、いつも同じメンドリを相手にしているのかね?」「いいえ」係員は答えた。

男性が典型的な性的な空想

 ひとつの空想のセックスの相手を入れ替えたことが一度ものないと答えたのは、女性では四三パーセントだが、男性では一二パーセントにすぎない。一方、これまでの人生で、少なくとも一〇〇〇人以上の相手とセックスを空想したと答えたのは、男性では三二パーセントいたのに対し、女性ではわずか八パーセントだった。

 また、三三パーセントの男性が集団セックスの空想を抱いたことがあるのに対し、女性では一八パーセントでしかない。ある男性が典型的な性的空想として挙げたのは、「六人かそれ以上の裸の女から、舐められ、キスされ、フェラチオされる」というものだった。また別の男性は、次のような空想について語っている。

魅力の評価・いざ目的を達してしまうと、一〇分もしないうちに魅力を失う

男性がカジュアル・セックスによってオーガズムを得たあと、その相手とはそれ以上関わるつもりがない場合は、もう一つの心理的変化が起こる。一部の男性は、セックスする前はきわめて魅力的に見えたパートナーが、いざ目的を達してしまうと、一〇分もしないうちに魅力を失い、ごく平凡にみえるようになったと報告している。

性的なバリエーション

同性愛の男性の性行動として、もっともよく見られるのは、見知らぬ者同士が行うカジュアル・セックスである。同性愛の男性は、その場限りの出会いを求めて、バーや公園、公衆便所などをめぐることが多い。

 一方、同性愛の女性は、滅多にそうした行動をとらない。一般に同性愛の男性は、数多くの新しいセックス・パートナーを求める傾向があるが、同性愛の女性は、親密では長続きする献身的な関係を結ぼうとする。

ある研究によれば、同性愛の男性のうち九四パーセントが、過去に一六人以上のセックス・パートナーを持っていたのに対し、同性愛の女性で一六人以上のパートナーをもっていたのはわずか一五パーセントにすぎなかった。

 一九八〇年代にサンフランシスコで行なわれた、より大規模な研究によれば、男性の同性愛者のうちほぼ半数が、五〇〇人以上のパートナーと性交渉を持った経験があり、またパートナーの大部分はサウナやバーで出会った見知らぬ人間だった。この事実から、次のような推測が成り立つ。

女性の浮気は優秀な遺伝子を得られる利益?

女性にとって、高い地位や優秀な遺伝子を持つ男性とは、結婚するよりもただセックスする方が簡単なのである。たとえば女性は、まず地位の低い男性と結婚して、その男から投資を確保しておき、同時に夫の目を盗んで地位の高い男から遺伝子を得ることができる。

こうした二重戦略の存在は、生物学者ロビン・ベイカーとマーク・べリスがイギリスで行った調査で明らかになっている。イギリスの女性たちは、自分の夫よりも社会的地位の高い男性と浮気することが多いのだ。

 女性の浮気は優秀な遺伝子を得るためのだとする理論の、ひとつの変形といえるのが「セクシーな息子」仮説と呼ばれるものだ。この仮説によれば、女性が、他の女性に人気のある男性をカジュアル・セックスの相手に選びたがるのは、自分の息子にその男性的魅力が受け継がれるのを期待してのことである。

赤バラカジュアル・セックスのコスト

女性は、場合によっては男性以上に多くのコストを支払う羽目になる。もし男出入りが激しいという評判を立てられると、その女性の評価は大きく下がる危険性がある。
 男性はふつう妻が貞淑であることを好むからである。スウェーデンやインディオのアチェ族のような性に比較的寛容な社会でさえ、淫乱というレッテルを貼られた女性は社会的なダメージを受ける。

カジュアル・セックスに適した状況

人間は、なんの理由もなくカジュアル・セックスをするわけではない。それは、成長段階や個人の魅力、人口の男女比や文化的伝統、法律の寛容さ、他の人々の性戦略といった要素に関係している。そうした条件すべてが相まって、ある人間が、数多くの性戦略の中からカジュアル・セックスという選択肢を選び取るかどうかが決まるのである。

力の源泉としてのセックス

確実性の高い避妊法の出現により、多くの人々が、望まれない、あるいは時期の悪い妊娠というコストから解放された。また、現代の都市生活の匿名性は、カジュアル・セックスにともなう社会的評価の下落という危険を減少させた。どこへでも自由に移り住めるようになったことは、両親が子供の結婚に口を出し、影響力を振るうのを妨げることになった。
 さらに、配偶関係が短期間で終わってしまうことにより子供の生存が脅かされる危険は、政府による最低限の生活の保障によって回避される。こうしたコストの軽減により、人間の配偶行動の多種多様な戦略が、より多く活用できるようになった。

5、パートナーを惹きつける

配偶者に何を望むのかをはっはり認識していても、望んだものを獲得できるという保証はない。成功するためには、自分なら、相手が求めている利益を与えられるということを示してやらなければならない。

 たとえば、祖先の女性たちが男性の地位の高さを望んだからこそ、男性は高い地位につき、それを誇示しようとする心理的動機を進化させてきた。

男たちが未来の配偶者に若さと健康を望んだからこそ、女性たちは自分を若く、健康的に見せようとする心理的動機を進化させてきたのだ。必然的に、配偶者を惹きつけようとする競争は、異性が最も望んでいる資質においてライバルを圧倒するという側面を備えることになった。

資源のディスプレィ

男性の用いるテクニックのひとつとして、具体的な資源を示すことがある、高給を得る能力があることを誇示したり、女性に印象づけるために大金を見せつけたり、高級車を乗り回したり、自分がどれだけ仕事ができるかを宣伝したり、長所を売り込んだりするのだ。

その一方で、男性がもってもいない資源を持っているように見せかけて、女性をだますという方法もある。たとえば、自分のキャリアを詐称し、職場での地位を大げさに言うのである。

 同時に、男性はライバルの持つ資源をけなすことも忘れない。われわれにはこうした誹謗行動についても研究を行った。まず、男女を問わず、同性のライバルをおとしめて人気を失わせるにはどうすればいいかを、調査対象とした大学生達に答えさせたところ、八三種類の方法があげられた。

献身のディスプレィ

愛情や献身のディスプレィは、女性を強く惹きつける。それは、男性がその女性のために、時間やエネルギー、労力を長期間にわたって提供する意思があることを意味するものであるからだ。
 献身的であることを示すのはなかなか難しく、偽ってそう見せかけようとするのはかなりの努力をようする。それは、ある程度の期間を通じて繰り返し送られるシグナルによって判断されるからである。

身体的能力のディスプレィ

 ヤノマモ族では、男性の社会的地位は、他の何にもまして、格闘や斧をふるっての決闘、近隣との村との戦争などで示される身体的な能力を重視して決定される。そうした身体的能力によって勝ち取られた地位は、その男性がより多くの女性を獲得することにつながり、より大きな繁殖上の成功を手にすること意味する。

容姿の改善

 男性は女性の容姿を最も重視するので、必然的に、男性を惹きつけようとする女性同士の競争は、いかに身体的な魅力を増し、自分を若く健康的に見せるかという点が中心になる。美容産業の隆盛はその証拠だろう。
 美容産業を支えているのは主に女性であり、女性は平均して、男性よりもはるかに多くの時間と労力を容姿の改善に費やす、女性誌には化粧品の広告が山のように掲載されるが、対照的に男性誌の広告は、自動車やオーディオ製品、酒といったものが主体だ。男性誌に、容姿の改善のための広告が載る場合もあるが、ふつうは化粧品でなくボディビル用具の宣伝である。

貞節のディプレィ

新婚の男女と大学生を対象にした調査は、貞節のディプレィが効果的であることをはっきりと裏づけている。一三〇種類の誘惑作戦のうち、「貞節を守る」「他の男性とはセックスしない」「献身的に振る舞う」の三つは、七点満点で六・五以上という高い評価を受けて、永続的な配偶者を獲得する際にはもっとも効果的であることを示されたのである。
貞節を示すシグナルは、配偶関係における献身を意味する。男性にとっては、遠い祖先の時代に直面した、繁殖上の最大の課題の一つ――配偶者に間違いがいなく自分の子どもを産ませること――への解決策となる。

性的なサインを送る

男子学生を対象にした調査でも、一時的な関係において女性が男性を惹きつける最も効果的な手段は、男性からの性的な誘いを受け容れることだった。また、効果の高さを七点満点で採点したとき、「男性にセックスしたいか訊く」「自分とセックスしたくなるように仕向ける」「いかにも男好きに見えるように振舞う」「きわどい会話をする」「セックスのきっかけを作ってやる」といった戦術がトップ近くにランクされた。

赤バラセックスを餌にする

 カジュアル・セックスにおいては、おそらく他のいかなる配偶者獲得の場にもまして、男女双方が異性の性戦略による損失をこうむる。

男性は手っとりばやく性的な利益を得るために、結婚に興味があるようなふりをして女性を欺く。あるいは、その場限りの情事のために、ありもしない自信や地位、優しさ、資源を備えているように見せかける。
この嘘に騙された女性たちは、価値ある性的な利益を、投げ売り同然に与えることになる。

とはいえ、その一方で女性の方も、より確かな献身のしるしを求めたり、逆に結婚願望を隠蔽する手段としてカジュアル・セックスに関心のあるふりを装うことで、男性の戦略に反撃する。この餌に食いついた男性は、その裏に隠された膨大なコストを背負う危険を冒すことになる。

6、ともに暮らす

人間には、配偶者を繋ぎとめておくために独自の戦略を進化させてきた。そのうち最も重要なもうひとつは、配偶者の欲求を満たしやりつづけることである。満足し合える性的欲求こそ、配偶者を選択する際に第一の動機となるものだからだ。しかし、ただ欲求を満たしてやるだけでは十分でない。
 ライバルもまた、同じことを試みるかも知れないからである。だからこそ人類の祖先たちは、外部からの潜在的な脅威に対して警鐘を鳴らし、配偶者防衛戦略をいつ実行に移せばいいのかを指示してくれる。特別な心理メカニズムを必要とした。そのメカニズムこそ、性的な嫉妬にほかならない。

赤バラ性的嫉妬の機能

古代ギリシャ社会においては、妻を寝取られた男に対する反応は次のようなものだった。「妻の不貞は…・夫にとって大きな不名誉となった。

不貞が明らかになると、夫はその後『ケラタス』と呼ばれたが、これは弱者や不適格者と同義の不名誉きわまりない呼弥であり、ギリシャ人男性にとつて最大の蔑称だった。…・浮気者の夫を黙認する妻は社会的に受け入れてもらえるが、妻の不貞を黙認する夫は社会的に許容されない。

もしそんなことをすれば、男らしくないとして罵倒されることになった」。妻を寝取られた男は、ほとんどの文化で嘲りの対象となる。

なぜ嫉妬による殺人が起こるか

 男性の性的な嫉妬は、人間の生活において、瑣末(さまつ「○意こまかいこと、わずかなこと」)もしくは副次的な要素とは言えない。それは、ある場合にはきわめて強いものとなり、妻や間男の殺害に至ることさえあるからだ。次に示す例では、妻の浮気による繁殖上のダメージに気づいたことが、明らかに妻殺しの動機となったことを、犯人である夫自身が語っている。

配偶者の欲求を満たす

 日頃から妻に「愛している」と言いつづけて、妻が必要としているときは手助けし、つねに愛情と優しさをもって接している男性は、ほぼ例外なく妻を繋ぎとめることに成功している。こうした行為は、七点満点で六・二三点という高得点を得て、男性が使える戦術としては最も効果が高いと判断された。

感情を操作する

 資源を提供したり愛情や優しさを示すといった戦術も、ときに失敗に終わる。そんな場合には人はなりふり構わずに感情的戦術に活路を見出そうとする。この傾向は、本人の配偶者市場における価値がパートナーより劣っている場合によく見られる。

競争者を寄せ付けない方法

 配偶者をライバルの目から隠す戦術も、警戒高度に近いものと言っていい、狩りバチのオスは、配偶相手であるメスを、他のオスに見つかりそうな通り道から遠ざけておく。それと同じように、人間の男女も、自分の配偶者を隠しておくためにさまざまな行動をとる。
ライバルがいそうなパーティには配偶者を連れて行かなかったり、同性の友人には配偶者を紹介しなったり、同性のライバルがたくさん出席している集まりには参加させなかったり、配偶者がライバルと話をするのを妨害したり、といった具合だ。

暴力的な戦術

他の異性に興味を示した配偶者を罰する行為には、浮気をすれば大きなコストがかかると脅すことによる抑止力的な効果がある。そうしたコストは、たとえば打撲傷などの身体的なものであったり、非難や罵倒により自尊心を傷付けられるといった心理的なものであったりする。
なかでももっともコストが大きいのは、配偶者そのものを終わらせるという脅しだろう。配偶関係の破綻は、それまで配偶者の選択、誘惑、求愛に費やしてきた努力のすべてが無になることを意味するからだ。

利害の一致

男性の性的欲求は、男女がともに暮らすためのさまざまな戦術の基本となる主要なメカニズムであるが、また、男性が配偶者にふるう暴力の大きな動機ともなっている。本来は配偶者を繋ぎとめるために発達した心理メカニズムが数多くの配偶関係を破壊しているのは皮肉ともいえる。このような結果が生じるのは、繁殖というゲームの賭け金があまりにも大きく、また、各プレーヤーの利害がなかなか一致しないからなのだ。

赤バラ7 男女間の軋轢

 さまざまな小説、ポピュラー・ソング、TVのメロドラマ、あるいはタブロイド新聞が、男と女の間のトラブルと、それがお互いにもたらす苦しみについて語っている。

妻は夫が冷たいと不満をうったえ、夫は妻が不機嫌だといらだつ。「男は感情を表に出してくれない」と女性が不平を言えば、男性は「女すぐに感情を爆発させる」と非難する。
男性は性急にセックスを求めるが、女性は焦らして引き延ばそうとする。

 男女どちらかが、異性の目標や希望を妨げた場合には、男女間で軋轢が生じる。たとえば性的な駆け引きの場において、パートナーに投資する気などなく、ただセックスだけを求めている男性は、より強い感情的絆と多くの投資を望む女性の目標達成を妨げることになる。またこの場合は、双方が、相手を妨害し合っている。

セックスの機会

性的攻撃が女性に与える不快感を、男性が過少に見なしたがる傾向は、男女間に横たわる大きな溝のひとつといえる。性的攻撃が女性にどれくらいネガティブ影響をもたらすかを男性に判定させたところ、七点満点で五・八〇しか与えられなかった。

これは、女性自身が判定させたときの六・五〇点に比べると、著しく低い。この差異が、男女間の軋轢の注目すべき源泉となっている。

というのは、この差異の存在が示唆するのは、一部の男性は、自分の行為がどれほど女性に不快感をもたらすかを自覚できないために、攻撃的な性行動に走りやすい、ということだからだ。

また、性的攻撃が与える心理的苦痛を男性が正確に把握できないという現象は、異性観の関係に軋轢を生じさせるだけでなく、レイプの犠牲者に男性があまり同情を示さないという心理メカニズムの一部をかたちづくってもいる。

