サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
神童(ブンダーキット)ヴェーデキント
ベルリンの賑やかな街の中に、壮観な建物の塊がある。ヨーロッパじゅうから集まった何千人もの学生が、講義を聞こうとここに詰めかける。
ベルリン大学の厳格な研究態度は、ウィーンやアムステルダム、ミュンヘンといったヨーロッパでも先端の性に関する研究を行っている大学の柔らかな雰囲気とはずいぶん違う。だが1990年代の初め、神童クラウス・ヴェーデキントがここを基盤にして、匂いと伴侶選びのつながりに関する研究を始めてから、この大学の名がたびたび新聞の見出しを飾るようになった。
一言でいうと、ヴェーデキントは、人間が嗅覚を頼りにパーフェクト・パートナーを探せるかどうかを研究した。どんなパートナーでもいいというわけではなく、それぞれにぴったりなパートナーである。
かれの学生たちも最初は、これはあり得ないことだと思っていた。排卵期を嗅ぎ分けるというだけでも驚いたのに、相性までもが匂いでわかるなんて。そんな匂いがあるのだろうか? あるとしたら、どんなふうに鼻に訴えかけてくるのだろう?
これを探るためにヴェーデキントは、男性を集めたグループを作り、二晩一枚のTシャツを着とおしてくれと頼んだ。そして、アフターシェーブを使ったり、ニンニクを食べたりセックスしたりするような、極端に匂いの付きそうな活動は控えてくれと、二晩が過ぎるとそのTシャツは番号を与えられ、箱に入れられた。その箱のふたは、小さな三角な穴から一つだけ開けておく。それから選んだ女性たちに実験室に来てもらい、その箱に鼻を近づけてかいでもらうのである。
感覚を敏感にするため
ヴェーデキントは女性たちに二つのプレゼントをした。一つは鼻スプレーで、一つはジュースキントの『香水』である。前者は鼻がすっきりした状態で実験に臨めるようにするためのものであり、後者はこれが匂いに関する実験だと言うことを自覚してもらうためのものである。
箱から匂いを嗅いだ女性たちは、それが強烈か、快いか、セクシーか、評価をしてくれと言われる。ここまでは、グラマーとユッテが、行った実験とさほど違いはないように思われる。だが、一つだけ大きな違いがある。グラマーとユッテが、男の匂いは誰でもさほど変わらないと考えていたのに対し、ヴェーデキントは違うはずだと考えていた。
それも、なぜ違うかある程度予測を立てていた。そこでTシャツを提供した男性たちに、血液サンプルの提供を求めたのである。これは、遺伝子の構造の一部を知る手がかりとするためだった。
ひとりの人間が持つ何億と言う遺伝子の中に
それぞれ違った病気の抵抗力を指定する三つのグループがある。この遺伝子が集まって、MHCという複合体を作る。そしてヴェーデキントの実験では、女性たちにも血液サンプルを提供してもらっていた。
遺伝子から見れば、別々のMHCを持つ男女から生まれた子どもがいちばん病気への抵抗力がある。別のMHCを持っている相手に惹かれるのがいちばん有利である。だが人間の嗅覚に、これを嗅ぎ分けるほどの、遺伝子を嗅ぎ分けるほどの精度があるのだろうか?
ありえないことに思えたが、ヴェーデキントはこれを裏付けたのである。
MHCを持つ男性の匂い
ほとんどの女性はが、自分と違ったMHCを持つ男性の匂いを、刺激的で快く、セクシーだと感じていた。ヴェーデキントがこの結果を発表すると、驚愕の声と不信の声が同じように上がった。Eメールはサーバーがダウンするほどきて。電話は鳴りやまず。発表直後の数ヶ月は、30カ国から殺到するインタビューの申し込みの対処に追われた。
なぜみな、これほどの興味をかきたてられるのだろう? 他人の遺伝子を嗅ぎ分けると言うことになにが、これほどのセンセーションを呼ぶのだろう?そのような力が人間にあったとしても、この複雑な世の中で、実際のパートナー選びにそんな複雑な手段を使っているとは思えない。ところが使っている、とヴェーデキントは言うのである。そして、被験者たちもこれに同意している。
その日実験を終えた女性たちは、感想を求められた。多くの女性たちが、実はびっくりしたのだと言った。彼女たちが好んだ匂いはただ快いだけではなく、自分のボーイフレンドや昔のボーイフレンドを思い出させる匂いだったと言うのである。もちろん過去や現在のパートナーが匂いの好みそのものを左右した可能性もある。
だが、匂いが逆に、パートナー選びに影響を与えた可能性もあるのである。
ここにヴェーデキントの研究のすごさがある。生涯に出会う何百万人という人々、偶然投げかけられた選択肢の中から自分にぴったりのものをえらぶ手段が、脳と身体に備わっているというのである。
バラエティを求める本能
文化の影響も、育ててくれた親の価値観を超えて、ただ一つのタイプの相手を、いや、ただ一人のひとを求める機能が、人間の中に植え込まれていると言うのである。その相手こそ文字通り、“出会うために生まれてきた”その人なのだろう。
もしそうならば、この力についてはできるだけ知っておきたい。そうすれば何よりも大切なものに出会える道が解るかも知れない。何よりも大切なもの、それはソウルメイトであり、愛する人である。完璧なパートナーであり、もう一人の自分である。
その人に出合う旅がどういうものなのか、人はどういう態度で臨むのか、それを次の章で見ておきたい。
つづく
56、恋に落ちて
愛は、多くの解けない疑問を投げかけてくる。親が子どもを世話するとき必要なのだが、生殖のときは必ずしも必要なわけではない。欲望と憧れとも愛着とも違う。セックスや結婚を続けていくのにも――いや、楽しむためにさえ――必ずしも必要ではない。それに恋愛の扱われ方は、文化によって全然違う。