サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳
「マスターベーション罪悪感うえ付の愚かさ」
いろいろな意味でこの三人は、科学的な衣をまとったパウロであり、ヒエロニムスであり、アウグスティヌスだった。大衆の面前で朗々と話すのが大好きで、性的情熱に対して恐怖心を抱いていた。だがキリスト教会のお偉方たちが不服従を責めたのに対し、この19世紀の健康主義者たちはもっとかけ離れていてしかも(今日に至るまで)ファッショナブルなスケープゴート、すなわち飽食と赤い肉を中心とした肉食に罪をかぶせた。
グラハム、ジャクソン、ケロッグの三人は菜食主義を支持し、性欲を退け、自然と調和の取れるように身を律した。だが、これだけではなかった。情熱は口からと同じょうに、鼻からも入ってくる。三人はそう信じていた。
とりわけ汚れた空気、いけない雰囲気のなかにそれは漂い、じっとしている若者を襲う。その結果三人は、新鮮な空気と運動、そして冷たいシャワーの特別なプログラムを用意した。グラハムは同性愛を匂わせ、ケロッグは毎朝直腸を冷たいシャワーで洗えと言った。
飽食と不浄な空気の害に加え、この男たちは“情熱”が身体を弱め、死につながるのだと信じていた。これは伝統的な堕落の理論に似ていたが、ある意味で画期的な進歩を遂げていた。
ティソが堕落の原因は体液、つまり精液とヴァギナ分泌液の喪失に求めるのに対し、グラハムとジャクソンとケロッグは、情熱そのものを責めたのである。ティソがヒエロニムスだったのに対し、この三人はアウグスティヌスだった。
グラハムは、マスターベーションをしながら淫靡な想像に耽ることがどんな危険を招くかを紹介したあと、それを続ければこうなると言った。
この悪しき習慣を続けると、だんだん知力が落ち、ついに痴呆のようになる。目はどんよりと曇り、肌は鉛色になり皺が寄る。潰瘍になり、歯が抜け、息が臭くなり、声が弱くなる。そしてやせ衰えて体は縮まり、頭ははげる。身体中に水疱ができて化膿し、絶えず痛みに苛まれる。つまり、早いうちから老けてしまうのだ。体は弱くなり、精神も崩壊する。
アメリカ人たちが病気だらけのゾンビになってどんどん死んでしまうのを防ぐには、方法は一つしかないと三人は考えた。彼らが経営するリゾート地で長く、そしてやや高くつく休暇を過ごしてもらうことである。この間客たちは運動に励み、彼が発明したベジタリアン風シリアルの朝食を取り(中にはもちろんコーンフレークもあった)、マスターベーションは一切しない。情熱をかきたて、体液が無駄になるからである。
それだけでなく、グラハムとジャクソンとケロッグは、性に関するアドバイスの本を何冊も書いて出版した。リゾートに来たりシリアルを買ったりする余裕のないアメリカ人にも、彼らの教えを吸収し実行してもらいたいと思っていたからである。
こうした本はまじめくさった調子で書かれていたが、内容はさながらサイエンス・フィクションで、過激とさえいえるものだった。
三十九の兆候
そうした本の一冊『老いと若さに関す事実』のなかでケロッグは、子どもどもがマスターベーションはしているのを見抜く方法を書いている。マスターベーションをしている子どもにありがちな39の兆候を並べ立てたのである。それは非常に広範囲にわたり、どんな子供でも当たりはまりそうなリストだった。ざっとまとめてみると、次のようになる。
全般的に体が弱いこと、疲れやすいこと、早熟、どこか欠陥があること、気分が変わりやすいこと、倦怠感を覚えること、不眠、精神力の弱さ、落ち着きがなさ、孤独癖、恥ずかしがりや、不自然なまでの大胆さ、泣き癖、怖がり、思考の混乱。
女の嫌いな男の子と、男の子好きな女の子は怪しい。また、肩が丸い、節々が硬い、下半身がだるい、やたらと明るい、寝方が変、乳房の発達が遅い(女の子場合)、大食漢、不自然で刺激的な有害物を好む(塩、胡椒、スパイス、酢、マスタード、土、石筆、糊やチョークなど)、シンプルな食べ物が嫌い、タバコを吸う、顔色が悪い、ニキビがある、爪を噛む、手が冷たくしっとりしている、動悸がする、ヒステリー(女の子の場合)、萎黄病、痙攣、夜尿、そして卑猥な言葉を使う子どもも怪しい。