感情的な献身

献身の度合いをめぐる不和を表す重要なサインは、男性が自分自身の感情を表に現わさない出さないことにたいする女性の苛立ちである。女性に最もよく見られる不満の一つは、男性があまりにも感情を押し殺しすぎるというものだ。
一例を上げれば、新婚女性の四五パーセントは、夫が自分の感情を正直に表してくれないことに不満を抱いている。一方、夫の側で妻に同じ不満を抱いているのは二四パーセントにすぎなかった。
この傾向は、「パートナーが自分の感情を理解しようとしない」という不満にも表れている。恋愛中の女性の約二五パーセントは、自分の気持ちを相手の男性が理解してくれない不満を抱いている。

資源の投資

あまり愉快な話ではないが、われわれ人間は自然淘汰によって形成された存在であり、善意と結婚生活の幸福に安住するようにはできていなのだ。われわれは、自分自身が生き残り、遺伝子を子孫に伝えるという目的に合わせてかたちづくられている。この無慈悲な基準が生み出した心理メカニズムは、ときとして自己中心的あるいは利己的なものになる。

だましの行為

人間の恋愛においては、配偶者候補が資源や献身に関して嘘をついていた場合に、より多くのコストを背負わされるのは女性の側である。われわれの祖先の男性が、だまされてセックス・パートナーを選んでしまった場合、嫉妬に狂った夫や過保護な父親の怒りを買う危険はあるものの、それによって被る時間やエネルギー、資源の損失はごく小さい。

しかし、女性がセックス相手の選択を誤り、長期的な配偶関係を持つ気がないとか資源の提供を行う気のない男性に騙された場合には、誰の助けもない状態で妊娠・出産。育児を行うというリスクを背負うことになる。

騙された場合の損失が巨大なものになりかねないので、欺瞞を察知し、騙されないようにする心理的な警戒機能は、大きな淘汰圧を受けて進化してきたに違いない。

現代に生きるわれわれの世代は、一方の性が詐欺を仕掛け,他方がそれを察知しようとする進化上の競争の終わりなき螺旋(らせん)を、さらにのぼっているにすぎない。騙しの戦術が手に込んだもとなるほど、それを見破る手段また精微なものになっていく。

女性は、騙しという落とし穴から身を護るための戦略を進化させてきた。女性が安定した配偶関係を求めている場合、最初の防衛ラインとなるのが、セックスを許す前により多くの時間やエネルギー、献身を要求して、相手に恋愛コストを支払わせることである。

多くの時間をかければ、それだけ正確な評価が可能になる。相手の男性を値踏みし、自分に対してどの程度献身的か、他に女や子供を抱えているかどうかを判断する機会を与えられる。最終的な目的を隠し、女性は欺こうとしている男性は、求愛期間が長引くとうんざりしてしまい、もっと簡単にセックスできそうな相手を求めほかへ行ってしまう。

虐待

 女性の場合、容姿が配偶者としての価値のかなりの部分を占めているため、容姿をけなされることは女性にとって大きな苦痛となる。

おそらく男性は、女性の自己評価を低くさせる手段として、容姿を侮辱する方法を用いているのだろう。そうすることで、夫婦間の力のバランスを、より望ましい方向へ持って行けるからだ。

 他の暴力的な性癖の場合と同じように、虐待という手段に適応上の理由があるからといって、われわれにはそれが必要なのだとか、それを容認すべきものだということにはならない。逆に、虐待のような戦術の背後に存在する理論をより深く理解し、虐待が生じる状況についてよりよく知れば、虐待の軽減もしくは撲滅のための効果的な方法を見つけることができるだろう。

 虐待という行動が、男性の持つ普遍的で変えることのできない特質でなく、ある特別の状況下で生じる反応に過ぎないことを認識してはじめて、虐待をなくするための方策が見えてくるかもしれない。たとえば、新婚の男性のうち、ある種の人格的傾向――他人を信用できなくなったり、感情的に不安定だったりする傾向―――を持つ人間は、そうでない人々に比べ、約四倍の割合で妻に虐待している。

 さらに、夫に比べて妻の方が配偶者としての価値が高いため、夫が妻を失うことをつねに恐れているといった事情や、妻と親族との親密さ、あるいは虐待に対する法的な規則や存在するかどうかといった諸条件があいまって、妻への虐待が生じるかどうかが決まるのである。こうした状況を正しく把握することが、虐待という問題を解決するうえで不可欠だろう。

赤バラ性的嫌がらせ(セクシュアル・ハラスメント)

女子学生一一〇人に、さまざまな行為の「セクハラ度」を七点満点で採点させてもらったところ、「同僚の男性に股間を触られる」が六・八一点、「周りに誰もいないときに、力ずくで迫られる」が六・〇三点と、最も嫌がらせの度合いが高いと判定された。

 一方、「同僚から真剣に好きだと打ち明けられる」「仕事の後にコーヒーを飲もうと誘われる」といった行為は一・五〇点、すなわちセクハラ度はゼロを示す一・〇〇点に近いものと判断されている。

 明らかに、短期的なセックスだけを求める威嚇的な行為は、真摯な恋愛感情にもとづいた行為よりも、嫌がらせの度合いが高いのである。

 とはいえ、たとえ威嚇的であっても、あらゆる女性が嫌がらせであると見なすわけではない。たとえば、職場でのセクハラに関するある調査によれば、性的な意図で女性の身体を触る行為でさえ、約一七パーセントの女性は迷惑でないと感じているという。

 おそらく女性の進化させてきた性戦略は、男性の性的なアプローチから利益を得たり、あるいは逆に利用したりすることが可能な場合には、それに応じて変化しうるものなのだろう。

 女性が男性と同じように、職場において恋愛もしくは性的関係を求めることもあることがあるのは明白な事実だ。
一部の女性は、仕事での有利な立場や地位を得るために、セックスを餌にすることさえある。ある女性は、上司が彼女とセックスすることを期待していたとしても別にセクハラだとは思わない、なぜなら「女性はみんなそう思われている」のだし、またセックスに応じることで「いい仕事」がもらえるからだ、と述べている。

レイプ

フィラデルフィア在住のレイプ犠牲者七九〇人を対象にしたある調査によれば、繁殖可能な年齢の女性は、初潮前の少女や閉経後の女性にくらべ、レイプからより深刻なトラウマを受け。不眠症や悪夢に悩まされたり、見知らぬ男性への恐怖やひとりで家にいることへの不安を感じるという。

 おそらく心理的な苦痛の強さは、われわれの祖先の女性が、レイプされた結果支払うことになったコストの反映なのだろう。繁殖可能な年齢の女性がレイプされた場合。初潮前や閉経後の女性にくらべ、たとえば自分が選んだのでない男の子供を産むといった、より大きなコストを背負う可能性があったはずだ。

 繁殖可能な女性がより大きな心理的苦痛を感じているという事実は、女性が、自分の繁殖状況を敏感に察知し、配偶者選択の戦略を妨害するものを警戒する心理メカニズムを進化させてきたことを裏づけている。それはまた、性的な威圧が、われわれの祖先が暮らし、そのなかで進化をとげてきた社会環境の普遍的な特徴の一つであったという見方をも支持するものだ。

 女性を威圧してセックスを応じさせようとする男性は、ある一連の明確な特徴を備えているようだ。彼らは女性を敵視していることが多く、また女性は内心ではレイプされたがっているという俗説を信じ込んでいる。その性格は、衝動的、男らしさの誇示といった特徴があり、それらが性的な無軌道さと結びついている。
 レイプ犯に関する研究によれば、彼らはまた劣等感を抱いていることが多い。何が原因でこうした特徴が生じるのかは解っていないが、ひとつの可能性として、威圧してセックスを強要する男性は、女性から見た価値が低いということは考えられる。

 レイプ犯は収入が少なく社会階層の低い者に多いという事実にそれが現れている。複数のレイプ犯へのインタビューの結果も、この見方を裏付けている。たとえば、ある連続レイプ犯、「私は、自分の社会的地位では彼女に相手にされないだろうと思った。口説き落とすことなんかできそうになかったし、会うことさえ難しそうだった…だから、脅して、レイプしたんだ」と述べている。

男女間の軍拡競争

男女どちらも、怒りや悲しみ、嫉妬といった心理メカニズムを進化させて来ている。それは、自分の配偶戦略が妨害されそうになったとき、警告を発してくれる役割になっている。女性の怒りは、自分の配偶戦略が男性に妨げられた場合に、最も強く誘発される。

 たとえば、男性が高圧的にふるまったり、女性を虐待したり、性的な暴力を振るったりする場合である。同じように、男性の怒りも、女性から冷たく撥ねつけられたり、セックスを拒まれたり、浮気をされたりして配偶戦略を妨害された場合に、最も強く引き起こされる。

赤バラ8 破局

よくない結婚生活を続けることは、資源のロス、別の配偶者を獲得するチャンスの喪失、身体的・心理的虐待、子供への世話の不足などの点で高い代償をともない、生存期間および繁殖上の重要な課題を解決する妨げとなりかねない。一方、不幸な関係を解消すれば、新しい配偶者やより多くの資源、子供への十分な世話忠実な味方を得るといった利益が期待できるのである。

関係を解消する心理

 結婚してからも心理的傾向ははたらきつづけている。既婚男女は、配偶者候補のあいだの優劣を評価するだけでなく、候補者たちと現在の配偶者とも比較する。男性が若くて魅力的な女性を好む傾向は、ひとたび結婚したから行ってなくなるものではない。

女性が、夫以外の男の地位や名声に関心を示す傾向も変わらない。

 実際のところ、配偶者とは、何度となく繰り返される比較対照の基準となる物差しなのだ。無意識のうちに行われるその計算の結果によって、現在の配偶関係を続けるか、それとも解消するかが決定される。

 配偶関係の破綻を理論づける証拠の多くは、進化人類学者ローラ・ベッジグが一六〇の社会を対象に、離婚の原因を分析した研究結果から得られている。この研究では、その社会の一員であるか、もしくはその社会で実際に暮らして調査を行った民族史研究者が残した記録から、配偶関係の解消の原因を四三種類にリストアップした。

浮気

女性の浮気の方が、離婚の引き金となる要因になりやすいという発見は、きわめて意外なものである。というのも、浮気をする割合は男性の方が高いから。たとえば、キンゼイ報告によれば、調査対象とした既婚男性の五〇パーセントが浮気をしていたのに対し、既婚女性では二六パーセントにすぎなかった。

 こうした、浮気に対する二重基準的な反応は、アメリカもしくは西欧社会に限られたものではなく、世界中で見ることができる。この普遍性は、三つの源泉から生じていると思われる。第一に、女性よりも男性の方が、自分の意志を強く押し通せるので、女性にくらべ、浮気を責められにくいこと。

 第二に、世界共通の傾向として、女性の方がパートナーの浮気に対して比較的寛容であること。なぜなら、人類進化の歴史を通じて、パートナーの浮気そのものから受けるコストは――それによる資源や献身の損失がない限り――女性の方が男性より小さいからだ。

 第三に、女性の方が夫の浮気に耐える傾向が世界的に見られること。これは、女性は離婚した場合に莫大な大きなコストを覚悟なければならず、特に子供がいる場合には、婚姻市場における価値が大幅に下がってしまうからだろう。女性の側の浮気の方が、配偶関係修復不能の亀裂をもたらし、破局へと導くことが多いのは、以上のような理由による。

不妊

人間の場合も、子供を残せないことは、離婚の大きな原因である。子供のいない夫婦の離婚率は、ふたりないし三人の子供がいる夫婦の離婚率にくらべて著しく高い。四五の社会に暮らす数百万人を対象にした国連の調査によれば、離婚の三九パーセントは子供がいない場合に起こっており、続いて子供が一人だけの場合が二六パーセント、二人の場合が一九パーセントと続き、四人以上の子供もつ夫婦の離婚は全体の三パーセントに満たない。

赤バラセックスの拒否

一般に、女性は愛情を得るために、セックスを提供し、男性はセックスを得るために愛情を提供する。したがって、セックスを拒絶することは、男性の愛情に終止符を打ち、別離を促す効果的な手段となりうるものである。

 女性はまた、野心に欠けている夫に対しても不満を抱く、ある女性はこう語っている。「私はフルタイムで働いているのに、夫はパートタイムの仕事しかせず、あとは一日中酔っぱらっているだけでした。それで私は、自分が望む地位を手に入れるために、もっと助けになってくれる男性を探そうと決めたんです」。

残酷さと冷たさ・妻どうしの軋轢

配偶者の残酷さや非情さ、粗暴さというものは、離婚の要因になることが多く、配偶関係解消に関する調査でも、五四の社会でその例が報告されている。すべての文化圏を通じて、離婚の原因としてこれを凌ぐのは浮気と不妊しかない。

女性の離婚の原因に関する調査によれば、離婚女性の六三パーセントが夫からの精神的に虐待されたと述べており、二九パーセントは身体的な虐待を受けたと訴えている。

結婚生活を続けるために

残念ながら、配偶関係にダメージを与える出来事や変化を、すべて避けて通れるわけではない。われわれの祖先が暮らしていた環境には、誰も抗うことのできない破壊的な要因が存在した。

不妊や老い、性欲の欠如、病気、社会的地位の失墜、集団からの追放、そして死といったものである。たとえ本人がどれほど誠実でも、こうした要素が配偶者としての価値を激減させてしまう。

現在の配偶者に欠けている要素を、他の配偶者に提供してくれるケースが往々にしてあり、その結果、パートナーがさきほど列挙したような状況に置かれた場合には、関係を解消しようとする心理メカニズムが形成されることになった。

赤バラ9 時間による変化

一歩一歩着実に社会的地位を上げてきたとしても、ある日突然、もっと能力のある新参者に追い越されるかもしれない。腕のいいハンターも、重傷を負って狩りができなくなるかもしれない。年を取った女性も、息子がその部族の酋長になるかもしれない。

長い間目立つこともなく、配偶者候補として最低ランクにしか評価されてこなかった男でも、ある日すばらしい発明をして社会的に貢献すれば、たちまち名声を得るかも知れない。

あるいは、健康そのものの若い夫婦なのに、どちらかが不幸にも子供のできない身体と判明することもある。こうした変化を考えに入れないことは適応的ではなく、祖先が直面していた適応上の課題の解決を妨げるものだった。だからこそ人類は、そうした変化を察知し、適応的な高度を取るための心理メカニズムを進化させたのだ。

女の価値の変化

例外は数多く存在する。一部の女性は、地位や名声、財産、人脈などに恵まれているおかげで、年をとっても配偶者として価値ある存在であり続けることが出来る。

物事を平均化することは、個人的な状況の幅広い差異を覆い隠してしまいがちだ。結局、ある人間の配偶者としての価値は、あくまでも個人的なものでしかなく、選ぶ人間が何を求めているかによって決まる。

 ひとつ実例を上げれば、ある社会的に成功したビジネスマンは、妻と六人の子供とともに暮らしていた。だが、妻は癌に侵され、若くして命を落としてしまう。しばらくして彼は再婚した。相手は彼より三つ年上で、彼の子供たちを熱心に世話してくれる女性だった。

 この男性にとっては、子育ての経験が少なく、また自分自身の子を産みたがる若い女性は、配偶者としては価値が低かった。そうした配偶者は、六人の子供を無事に育てあげるという彼の目標を妨害する恐れがあるからだ。

欲望の減退

子供の誕生も、セックスの頻度に大きな影響を及ぼす。ある調査によれば、二一組の夫婦を対象に、結婚第一日目から三年間のあいだ、セックスの回数を毎日記録してもらった。結婚して一年後のセックスの頻度は、最初の一ヶ月間の約半分だった。

