サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
宮廷恋愛
時は1227年4月25日のことである。場所はイタリア、ベニスの近く。イタリアの人々の前に突然、ヴ―ナスが現れた。その目的は、地元の騎士、名士を相手に馬上槍試合を行い、ある女性の愛を勝ち取ることだった。
またとんでもない要求であり、行動である。だがこの時代には、当たり前のことだった。その恋に狂った男の名はウルリッヒ・リヒテンシュタイン。他の時代の他の場所でなら、間違いなくまっすぐに精神病院に入れられていた。
だがここ、13世紀のヨーロッパでは、彼のしたことは、あざけりの対象になるようなものではなかった(人目を引いたのは確かだが)。なぜならウルリッヒは、その頃の多くの騎士と同じように、どうしても手に入れらない女性の愛を勝ち取るためにこういう行動に出ていたのである。
彼女は高貴な生まれのウィーンの女性で、地位が高く、冷たい高慢な人だった。ウルリッヒは彼女より若く、地位も低く、二十二で騎士に序されたとはいえ彼女を自分のものにする望みなど持てない身分だった。
社会的階級の違いに加え、彼女は結婚していた。だがそれを言うなら、ウルリッヒも結婚していた。
だが13世のヨーロッパでは、結婚は当事者でなく親が決めるもので、少なくとも高貴の間での結婚の目的は、愛情ある生活でなく家同士の絆を固めることだった。こうした夫婦の間にも愛が芽生えることはあったが。芽生えないこともあった。
そこで不幸な結婚生活で不穏になった人々が反乱を起こさないように、婚外恋愛を認められていた。それを高度に定式化したのが、宮廷式恋愛だった。
その原則を挙げておこう。アキテーヌのエレノアの宮廷にいた高貴な婦人たちが、ひまにまかせて完成させた原則である。まずは、騎士たるもの、自分の結婚相手でない高貴な女性に愛を表明していい。いや、しなければならない。そして、女性の気持ちを勝ち得るためならどのような試練をも潜り抜け、女性の名を汚さぬようにする。
そうすれば、一緒にベッドに入る以外の交流をすべてが許される。このような契約が、女性の不貞を防ぐためにあったのか、それともごく一般的な感覚、世俗のものより精神性を重んじるキリスト教の影響から生まれたのははっきりしない。たしかに全面的ではなくあくまで部分的に思いを寄せ合うことが、熱意をますます募らせたのである。
リヒテンシュタイン男爵がウィーンのその女性に歌で愛を伝えると、彼女は実に教科書どおりに対応した。冷たい態度を取りながらも、きっぱりとは断らなかったのである。彼女は彼に、あなたは自分には身分が低すぎると言い、歌ももったいぶっていて、だいいちその兎唇が気にいらないと告げた。
ウルリッヒほど意志の強くない求愛者なら、ここで挫けていただろう。だがウルリッヒにとっては、これは火に油を注ぐようなものだった。兎唇のことは知っているということは、どんな男だか見てみたわけだ。もしそうなら、見込みはある。もっと詩が上手く書けるようになり、外見を改善し、高い地位を得ればいいだけのことだ。
最初にしたのは兎唇の手術だった。中世の医療技術のせいで、この後六週間、彼は熱を出し寝込むことになる。次に新しい詩を書き、彼女に贈った。それから仕事に情熱を持って励み、彼女に深い印象を与える。これを続けていると、チャンスが与えられた。相手の貴婦人から、詩の誘いがきたのである。そこでなら、話し掛けることもできるかも知れない。
ところがいざその場面になると、彼は緊張し一言も口を利くことが出来なかった。その無様さに腹を立てた貴婦人は、もう二度と会いたくないと言った。だが、二人はまた会うことになる。
彼女を近くで見て、その手に触れ、一瞬で彼女と目を合わせたウルリッヒは、もう後戻りすることが出来なくなっていたのである。
彼はこれまでにないほど戦いを繰り広げ、様々な冒険に乗り出していった。そして、「彼女のための戦いで指を失った」と自分が言いふらしていると、彼女が不快に思っているという話が伝わってくるや、自分の指を切り落とし、ベルベットの袋に入れて長い詩と一緒に贈った。
もちろんこれに感動した貴婦人たちはウルリッヒに、毎日その指を見ていると言った。これを聞いて気を昂らせたウルリッヒは、究極の計画を思いついた。それがあの悪名高き馬上槍試合の旅である。
ベニスからウィーンまで旅をして、ロンバルディアの、オーストリアやボヘミアの騎士たちと戦うのだ。
おまけに、この旅の目的が愛に他ならないことを証明するためのウルリッヒは、ローマの愛の女神ヴィーナスに扮することにした。ウルリッヒと従者たちの行列は、それはそれは見ものだったらしい。
まずは12人の騎士が白い装束に身を包んで進む
