キリスト教の教えは間違っているという証拠である。セックスは罪深いものでもなければ、セックスをすれば健康を害する訳でもないという証拠である。 トップ画像赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

性革命

本表紙
サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳

性革命

 ケロッグのような人々にプレッシャーを与えられながらも、セックスし、マスターベーションし、それを楽しんでいる人々はいた。彼らは証拠の登場を待っていた。ケロッグは間違っているという証拠、キリスト教の教えは間違っているという証拠である。セックスは罪深いものでもなければ、セックスをすれば健康を害する訳でもないという証拠である。
 そしてやがて、これは現れる。

 1861年、フランスの科学者ルイ・パストゥールが媒菌説を展開した。病気は悪い空気や過度なセックスによってもたらされるものではなく、流動性の高い細菌が媒介しておきるという説である。

 この正しさはすぐに証明され、1905年までには、淋病や軟化下疳、梅毒の菌が検出される。50年後ペニシリンの発見によって、治療法も見つかる。

 同じ頃、避妊の方法も爆発的な進歩を見せていた。19世紀半ばまで、コンドームの大半は手製で、一つ作るのにうんざりするほど手がかかった。あるマニュアルによると、まず羊の腸を取り出し、それを水につける。一回ひっくり返し、両側が水に晒されるようにする。

 それから炭酸に薄く灰汁を溶液に浸し、時折りひっくり返す、これを一週間続けるが、最初は4,5時間に一度、液を取り替えなくてはならない。これを5、6度繰り返す。このあともちろん、洗浄、裁断、型取り、縫製などの作業が続き、ようやく使用できる製品が出来上がるのである。

 最初に避妊の論議の対象になったのは1840年代、加硫処理したゴムの登場で、女性側からの避妊が可能になったときだった。
 その何十年かあとにクレープゴムが、そして1920年代になって液状ラテックスが登場すると、コンドームの大量生産が始まり、男性用トイレやガソリンスタンド、食堂やタバコ屋にある自動販売機で売られるようになった。人々はそれに群がった。

 そして1960年代、ピルが登場する。コンドームやペッサリーはもうすっかり浸透していたが、女性がそれを手に入れるのは優しいことではなかった。セックスを忌まわしいものとみなす傾向は女性の中に特に根強く残っていて、いくら処方箋を持っていても、薬屋に入ってその名を口にしたり、ハンドバッグから出したり、あまり手慣れた手つきでそれを扱うのは気後れがした。

ペッサリーはそれよりは良かったが、装着が難しいと思った女性も多かったし、セックスでいちばん気分が高まっているときに装着するのは気まずいものだった。

ピルはこういう問題を、すべて解決してくれた


 ピルはこういう問題を、すべて解決してくれた。目立たないし、信頼性も高い。それに女性に月経のサイクルの知識を与えた。ピルの登場は女性は自ら情熱に身を任せ、性を楽しむようになった。行為の途中で中止したり、顔を赤らめながら野暮なことを頼まなくてもすむ。

 避妊技術の進歩は、女性にかつてないほどの自由を与えた。一万年にもわたって女性は、男に抑えつけられてきた。自分の子宮を男に管理され、行動を拘束された。そしてこの状態を正当化するため、様々な嘘をでっちあげられてきた。

 女はふしだらである。だから戒めなくてはならない。女は混乱をもたらす。だが抑えつけねなければならない。女は劣った存在である。だからその人間性など無視していい。女は弱い。だから好きにしていい。女はばかである。だからくだらないことでしか悩まない。

 だが1960年代に入ると、こうしたでっちあげはもはや力をもたなくなった。自分の子宮を自分で管理すし、望まないなら妊娠しなくてすむようになった女性は、人生を自らの手で築くようになったのである。外で働いて稼ぐこともできる。男性の付き添いなしでも旅行できる。

 自分の性を自分で管理できる以上、以前ほど危険な目にも遭わずにすむ。それにその頃は、西洋では史上最も宗教の影響が弱くなった時期だった。

 こうした時代の雰囲気の中で女性の開放が進み、セックスのリスクが両方の性にとって小さいものになって、性革命と呼ばれるものがおきた。だが、男と女ではその結果は違っていた。女は通りすがりの男なら誰とでもベッドに入るような真似はしなかった。