三〇歳になるとその頻度は月に九回に下がり、四二歳で月六回、五〇歳を過ぎると、夫婦間のセックスの回数は週一回にまで落ちてしまう。この調査結果は、女性側あるいは男性側、もしくはその両方の性的関心が失われていくことを反映しているものと思われる。

結婚してから年月を経るにつれてパートナーとの性的なつながりが薄れていくことは、セックスの回数の減少にあらわれている。一九歳未満の既婚女性は、平均して月に一一ないし一二回セックスを行う。

年をとるにつれて、性的なつながりが希薄になることを示すもう一つの証拠は、既婚男女の性的な満足度とセックス回数が年月とともにどう変わっていくかを調べたギャラップ調査(統計学者G・ギャラップが開発した標本抽出調査方式)から得られている。

少なくとも毎週一回はセックスをしている夫婦の比率は、三〇歳では約八〇パーセントだったが、六〇歳になると約四〇パーセントに減少した。同時に、性的な満足度も同じように低下している。自分の性生活について「非常に満足している」と答えたカップルは、三〇歳では四〇パーセント近くいたのにたいし、六〇歳では二〇パーセントしかなかった。

献身の低下

 カリブ海に浮かぶトリニダード島の人々に見ることができる。人類学者マーク・フリンは、四八〇人を定期的に観察し続けた結果、妊娠能力の高い(若くて、その時点で妊娠していない)妻を持つ男性は、妻と過ごす時間が長く、妻と言い争いをしたりライバルの男性と喧嘩する頻度が高いことを発見した。

 対照的に、妊娠能力の低い(年を取っていり、すでに妊娠していたり、子供を産んだ直後だったりする)妻を持つ男性は、妻と過ごす時間が短く、他の男性たちとも仲良くしていた。このことから人類学者フリンは男性が配偶者を守ろうとする姿勢の強弱は、配偶者の繁殖能力に大きく左右されていると結論している。

 女性を隔離する習慣が根強く残っている中東の社会では、大人の女性はベールで顔を覆い隠さなくてはならないが、身体を隠すことを最も厳しく強いられるのは初潮を迎えたばかりの若い少女たちであり、年を取るにつれてこの慣習はしだいに緩和されていく。

 また、夫が妻の不倫に気づいたり、その疑念に苛まれて、怒りのあまり殺してしまうという事件は、妻がまだ若い場合にもっとも多く起こる。このことは万国共通であり、夫の年齢に関係ない。

赤バラ婚外セックスの頻度の変化

 女性の婚外セックスと、そこからオーガズムを得る割合が、繁殖年齢の終わりに差し掛かるにつれてピーク達する理由はいくつか存在する。この時期の女性は、夫からあまり厳しくガードされなくなるで、若い女性と比べて婚外セックスの機会を利用しやすくなる。

 また、年を取った女性は、嫉妬に駆られた夫から被るコストも少ないので、婚外セックスの抑止がはたらかない。たとえば浮気がばれても受けるペナルティが軽いので、比較的自由に婚外セックスの欲求をみたすことができるのだ。

 夫以外の情事は、自分の繁殖価値がゼロになる前に新たな配偶者を得ようとする女性の努力の表れでもある。この見方を裏づける証拠が、浮気をしている既婚男女二〇五人を対象にした研究から得られている。女性の七二パーセントが、情事の動機を、単なる性的欲求ではなく、感情的な絆や長期的な愛情によるものだと答えているのたいし。男性で同じ回答したのは五一パーセントだった。

閉経

女性の閉経後の期間が長いことにたいする、より説得力のある説明として、次のような説がある。閉経とは、女性の役割を、配偶行動や直接の繁殖活動から、子供や孫の世話といった親族に対する投資へと変えさせるための適応だというものだ。「祖母仮説」と呼ばれるこの説明は、あるひとつの仮定に立脚している。

 われわれの祖先の女性たちにとって、子供を産み続けることは、すでにいる子供やその他の血族に投資することに比べ、繁殖成功度という点では不利にはたらいたにちがいない、という仮定もある。さらにもうひとつ、年を取った女性は、健康法や親族関係、ストレスの緩和といった事に関して、若い女性にはない知恵や知識を身に着けていることが多い。

男の価値の変化

 一部の中年女性がもっと年上の男性を好むのは、その男性が持つ資源のためではなく、同じ年齢の男性たちより、自分を高く評価してくれると考えるからだ。アフリカのアカ族では、高い地位につき、生涯に多くの資源を手にした男性は、結婚して子どもの世話を自分ではほとんどしない。

 それに対し、低い地位しか得られず、妻や子どもにわずかな資源しか提供できない男性は、子供の世話に多くの時間を割くことでそれを埋め合わせる。赤ん坊を抱いていることは、カロリー消費の点でも、他の活動を犠牲にするという点でも高くつく行為であり、父親の投資を示めす重要な指標のひとつである。

男が早死にする理由

ギャンブルや命がけの喧嘩といったリスクの高い行為をする人間の大部分は、職もなく、結婚もしていない若い男性である。1972年にデトロイトで起こった殺人の四一パーセントは、無職の成人男性が犯人だった。男性の犯人の七三パーセントが独身者だった。デトロイト市全体の失業率が一一パーセントであることを考えると、この数字は極めて高い。市全体の未婚率は四三パーセントでしかない。

年齢層も一六歳〜三〇歳までのあいだに極端に集中している。要するに、無職で、結婚もできず、年齢も若いために、価値が低いと見なされる男性は、リスクを冒そうとする傾向が強く、それがときとして一線を踏み越え、生死にかかわる事件に繋がるのだろう。

婚姻機会の縮小

一生のあいだに生じる男女比の変化は、配偶戦略にもそれに応じた変化を引き起こす。女性はふつう、高い地位と潤沢な資源をもつ成熟した男性を好む。そのため若い男性は、結婚相手となる女性が不足した状態に置かれることが多い。若い男性の配偶戦略は、こうした局所的な女性欠乏という事態を反映している。

彼らはきわめてリスクの高い競争戦略を取り、性的暴力、強盗、傷害、殺人といった暴力犯罪の大部分に関与しているのだ。ある研究によれば、レイプで逮捕された男性の七一パーセントが、一五歳〜二九歳の間だったという。こうした暴力犯罪は、若い男性がまともなやり方では惹きつけたりコントロールしたりできない女性にたいして行わられている。

一生添いとげるために

女性は夫が監視を示さなくなるのを不快に思い、ないがしろにされていると不平を言うようになり、同時に男性は、妻から時間と関心を振り向けろと要求されることに対して不満を募らせる。

女性が年を取るにつれ、男性はガードをゆるめるので、浮気する女性の割合はしだいに高くなっていき、繁殖可能年齢の終わりに差し掛かるころにピークに達する。男性の場合、浮気の最大の動機はさまざまな相手とセックスをしてみたいという欲求である。

 男性の場合、浮気の最大の動機はさまざまな相手とセックスしてみたいという欲求である。しかし女性は、より感情的な動機から浮気に走る。それはおそらく、まだ繁殖が可能なうちに別の配偶者を見つけようとする努力の表れなのだろう。

女性は今の夫と別れるのが早ければ早いほど、配偶市場における自分の値打ちが高くなることを知っているようなのだ。

10 調和をもたらす鍵

従来の社会科学では、男性と女性の心理を同一視するのが一般的だったが、この見方は、人間が進化させてきた性的心理について現在わかっている事実に反している。性淘汰の力のもとで、男女どちらも、より望ましい異性を獲得しようとしのぎを削っている。

 繁殖という面で、数百万年にわたってそれぞれ異なった課題に直面していながら、男女の心理がまったく同一だとしたら、それこそ驚くべきことだろう。現在の時点では、男性と女性とで配偶者の好みが違うことに疑いをさしはさむ余地はない。

 男性は主に若さや身体的な魅力を重視し、女性は地位や成熟したい度、経済的資源の量などを重視する。男性と女性では感情的なつながりを伴わないカジュアル・セックスへの姿勢や、さまざまな相手とセックスという欲求、性的な空想の質などについて異なっている。

赤バラフェミニストの見方

現在生きているわれわれは、上手く配偶者を獲得し、妻の浮気を防ぎ、自分の元に繋ぎとめておけるだけの利益を提供できた祖先の男たちの、長く途切れることのない連鎖の末裔なのだ。そして同時に、有用な資源を提供してくれる男にセックスを許してきた祖先の女たちの、長い連鎖から生み出されたものでもある。

 ただ、フェミニストたちの理論は往々にして、あらゆる男性が、女性を抑圧するという共通の目的のために団結していると見なしがちである。だか、人間の配偶行動の進化は、そうしたシナリオが現実にはあり得ないことを示している。

配偶戦略の多様性

 一般的な傾向とは逆に、経済的な資源目当てに女性を選ぶ男性もいれば、男性を容姿で選ぶ女性もいる。男女それぞれの中のこうした差異を、統計上の盲点として見過ごすべきではない。それは、人間の配偶戦略のレパートリーの豊かさを理解するのに欠かせないものだからだ。
 性的な多様性は、戦略のレパートリーの中でのどの戦略を採用するかを促す個人的状況に左右される。その選択は、おそらく意識的に行われるわけではない。たえば、経済的資源が乏しい状況にあるアカ族の男性は、子供への世話という形で多くの投資を行う配偶戦略をとる。

文化的な差異

進化心理学は、配偶戦略の差異を説明するために、幼時体験や子供の育て方といった環境的要因に目を向けている。

心理学者ジェィ・ベルスキーと共同研究者たちは、親の育て方が乱暴だったり、冷淡だったり、不十分だったりした場合に、あるいは資源の供給が不安定だったり両親の中が険悪だったりする環境下で育てられた場合、その子どもは将来、若いうちに子供をつくったり、配偶者を容易に変える傾向が見られると述べている。

 反対に、資源が豊富で、夫婦仲のいい家庭に生まれ、親の気配りと比護を受けてしっかりと育てられると、永続的な配偶戦略を取りやすくなり、子供をつくるが比較的遅く、夫婦の絆が強くなるという。

競争と軋轢

ひとりの人間が、優しさ、知性、頼りがい、運動神経、容姿、経済力といった資質すべて兼ね備えていることはごくまれである。大部分の人間は、望ましい資質をすべてそなえた理想像よりは、多少とも落ちる相手で妥協せざるをえない。

この冷厳な事実が、同性同士の競争と軋轢をひきおこす。
それから逃れる方法は、配偶者獲得というゲームから完全に降りてしまう以外にはないが、配偶という人間の本質的な欲求は、簡単に消し去ることはできない。そうした欲求を満たそうとする努力が、人々を同性のメンバーどうしの競争の場へと送り込んでいく。

男と女の協調

女性が浮気をした場合、夫からの投資以外にも資源を手に入れたり、子供により良い遺伝子を伝えられるという点では利益が得られるだろう。しかし、浮気を通じて彼女にもたらされる利益は、夫に課されるコスト――自分が子どもの父親なのか確信を持てなくなったり、妻への信頼が損なわれたりするコスト――と引き換えにされたものだ。
同じように、男性の浮気は、さまざまな相手とセックスしたいという欲求を満たしたり、一夫多妻の気分を味わうという一時的な幸福感を得る役には立つだろうが、そうした利益もまた、夫の愛情や資源の一部をライバルに奪われるというコストを妻に背負わすことで成立している。
本表紙
男はなぜ新しい女が好きなのか? 
 男と女欲望の解剖学 サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=

ピンクバラ古代人の性生活

たとえば、ローマの12人のカエサルを見てみよう。ユリウスは、妻ではない自分の好きな女との絆を正当化するために、貨幣まで鋳造した。それに続くアウゲストゥスは女たちを領土のあらゆる土地から集め、処女を奪うことに情熱を注いでいた。彼の妻自身が、餌食となる女たちを集めるのに手を貸していた。

ティベリウスの欲望の強さは東洋の専制君主に匹敵すると言われていたし、カリギュラの放蕩は先祖たちをも凌いだ。クラウディウスは「並外れて情熱的」だと言われていたし、6人目のカエサル、すなわちネロは、放蕩の代名詞のような人物で、女たちを棒に縛り付けてはその裸体を観賞するのを好んでいた。

適応する心

ファンタジーについて探ることは、性行動を観察するよりある意味で性に関する真実を浮かび上がらせるかもしれないとサイモンズは思った。現実の性行動には、ある種の妥協が付きものだ。

 相手が同意してくれるかという問題だし、他の男性との競争もある。だがファンタジーの中でなら、誰でも好きなことができる。

サイモンズはこの研究の結果、30%の男性は千人以上の女性と性行為を持つというファンタジーを抱いていたことを知った。また半分の男性が、ファンタジーの途中で相手を変えていた。

物語を創ってくれと頼んでみると、典型的な答えはこうだった。自分は小さな村の町長をやっている。そこには20歳から24歳の女性ばかりが裸で暮らしている。町長の自分は散歩して、その途中にその日いちばん可愛く見える女性とセックスをする。女たちはみな、彼の要求を喜んで応じる…・。

だが、セックスとは時間のかかるものだ。もし万が一そのファクターが実現するようなことでもあれば、男たちはできるだけ素早くセックスをすませるように進化を遂げていなければならない。

でないとどうやってそれほど多くの女性を相手にできるのだろう? 進化心理学者のデイビッド・バスは、これを調査するためのグループ・スタディを行って名を上げた。

数の問題

性衝動とはなんら関わりのない現象に思える。だがグラデューが参加者のホルモン・レベルを調べてみると、積極的に参加し高い電気ショックを相手に与えた参加者ほど、男性ホルモン、テストステロンの分泌が高いことが解った。
 その上、勝ちを告げられると彼らのホルモン・レベルはさらに上がったという。

 テストステロンが主として男性の性衝動を司るホルモンだという説に異を唱える者はいないようだ。精巣のライジヒ細胞で作られるクリスタル状のこの物質は、規則的なリズムで体の中を流れ、男性が生殖可能な年齢の間には、5分に一回ほどの割合でピークを迎える。

 男性をセックス可能な状態にまで高からぶらせるのがテストステロンの仕事だと一般に信じられているため、欲望が極端に低い患者の治療に用いられたこともある。

 90年代初めに行われたテストによると、テストステロンの低い患者に6ヶ月間テストステロンを補充する治療を行うと、勃起力が強くなり、射精の回数が多くなり、全般的にリビドーが高まるという。

 だがテストステロンが争いの感情とも大いに関係あるらしいことは、さほど注目されていない。競争心の強い男性のほうがテストステロンのレベルが高いことはグラデューの実権ででも裏付けられている。
注射を打ってほどなく、性転換者たちは性的な興奮を覚えるようになる。だがそれは、これまで知っている興奮とは違う。これまでの彼女たちの内分泌システムは主として、女性ホルモン、エストロゲンとプロゲステロンの影響を受けていたからである。

 男性ホルモンを注射してからの興奮はずっと強く、三人を駆り立てる。とくに顕著なのは視覚的情報より重要な役割を演じるようになったことと、とにかくすぐに欲望を叶えたいと強く思うことだったという。
「ベンチを蹴り倒してすぐに競技場に立ちたい」――男性の性的欲望を表すこの表現を裏づける調査がある。マサチューセッツ工科大学でスポーツ・マネージメントを研究するトッド・クロセット教授は、レイプ及びレイプ未遂、相手の同意のない性的攻撃を、全米アスリート協会に入っている30の大学を対象に107件調査してみた。

