下放政策によって送られてきた若者たちが中華人民共和国のために共同で働くよくある大農場の一つだった。麦や綿や油の獲れる豆を夜明けから日暮れまで刈り入れを続ける若者たち、足は泥まみれ、耳元ではスローガンががんがんと鳴っていた。 トップ画像

ピンクバラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

恋に落ちて

本表紙
サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳

恋に落ちて

 小碧は農場でいちばんの器量よしだった。髪を三つ編みにし、自分で刺しゅうをしたズボンをはいた彼女の前では、他の女の子たちがかすんで見えた。宿舎では躍り、畑では歌い、いつも元気な彼女は、他の人々よりずっと、生きていることを楽しんでいるように見えた。

 時は1974年。場所は東シナ海の海岸に近い農場でのことである。毛沢東の独裁が極まり、毛沢東語録を国中の人が崇め、江青の革命オペラ劇場にも家にも畑にも流れていた時代だった。「党は栄光なり!」等のスローガンが意欲に燃えた人々によって叫ばれていた時代だった。

 その農場は、下放政策によって送られてきた若者たちが中華人民共和国のために共同で働くよくある大農場の一つだった。麦や綿や油の獲れる豆を夜明けから日暮れまで刈り入れを続ける若者たち、足は泥まみれ、耳元ではスローガンががんがんと鳴っていた。

 長い一日が終わると、若者たちは疲れ切って畑から宿舎に戻る。そして飯を一膳食べると、寝床に倒れ込むのだった。彼らは、革命を夢見ていた。毛沢東の栄えある姿に憧れていた。資本主義者たちの打倒を目指していた。ただ一人小碧だけが、恋を夢見ていたのだった。

 何週間か前、小碧は近くの農場から来た同志に会った。若くて学者風で、眼鏡をかけた男だった。その夜自分の寝床に戻った小碧は、どうしてもその男のことを頭から追い出せなかった。背が高く、そこそこハンサムな男だったが、惹かれたのはそのせいばかりではなかった。それ以上のものが、彼にはあった。何か未知のもの。うまく説明できないが、彼は彼女の心の中にあった穴に、すっぽりと入ったのだ。

 彼こそずっと夢見てきた恋人、思い描いてきた恋人だった。この人と一緒に一生暮らせたらどんなにいいのだろう。愛し合い、幸せな一生を。それまで会ったどんな人よりも、これから会うどんな人よりも、この人こそ自分のための人なのだという気がした。

彼に対する愛は、書記長に対する愛とも、国家に対する愛とも

これまで誰かに対して抱いてきた愛と違っていた。そして小碧は知っていた。これはいけないことなのだと。最近『人民日報』や『赤旗』などの国家に統制された新聞雑誌で、恋愛が糾弾されていた。愛を囁き合ったり、睦みあったり、デートしたりする――こうした振る舞いは軽薄で不必要で無駄だと言われていた。

 そんなことをしていれば、革命を推進するための貴重な時間を無駄にする。それに第一、毛沢東書記長への敬愛が損なわれる。そのため――少なくとも農場ではー―恋愛は禁止されていた。

 小碧は怖かった。一緒にいる所を見られたらどうなるのでろう? 罰を受けるのか、恥をかくのが怖かった。けれども何よりも怖いのは、引き離されることだった。だから二人はこっそりと会った。夜、畑のずっと向うのほう、満天の星の下で、とてもロマンティックだった。

 そして、初夏のある一夜の事だった。畑では一緒にいた小碧と恋人の耳に、ざわめきが聞こえたのは。振りむいたが何も見えない。ところがである、突然懐中電灯の光が一つ点いたかと思うと、次々と続いて明かりが点いたのだ。まもなくふたりは、30以上の光に照らされていた。二人の噂が行き渡り、逮捕のために農場のメンバーが集められたのである。先頭には農場長の楊が立っていた。

楊は二人を見せしめにすることにした。小碧は洗脳され、恋人に強姦されたというサインをしてしまう

恋人は、即刻処刑された。小碧は恥辱のうちに農場に戻され、二度と恋などしないようにきつく言われた。そのときから小碧は、歌うのも髪を編むのも辞めてしまった。

 ズボンが裂けても、刺繍どころか繕うこともしなくなった。やがてゆっくりと、同志たちの目の前で、小碧は絶望に身を任せていた。彼女を力づけたり慰めたりできる者はいなかった。彼女は、汚れた存在であり、無用の長物なのだから。