 四百万年に渡る進化の途中で女に植つけられてきたプログラムは、一世代で変わるようなものではなかったのだ。

 それでも変化はたくさんあった。あまり口に出されはしなかったが、もはや結婚前のカップルがセックスをしても咎められず、独身の人々がカジュアルにセックスを楽しんだ。

娯楽のセックス、たとえばオーラル・セックスやアナル・セックス、マスターベーションなども、

五百年にわたって道徳上優位に立って来た子づくりセックスと比べて、劣っているとは考えられなくなってきた。

 一人が年間あたり経験するオーガズムの回数が増えると、伝統を重んじる人々は最悪の事態を想像し始めた。若い人々の道徳は崩壊につながるのではないか。病気も蔓延し、新たなソドムが出現するのではないか。だが若い世代が、二千年にわたって支配してきた伝統から解放されても、ハルマゲドンがやって来る気配はなかった。

 地獄の業火に焼かれるわけでもないし、性病で人類が絶滅するわけでもなかった。実際にエイズが出現する前の20年は幸せな時代だった。人間のセクシュアリティがようやく二つの恐怖、望まぬ妊娠と性病とから解放されたように思えたのである。

 幾多の困難をくぐりぬけてきても、西洋社会の生命力は弱まっていなかった。いやその時代の人々は、新たなエネルギーを得たように見えた。楽観主義が行き渡り、何でもできそうな気分がみなぎっていた。

 セックスはトラブルの種どころか、すべての病気を治すとさえ信じる人も現れた。「ヘルス・アンド・エフィシエンシー」などの雑誌がこれを後押しした。その雑誌は一糸まとわぬ姿の男女が太陽の下、自転車に乗ったり泳いだりした写真を載せ、新鮮な空気と運動の大切さを説いた。きっとケロッグも、墓の中でうなされることだろう。

二千年の間人類を苦しめてきた不安や恐怖のもたらす不感症やインポテンツを癒した者も相当多いはずである

やがてセックス治療師やセラピストと名乗る人々が現れた。患者に“本来の自分”を取り戻させるため、セクシュアルなマッサージや愛撫の仕方を教え(あるいは自分の手で施し)、オーガズムに導くのである。

 この人々は責められもしたが中には、二千年の間人類を苦しめてきた不安や恐怖のもたらす不感症やインポテンツを癒した者も相当多いはずである。

 そしてついに、究極の福音がもたらされた。サンフランシスコのケリスタや、ススタテン島のガナスや、コロンビアのアーランティスなどのフリーセックス・コミュニティである。ここでは性を抑圧され心に傷を負った人々や、ライフスタイルを作ろうとした。こうしたコミュニティでは、誰とでもセックスをすることは認められていたし、奨励されていた。

 今も80人ほどの人々が住む東海岸があるコミュニティ、ガナスの運営に当たる情熱的なミルドレッド・ゴードンは、来る夜来る夜も持論が繰り返された時代を振り返る。いかに新しい性的関係を築くか、それをこれまでのような閉鎖的なものにしないためにはどうしたらよいのか、熱い議論を続けたとう。

 「まずなぜ、生活を共にする相手とセックスをし、その関係を一対一に限定しなければならないのか何年も考えました。もし偶然、セックスをしたい相手と生活したい相手が一致すれば、それはそれで素晴らしいことです。

 けれども、一致しなくても――そしてそういうことはたびたびあるのです――このままの制度を守らなければいけない理由はないように思えるのです」

 このようなコミュニティが、前向きな動機で始まったことは想像に難くない。何世紀かにわたる性への嫌悪を打ち破ってスタートを切ったのである。最初は、大いなる解放に思えたことだろう。新しいエデンが出現だと思われたことだろう。

 ただこのエデンでは、誰も堕落しないし、いくらでも勃起していい。社会的、性的なニルヴァーナであり、どんなセックスを要求しても拒否されることはない。

 だが真面目な動機で始まり、運営に多大な努力を注いででも、このようなコミュニティの大半は結局、ハッピーエンドを迎えなかった。そういったコミューンの運命は、欧米だけでなく世界中の人類に究極の教訓をくれるのである。何が歴史を、そして文化を作って来たのか、その問いに答えを与えてくれるのである。
 つづく 38、自由な愛の挫折 
 女性信者たちに“釣り”を――セックスによる外部の男性の教団への勧誘を――強制していたのである。そして子どもたちでさえ、無差別のセックスを命じていた。何もかも――セックスも――不安なしに、えこひいきなしに分かち合うべきである。
ただしバーグ自身は、他のカルト集団の教祖と同じように、いちばんおいしいところをいただくのである。
 主導者たちが作ったルールは迷信に、あるいは自分の持つ偏見に、あるいは(たいていは間違った)科学理論に基づいたものだった。たとえばノイズは、人間年を取れば取るほど人間性が高くなる傾向が多分にあり、若いメンバーは年上のメンバーとセックスすることによって、精神的な成長ができるのだと説いた。