人間の知性と動物の野生

男性のセクシャルマイノリティと攻撃性は、大脳の中の隣同士ではなにしろ近い場所に共存している。同じホルモンがそこで注ぎ込まれるため、二つは混同されやすい。だが前頭葉が、つねにそれを監視している。反社会的な行動を実現させずファンタジーの中で満足させるのも、前頭葉の役目なのである。

生々しい性的欲望を、社会的に受け入れられる形で発露させるのも、性欲や攻撃性を表に出したほうがいいかどうかを判断するのも、前頭葉の役目なのである。

だが前頭葉は、あらゆる動物的な欲望を禁じる女教師のような存在ではない。前頭葉自体が、ある意味で性的器官なのである。荒々しい歯止めの効かない性欲は大脳辺縁系にあるとしても、誘惑という行為を司るのは前頭葉である。

性の技巧、快楽の大部分は、前頭葉に発する。そして、競争相手を殺したり征服した相手をレイプするのが禁じられている社会で、驚くほどバラエティにとんだ快楽を得るための代替え手段を考え出すのは前頭葉なのである。

なぜ一夫一妻制か

ハーレムと一夫一妻制の他にも、男性が「できるだけ多くの女とセックスしたい」「一人の妻と子どもたちを保護した」という二つの相反する衝動を両方満足させるために編みだした方法がある。

 一夫一妻制を理想としながらそれほどさほど強制しようしない、今日のアメリカやヨーロッパのような社会で見られる傾向になる。こうした社会の中で男がもっとも惹かれるオプションは、貞操で信頼できる女と結婚し、明らから自分のものである子どもを育て、外で行きずりの性的関係を楽しむことである。

 イヴィッド・バスは、ここまで主張する。1990年代の初め、つかの間の関係でなく長い時をともにする相手にどんな資質を求めるか質問したバスは、はっきりその答えに共通の特徴があるのを知った。

 ほとんどの男性は、一夜限りの相手には多くを望まない。対象になる年齢層も広く、魅力や正直さ、やさしさや知性、富やユーモアセンス、気分の安定などに関しても過大な期待は抱かない。絶対に避けたい要因は僅か二つだ。性欲がないことと毛深いことである。

女たち

女も自分の生活の糧を自分で稼ぎ、好きな相手と好きな時にセックスした。相手の男たちは、文句を言うことさえできなかった。捕虜である以上、従うしかなかつたのである。

やがて夫たちが傷を負い前線から戻ってくるまで、これは続いた。女たちは冷ややかに、夫の帰還を迎えた。自分の力で生きていけることを確かめ、性的な自由まで謳歌したナギレフの女たちは、一度手にした自由を手放したくなかった。

夫との生活に戻るのに嫌気がさした女たちは、地元で産婆をしていたファゼカス夫人に相談した。ファゼカス夫人は抜け目のない女性で、徴兵を募るポスターを貼るノリを煮詰めて毒を造り出す方法を発見していた。そしてその毒のカクテルを、安い値段で女たちに売ったのである。
すると、殺人事件が立て続けに起こった。1914年から1929年の間に、百件以上もである。

この恐ろしいたくらみは、ラディスラウス・ザボという女性が“気にくわなくなった”男を殺そうとして、ワインに入れる毒を作る途中、処方を間違えたときに発覚した。罪を一人で背負いたくなかったサボは、ブケノウスキという女性もファゼカス夫人からヒ素を買ったことがあるようだと密告し、巻き添えにしようとした。

このナギレフの事件は、いい例である。女たちが男を凌ぐ力を持ったときどうなるか。
誰にも罰せられることも、復讐されることもなく好きなように男をものにしたり捨てたりすることができるとしたらどうなるか? 

暗黒の大陸

初期のフェミニストたちは、快楽を追求すれば自分たちの高邁な思想を疑われるのを恐れ、性欲の問題を避けてきたところがある。「女性には参政権を、男性には純潔を」が、婦人参政権論者のたちのスローガンだった。
電子機器とモニターの助けを借りて、二人は女性のオーガズムを観察し、実にリアルに描いて見せた(ロマンティックとはほど遠いが)。それを見てみよう。

膣の三分の一(外側)が強い収縮を起こす。最初のころの収縮は二秒から四秒に続き、後のほうの収縮は0.八秒の間をおいて起きる。膣の内側三分の二がやや広がる。子宮が収縮する。絶頂に達し、からだ中が熱くなる。体の様々な箇所で筋肉が収縮し始める。呼吸数、心拍数が高まり、血圧が三割ほども高くなる。声を出す例もみられる。

アクトンや彼の信奉者は、怖気をふるっただろう。しかもこの女性の性的興奮に関する詳細な記録は、マスターベーションを観察したものだった。女性のマスターベーション一派にとってはありないものだっただろうし、まさか女性がそこに快楽を見出しているとは思ってみなかっただろう。
彼らの傷口に塩を塗り込むように、調査の報告は続いた。女性の50%が、定期的にオーガズムを経験する。男性がオーガズムに達するよりは時間はかかるが、いったん達すると長く続き、すみやかに繰り返す。
その上、女性は性交しなくてもオーガズムに達する。シェア・ハイトが1976年に出版した『ハイト・リポート』で明らかにしたとおり、女性にとってペニスの挿入よりマスターベーションのほうがオーガズムを得る手段としては有効である。

未だ女性の性欲の存在に疑問を感じている人々がいたとしても、中には快楽のために夫を必要としない女性さえいるのだという事実が生きた証拠となった。だがそれも“積極派”と“受身派”の議論は終わらなかった。いや、ますます過熱するばかりだった。

10、量より質

男性の性衝動について考察した際、男性にはできるだけバラエティ豊かな受胎可能な女性と性交したいという欲望がプログラムされていることを確認された。ラッセル・クラークとエレイン・ハットフィールドの実験では、魅力的な女子大生に声を掛けられた男たちが、すぐにセックスできそうな申し込みであればあるほど興味を示すことが解った。

 デートをしようと言われて承知したのは50%。部屋に来てと言われ誘いに乗ったのは69%、そして、すぐにセックスすることを同意した男性は75%もいた。だが、話はここで終わりではない。

 クラークとハットフィールドは、同じ実験を女性に対しても行った。男子学生をキャンパスに送り、通りかかる女性に同じ質問をさせたのだ。男子学生がきちんとした人間に見えるように、女性が怖がることのないように、実実験には念入りな注意を払った。

 結果ははっきりしたものだった。デートを承諾した女性はほぼ半数に上ったが(これは男性向けに実験の場合と同じ割合)、男性の部屋について行くと言った女性はわずか6%だったし、すぐにセックスしようと言われて承知した女性は一人もいなかった。

  さらに、男性、女性それぞれのノーという答えを分析してみると、男女にははっきりした違いがあることが解った。男性はどちらかというと後悔を表すことが多いのに対し、女性は軽蔑を表明する。

 男性は、「今日は無理だけど、明日なら‥‥・」というような答えをすることが多く、女性は「ふざけないで!」といった反応が多い。

ピンクバラセックス・チェア

一つは、生殖器のレベルでは、女性は見知らぬ人との乱暴なセックスに対しても反応は示している。ところがレバーの実験は、それとは全く違う結果を呼んでいる。意識の上では女性たちは、男性の作ったポルノより女性の作ったポルノにより強く興奮していたのである。

女性の作ったポルノを形容するには「エキサイティング、セクシー、すてき、わくわくする、ずっといい、現実的でどきどきさせる」等の言葉を使い、男性の作ったポルノに対しては「ひどい、荒っぽい、わいせつ、乱暴、趣味が悪い、汚い」等の言葉が一般的だった。

生殖器の反応の分離は、興味深い事実を教えてくれる。どうやら、意識の上での興奮がすべてではないようだ。男の場合は解りやすい。ペニスの勃起は実に単刀直入で、一目で性的に興奮していることを教えてくれる。ペニスの変化を見ていれば、男性の性衝動について研究するのはたやすい。

だがラーンの研究結果、女性が興奮するときには、脳の役割がずっと大切になるらしいことがわかった。生殖器が感じた興奮を脳が認識するには、ある一定の基準を満たさなければならないらしい。

これまでの女性の性衝動に関する理論は、これに比べると単純だった。積極的か受身かという議論は、的を外していたのである。今や、意識と身体の複雑な相互作用が問題として浮かび上がってきた。

女性にとっては、意識の上での性的興奮のほうが、純粋に肉体的な興奮よりずっと大切だったのである。

理想の男(ひと)

女たちはハンサムな男に惹かれる。たとえよく解らないが相手でも、外見が良ければ魅せられるのである。当たり前だと思われるかもしれない。だが、これは繰り返しておいたほうがいい。

 なぜならこのあまりに明白な事実を、進化論の思想家や科学者は通り一遍にしか考えてこなかったからである。

 ハンサムな男たちはその長所を子どもに伝える。それはすなわち、繁殖をめぐる競争を優位な立場からスタートできることを意味する。後ろの方を見るように、頑丈な顎や広い肩、豊かな髪や引き締まった肉体という伝統的な美男の要素は、健康で強い遺伝子を持っている証でもある。

 それでも女性にとって異性の外見は、男性ほど重要でないようであるし、女性は外見以外の要素を重んじることも事実である。ダグラス・ケンリックの調査でも、女性が男性ほど外見にこだわらないことが解っている。それどころか、あまり美形でない男性のほうが却って魅力を感じることさえあるのである。
 もちろん、その男性が他に提供してくれるものを持っていればだが。

満足の保証

1980年代に、モデルのアダム・ペリーがセミヌードで赤ん坊を抱いた写真が売れたのは、不思議なことではないだろう。アダム一人の写真より売れるが、彼が子育てに熱心な姿を見せるや否や、評判は急上昇した。

ところが(性が絡むと実にありがちなことだが)彼が世間に見せていた顔と実際の行いはずいぶん違っていたらしい。ペリーは仕事で得たのは金だけではなかった。最近明るみに出たことだが、彼はここ10年で3千人の女性を誘惑しベッドを共にしたということだ。

このエピソードはもちろん、多くを語っている。だが今はテネシー州のヴァンダーヒル大学にいるブルース・エリスが男性の魅力に関して大規模な調査を行ったところによると、男性が一人の女性に多くの時間を“投資”すればするほど、女性がオーガズムを経験する頻度が高くなるという。

ペギー・ラー・チェラも、先ほど紹介した男性の服装に関する実験を試みた。そして、男性一人で映っていたり、子どもが傍にいてもそちらを見ていない写真よりも、男性が子どもに愛情を注いでいる姿の写真の方が、女性の気持ちを惹きつけることを発見したのである。

ピンクバラクラブでの実験

女性の月経サイクルとホルモンの満ち干はどういう関係があり、それはどのような心の動きを生み出すのだろうか。

 まず、エストロゲンについてみてみよう。このホルモンはいつでも生産されているが、排卵の直前に特に多くなる。セックス・セラピストのテレサ・クレンショウはこのホルモンを“マリリン・モンロー・ホルモン”と名付けている。“そばにきて私に触って! 私をあなたのものにして!”と訴えるホルモンだからである。女性を駆り立てるのも、このホルモンの仕業である。

二番目のホルモンはテストトロンである。女性の場合、このホルモンの量は男性よりずっと少ない。だが排卵期前後はぐっと量が増え、男性と同じ効果をもたらす。夜、相手を求めてさまよったり、タッチダウンを求めて走ったり、ビジネスで契約をまとめたり、何かを積極的に追い求めたり、戦いをものにしたりする背後には、テストテロンの働きがある。

 このホルモンは、セックスにも関係がある。ふと立ち止まり考えずに前に進むのは、テストステロンのせいなのである。

 三つ目のホルモンはプロゲステロンである。このホルモンはいわば“意欲に水をかける”ホルモンで、女性が家に溜まって家族の中に閉じこもりたくなるのはこのホルモンの働きなのである。

 このホルモンの働きが強い人は、積極的・攻撃的な行動を取るよりもむしろ何かを育み、守る傾向が強い。また女性の月経サイクルの最後の方や妊娠期には、このホルモンは大量に生産される。

 このように多様なホルモンが補い合って作用しあい、満ち干きを月ごとに繰り返す。これを理解すると、女性の性衝動に関してこれまでよりはずっと真実に近づける。

精子戦争

女性のセクシュアリティという未知の領域に潜む謎を解く手がかりを得たのである。

 なぜ女性の性はあれほどバリエーションに富んでいるのだろう? クリトリスの本当の役目は何なのだろう? それに、そもそもなぜ女性は絶頂に達するのだろう?

 ベイカーとべリスは、さらに気の滅入るような情報をもたらした。女性がいつセックスをするかを確かめた二人は今度、セックスの内容を調べてみた。

その結果、“レギュラー”の男は二重(三重に)不利な立場に置かれていることを発見したのである。女性が受胎可能な時期に、夫と愛人、二人とセックスしたとしても、愛人のセックスの方が相手のオーガズムの時期がずれない。つまり、愛人の精液の方が体内に残りやすいのである。

受胎可能な時期にした愛人のセックスの70%が“高体内保留率”セックスであるのに対し、夫のセックスではその割合が40%まで低くなる。どう考えても、間男のほうが分がよさそうである。

実際夫とのセックスのほうが愛人の二倍多かったとしても、父親になるチャンスは愛人の方が高いのである。

ロビン・ベイカーはもちろん、人間が純粋に論理だけ重んじて行動を、特に性行動を決めるとは考えていない。ただ私たち人間は、意識してもいなければ自分でコントロールすることもできない衝動に、進化の過程で否応なく身に付けた衝動に、思っている以上の影響を受けているというのが彼の主張である。
外に愛人を作った女性は、いつかはばれるかもしれないというリスクをつねに背負っている。ならば避妊には相当慎重になるだろうと、誰しも思うことだろう。だか、これはいささか事実と違っている。

家を出て外で密会するためには知恵を絞っている女性たちも、避妊になると全然気をつけていないらしいのである。リスクを思えば、もっと賢い振る舞いもできるだろうに、なぜこうなるのだろう?

ベイカーとべリスが発見したところによると。女性はむしろ複数いると避妊をしない傾向があるという。相手が複数いる女性は、ピルを服用している割合が低い。おまけにレギュラーのパートナーより、愛人が相手のときの方が、避妊をしないのだという。

これでもうお分かりだろう。女性もまた。男性と同じょうに、できるだけ有利なら遺伝子を残すようにできている。もし結婚相手ではそれが叶えられないのなら、よそで調達する。
椅子もない環境で、いまよりも肉体が鍛え上げられていただろう太古の昔女性たちの陰部の筋肉は、もっと発達していたかもしれない。だから精液を、意識的に追い出すことさえできたかもしれないというのだ。

いい父親、悪い男

それでも疑問は残る。なぜ、そんな冒険を冒すのだろう? 繁殖に必要な一連の過程――妊娠し、出産し、授乳し、子育てすること――それ自体が大きなリスクで、浮気などしたらその可能性を高めてしまうだけのように思われる。どっちみち精子はたくさんあるのだし、嫉妬に狂った男は怖。

 それだけでも、浮気を思いとどまる十分な理由になるように思える。だが、情事は決してなくならない。女性はいい遺伝子を残す可能性のためならば、浮気がばれるかも知れないリスクをものともしないようである。いったいどうしてだろう?