誰もがこのリストから、逃げることはできそうもなかった。だがそれだけでは飽き足らずケロッグは、子どもがこういう兆候が見られなかったら何ごまかしているのではないかと疑えと書いた。
マスターベーションという忌まわしい罪を犯すものは細心の注意払ってでもそれをやらかしてしまうからである。ゆえに両親は、子どもの寝方を常に見張り、寝室の外で耳を澄ませていなければならないのだった。
「もし部屋に入った途端子どもが静かになったら」ケロッグはこう書いている。「何か理由をつけてでも寝具をはいで見なくてはならない。男の子ペニスが勃起していて手が傍ににあったなら、まず間違いなくマスターベーションをしていたと見ていい、女の子の場合はクリトリスが鬱血し、生殖器全体がふだんより湿っているだろう」
発見した際の“”治療は、ケロッグの教えの中で最も残酷な部分がある。男の子の場合には、麻酔なしで割礼を施すこと。女の子の場合の治療法はさらに過激で、しかも彼はカトリックで司祭が出版許可を与えた冊子のようにもつたいつけて、自らが実践している方法を推奨していた。「女の子の場合著者ならば、純粋に炭酸をクリトリスに浴びせる。異常な興奮を鎮めるにはこれがいい」
今日このようなことを行えば、児童虐待になる。おそらく、長い懲役刑を科されるだろう。だが時代が違った。ケロッグは、尊大な裁判官、不用意な陪審員、サディスティックな拘置所の見張りという三役を一人で演じていた。
そして子どもが性器を探るのはいけないことだと断じてしまったのである。実際には次章で見ていくように、これは健全な発育のために必要なプロセスなのだが。
ケロッグの意見に耳を傾けるのが一部のマニアだけだったら、それほど被害は広がらなかっただろう。『ヘブンズゲート』の信者や砂漠の教父たちのように、極端に走り、サドマゾヒズムに解決策と救いを見出す人々は常にいた。だがケロッグの与えたダメージはもっと広がり、しかも長く根を残すことになった。
ケロッグが生きていた間も本は版を重ね、何百万人もの人がそれを読んだ。家柄のよいアメリカ人からオーストラリアの奥地の農民まで、読者も様々だった。怪しげな読み物として扱われることもなく、彼らが書いた本はブック・クラブなどを通じても販売され、子どもを持つ親たちの家庭医学の参考書として信頼を寄せていた。
その上、彼らの考え方は緩和された形とはいえまっとうな教科書にも載り、百年にもわたってセックスに対する一般の考え方のバックボーンとなってきたのである。
19世紀後半には、マスターベーションを防ぐというサディスティックな道具が次々と作られては販売された。20世紀初頭には、若者たちが疲れを訴えても、マスターベーションをしていると烙印を押されるのを恐れる親たちは、医者に連れて行かなかった。
第二次世界大戦の頃でさえ、徴兵マニュアルや性教育のフィルムでは、マスターベーションはいけないもので、やりすぎると体に悪いだけでなく頭も悪くなると教えていた。
この考え方は、今で根強く残っている。科学の知識が豊富にあるにもかかわらず、プロ・サッカーのコーチたちはスタープレイヤーに向けて、大事なゲーム前にはセックスをしないように命じる。罷免を即日求め実行させたのである。だがエルダースは、今でもその発言をまったく後悔していないと語った。
つづく
37、性革命
そして1960年代、ピルが登場する。コンドームやペッサリーはもうすっかり浸透していたが、女性がそれを手に入れるのは優しいことではなかった。セックスを忌まわしいものとみなす傾向は女性の中に特に根強く残っていて、いくら処方箋を持っていても、薬屋に入ってその名を口にしたり、ハンドバッグから出したり、あまり手慣れた手つきでそれを扱うのは気後れがした。
ペッサリーはそれよりは良かったが、装着が難しいと思った女性も多かったし、セックスでいちばん気分が高まっているときに装着するのは気まずいものだった。
ピルはこういう問題を、すべて解決してくれた。目立たないし、信頼性も高い。それに女性に月経のサイクルの知識を与えた。ピルの登場に女性は自ら情熱に身を任せ、性を楽しむようになった。行為の途中で中止したり、顔を赤らめながら野暮なことを頼まなくてもすむ。
男と女欲望の解剖学 目次へ戻る