サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
普遍的な美しさ
デイヴィッド・マーカートが4歳のとき、彼の母親が自動車事故に遭った。フロントガラスから投げ出され。骨を何本も折り、顔にも大けがをした。すぐに病院に運ばれて、緊急手術を行ったあと、幼いデイヴィッドにも母と会うことが許された。母と会ったデイヴィッドは、ショックをうけた。いつもの優しく微笑んだ母でなく、まるで怪物のような姿だったからである。
歯はワイヤで縛られ、顎は割れていた。鼻はひしゃげていて、顔中に傷が縫われた跡があった。デイヴィッドは叫びながら病院から逃げ出した。
何週間かたつと、母が家に帰ってきた。もとのママになって帰って来るよといわれたのに、そうなってはいなかった。別人のようだった。目も違えば、鼻も違う。頬骨や顎の形も違う、そのうえ、しぐさも違った。デイヴィッドは言う、「おかしなものでした。みんな、これがお母さんだよと言うのに、まったく別人なのです。話し方まで違うのですから」
成長して行くにつれ、病院での母のイメージと新しいし顔の母に自分が示した反応に、デイヴィッドは悩むようになった。美に取りつかれるようになり、美しい女性たちと次々デートした。最初は歯医者を目指していたが、途中から整形外科医に方向転換さえした。公私にわたる生活の中で美しい女性たちと会ううちにデイヴィッドは、彼女たちに妙な共通点があるような気がしてきた。
それは数学的とも、いや建築学的とも言えるような共通点だった。
その正体を突き止めてみたかったが、普遍的な美などと広言するのは憚れたので、自分の中にしまっておいた。だが自分の時間ができると、デイヴィッドは研究に励んだ。古代ギリシアからラファエル前派まで、美の観念の歴史について学んだ。そして時代や文化や描き方の違いを超え、みな似たような結論を下しているのに深い感銘を受けた。
なかでもデイヴィッドの注意を引いたのは、人類最古の理論の一つだった。プラトンの、黄金分割の理論である。プラトンによると、すべて美しいものは黄金分割にしたがっている。数値化すると、一対一・五の比率である。これを人間の顔に当てはめてみると、髪の生え際から口までの長さが、鼻から顎までの長さの一・五倍であればいい。
また目から顎までの長さが髪の生え際から目までの長さの一・五倍であるべきである。時を経てこの理論は顔のパーツにも適用されるようになった。理想的な唇は鼻の一・五倍、理想的な形の歯は縦が横の一・五倍といった具合である。
マーカートは黄金分割に夢中になった。
そしてこの手法で、ありとあらゆる顔のありとあらゆる特徴が解析できるだろうかと思った。
美しい顔の写真をたくさん集め、実験を始めてみた。図形を書き込み、結果を見てみたのである。最初はその努力は報われなかった、どんなに頑張って見ても、そこから外れる顔があるのである。だが、解決策は突然ひらめいた。視覚や直線ではなく正五角形を当てはめてみると、これまでより細かく分析できた、その上、多くの顔に当てはまりはじめた。
きっとここに鍵がある――マーカーはそう思った。理想的な比率は、確かに存在したのである。しかもそれはプラトンの分析に非常に近く、顔の形にも、顔の中の部分と部分にも当てはまった。その比率は、1.618であった。その比率に近づくほど、マーカーの目に美しく映えた。
これが自分の好みにすぎないのかどうか確かめるため、マーカーは多くの人々を仕事場に呼び、二十の顔写真を見せて、美しいと思われる順に並べてくれと言った。すると、誰もが同じ順番で並べた。そしてどのケースでも、順位が高いほど例の比率に近かった。
そこでマーカーは、世界で最も完璧な美しさを求め、自分のものさしをモデルや映画スターのポートレートにかぶせてみた。現在のスターの内ではシンディ・クロフォードとホイットニー・ヒューストンが、過去のスターの中では70年代のモデル、カレン・グラハムと若き日のマーロン・ブランドが、最も近かった。
