サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
マンガィアで大人になるということ
ヘレン・ハリスを乗せて飛行機がマンガィア島に着いたとき、彼女はこれから何がどうなるのか全く分かっていなかった。太平洋の島々についてはガイドブックがたくさん出ていたが、その殆んどは当然、タヒチやフィジーやラロトンガなど、大型リゾートを備えたもっとアクセスのよう島々の情報ばかりを載せていた。
クック諸島の南東の端にあるマンガィア島は、地理的にも遠く、魅力に乏しい小さな島に住み、タロイモと缶詰のサーディンを食べてくらしていた。島の外からきた者が泊まれるところといったら、一軒の下宿だけ。そこにあるのはコロニアル調のベッドと、パートタイムでやってくる掃除婦だけだった。
観光客にとって魅力ある地とはいいがたいこのマンガィアも、人類学者たちにとっては魅惑の島だった。1960年代、さかんにフィールドワークが行われ始めてから、マンガィアの人々は二つの大きな特徴で世界中に知られるようになったのである。一つは、世界でいちばん性的に奔放なこと、もう一つは、恋愛というものを知らないということだった。
ヘレン・ハリスも、この二つの噂が真実かどうか突き止めるため、この島にやってきたのだ。16歳の息子と、ソニーのウォークマンと、そして聞き上手であることだけを頼りにして。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で最年長の学生だったハリスは、「恋愛の本質とその進化」をテーマに博士論文を書いている最中であった。20世紀の今になっても恋愛など必要ともしなければ、それどういうものか全く知らない民族がいるということに好奇心をそそられたのだ。
その噂は、南太平洋の民族を専門とする人類学者のドナルド・マーシャルがマンガィア島を訪ね、ある男たちに出合った時から始まった。マーシャルは、彼らにビールをご馳走し、ここではみんなどんな性生活を送っているのかと尋ねた。すると彼らが答えた。18歳の男なら
18歳の男なら、毎晩三回はオーガズムに達する。28になるとそれが。一晩に二回、周に五回まで落ち、40になると、一晩一回、周二、三回になる。
そして彼らは言った。彼らがセックスするのはただ快楽を求めるためだけで、愛のような複雑な感情はない、西洋でいう「君を愛している」のような言葉は思い当たらず、あるとすれば「君とセックスしたい」ではないだろうか。マーシャルはこの調査結果を1971年に発表し、それから4半世紀の間、誰も異議を唱えなかった。
だが、真実はどうなんだろう? マーシャルは本当に、世界でいちばんセックスに狂った人々の住む島を発見したのだろうか? この島の人々は恋愛など眼中になく、それよりもできるだけたくさんセックスをすることの方が大事なのだろうか? それとも、それには他に何か理由があるのだろうか?
ヘレン・ハリスが真実を知るのに、さほど時間はかからなかった。島にきて間もないうちに彼女は、地元の小さな家を手に入れてそこに落ち着いた。息子はウォークマンを豚と交換し、ヘレンは村の学校でフランス語を教えるボランティアをした。こうやって二人が馴染んでいくと、最初は徐々に、やがては足しげく、地元の人々が訪れては話をしていくようになった。
たしかにマンガィア島には、奔放な雰囲気はあった。多くの太平洋の島々と同じょうに、若者が性の実験に乗り出すのは仕方ないことなのだと許されている雰囲気はあった。子どもたちには思春期に入るととたんに、相手を物色し始める。踊りの時や道を歩いている時に相手を探すこともあれば、教会でちらちらと視線を交わし合うこともある。
だが19世紀にやってきた神の言葉を伝えた宣教師たちのせいで
セックスそのものはこっそり隠れて行う。セックスしたければ、誰に知られないようにしなければならない
夜、茂みに隠れてこっそりやってしまう者もいたし、勇気のある少年たちは女の子の両親が寝たあと彼女のもとに夜這いをした。
この夜這いが、最も非難されていた。だがだからこそ、男の子たちは都合のいい面もあった。見つかったら叱られることを承知で出かけてくる少年は、いっそう頼もしく思われたのである。
どうして夜這いする少年を罰するのかハリスに訊いてみると、いけないのはセックスそれ自体ではないのだという答えが返ってきた。そうではなく、そうやって男の子と女の子の間に絆ができてしまうと、親が周到に用意した結婚の計画を妨げになるからなのだと。
ハリスはきょとんとした。ということは、この島の人は恋をするのですか? もちろんですよ、と人々は答えた。この島でも恋は、心痛と苦悩の大きな原因の一つです。