 男性が相手のバラエティを求め、しかも女性よりずっと簡単に親になれる以上、女性は決定的に分が悪いように思われる。生き延び、子育てをするために女は、生活の糧を必要としている。だが生活の糧を持っている男が、つねに最良の遺伝子を持っているとは限らない。女性たちは、すべてを兼ね備えている男を見つけるのには難しいと言って嘆く。
若くて貧乏な男にも、チャンスはある。相手の女性がすでにどこかで生活の糧を確保しているのなら。

こうした研究のおかげで、女性の性衝動に新たな光が当てられるようになってきた。研究者これまで、女性をマドンナと娼婦の二種類に分け、根本的な間違いを犯したのだ。その二人を両立させず、マドンナが娼婦になることも、娼婦がマドンナになることは無いと思っていのである。

おそらく男たちは二元論で論じれば、女性が扱いやすくなると思っていたのだろう。たとえその二元論では、実際にあらわる現象の半分が、説明できないとしても。女がマドンナなら、欲望を叶えてやる必要などない。

女が娼婦なら、過ちを犯さないように方策を取ればいい。そのようなやり方は正当なものなのだから。だが女がマドンナでありかつ娼婦だとしたら――気分や月経のサイクルのいつに当たるか、あるいはどんな男に会ったかなど様々な要素でマドンナにも娼婦にもなるとしたら――男はいったいどうすればいいのか。

ピンクバラ第2部 世間・神様・道徳 セックスと社

ヤノマモ族の結婚には、西洋流の誘惑や口説きはまったく見られない。結婚はしばしば略奪の産物である。兵士たちが近隣の村を襲い、男たちを殺したりうちのめしたりし、子どもは脳みそをかきだし、泣き叫ぶ女たちをさらっていのである。

ヘレナを連れに来た男はこれほど荒っぽくなかったが、優しいわけではなかった。ヘレナは次のようにその経験を語っている。

私はハンモックで寝ていました。すると、身体中に何か塗った男がたくさんやって来ました。先頭の男が矢を手に傍にきて、私をじっと見つめました。私は顔を背け、屋根を観ました。屋根の葉の隙間から、逃げ出したいと思いました。

男たちのイチバン前にいた男が矢を捨て、私の腕をつかみました。私はまだ、男から顔を背けて屋根を見ていました。するとその男が言いました。「この女を連れて行くために来た」

ヘレナの村の女性たちは。まだヘレナを失いたくなかった。彼女の身体を巡って、争いが始まった。兵士たちは彼女連れ去ろうと足を引っ張り、女たちは首にしがみついた。ヘレナがついに気を失うと、死んだと思った男たちは諦めて帰った。

こうやってヘレナは難を逃れたが、やがて村の長老、フジウエと結婚する。

違う? 同じ?

人類の性行動はどこでも同じパターンにのっとっている――この考え方は、人類学者にとって馬鹿げたものに思える。人類が初めて新しい世界を探して大海を渡り見知らぬ民族に出会ったときからみな、習慣というものはいかに人種によって違うかを彼らは嬉々として語ってきた。セックスに関してとなれば、なおさらである。

古代世界ではすでに、ローマ人たちがエジプト王室の近親相姦に驚き、祖国の人に報告した。中世になると、スペイン人の征服者たちはインカの人々の倒錯について日記を書いた。
そしてヴィクトリア期、神の言葉を伝えるために“野蛮な”アフリカやアジアやオセアニアへ出向いた宣教師たちは、息を切らして集団レイプや小児愛、処女を奪う儀式、性奴隷。未亡人を生贄にする習慣など関する報告を次々と送った。

 その後も、時代とともにやや、“中立”な議論になったとはいえ、“違い”を強調する報告は続いている。人類学とは部族や文明の違いを発見し、宣伝することによって成り立っている学問だからである。

 研究者たちは現在の西側社会と違う基準をもった文明であればあるほど、魅力を感じることようだ。性や結婚の面でまったく違う民族についての論文を書けば、成功が約束されている。その学舎の名声は、一挙に高まるのである。

 そのために、私たちは知ることになるのだ。太平洋には、ロマンティックな恋愛の苦しみも喜びも知らない民族がいる。北アフリカの大草原には、嫉妬を禁じられている人々がいる。西アフリカのある部族では女性の方が豊かで数も少ないため、男性に性の奉仕を求め、男はそれに従う・・・・。

不思議なフィーリング

世界中の文化が、一時的な例外と戦略上必要な場合を除いて近親相姦を禁じてきたのは、もっともな理由が三つある。一つは、家族の力関係である。家族は家族であるだけで、複雑で微妙な関係なのであり、そこに別の感情を巻き込んだりすれば、さらに厄介になる。

親と子の間で力の均衡が保たれているのに、近親相姦などすると虐待や争いが起こりかねない。セックスにまつわる執着や嫉妬は、家族愛とは相容れないのである。

二つ目の理由は、近親相姦を頻繁に、しかも長く続けていく民族は健康が損なわれていということである。捕食動物や寄生虫の餌食になりつづけないよう、遺伝子を混ぜて別の個体を生み出すためである。

だが何世代も同じ家族の中で繁殖を続ければ、遺伝子のバラエティは世代を追うごとに乏しくなり、現存の疫病にも狙われやすく、また、その種を狙った新しい疫病も生まれやすい。

実際近親相姦をならかの理由で(意志による場合もあるし、環境によって致し方ない場合もある)続けている少数の文化の中に生きる人々にとって、健康の劣化は深刻な問題になっている。

南大西洋のトリステンダクーニャという小さな島では、島の外から新しい血がもたらされることなく、最初に来た開拓民23人とその子孫が1827年から61年まで6世代にわたって身内での交配を繰り返した結果、健康が全般的に損なわれてきている。6人が同じ病気を持っていた、他にも発病の可能性を疑われている者が8人いた。

その上研究者たちの調査によると、近親相姦の密度が濃かった子どもは最も知的能力が低く、密度の薄い子どもは比較的知性に優れていたという。テリとキムの身内が、生まれてくる子が奇形なのではないかと恐れたのもこれが理由だろう。

だがテリとキムの話が証明しているのはむしろ、人がなぜ近親相姦を忌み嫌うのか、その三つ目の理由である。しかも、二人は逆説的にこれを証明した。

われわれの先祖には、近親相姦が次世代にとって不利だという意識はなかっただろう。その必要はなかったのだ。われわれと同じよう先祖にも、生まれつき近親相姦を避けるような適応がプログラムされてきたからである。

結婚の起源

ヨーロッパで発掘された遺跡は、この時代人間がすでに埋葬の儀式を行ったことを示している。そのための場所や芸術品もある。埋葬の儀式があるのなら、他にも通過儀礼を行ったと仮定してもおかしくないはずである。

すべての証拠が示唆するとおり、三万年前すでに、部族間での結婚が行われている。そして、生まれた部族を離れ、新しい集団に入っていくのは、つねに女性の方だった。

だが、結婚はたしかにライバル同士。敵対しかねない者同士の絆を築くが、近隣の部族から年頃の女性がやってくれば、問題も相当引き起こしただろう。部族と部族を結びはしても、一つの部族の中では問題を抱え込む事になったかもしれない。

男性ができるだけたくさんの受胎可能な女性と性行為をしたいという欲望をプログラミングされていることはすでに見てきた。男性がセックスするためなら、筋力、知力、あるいはその両方を遺憾なく発揮するのである。

赤い三人

人間の性衝動とはどういうものか考えてみると、考古学が教えてくれるものは多くない。それでも男たちが姦通を犯し、それに対して暴力的な反撃があるという事実は、時代を経た私たちにとっても覚えがあるものである。

嫉妬に狂った怪物 
マルケサス諸島の住民に関しては、嫉妬がないという証拠に引用されていた論文そのものに、嫉妬の存在とその強さに関してはっきり書かれていた。

「女が男と暮らすときには、女は男の支配下に置かれる」そこには書いてある。「そして男の赦しなしに他の男と一緒に過ごすと、殴られる。男の怒りが強いときには、殺されることもある」

 他の文化に関する報告書を見ても同じだった。ディエリ族には複婚の習慣があり、一人の女性が何人の男性と関係を持つ。だが、嫉妬が昂じて暴力沙汰になった話がいくつも残っている。

 北アフリカのヒダッサ族は嫉妬を感じる忌み嫌らっているが、かといって嫉妬はつねに人の心の中にある。「他の男性と出かけだけで妻を殺す男もいた」部族のある女性は告白している。

 こうした報告の中で、また嫉妬に関する研究一般の中で、主に話題になっているのは男性の嫉妬である。これは、女性が嫉妬を感じないのではなく、男性の嫉妬が伝統的に見た目がわかりやすく、

 しかも悲劇的な結果繋がりやすいからである。裏切られた夫の怒りは、幾多の言い伝えや文学の題材となってきた。そして嫉妬とは、人類が誕生したころすでにあった感情なのである。

結婚の掟

後世界中の結婚が、この形のっとって行われるようになったのである。

 契約はまず、夫になる男が花嫁に贈り物をし、それと引き換えに花嫁の家族から持参金を受け取る所から始まる。だがこの持参金は夫が使えるだけでなく、花嫁の生活の糧にしたり、花嫁にかけられた一種の保険の役割を果たしたりする。

 夫が妻を離婚すれば、夫は持参金を全額返さなければならない。また妻が結婚後も実家で暮らすのなら(これはよくあることだった)、夫は妻の生活費を払わなくてはならない。

 離婚してしまえば、夫からの申し出たものであっても妻から申し出たものであっても、二人の間に生まれた子どもの生活費を、夫は払わなければいけない。

 ここまでは、公正な契約だといえる。目的にかなっているし、人道的である。だがこの後、女性の純潔と貞操に科せられる要求は、バビロンでも、他の場所でも、人道的とは言えなかった。

花嫁は処女

性器切除の習慣があったアフリカや地中海沿岸、そして中東では、同じように古くからある習慣がみられる。それは、花婿かもしくは親戚の女性が新婚夫婦の寝室から、処女膜が破れた証である血に染まったシーツを持ちだし、披露する習慣である。

 このシーツは、新婦の結婚前の行状にかかわらず、親戚の女性やナイフ、近くにいた動物などの力を借りてでっちあげることも多い。が、とにかく証拠がないと、新婦は公に恥をかくことになり、そのまま実家に帰され、家名を汚したといって殺されることさえある。

 現実的な社会では夫に、持参金を返さず妻だけ返す、あるいは妻を引き続き引き取る代わりに追加の持参金を要求することオプションを与えることもある。
だが純潔がどうしても必要とされる文化の中では、危険はより大きくなる。古代ヘブライ世界では花嫁がシーツの儀式を達成できない時は、町の外まで連れて行って死ぬまで石打の刑にするべきだとされていたという。

貞節な妻

イスラム世界で極端な形をとる。ナイジェリア北部には泥の中庭が、ムガル人のインドには豪奢に飾り立てたハーレムができたのである。アフリカの東海岸には、スワヒリ語のことわざがある。徳のある女性は、生涯二度しか外に出ないと言うのである。一度目は結婚式であり、二度目は自分の葬式だという。

 こうした女性の拘束は、ずっと昔から行われてきた。民主主義のゆりかごであったはずのアテネの女性たちでさえ、今日のイランの女性よりも自由がなかった。女性たちはとにかく、出かけなかったのである。市場に買い物に行くことさえなかった。

 家の外に出るのは宗教的儀式があるときだけ。詩人リュシアスは自分の妹や姪が、女性の鑑だと歌っている。とても慎ましやかで、男性の親戚の前でさえ恥ずかしげな様子を見せると言うのである。

 たとえ外に出かけても女性は、隔離されているのも同然だった。重いカーテンに隠された輿に乗り、外からも見えず、しかも従者ついていては、移動型のハーレムも同然だったろう。あるいは、全身を布で隠すこともあった。こうやってヴェールをかぶり、体の線を――ときには顔までも――すっぽりと隠している。

 私は夫がいる女で他の男は手を出してはいけないのだと宣言しているも同然だった。イスラム世界では、男も女も同じように服装も振る舞いも控えめにしていたが、女性は、親しみを込めた動作や目での会話を一切禁止にされていた。
 それはアラーが守るものを守るためである。

罪は死につながる

姦淫の罪に対して死刑とは、じゆうぶん厳しい罰と思うだろう。だが姦淫の罪は、凝りに凝った忌まわしい処刑方法の誕生にインスピレーションを与えてきたようだ。

 おそらくそれは、できるだけ相手に苦痛を与えたいという復讐の気持ちを、姦淫という罪がかき立てるからだろう。ベトナム人たちは不義を犯した妻を、特別な訓練した象に向かって投げた。象は女を空中高く放りあげ、落ちてくると踏みつけて殺すのである。

 北アフリカのシャイエン族や、アフリカ南部のズールー族や、ナイジェリアにいたイボ族は、不貞の妻を集団で犯したり、ヴァギナにサボテンを挿入したり、愛人と地に縛り付けたりした。そこで無理やり交わらせ、そのまま棒で貫くのである。

 高遇な理想を持っているはずのローマ人たちも姦通を犯した者には八つ裂きにしたり、去勢を施したりアナルに異物を入れるといった刑を与えたことが年代記に記されている。
民主主義が発達していくと、男たちは妻を自分たちで選ぶようになる。専制君主のようになりたいという野心は、政治の面でも性の面でも捨て去るのである。そして個人の自由という意識が根付いたところでは、一夫一妻制を後押しする要素が他にも表れる。

一夫多妻制から一夫一妻制へ

一神教の宗教(一人の人間に一つの神)、読み書きの能力の獲得、さらにいちばん重要なのは、人々が動き回れるようになることである。ギリシアやローマの奴隷は、いや中世ヨーロッパの農民たちでさえ、主人の下に留まってそのハーレムを見て過ごすしかなかった。

だがそこから立ち上がり、もっと大きな町へ、都市へ、そして新大陸にさえ移り住むことが出来るようになると、一夫多妻制は廃れていったのである。貧乏人も、自分の足で相手を見つけるようになったのである。

一夫多妻制は一夫一妻制より社会の安定をもたらす制度というわけではない。たしかに小さな社会があっという間に人口を増やすには、最強の男たちが多くの女を独占するやり方が手っ取り早かった。

宗教の中のセックス

中東のパレスティナ近辺にも、同じように男性が支配力を握り、拡張路線をとっている社会、すなわちユダヤ人社会があった。ユダヤ人たちは人種としての純潔にこだわりながらも、“約束の地”を占められるくらいに、人口を増やそうとしていた。

そのためにユダヤには、女性が夫のために、そして夫だけのために、できるだけたくさんの子ども産むことを確約させようとする律法が制定されていた。子をなさない女には、一方的に離婚を通告できる。姦通を行った女は、石打の刑に処する。

 こう見てみるとユダヤ人は、ローマ人やギリシア人と同じように、性に積極的だったように思える。実際、性は広く奨励されていた。複数の妻を持つことも、子どもをできるだけたくさん作るためにとあらば勧められていた。

 妾を持つのも普通のことだったし、厳格なラビ(ユダヤ教の牧師)たちはよきユダヤ人のためにセックスの回数まで決めていた。富裕層は一日一回。労働者は週二回・ロバ飼いは週一回。船乗りは年二回といった調子である。

ピンクバライエス

ヨルダン川のほとりでイエスが説教していたとき、教養あるユダヤ人たちがやって来てこういう質問をした。「夫が妻を離婚するのは正当なことでしょうか?」よくやったようにイエスはこのときも、質問を質問ではぐらかした。「モーセはなんと説いただろうか?」