 やがて彼女は、完全に自分の中に引きこもるようになった。目はうつろで、話すことさえしなかった。そして数ヶ月後、うつ伏せで川に浮いているところを、彼女は発見された。この世界では恋人に会えない、だから、死後の世界で会おとしたのだ。

元紅衛兵でプロバガンダ映画にも出演していた

アンチー・ミンは、自伝『赤いアザレア』の中でこのエピソードに触れている。イデオロギーがロマンティックな愛をまともに扱わず、その破壊力が力を粉々にしていくのを近くで見たのだった。最近では毛沢東のように、恋愛が不必要なだけではなく役に立たないとする主導者はあまりいないかもしれない。
 だが、これまでもそういう意見を振りかざしたのはもちろん、毛沢東一人ではなかった。

 人類の複雑な長い歴史の中で、愛(そしてそれにまつわるもの)ほど、小説や戯曲の題材になり、神話や伝説で語られてきた人間の感情は他にはないのである。

 人間の感情の中でいちばん尊いものだと持ち上げられることもあれば、災いのものだと忌避されることもある。愛ほど議論されてきた感情もないだろうし、愛ほど理解されない感情もまたないだろう。

 また愛は、多くの解けない疑問を投げかけてくる。親が子どもを世話するとき必要なのだが、生殖のときは必ずしも必要なわけではない。欲望と憧れとも愛着とも違う。セックスや結婚を続けていくのにも――いや、楽しむためにさえ――必ずしも必要ではない。それに恋愛の扱われ方は、文化によって全然違う。

 どこに生まれた男と女かによって、そんなこと全然構わないこともあれば、世界の中心に据えることもあるのである。

20世紀の中ごろ世界へ旅した人類学者たちは

矛盾したエピソードを抱えて帰ってきた。南太平洋のマンガィア島民たちは、性欲が強すぎるために恋愛感情など必要ない。東アフリカのイク族は、悲しみと絶望に沈んでいるため愛がどういうものか忘れてしまった。逆に極端な例もあって、愛の力と種類を知り尽くしていた昔のサンスクリットの作家たちは、愛を表す言葉を20以上も持っていた。

 実際、さまざまな見方がある。愛は存在しているのか、愛とは何か。愛はなぜ起こるのか。愛はどのような感じがするのか。そして、愛にはどう対処すべきか。あまりにたくさんあって、みなそれぞれ違う体験を話しているようにも思える。だが、もちろん意見の一致を見ることもある。たとえば、誰もが愛には力があることを認める。愛が突然、なんの警告もなしにやってくることも認める。だが愛をじっと観察しようとしたとたん、それは指の隙間をするりと抜けていく。

 愛とはデリケートなものである。だから捕らえることなどできない。言葉で表せるほどわかりやすいものはないし、蝶のように分類して、ピンに留めて置けるものでもない。

 1970年代の中盤、アメリカ人の恋愛についての調査のための基金が欲しいという申し出があったとき、上院議員のウィリアム・プロクシマイヤがこれを退けたのも、こういう理由によるのだろう。

 彼は言った。愛など適当に詩か何かに理論づけしておけばいい。それ以外の理論づけなど無意味である。『タイム』誌のインタビューに答えてプロクシマイヤは言った。「私と同様二億人のアメリカ国民も、人生に謎を残しておきたいと思っていると信じる。そして最後まで知りたくないのは、男と女がなぜ恋に落ちるのかだろう。その答えが出るのだとしても、聞きたくない」

 このコメントの結果として、恋愛――人間の心理の中でもっとも謎めいている部分――に関する研究費用数千ドルがカットされた。学会は何も言わなかった。それは上院議員の判断に同意していたからなのだろうか? それともいったん退いて、恋愛というなかなか捕らえようのない貴重な獲物をどうやって捕らえるのか、作戦会議でも開いたのだろうか? 
 つづく 57、愛から盲目の愛へ
盲目の愛に陥った人でも初めは、同時に何人もの相手に惹かれたていることがある。だが奇跡が起こり、思う相手と気持ちを確認し合うと、他の候補者は目に入らなくなり、情熱が燃え上がって、だんだん愛が成熟して行くのである。
もちろんセックスも大事な要素だが、精神的な絆も強く感じている。身体の中心だけでなく心の中心で、相手とつながっているのがはっきりと意識できるのである。