どうしてですか?ハリスが尋ねると、人々はこう答えた、なぜなら恋に落ちた若者は、誰と結婚するのか得策なのか冷静に考えられなくなるからです。結婚には昔から、大きな目的があります。それは、自分の子どもと裕福な家の子どもを結婚させて、土地と名声を更に増やすことです。ところが恋に落ちた若者たちは冷静さを失い、地位や富の事など考えもしなくなるのです。そして、まったくふさわしくない相手を自分で選んでしまうのです。その上引き離そうとすると、彼らは嘆き悲しみます。
二人そろって島を去った例さえあります。それに一度か二度、自殺騒ぎも起きました。こんなに大騒ぎするなんて、理性を失って自分の考えにしか従えなくなるなんて、恋っていったい何なんでしょう? 少しでも見識ある人なら、恋にはなんの意味もないと思えて当然でしょう。
だがマーシャルの報告は何だったのだろう? マンガィア島民たちは恋を知らないと彼は言っていた。「たしかに奨励はしません」長老の一人が答えた。「だが、知らないということではありません」では、セックスのほうはどうなんだろう? 若者は本当に毎晩、二度も三度もセックスをするのだろうか? ハリスが尋ねると島民たちは、いったいどこでそんな話を仕入れたのかと聞いた。
何年か前にここにやってきたドナルド・マーシャルに聞いた、というと彼らは答えた「ああ、マーシャルね、あの人は、若者たちが言うことを全部信じてみたいだね、女性にも話を聞けばよかったのに、若者を集めて酒を飲ませば、どうなると思う? セックスについてとんでもない嘘をつくに決まっている!」
9ヶ月を島で過ごしアメリカに帰ったとき、ハリスは前よりも賢くなっていた。どこにいってだれに話を聞いても、みな恋とはどういうものか知っていた。誰もが経験のあることだし、中には(たまたま恋の相手が社会的にふさわしくなかったせいで)恋が結婚に結びついていた幸運な人たちもいた。
やがてハリスが他の文化にも注意を向けてみると、恋を知らないといわれた西洋社会以外の文化でも、古典期からプレモダンに至る西洋文化でも、まったく同じパターンがあることを見つけた。
恋が喜びと苦悩をもたらすことも、恋が気まぐれであることも
アマゾンのジャングルでも、アラスカのイヌイトたちの間でも、古代エジプトでもあるいは20世紀の中国でも、こいの辛さは誰も知っていた。恋が喜びと苦悩をもたらすことも、恋が気まぐれであることも、ある日突然やってくることも、魂を締め付け。胸を焦がすような思いを連れてくることも、みな知っていた。
だが恋が人間にとって大事なものだと、意味のあるものだと見なしてきた文化はなく、同時に恋は結婚のもっともな理由として認められている文化はほとんど見られなかった。古代ギリシア人にとって恋は、肺炎や狂気と同じような病気の一つでしかなかった。
ローマ人は社交場の遊びだと思っていたし、日本人は日々の生活と家庭生活への義務から一時的に逃れるための魅惑的な現実逃避の手段としか見ていなかった。そして、恋の喜びや価値についてどんな意見を持っている文化の中でも、親たちは非常に現実的に子どもたちの結婚を決めてきたのである。
西洋社会以外で恋がどの様に思われているか端的に表すエピソードを一つ紹介しよう。オードリー・リチャーズ博士という大胆な人類学者が1930年代、今はザンビアにある場所に住むベンバ族と生活をともにした。ある夜火を囲んでいたとき、貴女の民族に伝わる伝説を話してくれと言われて、彼女は村中の人々の前で、イギリスに伝わる若き勇敢な王子の話をした。その王子の愛する王女の永遠の愛をその手につかみ結婚するために、いくつもの山を登り、怪物と戦い、王女のもとへ長い旅をしたのだった。
物語が終わったとき、リチャーズ博士は村人たちを見回した。うなずいたり、微笑んだりしているのだろうと思いながら、ところが彼女が目にした村人たちは一様に、困惑の色を顔に浮かべていた。そしてみな妙に黙りこくってしまった。やがて、無礼なことは言いたくないが沈黙に耐えられなかった村の長が質問を投げかけた。「どうしてその王子は別の女性を探さなかったのかね?」
どうして西洋人はアイに大騒ぎするのだろう? どうして愛が、人間性の最高の表現だと思い込んでいるのだろう? 愛がしばしば、人生の究極の目的そのものになってしまい、そのためなら犠牲を払おとさえするのは、なぜなのだろう? それにどうして愛を永遠に望むのだろう?
どうして愛を見つけるために危険を冒し、それに何より、どうして愛のために結婚するのだろう?
つづく
59、プラトンによるプラトニック・ラブ
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。