マーカーの手法はもちろん自己流で、彼のデータは西洋に偏っている。だが、人間の美について研究している人々、それを商売目的でもマニアでもなく純粋に学問上の目的としている人々は、みな認めている。人間誰もが、“美しい”と思うパターンは確かにあり、それは一定の幾何学的基準に当てはまる、と。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校のドナルド・サイモンズによると、文化や場所を問わず人々が美しいと感じる基準はあるという。そしてそれは文化の影響を受けているというよりむしろ、若さ、生産力、病気の抵抗性、遺伝子の質など、繁殖力を表す基準であり、人間の奥底にある本能に強く訴えてくるのだという。
サイモンズによると、人間の脳はこういうシグナルを敏感に感じ取り、“美しい”という言葉につながる快感や悦び、興奮に変えていくのだという。サイモンズによれば、こうしたシグナルがあっまって。美しさが生まれる。それその時々の流れや文化、個人的趣味の影響で入れ替わったり修正されたりすることはあっても、根本は同じものが流れているのだという。
健康を、つまり美しさをまず映し出すのは私たち人間を包んでいるもの、すなわち肌である。そして世界のどこでも、いかなる文化の中でも、その民族の平均よりやや肌の明るい女性の方が肌の色の暗めな女性よりも魅力的とされている。
日本では西洋社会と接触する前から、女性たちが肌におしろいを塗っていた。インドの薬剤師たちは、美白の化粧品で大儲けをしてきた。そしてココ・シャネルがリビエラで日光浴をして日焼けを流行らせる以前のヨーロッパでは、白い肌を得るためなら女性たちは強力なブリーチ剤を売りつけたため、妻にキスしただけで毒のために命を落とした男が六百人もいたという。
肌と美しさの関係を研究してきたピエール・ヴァン・ベルゲとピーター・フロストによると、ほぼ全世界的に色の白いほうが美しいとされているのは、肌が思春期に白くなり、年を取るごとに黒くなっていくためだという。それに加えて女性の場合、妊娠するたびに、肌は黒くなっていく。
その結果どの人種でも肌の白い女性の方が若く受胎能力があり、それがまた他の男の種を宿していない確率が高かったのだという。これから産める子どもの人数も多そうだと思われるのだろう。
現代の世界では様々な人種が混ざり合って暮らしている。また、それゆえの様々な問題も味わってきた。そのため、どの様な肌の色を好むかと言うのは、ひと口では語れない問題になっている。だが、私たちの祖先は、もっと小さな社会に暮らし、似たような人間にしかあったことがなかったはずである。
まったく肌の色が違う人種の存在など、知らなかったのだろう。だからとにかく、肌の白い相手をみつければ、それだけ繁殖の機会は増えたのである。
年とともに変化を見せるのは肌だけではない。西洋人の場合、髪も変化を見せる。基本の色が何であれ、最初は割合明るめの色をしている。子どもの時代にだんだん暗い色になり、思春期になると光を持つ。そして徐々に、白髪になっていくのである。
髪の色が一番明るい時期の女性は、受胎可能な時期である。ブロンドが好まれるのは、子どもをたくさん産むように思えるからなのである。だがブロンドが、ブルネットや赤毛より不利な点もある。髪の色が濃い方が顔や身体の肌の白さを際たせ、繁殖力の強さを思わせるからである。また男も女でも、豊かな髪は若さと健康を、すなわち美を表す。髪が白くなります、とか薄くなります、という宣伝文句を使うシャンプーはない。
髪と肌の色は、繁殖力を見分ける鍵だった。我々の先祖にとってはなおさらである。だがこれだけではない。人間の身体には、繁殖力を見分けるためのヒントがたくさんある。そして女性の場合とくに重要なのは、ウエストとヒップのサイズの比率なのである。
つづく
51、90―60―90 妊娠率
香港からインドまで、アフリカからアゾレス諸島まで、どれくらいの細さの女性が好きかは地域によって異なっていたが、好みのWHRに関してはどこでも同じ答えが出てきたのである。つねに、いちばんWHRの低い女性を指差し、部族の一人が言ったのだ。「これがいちばんきれいだ、6人か8人くらいは子どもを産めるだろう」そして、比較的ずん胴な女性を指して言った、「この女はあまり子を産まない」