サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
結果・人間の趣味嗜好にいかに多様性があるか
思春期に達するころには、人間の形成に重要な役割を果たす力はすべてその役割を果たし終え、発達はほぼ終わる。遺伝子、ホルモン、胎児期の脳構造の変化、親子の愛着メカニズム、一時的な刷り込み、神経ネットワークの発達、セックス・プレイ、仲間からの学習――そういったものがすべて、役目を果たし終えるのである。
ときにはこういう力が協力し合い、一人の人間をヘテロセクシュアルで自分のジェンダーに少し迷いを抱かない人間、一点の曇りのないストレートの人間に成長していく場合もある。だがこれは、むしろ例外なのである。
どんな人間でも――自分では完全に主流に属していると思っていても――少なくともファンタジーの世界では、特異な嗜好をみにつけいく、ナンシー・フライデーの集めた書簡の数々を見ても分るし、大衆向けポルノ雑誌を見てもわかる。人間は常に、基本となる性欲にちょっとしたひねりを、ちょっとした飾りを加えたくなるのである。
それにはボンデージもあけば、同性愛もある。どの雑誌にも、スカトロやSM、スパンキングなどのテレクラの情報があふれている。こうした雑誌は短い期間のうちに、できるだけたくさんの読者にアクセスしようとしている。そして広告と同様、人々の選択に影響を与えている(こんなものがあるのかと単純に感心する人も多いことだろう)。
なんといってもこれらが廃れないのは、市場に支持されているからからだろう。市場原理は次から次へと新しい形の性を生み出すが、人間の欲望にとってまったく未知のものなどありはしない。
こういう出版物は、本来堅物の読者を無理に洗脳しているわけではないのである。ごく普通の人々が抱いている性そのものに、呼びかけているだけである。
“メインストリーム”のポルノグラフィは今や、映画や音楽をもしのぐ一大ビジネスとなっている。1996年の一年間を取って見ても、全米で80億ドルもの金がこの分野では費やされている。同時にかなり特殊な分野に絞った刊行物も、大いに利益を上げている。有名なものを列挙してみよう。
フェティシズムに的を絞った『スキン・トウー』と『シャイニー・インターナショナル』。ボンデージ・マニアには『ホッグ・タイ』と『マティレッセ』。更年期以降の女性に特別に興味がある人々に向けては『フィフティ・プラン』。思春期の少年少女に興味ある人向けでは『バエディカ』。そして、妊娠していたり授乳している女性に興味のある人のための『ジャッグス』。それに加えて、死体愛好者のためのウェイブ・マガジン『アズラエル』もあるし、虫けらのように扱われるのが好きな人々向けには『スクイッシュ』もある。
人間の趣味嗜好にいかに多様性があるかということを、これまでの説明で解って頂けたら幸いである。それぞれが生まれ落ちた環境に適応するよう、様々な力が複雑に作用しあいって一人の人間を完成させていく、そして人間には柔軟性もあるがあるからこそ個性があるのである。
少し変わった性的嗜好を持っている者もいれば、過激にちがっている者もいる。だが自然は、たとえどんな変わった性的嗜好を持った人間がいようと、大多数の人間が繁殖の機会を逃さないように、セーフティ・ネットを用意している。そのセーフティ・ネットがあるからだ一部分の人がヘテロセクシュアルティを選び、両親や仲間との関係のなかで将来の性的パートナーとの関係の基礎作りをするのである。
ところが、性的成長はここで終わらない。もう一つ最終段階がある。そしてそれは、思春期と呼ばれる。
思春期
それはあるときは夜行列車のように、私たちの夢の中を爆走する。あるときはひそやかに近づいてきて、そっとそっと私たちを変えていく。
思春期を迎えると欲望は、ただの漠然とした憧れではなくなる。身を焦がし、気持ちを昂らせる激情となる。血を燃えたぎらせ、心拍を速くする。そして性器も、オーガズムを感じる準備を整えている。
ティーンエージャーにとってマスターベーションは、性的に大人になった証以上の興味を持つ。