「モーセは離縁状を書いて離婚することを許しました」
 次の言葉が彼らに、衝撃を与えた。
「あなたがたの心が頑固なので、モーセはそのような掟を書いたのだ。だが神は天地創造の初めから、男と女を造られた。そして男は父母のもとを離れ、その妻と結ばれるようにされた。神が結びつけた者たちを、人が引き離してはいけない」

 革命的な宣言を朗々と行うイエスに気おされて、人々は静まり返った。みな自分の耳が信じられなかった。て忌避使徒たちでさえそのすぐ後に、あれは本気かと尋ねた。イエスの態度はきっぱりとしていた。

「妻を離縁し、他の女と結婚する男は、姦通の罪を犯す。夫は離縁し、他の男と結婚する女も、姦通の罪を犯す」
 
 姦通しようと子どもができなかろうと、夫にとっても妻にとっても結婚が永遠の絆であるという考え方は、子をなすことに取りつかれ社会にとって忌むべきものだった。また、このような考え方は、未だかってなかった。

三人の生涯

ユダヤ社会の価値観にも合わせるために、パウロはこれ以上の性生活を禁じた。イエスが再臨し、信仰のあつい人々をその胸に抱くときにも、同性愛者や自慰に耽る者。あるいは姦通を犯す者は列の後ろに並ばせなくてはならないと言った。

「欺かれることなかれ」とパウロはコリント人に警告した。みだらな者、偶像を崇拝する者、姦通する者、そして人を悪くいう者は、神の国を継承できない、と。

 ほんの20年ほどの間に、パウロは寛容というキリストの教えを跡形もなく消し、どれだけ性を放棄しているかが神聖さと関係してくるのだと主張し、ピラミッド型のヒエラルキーを作ってしまったのである。

 この純潔のヒエラルキーはキリスト教の特徴となり、その後二千年にわたって影響力を振るうことになる。だがこのピラミッドを考案したのがパウロだとしても、土台を現実に築いたのは、聖ヒエロニムスだった。

 パウロが教えを説いていたころ、キリスト教はユダヤ人にもローマ人にも憎まれていた一種のライフスタイルだった。実際一世紀や二世紀には、多くの信徒が競技場に連れていかれてライオンの餌食にされたのである。

 ところが312年、キリスト教は突然、ローマ帝国で公認される。マクセンティウスとの戦いに敗れることを恐れた皇帝コンスタンティヌスが、勝ち抜くことができればキリスト教に改宗すると誓いを立てたためである。コンスタンティヌスは勝ち抜き、そして改宗した。そこから西洋の歴史は、がらりと変わっていくのである。

宗教アスリート

十代の頃から、彼は肉欲の罪を犯していた。姦通に溺れたが、そのときでさえ禁欲的な生活に惹かれていたらしく、十七歳でたった一人の恋人との生活に落ち着く。それから極度に禁欲的なマニ教の教えに傾いていく。あらゆる肉体的な欲望は、食べることも飲むこともセックスすることも、悪魔の国の産物であると教える宗派である。

 二十二歳を迎えた386年の夏のある日、アウグスティヌスは庭に座り、肉体と精神の分離について考えていた。すると突然泣き叫びたくなり、ふと見上げると、子どものような声が聞こえた。「取れ、読め、取れ、読め」。一番近くにある本を掴むと、そこにはパウロの書いたものが集められていた。その場でアウグスティヌスはキリスト教に改宗した。もちろん、母も喜んだ。

 突然独身主義者となったアウグスティヌスは、新入りならではの熱意をもってキリスト教の反セックス主義を振り回した。これまでの聖職者たちと同じように、魂が肉体の中に閉じ込められていると熱く語った。だが彼らとは違って、アウグスティヌスには自分の語っているものの実態がわかっていた。

死もまたエデンからの追放によってもたらされたものだから、人間は肉欲によって永遠の命さえ失ったのだと説いた。

 こうしてキリスト教は、セックスに強い敵意を抱くようになった。これ以降、キリスト教はつねに(たとえ純潔を守っても)罪の意識を抱えて生きることになった。結婚している男女さえ、後ろめいた気持ちでセックスをした。

そして子づくりを目的とする以外のセックスは(ヘテロセクシュアルであれホモセクシュアルであれマスターベーションであれ)キリスト教世界で一切認められなくなった。

 こうしてパウロとヒエロニムスとアウグスティヌスはたった300年の間に、西洋社会の性をがらりと変えた。それ以前一万年、それ以降二千年の思想家が束になってもかなわないほどの影響をもたらしたのだった。

女性の変貌

キリストにきょうだいがいたらしいという事実は、あっさりと退けられていた。マリアはヴァギナではなく耳から身ごもったとされていたことまであった。また、マリアの純粋さは何ものにも侵されることはなく、死後も彼女の身体は腐敗ひとつせずそのまま天に召されていったのだと言う者もいた。

 マリアには月経もなければ、出産の苦しみもなかった。ひと言でいえば、マリアは血の通った女ではなかったのである。

 マリア信仰は、キリスト教全般と同じように、女性にとって両刃の剣となった。最初この信仰は女性に希望を与えるかと思われた。女性にも精神性があることを認め、それなりの立場を与えてくれるかと思えたのである。だが実際は、女性を抑えつけ、責めるだけだった。

寝室の中の司教

ジョンは裸で、司教の前に立つ。すぐ近くに、彼の服が重ねられている。司教はジョンのペニスに目をやり、その長さと硬さを確かめると、暖炉のそばに座っている婦人に合図する。
婦人は立ち上がり、ガウンを脱ぐと、自分の手の温もりを確かめる。その手は温かで、そして柔らかい。

 婦人はゆっくりとジョンに近づき、「三十センチ」のところで立ち止まると、乳房をみせる。司教の合図を待って、ジョンのペニスを両手に取とり。弄ぶ、しばらくすると司教が、止め、という。そして、結果をみせろと言う、ジョンのペニスは、まだうなだれたままだった。

 司教がうなずくと、婦人はまた自分の仕事を始める。今度はジョンの耳元でささやき、片手でペニスを、片手で精巣をなでる。明らかに昂らせようとしている。しばらく経つと、婦人は再び手を止め、ジョンのペニスをさらす。司教は軽蔑を顔に浮かべながら、その長さと硬さを確かめる。何の変化もない。

 司教はまた頷き、婦人は仕事に戻る。ジョンのペニスを狂ったようになで、彼の身体に身体を押し付け、窒息させそうな口づけをする。遠慮を捨て、目にはうつろな光が浮ディヴィッド・バーロウの行った実験では、電気ショックを

 そこで彼は、刺のついたブレスレットを着用するように命じられた。しかも、刺を内側に向けて。そして、セックス関する邪念が思い浮かぶたび、自らを鞭で打っていた。自らを強く鞭打ち、部屋の壁に血しぶきが飛んでいるような者ほど、神経性が高いとされていたという。

サドマゾ

ディヴィッド・バーロウの行った実験では、電気ショックを送るぞと脅かされた被験者の男たちが普段より強い勃起を見せ、ドン・バーンの行った実験では、アメリカ国歌をカラオケで歌わされた女たちが強い興奮を見せた。

 こういう実験は、恥辱的な経験をしていながら人々が快感を得ていたことを教えてくれる。だが、それだけでは語りつくせないものが、サディズム、マゾヒズムにはある。

 今日のSMクラブでは、劇的効果を大事にしている。そして、そのモチーフはしばしばキリスト教の特徴やフェティシズムが、そこには色濃く見られるのである。

 ヨーロッパやアメリカには、キリスト教をテーマにしたSMクラブさえある。教会のような部屋の中で客たちは告解室での虐待や、十字架での辱しめをとことん味わうのである。

 もちろん教会には、元からこういう雰囲気が備わっていた。それに、聖職者たちに科せられた贖罪の方法とみても、中世キリスト教には淫靡な雰囲気があったことが解る。21日断食し、自慰をする。あるいは30日の間、教会で自慰する。こういう罰が科せられていたのである。

 キリスト教とサドとマゾ――過激だが西洋のセクシャリティをよく表しているサドマゾ――のつながりを探るには、聖職者とサディスト、マゾヒストを比べてみればいい。カトリックの司祭から性科学者に転じたハリー・ウォルシュは、20年ほど前の神学校での日々をよく覚えている。

 そこで彼は、刺のついたブレスレットを着用するように命じられた。しかも、刺を内側に向けて。そして、セックス関する邪念が思い浮かぶたび、自らを鞭で打っていた。自らを強く鞭打ち、部屋の壁に血しぶきが飛んでいるような者ほど、神経性が高いとされていたという。

 これは、SM愛好者の心理とよく似ている。性科学者のマーティン・ウェインバーグが、SM愛好者に対してインタビューを行っているが、なぜSMを好むのかと尋ねると、こう言う答えが返ってきたという。「癒されるからです。古い傷や耐えきれない飢えが満たされ、清められ、癒されるからです。昔の非合理な罪を、きちんと罰する方法を考え出すのです。目的はオーガズムではありません。カタルシスなのです」

堕落と非難

1632年、ガリレオ・ガリレイが天空をくわしく観測できるだけの精度を備えた望遠鏡を発明した。その結果、この世界の中心は地球ではなく、太陽だと考えるようになっていった。それからしばらく経つと、ガリレオがマクロレベルで成し遂げた偉業をミクロレベル成し遂げた人物が現れた。ヒトの精液を観察できるほどほどの制度のレンズを発明したアントン・ファン。リーウエンホークである。

 彼がレンズの向うに見出したのは、焼けば赤ん坊になるパン種のような物質でなく、何百万という小さな精子であった。彼がアニマクラエと名付けたこの精子が、子どもを作るのだった。

 人間の頭上に広がる世界と、人間の内にある世界を詳細に見つめる手段を手にした人々は、科学にはこれまで長い間宗教が押し付けてきた世界観を打ち破る力がある事に気づいた。そしてこれまでキリスト教徒が、あるいは他の信仰を持つ人々が、何千年も抱えてきた疑問に答えてくれるのではないかと思えるようになった。

立ち上がり、輝く

飽食と不浄な空気の害に加え、この男たちは“情熱”が身体を弱め、死につながるのだと信じていた。これは伝統的な堕落の理論に似ていたが、ある意味で画期的な進歩を遂げていた。

 ティソが堕落の原因は体液、つまり精液とヴァギナ分泌液の喪失に求めるのに対し、グラハムとジャクソンとケロッグは、情熱そのものを責めたのである。ティソがヒエロニムスだったのに対し、この三人はアウグスティヌスだった。

 グラハムは、マスターベーションをしながら淫靡な想像に耽ることがどんな危険を招くかを紹介したあと、それを続ければこうなると言った。

 この悪しき習慣を続けると、だんだん知力が落ち、ついに痴呆のようになる。目はどんよりと曇り、肌は鉛色になり皺が寄る。潰瘍になり、歯が抜け、息が臭くなり、声が弱くなる。そしてやせ衰えて体は縮まり、頭ははげる。身体中に水疱ができて化膿し、絶えず痛みに苛まれる。つまり、早いうちから老けてしまうのだ。体は弱くなり、精神も崩壊する。

性革命

避妊技術の進歩は、女性にかつてないほどの自由を与えた。一万年にもわたって女性は、男に抑えつけられてきた。自分の子宮を男に管理され、行動を拘束された。そしてこの状態を正当化するため、様々な嘘をでっちあげられてきた。

 女はふしだらである。だから戒めなくてはならない。女は混乱をもたらす。だが抑えつけねなければならない。女は劣った存在である。だからその人間性など無視していい。女は弱い。だから好きにしていい。女はばかである。だからくだらないことでしか悩まない。

 だが1960年代に入ると、こうしたでっちあげはもはや力をもたなくなった。自分の子宮を自分で管理すし、望まないなら妊娠しなくてすむようになった女性は、人生を自らの手で築くようになったのである。外で働いて稼ぐこともできる。男性の付き添いなしでも旅行できる。

 自分の性を自分で管理できる以上、以前ほど危険な目にも遭わずにすむ。それにその頃は、西洋では史上最も宗教の影響が弱くなった時期だった。

 こうした時代の雰囲気の中で女性の開放が進み、セックスのリスクが両方の性にとって小さいものになって、性革命と呼ばれるものがおきた。だが、男と女ではその結果は違っていた。女は通りすがりの男なら誰とでもベッドに入るような真似はしなかった。

自由な愛の挫折

主導者たちが作ったルールは迷信に、あるいは自分の持つ偏見に、あるいは(たいていは間違った)科学理論に基づいたものだった。たとえばノイズは、人間年を取れば取るほど人間性が高くなる傾向が多分にあり、若いメンバーは年上のメンバーとセックスすることによって、精神的な成長ができるのだと説いた。

彼自身は教団の中で最高齢に近かったため、若者にそういう機会を与えるのはいささか荷が重いが自分の務めなのだと説いていた。そして若い人々にとっては、彼と寝ることは特権なのだと。

ディヴィッド・バーグやラジニーシ、ディヴィッド・コレシュ[カルト『ブランチ・ディヴィディアン』を主宰]など、同じような理論を展開し、神の権威をその支えにするものは他にもたくさんいた。「デイヴィッドの妻になるべく神に選ばれたら、たれでも嬉しかったでしょう」テキサス州ウェーコの集団自殺事件の生き残りの一人はそう言う。

「ディヴィッドは、神が孫を欲しがっていると言っていました」そして、孫には事欠かなかった。コレシュは自分の妻が産んだ子どもたちに加え、6人の女性に12人の子どもを産ませた。その女性たちの多くは、他の男性の妻だった。

遅かれ早かれ、終わりは見えていた。主導者たちが公正といえる以上の女たちをものにすると、信徒たちは嫉妬を抱くようになった。そしてこれまでも見たように、性の面で嫉妬深くなった男たちは不穏になり、不穏になった男たちは暴力的になる。暴力を持って、公平な権利を要求したり、主導者たちの行き過ぎを責めたりするのである。

ピンクバラ第3部 タデ食う虫も好きずき セックスと個人

人間には性によって?殖する生物で、人間を進化させてきた衝動も文化の影響を超えたところで、一人一人の性が違ってくるのである。それぞれが望み、そしてできれば実現してみたいという行為やシナリオに、個性が出てくるのである。セックスを語るとき、私たち“好み”という部分は、この第三の要因が創り出しているのである。

 男と女どちらが好きか、ブロンドとブルネットどちらが好きか、頭脳派と肉体派のどちらが好きか、自分の親と似ている相手と似ていない相手のどちらが好きか、胸と尻のどちらを重視するか、支配するのとされるのとどちらが好きか、優しいセックスと荒々しいセックスとどちらが好きか――これはそれぞれが持っている特殊性によって決まるのである。

性の個性は、生まれつき?

