婦人はゆっくりとジョンに近づき、「三十センチ」のところで立ち止まると、乳房をみせる。司教の合図を待って、ジョンのペニスを両手に取とり。弄ぶ、しばらくすると司教が、止め、という。そして、結果をみせろと言う、ジョンのペニスは、まだうなだれたままだった。トップ画像赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

寝室の中の司教

本表紙
サイモン・アンドレアエ/沢木あさみ=訳

寝室の中の司教

ジョンは裸で、司教の前に立つ。すぐ近くに、彼の服が重ねられている。司教はジョンのペニスに目をやり、その長さと硬さを確かめると、暖炉のそばに座っている婦人に合図する。
婦人は立ち上がり、ガウンを脱ぐと、自分の手の温もりを確かめる。その手は温かで、そして柔らかい。

 婦人はゆっくりとジョンに近づき、「三十センチ」のところで立ち止まると、乳房をみせる。司教の合図を待って、ジョンのペニスを両手に取とり。弄ぶ、しばらくすると司教が、止め、という。そして、結果をみせろと言う、ジョンのペニスは、まだうなだれたままだった。

 司教がうなずくと、婦人はまた自分の仕事を始める。今度はジョンの耳元でささやき、片手でペニスを、片手で精巣をなでる。明らかに昂らせようとしている。しばらく経つと、婦人は再び手を止め、ジョンのペニスをさらす。司教は軽蔑を顔に浮かべながら、その長さと硬さを確かめる。何の変化もない。

 司教はまた頷き、婦人は仕事に戻る。ジョンのペニスを狂ったようになで、彼の身体に身体を押し付け、窒息させそうな口づけをする。遠慮を捨て、目にはうつろな光が浮かんでいる。

 今や、皆が彼を見ている。司教と婦人だけでなく、部屋に集まった全員が彼を見ている。ジョンの兄もいれば、友人たちもいる。様々な証人もいる。なぜならこれは聖職者たちが開いた密かな余興でなく、公の審理だからである(時は十三世紀、場所はカンタベリー)。原告はジョンの妻で、彼に結婚を続ける能力がないことを申し立てて行ったのである。

 アウグスティヌスの死から、千年経っていた。キリスト教社会全体と同じように、ヨーロッパでも、様々な変化が起きていた。ローマは崩壊し、暗黒時代が始まり、そして終わった。ヴァイキングたちによるアメリカの発見があり、東側と西側の教会が別の道を歩み始めていた。

 少しずつ、だが着実に、新たな進行が世界中に広がっていった。497年、フランス人たちが改宗した。そして十一世紀の終わりには、西側のキリスト教徒はみな、ローマの教皇に支配されていた。ヨーロッパ全体、アイスランドからイタリアまで、スウェーデンからスペインまでが、その支配下にある。

「産めよ、増やせよ」を巧妙に攻撃し、何百万人もの人々にキリスト教徒のライフスタイルを押し付けた

アウグスティヌスや彼と同じ時代の人々は、ローマとユダヤの「産めよ、増やせよ」を巧妙に攻撃し、何百万人もの人々にキリスト教徒のライフスタイルを押し付けた。一方中世の教会は、性に関して厳しい掟を課し、聖職者に信徒の挙動をくまなく見張らせた。

 まず、性行為に適した日というのを定めた。と言うより、禁欲に適した日を羅列したのである。まず木曜日(キリストが逮捕された日であるため)。金曜日(キリストが死んだ日)。そして土曜日(マリアの記念日)。日曜日(死者の記念日)。そして聖餐式の三日、五日、七日前の火曜日と水曜日。イースターと聖霊降臨祭、クリスマスの前四十日である。

 また、性交の際の体位も、一つに決まっていた。正常である。トマス・アクィナスによるとこれは、女性に対する男性の優位を表す体位なのだという。女性が上になったり犬のような姿勢を取ったりすれば、直ちに身を滅ぼすと言われていた。

 そして、性交の目的はただ一つ、小作りに限られていた。この目的から離れれば離れるほど、罪が重い行為だとされた。そためホモセクシュアルリティ(二セットの精液が無駄になる)はマスターベーション(一セットの精液しか無駄にならない)より罪が重いとされ、レイプや近親相姦、姦通はそれに比べれば罪が軽かった。無理やりにせよ、精液が無駄にならずに子孫につながる可能性があるからである。

 そして性行為のときにはアウグスティヌスが説いたとおり、一切の情熱を感じてはならないとされていた。そしてパウロの説いたとおり、セックスはすなわち結婚につながるものでなければいけないとされていた。

 四世紀移行教会は結婚の問題に関心を払ってきたが、その際の性なる儀式は行ってこなかった。ヒエロニムスの意見を尊重したためである。だがやがて、結婚を禁止するより管理したほうが教会自体の利益に繋がることを悟る。それからは、結婚式の際、子どもの洗礼の際、そして結婚にまつわるあらゆる問題管理の際、教会は料金を取るようになった。カンタベリーのジョンのインポテンツの問題も、その一例である。

