サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
なぜ一夫一妻制か
種をまく人にたとえてみよう。道端や溝に種をまいても、それが実を結ぶ可能性はあまりない。砂地にまいても無駄だろうし。他の植物に成長を阻まれたり取りに食べられたりしても、収穫には至らない。
肥えた土地にまいた種だけが成長し、やがては次の世代を生み出すのである。人間の繁殖にも、同じことが言える。
300万年前、初期の人類がアフリカの草原をさまよっていたころ、繁殖は今ほど手のかかるものではなかった。原人の赤ん坊は今の赤ちゃんよりずっと成長した状態でうまれ、生まれて間もなく歩くことが出来た。
やがて自分で食料を確保し始め、仲間の食物採取に協力するようになる。だが人間の脳が発達すると、より大きな頭蓋骨が必要となり、頭蓋骨が大きくなればなるほど、母親にとっての出産が苦行になっていった。
直立歩行する人類の女性の骨盤は、頭蓋骨の大きな赤ん坊を生むのに適しているとはいえなかった。何とか妥協点を探る必要があった。出産の途中赤ん坊が詰まってしまえば、母子ともに命を失うことになる。
その結果女性は、赤ん坊の脳がじゅうぶんに発達しないうちに出産するようになった。これは繁殖自体には有利だったが、今度は、赤ん坊が生まれたばかりの時期を生き抜くことが難しくなっていった。
人間の赤ん坊ほど、無力な状態で生まれてくる動物はいない。最初の一年は胎児も同然で、ありとあらゆる生存の条件を母親に頼っている。これは、人間の脳が大きくなった故に起こった一番目の問題だった。
そして、問題はもう一つあった。脳が大きくなると、タンパク質の豊かな食事が必要になる。タンパク質とはつまるところ肉である。初期の人類は植物を主とした食事をしており、たまに動物を殺してタンパク質を補充していたが、脳が発達すると、肉の割合を増やさなくてはならなくなる。
そして、無力な子供か抱えて動きの取れない母親が、独力で肉の確保をすることは難しい。
前史時代のこの時点で、男たちは適応を余儀なくされる。たくさんの女を追いかけてつがうだけでは、自分の遺伝子を繁殖させることはできない。この方法では女を孕ますことができるだけで、生まれた子が生き抜くという保証はない。
女をできるだけたくさんものしたいという衝動とバランスを取る別の衝動が加わる。それは、孕んだ女のそばにいて、女とその産んだ子どもを守りたいという衝動である。
男がこの衝動を自然に発達させたとは思えない。頼れるパートに、あるいは愛情深い父親に、進んでなったわけではないだろう。次の章で見るとおり、女たちが、きっかけを作った可能性が高い。
男性の注意をひきつけておくための生物学的テクニックを発達させたのではないだろうか? まあ、男が親としての投資をするようになるまでのことの順番がどうあれ、今の時点からみると、女と子どもの幸せを守ってきた男の方が遺伝子を残していることは確かだろう。
だからこそ、父親になるという遺伝子(あるいは心理的適応)は広まることになった。
「いい父親になりたい」というのは1990年代特有のめあたらしいスローガンではない。あちこちの女に手を出すことと同じように、男性の原始的な衝動に基づいているのである。
だが、男が父親の役目を果たすには条件が一つある。成長するための保護を与える以上、たしかに自分の子だと確かめておかなくてはならない。他人の子を自分子同様に時間とエネルギーを費やしたて育てるほど、遺伝子から見て無駄はなことはない。
このように、男性が一夫一妻制を支持し始めたのには二つの理由がある。子どもを無事に育てることと、子どもの母親が他の男の種を孕まぬように確認することである。
だが、できるだけたくさんの女性をものにしたいという衝動と、特定の女性に愛情を注ぎたいという衝動が、どのように折り合いをつけるのだろうか?
古代の専制君主にとって
それはやさしいことだった。バビロンのハンムラビも、エジプトのアクエンアテンも、たくさんの女性とその子どもたちを保護し食べさせるだけの富と権力を持っていた。
自分を一人の女性に縛り付ける必要もなければ、その気もなかった。魅力的に女たちを集め、その女たちに手を出す男たちにはむごい罰を与えた。16世紀、アステカの皇帝マンテズマが自分のために集めた処女に手を出した者は、その妻や子ども、親戚、召使いや生まれた村の村人全員共々招集され、死に追いやられたという。
インカの歴史家ガルチラソ・デ・ラ・レガによると、「汚れた男の生地を永遠に荒れはてさせ、呪をかける」ため、村のすべてを石で破壊したという。
こういう専制君主の存在のせいで更に少なくなった女性の数をめぐって、彼らほど権力を持たない普通の男たちは、熾烈な競争へと駆り立てられることになった。一人の女を一生独占するのがそれほど難しいことならば。女性と生まれた子どもを生涯守り抜くという誓いを立てればいい。
これが今日に至るまで受け継がれている一夫一妻制の始まりなのである。身を踏み外す男たちを法律で縛り突ける有効な手段となった。女は一人の男から長期間保護を受けるという保証を手にし、男は自分の保護する子どもは確実に自分の子だという保証を得たのである。
数奇な運命を辿った末に、ピトケアン島も結局一夫一妻制に落ち着いた。さんざん流血を目撃し、最後の一人を埋葬した、生き残りのジョン・アダムズは、その後生々しい悪夢に苛まれた。
一連の悪夢の中には、彼自身が犯した罪がよみがえり、何らかのバツが下されることは間違いないように思われた。良心の呵責に耐えきれずにジョン・アダムズは、島にただ一つ残った聖書を頼りに、ピトケアン島を模範的なキリスト教コミュニティにすることに全力を注いだのである。
続く二世紀の間に、多くの伝道者が島を訪れ、今日のピトケアン島の人々は、信仰の厚いセヴンスデー・アドヴェンティストの信者となっている。カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の人類学者ドナルド。ブラウンとダナ・ホトラは、200年間にわたるピトケアン島の歴史を紐解いて驚いた。不貞や姦淫の記録がたくさんあると思ったのにかかわらず、島民たちは貞節そのものだったからである。
けれども、島民が百人足らずであることを考えれば、これは驚くことではない。他人の妻を寝とろうとする男は、そんなことを許せば自分には子孫を残すチャンスがなくなると恐れるほかの男にとめられるからである。
それに、彼らには思い出すのもおぞましい暴力の歴史がある。こういう事情の中で、あえて罪を犯そうとする者がいるのだろうか?