受身の役得を演じるホモセクシャルの人々は欲望を感じる器官が異常な場所についていて、アナルからしか達することのできないのだと主張したのである。

 この説の解剖学的に裏づけることは難しいが、性的嗜好は生まれつきだという考えは今日も研究者たちの間に根強い。ギリシア人のつくっていた性の階層は何世紀もかけてすたれていったが、ゲイがストレートかといった嗜好は身体の中に刻み込まれているという考え方は。ますます強くなってきている。そして今日の研究者たちはダーウィンに敬意を表し、自然というとまず遺伝子あるいはホルモン、あるいは脳の構造を問題にするのである。

 だが、どの研究者もメッセージは一つである。どういう性行動を取るかは生まれつきで、変えようがない。

 だが一方で、まったくの逆の主張をする一派もいる。すべては、環境によって決まるという考え方である。この人々の主張によると、人間は真っ新な石板のような状態で生まれて来て、その上で文化や家族や仲間、あるいは若いときの体験などが力を合わせて、年度から像を作るようにそれぞれのセクシュアリティを作っていのだという。

 つまりホモセクシュアルティは(そして他の性的嗜好パターンも)生まれつきのものではない。後天的に学習していくものであり、感受性の強い時期に誰の影響を受けたかによって決まるのだという。

「ママ、遺伝子ありがとう」

ホモセクシュアルセクシュアルティの遺伝子というものが、また逆にヘテロセクシュアルティの遺伝子というものがあるなら、それはどうしてだろう? 何をしているのだろう?

 ディーン・ハマーという研究者が、この謎を解こうと乗り出した。野心的な遺伝学者で、明るい目をし、よく日に焼けた話の旨い人物である。ハマーの研究所は権威あるワシントンの国立衛生研究所の中にあり、ここでハマーは他の科学者たちが羨ましがられるような余裕のある研究生活を送っている。

 これは彼ががん細胞の研究で上げた実績よるところが大きいが、彼は今その頼まれなるエネルギーで、人間のセクシュアリティという難題に挑んでいる。

 ベリーとピラードの研究に触発されて、彼は二年間ホモセクシュアルセクシュアルティの遺伝子の研究に費やし、ついに1993年、それを発見した。一夜にして、彼はセンセーションを巻き起こした。彼の言葉は新聞の一面に載り、アメリカ中のトークショーに出てくれと言われた。そして全米中のゲイ活動家たちが、「ママ、遺伝子ありがとう」と背中に書いた。Tシャツを着て歩き始めた。

 ハマーは広告と告知を通して集めたゲイの男性114人の家系をたどり、それを分析し、同性愛者の出現率を調べた。まず発見したのは、母方の方が父方より二倍も同性愛者の出現が多かったとことだった。
 これは彼が予想していたことだった。同性愛をもたらす遺伝子は、X染色体にあるはずだと考えていたからである。

遺伝子からホルモンへ 

受胎から四週目から五週目の間の胎児には、性の面から見ると大きな動きはない。人間は最初から男と女の二種類に分かれていると考えがちだが、事実はやや複雑である。確かに性別は受胎の瞬間に決まってはいるが、これは初めの一歩に過ぎない。性の分化は、胎児が子宮にいるあいだずっと続く。

 つまり、こういうことが起きる。受胎最初の四週目から五週目は、男でも女でもさほど変わらない成長をしていく。胎児には、小さな管が二本あって、これが精管もしくは卵管になる。また小さな細胞の塊があって。いれが陰のうとペニスもしくはヴァギナとクリトリスになる。

このまま六週目、七週目に達してもホルモンが注ぎ込まなければ、胎児は女性として発達していき女の赤ちゃんとしてこの世に生まれてくる。
 けれども、胎児にテストステロンが浴びせられると(胎児が男の赤ちゃんの場合、Y染色体からの合図で自然にそれがこの時期に起きる)、身体も脳も男性の形になっていく。陰唇でなく陰のうができ、クリトリスでなくペニスが出現する。
 そして脳は、エストロゲンなどの女性ホルモンではなくテストステロンなどの男性ホルモンに反応するようになるのである。

 これは実に精巧なプログラミングである。だが自然のプロセスにありがちなように、ぶれや間違いが生じやすい。特にこの時期に浴びせられるテストステロンの量に異変が起きると、発達に大きな影響を及ぼす。

セクシュアルな脳

 見た目には普通の男性でありながら、欲望の対象だけが違うのである。これはその逆もいえる。女性にしか欲望を感じないのに女性っポイ男性もいれば、男性にしか欲望を感じないのに男性っぽい女性もいる。

 大きな議論を呼びそうな発見だが、なかなかこれに応える研究者は現れない。人間の身体というものは驚くほど複雑で、あまりにもあっさりと結論を引き出すことは危険なのである。だが性科学者を研究する人々は学派を問わず、この三つの要素(遺伝子、ホルモン、脳の構造)の組み合わせがセクシュアリティの基礎を築くのだと言うことを信じるようになってきている。

 そしてまた、実際の性や心の性、欲望の対象となるせいだけではなく、性衝動の強さや性の上でのバラエティを求めるかどうかなども関係しているのではないかと考えられている。ただ、それぞれがどの程度の影響を及ぼしているかについてはまだ分かっていない。

 ディーン・ハマーでさえ、自分のデータを拡大解釈するのは危険だと言っている。ゲイの遺伝子は、性的嗜好に全面的に影響しているわけはないだろうと言うのである。それに、ベイリーとビラードが行った一卵性双生児に関する実験を思い出して欲しい。同じ遺伝子を持ち、体内環境もほぼ同じだったと思われる双子でも、一人はゲイになり、一人はストレートになる場合もある。

子宮から世界へ

また親が虐待したり、親自身が精神病を抱えているせいで子どもにまちまちな態度を取ると、子どもの行動も乱れていき、あるときは親に甘えるかと思うとあるときは親を避けるようになる。何よりも悲劇的なのは、孤児院の子どもたちである。ボウルビーを始めとする研究者たちによると、親との絆を築く機会が一度も与えられなかったり子どもたちは身体の不調が出たり、うつ病になったり、自殺する傾向があり、大人になっても人間同士の絆を築くのに苦労するという。

 この障害について研究を重ねたヘイザンと仲間の研究者たちは言う。この研究は、標準的な子どもの成長のメカニズムを究明する鍵になる。それだけではない。大人になってから性的な絆を築くときのメカニズムにも、いくらかヒントを与えてくれる。

 公の場でデートして愛を囁き合っている恋人たちは、乳児と親が築く一連の行動パターンと同じパターンが見られるとヘイザンたちは言う。会ったばかりで惹かれ合ったカップルは、複雑な駆け引きをする。まず相手の興味を引き(ここでは耳をつんざくほどの叫び声を上げるのではなくおしゃべりを仕掛けることの方が多い)、軽く触れ合い、恥ずかしげな微笑みを交わし合い、やがてもっとはっきりと視線を交わすと、相手のしぐさなどをなぞって髪をかき上げたり、ワインをすすったりしはじめる。食べ物を分かち合うことさえある。

 その後もこうやって始まった関係は、親と子との関係に似た発展をしていく。まず相手にまだあまり慣れていない状態。このときには、色々な相手と付き合う。そして相手を一人に絞った状態。
 二人の間には、恋人ならではの深い関係が生まれる、そして結婚し、絆そのものが暮らしの一部になっていくのである。

 大人になってからの恋愛シナリオがこれほど親と子の愛着パターンに似ているのなら――同じようなメカニズムで同じようなプロセスを辿っていくのなら――大人になってからの関係には子どものときの関係が色濃く見えるに違いない。

神経のネットワーク

自分の住む町でこの女性に近づき、こう話し掛けたという。もうすぐ結婚するんですが、彼女にどんな指輪を贈ればいいかいいのかわからなくて困っています。そのときあなたの着けていらっしゃる指輪が目に入って、同じものを探したいので、ビデオに撮らせていただけますか? 

 プライドをくすぐられた女たちは、喜んで彼に協力した。ところが彼は、撮影を済ませると家に飛んで帰り、ビデオ・プレイヤーにテープを投げ込むと、マスターベーションを始めるのだった。

 これは何年か後、彼が本当に結婚しようと決心したき発覚した。彼の妻は彼を深く愛していたが、結婚指輪を見つめながら、ときには触りながらでないとオーガズムに達しないという事実を受け入れることはできなかった。指輪を外したり隠したりすると、インポテンツになってしまう。

 なぜこの患者は、こんなに変わった興奮の仕方を身につけたのだろう? それを解明するためにアベルは、胎内の環境や親の育て方を超えたところに注目することにした。どのように異常な配合のホルモンを浴びたところで、これほど特殊な性行動を起こす結果を呼ぶとは考えられなかったからである。アベルは患者の幼少期の終わりに注目し、なぜこのような刺激を求めるようになったのか解明しようとした。

セックス・プレイとジェンダー・プレイ

ある夫婦が、テレビを見ながら二人の子ども、エリックトムエリンにこれから始まるレイプ・シーンを見せるべきかどうか迷っていた。結論が出る前に、レイプ・シーンが始まってしまった。するとエリックが、母親の方を向いて尋ねた。「ママ、あの男は何をしているの?」

 「おちんちんをあの女の人の中に入れようとしているのよ」と母親が答えた、「でも、それはいけないことなの。二人とも相手が好きだって確かめてからでないと、やっぱりいけないことなのよ」

「へぇ」エリックが答えた。「僕もエリンの中におちんちんを入れようとしたことがあるよ。小さいから、だめだったけどね」
 
 これを聞いてショックを受けた両親はクレンショウに電話をかけてきて、どうすればいいのかと尋ねた。クレンショウは言った。子どもたちがそうしてみたいと感じるのはごく自然なことだと。ただ、本当にセックスするのは、大人になって本当に好きな人に会うまで(そしてペニスがきちんと大きくなるまで)待った方がいいと。

ピンクバラ仲間グループから性的倒錯者へ

自分で自分の首を絞めることでしか興奮できないネルヒン・クーパーは、1991年に出版した自伝『ブレスレス・オーガズム』の中で、自分の少年時代を追想している。セックスについて何も知らず、初めて夢精したとき、ミルクが出てきたのかと思ったという。
 
 また死体しか欲望を感じないカレン・グリーンリーも言う、自分は5歳か6歳のときに死体に魅せられていた。ジョン・F・ケネディの葬列をテレビで見た時どきりとしたが、両親とはよそよそしい関係だったのでその気持ちについて話せなかった。そうして彼女の倒錯には歯止めが利かなくなってしまったのである。

 セックスの実験をする勇気もなく。セックスについて両親と話もできないままに、ネルソンのような人々は異常な、そして不便な方向に進んでしまったのである。ジョン・マネーはいう。セクシュアルティの問題が汚いと見なされていると、拒否されたり嫌悪感をぶっけられたり罰せられるのを避けるため、性欲は倒錯的行為に向かうのだと。ある意味で倒錯は、現実的な対処なのである。

ジェンダーにとらわれて

 性のモラルが揺れる社会の中で、性的実験と性的倒錯の間に境界線を引くのは難しい。だが性的倒錯者の場合、普通と違ったパートナーや異常な行為に向ける関心は一時的なものでなく、まさにとりつかれてしまうのである。そしてこうした本物の倒錯者は、人口の僅か1パーセントしかいない。

 それに彼らを生み出したのは親の過ちや辛い学校生活ではない。時には脳の奇形が原因となっていることもある。トロントのロン・ランゲビンが行った調査によると、サディスト的傾向のある倒錯者のうち40パーセント以上の人々の左脳に異常が見られたという。またオンタリオのクイーンズ大学のスティーブ・ハッカーは、小児性愛者のやはり40パーセントの右脳に異形が認められたと報告している。

結果・人間の趣味嗜好にいかに多様性があるか

“メインストリーム”のポルノグラフィは今や、映画や音楽をもしのぐ一大ビジネスとなっている。1996年の一年間を取って見ても、全米で80億ドルもの金がこの分野では費やされている。同時にかなり特殊な分野に絞った刊行物も、大いに利益を上げている。有名なものを列挙してみよう。

 フェティシズムに的を絞った『スキン・トウー』と『シャイニー・インターナショナル』。ボンデージ・マニアには『ホッグ・タイ』と『マティレッセ』。更年期以降の女性に特別に興味がある人々に向けては『フィフティ・プラン』。思春期の少年少女に興味ある人向けでは『バエディカ』。そして、妊娠していたり授乳している女性に興味のある人のための『ジャッグス』。それに加えて、死体愛好者のためのウェイブ・マガジン『アズラエル』もあるし、虫けらのように扱われるのが好きな人々向けには『スクイッシュ』もある。

 人間の趣味嗜好にいかに多様性があるかということを、これまでの説明で解って頂けたら幸いである。それぞれが生まれ落ちた環境に適応するよう、様々な力が複雑に作用しあいって一人の人間を完成させていく、そして人間には柔軟性もあるがあるからこそ個性があるのである。

普遍的な美しさ

多くの人々を仕事場に呼び、二十の顔写真を見せて、美しいと思われる順に並べてくれと言った。すると、誰もが同じ順番で並べた。そしてどのケースでも、順位が高いほど例の比率に近かった。

 そこでマーカーは、世界で最も完璧な美しさを求め、自分のものさしをモデルや映画スターのポートレートにかぶせてみた。現在のスターの内ではシンディ・クロフォードとホイットニー・ヒューストンが、過去のスターの中では70年代のモデル、カレン・グラハムと若き日のマーロン・ブランドが、最も近かった。

 マーカーの手法はもちろん自己流で、彼のデータは西洋に偏っている。だが、人間の美について研究している人々、それを商売目的でもマニアでもなく純粋に学問上の目的としている人々は、みな認めている。人間誰もが、“美しい”と思うパターンは確かにあり、それは一定の幾何学的基準に当てはまる、と。

90−60−90 妊娠率

他を大きく引き離していちばん人気があったのは、中くらいの女性の中でWHRのいちばん低い(ヒップとの割合がいってウエストの細い)女性だった。次に人気があるのは中くらいの中でWHRが二番目に低い女性だったが、やがて痩せた女性や太った女性がランキングに入りはじめると、全体の太さに関係なくWHRが基準となっていることがわかってきた。

 世界のどこの地域でも、太っていてもWHRの低い女性のほうが、中くらいでWHRの高い女性よりも魅力的だとみなされている。魅力的にだけでなく、若さと生命力を感じさせていると人々は答えた。

 シンがこの絵をアメリカの外へ持っていくと、結果はさらに驚くべきものとなった。香港からインドまで、アフリカからアゾレス諸島まで、どれくらいの細さの女性が好きかは地域によって異なっていたが、好みのWHRに関してはどこでも同じ答えが出てきたのである。つねに、いちばんWHRの低い女性を指差し、部族の一人が言ったのだ。「これがいちばんきれいだ、6人か8人くらいは子どもを産めるだろう」そして、比較的ずん胴な女性を指して言った、「この女はあまり子を産まない」

 さしてシンは言う、こうした女性の選び方は男性の中に植え付けられているのではないか。自分の子どもをたくさん産んでくれる伴侶を得られるように。これを裏付けように、オランダから興味深い報告が寄せられている。

完璧な平均値

テストステロンは、生殖に関して二つの大きな効果をもたらす。テストステロンは、まず力を生み、そして免疫システムに働きかけ、肉体がホルモンの分泌量を調整するように促すのである(男性ホルモンが過度に分泌される思春期にはニキビができることもある)。
 プロポーションのいい肉体と光沢のある髪。そして、きめ細かく透明な肌。このわかりやすい三つの特徴はつねに、若さ、健康、生殖能力のしるしと信頼されてきた。男性の場合でも、この三つは確かに大事な基準のようである。男性の理想的なWHRは80パーセントから90パーセントの間であり、さらに男性の場合背が高くなければならないが(最近「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事によると、一インチ背が高くなると6千ドル収入が増えるそうである)。

 またいくつかになるまで頭髪を保っていられるかどうかも重要になってくる。ただし男性の場合、こうした肉体的な要素よりもむしろ、地位や収入にといった目に見えない要素の方が重要視される傾向がある。