その後ろに侍女が二人。それから小さな楽団が続き、最後に馬に乗った男が、進んでくるのである。凝った飾りを施したクリーム色のガウンと重いヴェール、真珠の髪飾りに宝石を散りばめた腰までの髪、という姿で。
挑戦者との戦いはしばしば行列を止めながら、ウルリッヒは総経370人の相手を倒した。これは五週間かけた大手柄で、彼の名は彼が旅した地方のみならず、彼の崇める婦人のもとにまで届いた。もちろんこのまま彼女の元に行けば、彼女の前に通され、会話を交わすことが、いや、もしかしするとキスすることさえできそうだった。
欲望に駆られた貴婦人の玄関を訪れた彼は、武器を捨て施しを乞うライ病患者のいでたちで彼女の前に出るようにいわれる。男爵は喜んで自分の衣装をぼろきれと包帯に替え、本物らしさを増すために道端で一晩過ごしさえする。それから縄で貴婦人の寝室まで上っていきキスしようとするが、貴婦人の周りには八人の侍女がいて、この場を離れるつもりはないという。貴婦人は悶々とするウルリッヒを眺めながら、また彼がつかまっている縄をはさみで切り落とす。ウルリッヒは濠に落ちる。
落とされたウルリッヒは彼女を見上げる。怒りでなく、純粋な、決して曇ることのない愛のこもった目で、もうこれでじゆうぶんだ。ケームは過激になりすぎた。ウルリッヒは誠意を示しつづけたのに、そろそろ褒美をもらってもいいころなのに・そして、褒美は与えられたのである。なぜなら彼女は最初に計画していたようにもう一度試練を与えたりせず、彼を胸に抱き、赦し、15年間求めてきた優しい愛撫を与えたのである。
それがどういう種類のものであったかは知りようがない。ここまで語ってきたことは男爵自身の回想記に書いてあったことで、それは彼が晩年、書記に語って聞かせたものだったため、そういう親密な場面の詳しい記述はないからである。だが他の宮廷式恋愛の例から察するに、ウルリッヒはおそらく、婦人とたった二人になる栄誉を得ただろう。
そして彼女に口づけ、もしかすると寝床の中で彼女の裸体を愛撫することさえできたかもしれない。だが、完全に結ばれることは目的ではなく、そう欲望することさえなかった。そのころの騎士には、娼婦や召し使い、それに厩番の少年たちなど、性の欲望を満たしてくれる相手はいくらでもいたのである。
これは、まつたく違う種類の成就だった。精神にかかわること、違う次元の話だった。そして奇妙なことに、叶えられたとたんに熱い思いは消えていった。そのころの騎士にはよくある話だが、新しい恋人を作ったかもしれない。あるいは、二人とも相手が想像と違って、がっかりしたかもしれない。
結果より過程のほうが楽しかったのかもしれない
あるいは追いかけっこよくあるように、結果より過程のほうが楽しかったのかもしれない。とにかく二人の関係は、二年しか続かなかった。ウルリッヒは永遠に彼女ら背を向けて、もう一度旅に出た。また別な女性のために、今度はイングランドのアーサー王に扮して戦うためだった。
この宮廷式恋愛には、どんな意味があったのだろうか? あれから千年も経った私たちに、何を語りかけてくるのだろうか? 私たちはもはや鎧兜を捨て、もっと現実的な求愛をし、相手の同意さえあれば自分の意志で結婚する。ある意味で、騎士のやっていたことは馬鹿らしい。
得られないものを飽くまで求め、しかも何もならない。だが一方で、だからこそ愛とはどういうものか本来の姿がはっきりと見えてくるのである。憧れを理想化し、苦痛がじわじわと陶酔となり、究極の目的である。愛は核であり、本質であり、人生の目的なのである。
そして迷える騎士たちの冒険は、野蛮な中世と華麗なるルネッサンスの間に文化的な橋をかけた。アキテーヌの宮廷人たちは、今日の私たちとは全く別の精神世界に住んでいただろうが、印刷技術という開発されたばかりの手段を持って自分たちの影響を広げ、洗練と文学の新時代へ社会を導いていったのである。
その後何世代もの読者が、結ばれない恋人たちや騎士の冒険、そして、究極の目的喜びについて文字で読み、自分たちをそこに見て、酔うことになる。ランスロットとグウィネヴィア。トリスタンとイゾルデ。そして、ロミオとジュリエット。西洋社会の愛の神話の数々である。
その時代時代に応じて改良され、飾り付けされ、違う衣装を着せられながら、こうした物語の魅力は廃れることがない。
今日の私たちでさえ、恋に落ちるのは素晴らしいことだと、究極の目的理想だと、そのためにはすべてを犠牲にすべきだと、信じて疑わない。私たちは恋に恋しているのである。恋の持つすべてを奪う力に憧れ、それにこの身をさらされるのを待っているのである。
つづく
61、高い橋、低い橋
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