ハーレムと一夫一妻制の他にも、男性が「できるだけ多くの女とセックスしたい」
一人の妻と子どもたちを保護した」という二つの相反する衝動を両方満足させるために編みだした方法がある。
一夫一妻制を理想としながらそれほどさほど強制しようしない、今日のアメリカやヨーロッパのような社会で見られる傾向になる。こうした社会の中で男がもっとも惹かれるオプションは、貞操で信頼できる女と結婚し、明らから自分のものである子どもを育て、外で行きずりの性的関係を楽しむことである。
デイヴィッド・バスは、ここまで主張する。1990年代の初め、つかの間の関係でなく長い時をともにする相手にどんな資質を求めるか質問したバスは、はっきりその答えに共通の特徴があるのを知った。
ほとんどの男性は、一夜限りの相手には多くを望まない。対象になる年齢層も広く、魅力や正直さ、やさしさや知性、富やユーモアセンス、気分の安定などに関しても過大な期待は抱かない。絶対に避けたい要因は僅か二つだ。性欲がないことと毛深いことである。
この続きがまた興味深い。バスの研究によれば、永遠の伴侶に望む美点が、つかの間の相手の場合はそのまま欠点にとなり、その逆もまた真なりだという。たとえば、マイナス三点からプラス三点まで数値化すると、男性は女性の“コミットメントしたいという願う気持ちの強さ”に関して、永遠の伴侶には“非常に望ましい”プラス2.17の判断を下し、つかの間の相手には“望ましくない”マイナス1.4の判断を下している。
それては対照的に、性に積極的である。性の経験が豊富であると言った要素は、永遠の伴侶には望まず、つかの間の相手には強く望んでいる。メイ・ウェストが言ったとおり、男は「過去のある女が好き。歴史は繰り返すと思っているから」なのである。
エリザベス・ヒルが1980年代中ごろに行った実験は
このジレンマをはっきり描いて見せた。この実験の中で、男たちは女性モデルのスライドを見せられる。服はだんだんタイトになり、露出度はだんだん高くなる。
そして服がタイトになればなるほど、男たちはその女性をデートの相手に望ましいと思い、結婚相手には望ましくないと判断した。もう一度、ロバート・トリバースの理論に戻ろう。子育てに犠牲を強いられる種の雌ほど、相手を選ぶ目が厳しくなる。
いい人と結婚したいなら純潔を守りなさいという母親らしい忠告はあまり愉快なものではないが、進化論的な裏づけはあるようだ。
本書の初めの舞台を法律のない国にしたのは、男性の性欲のありのままの姿を見出すためである。そこには一人の男と一人の女が平和に暮らす姿はなく、女たちをめぐって流血の暴力を繰り広げる男たちの姿があった。
それがどういうことか解き明かそうとして、人間の進化の過程を辿ってみた。何が私たちを今の姿にしたのだろう? そして、答えはこれだった。セックスである。
男たちは女の巡って争い、できるだけ多くの女ものにしようとしてきた。これは、主導的立場を勝ち得て、自分が臣下の民に押し付けている拘束からは自由でいられた男たちが、決まって取ってきた行動だった。
しかし、彼らが普通の男たちと違っているのはただ一点である。普通の男たちが夢見ることしかできなかったことを実行する権力が、人の上に立つ男たちにはあったのである。男たちの頭の中に入ってみれば、そこにプログラミングされているものはみな共通している。競争心と、そして多くの女性とセックスしたいという願望である。
これは、男たちの体の中に織り込まれている。。血管の中を流れるホルモンから、脳の様々な部位の異なる働きに至るので。一夫一妻制を希求する気持ちさえ、前頭葉(人を中傷したり誘惑したりする部分である)が発達した結果の予期せぬ副産物だったのである。
確実に自分のものである子どもを育てるための。
ルソー流の性善説を信奉する人々にとっては
水を差されるような事実だろう。また、男と女は助け合うために地球上に生まれてきたと信じている人々にとっては、心が寒々とするような事実だろう。
だか、私たちはまだ進化を片側から見たに過ぎない。説明を分かりやすくするために、本書ではまず女性側の事情を切り離し、男性の性欲だけに焦点をあててみた。だが実際はもちろん、男性の性欲が進化するあらゆる段階で女性からの働きかけ、影響があったのである。
今まで述べてきたことで、女性はいかにか弱い受け身の存在だと思えてきたのなら――この先を読むといい。次の章では、女性の性を詳しくみていく。きっと、女性が受け身でも成されるままでもないことが解るだろう。
つづく
8、女たち
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。