 中世キリスト教会は上から命令することによって、セックスを撲滅しようとしたように見えるかも知れない。だがまったくそうではない。中世ヨーロッパで教会は、最大の権力を手にした。そしてそれを維持していくための方法を探らなければならなかった。

教会も地上の権力を握った以上

、人々の支持を必要とする。だから、現実生活との折り合いをつけなければならなかった。そして教会は、人々の収入に対する課税の権利を得たように、人々の魂に課税する事にしたのである。
 人間としてどうしても我慢できない行為を責め、赦しを売るのである。

 こうやって告白と懺悔という、とんでもないシステムが出来上がった。人々はキリスト教の教義を口ずさみながら、罪深い思いを抱くたびに、儀式化された罰を耐え、あるいは現金を寄進するのである。画期的だが、むちゃくちゃなやり方だった。人々はこのシステムのせいで、まるでフットボールのスコアのようにモラルの点数を追い求め、そもそも誰が規則を作ったのか、その規則が絶対に正しいのか、寄進した金が誰のものになるのか、考えもしなかった。

こうして人々は罪を金で解決する事に夢中になり、教会もこの金集めに夢中になった。そして金の元なる罪のレパートリーを絶え間なく広げ。せっせせっせと罰金を取ったのである。

だが問題が生じた。取りつかれたようにエロスの罪を探し、弾劾し、罪を下すうちに、ヨーロッパのリビードーは逆に高まっていったのである。純潔を守ろう、性生活は最小限にとどめようと心がける敬虔なキリスト教徒たちも、教会があまりに性のことばかり口にするので、却って罪深い考えを――そして行動を――起こすようになったのだろう。

これほどうるさく言わなければ、むしろ性の事など忘れ去っていたかもしれないが。キリストの崇拝そのものがなぜか逆に、教会が禁じた行為に人々を駆り立てることになった。

キリストの像が、一種のエロティックなイメージを持つようになった

そして初期の殉教者(特に聖セバスティアヌス)の苦悩が、陶酔のように見なされるようになった、マリアは高潔の象徴から、性的フェティシズムの対象に変わっていった。特にクレルヴォ―の司教、聖ベルナルドゥス、シトー派の人々がそこに手を貸した。

イエスやマリアなどが性的な意味合いを帯びると、彼らに対する献身にも性的な匂いがするようになった。尼僧たちは、イエスと陶酔の絆を結ぶ夢を見るようになった。自らの罪を鞭で贖(しょ)ったことのある司教たちにとっても、宗教上の行為がいつして性にとって代わるのだった。

聖人たちに関する言い伝えも、その種の話がたくさん残っている。カンタリーチェの聖フェリーチェはミサの途中、しばしば陶酔に囚われ話すことが出来なくなったという。ヴェロニカ・ジウリアーニは神の子羊たちをいとおしく思うあまり、子羊を寝床に招き情熱的な口づけをして乳首を吸わせたという。

もっとも興味深い例は、アラビアの聖テレサだろう。神との出会いを、非常にエロティックな言葉遣いで次のように語っている。

あまり見たことのない人の形をした天使がいました、背は高くなく、むしろ低く、とても美しい姿でした。手に金の槍を握っていました、槍の先には、炎が燃えていました。これを天使が私の心臓に何回も打ち込むので、槍は内臓を貫きました。天使がそれを引き出したとき、私は内臓を抜かれましたようなか気がしました。

神への愛、すっかり燃え尽きた気がしました。痛みはひどく、私は呻きました。この痛みのもたらした快感はすばらしく、消えて欲しくないと思いました。神以外の何ものに、魂がことほどの幸せを感じるでしょう‥‥。

こうしたキリスト教のセックスへの接近は、俗世間にも影響した。13世紀と14世紀には、教会の運営する売春宿がヨーロッパじゆうにあった。好色な司教や女僧、そして煽情的な告白が、売春婦やポルノグラファーたちにインスピレーションを与えた。

性的な罰のリストを、司教たちが告白者の前で微に入り細に入り読み上げることもあった。もちろんこれは、罰の一種だろうが、却って欲望に火をつけることはあった。

そして告白者のほうは、自分の罪を余すことなく聴罰司祭に語らなければならないのである。あまり知られていないことだが、罪の償いのため、犯した行為を司祭相手に行わなければならいこともあった。
 つづく 34、サドマゾ 
 最初にブームがおきた北イタリアで、1259年、ある歴史学者が書いている。「夜も昼も長い行列が続く、先頭には、十字架と旗を掲げた司教たちが立つ。二列になり、自らを鞭で打ちながら、通りを練り歩いていた」中には五歳くらいの子どももいて、地方の役人たちも驚いた。
そして彼を街から追い出そうとしたが、うまくいかなかった。