マスターベーションを通じて若者たちは、欲望の本質、その生々しさを知るのである。
マスターベーションをしながらたいてい彼らは、性的に成熟した異性のパートナーを思い描いている。だが、そうでないこともある。社会的に認められていない嗜好を持つ者は、もう少し後になるまで自分の欲望の本質に気づく機会がない。ディーン・ハマーの患者の一人などは、結婚し、離婚するまで自分がゲイであることを気づかなかった。
バイセクシャルのパートナーを求めている広告に応えて初めて、自分が女の匂いより男の匂いのほうに惹かれることを知ったのである。それまで同性相手のセックスは少ししか経験がなかったが、突然気づいたのだ。これが自分にとって自然なことなのだと。
子どもの頃から死者に惹きつけられてきた
まったく違った嗜好を持つカレン・グリーンリーも同じような経験をしている。子どもの頃から死者に惹きつけられてきたが、両親との間は親密と言えず、それを口に出して話すことはできなかった。男の子と――そして女のことも――デートしてみたが、上手くいかなかった。
やがて死体の防腐処理見習になった彼女はある日の午後、若い男性の裸の死体を一人で処理することになった。職業上死体の扱いはなれていたが、その後ご気づいた欲望には彼女自身が驚いた。彼女は言う。「私は仕事のため動き回っていました。すると床に水か何かあって、足が滑ったのです。私は転び、その拍子に唇でその彼の腕に触れてしまいました。
私は思わず、彼の上に乗りました。そのとたん、雷に打たれたような気がしました。これだったのだ、と思いました。まるで、ふるさとに帰ってきたような気分でした。
自分がどんな性を望んでいるのか知り、それをファンタジーから実際の行動へと結び付けていくのは、誰にとっても難しい。いわゆる普通の欲望を抱いてる人々にとってさえ、自分とセックスしてくれる相手を見つけるには苦労するのである。性的倒錯者となれば、なおさらである。まず、自分の本当の嗜好がなかなかわからない。解ったとしても、法で禁じられている場合もある。
苦悩の多いティンーンエイジャーの時代には、もうこんなこと諦めてしまった方がいいと思うこともある。だが思春期になり性ホルモンが大量に放出されると(男の子にはテストステロンが、女の子にはエストロゲンが)、強い性欲を頻繁に感じるようになる。そのため最初の経験にはピンとこなかった少年少女にも、あれこれ実験してみるチャンスが与えられる。これを繰り返すうちやがて、自分に合った性行動が見つけられるのである。
マスターベーションのときに様々なファンタジーを試し、何が自分をいちばん昂ぶるかを確かめる若者もいれば、実際に行動を起こしてみる若者もいる。ホモセクシャル、ヘテロセクシュアル、近親相姦、あるいは獣姦まで、バラエティは豊かである。
だが、思春期に変化していくのは心だけではない、身体もまた劇的変化をとげていく。男の子の場合には、肩幅が広くなり、背が高くなり、身体のあちこち毛が生え始める。頬骨が前に突き出て鼻が高くなり、顎ががっしりとして、全体的に顔が険しくなる。
女の子の成長はまた違う道をたどる。主として変化が、顔の上半分に現れるのである。頬骨を強調する脂肪がつき、両目の間が広くなり、目は輝きを増す。身体を見れば、乳房が大きくなり、ヒップが広くなってくる。そうやって砂時計のような、大人の女性の体形になっていくのである。
こうした変化――体格や顔の変化、そして身体の曲線が――頻繁に感じる王道を行くための最後のセフティ・ネットなのである。こうした変化は私たちに、子どもを作れそうな相手を見つけるための手がかりを与えてくれるからである。
と同時にその手掛かりが、いわゆる美の基準と結びついているのが興味深いとこである。ストレートであろうとゲイであろうと、つまるところは相手を美しいと感じるかどうかが問題になって来るのだから。
つづく
50、普遍的な美しさ
プラトンの、黄金分割の理論である。プラトンによると、すべて美しいものは黄金分割にしたがっている。数値化すると、一対一・五の比率である。これを人間の顔に当てはめてみると、髪の生え際から口までの長さが、鼻から顎までの長さの一・五倍であればいい。