陽気なシンメトリー

私たちの先祖が生きていた世界では、身体の多くの部分が見えていただろうし、見える場所はすべてその人物の繁殖能力に関しての情報を伝えていただろう。そういう環境の中で、人類はシンメトリーな個体を好むように進化してきた。ソーシャルとギャングステッドの研究によると、シンメトリーな乳房を持つ女性は妊娠しやすいという。

シンメトリーな体型は安定した成長の証であり、シンメトリーな顔は遺伝子が良く混ざっていることと寄生に対抗力があることの証である。だがシンメトリーについては、まだまだ発見は続きそうである。

匂い

月経サイクルの三つの時期に合わせて、三種類の匂いを造り出した。月経期、排卵期、前月経期の匂いである。それをステンレスのポットに入れて、ランダムに選んだ男性たちにかいでもらったのである。

 三種類の匂いに加え、真水も入れておいた。この合計四種類の匂いを嗅いでもらいながら、その男性たちに様々な女性の写真を見せ、どれくらい魅力的かと思うか尋ねた。

 結果は複雑だが驚くべきものだった。いちばん評価の高かった匂いは水だった。これは他の匂いがすべて不快だと思われたためである。ところが、“不快だ”とされたはずの匂いを嗅いだとき見せた写真の評価は高かったのである。

 その上、あまり魅力的でない女性のほうが、その効果は大きかった。水を嗅いだ男たちが平凡だ、あるいはやや魅力的だと評価した写真が、分泌液を嗅ぎながらだとかなり魅力的、とても魅力的だという評価になった。

 そのうえ、排卵期の分泌液の匂いは男性のテストステロンのレベルをぐっと上げ、150パーセントも上がった例も見られたほどだった。男性たちは分泌液の匂いを快く感じなかったが、嗅覚は意識決定のプロセスをバイパスして潜在意識に直接働きかけ、いちばん深く直接的なレベルで遠慮をかなぐり捨てて自分の鼻に従うように指揮を出していたのである。

神童(ブンダーキット)ヴェーデキント

ベルリンの賑やかな街の中に、壮観な建物の塊がある。ヨーロッパじゅうから集まった何千人もの学生が、講義を聞こうとここに詰めかける。
ベルリン大学の厳格な研究態度は、ウィーンやアムステルダム、ミュンヘンといったヨーロッパでも先端の性に関する研究を行っている大学の柔らかな雰囲気徒はずいぶん違う。だが1990年代の初め、神童クラウス・ヴェーデキントがここを基盤にして、匂いと伴侶選びのつながりに関する研究を始めてから、この大学の名がたびたび新聞の見出しを飾るようになった。

恋に落ちて

20世紀の中ごろ世界へ旅した人類学者たちは、矛盾したエピソードを抱えて帰ってきた。南太平洋のマンガィア島民たちは、性欲が強すぎるために恋愛感情など必要ない。東アフリカのイク族は、悲しみと絶望に沈んでいるため愛がどういうものか忘れてしまった。逆に極端な例もあって、愛の力と種類を知り尽くしていた昔のサンスクリットの作家たちは、愛を表す言葉を20以上も持っていた。

 実際、さまざまな見方がある。愛は存在しているのか、愛とは何か。愛はなぜ起こるのか。愛はどのような感じがするのか。そして、愛にはどう対処すべきか。あまりにたくさんあって、みなそれぞれ違う体験を話しているようにも思える。だが、もちろん意見の一致を見ることもある。たとえば、誰もが愛には力があることを認める。愛が突然、なんの警告もなしにやってくることも認める。だが愛をじっと観察しようとしたとたん、それは指の隙間をするりと抜けていく。

 愛とはデリケートなものである。だから捕らえることなどできない。言葉で表せるほどわかりやすいものはないし、蝶のように分類して、ピンに留めて置けるものでもない。

愛から盲目の愛へ

愛を実際に則して結果定義して見せると同時に、はっきりといわゆる愛とは違う状態を見つけ出した彼女はその結晶のような状態を表すため新しい言葉を作った。盲目の愛である。テノブによるとアンケートに答えた人々の98パーセントがこの状態を経験したことがあり、誰にでも起き得ることだということが解る。

 “愛”よりも意味は狭く、“夢中”に近い。この状態にあると心が昂ぶり、焦燥感が募り、何かに押しつぶされるような気がして、そんな気持ちをどうしても無視できなくなる。テノブはこの盲目の愛を構成成分に分け、それを並べてみせた。そうすれば、この状態の特徴だけではなく、どういう進路を辿るかもわかるからである。

 アンケートに答えた500人のほとんどが、そういう状態が始まった瞬間をはっきりと覚えていた。会話を交わしたときのこともあれば、ちらりと視線を投げかけた瞬間のこともあった。古くからの友人に突然愛を感じた人もいれば、出会ったばかりの相手に惹かれた人もいた。どのような出会いであれ、相手が誰であれ、大事なのは一つだった。その瞬間その相手が、世界でいちばん大切な人になったのである。少なくとも、しばらくの間は。

マンガィアで大人になるということ

多くの太平洋の島々と同じょうに、若者が性の実験に乗り出すのは仕方ないことなのだと許されている雰囲気はあった。子どもたちには思春期に入るととたんに、相手を物色し始める。踊りの時や道を歩いている時に相手を探すこともあれば、教会でちらちらと視線を交わし合うこともある。

だが19世紀にやってきた神の言葉を伝えた宣教師たちのせいで、セックスそのものはこっそり隠れて行う。セックスしたければ、誰に知られないようにしなければならない。夜、茂みに隠れてこっそりやってしまう者もいたし、勇気のある少年たちは女の子の両親が寝たあと彼女のもとに夜這いをした。

この夜這いが、最も非難されていた。だがだからこそ、男の子たちは都合のいい面もあった。見かったら叱られることを承知で出かけてくる少年は、いっそう頼もしく思われたのである。

どうして夜這いする少年を罰するのかハリスに訊いてみると、いけないのはセックスそれ自体ではないのだという答えが返ってきた。そうではなく、そうやって男の子と女の子の間に絆ができてしまうと、親が周到に用意した結婚の計画を妨げになるからなのだと。

ハリスはきょとんとした。ということは、この島の人は恋をするのですか? もちろんですよ、と人々は答えた。この島でも恋は、心痛と苦悩の大きな原因の一つです。

プラトンによるプラトニック・ラブ

人間が本当に自分に相応しい相手を探し、認め、応えるための非常に精密なメカニズムだと見なしていたのである。そういう相手が探せないから、あるいは間違った相手と一緒になってしまったのなら、それは私たちが何か義務を怠っているからだとプラトンはほのめかした。
精力的に(そして幸運に恵まれ)そういう相手と巡り会えたなら、言うに言われぬ喜びが得られる。

宮廷恋愛

13世のヨーロッパでは、結婚は当事者でなく親が決めるもので、少なくとも高貴の間での結婚の目的は、愛情ある生活でなく家同士の絆を固めることだった。こうした夫婦の間にも愛が芽生えることはあったが。芽生えないこともあった。

そこで不幸な結婚生活で不穏になった人々が反乱を起こさないように、婚外恋愛を認められていた。それを高度に定式化したのが、宮廷式恋愛だった。

その原則を挙げておこう。アキテーヌのエレノアの宮廷にいた高貴な婦人たちが、ひまにまかせて完成させた原則である。まずは、騎士たるもの、自分の結婚相手でない高貴な女性に愛を表明していい。いや、しなければならない。そして、女性の気持ちを勝ち得るためならどのような試練をも潜り抜け、女性の名を汚さぬようにする。

そうすれば、一緒にベッドに入る以外の交流をすべてが許される。このような契約が、女性の不貞を防ぐためにあったのか、それともごく一般的な感覚、世俗のものより精神性を重んじるキリスト教の影響から生まれたのははっきりしない。たしかに全面的ではなくあくまで部分的に思いを寄せ合うことが、熱意をますます募らせたのである。

ピンクバラ高い橋、低い橋

歴史や哲学や行動心理学に当たってみたアーロンとダットンは、恋が起きるにはある共通のものが見られるのに気づいた。それは、不安である。ロミオとジュリエットの恋は、危険と隣り合わせでなければあれほど美しいものではなかったのではないだろうか? 

 貴婦人に最初から両手を広げて迎えられたら。ウルリッヒはあんなに夢中になっただろうか? それに、小碧はどうだろう。彼女自身気がついていたように、禁じられていることほど魅惑的なことはない。不安は――恋する相手によってもたらされるものであれ、あるいは二人には手に負えないところからもたらされるものであれ――恋愛を引き起こす大きな原因になっているのではないだろうか?

 これが真実かどうかを確かめるため、アーロンは何週間も掛けて心理学の書物を読み込んだ。すると、人間には脅威や苦痛、危険にさらされたり、頑張らなければならい場面に出合うと恋に落ちやすいということを示唆する研究がたくさんあることに気づいた。ある実験では、教授に厳しく叱られた男子学生の方が、そうでない学生よりセックスや愛に絡んだ物語を書くという結果が出ていた。

長続きする愛

男性の脳にも女性の脳にも、快感を与えたり、環境に適応させる機能をもつ神経伝達物質には四種類ある。これはテストステロンやエストロゲンと同じようなホルモンだが、もっと微妙な性質を持っている。その本部機能は脳にあり、男性にも女性にも似たような効果を表す。

こうした神経伝達物質のうち最も知られているのがアドレナリンで、これが恋の始まりにも大きく影響している。だがアドレナリンにはまた、別の役目もある。脅威にさらされたときなどに、とっさに対応できるのもこのホルモンのおかげなのである。

アドレナリンが放出されると、血が筋肉に行き渡り、心臓の鼓動が早くなり、血糖値が上がる。それと同時に消化機能が落ち、口が渇き、胃が栄養を吸収しなくなる。気分は昂ぶり、心も身体も行動を起こす準備を整える。

ほかの神経伝達物質と同じように、アドレナリンも微妙な量の調節を受けて初めてきちんと作用する。神経伝達物質が複雑に混ざり合ってはじめて、人間の脳は外の環境に反応できる。その主なものにドーパミン、セロトニン、そしてエンドルフィンなどがある。こういう神経伝達物質も、人の感情に影響を与える。

そしてこのカクテルの中に、もう二つ、謎の成分が加わる。この二つが恋にまつわる行動と密接に関連しているのではないかと言われている。その一つはフェニレスラミンで、PEAと省略される。

PEAは、激しい恋に突然落ちた人ならみな覚えがあるあの、“宙を歩いているような”気分にさせる神経伝達物質である。PEAが“ロマンスのホルモン”ではないかという人もいるが、おそらくこれは間違いないだろう。恋の常習者の中には、もともとPEAレベルの低い人が多い。これを上げるために、次々と恋の冒険に乗り出すとのだとも言われている。

もう一つは、ウブナス・モバーグの得意のホルモン、オキシトキンである。以前からオキシトキンは、出産に関係のあるホルモンだといわれていた。分娩のときの強い収縮をもたらし、出血を抑える働きがあるからである。
だがウブナス・モバーグによると、オキシトキンの役目はもっと幅広い、そしてその影響力は、肉体だけでなく心にも及ぶ。

完璧な愛の結末

そして、二人が“ぴったり合わさった果物のように”お互いを補い合って20年間過ごした1981年のある日、ウルスラが死体となり、ホテルで発見された。そばにはリボルバーと睡眠薬の山があった。彼女の日記などまわりにあった書類から、彼女は年老いていくことに絶えられずに死を選んだことが浮かび上がってきた。

 四十四歳になったウルスラは死を意識はじめた。これまであれほど強くすべてを犠牲にしる愛に身を捧げてきたウルスラにとつて、その愛の力が弱くなっていくかもしれないという事実は、死以上に恐ろしいことに思われたのだ。

 知らせを聞いたジャスティンは、嘆き悲しんだ。何も彼を慰めることはできなかった。彼は二人で訪れた場所に通い、両親の元に戻った。それから彼女の面影を求めて、ロンドン中をさまよった。数ヶ月後、彼はアフリカに出かけた。ウルスラと二人で多くの時間を過ごした土地だった、そしてそこで、自分の頭を打ち抜いて自殺した。ティムが遺体を引き取りにハルトゥームのホテルに向かうと、ジャスティンはウルスラの写真に囲まれて死んでいた。

似ているけど違う

今日では、そうした一方的な愛情がストーキングという現象まで生み出している。自分が崇拝する相手が、自分の事を愛し返してくれていると思い込んでしまう現象である。最初に記録に残っているのは、ジョージ五世と自分は情熱的な恋をしていると思い込み、来る日も来る日もバッキンガム宮殿の門の外にたちつづけた女性の話である。

ティーンエージャーが見る夢くらいなら害はないだろう、そうした思い込みは大人の愛情生活にとって危険である。究極の目的――生殖――を果たすためには、愛が一方通行のものではいけないからである。

 決して愛し返ししてくれなそうな相手を選ぶことなく、二人とも幸せで長続きする関係を築くためにこそ、恋愛は発達してきた。遺伝子を後世に伝えるためには、そう言う愛情が欠かせないからである。ならば愛する相手を選ぶときには、理想と現実――実際自分に愛情を返してくれそうな可能性と言う現実――バランスを取らなくてはならない。

愛と結婚

そして愛がいつかは尽きる運命ならば、私たちはどうすればいいのだろう? 船が浸水し始めたちたん、その穴に栓をし、船の積み荷を捨てて、いつかは青い空の下の大海に戻れることを祈ればいいのだろうか? あるいは、どの船も浸水することはあると割り切って、とにかく沈まないように前に進めばいいのだろうか? あるいは船を見捨ててもっと高性能な最新式の船を探せばいいのだろうか?

 人類学者のヘレン・フィッシャーは、三番目の説を信じている。しかも彼女は、離婚や愛や死は古代から人間にとって大きな問題だったろうと言う。世界中の離婚に関する国連の統計を見た彼女は、非常に多くの離婚が結婚後四年後に起きていることに気がついた。これは、最初の愛情が薄れ、まだ長期的な絆が出来上がっていない時期である。しかも離婚の主な原因は、不貞と子どもが出来ないことだった。

 実に分かりやすいではないか。相手の生殖能力に問題があって、あるいは相手の浮気によって、遺伝子を将来へ伝えられないのならば、あきらめたほうがいい。
観察の結果、これがあったらいずれどんな結婚生活も終わるという要素を四つ挙げ、“黙示録の四騎士”と名付けている。

 それは批判(相手の行動や性格を責めること)、軽蔑(相手を見下すこと)、自己防衛(自分の責任を認めず相手に押し付けること)、引きこもり(話し合いをしようともせず相手を寄せ付けないこと)、の四つである。

 誰にでも時折みられるこの四つが常にみられるようになると――しかも愛情や支え合う気持ちが見られなくなると――結婚生活が危機に陥っているのは確かであり、やがては崩壊していく。

 それだけではない。ゴッドマンによると、それは心理状態だけにではなく、肉体の健康にも関わってくるのだという。ある研究でゴッドマンのチームは、相手に批判や軽蔑の気持ちを持っているカップルほど、向こう五年間病気にかかりやすいという法則を発見した。批判の気持ちが高ければ高いほど、病気なる確率も上がり、病状も重くなる。

 これは相手に対して否定的な態度を取ることが、血圧を上げ、ストレスを高め、過剰な興奮をもたらし、人を落ち着きがなく攻撃的にするからだという。